鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

愛の軌跡(あなたの影になりたい)

 

 ぽくに手持ちの札は殆ど残っていない。 

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 書くとすれば過去の事柄、それも音楽を中心とする自己表現について、だ。他者を評論するのは、もう飽きた。書いたところで、自分がどう感じたかが主眼となり、客観的な視座など設けられないのだから。

 先日「痛々しい」という感想を聞いた。自分に向けられた意見ではなかったが、なぜ「痛々しい」と突き放せるのか、納得できなかった。誰しも表現する欲求がある。仮令その表現が水準に達しておらず、見苦しかったり居た堪れなかったりしても、軽々に口にすべきではないことだと思う。
 さて牽制球を放った以上、今回は自己言及にとことん感ける。面倒くさそうだなと思った方は、ここで読むのをお止めください。
 
 
「あなたの作った楽曲はいずれも水準に達していませんでした」
 大物プロデューサー氏は、柔かに微笑みながら契約の打ち切りを通告した。ぼくは黙って項垂れるばかりで、食い下がることもできなかった。
 ところが、一年後に電話がかかってきた。件のプロデューサーではなく、彼の側近であるマネージャーからだった。
「イワシさんの作った『愛の奇跡』を正式にレコーディングしたいのですが」

「愛の奇跡」というのは、ぼくが制作を依頼された12曲のうち、プロデューサー氏の唯一気にいった楽曲だった。
「これこそホンモノの歌だよ。あなたはいいとこまで来ている。だけど結末に不満がある。ネガティヴなままで終わらせず、愛の奇跡というタイトルに相応しい希望を与えたほうがいい。何とかならないか?」
 ぼくは呻吟してラストの二行を捻り出したが、それは彼の気に召されなかった。アニメの主題歌みたいな結びだなと述べるにとどまった。自分でも嘘くさいと感じていた。なにせ、
溶けあって、けよう、人でとつのの束となって
(笑)だもの。リアリティゼロだし、ハ行の子音が続くから発声にアタックの効かない欠点がある。平たく言えば、歌いにくかった。

「で、イワシさんには申しあげにくいんですが、歌詞の一部を変更してもよろしいでしょうか……」
 いかにも申しわけなさそうなので、ぼくは鷹揚に笑ってみせた。
「かまいませんよ。ラストが弱いんでしょ?」
「いえ、ラストは動かしません。あの方は不満だったようだけど、わたしはこのままで良かったと思います。と言うか、ラスト二行で二人が救済されますね。そこがいいんです。
 変更箇所は、ほんの僅かです。サビの英詞『Baby I'm Fool, Maybe You're Fool』の部分、この二番目の『フール』を、『トゥルース』に変更することを許可していただきたいんです」
トゥルースTruthですか?」
「ええ、真実の意味です。それだと次の『But It's No Sympathy』にも違和感なくつながりますね?
 じつは韓国に『真実』というTVドラマがありまして、それが日本でも放映される運びとなりました。その、日本語版テーマソングとして『愛の奇跡』が採用されたのです。それで、条件としては歌詞の中に」
「真実に相当する語句を入れること、ですか?」
「ですですイワシさん、いま『冬のソナタ』が大ヒットしていますが、『真実』だって話題作です。これチャンスですよ。変更を認めていただけませんか」
「分かりました、どうぞご随意に」
 というわけで、ぼくは楽曲の使用を認めた。後日、事務所から正式な契約書も送られてきた。ぼくの作品でJASRACに登録されたのは『愛の奇跡』だけである。
 録音ではぼくが短期間に歌唱指導した、顔立ちの整った若者が歌った。藤井フミヤに影響を受けた歌い方は、ぼくの作風に似合っているとは思えなかったが、艶のある声質はそれなりに魅力的だった。バックトラックも本格的なものだった。簡素なぼくのデモテイクがドラマチックにアレンジされていた。リズムは当時流行していたティンバランドのスタイルだった。へえ、プロの仕事ってこういうものなんだな、と送られてきたCD-Rを聞いて感心したものだ。
「ひょっとすると、ひょっとするかも」
 ぼくの淡い期待は、しかし露と消えた。確かに「愛の奇跡」は採用されたけれども、CSのみの放送だった。のちに日テレが地上波で放映した際には韓国制作のオリジナル楽曲が使われた。韓流ブーム怒涛の勢いは、日本語版テーマソングの介在を許さなかったのだ。
 やがて口座には何回か数千円が振込まれた。ぼくの得た印税収入の、それがすべてだった。
 
 じつを言うとぼくは、「愛の奇跡」をそれほど好んでなかった。一曲くらいバラードを置いておかなきゃな、くらいの調子で提出したのだ。歌詞についてプロデューサー氏は「これは別れたくても別れられない男女の機微を表したものだよな?それはあなたの経験によるものかな?」と問うてきたが、それほどシビアな気持ちで歌詞を書いたわけではない。ただなんとなく、不安な心理描写を試みたに過ぎない。ぼくは崖っぷちまで自己を追い詰めた経験がない。だから気安く量産できたのだと思う。でなかったら、ヒデとロザンナ往年のヒット曲と同じタイトルをつけるはずがない。歌詞に責任を求めない姿勢は、どうしても歌詞を覚えられず、歌詞カードを見ながらでないと歌えないという、ぼくの致命的な欠点と直結している。
 
 反面ぼくは、音の響きにこだわった。とくにコード進行には自信があった。「愛の奇跡」でいえば、Cmから始まってCmmaj7→Cm7→Cm6と半音ずつ下行するが、ベースは逆にC→D→E♭→Fと上に進む。歌の旋律も上るから、対位法の禁則ではあるが、ともあれそういった工夫をどの曲にも必ず施し、ありきたりな響きになるのをひたすら回避した。ぼくは自分のこだわりを何よりも大切にした。コード信仰だよと今では笑ってられるが、当時のぼくには、そこが一番の勘所だった。
 
 
 その後も曲は書き続けた。しかし依頼が途絶えると、書くペースも落ちてくる。ぼくはなんとかモチベーションをキープしようと、設定に工夫を凝らした。例えば、初めて曲を書いてみた女性のつもりになって、曲を作ったことがある。
 次に掲げる「裸足で踊って」がそうだ。
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 のちにこの曲を核として、『パストラル』という小説を書いた。簡単に筋書きを記すと、何の気なしに書いた曲が採り上げられヒットするが、承諾もなく使用されたことに傷ついた主人公の亜沙美が著作権を放棄する、という「お話」である。わりと楽しみながら書いた。この曲を作ったときのプロセスを顧みながら、何故こんなメロディーになったのか、こんな歌詞にしたのかを自己分析する機会ともなった。自分の中に、これはオッケー、これはアウトという基準は確かに在るけれど、作曲の最中には意識していなかった。いや敢えて無自覚に、アバウトであろうと努めた。なぜなら音楽を生みだすという行為は、計画に基づくものではなく、むしろ夢心地、半覚醒の状態で、おぼろげなナニモノかを掴み取る作業だから。頭をガチガチに縛りあげてはいけないし、理屈を求め過ぎると柔らかな着想を逃してしまう。そういった事どもを歌詞に託していたのかと、ノベライズ(笑)してみてようやく分かった。執筆は、違った角度から光を当てる作業でもあったのだ。
 
 さて、ぼくは小説『パストラル』で、歌詞が一部改変されたことに気づいた主人公の気が動転する場面を書いた。「裸足で踊って」の歌詞を拡大してみてほしい。
 フックの部分「小っちゃい」は「小っちゃい」に書き換えられる。背丈の低い亜沙美にとって、その「」こそが「伝えたいこと」の核心であり、「」と一般化されては元も子もない。だから「もうわたしの歌ではありません」から「著作権、いらない」と放棄するのである。
 今になって分かる。ぼくが・他人に手を入れられたくなかったのだ。たとえ適当に、いい加減に、苦しまぎれに音符に載っけた詞だとしても、「莫迦」から「真実」への歌詞の書き換えは、瞬時に抑制はしたものの、耐えがたい屈辱だったのだと。
 
 
 とはいえ切羽詰まってはいた。音楽活動を続けるのも40歳を区切りだと決めていた。一刻の猶予もない状態で、目的もなくダラダラと音楽を作る余裕はなかった。
 それが寺小屋商法だと薄々知りながらも、公募ガイドの広告に手を出した。三千円也を支払えば、任意の歌手の声域と歌いたいテーマが伝えられる。採用されるか否かは楽曲の出来次第。騙しかもしれないが賭けてみるしかない。そこまで追い詰められていた。
 そしてぼくは「愛の奇跡」よもう一度とばかり、♭三つの得意な調でバラードを書きあげた。タイトルはまたしてもスタンダードと同じく「あなたの影になりたい」。
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「愛の奇跡」との違いは、英詞に逃げなかったことだ。その間ずいぶん日本語と格闘した。自分に何が欠けているのか、それは歌詞への執着心だと気づいた。ぼくは詞を先に書き、それから曲をつけてみた。
 
夜中にそっと抜けだして駆けつけるわたし
二十四時間あなたを監視していたい
たまに躰を交わすくらいで
恋人と呼ばれることもない
冷たいひとと他人はいうけど
違うでしょ、違うでしょう
愛情のない行為、それでもいいと思ってる
ああ、そういうことする
あなたの影になりたいわたしだから
あなたのことを何でも知りたがるわたし
二十二、三の娘みたいに嫉妬してみたい
いつも誰かにこころ奪われ
笑うでしょ、口惜しい筈なのに
そんなあなたの微笑みみつけ
笑うでしょ、笑うでしょう
愛情の表現は、わたし以外を向いていたっていいわ
だいじょうぶ
あなたの影になりたいわたしだから
こんなに近くにいるのに
気づかないそぶり、何故
いつわりつぶやきため息
うそついてばかり、勝手
きっと
愛情のない方へ、あなたこれから彷徨うでしょう
そういうことする……
だいじょうぶ、だいじょうぶよ
あなたの影になりたいわたしだから
 
 まあ、演歌調だと言われりゃ返す言葉もないが、その通り、耐えしのぶ女を描いたもので、それは公募に求められた「テーマ」でもあった。そしてまた、他者に与えられた設定を遵守することが如何に楽チンかを知る契機にもなった。ぼくはこの歌詞をたいして苦労もせず、三十分ほどで書きあげた。曲をつけるのだって早かった。録音も半日で完パケした。出来あがってみると手放すのが惜しくなって件の募集には送らなかった。どのみち実態のないインチキなのだしと、切り札を手元に置いていたかったのだ。
 創造という部分では得心のゆく出来である「あなたの影になりたい」だったが、結果は出せなかった。当然だ、発表しなかったんだから。だけどいつか、ユーチューブあたりに音源を発表するかもしれない(が、その機会は当分ないよ)。
 
 ミドルエイトの部分、楽譜では右下二段[E]だけど、そこのコード進行は我ながら上出来で、巧く経過音がつながったと思う。A♭→G→Cm→A♭m→E♭→F→A♭/B♭という和音に対比するE♭→D→C→B→B♭→A→A♭/B♭/Bというベースラインの順次進行は、「愛の奇跡」よりも技法が格段に進歩している。
 こんなこと、誰も指摘してくれないから、手前で解説するしかない。
 だから後々これも小説のモチーフとした。『歌の塔』の前半では、主人公たちがこの曲をレコーディングする模様が延々と続く。原稿用紙に換算して三十枚は費やした。それから小説の後半では、やはり作曲者に無断で歌詞が書き換えられるエピソードを挿入した。すなわち「二十四時間あなたを監視していたい」が「二十四時間あなたに寄りそっていたい」に、「行為」が「」に変更されるという筋書きである。が、この曲を作った主人公ローサは泣き寝入りしない。前作『パストラル』とは違って積極的に著作権を放棄する。より自由な表現の獲得を目指して(やれやれ、ぼくも執念ぶかいな)。
 
 
 
 つまり、ぼくが今きみたちに語りかけたいことは、政治・社会の批判や偉大なアーチストの解説ではなく、自己表現に関することなんだ。どうせ小説を書いて載っけたところで、きみらは読まんだろう? 知っているとも、創作を記事にした途端にアクセス数がガクッと減ることも。だけどね、ホントに書きたいのはフィクションさ。
 これから「鰯の独白」は痛々しい方へ向かおうかと目論んでいます。やあ、ちょうど5000文字だ、ここでおしまい。
 
 
 
 
参考まで