『21世紀のプロテストソング』は岩下啓亮が2002年に自主制作した作品集の題名である(未発表)。
今回、久しぶりに聞き返してみた理由は、9月18日に亡くなった友人Uの遺品に、ぼくの録音したCDが多く残されていたからである。
音楽活動をやめて十数年が経つ。過去の自作を聞く機会はほとんどない。この『21世紀』を聴くのも数年ぶりだった。というのも、ぼくにとってこれはラストアルバムに相当するので、聞くと少なからずシンドい思いを抱くのだ。
しかし、2019年の現在に、本作の訴えようとしていた事柄が、当時よりもリアルに伝わると感じるのは錯覚だろうか。アレンジや言葉づかいは時代の影響で古くさく聞こえる部分もあるが、提示した問題意識は、むしろ今日の社会状況に通低しているようにも思える。
それでは『21世紀のプロテストソング』全16曲の簡単で散漫な解説を試みてみよう。とはいえ、その音楽を(このテキストを読む)あなたは聴くことができないのだけども。架空のライナーノーツとして(笑)想像していただきたい。
マスターCD-Rのインデックスより
1. I Believe
意表を突いたカントリー&ウェスタンスタイルのオープニングナンバー。曲を書いたきっかけは、ある護憲集会で「明日があるさ」の替え歌で「憲法があるさ」と歌われていたので、それならオリジナルな新しい歌のほうがいいじゃん、との思いから。でも気後れして提供するにはいたらなかった。
2. バンガロー
漢気あふれる歌を書いてみたかった。現実の自分の非力さ、自信のなさにうんざりしていたから。ラップの内容は当時よく読んでいた斎藤貴男の著作に影響を受けた、典型的ワナビーな歌詞だ。アレンジもあまり企まず、シンセ等もあるがままに弾いた。
3. ワルツアメリカ
世紀を跨ぐ前後に、アコースティックギター一本で弾き語りできる歌を多く書いた。ボブ・ディラン気取りでね。ミドルエイトの歌詞が映像的で大好きなんだけど、今聴くとリズムパターンがちょっとうるさいな。
4. 渚のハレーション
これはレナード・コーエンの影響下にある旋律。沖縄について書いたつもりだったが、むしろ今では本邦のことを歌っているように聞こえる。アレンジは遠近感や明暗のコントラストといった「対比」を意識している。
5. あいにいかなくちゃ
ディラン、コーエンときて、これはポール・サイモンの真似っこだね。でも、日本のポップスに顕著な歌う人=主人公の過剰な自意識から解放された、コメディふうの歌詞を目指していた。それの表れ。
6. モノリス Monolith
ぼくの歌詞にはダブルミーニングが多いけど、「野を駆ける子どもたち」を「脳欠ける子どもたち」と空耳されたときは、さすがに深読みし過ぎだよと思った。あと、もともとの曲調はボサノヴァ的な軽い雰囲気だったのが、音を重ねる過程で雄大なロックになってしまった。
7. あなたの影になりたい
これを書いた経緯は別稿に詳しく書いている。
kp4323w3255b5t267.hatenablog.com
8. ひとりぼっち・ともだち
たぶんR.E.M.みたいな歌を書いてみたかったんだろう。天気の話・政治の話のくだりなんか、もろ。だけどじつは、この歌の真のテーマは「自分に飽きていること」だと思う。だんだん自己模倣に陥っているような危機感を覚えていたんだ。
9. ルサンチマン Ressentiment
ある方に、ロイ・ハーパーみたい歌だねと言われたが、ま、オープンチューニングで曲を作ると、どうしたってトラッドっぽくなるよね。歌詞はなるたけ呑みこみにくい語句を意図して選んだ。
10. ロック・ミー・ベイビー Rock Me Baby
冒頭曲のバリエーション(変奏曲)だとは録音した後になってきづいた。没にしてもよかったんだけど、ここに置いたら納まりがよかったんで。ぼくなりのR&Bを刻んでおこうと思った。
11. スイート・イマジネーション
だとすれば、これはぼくなりのグラムロックだね。ラジオを聴きはじめたころの感覚を思いだしながら作ったけど、先日なくなったリック・オケイセックがエンディングを聞いたら苦笑するかもな。
12. どれくらい Slave To Cry
で、ネタばらしのようだけど、この楽想はピート・タウンゼンドへのオマージュ。(本邦のポピュラー音楽の大半を占める)恋愛の初期衝動についてばかりではなく、彼のように生と死、社会と個人、労働と生活についてのシリアスな歌をつくりたかった。
13. いついつまでも
では、日本ならではのポピュラー音楽とは? と考えたら、このヨナ抜き音階の旋律が降りてきた。高峰三枝子の「南の花嫁さん」みたいな曲調だが、ジャズ系のギタリストからは「(ウェザー・リポートの)ブラック・マーケットかい?」と訊かれたな。違うって。
14. ワルツアメリカ Ⅱ
3曲目の「ワルツアメリカ」では友情・愛に満ちあふれたアメリカの理想を歌ったが、ブッシュ政権下のアメリカには、絶望しか感じなかった。それで対をなす「Ⅱ」を書いた。幻聴かもしれないが、ぼくにはエンディング近くで吹きこんだはずのない「アメリカー」というコーラスが聞こえる。
15. 4000マイル
惜別の歌。終わりの予感を抱きながら、この歌を録音した。長年使っていたTEACの4trkレコーダーは既に相当ガタがきていた。playボタンが割れたとき、あー終わったな、と呟いた。これは80年代のニューウェーブにアレンジの着想を得ている。
16. Good Morning ×4
影響されたジャンルを一通りおさらいした前の曲で終わらせるつもりだった。が、あまりにも救いがないと思った。根が楽観的なぼくは、明朗な曲調でアルバムを締めくくりたかった。ワグナーとハンターみたいなツインリードは、新たな道へのファンファーレだった。
というわけで、総計66分10秒の16曲をざっとふり返ってみたが、ぼくはこのアルバムを親しい友人や世話になった知人に配った他は、目立ったアクションを起こさなかった。本作を聞いた人数はおそらく三十人にも満たないだろう。
「ワルツアメリカ Ⅱ」の歌詞にもあるように、「誰もなにも言わな」かった。いいとも悪いとも言われなかったが、当然だと思った。ぼくは最早、評価を求めていなかったし、この作品群を携えて世に問うといった気概もなかった。いや、あえて自らの考えを世に問うとすれば、その手段は音楽に限らなくともよい、むしろ文章のみのほうが伝わるかもしれないと考えていたのだ。
もちろん、つくった音楽に自惚れていたわけではない。むしろその逆で、なんだかオレ洋楽の翻訳作業に勤しんでいるだけかも? と疑いはじめていたし、作風が固まってくるにつれマンネリ化は否めず、自己模倣すなわち過去作品の焼き直しに陥っていると感じていた。だからといって外から新奇なアレンジを取り入れることが挑戦だとも思えず、また、常に内側から湧き出ていた創作意欲も薄れ、自宅録音のアナログなプロセスにも倦んでいた。
そんなわけで、ぼくの音楽活動は2002年に終わりを迎えた。わりとあっさりと、極私的に、静かに。後悔がなかったわけではないし、煩悶する夜もあった。何曲か録っておきたい未完の楽曲もあった。しかし、ある程度ぼくは満足もしていた。言っておかなきゃならないことは今とりあえず言っておいたからな、という手応えがあった。2002年にぼくが何を思い、何を考え、そして何に憤ったか、もやもやした何ものかを形にすることができたという自負もある。
だから……
こういった言い方を許してもらえるなら、ぼくは音楽そのものに挫折したわけではない。これからも此処を起点に自分なりの表現を追求していけると信じている( I Believe)。そんな意味で、かけがえのないラストアルバムなんだ、『21世紀のプロテストソング』は。
そう、ぼくは2001年ごろからずっと怒りつづけている※ 。“21世紀の怒れる男” は “反抗の歌” を2019年の今日も口ずさんでいる。
【関連過去記事】
kp4323w3255b5t267.hatenablog.com
※ については、新井英樹氏のインタビュー記事に(プロとアマの程度は違うものの)同じ気持ちが記されていた。以下抜粋。
https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/arai2
『キーチ!!』を描き始めた2001年は小泉政権。いま描いておかないと、この手の作品が描けなくなるっていう思いがあった。
民主党政権終わった後、安倍政権になって怒り始めた人たちもいるけど、別に偉ぶるわけじゃなくて、俺はもう描いておいたからっていうのがある。
【過去記事追加】