鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

川向こうでの会見

 
 
 
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 男は、ぼくをみるなり、あからさまにがっかりした様子で、こう指摘した。
「目に力がない」
 《はあっ? いったいなにを言ってるんだ、このひと。ずいぶんないいようじゃないか》
 ぼくは訝しがったが、男はかまわず二の句を告げた。
「瞳に輝きが宿ってない」
「……それは、どういう意味ですか」
 ぼくは喘ぐように尋ねた。ことばの真意を測りかねたのだ。
「きみは先日の電話で、歌手になりたいと言ったよね」
「はい。まあ、正確にはシンガーソングライターに……」
「同じことさ!」と彼は吠えた。
「日本で、プロになるということは、芸能人になるってことだよ。やれロッカーだ、やれアーティストだと格好をつけたところでね。
 きみは、芸能界に身を投じることができるかね?」
 できます! とぼくは即答した。試されている、ここは踏ん張らねば。
「そうか。だけどさイワシさん、あなたがそう思っても、まわりがそれを認めるかどうかは、また別問題なんだ」
「……」
「なるほどきみは歌が歌える。ユニークな歌詞を書く。キャッチーな曲を書ける。それは認めよう。だけどね、それだけじゃじゅうぶんとは言えないんだよ。
 人を惹きつける要素、つまり魅力だな。そいつが決定的に欠けているんだよ」
「それはちょっと……言い過ぎなのでは」
 紹介屋が口をはさんだ。
「言い過ぎなもんか。こういうことはさ、最初にハッキリさせとくもんだよ。徒らな夢を見ているようじゃ、この世界は覚束ないからね。
 いいかいイワシさんよ。ぼくははっきり言うぜ。きみは人の前に立つパースンじゃない。舞台の前線に立つには、それなりの資格がいるんだよ。誰しもが認める華、華が必要なんだ」
「それが、目の力、ですか」
 ぼくは、やっとの思いで訊いた。男は、「そうだ」と大きく頷き、ふんぞりかえった。
「目の力でわかる。眼光の鋭さは、意志の表れでもあるんだ。尾崎に最初出会った時に、それを感じたね。手負いの狼みたいな眼をしていたよ。その鋭さが、ひとを一瞬にして惹きつけるんだ。
 残念ながら、きみにはそれがない。瞳の輝きが」
 《瞳の輝き輝きって、ヒットラーユーゲントじゃあるまいし》
 ぼくは内心、そうとうムカムカしてきた。しかし男は、ぼくの忸怩たる思いなんか、歯牙にもかけていなかった。
「きみの目の力は、弱いよ。気弱さが、優しさが目に現れている。それはさ、力んだところで消せやしない。肩肘張って凄んだところで、すぐに見抜かれるぜ。あーこいつは弱いな、と。曲者ぞろいの業界だからね。なめられたら終いさ」
「そうでしょうか。ぼくにはそう思えませんが」
「現にいま、きみはぼくに圧倒されてるだろ? おどおどしているじゃないの。視線が宙をさまよっている。そんなの、ちょっと観察すればわかるさ。
 なあイワシさん。悪いことはいわない。スターになりたいなんて途方もない夢物語は、いまここで、すっぱりと諦めた方がいい。これはこの世界に長年浸かったぼくからの、心からのメッセージだ」
 
 沈黙が訪れた。男とぼく、それに紹介屋の三人は、しばらく黙ったままでいた。
《それではぼくはーー
 どうしたらいいんでしょう。
 今日なんのためにぼくは、ここに呼ばれたんでしょう》
 そう言おうとした。じっさい言いかけたのだ。しかし口の中がカラカラに乾いて、どうしてもことばを吐きだせなかった。
 ぼくが言いよどんでいたそのとき、男はさっきとは打って変わった静かな口調で、こう切りだした。
「あなた、作家にならないか」
「……はあ、作家ですか」
「そうだ作家だよ。きみに向いていると思うがね」
「しかしぼくは、小説なんて書いたことありませんし」
 「馬鹿野郎!」
 男は笑いながら、怒鳴った。
「誰が小説家になれって言ったよ。作家ってさ、作詞作曲家の総称だよ。なにをとぼけているんだ」
「すみません……」
「まあ、いいさ。
 ともかくぼくは、作家になることを勧めるよ。あなたは面白い歌を作れる。思わず笑っちゃうようなやつを。そこんとこは買ってるんだ。
 なあ、作家にならないか」
「はあ」
「とりあえずそうだな。あらたにデモを作ってみないか? 資金は出すからさ、作品を作ってもらおう」
 男の提案に、ぼくは戸惑っていた。作品を作る? それは望むところだ。
 しかし……
「期限は3ヶ月。3ヶ月間のあいだに、12曲書いてくれ。ただしいままでに聞いたことのないような、ピッカピカのやつだぜ。ガラクタは要らない。ぜんぶ売れ筋のをな。ぼくの要求はヒットシングル。シングル切れそうな楽曲だけを提出してください」
 男はグッと身を乗り出して、できるな? と問うた。
 できないとは言えなかった。やりたくないとも。試されてるんだオレは、ここで引いては男が廃る、そういう気持ちに追い込まれていた。
「やります。やらせてください!」
 ぼくはきっぱりと答えた。男は満足げに頷いて、交渉成立だなと、ほくそ笑んだ。
「3ヶ月で50万、それでどうだね」
「60万にしましょうよ」
 それまで黙っていた紹介屋が口を挟んだ。
「彼にも生活があるんだし。60万だと1ヶ月で20万。それが妥当な線でしょう」
「しょうがねえなぁ」
 男は笑いながら、よし60万だそうと言った。
「 スタジオはおまえさんのところで用意できるかな」
「できますよ」紹介屋は肯いた。
「二子玉にプリプロのスタジオがあります。フェアライトのコンソールとイミュの音源がある。もちろん歌いれも可能だ。イワシくんには、そこに籠ってもらいましょう」
「来週までに手筈は整うな?」
「もちろんです」
「では、そういうことで話を進めてくれ。
 それではイワシさん。ぼくはここで失敬するよ。いいデモが届くのを、心待ちにしている」
 「ありがとうございました!」
 ぼくは立ち上がり、深々と頭を垂れた。男はヨロシクなと言いながら、踵を返すと、振り返らずに、手をひらひらと振った。
 
《とにかくこれはチャンスだ。このチャンスを逃す手はない。オレのありったけを、12曲に注ぎこんでやる》
 そう思いこもうと努めてみた。けれども、ぼくの心の深い部分では、さっきの男の指摘、〈目に力がない〉が、澱のように沈んでいるのを、掬いあげられないでいた。
 それを見透かすかのように、 紹介屋がぼくの肩をポンと叩いた。
「酷いこというよね。しかしあの親分は、いつもああいう調子なんだ。気にすることはないさ。
 なに、いくらでも手はあるさ、人前に出るには。たとえばグラサンでキメるとか」
  モット・ザ・フープルのイアン・ハンターのようにですか、とぼくが言うと、かれはキョトンとした。
「いや、浜田省吾さんのように、さ。イワシくん、そういう拘りは、少し控えた方がいいんじゃかいかな。とくにあのひとの前では……」
 紹介屋の忠告に、しかしぼくは耳を貸さなかった。話半分で聞いていた。
  内心のざわめきを払拭せんとばかりに、さて、どんな曲を書いてやろうか、あのフレーズはどうだろうかと、あらかじめ拵えておいた楽曲の素材の数々を、頭の中で転がしながら、温めはじめていたからーー
 
 
 
  1998年。
  川向こうでの会見は、こんなふうに終わった。ブルース・スプリングスティーンの歌詞のように、確かな契約を思い描いていたぼくは、30歳をとうに過ぎても、夢見がちな青年のままだった。
 
 
 
 
※この続きはwebで(笑)。いえいえ、続編はいずれ書くつもりです(記・2月14日)。 で、続きはコレです ↓ 。

立ってるだけ(しね、考) - 鰯の独白