鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

ファクトチェックから言論のイニシアティヴを奪還せよ

「ファクトチェックをファクトチェックする」って「禁止することを禁止する」に似ているよね?

 でも私は、「ファクトチェックをファクトチェックする必要がある」的な意見には与しない。むしろ「ファクトチェックによって奪われた言論を奪いかえせ」と言いたい。今やファクトチェックは市民の健全で批判的な意見を収奪するための格好の口実になっていると感じているからだ。

 前エントリー『あなたもある日いきなりメディアからファクトチェックされるかもしれない』には多くの訪問があったが、

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

その後も私は、Mediumにてファクトチェック関連のツイートを編んだ記事を投稿している。今回はてなブログで、それらをさらにひとまとめにしてみた。

 

 

① ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)って何者?
以下、『きじにゃあのツイッター備忘録』by kijinyaa 2021/02/24 の記事より転載

〈日本のファクトチェックの総本山、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)について、外からざっと俯瞰してみました。 イワシ @iwashi_dokuhaku さん(鰯)とのコラボ記事です。〉

 

◇きじにゃあ(哲学猫)

 誤報検証サイト「GoHoo」の代表理事だった元産経新聞記者で、弁護士の楊井人文氏※が、いまは「ファクトチェック・イニシアティブ」(FIJ)の理事 兼 事務局長になっているようです。

fij.info

 現場からは以上です。\(^_^)

◆鰯

 はたしてFIJがファクトチェックのイニシアティヴをとるのにふさわしい機関であるか、他の第三者機関に検証されるべきですね。市民/ネット空間を、ファクトチェックの名のもとに監視するほうへ比重が傾いていないか、も含めて。

◇きじにゃあ(哲学猫)

 日本のファクトチェックの総本山ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)のようですが、FIJのヘッダー画像を貼っておきます。どうみても監視対象は「市民/ネット空間」のようですよ(註:現在は別のヘッダーに差し替えられている)。

f:id:kp4323w3255b5t267:20210309224553p:image

 元画像はコチラ。

fij.info

 FIJの理事にはリスク・コミュニケーションの専門家・山崎毅氏もいますね。こんな記事を書いている人です。原発処理水のリスクが許容範囲なら全国で分担しよう!』

blogos.com

◆鰯

 科研費・基盤研究(B)<FIJはメディアパートナーのファクトチェックの取り組みを支援するため、自然言語処理機械学習システムを用いて疑義言説(正確性に疑義のある言説・情報)を捕捉・収集し、データベース化するシステムを構築・運用してい>るそうだけど、それは誰の要求によるものか。メディア自身か、それとも?

fij.info

 毎日新聞等メディアパートナーのファクトチェックの取り組みは、ネット上の正確性に疑義のある言説・情報を捕捉・収集することに熱心で、肝心の行政府の監視が疎かになっていないだろうか。さらに、市民/ネット空間を監視し、通報する構造は、官邸や省庁との“睨み”と連携する危険性をはらんでいないか

 少なくともFIJのパートナーである既存メディア(それは毎日新聞から琉球新報、さらに産經新聞までと幅広い)にとっての不都合な言説や情報を、市民/ネット空間からの通報により拾い上げ、不正確さを判定するという、監視システムとして機能している感は否めない。

 どう? この見立て、不正確な言説かね?

「ファクトチェック」は実施者を絶対化し、見解の相違を事実の正誤に偽装し、人々の疑問や不満を圧殺する武器になりかねない。(「本件の特殊性に鑑み」さんのツイートより)

〈◇きじにゃあ(哲学猫)と◆イワシさんは、日本語圏におけるファクトチェックのほとんどを把握しているFIJ @FIJ_factcheck の動向を注視し、<ファクトチェック>の明日を見守っていきます。〉

 今回の記事はコチラから転載しました。

kijinyaa.exblog.jp

 きじにゃあさんと私イワシ鼎談みたいな体裁の記事です※。正直なところ、ファクトチェック・イニシアティヴ(FIJ)の正体は杳として掴めませんが、日本にもファクトチェックの普及活動を行う非営利団体(認定NPO法人)が存在することを、皆様にも認識していただきたいと思います。鰯 (Sardine) 2021/02/26

 

楊井人文氏※についての関連記事】

medium.com

※ この「鼎談みたいな」は<月刊誌『正論』3月号のファクトチェックのあり方をテーマにした鼎談に、楊井人文事務局長、政策シンクタンク政策工房」「情報検証研究所」代表の原英史大和大学岩田温准教授(政治哲学・政治思想)が参加し>たことを鑑みての記述である。

 

そういえばこのころに、おもしろい意見をみかけた。<日本語でカタカナ英語の「ファクトチェック」は言わないほうがいい>という。<口を大きく開けないで発音すると、F*cked Checkというびっくりするような言葉遣いになってしまう>のだとか。<「事実確認」でいいじゃん。日本語使おうよ>と、投稿主で日本語講師の “がび”さんは結んでいる。

 

 

生活保護はハードルが高いは厚労省にとっては「誤解」だそうだ。
この記事は、2月23日のツイートをもとに構成したものです。

mainichi.jp

「涙が止まらない」原告団に歓声 生活保護費減額「違法」判決【毎日】21/2/22

食費や電気代を抑えるなどしてぎりぎりの生活を続けてきた原告らは「画期的な判決だ」。新型コロナウイルスの感染拡大で公的支援が必要な人は増えており、保護基準の見直しを求める声も上がった。

 これを読んで思い返すのはBuzzFeed News籏智広太氏※による『生活保護菅義偉は簡単に言うがハードルが高い」と拡散の情報は不正確』という題で個人のツイートを<厚生労働省保護課保護係への取材や「生活保護法による保護の実施要領」などをもとにファクトチェックした>、1月29日付の記事だ(リンクは貼らない。各自で検索してみてください)。
 生活保護申請の受給について、<誤った情報が多く含まれており、全体として「不正確」になっている>という主旨と判定は一見もっともらしいが、任意に選んだツイートを標的にし、<ネット上に多く拡散されている生活保護をめぐる「誤解」が受給を阻む壁にもなっている>という厚労省の言い分に与しているように思える。

バズフィードのこの記事について知った時、「生活保護の捕捉率が20%ぐらいしかないという事実とどう整合するのか」と思いました。先日も、漫画家の方が生活保護の水際作戦にあって路上生活を余儀なくされているというツイートを見たばかりです。(「本件の特殊性に鑑み」さんからの返信)

 ファクトチェック推進団体(元産経新聞の楊井氏が事務局長のFIJ)は、ファクトチェックできるもの・していいものと、そうでないものをどう区別しているのだろう? 「生活保護はハードル高い」はファクトチェックしてもいい情報なのか?
<ネット上に多く拡散>というよりも、<一部の自治体による>生活保護申請における水際対策の実例が、それこそ数多く報告されているというのに、それを誤情報だ、事実かどうか疑わしいと不正確さをあげつらうばかりに熱心な BuzzFeedの行いは、結果、厚労省のスポークスマンと化しているとしか言いようがない。

BuzzFeed Newsは厚生労働省保護課保護係への取材や、「生活保護法による保護の実施要領」などをもとにファクトチェックした>ということなので、厚労省のPR記事になるのは当然ですねw

本当に『生活保護菅義偉は簡単に言うがハードルが高い」と拡散の情報は正確か?』を確認したければ、たとえばNPO法人POSSE↓とかにも聞きに行くべきではないでしょうか? (「きじにゃあ」さんからの返信)

news.yahoo.co.jp

 取材先が単一だと、国際ファクトチェックネットワーク(IFCN)の綱領1、<非党派性と透明性をもったファクトチェック活動>とは合致しない。さらに<偏りのあるファクトチェックは人々の理解を妨げ、メディアや専門家に対する不信を増大させることになる>そうなので、公平な取材を心がけてもらいたい。

 ともかく記事の企図が分からない。そのファクトチェックは誰得? と邪推したくもなる。これほど自治体の「水際対策」が問題視されている現状だのに、生活保護の受給を阻む壁はネット民の「誤解」が原因だとする認識のゆがみ。なぜ生活保護のハードルが高いと言われるのか、その原因こそを調査せよと思う。

生活保護申請は国民の権利。生活保護を必要とする可能性はどなたにもある。ためらわずご相談ください

自治体に対して申請権の侵害にあたる行為やその疑いのある行為は、厳に慎むよう周知し、注意喚起していきたい

 素晴らしい! が、この厚生労働省の誓い(公式見解)に嘘偽りがないかどうか、それこそBuzzFeedにファクトチェックしてもらいたい。鰯 (Sardine) 2021/02/28

【参考:過去ツイート検索“生活保護”】

twilog.org

BuzzFeed Newsの籏智広太氏には、下のような、ジャーナリズム精神とヒューマニズムにあふれた記事があるということも、併せて記しておきたい(でも、だからこそ、どうして? と首をひねってしまうのだ)。

「国は戦没者を冒涜している」沖縄で広がる抗議、その理由を知っていますか?

  

ファクトチェック、当初より、政治性を隠蔽し、中立性を偽装する言葉、つまり日本的な意味での「政治的」な言葉だったと思う。(<「ファクトチェック」という言葉の乗っ取りが起きているのを見た。>という小川一水氏のツイートを引用した、“ねずみ王様”のツイート)

 

 

③ 匿名にもリスクはあります

<匿名の安全圏から石を投げ続けるのはフェアではない>。気持ちは分かりますが、だからといって毎日新聞のような商業メディアが、匿名アカウントのツイートを無許可で記事に使用してもよい理はありません。ちなみに私は実名ですが、匿名=安全圏だとは露ほども思いません。匿名にもリスクはあります。

(毎日の記者による< >の発言を引用した上での反論)

 私は、SNSにおいて実名をさらしているが、いきがかり上でのことである。実名で出す意見が匿名のそれよりも価値があるとはみじんも思わない。むしろ、匿名だったころの思いきりが削がれ、無難な意見になっていると常日ごろ感じている。

iwashi-dokuhaku.medium.com

何か心機一転をはかりたくなった。Twitterを開いた。私は今までの「イワシ タケ イスケ」というネット上を回遊する名前に終止符を打ちたくなった。本名で行こう。実名をさらそうじゃないか。誰に遠慮がいるものか! プロフィール欄に漢字で「岩下 啓亮」と記した。ついでに生年月日を詳らかにした。これで、現実の岩下啓亮とネット上のイワシさんの同一性が明らかになる。もやもやした気持ちが少し治った。

 と意気込みを示しているが、実名に替えてはや4年、発言内容にたいした差はない。考えかたも変わらない。あたりまえだ。匿名の頃と人格が変わったわけではないのだから。

 実名になって、実生活においての不都合を感じたこともない。たぶん今の職場でも私がツイッターで現政権を批判していることは薄々知られているはずだ。が、面と向かって注意忠告されたことはない。生活上のリスクは、むしろ匿名時代のほうが多かった。

 前の記事にも書いたが、<この情報社会どうせ個人の特定は簡単可能な世の中なんだから>、匿名であるから安全だとは全く言えないのである。現に私とネット上で交流があるきじにゃあ氏なんか、ツイートがたまたまbuzzったため、毎日新聞に無許可で転載され、しかも情報が不正確であるとの烙印を押された。これぞリスクに他ならない、とんだ災難であろう(詳しくは前エントリー『あなたもある日いきなりメディアからファクトチェックされるかもしれない』をご覧ください)。
 大阪維新の会<ファクトチェッカー>が典型例だが、社会的にみて(政治家・企業などの)比較強者が(個人や市民や被害者などの、公の場での発言や行動が起こせない)比較弱者を相手どり、言論の封圧や威嚇を目的として行われる<ファクトチェック>が横行する現在は、匿名が安全圏だとは到底いえない状況である。

 確かに(愛知県知事リコールの住民投票と同じような手段の)アルバイトを雇って、国の政策を褒めそやす意見を大量に投下したり、政府の意向に沿わない意見を潰しにかかったりする、匿名アカウントを使った情報操作は、ぜったいに許されないことだ(最近も地上波で初めて放送された、総理を扱った三谷幸喜監督の映画に、大量のサクラが動員されていた。ツイート内容がほぼ同じだから、すぐに分かる)。

 が、そういった即席アカウントと一般の匿名アカウントを一緒くたにしてしまうような短絡的思考を情報の担い手である新聞記者がしてしまうのはまことに残念なことだ。署名記事が売りの毎日新聞記者氏は、<匿名の安全圏から石を投げ続けるのはフェアではない>と匿名の意見をさも怪しげに扱うけれども、それは一種の偏見、固定観念ではないか。匿名の向こう側に血の通った人間がいるということも想像できないのだろうか。

 ましてや、認証マークのついたような公式アカウントにしても、それがほんとうに本人と同一であるのか、確かめるすべはないに等しいのである。仮に誰かが代筆していても、認証は認証だろ?

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↑ このくたびれた顔した石原ノビテルみたいな鬱陶しい横髪のおっさんが、岩下啓亮本人だという確証は、どこにもないのだよ。

 結論:匿名/実名を問わず、不可避のリスクは誰にでもある。実名を名乗ることで、優越を覚えてはならない。匿名であろうと実名であろうと、一つのアカウントにはひとりの人格が宿っている。私はそのことを常に意識していたい。鰯 (Sardine) 2021/03/07

 

 

④ <ファクトチェック>はSLAPPである

大阪維新の会の<ファクトチェッカー>は、「ファクトチェック」とも呼べないデマばかりの「スラップ行為」。市民からの正当な監視の目が怖いのか。公権力がこれをやった時点で信頼は地に落ちる。

 このように、ファクトチェックがスラップだという意見がようやく現れたので、私は安堵した。

 スラップ(SLAPP)とは、社会的にみて(政治家・企業などの)比較強者が、(個人や市民や被害者などの公の場での発言や行動が起こせない)比較弱者を相手どり、言論の封圧や威嚇を目的として行われるもの(訴訟等)をいう。

 公共の利益や社会的意義にかかわる問題提起への恫喝・威圧・批判的言論威嚇の目的で行われるSLAPPStrategic Lawsuit Against Public Participation)は、「市民参加を排除するための戦略的訴訟」と訳せるが、政党や商業メディアによる強者ファクトチェックも、まさに平手打ち(slap)的な行為であるといえよう。

それが暴力だと認識されがたいけれど、言葉もスラップも恫喝に使われれば暴力だと思います。米国がアメと棍棒政策と云われたけど。今や日本はアメ無しの棍棒政策ばかりで、批判する者の排除を隠そうともしない。それに乗っかる冷笑者も加担し加害している認識が無いからね。(桃園凛さんからの返信)

「加害の意識がない」。比較強者によるファクトチェックの問題点は、まさにそこで、判定者は真偽検証を正義の行使だと錯覚しており、ためらいや反省はみじんもない。結果ファクトチェックは、SLAPPほんらいの語義である「市民参加を阻むための戦略的訴訟」と同じ効果をもたらす。そのことに自覚的であってほしいものだ。

 大阪維新の会<ファクトチェッカー>がSLAPPの色彩を帯びていることに疑問をはさむ余地はないだろうが、私からは「その他のファクトチェックにも民意の萎縮効果を狙ったものが少なくない」という別角度からの視点を(維新批判とメディアへの批判を、一緒くたにされたくない気持ちは重々承知の上で)今一度付言しておきたい。

マスコミは、自分らがやるべきファクトチェックを維新に取り上げられ、骨抜きの低俗なリンチの道具にされていることをもっと怒らなあかん(以下略)。

 上のような意見をみかけるにつけ、おおむね同意する私だが、<ファクトチェックはマスコミがやるべき仕事>だという固定観念に囚われている方があまりにも多いような気がする。大阪府・市一元化条例があっさりと可決され、都構想住民投票の否決が踏みにじられようとしている今、大阪維新の横暴に抗う方々と無用な対立はしたくないので余計な口出しは控えているつもりだが、ファクトチェックの矛先を権力側に向けず、比較弱者である市民側に向ける者は、なにも維新に限らないことを、少しだけでも顧みてほしいのだ。

個人アカウント晒しの先鞭を付けたのは、その自称国際基準を決めた団体(FIJ)のメディアパートナー(毎日新聞、アカウント名は隠しても個人ツイートを取り上げたバズフィードなど)で、一応維新に文句つけた団体事務局長で元産経新聞楊井氏も、維新による個人アカウント晒しはスルーしている。

個人アカウント晒しは、ネット空間でのキャラクターにダメージを与えるもので、これを発動させるということは、維新ほど露骨で自己都合でなくとも制裁の意味を帯びる。悪質なアカウントはともかく個人が思い思いに使っているツイッターで新聞社がそれをやることは適切なことなのか?(「本件の特殊性に鑑み」さんのツイートより)

 まさか左派リベラルの各位は、最近私が展開しているファクトチェック批判を<表現の自由戦士たちが、好き勝手にほざく権限を守るために「ポリコレ棒を振りかざすなwと叫んでいるような愚行>と同一視しているのではないよね?

 万が一そうならば、それは違う、誤解だと断っておきたい。また、その上で、

 権力勾配を無視したマスコミによる真偽検証は、デマ拡散の防止よりも、市民の発言や批判を萎縮させる効果のほうがはるかに大きいということを、口酸っぱく指摘しておきたい。

 その具体例をここに示しておく。

kijinyaa.exblog.jp

 有料化された記事のPDFファイル※をご覧になればお分かりになるだろうが、あらためて思う、<ファクトチェック>はSLAPPである、と。鰯 (Sardine) 2021/03/07

 

毎日新聞の有料記事の引用について、私は、ツイートを無断引用された当事者であるきじにゃあさんのみが画像化する権利を有するものだと考える。元記事を閲覧したい方は、ぜひリンク先の『参考資料』に行ってみてほしい。

 また、「本件の特殊性に鑑み」さんからは多くの示唆をいただいた。とくに以下のツイートには私の言いたいことが凝縮されており、痛快だった。

メディアが普通に本来の仕事をすればよいのです。だって、権力の監視がしごとなんでしょ、マスメディアは。普通に取材し、検証し、記事を書き、必要があれば批判・糾弾・告発すればよろしい。なにも、どこかの団体が作った「ファクトチェックブランド」の定型で処理する必要はない。

 Special Thanks To;

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 最後に、商業メディアによる個人アカウントへの不当な晒しあげをマンガ化して世に広くしらしめてくれた、ぼうごなつこさんに感謝を伝えたい。

 とりわけこのツイートにはおおいに励まされた。

世にあるファクトチェックの多くが中立性を偽装した、あたかも神の視点かのような態度を装っている。そのカウンターとしてのマンガなわけだから「私の考える良いファクトチェックは…」となるわけです。

  なすこさん、ありがとう。鰯

あなたもある日いきなりメディアからファクトチェックされるかもしれない

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Part1 話はそれからだ

きじにゃあさんが上のツイートを投稿したのが1月23日。おりしも石原伸晃議員の入院が話題となっていたころだけに、該当ツイートはご覧の通り“buzzった”。陽性判明後の与野党の扱いの差が、視覚的に表された秀逸なツイートだから、拡散されて当然だと私は思ったし、当然リツイートもした。

ところが、3日後の1月26日に、

毎日新聞が上掲の記事をオンラインで配信する。翌朝27日の朝刊紙面でも、“きじにゃあ”というアカウント名こそ省かれていたものの、3段で組まれ、大きく報じられた(写真を掲載したいところだが、著作権侵害を訴えられかねないので、やめておこう)。

ところで。

ある日とつぜん、全国紙の紙面で、自分のポストしたつぶやきが<ファクトチェック>の対象になったとしたら、あなたはどう思うだろうか。

きじにゃあさんと私はTwitterで相互フォローの関係にあり、面識はないもののDMでのやりとりもある。だからなおさら今回の件を他人事とは思えなかった。自分がこんな目に遭ったらと思うと、恐ろしくて眠れなくなった。

が、きじにゃあさんは果敢にも、1月31日このファクトチェック記事に、ご自身のブログで反証している。

kijinyaa.exblog.jp

まずはこのブログ記事に目を通していただきたい。話はそれからだ。この件についての私的な感想は後日、下に追記します。

鰯 (sardine) 2021/02/01

 

Part2 長い、長い追記

一から稿を起こすことも考えたが、この間に投稿したツイートを基に構成した。未整理で、重複した部分や枝葉が多いので、読みにくいことこの上ないが、ドキュメントとして捉えていただきたい。

 

1月26日

毎日新聞の記事に限らず思うことだが、「ファクトチェック」の名のもとに、新聞社が個人のツイートを槍玉にあげることに私は強い違和感を覚える。なにか牽制のつもりだろうか。それとも政治勢力の代言を買ってでているのか。

牽制とはつまり、SNS上で話題になった言説や政権批判などを、在京マスメディアなりオンラインメディアなりが「信憑性に欠ける情報だ」と一方的に裁定することで、火消し=事態の回収にまわることだ。

「ファクトチェックしました」というタイトルの記事をみると、大抵が既定路線の擁護と維持のために機能している。誤った情報の拡散を抑制するという大義名分を掲げてはいるが、じつは異論を排し、批判的な見解を封じる目的で書かれた記事が少なくない。私は個人のつぶやき=感想までが偽情報として回収されていく事態を黙って見過ごすわけにはいかない、今回の毎日新聞の検証は度が過ぎている、と思った。

あれでは風刺ができなくなる。該当ツイートの骨子は「与野党議員の(保健所や医療機関の)扱いの格差」であるが、痛いところを突かれたと政権与党が反論するならまだしも、ブン屋風情(失礼)が中立にふるまって相対化と希釈化に明け暮れるとは、いったい何をやってンだ、そんな暇があるなら問題の本質(すなわちコロナ禍における検査不足と医療従事者の疲弊と入院病床数の削減といった現場の困難を放置した根本的原因が政治判断にあること)をもっと抉れや、と言いたくなる。

 

1月27日

申しわけないが、この毎日新聞の記事を琉球新報が如何なる意図で転載しているのか、理解に苦しみます。デマ情報の拡散というふうに捉えているのでしょうが、検証すべきファクトは果たしてそこでしょうか。ファクトチェックの名のもとに問題を相対化し、希釈して済ますのがマスメディアの仕事でしょうか。該当ツイートの比較の部分は、検査から入院までの過程における与野党の圧倒的な不均衡=不平等を分かりやすく視覚化し、風刺したものです。本来ならプロ中のプロであるマスメディアが取材調査した上で指摘すべき事柄であるのに、アマチュアの発信をドヤ顔で裁定するとは新聞記者の矜持ってもんはないんでしょうか毎日新聞の記事を転載した琉球新報への引用リプライ)

個人と集団とのあわいにある公に資する情報とも感情のため息ともつかぬ言の葉を抽出してしまうのがツイッターという言語生成ツールだ。/傍からみて楽しげに話しているように思えても表の顔とは裏腹に絶望感に苛まれてのたうち回っているかもしれない。/私は情報のやりとりに終始するだけで、そこに書き手の視座が介在しないテキストには興味がない。/醒めた態度で事象を手際よく捌いただけのファクトなんてチェックする値打ちもない。

<首相は恐怖で社会を支配しようとしている>と、私がポストした感想を菅義偉が読んだとしたら「指摘は当たらない」と反論するに決まっている。その通り、事実であれば困るから、徒手空拳で警鐘を鳴らしているのだ。それだのに新聞が権力側に与し、市民の疑念や憤りを潰してまわる働きをするようなら、私たちはもはや新聞を社会の公器とは呼べない。

buzzる、は狙って打てるものじゃないんだ(その証拠に私は万単位のbuzzを2, 3回しか経験していない)。たまたまだ。なぜ大衆心理の渇きを潤す意見が待望されているのか、既存メディアに欠けている部分は何か、現象を分析し考察するのがfeedってもんだろう。一アカウントを吊るしあげている場合か?

今回の件で、大野友嘉子という毎日新聞・統合デジタル取材センター所属の、着眼点を間違えている記者の名前は覚えた。

プロ中のプロであるはずのマスメディアがアマチュアの発信をファクトチェックするとは、可笑しくって莫迦ばかしいや。皇居のほとり竹橋に在所をかまえる大新聞社にしちゃ、なんとも野暮な振る舞いじゃないの。buzzをfeedしフェイク化するハイエナ稼業なんざ牡蠣食う記者に任せとけ。

 

1月30日

【「自民PCR」大ブーイング】

職場での積極的な感染拡大防止策が、なぜ、ここまで批判が高まったのか。/「党職員の検査は本来批判されることではありません(略)」と、政治評論家の有馬晴海さんは指摘。

ホラ、またそうやって毎日新聞は問題の相対・希釈・沈静化をはかる。

【なぜ「自民党本部職員 PCR検査」は大ブーイングを浴びたのか】毎日新聞がつけた見出しを、【「自民PCR」大ブーイング】ツイッターの文字数に収めるため、さらに圧縮しております。ていうか、見出しって本来そういうもんだよね?

PCR検査は誰もが・いつでも・気兼ねなく受けられるべきだ、と私は思う。たとえ自由民主党職員といえども、だから検査したことを非難するつもりはない。だが、なぜ平等に検査が受けられないのかという疑問や憤りは、今やツイッターに限らず国民全体に広がっている。その事実を新聞は無視してはならない。

以下に示された住民vs自民の対比を菅義偉がみたら、「指摘には当たらない」と斥けるだろう。だが、これこそが権力のもっとも嫌がる「風刺」なのだ。さらに言えば、ここに挙げられた数例の対比を事実=ファクトかどうかチェックする必要はどこにもない。圧倒的な格差は誰の目にもあきらかであるからだ(中林香氏1月30日のツイートを引用)

https://twitter.com/kaokou11/status/1355292471727697921?s=21

 

1月31日

社会には個人が抱えきれないほど重い苦しみがある。そして本来なら政治は人びとが苦しむ原因となる数々の問題を解決しなければならないはずだ。ところが本邦の政治は人を救済しようという意志も発想もない。それどころか政治のありようをおかしいと指摘しようものなら明後日の方角から礫が飛んでくる。

政府のおかしさを指摘することに夢中になっているわけではない。個人が追いきれないほど、この国の政治には数えきれないほどの問題点がある。それを一つひとつ掬いあげているアカウント諸氏にまずは敬意を表したい。私にはとても無理だ。一度に多くのウサギは追えない。

さて、今から一つのブログ記事を紹介するが、できるだけ多くの人に読んでもらいたい。とりわけ、政治・社会問題をとり上げているアカウント諸氏は、記事に書かれた内容を決して他人事だと考えないでほしい。私はこの数日間、きじにゃあさんのツイートを毎日新聞がファクトチェックしたことが、一番の関心事で、心配事だった。

最初に@pristinanomine さんのツイートで毎日新聞のファクトチェック記事を知ったとき、〈自分がきじにゃあさんの立場になったら〉と想像すると眠れなくなったんだよね。このブログ記事が出てよかったです。降りかかった火の粉はふり払わなければならない。彼はちゃんと反証している(“本件の特殊性に鑑み”さんへの返信)

毎日新聞の<ファクトチェック>は正しいの?:きじにゃあのツイッター備忘録

当方は実質フォロワー500人程度の弱小アカウント。たまたま1万3000件のリツイート、2万2000件の「いいね」をもらったとしても、それだけで毎日新聞からファクトチェックを受けるのは相当に違和感がある。もちろん、社会に害悪を及ぼす看過できないデマの発信元というなら大義名分は立つだろうが、そう認定するには相当に慎重であるべきだ。少なくとも本人への取材、最低ひとつのリプライ、DM等で確認を取るべきではないか?

控えめなきじにゃあさんが、これほど切実に訴えるのには相当の理由がある。

2月1日

とり急ぎ、Mediumに概略を提示しておきます。とにかく、きじにゃあさんの反論記事を読んでください。メディアが発するファクトチェックについての疑念は追って書きますが、今朝はここまで。

として、このMedium記事の上の部分を投函したのである(ふう)。

 

2月2日

私がどれくらい怒っていたか、少しは理解していただけただろうか。例えば、毎日新聞統合デジタルセンターのツイッターアカウントは1月26日に、

新型コロナに感染した国会議員9人のリストを示して「自民党議員は無症状で即入院しているのに野党は自宅待機」といった内容の匿名アカウントのツイートが異例の拡散をしていますが、誤りが含まれています。#ファクトチェック

と記事を要約して紹介しているのだが、私は、

<匿名アカウントのツイートが異例の拡散をしています>? この書きかたでは、匿名アカウントは怪しげで、拡散するのは異例のことだから、まともな“情報”ではないという誤った印象を与える。記事を受けてのことだろうが、新聞社のアカウントにしては(既に何人か指摘しているけれども)表現が雑ではないか?

と返信している(最近そんなふうに食ってかかることは滅多にないのだが)。

私が気になるのは、文中に表れる大野記者の無自覚な匿名アカウントへの偏見である。なによりも「ふざけるな」と思ったのは、なんと毎日新聞は、事前に、該当ツイートを記事に使用する旨を、きじにゃあさんに、連絡していないのである。

さらに、26日12時に配信されたデジタル版には「きじにゃあ」のアカウント名を明記している(翌27日の紙面にはアカウント名は伏せられている、何故か?)。なんという無礼な仕打ちであろうか。

 

2月3日

ファクトチェックは使い方を誤ると非対称の暴力性を帯びる。

なるほど、ひとたび公開されたテキストはTwitterの呟きであれ投稿者が責任を負うものであるのかもしれない。が、その理屈を総てのツイートに適用してしまうことに私は違和感がある。言論の警察化による取り締まりは、SNSの活発な意見交換を萎縮させかねない。

社会の公器であるはずの全国紙が投稿者に何の断りもなく記事の俎上にあげる。これは公平といえるだろうか? 個人の意見や素朴な疑問が、ある日とつぜん「誤情報」として扱われ、「不正確である」と判定されるのだ。投稿した本人は当惑するしかない。この不条理をどうやって解消し、不名誉を回復するつもりか。

私は、ミスリードを誘う意思がなく、また、誘発する要因もなかったから、きじにゃあさんは被害者だという認識である。

さらにいえば、ファクトチェックする資格が毎日新聞にあるのかどうかも疑問がある。いったい何の権限があって「この情報は不正確だ」と警鐘を鳴らすのか。あなた方は裁判官かい、と皮肉ひとつも言いたくなる。意見には意見をもって答えよ、批判なら混じり気なしに批判すべし、だ。

何人にも判定する権利や自由があると思うというご意見をいただいた。もちろんだ、けれどもファクトの真偽のみに興味を持つ向きは大抵、フェアネスの欠如に片目を瞑っている。

 

2月4日

毎日新聞統合デジタル取材センター大野友嘉子記者は、結果的に権力の片棒を担いだことを自覚しているのか? 石原伸晃事務所には入院までの経緯を再確認する一方、ファクトチェックの俎上にあげたツイート主にはDMひとつもよこさないで掲載する。権力勾配に無自覚な取材姿勢だといわざるを得ない。

さらに、匿名アカウントの向こう側には血の通った人間がいるということについて、大野記者および毎日新聞はあまりにも無頓着ではないか。御ツイートを引用しますとの許可を得ないで、まるっとコピペする。発信者の立場など顧みもせず現象として扱う。それで購読料をちょうだいするとは、まっこと新聞社は気楽な商売だ。

問題は、ファクトチェックの行使者があたかも正義のマントをまとっているかのようにふるまい、みずからのチェックの信憑性をみじんも疑っていないことだ。また、発信者の政治的バイアス(現政権に批判的であること)に疑問をはさむ向きは、ファクトチェックによる審判も別角度からみた一つの視点であるに過ぎないことを考慮するべきである。

が、

きじにゃあさんは圧力に屈さぬ勁いこころの持ち主だ。断りもなく全国紙によって下されたファクトチェックで、ツイートは不正確との烙印を押された。けれども削除したり、アカウントを閉じたりはしない。誰が真で誰が偽かはいずれ誰の目にもあきらかになる。その日がくるまで彼は穏やかな顔して淡々と言葉を刻み続ける。

“匿名アカウントが流す情報”を色眼鏡でみる気持ちは分からなくもない。アメリカ大統領選におけるQアノンの狼藉とフェイクニュースによる情報撹乱は、まさに社会構造を揺るがす危険を孕んでいた。が、そんな輩と、きじにゃあさんを一緒にしないでほしい。彼は活動家でも野党の専従でもない。市井に暮らす、名もなき一般人である。

ここで毎日新聞を購読している方は、ぜひ以下の有料記事を読んでみてほしい。中盤に数日前「不正確」な情報だと判断されたツイートがさりげなく引用されているから(校閲は見落としたのかな、それとも見過ごしたのかな? ちなみに執筆は1月26日と末尾に記されている。本紙に掲載されたのは1月31日だ)。ともあれ、歯に絹着せぬ物言いが爽快な松尾貴史氏のコラムである。

 

長い、長い追記のまとめ

さて、どうして大野友嘉子記者は、きじにゃあさんのツイートに着目したのだろう。きっと彼女は、自分は正しいことをした、不確かな情報の流布に警鐘を鳴らす目的で記事をものにしたのだと考えてらっしゃるに違いない。記事からはその自負がうかがえる。が、その正義感はまるでとは言わないまでも、私にはかなり見当違いに思える。

一般のツイートは感想と情報が分かち難く、ファクトチェックし辛い。ところが、きじにゃあさんのツイートのように列挙&比較の形をとると、情報だけ切りとって腑分けし易い。つまり( )内に示されたきじにゃあ個人の意見と政治的傾向を度外視することが容易になる。それは不偏不党を建前とする新聞の記事に扱うには都合がよい、はずである。

社会の公器であり木鐸である新聞は、本来なら国民の生活に困苦をもたらすような政治の無策を批判すべき立場にある。ところが昨今の新聞ときたら、政府におもねり、首相や閣僚や霞ヶ関の官僚の顔色をうかがい、スポンサーからの注文にしたがい、読者からのクレームにおびえ、すっかり批判精神を捨てさってしまっている。そんなメディアは恐かない。現政権や経団連は舐めきっている。当たり前だ。無名のアカウントによるツイートの間違い探しに血道をあげ、元幹事長事務所の言い訳を公平そうに扱えば、そりゃ官邸は喜ぶに決まっている。見事に火消しの役割を担っているから。

そんなふうに、人が無償で書いたテキストを無断で引用もとい書き移し、その不正確性をあげつらった記事をオンラインにアップし、翌日には紙面をかざる。それで読者から購読料を取り記者はサラリーを得る。元手のかからぬ結構な稼業だ。けれども三大紙の一つがそんな取材姿勢でいいのか? それでよく一流企業と胸を張れるものだ。企業倫理はどこに行った

私がもっとも怒りを覚えるのは、匿名アカウント“きじにゃあ”を侮り、使用許可の連絡を怠った毎日新聞社の思い上がった態度である。大野友嘉子記者ならびに統合デジタルセンターの責任者は、今からでも遅くないから、きじにゃあさんに連絡をとるべきだ。それでようやくあなた方はファクトチェックをする権利が得られるというものだ。

最後に断っておくが。

私は三大紙の中で、毎日新聞をいちばん信頼している。『桜を見る会』の追及において、吉井理記記者をはじめとする総合デジタルセンター発の一連の記事には目を瞠ったし(だから『汚れた桜』の本も購入した)、吉村洋文・松井一郎の維新の会ふたりの首長の専横による大阪都構想住民投票に待ったをかけた、大阪本社の『大阪市4分割コスト市の試算で218億円増 都構想実現で特別区の収支悪化』記事もみごとだった。権力の横暴に歯止めをかける在野精神、ジャーナリスト気質の片鱗が竹橋発の記事にはまだ息づいている。定期購読こそやめたものの、私が折々にコンビニエンスストア毎日新聞を購入する理由は貴紙のスクープや検証記事に一縷の望み、期待をかけているからだ。だからどうかがっかりさせないでほしい。これ以上、失望させないでほしい。

私は先に、大野記者は着眼点が間違っている、と批判した。が、記者がなお筆の正義を振るう気概をお持ちなら、ぜひ権力のフェイクに着目してみてほしい。為政者らがどんなギミックを弄し、見せかけのデータで騙すかを、綿密な取材を重ねた上で、微に入り細に穿つチェックをしていただきたい。そういう記事をものにしたあかつきには、私たちさえずるばかりの青い小鳥たちも、惜しみなくあなたを称えることでしょう。

ファクトチェックは、人への幻滅を表明するものではなく、人を活かすためにするものである。

鰯 (Sardine) 2021/02/07 Mediumより転載

 

 

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記事の一部を切りとり。<新聞記事はダイジェストでありテレビニュースはハイライトである。現実の事象を手際よく要約し説明したものを私たちは「記事」と呼ぶ/情報は現実の切り取りであり、手際よく編集されたプロの報道も素人の感想を投稿したツイートも現実の一部分を切り取ったにすぎない。その点においては等価である>

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マッカートニー 見過ごされがちな50の傑作

さて、これからポール・マッカートニーのことを書こうと思う。簡単ではないが、やってみようと決心したのは、あるカヴァーヴァージョンを聴いてのことだった。※

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アメリカの二人組ファンクユニット、スケアリー・ポケッツが、凄腕ギタリストとして注目されているマディソン・カニングハムをヴォーカルにフューチャーしたこのシングル、ぼくはしばらく誰の曲だか分からなかった。中盤のブラスセクションのあたりで、ようやく「ポールだ! ロケストラのテーマの前の曲だ」と気づいた。このように「あれ? 誰の曲だったっけ」と意表をついた選曲は、夭折したノルウェーのシンガー、ラドカ・トネフがカヴァーした、ポール・サイモンの「It's been a long long day」以来だった。

しかし「アロウ・スルー・ミー」は、なんてメロディアスで、しかも独創的な曲だろう。念のためにポール(とウイングス)のオリジナル版を聞いてみたが、アレンジはほぼ変わらない。つまりぼくは1979年に作られた楽曲のおもしろさに、40余年後になってようやく気づいたのだ。そうなると俄然、他にもあるんじゃないかと無性に気になりだした。まだ他にもきっとあるに違いない、見過ごされがちな名曲が。

こうして、ポール・マッカートニーのアルバムをおさらいする旅が始まったのである(あーなんて長い前置きなんだ)。

そこで、この稿を書くにあたってSpotifyにふたつのプレイリストを作成した。そのリストに挙げた47曲に3曲を足した50曲を順番に紹介していこうと思う。

 

◆プレイリスト⑴ 『魅力再発見 20世紀編』

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1.「ホット・アズ・サン〜グラシス」

“Ⅰ”と呼ばれる最初のソロアルバム『マッカートニー』に収録された陽気なインストルメンタル。じつはビートルズ関連で最初に知った曲である。ぼくが小学生のころ、郷土のデパートのコマーシャルソングに(おそらく無許可で)使われていたからだ。まさか数年後にポールのアルバムで再会するとは思わなかった。

2. 「リトル・ウーマン・ラヴ」

シングル「メアリーの小羊」のB面。中学生のころポールのシングル盤を買い漁ったが、裏面の方にむしろおもしろい曲が多かった。アップライトベース奏者をゲストに迎え、ごきげんなピアノはポール本人かな。このノリの良さはちょっと他に類を見ない。

(ウイングスのファースト『ワイルド・ライフ』はさすがにパス。あれは練習曲集だね。)

3. 「リトル・ラム・ドラゴンフライ」

レッド・ローズ・スピードウェイ』に収録されているが、傑作『ラム』のアウトテイクらしい。ゆっくりと曲想が変化していく、時が経てばたつほど好きになっていく、穏やかで牧歌的な歌だ。

4. 「ミセス・ヴァンデビルト」

人気曲が居並ぶ『バンド・オン・ザ・ラン』のA面の中では、比較的地味なナンバーだけど、ぼくはこの「ホッ、ヘイホ」ってコーラスが大好きなんだ。最初はここに「西暦1985年」を入れてみたが、最近は隠れた名曲の上位に数えられているので、その他を選んだ。

5. 「磁石屋とチタン男」

豪華な『ヴィーナス・アンド・マース』の中では埋もれがちな曲だが、単体で聴くと着想の奇抜さとアレンジの巧みさに唸らされる。このようなコミカルを描けるのは、ポールと、キンクスのレイ・デイヴィスくらいだな(と、当時レコードを購入したときに付属の小冊子に書いてあったことを受け売り)。

6. 「ビウェア・マイ・ラヴ」

スピード・オヴ・サウンド』再リリース時のボーナストラック。いわゆるリハーサルだけど正規ヴァージョンより数等おもしろい。理由は明白で、ドラムをジョン・ボーナムレッド・ツェッペリン)が叩いているから。ボンゾの爆走をポールが「オーライ、オーライ、ワン、ツー、スリー、フォー、イェー」と強引に遮るところなんか最高だ。

7. 「ドント・レット・イット・ブリング・ユー・ダウン」

ウイングスにおいて、デニー・レインの存在は重要だ。彼がリードヴォーカルの「アイ・ライ・アラウンド」や「君のいないノート」も良い曲だった。彼がいたからこそ、ポールは英トラッドを意識するようになったし、この曲も少し温めの『ロンドン・タウン』に、ピリッと辛い風味を添えているように思う。

8. 「アロウ・スルー・ミー」

ウイングスのラストアルバム『バック・トゥ・ジ・エッグ』は、とりとめのない印象だったから、この曲の存在も殆ど覚えていなかった(※ 冒頭を参照)。ひねった旋律、凝ったコード進行、時おり変拍子。ポールは誰を意識したのだろう。ドゥービー? ダン? いや、やっぱりスティーヴィー・ワンダーだろうな。

9. 「ブルー・スウェイ」

マッカートニーⅡ』。あの時期の録音で最大の成果といえば、あの有名な「ワンダフルクリスマスタイム」だろうが、ぼくのお気に入りは(たぶん)没曲にリチャード・ナイルズがオーケストレーションを施したコレだ。すこぶる視覚的な音像だと思う。

10. 「ボールルーム・ダンシング」

ジョージ・マーティンをプロデューサーに招いて入念に制作された『タッグ・オヴ・ウォー』は、前作と違ってさすがに隙がない。この曲も随所に細かい細工が見受けられる。けど、こんな賑やかしいニューオリンズ・スタイルのピアノを鳴らされると、そんな些事は気にならなくなってしまう。

11. 「ドレス・ミー・アップ・アス・ア・ラバー」

フュージョン風味はジョージ・マーティンの差し金かもしれない。英国一の名手デイヴ・マタックスのドラムや、ポールみずからが弾くガットギターの爪弾きもすばらしいが、ぼくはデニー・レインのギタープレイに敢闘賞をあげたい。彼のカッティングは絶妙だよ。

12. 「スウィート・リトル・ショー」

パイプス・オヴ・ピース』は全体的に落ち着いた印象があるけど、暗くはない。曲調の変化にしたがって、いろんなタイプのコーラスが楽しめる。↙︎

13. 「アヴェレージ・パーソン」

続くこの曲もアレンジとコーラスがすばらしい。これほど緻密に構成された曲はポールのキャリアでも滅多にないだろう。そして、彩り豊かなコーラスの決め手は、リンダ・マッカートニーの声質による。

14. 「アングリー」

プレス・トゥ・プレイ』にはがっかりした。資質の似たエリック・スチュワート(10cc)でケミストリーは得られまい。とはいえ、ポールはどんなアルバムでも聴きどころを作る。何に怒っているかは判りかねるが、とにかく疾走感がカッコいい。ちなみにギターはピート・タウンゼンド、ドラムスはフィル・コリンズ

15. 「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」

当時でたベスト盤に収録された単発シングル。フィル・ラモーンのプロデュースは中途で頓挫したらしいが、このベタだけどシルキーな仕上がりを聴くとアルバム全編を任せたらどうなったろうと想像してしまう。

16. 「ディストラクションズ」

エルヴィス・コステロとのコラボレーションばかりが取りざたされるが、『フラワーズ・イン・ザ・ダート』はもう少し顧みられてもいい作品だ。とくにこの曲はラテン風味のメロディーもストリングスアレンジメントも最高ではないか。故ロバート・パーマーあたりがカヴァーしたら似合っただろうなぁ。

17. 「プット・イット・ゼア」

ポールお得意の、この種の素朴でフォーキーなナンバーには抗いがたい魅力がある。ジョージ・マーティンのストリングスもツボを心得たもので、余計なものは何もない。こちらから添える言葉もとくにない。

18. 「明日への誓い」

カリプソふうの明朗なナンバー。『オフ・ザ・グラウンド』は、やや厚化粧だった80年代を反省したのか、バンドアレンジを意識しているようだ。これはまさしくライブ向きというか、一緒に歌いたくなるような曲調だ。

19. 「バイカー・ライク・アン・アイコン」

こないだ出た『Ⅲ』を聴いていて、なぜだかこのカントリータッチの曲を連想した。最初は地味に感じていても、噛めばかむほど味がでる、スルメのような楽想だ。演奏している本人たちがいちばんおもしろがっているような感じというのかな。それは何回も聞いてから、ようやく同調できる種類のものじゃないかと思うんだ。

20.  「ピース・イン・ザ・ネイバーフッド」

ポールの作曲ってスタンダードなようでいて、意外と他の誰にも似ていないものだ。この曲も淡々と始まったかと思いきや、ラテン風味のピアノに乗せて景色が次々と移り変わる。聞き流していると気づかれないような転調を、さらりとやってのけている。

21. 「サムデイズ」

胸を締めつけられる、さびしく厳しい歌だ。『フレイミング・パイ』は全体に寂寥感が漂っている。

22. 「カリコ・スカイズ」

ハリケーンに遭遇し停電中に書かれた曲だという。ポールの非凡さは、こうした逆境にめげず、むしろ不慮不足の状況に活路を見出し、ひとつの仕事を成し遂げてしまうところである。そのポジティヴな姿勢を(コロナ禍にある現代人も)見習いたいものだ。

23. 「ヘブン・オン・ア・サンデイ」

最初このプレイリストを締めくくるのに、僚友リンゴとのリレーションシップが麗しい「ビューティフル・ナイト」を据えていた。が、見過ごされがちな傑作を発掘するという目的から、あえてこの切なくも悲しいナンバーを選んだ。

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今回とくに顧みた6枚のアルバム(鰯所有)

追記:ポールのアルバム、だいぶん少なくなったけど、B◯◯K◯F Fの CDコーナーなんかでは、まだ容易に中古を探しだすことができる。汚れ等を気にしなければ、20世紀にリリースされた何枚かは約500円以下で購入可能だから、これを機会に買い揃えてみてはどうだろう。ポールの駄作は凡百の傑作よりも聞き応えあるぞ。

 

さて、ニつめのプレイリストに移る前に、もう一つ別のプレイリストを掲げておきたい。

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24. 「ハニー・ハッシュ」

25. 「ラン・デヴィル・ラン」

ラン・デヴィル・ラン』は、リンダが生前に発案したカヴァーアルバムで、ギターにミック・グリーン(ジョニー・キッド&ザ・パイレーツ)と、デイヴ・ギルモア(ピンク・フロイド)、ドラムにイアン・ペイス(ディープ・パープル)といった凄腕を引き連れてポールは歌とベースに専念、激しくも艶やかなシャウトを聞かせる。プレイリストの冒頭と末尾に選んだ二つを、他の優れたロックンロールと比較してみてほしい。このバンドが、いかに突出したポテンシャルを持っているかが理解できよう。

 

◆プレイリスト⑵『前人未到の荒野 21世紀編』

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26. 「ヘザー」

何かと評判の悪い二番めの別れた妻の名前をタイトルにした曲を冒頭に持ってくるとは、我ながら人が悪いなあと思う。でも、ブルース・ホーンズビーを思わせる雄大な楽想は、他のポールのレパートリーにない魅力を放っているとも思う。

27. 「ドライヴィング・レイン」

同名のアルバムが発表された2001年は、個人的に音楽から離れつつある時期だった。だからか不明瞭なジャケット写真のように、ポールの音楽もくすんでいるように感じた。今回聞き直しても、当初の印象は覆らなかった。が、ポールには珍しくMajor7主体のコードをあしらったタイトル曲には、渋い味わいがある。

28. 「タイニー・バブル」

ドライヴィング・レイン』は、工夫するのを途中でやめたような演奏が多い中、粘りあるリズムを強調し、ちょっとU2のONEにも似たこのソウルフルなナンバーは、一聴の価値がある。このアルバムからポールの声質はあきらかに衰えはじめるが、その枯れた喉を無理なく活かしている。

29. 「ジェニー・レン」

今回の聞き直しで個人的にもっとも収穫があった盤は、『裏庭の混沌と創造』である。「ブラックバード」タイプの歌の中でも、これは最高の出来ではないか。サビで展開するアコギのコードの、歌うような低音の移り変わりはさすがだ。

30. 「アット・ザ・マーシー

ポールは内省的な傾向を上手くコントロールするスキルを身につけたようだ。レディオヘッドを手がけたナイジェル・ゴドリッチの起用により、作品に複雑な陰影が加わった。それは、

31. 「ライディング・トゥ・ヴァニティ・フェア

のような、辛辣で悔恨に満ちた内容の歌詞にふさわしい、妖しげでオブスキュアな音像を提供していることでも分かる。これはあきらかに新境地だったのだと、今になってようやく理解できる。

32. 「プロミス・トゥ・ユー・ガール」

ポールのマルチな才能が全開のナンバー。ひとりで全パートを演奏しているわけだが、こんなに巧いドラマーは滅多にいないぞ。コーラスワークも才気が迸っている。

33. 「エヴァー・プレゼント・パスト」

追憶の彼方に〜』の2曲め。これはYouTubeを観てもらったほうがいいだろう。

youtu.be

ぼくの歌はこんなに単純な構造なんだよ、とインターネットの時代に対応したポールが教えてくれる。それにしても、こんなに愉快なメロディーを、よく思いつくなあ。

34. 「オンリー・ママ・ノウズ」

嗄れ声を上手にコントロールしている。バンド演奏の醍醐味みたいなものを見せつけてくれる。決めがライブ映えする、堂々としたロックナンバー。

35. 「ホワイ・ソー・ブルー」

とはいえ『追憶の彼方に〜』は全体に大味で、前作ほどの出来ではないように思う。これはデラックスエディションにのみ収められた曲。どうやらぼくは、やや沈みがちなポールの側面に惹かれているようだ。

 

36. 「マイ・ヴァレンタイン」

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ここでプレイリストから外した曲を一つ挿入する。2012年の『キス・オン・ザ・ボトム』に収録されたオリジナルナンバー。この盤はダイアナ・クラールをはじめとした面子による、極上の演奏が堪能できる、ニルソン『夜のシュミルソン』を思わせる、ジャズ・スタンダードのカヴァーアルバムだ。

 

37. 「アーリー・デイズ」

この『NEW』が発表されたころ、ポールを師と仰ぐプロのベーシストが、「聴いていてつらい。才能は枯渇するもんだね」とぼくに漏らしたことを覚えている。が、それは聴く側の受けとり方によるものかもしれない。ポール本人はいろいろと新しい試みに挑戦しているが、結句ぼく(ら)の心に残るのは、この曲のような「ふり返りもの」だったりする。

38. 「アイ・キャン・ベット」

だけどポールは、まだ賭けると自分に言い聞かせている。自分がこなせる範囲を限定しない彼だが、衰えを自覚もしている。この曲に表れた普段着の装いは、何回か聞いているうち、自然と身になじむ。

39. 「ロード」

ポールはアルバムの終盤に、やや長尺で展開の多い曲を置く。それは『レッド・ローズ・スピードウェイ』からの習慣だが、そこには必ず実験の要素が加味される。ここでは、今までに使わなかったコード進行やベースラインといった土台の部分を変えてみようと試みている。その飽くなき探究心が、次につながると確信して。

40. 「ホープ・フォー・ザ・フューチャー」

2014年、コンピューターゲーム「Destiny」のテーマソングとして書かれた。120名もの壮大なオーケストレーションには仰け反るが、曲の着想そのものは素朴なものだ。

(そして翌年、ポールにとって21世紀最大のヒットシングル、「フォー・ファイヴ・セカンズ」がリリースされる。もっともこの大ヒットは、カニエ・ウェストとリアーナの人気に依るところが大きい。)

41. 「アイ・ドント・ノウ」

エジプト・ステーション』の先行シングルで、ニール・イネスみたいな作風のこれを聞いたとき、ぼくは「枯淡の境地だ」と覚え書きした。嗄れた歌声もやや緩んだリズム感も、全てが良いふうに収まっていて、辛くならない。それにベースとドラムのコンビネーションなどに丁寧な仕事が施されており、ポールの復権を強く感じた。

42. 「ハンド・イン・ハンド」

アリスみたいな題名はともかく、美しいメロディーのバラード。だが勿体つけたところはなく、素直な表出だ。これはポールが、自らの老境と向きあった末に会得した、老人力だと思う。

43. 「ドミノズ」

エジプト・ステーション』は捨て曲なしの佳作。どの曲も好きだから選ぶのに苦心した。この地味なナンバーにも多くの人が注目してほしいと思う。ありきたりで標準的なロックの道筋をたどりながらも誰の真似にもならない、曲作りの極意がそこにある。

44. 「バック・イン・ブラジル」

ポールは世界中のさまざまなジャンルを横断して自らの音楽に取り入れているが、とくに中南米からの影響は大きい。あからさまなサンバやボサノヴァは作らないが、それらの本質をヒョイと掴みとる。結果、剽窃に陥らない(イチバンを連呼するあたりマルコス・ヴァーリの洒脱を連想するけど)。こういう明るい曲、やっぱりもっと聞きたいな。

45. 「ゲット・イナフ」

オートチューン(音程補正用ソフトウェア)を積極的に用いている。一ぺんは使ってみたかったのだろう。この年流行ったチャーリー・プースなんかにも通じる、フットワークの軽さもポールの身上だ。

追記:ポール・マッカートニーはサービス精神が旺盛で、人を楽しませ、喜ばすことが生き甲斐のように見える。けれども、この数年でリスナーへのもてなしを減らしはじめ、より自然な表現を心がけているように感じる。と同時に、自分の中にある疑問や諦念や後悔や憤怒を隠さなくなってきた。一般的には負の感情とみなされる、そうした心の働きを、オブラートに包まず、正直に打ち明けるような歌詞が増えてきているように思う。

46. 「ロング・テイルド・ウィンター・バード」

47. 「プリティ・ボーイズ」

48. 「ディープ・ディープ・フィーリング」

49. 「ザ・キス・オブ・ヴィーナス」

50. 「ウインター・バード/ホエン・ウィンター・カムズ」

さて、現時点(2021年1月)での最新作、『マッカートニーⅢ』に、あまり多くの説明は要らないだろう。31年ぶりに全英1位を獲得したこの完全ソロアルバムは、2020年の新型コロナウイルス感染拡大によるロックダウンの最中に制作された。ひじょうに引き締まった、無駄な装飾を削ぎ落とした録音で、本質が剥きだしになったような音楽である。トラッドからDTMまで、音楽の歴史がポールの肉体を通して一つに統合されている。彼に先行するランナーはもはや居らず、彼の目前に広がるのは前人未到の荒野である。その光景そのままを映しだしたような「ウインターバード」の厳しい響きに、澱んだ空気が一掃される。さらに、「ディープ・ディープ・フィーリング」で、ポールはぼくたちに呼びかける。もっともっと深くまで到達するんだ、ぼくの深層に潜むフィーリングを、きみにも共有してほしいんだ。こっちに来いよ、一緒に行こう。果てしなく続く、音楽は旅だ、と。錯覚かも知れないが、ぼくにはそう聞こえる(きみはどうだい?)。そしてようやく理解する、ポール・マッカートニーの音楽は、受動的に聞いているだけではなく、リスナーみずからが参加することによって、完成する種類のものだということを。それはたぶん、ポールが全キャリアを通して常づね訴えてきたことだ。バンドは荒野を目指す。人類はこれから先どこまで行けるだろう。彼の前に道はなく、彼のたどった跡に道ができる。が、その気さえあれば、ぼくたちは歌を通じて、ポールが目にする原風景を見ることだってできるんだ。We can work it out. 

 

 

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