鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

アンソロジー第二集『鰯の告白』全曲解説

2024年3月23日、アンソロジー第二集『鰯の告白 Sardine's confession』をお届けします。 今回のも20曲入り 1時間26分と盛りだくさんです(適当に休みやすみ聞いてください)。内容は前のほどキャッチーではなく、シブくてフォーキーなビタースイートで、音質が悪かったり音量が低かったりする曲も一部ありますが、全体に統一感があり、聞くたびにおもしろさが発見できるアルバムだと自負しております(Blueskyへの投稿より)

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ディストリビューターの)TuneCoreにアルバムを登録する際、楽曲の自己紹介文を記入したが、今回はそれをアレンジしてみた。やや硬めだけど、簡潔にまとまっている解説と思うから。できれば音楽を聞きながらナナメ読みしてください。

Sardine's Confession Anthology II

Sardine's Confession Anthology II

  • 岩下啓亮 Sardine
  • ロック
  • ¥1833


意外と地味じゃないんだよ、聞いているとワクワクするんだ。ホントさ。大きな音でかけてみて

 

1. 放蕩息子の生還 1995年
「放蕩息子の生還」は職を失って故郷へ帰った男の失意を描いたもので、寓話的な要素を含んでいる。楽曲の構造はブルース形式だが、アメリカっぽいコーラスを加えたことによって、楽観的な雰囲気も漂わせている。この曲を作った当時、私は仲間たちと路上ライブを敢行していたけど「放蕩息子」は重要なレパートリーだった。飛躍するメロディにジャズの要素がある、といって管楽器のプレイヤーたちが好んだんだ。

 

2. 藍を染めあげ 1999年
プログレッシブロックふうのアレンジと、工夫を凝らした転調。会心の出来だと自負していたものの、某ユニットの何々に似ているという評価にすっかり落胆し、私は以後この曲を長らく顧みなかった。

聞いたことがない歌でも、どこかで耳にして、知らず知らずのうちに影響を受けたかもしれない。この曲やっぱりいいじゃん、と見直したのはごく最近。

自分の書いた曲でコード進行が凝っているものの筆頭にあげられよう。二転三転する転調が「とりとめのない不安と届かぬものへの憧憬」を表した、スケールの大きな海洋音楽である。

以前、「藍を染めあげカヴァーしたいから」といわれたので、慌てて書いたコード譜を掲載します(結局カヴァーしてくれなかったけどさ)。

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3. 遠い渚 1991年

1983年、東京神田の楽器店でアルバイトしていたころに作った。高熱でうなされているのに看病してくれない恋人の薄情さを嘆いている友人をモデルにした。歌詞の一部に、ポール・ニザンの「アデン・アラビア」が反映している。

このヴァージョンは1991年に再録したもので、演奏した本人は、遠い渚の風景を描写したつもりだが、いかんせん後奏が長すぎる。 けれども、ブリリアントなピアノのリフレインと、印象派ふうの凝った和声構造は、当時としては気が利いているほうだと思う。

 

4. かりん 1992年

この曲を世間にさらすのは今回が初めてだ。

きわめてドメスティックな表現である。 かりんという、実際は生で食べられない果実を思い焦がれる女性に喩えるという歌詞は、男性側の視点のみで描かれた、完全に時代遅れなものだ。けれども私は選曲する際に、恋愛時における狂おしいまでの感情の起伏と透明な哀しみを捉えたドキュメントとして、この曲を外すわけにはいかなかった。

 

5. Baby it's so hard. but I don't mind 1992年

自己憐憫は私の得意分野だが、これも狂おしいまでの片想いソングだ。「私を好きになれないのなら恋敵のところへ行けばいい」という、男性特有のエゴイズムが如実に表れている。 だが、人は多かれ少なかれ、私生活での迷走をくり返しながら、経験を積んでいくのではなかろうか?

ゴドレイとクレームみたいなピアノのアルペジオが陰惨に陥りそうな歌のムードをかろうじて救っている。

ところで気がついたかい? ミドルエイトのコード進行が、「藍を染めあげ」に再利用されているってことに。

 

6. 三月の雨 1997年

頭脳警察3的なナンバー。使用機材のTEAC製4trkカセットテープレコーダーは、録音を重ねるごとに音質が劣化する。「三月の雨」がローファイなのは何度もピンポン録音したからだ。

だけど意外とポップなメロディー。子どもがまだ小さいころ、「♪三月の雨なら〜」と歌っていたっけ。そう、どこからともなく「入れといたほうがいいかも」という声が聞こえたんだ。前作のアンソロジーに収めた「フェアリーテイル」同様、ほとんど忘れかけていた歌だ。滑りこみセーフ。

 

7. はじめまして 1993年

恋愛の只中に作られた、多幸感に包まれた音楽。結婚式に配った「ひきでもの」のカセットテープに収録した。

ブギウギとビックビートのアマルガム。ぼくは偏狭な洋楽マニアだから、フィル・スペクターのセッションにボンゾがドラムで参加したらどうなるかな、なんてしょっちゅう夢想している。録音の最中がいっとう楽しい、ロイ・ウッドみたいなものさ。ま、コーダのプラントふう「ウーイェー」シャウトは蛇足だったな。
じつは、昔からぼくの歌、いわゆる洋楽マニアには大層うけが悪い。今回の配信でも「無視」の気配はひしひしと感じる。
それと、こういった底抜けに明るい曲調は、仕事で全国の幼稚園や保育園を訪問していて、童謡や子ども向きの歌にやたらと詳しくなったから、その反映だ。

 

8. えくぼ 1993年

ありのままを歌った曲。つき放したように感じる言葉の裏にも、優しさと思いやりがうかがえる。私も経験を積んで、少しは成長したのかもしれない。

音楽的にはアイディア一発勝負。アコギとスリットドラム。音がスッキリしているのは重ね録りしていないから。もちろんジョニ・ミッチェルは私のオールタイムお手本、だ。

じつはギター弦を張り替えたとき、適当に遊んでいるうちにできた即興曲だ。それで展開がなく構成も単純なんだ。

 

9. 午前3時 1993年

アルバム唯一のインストルメンタル

二声のコーラスは、カーツウェルK1200とローランドJD800のシンセサイザーに入っている「アー」という合成音を使った。

真夜中に精霊たちがささやいているように聞こえないか?

 

10. 新世紀行進曲 1993年

20世紀末に作られた、21世紀への希望と期待を託したマーチ。四半世紀を経た今日の惨状を鑑みれば、残念としか言いようがない。だが、それでも生きていくからには、よりよき明日に希望をつなぐしかないと思う。それはラストの英詞にも表れている。ピーター・ハミルのフューチャー・ナウを引用した。and make life worth more than dreams.

open.spotify.com

11. スーパーマーケット 1998年

私もいちおうプロの作曲家になるべく、各方面にアプローチしてはみた(人一倍の努力は怠ったけれども)。その過程でさまざまな人間模様を垣間見た。詳細は省くが、「市場」の中の一商品であることに私は耐えられそうになかった。

晦渋や皮肉をふり払うように、陽気なアレンジをほどこした。初期のトーキング・ヘッズXTCみたいに知性と衝動がうまく噛みあったギターアンサンブルを参考にしたつもりだが、スケッチにとどめずにちゃんと録音しておけばよかったと後悔している。

 

12. 鐘の音が聞こえる 1995年

男は失意に囚われてはいるが、希望の道標がないかと模索している。すると突然、街の時計塔から鐘の音が鳴り響いた。鐘の音を聞いた男は、そこに光を見出した。女性との出会いかもしれないし、新たな職を得る手がかりを掴んだのかもしれない。

90年代中盤に、私はブルースロックの形式を何度か試みた。ハーモニカを学んでいる若者にブルースハープを手伝ってもらった。クレジットに加えたいが名前を忘れてしまった。この歌をどこかで聞いたら連絡してほしい。

 

13. 好きになってください 1999年

これは「みんなから認められようと躍起になったけど、誰からも認められなかった」歌だ。まあ、しかたない。楽曲の展開がA-B-Cで、あまりにも図式通りだし、細部まで注意深く作っていても、かんじんの歌と演奏に覇気がないもの。や、いい歌だから選んでいるんだけどさ。迷える鰯くんって感じだよね。でも、サブスクで流すぶんには悪くないな。楽曲のポピュラリティーだけが濾過されて聞こえてくる。

ところで気がついたかい? この曲の前奏がアンソロジー第一集に収録の「空の下のリベルテ」を再利用しているってこと。

 

14. シンパシー 1999年

架空のミュージカルナンバー。なぜメッセージソングは素朴でなければならないのか、もっとドラマチックに表現してもいいのではないか、と私は考えていた。結果、自作中いちばん技巧を凝らしたものになった。

この曲にはローラ・ニーロの影響が色濃く表れている。『鰯の告白』というアルバムタイトルからして『イーライと13番目の懺悔』のオマージュなのだから。

 

15. 裸足で踊って 1999年

まるで童謡みたいに素朴な旋律だ。しかし企図はある。私はこの「裸足で踊って」を自分が書いた小説の主人公が生まれて初めて作曲した歌だと構想している。その主人公は女性で、最終的に彼女はこの歌の著作権を放棄するという設定だ。素朴な意匠をまとっていても、成り立ちがややこしいことこの上ないのが、鰯の音楽なのである。

【参考記事】

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

 

16. マルガリータ 1998年

作曲家になるステップで、私はさまざまなデモ作品を制作した。「マルガリータ」は構想の段階で早々に没を食らった。出資者からパロディだと思われたのだ。J-POPの文脈でタンゴやハバネラやマリアッチのムードを導入するのは遊びが過ぎると判断されたのだろう。おかげさまで今日、誰にも憚らずこの音源は使えるわけだけど。

私はいつも、いたって真剣だったよ。

 

17.  街に響くは 2001年

このほろ苦い歌詞が生まれたきっかけは、商店街を歩いていたら、そのころヒットしていた三木道三の「一生一緒にいてくれや」って歌が流れてきて、ぼくは不覚にも泣いたんだ。あーオレもう無理して人に気に入られるような歌を書く必要ないな、だってもうそんなの星の数ほどあるんだし、もうこれ以上世の中にラブソングは必要ないよな、と思った経験から。つまり、諦念の歌だ。

もうこれ以上必要ないくらい
もうこれ以上なくたっていい
いまさら誰かが上書きしなくても
もうじゅうぶんさ筋書きは読める
街に響くは恋のうた……

ああ、確かにコーラスが「Killing Me Softly With His Song」で「So Sad About Us」だ。が、それがどうしたい?

 

18. もっと もっと もっと 2001年

仕事帰りに秋葉原を歩いていた私は、駅に向かう人並みを眺めていて、この人たち一人ひとりに愛する人がいるんだろうか、もしかしたらいない人のほうが圧倒的に多いんじゃないかと想像した。すると、駅へと急ぐ無表情な顔した人びとが、急に愛おしく感じられた。

人が思うほど、計画して曲づくりしているわけではないんだよ。たとえばこの歌はファルセットと地声が交互に現れるけども、シナリオのセリフよろしくヴァースごとに役割分担しているわけではなく、もっと自然にこうなった。
一回めに録音したときは、このテイクよりも重心が低く、フリーみたいなアレンジだった。あまり伝わらないなとパートナーにいわれたんで、もっと風通しのよい簡素な演奏に変えて、その過程で、絞りだす声から裏声に変えた。
うん、カーティス・メイフィールドは意識したかもしれないね。あと、ギターのオブリガートは、われながら巧く弾けたと思う。使用楽器はギブソンSG(72or73年)です。

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19. 好きなように 2001年

これもJ-POPの誰かを彷彿とさせるが、曲全体に漂う諦念が、執着からの解放を感じさせる。ミドルエイトで(私はミドルエイトづくりが得意だ)一瞬ウェットになりかけるが、すぐに持ち直し、後はドライなままだ。クルマを走らせながら聞くとなおさらさらりと聞き流せるし、ヤングマンみたいな(本人はBB5の「プリーズ・レット・ミー・ワンダー」のつもりで書いている)さびもゴキゲンだ。

アコギのストロークとベースの定型フレーズが完璧にかみ合っている。易々と弾いているけれども、同じことを今やれといわれてもできない。ヴォーカルのレベルを目盛り0.5 下げればより聞きやすくなったかもしれない。が、ミキシングもやり直せない。時間を遡及することは不可能だし、過去は眺めることしかできないのだ。

彼は失恋した。今度こそ徹底的に。何に失恋したのか? それは音楽に。だが、夢見ることを諦めたがゆえに、不思議と明るい歌になった。そしてこのアンソロジー第2集も、ようやく大団円を迎える。

 

20. ふわふわ 2002年

私もついに40代を迎えようとしていた。溢れんばかりの着想の泉も、もはや涸れはてて。ちょうどそのころ郷里クマモトで、高校の同窓会がイヴェントを開催した。私は旧友たちと一夜限りのバンドを再結成し、青春のグラフティ的な新曲を披露した。結局それが私のラストライブとなったが、同世代の仲間たちを励ます歌が出来たので、報われた気持ちだった。アルバムの最後を締めくくるにふさわしいナンバーだと思う。

キャプテン・ビーフハートはご存じ? 彼の「ブルージーンズとムーンビームス」を聞いてみてごらん(サブスクには見あたらないけどね)。

 

 

Mediumにて英文でも全曲解説しております。

medium.com

もちろん翻訳機能を使っているのです。

 

また、ツイッター等で交流のあるwalnutさんが、穏やかな中にも鋭い洞察を示した感想を連続投稿しておられたので、これもMediumにまとめて収録した。

iwashi-dokuhaku.medium.com

また、walnutさんは音楽の造詣深い方で、JTばりにギターも達者だ。

そのように、ネットで知り合った人たちが、自分の拙い音楽を聞いていてくれることは、めちゃくちゃ励みになる。できれば、どんな形でもいいから、メッセージを送ってほしい。辛らつな批判でもかまわない。反応のないのが、いちばん堪える。

 

さて、

21st Century Protest Songs

21st Century Protest Songs

  • 岩下啓亮 Sardine
  • ロック
  •  

4月27日に、第三弾『21世紀のプロテストソング』をリリースする。配信開始まで、YouTubeの1分間試聴をぜひ聞いてみてほしい。2002年制作の、岩下啓亮Sardineのラストアルバムをーー


www.youtube.com

鰯 (Sardine) 2024/04/10

 

 

【あわせて聴きたい、岩下啓亮 Sardineのアルバム】

Catchy 22 Anthology

Catchy 22 Anthology

  • 岩下啓亮 Sardine
  • ロック
  • ¥1833

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

アーカイヴ音源を配信するにあたっての課題

✳︎この記事は方々に書き散らしたものの拾遺集です。

岩下啓亮 Sardine

1996年、28年前のイワシ。これもジャケット写真候補。

 

あちこちに散逸している音源を探した。

熊本地震で本棚やなんかが崩壊してしまった。その後遺症で、まとめていた資料もバラバラになった。整理すりゃよかったんだろうけど、時間がとれなくて。ずいぶん探した。あのマスターはどこにあるんだろって。なにも書いていないCD-Rをぜんぶかけてみて、片っ端からパソコンにとりこんだ。

それまで音源をデータ化していなかったのかって?

していたけど。配信ストアに載せるためには、WAVかFLACのファイルにする必要があるんだ。それでまずはFLACで取りこんだ。ところがTuneCoreがWAV形式のみでしか受けつけないんだ。それで一からやり直し。万事そんな調子だよ。

それで約150曲もの楽曲から22曲を選んだ。どれにしようか、迷いに迷ったな。

 

判断材料は、まず歌詞の内容

とにかく要らない音源を省くことから始めた。楽曲のクオリティが水準に達していないもの、音質が劣化しているもの、などなど。でも、最大の判断基準は、歌詞だ。

今の時代にそぐわない内容の歌詞は出さないことに決めた。若いころの自分は、未熟で傲慢で、他者への配慮に欠けていた。それが歌詞にも表れている。アップデートされた今の自分が聞きたくないような内容の歌を、どうして公に発表できるだろう?

 ……泣くなく外した曲もあったよ。曲の出来からすると収録すべき曲が。

「立ってるだけ」とか。

でも、あれはダメだ。かりに提出したとしても、登録後の審査ではじかれるだろう。

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

 

『Catchy 22』というタイトルをつけたら、コンセプトが固まった。

まずは「名刺代わりの一枚」にしようと思った。自分が「いい」と思っている曲ではなく、過去に他の人から「いいね」と言われたことがある曲を中心に選ぼう、と。Rate Your Musicによれば、ぼくの音楽は「Contemporary Pop」に分類されるそうだ。コンテンポラリー・ポップ。まるでオリヴィア・ロドリゴやホリー・ハンバーストーンみたいじゃないか。そのカテゴリーに沿えば、おのずとキャッチーな楽曲が揃うだろう。

そこで「キャッチー」というテーマが浮かんだ。

音楽配信のコツみたいなWEB記事によると、一枚のアルバムは22曲が限度だと記してある。だったら22曲入りのアルバムにしよう。キャチーな22曲、すなわち『Catchy 22』だ。

 

年代順に並べるつもりは毛頭なかった。

今回のアルバムはアトランダムな印象を受ける。よく言えばバラエティに富んだ、悪く言うなら、とっ散らかっている。

そんな指摘を複数から受けた。年代順に並べるべきではなかったか、とも。でも、ぼくは直観にしたがった。次はこれ、この次はこれ、と、自分のフィーリングで繋いでいったんだ。「おもちゃ箱をひっくり返したような」って形容があるだろう? そんなふうにしたかったんだ。年代順に並べたらまとまるだろうけど退屈だな、とも思った。ぼくは街角でふいに誰かと出くわしたときのように、自分の歌に驚きたいんだ。

ただ、一つだけしくじった。それは22曲は多すぎたということさ。Apple Musicでは基本的に20曲までしか表示されない。2曲ぶん損した感じ。みんなも気をつけよう。

 

音楽は基本的に人の時間を奪うもの。

いよいよリリースされるという時、ぶじ配信されるんだろうか、聞いてくれる方がいるんだろうか、と心配になった。むろん自分の制作した音楽がパソコンやスマフォから流れることが楽しみではあるんだよ。
でも、過去作を発表することに不安を感じていた。誰も聞かなかったらどうしよう、「なんだつまらないな、鰯さん音楽について日ごろ偉そにコメントしてるけど、歌も曲もたいしたことないや」と思われたらツラいだろうな、と余計な想像をめぐらした。
だけど、出さないままだときっと後悔する。そう思ったから、出した。

音楽を聴いてもらうということは、聴く人に時間を割いてもらうってことだ(それをいうならSNSの投稿も同じだね)。聴いてもらえるだけでありがたい。そこは謙虚でいたい。さわりだけを聴いて、つまらないと判断されたとしても、それはしかたない。実力不足か、好みに合わなかったかのいずれかだからさ。

ただ、出すからには、一人でも多くの人の耳に届いてほしい。ひょっとしたら私の拙い歌が、誰かの気持ちを少しだけ揺り動かすかもしれないし。私の作った歌どもを聞いて、クスッと笑ったり、おやおやと呆れたり、ふむふむと頷いたり、しんみりしてしまったりと、とにかく何かしら感じてくれたならサイコーだ。そう考えると、やはりドキドキするよ。

 

収益化について

まったく気にしない。何度もいうけど、配信で稼ぐ心算はないんだ。でも、再生回数はむちゃくちゃ気になる。誰も聞いてくれないのが視覚化されるのはツラい。

で、あまり言いたくないセリフだけど、YouTubeのアカウントをお持ちの方はチャンネル登録をお願いします。それからSpotifyだったら[フォローする]を、Apple Musicだったらアーティストの右上にある赤い星マークを、クリックしていただくとありがたいです。

iTune storeでデータを購入してくれたら、なおありがたい(笑)。それが次作を配信する資金になるから。岩下啓亮 Sardineの活動を支えたい方は、ダウンロードしてください

もちろんYouTubeでもいい、まずは聞いてほしい。聞いた上で良し悪しを判断してほしい。YouTubeは収益の報告が早いからね。2月14日〜29日で¥90ぽっちだけど、金額じゃないんだ。聞いてくれた事実が嬉しい。励みになる。

 

Spotify for artist 問題について

SpotifyにしてもApple Musicにしても、最初アーティストページに写真のないのがさびしいから、アーティスト申請をして、画像を提供しようと行動した。Apple Musicは早急に対応してくれた。が、

2/27 Spotifyの表示をまともなものにするためにSpotify for artistにログインしたが、正直いってチョー面倒くさい。 本人確認のためにInstagramのアカウントを教えろというので、インスタのアカウントを急遽作ったよ。私はMeta関係がぜんぜん好きではないのに。

あと、私は収益化を図るために配信しているわけではないのだが、相手はその意思のあるかなしかを絶えず確認してくる。それもシンドい。 なんだか仕事よりも働いている感じがする

私はただ、自分の音源をインターネットの片隅に置いておきたいだけなんだ。「より多くの人たちにあなたの音楽を届けるためにはhype(宣伝の俗語)が必要です」的なことが記されているけど、私はそういう流れに加担したくないんだ。情報の網の目が張り巡らされ、それに絡めとられているようで、息苦しくなるんだよ。

とにかく、相手の要求にあまり振り回されないようにしたい。SNSで愚痴ってごめん。自分が始めたことだからディレンマはなんとか自分で解消します。

3/4 この問題、数日経っても解決しない。こちらとしては、情報は残らず記入したというのに、まだこんなメールがSpotify teamから送られてくる。

Hey,

We got your Spotify for Artists request, but we need a little more info from you. This won't take long!

なんだよ、その「ヘイ」って! なれなれしい。
プロフィール画像を変更するだけのことで何故こんなに手間をとらせる? AppleMusicは、まったく無問題でプロフィール変更できたぞ。レーベル所属の有無がそんなに大事か、Spotify

3/9 その後Spotifyチームからメールは来ない。どうやら向こうの望む情報を伝えない限り、プロフィールページは作成されないってことらしい。ならば、それでもいいや。放っとこう。私的には淡々と予定通りにアルバムを一枚ずつアップしていくだけだ。

備考;

InstagramFacebookはやっぱり怖いよ。 音楽配信のためにやむなく開設したけど、紐づけが半端ない。さっきみたら「自分の子どもの飼い犬のアカウント」がおすすめされていた。どういう仕組みなんだろう。気味が悪いんで、基本なにもアクションしない。動画とか撮らないし、リールとか観ないもんね。 あらためて私は「文字の人」だと思った。

 

「関連するアーチスト」問題

サブスクリプションのアーチストページには、聞く人の参考のために、下に似たようなタイプのアーチストが表示される。どういう仕組みなのかはわからないが、アルゴリズムが反映しているのだろう。

これもSpotifyは不可解だった。

はっひいえんどとフェアポート・コンベンションが表示されたが、すぐ消えた。数日後ふたたび表示されて、ウェブ上(パソコン)では「ファンの間で人気」と表示されていた。数日後、KIRINJI、大貫妙子ジョニ・ミッチェルが加わり、さらに数日後、ジョニの代わりに井上陽水が表示された。私との共通性、見出せるかな?

Apple Musicで、私と「同じタイプのアーチスト」として挙がっているのは以下の方々。左から順に、

・Belle Gonzalez・武部行正・YOKOO ADAM

杉山賢人・RJFox・SUBTROPICAL DADDY

・エブリシング・プレイ・なかおちさと

既知のアーチストはエブリシング・プレイだけだった(お互いさまだ。向こうはみんな、ぼくのことを知らないだろう)。ざっと聞いてみても共通項がよく分からない。
しいていえば、フォーキー?
幸いにして嫌いな音楽はひとつもなかった(とくに「なかおちさと」って方は、凄いな)。

しかし、これも数日後にメンツが入れ替わった。

音羽信・銀河鉄道・アニュウリズム

・ひがしの ひとし・friendly hearts of Japan

・Genki band・麻生レミ・friendly spoon

と、和製フォークと懐メロが増えた。

どうもApple Musicは、岩下啓亮 Sardineをどこにカテゴライズするのか、迷っているように思える。

配信してみて、だんだん分かってきたことがある。人は「⚪︎⚪︎と似ている」とよくいいたがるが、結局どれも正鵠を射ていない。つまり岩下啓亮 Sardineは、誰にも似ていないのだ。

 

『鰯の告白』の歌詞表示問題

これもSpotifyは表示されるまでにずいぶん時間がかかった。Apple Musicはリリースと同時に表示されていたのに。TuneCoreに問い合わせると「たいへん混み合っている」との説明だった。Spotifyに不信感が募るばかりだ。

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歌詞は、いち早くLinkCoreに掲載されていた。

 

「政治性」について

私は今でも自分のことを薄情な人間だと認識している。皮肉やで冷笑的だとも。それを包み隠そうと言葉を捻りだしている、そんな自意識に疾しさを覚える。私はソーシャルネットワークサービスで政治的な事柄をたびたび言及するが、じつはそれほど確信あって述べているわけではない。間違うことも多々ある。

「政治的な」ってどういう意味だろうね? 分からないよ、62年間生きてきたけど何も分からない。22年前の方がまだ分かっていた。今よりずっと情が深かった。寛容だったし親切だった。善意を行動に移せるだけの膂力があったよ。今はない。すぐにへこたれる。口先だけ。

よほどつまらないんだろうなあと思う。惹句にはふり向くが、その先にはアプローチしない。開いても「そっ閉じ」。知ってるさ、それくらい。私だってそうだもの。みんな忙しい。誰もかれも人の言葉にじっくり耳を傾ける余裕がないんだ。しかし要は、好みに合わないのさ。あるいは、水準に達してないんだ。

政治的であるかどうか、政治性を帯びているかどうかを尺度に置いてしまうと、「好みの政治的声明をしているアーチストはオッケー=そうでない連中はゴミ」になりかねない。SNSの一部で政治性の有無で値踏みする傾向があるのをみるたび、ちょっと間口狭すぎなんでは、と感じることがある。まあ、人それぞれ、なんだけど。

 

「自称ミュージシャン」問題について

ミュージシャンが「◯◯反対!!」とかSNSで啓蒙活動をしたり、外で街宣をしたりする。でも、はたしてそれで人気が出たり音が良くなったりするんですかね?

と投稿した人について「聞いてみたらたいしたことない音楽家だ」とのクスクス笑いを方々にみてね、私、そこはちょっと彼に同情したな。

自分の過去音源を配信することのおっかなさはじつにそこなんだよね。私だって「イワシさんいつも偉そーなことツイートしてるけど肝心の音楽つまんねーもんな」と言われるのが怖いもんな。だから件のミュージシャン氏についても言及するの躊躇しちゃう。たぶん私、(そして彼も)臆病なんだと思う。自信がないんだよ。

でも、私程度の音楽性でも世界中に配信できるんだから結構な時代だと思うよ。大量のデモにうんざりしている担当者から辛い批評を言われずにも済むしさ。みんなも押入れに眠っている自分の過去音源をアーカイヴして発表すればいいよ。私ができるんだもの、誰にだってできるさ! 

話を戻すと。

彼の考え方には多分に問題あるけど、年齢やら自撮りやらまでを揶揄う必要はないんじゃないか、と彼と同じ「自称ミュージシャン」の私は思っちゃいますね。

いや、実際の私はロートルの事務員なんだけど、グーグル検索すると、岩下啓亮 Sardineは「音楽家」と表示されているんだ。自称ではなく。ネット社会では、いとも簡単に「なろう」になれちゃう。

 

「自作の解説ほど退屈なものはない」問題

Xの鰯さんは政治や社会問題がもっぱらで、ポストすればそれなりに反響あるけど、音楽の話題となるとさっぱり無反応だ。ましてや配信しだしたら、そのことばかり宣伝しているように見えると思う。だから控えめに書いていた。そもそも自分の作品を解説することが、言い訳みたいで、潔くない気がしていた。

楽家と音楽評論との関係性が、最近よく話題に上っている。私はずっとツイッターで音楽の良し悪しを無責任に書いてきたけど、自分が発表する側に回ったら、他人の作品を批評する気持ちがすっかり失せた。それは保身かもしれない。自分の作品が痛烈に批判されることを用心しているからかもしれない。

批評は活発に行われるべきだし、作品に虚飾や不備不足や剽窃があれば容赦なく指摘するべきだと思う。ただ、その批評眼がナマクラで的外れな場合には、批評そのものが批判の対象になるだろう。アーチストが牙を剥くこともあるのだ。なぜならインターネット社会の建前は双方向性なのだから。

有名無名の垣根を飛び越えられるのがSNSの最もおもしろいところだと思っていたのだが、どうやら人間は、しばらく経てば自然とヒエラルキーを構築していく性質があるようだ。今のXは有名アカウントの意見を尊び、無名のそれをしりぞける風潮が形成されている。
あれっ? 私はいったい何を話そうとしてたんだっけ。

そうだ、「自作の解説ほど退屈なものはない」が長年培った価値観の一つだった、ということを書いていたんだった。
私は「音楽はそれ自体がすべてを語る」として、たとえ「自称」アーチストであろうと、いったん発表した自分の作品を過剰に説明するのはよくないことだと思いこんでいたんだ。

けれども事ここにいたって、よほどの一流以外は「自己宣伝を怠ることなかれ」がデフォルトとなっている。臆面もなく自分語りできることが今や必須となっている。誠実に、よい作品をコツコツと作るだけは、今や美徳ではなく怠慢とみなされる。自分を売りこむことができない者は、本気じゃないと判断される。自己宣伝に長けたヤツが勝利をつかむ。

そういう時代に生きている以上、私もためらっていられない。呆れられ、「そっ閉じ」されてもかまうもんか、誰かがふり向いてくれるまで、たとえ居た堪れなかろうと声をあげ続けるぞ。と、まあ、そんな気持ちをむりやり奮い立てつつ、ぼくは五月雨式に、自分(の音楽)語りに勤しむのでした。
だって私、むかしみたく歌も演奏もできないもん。ライブ活動だなんて、そんなムリムリ。おつきあいしている音楽家もほぼ皆無だし。「人と人とのつながりこそがミュージシャンである証だ」とか高らかに謳われたら、胸中穏やかでいられなくなるし。私は一人ぼっちで音楽を作り続けていたんだ。「オール・バイ・マイセルフ」だよ。

それがひとり多重録音をはじめた動機なんだ。作詞、作曲、編曲、歌唱、演奏、録音の以外にもう一つ、今後は「プロモーション」をクレジットしなくちゃな。

 

そして「アップデート」について

期せずして、今朝がた投稿した記事が「アップデート問題」を扱っていることに投稿したあとで気づいた。しかし、前世紀に書いた歌詞に横溢する「旧さ」をアップデートする手段は、具体的にない。選択肢は以下の2つ。
①時代にそぐわず、問題ありな内容を更新した新録音を出す。
②リリース自体を諦める。

①は物理的に不可能だ。もはやかつてのように歌えないし、録音機材も持っていないから。「おんぼろクルマ」の致命的なミスは、そこだけピー音で隠したいくらいなんだが。
②については記事冒頭にも書いたが、実際に「この歌詞は今だと物議をかもす可能性がある」と判断して、お蔵入りにした曲がいくつかある。

アップデートに抵抗している? しているのかもな。「Cut 'N' Paste」って、そういう曲だよね。

いや、もちろん個人としてはアップデートしてますよ。だから過去の歌詞の欠点も認識できるわけだし。人間として、年々まともになっているはず。少なくとも「アップデートが足りない」などと謗られるいわれはないね。

まぁ岩下啓亮の自作への拘泥など、SNSの住民にはどうでもいいことだ。この記事も読まれまい。分かっているんだよ。長々と失礼しました。アデュー。

鰯 (Sardine) 2024/03/31

鰯の 『Catchy 22 Anthology』徹底解説

鰯こと岩下啓亮 Sardineです。2024年2月24日に初のアルバム『Catchy 22 Anthology』を発表しました。

magazine.tunecore.co.jp

インターネット配信のみでCDやアナログ等の販売はありません。したがって歌詞カードやライナーノーツもない。というわけで私は、はてなブログに書いておこうと思います。音楽を聴きながら読んでみてください。なんらかの発見があると思います。

 

  • タイトルについて

名刺がわりの一枚として、「最初はわかりやすい曲ばかりを選りすぐったアルバムにしよう」と考えていた。自分のレパートリー中キャッチーなナンバーを、というわけで、アート・ガーファンクルが出演している厭戦映画『Catch 22』をもじって、このタイトルにした。

  • 曲数について

ウェブ記事で、「サブスクリプションでアルバムをリリースする際、あまり長くしてはいけない、最大22曲程度にとどめておくべし」とのアドヴァイスが記してあった。なるべくたくさんの曲を聴いてほしかった私は、詰めこめるだけ詰めこんだ。(ディストリビューターの)TuneCore Japanは、アルバム配信一回につき手数料5,220円がかかるから、資金難の私は、余裕をもって何枚にも分けてリリースする選択がなかった。おかげで22曲に厳選することができたが、ヘヴィーなボリュームは聞く側への配慮に欠ける措置だったかもしれないと反省している。

  • アルバムカヴァー(写真)について

これは22, 3歳のころ羽田空港で撮った写真だ。古いアルバムをひっぱり出して、奇跡的によく映っている写真をスマフォに撮りこんだ。その姿を他人がみれば、こっけいな光景に違いない。

リリース登録の際「正方形3000pixel以上」という指定があった。画像編集アプリを使わない私は、よくわからないまま、ありあわせのツールで、元データを拡大して送った。だからぼんやりした感じになってしまった。

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推奨サブスクリプションSpotify

open.spotify.com

とても使い勝手がよい。曲間もシームレス。ただし表示の遅延は困る。Spotify for artistは不親切。

 

【曲解説】

✳ 1時間半と長いので、何曲かずつ、分けて聞いてください。

 

1.「Z橋で待つ」1996年

1996年に自主制作CD『離してはいけない』を発表した当初から、「Z橋で待つ」の評判はあまり芳しくなかった。地味だピンとこない、とさんざん言われたものだ。今回アンソロジーを組むにあたっても、冒頭にこれを置くのはどうかと考えた。

でも、この曲以外はありえなかった。自分の最高傑作ではないけれど、代表曲だと思っている。なぜなら「等身大」だからだ。実際の岩下啓亮にもっとも近い、虚飾のなさが身上だからだ。それは30歳過ぎから30年経っても、いまだに変わらない。
なお、東海道線を跨ぐ「Z橋」は浜松市に実在した。今もあるんだろうか?

つまり「Z」に深い意味はない。これは「人間関係を希薄に感じ」たときの心象風景を描いた歌だ。「航空自衛隊の練習機」がとりざたされるけど、書いた当時はノンポリだった。政治的な意図もない。

冒頭のコード進行が、キング・クリムゾンの「風に語りて」に似ている。あと、間奏のブレイクはダニー・コーチマーの「エンドレス・スリーブ」を参考にした。指摘される前に自己申告しておくよ。

 

2.「変身」2000年

ほんらいならこれを一曲めに据えるべきなんだろうな。キャッチーなイントロだ。三声コーラスも含めて、全体にビートリッシュ。恋愛初期の高揚した感情を素直に表出していると思う。「定期券をなくした」のは実話だけどさ、定期券って今や死語に近いね。歳月の経過は、歌詞に現れるものだ。

ひらうたAのメロディーが、ジョニ・ミッチェルの「サークルゲーム」っぽいね。それと、大好きな歌なんだけど退屈に感じることもある。ビートルズでいえば、「ユー・ウォント・シー・ミー」みたいなポジション。

でも結局、自分の作品を発表しようと決意したわけは、かつて作った歌はまんざら悪くないぞ、と思ったからで。身も蓋もない言いかたすれば、自分の作風が好きなんだ。だから「オレは岩下啓亮サーディンのいちばんのファンだもんね」という気持ちでいる。「変身」ってつまり、そういう歌です。

 

3.「ワルツ・アメリカ Ⅰ」2001年

ワルツといっても、ハチ/ロクのリズムだけどね。

ぼくは当時ソ⚪︎ーに勤めていた旧友に、ギター弾き語りのデモを聞いてもらった。すると彼はユ⚪︎コーン時代の「民生のデモ」を聞かせてくれ、「このくらい作り込んでもいいんだよ」といった。「それからエンディングがそっけないな、ひとつ間を置くと余韻がいいかもよ」とアドヴァイスしてくれた。その忠告に従って作り直したのが、これさ。

アメリカン・ロードムービーふうの情景を喚起したかったから、ジョン・バリートゥーツ・シールマンスの「真夜中のカウボーイ」のテーマを裏メロに流している。

銀ちゃん、元気にしてるかな?

 

4.「Any other man」2000年

ふてくされソングの典型。オレのこと好きじゃないなら他の男に行けば? って拗ねた態度は、他の曲でも頻出する鰯の得意なポーズ。ホントはもっとオレの方を向いてくれって願っているくせして、素直じゃないやつ。
長くうねるメロディーとヒーカップ唱法はジュールス・シアーの影響だ。ビリー・コーガンの声色も意識しているね。切れ味勝負のロックンロールだよ。

 

5. 「空の下のリベルテ」1986年

アンソロジー中もっとも旧い録音。声が若いね。この「空の下のリベルテ」には、3つの影響が顕著に認められる。
トッド・ラングレン。「友達でいさせて」や「メイテッド」などのバラード群。
スタイル・カウンシル。「ユー・アー・ザ・ベスト・シング」などのアレンジ。
フランク・ザッパピーター・フランプトンをおちょくったアレの、主にコーラスワーク。
もう一つ。村山槐多の「げに君は酒とならざる麦の穂の青き豪奢」も、だ。

ぼくは1985年に挫折し、東京を去った。そのときの感傷が歌詞に表れている。むかしの仲間たちに、お別れを告げているんだ。

 

6. 「赤いホンダ」1999年

あまり重要視されないけど、大好きなんだよね。

エルヴィス・コステロmeetsトッド・ラングレンというか、大友康平meets小西康陽というか、一部変拍子とか木管系のオブリとか、アイディアと遊び心にあふれているし、これを聞くと朝から元気になる。

どんな富も権力も、てんで敵わない。オレの夢と情熱、誰も敵わない

こういう無根拠なオプティミズムは、もはや現在では通用しないものなのだろうけど、前世紀の価値観を新たに録り直すことはできない。なのでそこはご容赦いただきたい。
ちなみにぼく、ホンダ車を所有したことは一回もないです。歌詞は全て空想。

 

7.「あなたの影になりたい」2001年

演歌あるいはムード歌謡に寄せてみた楽曲で、テレサ・テン小林明子は意識したかもしれない。作った経緯はブログ記事にしている。

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

要するに指定された条件に当てはめていったんだけど、出来あがったら予想以上に面白くて、手元に置いておこうと決めたわけです。後にこの曲をモチーフにした『歌の塔』という題の小説を書いたこともあるほど、私的には重要作となりました。

ちなみに『歌の塔』は、ある文学賞の最終選考に残ったのだが、控えめにいって、選考委員の評価はどれも低かった。 「マンガみたい。でもマンガのほうが、もっとうまく描ける高橋源一郎

 

8.「モノリス」2001年

記憶と記録についての歌。「ああ壊してしまえ、役立たずのモノリスなんて」という一節は、情報の一極集中化に対する警鐘だ。それと、ぼくの歌詞にはダブルミーニングが多いけど、「野を駆ける子どもたち」を「脳欠ける子どもたち」と空耳されたときは、さすがに深読みし過ぎだと思った。

誰も指摘しないけど、ブラジル音楽の影響下にあるね。もともとの曲調はボサノヴァ的な軽い雰囲気だったのが、ナシメントふうのスキャットとタイトなリズムを加えていったら、雄大なロックになってしまった。

 

9.「サンデードライバー」1989年

お察し通り、曲名は「デイ・ドリッパー」より。

この曲を冒頭曲としたアルバム『50/50』をただいま準備中である(3/30現在)。ぼくは1989年に就職のため郷里を離れたが、そのときに青年期にお別れを告げる作品集を作った。ピアノと歌を五分五分としたアレンジというコンセプトだったけれども、一曲めからリズムマシン(TR707)を使ってしまった。
歌詞にミッキー・ロークが登場するあたり時代を感じさせるけど、アル・クーパーみたいなピアノのタッチは悪くないと思う。録音中スタジオ(今はなき水前寺のスタジオSHEEP)に居合わせたター坊とマツバラさんに、コーラスで参加してもらっている。

 

10.「冬の月」1991年

「冬の月」の楽曲構造は堅固だが、5分は長すぎ。今の基準だと、やや冗長に感じる。

歌詞は寓話的と言い換えてもいい。孤独に苛まれる男が月に窮状を訴えるが、月は無情にも「自力で立ちあがろうとしない者は救えない」と諭す。この歌詞の内容も今にしてみればリバタリアン的だと見なされようが、若いころ自分本位のぼくは、まだ自助がかなう程度には健康だった。
厳しめに評価したが、メロディーは覚えやすく、優しい。まるで「花とメルヘン」みたいだね。37鍵メロディオンの独奏が曲に陰影を加えている。ぼくは当時、鍵盤ハーモニカを指導するプロとして、全国の小学校を行脚していたから、この程度の演奏は朝飯前だった。

 

推奨サブスクリプションApple Music

Catchy 22 Anthology

Catchy 22 Anthology

  • 岩下啓亮 Sardine
  • ロック
  • ¥1833

music.apple.com

Spotifyよりも音質が断然よい。運営も親切で画像表示も即対応する。ただし検索がわかりにくいかな。

 

11.「忙しいひと」1996年

「忙しいひと」はけっこう再生されているね。専門学校の学生が作曲法の授業で提出する習作のような(かつてスザンヌ・ヴェガ「トムズ・ダイナー」をそう評したライターがいた)単純な曲調だ。持てる技をぜんぶ駆使したハッタリだらけのピアノソロは誰の影響だろう? マイケル・オマーティアンあたりかな。歌に戻る前の五つの和音なんかはずいぶん工夫した。
そういえば最初に発表したころ「音楽の善し悪しはさっぱり分からんが、これはまるでオレのことを歌ってるみたいじゃないか」と気に入ってくれた方がいらっしゃった。
ペーソスあふれる歌詞が、今なお共感を呼ぶのではないか。全国の「忙しいひと」たちに捧ぐ。

 

12.「抱擁」1996年

上記11と同じく『離してはいけない』より。大好きなブルーナイルの影響が大だが、それだけにとどまらないスケール感がある。黒鍵だらけの音階なので弾くのに苦労するが、そのぶん手癖に陥らないので響きに新鮮さがある。

高校で教諭を勤める同級生から、「これは岩下が、自分と自分の子どものことを歌ったものだね?」と訊ねられたことがある。この散文的な歌詞から、よくそこまで読みとれるものだ、と驚いた。

生きていくために家を空けるのは男の務めだと父親はいった/そして同じことを息子はくり返す。孤独を抱いた子どもがまたひとり

そういえば先日、高校時代バンドを組んでいた仲間の通夜に出席したけれど、故人はむかし私が作ったCDをよく聞いていて、とりわけ「抱擁」が好きだった、そうだ。

後日、参列者の友人からも「『抱擁』がいいね」というメールをもらった。

配信してよかったのかもしれない。

 

13.「I believe」2001年

意表をついたカントリー&ウェスタン。

これを書いたきっかけは、護憲集会に行ったら「明日があるさ」の替え歌で「憲法があるさ」と歌われていたので、それなら新しい歌を作ったほうがいいんじゃ? との思いから。気後れして提供するにはいたらなかったけど。
日本国憲法の理念には基本的人権の尊重がある。信じるに値する理由だね。
Respect for fundamental human rights is part of the philosophy of the Japanese Constitution. That's a reason to believe.

 

14.「Cut 'N' Paste」1997年
当時の仕事先で、ぼくが一々マニュアルで入力していたら、「能率悪い、そんなのカット&ペーストすりゃいいんだ!」と苛立たしそうに言われた経験を元に歌詞を作っている。「編集能力は必要よ」も「資本主義を否定するのならお金のない国に行けばいいさ」も同様で、まわりの誰かから何気なく投げかけられた言葉を、文字通り「サンプリング」したってワケ。
だから自分の考えではなく、その当時の風潮が反映されたものだ。で、これがコメディで風刺だということを理解できない人は、一定数いたな。ぼくは世紀末の時代の雰囲気を真空パックしたんだよ。分かりやすくいうなら、IT化についていけない=情報や価値観を「アップデートできない」自分を、戯画化したものさ。

いろんな音楽の影響を見出せるだろうけど、これはもともとJTジェイムス・テイラーのこと)みたいに穏やかな歌をイメージしていたんだ。ラップまでして、逸脱してしまったけども。

 

15.「ライナスの毛布」1986年

今回編んだアンソロジーの中で最も若いころの歌なんだけど、そのころ流行っていた「青いスタスィオン」という曲を真似して作った(河合その子のファンだったわけではない)。デジタルビートにリード楽器を組み合わせた後藤次利のアレンジを参考にしたんだけど、似てもにつかぬモノになった。このことから、意識的に真似ようとすれば模倣に陥らずにすむことをぼくは学んだ。
青春期特有の自意識過剰を描いた歌詞は、ひら歌AとBが少年、サビが歳上の女性という二重構造になっている。が、巧く歌いわけできなかった。今にして思えば、サビに女性ヴォーカルを招けばよかった。

 

16.「旅に出よう」2000年

Spotifyの「関連するアーチスト」に、はっぴいえんどなどの邦楽とともにフェアポート・コンベンションが載っていた。前者は私に同名異曲「風をあつめて」があるからだと思うが、後者の理由がわからない。もちろん大好きなバンドだから嬉しい。

『Catchy 22』の中でフェアポートの影響が顕著な曲といえば、「旅に出よう」かしら。リズムが「マッティ・グローブス」っぽいし。じつはこの曲、他と比べるとインパクトに欠けるから選ぶかどうか迷った。でも、個人的にひいきしてるんで、入れた。マイナーキーなのに歌詞が明るい。ジャパニーズ・トラッドの趣きがあるよね。

 

17.「おんぼろクルマ」1992年

歌詞に致命的なミスがある。なんと「トエフスキー」と歌うべきところを「トエフスキー」と歌ってしまっている。読んでないこと丸わかり。恥ずかしいから出すのを躊躇ったけど、今さら修正はできないし、これも私の歴史だ、曲の出来は悪くないのだから、ええい出してしまえと決心した(ちなみに『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』、『未成年』は後に読んだ)。

ぼくの書いた曲の中で、いちばんテクニカルな楽曲だろう。カーツウェルK1200というシンセサイザーに「ライル・メイズ」って音色がプリセットされていて、それをまんま使っている。それでPMGっぽいアレンジになった。

あ、デュエットしているのは私のパートナーです。

 

18.「風をあつめて」1993年

おそれ多い曲名だけど、もちろん別の曲。ピアノの弾き語りにベースとコーラスを加えたシンプルな編曲のバラード。
こないだ『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』というテレビドラマを眺めていたら、この曲とほぼ同じ旋律の劇伴が流れていた。パートナーまで「これ、あなたの『風をあつめて』とそっくりじゃない?」という始末。まあそれほど月並みなメロディーではあるんだけど、そこは鰯、ちょっと捻った和音をあしらったり転調して大サビを設けたりと、いろんな工夫しているから一味ちがう。
この歌は結婚前に書いた決意表明のようなものだ。結婚を祝して、友人がインスト版を作ってくれたけど、良い出来だった。機会あればそれも紹介できればいいな。

 

19.「病院」1986年

御多分に洩れず、ぼくはプログレ少年で、大人になっても密かに聞いていた。とりわけジェネシスにはずいぶん影響を受けて、フィル・コリンズがフロントマンになってからのポップなアルバム群からはずいぶんヒントをいただいた。中でも「病院」はあちこちにトニー・バンクス的な痕跡が認められる。それは電気ピアノアルペジオや分数和音の積み重ねなんかに顕著だ。
歌声が若々しい。薄情ソングの典型だ。この歌の主人公は自分のことしか考えてない。歌の最初に断っているだろう? 「季節は春だと仮定する」と。そう、これはフィクションなんだ。実際のぼくはもう少し思いやりがあるよ。

 

20.「ワルツ・アメリカ Ⅱ」2002年

私はここ数日、ずーーっと「ワルツ・アメリカⅡ」を繰り返し聴いている。孤独の真っ只中を飴を舐めるように舌で転がしながら。(李ひとみさんからの返信)

ワルツⅠとⅡはボブ・ディランを念頭に歌いました。

ルーファス・ウェインライトの代表曲「Going to a town」と「ワルツⅡ」は歌詞に共通点がありますね。

「ワルツⅡ」のコーダは、お気づきかもしれませんが、パンタ&HALの「極楽鳥」を意識しました。

ぼくは持てる技術のすべてと情熱を、この歌に注ぎこみました。

 

21.「4000マイル」2002年

1985年に、ぼくはTEAC234という4trackカセットレコーダーを使い始めた。2002年にplayボタンが破損するまでADATなどの他の機材に浮気はしなかった。上級機種を検討しなかったわけではない。お金のあるなしよりも、新しい機材の使い方を覚えるのが面倒くさかったからだ。DAWについても(初期のカモンミュージックやパフォーマーを仕事で使うことはあっても)自作の録音では絶対に使わなかった。基本的にシーケンサー等の自動演奏が好きではなかったのだ。ぼくはテクノロジーを否定しているわけではない。便利なものは使えばいい派だから。けどさ、自分で培った技や術を使わない手はない。そのほうが確実だし、それに楽しいだろう? せっかくの楽しみをみすみすテクノロジーに渡したくはないじゃないか。そういう態度で何事にも臨んでいたし、今もそうだ。

ぼくは終わりの予感を抱きながら、この歌を録音した。長年使っていたTEAC234は既に相当ガタがきていた。playボタンが壊れたとき、「あー終わった」と呟いた。これは80年代の「ニューウェーブ」にアレンジの着想を得ている。

つまり惜別の歌だ、多重録音による音楽制作への。

 

22.「フェアリーテイル」2000年

ぼくの歌い方は、自分ではジョー・ジャクソンにいちばん近いと思っているけど、声質が似ているとよくいわれたのは浜田省吾。でも、音楽活動やめるまでは、まともに聞いたことほとんどなかった。この「フェアリーテイル」を聞くと、あー似てるかもと自分でも思うよ。
これはわが子のために書いた子守歌みたいなもので身内しか知らない。しばらく忘れていたけど最近よく思いだすようになって、このたび引っ張りだした次第。どこからともなく「入れといたほうが良くない?」って声が聞こえてきた気がする。悪くないじゃないか、と。

確か、歌詞カードを見ながら即興で録音していったはずだ。4パートぜんぶ一発録り。正味30分くらいで完成した。
では、「おやすみ、おやすみ、明日はいい日でありますように」。

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写真はアルバムカヴァー候補。八ヶ岳で撮ったこれとどちらにするかを最後まで迷った。しかし、羽田と同じ雨合羽を着ているのが可笑しいね。

 

推奨サブスクリプションYouTube(Music)

music.youtube.com

音質は少し劣るし、コマーシャルが入るから鬱陶しい。けれども無料でぜんぶ聞ける。しかも収益額の通知が早い!(2月14日〜29日までの半月で¥90も稼いだんだぜ・笑)。

二年ほど前のことだ。同僚から「それだけ楽器とか弾けるんだったら、DTMでも始められたらどうですか?」といわれたことがある。たぶんその人は親切で勧めたんだろうけど、白状すると、ぼくはそのときカチンときた。なんだか悔しくってね。
録りだめた過去音源を発表しようと思ったのは、それがきっかけだった。ま、決心してから実行するまでに二年ほどかかったけどさ。きっかけを与えてくれたその同僚には感謝しているよ。

最後にこれだけは言っておきたい。ぼくは儲けようと思って配信を始めたわけじゃない。ネット上に過去音源を並べたところで、聞く人がいるとも限らない。そんな期待は端からかけてない。ただ、自分の作った音楽をこのまま埋もれさせたくなかった。誰かの耳に届くようにと祈りつつ、配信することを決めたんだ。

3月23日にはアンソロジー第二集『鰯の告白』を配信開始しました。また、4月27日には『21世紀のプロテストソング』をリリースします

乞うご期待、それではまた。鰯 (Sardine) 2024/03/31