鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

〜ますように(歌謡)

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いまテレビつけたらヤクルトのCMで大泉洋が「・・・ますように♪」と歌ってた。最近ほんとに「ように」の歌詞多いな(ポンピィさんのツイート)

(返信)むかし「幸せであるように」って歌がありましたが、最近の国産ポップスは、"Like a 〜”よりも、“I wish 〜”の「〜ように」のほうが多いように感じますね。一青窈の「僕の我慢が(中略)続きますように」とかが代表的だけど、私はこれを「ますように歌謡」と呼んでおります。

 

以下、ますように歌謡の考察。

①ますように歌謡のルーツを、私は暫定でフライングキッズの歌だとしたが、さらにさかのぼって、合唱曲「空がこんなに青いとは」の
♪友だちの 手をはなさぬように
ではないかしらと考えた。
世情の不安を反映してか希求の歌が増えてゆく。〜ますように、を結びに置いた歌詞。悪いとは言わないが、常套句だなと思う。

②ますように、の結句には、運命には逆らえないものだという諦めが根っこに潜んでいる。そこには自ら状況を打破しようとする意思は感じられず、祈りは他力本願のようにも聞こえる。けれども強大な権力には抗えず、人は皆いずれ亡くなる定めだ。無力感にさいなまれる虚ろな心に「ますように」が響く。まるでなぐさめのように。

③もっとも、あまり深刻に考えることではないのかもしれない。「人生百年続きますように」の歌詞はCMコピーと連動しているわけだし、作詞者も歌手も、もっとカジュアルな調子で、神社で「長生きできますように」と参拝するときのように作っているのだろうから。

……朝から重くなった。すみません。

プリズムはカラフルなアルバム

えーと今から福岡史朗の昨年秋に出た今のところ最新アルバムを聴くんですけど『プリズム』。プリズムって名付けた理由わかるよね、サウンドがカラフルなんだ。さっそくタイトル曲「プリズム」のギターの音色が聞こえてきた。このアコースティックギターとピアノの共存っていうのは、簡単なようであんがい難しいもので。これも奇跡的な出会いというか、充実した音空間を作っていると思う。ほんとにいいわこの曲、十年後も絶対残っているはず。続く「加速度」。すごく寂しいが、その寂寥感っていうのは悪い意味じゃなくて。「喜びと同じ長さの影をひいて」って歌詞が示すように、これは今、嬉しいとか悲しいとか腹が立ってるとか、そうじゃない感情の揺れている、ちょうどあわいの部分をうまく表してるんじゃないかなと思いますね。にしてもすごいなぁ。余計な音が一切ないライオンメリィのピアノ。なかなか弾けないよこれは脱帽です。続いての「ざくろ」は春風が吹いてる感じだよね。スリムチャンス的なアンサンブルが、またもや視覚に訴えてくるんだけど、色彩が乱舞しているイメージがするなあ。最初の和音を聞いたらこんなメロディつくんだろうなぁってだいたい予測がつくけども、福岡氏はちょっとはずしてくるのねボール一個分くらい。とにかく全然無駄なところがないっていうのが今回の特徴です。次の「ケトル」。モノシンセサイザーテルミンみたいな不思議な音色がするけど、これはノコギリを弓で弾くミュージックソーってれっきとした楽器です(森田文哉:ノコギリってクレジットされている)。これもまた変調感にあふれたメロディーで、なおかつアグレッシヴなアレンジで、間違ってるでしょって一瞬思うんだけど、歌う側演奏する側がこれが正解なんだよって言ったら正解になるんです。な感じのメロディーだけど、どうしてこんな妙な(褒め言葉だよ念のため)旋律を思いつくんだろうね。ケトルが泣いてるまんじりとした時間に、湯気みたいにたちのぼってくるのかな。5曲め「友達」はご機嫌なナンバーです。友達だから〜をくり返すフックのメロディーはすぐに口ずさめる。これもまた福岡史朗の代表作になるだろうね。ライブハウスでこれが始まったらみんなニコニコするんじゃないかな。これぞラグタイムの真骨頂って快哉を上げたくなるライオンメリィのピアノに続いて、松平賢一と青山陽一が昨今話題の「ギターソロ」を展開する。松平賢一のギターの音色はリッチで艶やかまろやかで、青山陽一のフレーズはナックルみたいに不規則な軌道を描く。すばらしい。ぼくもいつかはこの友達の輪に加われるんだろうか。ちょっとその機会は失われてしまったような気がする。次を行こう「たがね」。小形ののみのような工具「鏨」のことかな。これも乾いた風音のようなマンドリンが印象的で、「ブラシを回すーー音」のところでガラッと風景が変わる。このフェーズが変わった・ページをめくるような場面転換がごく自然なんだ。あれ?いつの間にか戻っている。掴みどころがなさ過ぎだけども曖昧なところは特にない。シンプルで複雑な、書こうと意気ごんでも書けないもんですよこういう曲は。次は「ふたり」。Uターン禁止。サビがいいんですよ。「シーズン開始を告げるまで」のくだりが動かないようでいて実はかなり動いている時の移ろいを上手く表している。福田恭子のツクパトトンとすぐ傍で鳴ってるコンガのリズム、福岡の奥まった場所で叩くスネアの遠近感もいい。高橋健太郎のマスタリングが効いているよな。さて、お次は「ペテン師が歌う『この美しい日々』。数ある歌は同じものでバージョン違いさ」。何というニヒルな歌詞だろう。辛辣さはジョン・レノンに匹敵する。「パレードは続くとても長い列リズムに合わせ進むからさぁ聞かせておくれ。君の魔法と言葉をふりかけておくれ一緒に歌うから踊りだすかもよ」。ね、すんげえ皮肉な歌だよ、それでいて陽気なんだから。私は本邦社会への風刺を強く感じるけどそういう歌詞の読み解きは良くないのかな? さあ代表曲が3つになった。パールの海、違った「タールの海」。これはねーアコースティックギターで洒落たロックができるかどうかってチャレンジ。それを見事やってのけた感じ。て言うかこのアルバム、じつはエレキギターが一回も出てこないアコースティックアルバムなんです。次は、何かを受け取り放つその「瞬間のメロディー」。余計な装飾は一つもない簡素なアレンジ。多分こういうの誰もが思いつくんだけど実際に録音物としてここでオッケーにはできないというか、どうしてもいろいろ付け加えたくなっちゃうもんです。でも我慢してる感じじゃなくて、いや今くらいで丁度いいよっていう、抑制が効いてるってのとは違うんだよな、このこざっぱりな塩梅っていうのは誰にも真似ができない領域だと思います。で次の、「コロナド」ってどういう意味だ? 米サンディエゴのリゾート都市のことではなさそうだが。まぁ二年間におよぶコロナ禍の状況下で作られたっていうのは反映してるんだろうけど、半拍入れて強引にひっくり返して、「飢えた心が求めるのは」のセヴンスで展開するあたり、ほんとカッコいいとしか申せません。最後の「だって」のところもノリがすごいよねノリが。どんどん風景が変わっていくめくるめくな感じが。いいぞ、いいぞ転がるピアノ。とか言ってるうちにおゝもうラストナンバー「トリクモサルサ」か。自由、自由、自由とアジテーション。遊べ、遊べ、遊べのリフレイン。映画ブルース・ブラザースレイ・チャールズがモンキーとかバードとか唸ると、いつの間にか通りを満たした近隣の住民が動物の真似して踊るでしょ? あの圧巻がよみがえる感じで、これライブでラストに延々演るといいよね。きっとすげえ盛り上がるだろうな。早くライブが出来るようになるとよいね。人は人と会わないとだめだ、やっぱ友達だから。

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今回は万策つきて、CDかけながらスマフォに向かって喋った言葉を文字起こししました。そうでもしないと福岡史朗ソング最大の特徴である「はやさ」を表せないと思ったからです。いや、もう降参だよ。何十回聞いてもその魅力を文章で説明できない。

とにかく『プリズム』は現時点での最高傑作。これは聞いた人にしか分からないこと。が、この駄文を読んで、ほんのちょっとでも気になったら、ぜひともディスクを入手してほしい。内容は保証する。君は生涯つきあえる歌に出会える。

彼の音楽の風通しのよさは、自前のスタジオで録っていることが理由の一つだと思う。巷にあふれるポピュラー音楽のようにシステム化されていない。ビジネスの論理、スポンサーの思惑やタイトなスケジュールに縛られることなく、制作者自身の判断が行き届いているから、出来映えに多少のでこぼこはあっても、音楽に自由な空間が担保されている。聞いていて息苦しさを覚えないのは、世知辛い時代において、とても贅沢なことだ(ただし冒頭の「プリズム」は、素朴な手づくり感に留まらない、コマーシャルベースに乗っかっても通用する滑らかな雰囲気がある。近い将来、ニック・ドレイクの「ピンク・ムーン」みたいなスタンダードになるだろう)。

そしておそらく福岡史朗は、今夜もギンジンスタジオにこもって、新しい歌をこしらえている。鰯 (Sardine) 2022/05/08

 

 

【公式】

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ファクトチェックから言論のイニシアティヴを奪還せよ

「ファクトチェックをファクトチェックする」って「禁止することを禁止する」に似ているよね?

 でも私は、「ファクトチェックをファクトチェックする必要がある」的な意見には与しない。むしろ「ファクトチェックによって奪われた言論を奪いかえせ」と言いたい。今やファクトチェックは市民の健全で批判的な意見を収奪するための格好の口実になっていると感じているからだ。

 前エントリー『あなたもある日いきなりメディアからファクトチェックされるかもしれない』には多くの訪問があったが、

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

その後も私は、Mediumにてファクトチェック関連のツイートを編んだ記事を投稿している。今回はてなブログで、それらをさらにひとまとめにしてみた。

 

 

① ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)って何者?
以下、『きじにゃあのツイッター備忘録』by kijinyaa 2021/02/24 の記事より転載

〈日本のファクトチェックの総本山、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)について、外からざっと俯瞰してみました。 イワシ @iwashi_dokuhaku さん(鰯)とのコラボ記事です。〉

 

◇きじにゃあ(哲学猫)

 誤報検証サイト「GoHoo」の代表理事だった元産経新聞記者で、弁護士の楊井人文氏※が、いまは「ファクトチェック・イニシアティブ」(FIJ)の理事 兼 事務局長になっているようです。

fij.info

 現場からは以上です。\(^_^)

◆鰯

 はたしてFIJがファクトチェックのイニシアティヴをとるのにふさわしい機関であるか、他の第三者機関に検証されるべきですね。市民/ネット空間を、ファクトチェックの名のもとに監視するほうへ比重が傾いていないか、も含めて。

◇きじにゃあ(哲学猫)

 日本のファクトチェックの総本山ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)のようですが、FIJのヘッダー画像を貼っておきます。どうみても監視対象は「市民/ネット空間」のようですよ(註:現在は別のヘッダーに差し替えられている)。

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 元画像はコチラ。

fij.info

 FIJの理事にはリスク・コミュニケーションの専門家・山崎毅氏もいますね。こんな記事を書いている人です。原発処理水のリスクが許容範囲なら全国で分担しよう!』

blogos.com

◆鰯

 科研費・基盤研究(B)<FIJはメディアパートナーのファクトチェックの取り組みを支援するため、自然言語処理機械学習システムを用いて疑義言説(正確性に疑義のある言説・情報)を捕捉・収集し、データベース化するシステムを構築・運用してい>るそうだけど、それは誰の要求によるものか。メディア自身か、それとも?

fij.info

 毎日新聞等メディアパートナーのファクトチェックの取り組みは、ネット上の正確性に疑義のある言説・情報を捕捉・収集することに熱心で、肝心の行政府の監視が疎かになっていないだろうか。さらに、市民/ネット空間を監視し、通報する構造は、官邸や省庁との“睨み”と連携する危険性をはらんでいないか

 少なくともFIJのパートナーである既存メディア(それは毎日新聞から琉球新報、さらに産經新聞までと幅広い)にとっての不都合な言説や情報を、市民/ネット空間からの通報により拾い上げ、不正確さを判定するという、監視システムとして機能している感は否めない。

 どう? この見立て、不正確な言説かね?

「ファクトチェック」は実施者を絶対化し、見解の相違を事実の正誤に偽装し、人々の疑問や不満を圧殺する武器になりかねない。(「本件の特殊性に鑑み」さんのツイートより)

〈◇きじにゃあ(哲学猫)と◆イワシさんは、日本語圏におけるファクトチェックのほとんどを把握しているFIJ @FIJ_factcheck の動向を注視し、<ファクトチェック>の明日を見守っていきます。〉

 今回の記事はコチラから転載しました。

kijinyaa.exblog.jp

 きじにゃあさんと私イワシ鼎談みたいな体裁の記事です※。正直なところ、ファクトチェック・イニシアティヴ(FIJ)の正体は杳として掴めませんが、日本にもファクトチェックの普及活動を行う非営利団体(認定NPO法人)が存在することを、皆様にも認識していただきたいと思います。鰯 (Sardine) 2021/02/26

 

楊井人文氏※についての関連記事】

medium.com

※ この「鼎談みたいな」は<月刊誌『正論』3月号のファクトチェックのあり方をテーマにした鼎談に、楊井人文事務局長、政策シンクタンク政策工房」「情報検証研究所」代表の原英史大和大学岩田温准教授(政治哲学・政治思想)が参加し>たことを鑑みての記述である。

 

そういえばこのころに、おもしろい意見をみかけた。<日本語でカタカナ英語の「ファクトチェック」は言わないほうがいい>という。<口を大きく開けないで発音すると、F*cked Checkというびっくりするような言葉遣いになってしまう>のだとか。<「事実確認」でいいじゃん。日本語使おうよ>と、投稿主で日本語講師の “がび”さんは結んでいる。

 

 

生活保護はハードルが高いは厚労省にとっては「誤解」だそうだ。
この記事は、2月23日のツイートをもとに構成したものです。

mainichi.jp

「涙が止まらない」原告団に歓声 生活保護費減額「違法」判決【毎日】21/2/22

食費や電気代を抑えるなどしてぎりぎりの生活を続けてきた原告らは「画期的な判決だ」。新型コロナウイルスの感染拡大で公的支援が必要な人は増えており、保護基準の見直しを求める声も上がった。

 これを読んで思い返すのはBuzzFeed News籏智広太氏※による『生活保護菅義偉は簡単に言うがハードルが高い」と拡散の情報は不正確』という題で個人のツイートを<厚生労働省保護課保護係への取材や「生活保護法による保護の実施要領」などをもとにファクトチェックした>、1月29日付の記事だ(リンクは貼らない。各自で検索してみてください)。
 生活保護申請の受給について、<誤った情報が多く含まれており、全体として「不正確」になっている>という主旨と判定は一見もっともらしいが、任意に選んだツイートを標的にし、<ネット上に多く拡散されている生活保護をめぐる「誤解」が受給を阻む壁にもなっている>という厚労省の言い分に与しているように思える。

バズフィードのこの記事について知った時、「生活保護の捕捉率が20%ぐらいしかないという事実とどう整合するのか」と思いました。先日も、漫画家の方が生活保護の水際作戦にあって路上生活を余儀なくされているというツイートを見たばかりです。(「本件の特殊性に鑑み」さんからの返信)

 ファクトチェック推進団体(元産経新聞の楊井氏が事務局長のFIJ)は、ファクトチェックできるもの・していいものと、そうでないものをどう区別しているのだろう? 「生活保護はハードル高い」はファクトチェックしてもいい情報なのか?
<ネット上に多く拡散>というよりも、<一部の自治体による>生活保護申請における水際対策の実例が、それこそ数多く報告されているというのに、それを誤情報だ、事実かどうか疑わしいと不正確さをあげつらうばかりに熱心な BuzzFeedの行いは、結果、厚労省のスポークスマンと化しているとしか言いようがない。

BuzzFeed Newsは厚生労働省保護課保護係への取材や、「生活保護法による保護の実施要領」などをもとにファクトチェックした>ということなので、厚労省のPR記事になるのは当然ですねw

本当に『生活保護菅義偉は簡単に言うがハードルが高い」と拡散の情報は正確か?』を確認したければ、たとえばNPO法人POSSE↓とかにも聞きに行くべきではないでしょうか? (「きじにゃあ」さんからの返信)

news.yahoo.co.jp

 取材先が単一だと、国際ファクトチェックネットワーク(IFCN)の綱領1、<非党派性と透明性をもったファクトチェック活動>とは合致しない。さらに<偏りのあるファクトチェックは人々の理解を妨げ、メディアや専門家に対する不信を増大させることになる>そうなので、公平な取材を心がけてもらいたい。

 ともかく記事の企図が分からない。そのファクトチェックは誰得? と邪推したくもなる。これほど自治体の「水際対策」が問題視されている現状だのに、生活保護の受給を阻む壁はネット民の「誤解」が原因だとする認識のゆがみ。なぜ生活保護のハードルが高いと言われるのか、その原因こそを調査せよと思う。

生活保護申請は国民の権利。生活保護を必要とする可能性はどなたにもある。ためらわずご相談ください

自治体に対して申請権の侵害にあたる行為やその疑いのある行為は、厳に慎むよう周知し、注意喚起していきたい

 素晴らしい! が、この厚生労働省の誓い(公式見解)に嘘偽りがないかどうか、それこそBuzzFeedにファクトチェックしてもらいたい。鰯 (Sardine) 2021/02/28

【参考:過去ツイート検索“生活保護”】

twilog.org

BuzzFeed Newsの籏智広太氏には、下のような、ジャーナリズム精神とヒューマニズムにあふれた記事があるということも、併せて記しておきたい(でも、だからこそ、どうして? と首をひねってしまうのだ)。

「国は戦没者を冒涜している」沖縄で広がる抗議、その理由を知っていますか?

  

ファクトチェック、当初より、政治性を隠蔽し、中立性を偽装する言葉、つまり日本的な意味での「政治的」な言葉だったと思う。(<「ファクトチェック」という言葉の乗っ取りが起きているのを見た。>という小川一水氏のツイートを引用した、“ねずみ王様”のツイート)

 

 

③ 匿名にもリスクはあります

<匿名の安全圏から石を投げ続けるのはフェアではない>。気持ちは分かりますが、だからといって毎日新聞のような商業メディアが、匿名アカウントのツイートを無許可で記事に使用してもよい理はありません。ちなみに私は実名ですが、匿名=安全圏だとは露ほども思いません。匿名にもリスクはあります。

(毎日の記者による< >の発言を引用した上での反論)

 私は、SNSにおいて実名をさらしているが、いきがかり上でのことである。実名で出す意見が匿名のそれよりも価値があるとはみじんも思わない。むしろ、匿名だったころの思いきりが削がれ、無難な意見になっていると常日ごろ感じている。

iwashi-dokuhaku.medium.com

何か心機一転をはかりたくなった。Twitterを開いた。私は今までの「イワシ タケ イスケ」というネット上を回遊する名前に終止符を打ちたくなった。本名で行こう。実名をさらそうじゃないか。誰に遠慮がいるものか! プロフィール欄に漢字で「岩下 啓亮」と記した。ついでに生年月日を詳らかにした。これで、現実の岩下啓亮とネット上のイワシさんの同一性が明らかになる。もやもやした気持ちが少し治った。

 と意気込みを示しているが、実名に替えてはや4年、発言内容にたいした差はない。考えかたも変わらない。あたりまえだ。匿名の頃と人格が変わったわけではないのだから。

 実名になって、実生活においての不都合を感じたこともない。たぶん今の職場でも私がツイッターで現政権を批判していることは薄々知られているはずだ。が、面と向かって注意忠告されたことはない。生活上のリスクは、むしろ匿名時代のほうが多かった。

 前の記事にも書いたが、<この情報社会どうせ個人の特定は簡単可能な世の中なんだから>、匿名であるから安全だとは全く言えないのである。現に私とネット上で交流があるきじにゃあ氏なんか、ツイートがたまたまbuzzったため、毎日新聞に無許可で転載され、しかも情報が不正確であるとの烙印を押された。これぞリスクに他ならない、とんだ災難であろう(詳しくは前エントリー『あなたもある日いきなりメディアからファクトチェックされるかもしれない』をご覧ください)。
 大阪維新の会<ファクトチェッカー>が典型例だが、社会的にみて(政治家・企業などの)比較強者が(個人や市民や被害者などの、公の場での発言や行動が起こせない)比較弱者を相手どり、言論の封圧や威嚇を目的として行われる<ファクトチェック>が横行する現在は、匿名が安全圏だとは到底いえない状況である。

 確かに(愛知県知事リコールの住民投票と同じような手段の)アルバイトを雇って、国の政策を褒めそやす意見を大量に投下したり、政府の意向に沿わない意見を潰しにかかったりする、匿名アカウントを使った情報操作は、ぜったいに許されないことだ(最近も地上波で初めて放送された、総理を扱った三谷幸喜監督の映画に、大量のサクラが動員されていた。ツイート内容がほぼ同じだから、すぐに分かる)。

 が、そういった即席アカウントと一般の匿名アカウントを一緒くたにしてしまうような短絡的思考を情報の担い手である新聞記者がしてしまうのはまことに残念なことだ。署名記事が売りの毎日新聞記者氏は、<匿名の安全圏から石を投げ続けるのはフェアではない>と匿名の意見をさも怪しげに扱うけれども、それは一種の偏見、固定観念ではないか。匿名の向こう側に血の通った人間がいるということも想像できないのだろうか。

 ましてや、認証マークのついたような公式アカウントにしても、それがほんとうに本人と同一であるのか、確かめるすべはないに等しいのである。仮に誰かが代筆していても、認証は認証だろ?

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↑ このくたびれた顔した石原ノビテルみたいな鬱陶しい横髪のおっさんが、岩下啓亮本人だという確証は、どこにもないのだよ。

 結論:匿名/実名を問わず、不可避のリスクは誰にでもある。実名を名乗ることで、優越を覚えてはならない。匿名であろうと実名であろうと、一つのアカウントにはひとりの人格が宿っている。私はそのことを常に意識していたい。鰯 (Sardine) 2021/03/07

 

 

④ <ファクトチェック>はSLAPPである

大阪維新の会の<ファクトチェッカー>は、「ファクトチェック」とも呼べないデマばかりの「スラップ行為」。市民からの正当な監視の目が怖いのか。公権力がこれをやった時点で信頼は地に落ちる。

 このように、ファクトチェックがスラップだという意見がようやく現れたので、私は安堵した。

 スラップ(SLAPP)とは、社会的にみて(政治家・企業などの)比較強者が、(個人や市民や被害者などの公の場での発言や行動が起こせない)比較弱者を相手どり、言論の封圧や威嚇を目的として行われるもの(訴訟等)をいう。

 公共の利益や社会的意義にかかわる問題提起への恫喝・威圧・批判的言論威嚇の目的で行われるSLAPPStrategic Lawsuit Against Public Participation)は、「市民参加を排除するための戦略的訴訟」と訳せるが、政党や商業メディアによる強者ファクトチェックも、まさに平手打ち(slap)的な行為であるといえよう。

それが暴力だと認識されがたいけれど、言葉もスラップも恫喝に使われれば暴力だと思います。米国がアメと棍棒政策と云われたけど。今や日本はアメ無しの棍棒政策ばかりで、批判する者の排除を隠そうともしない。それに乗っかる冷笑者も加担し加害している認識が無いからね。(桃園凛さんからの返信)

「加害の意識がない」。比較強者によるファクトチェックの問題点は、まさにそこで、判定者は真偽検証を正義の行使だと錯覚しており、ためらいや反省はみじんもない。結果ファクトチェックは、SLAPPほんらいの語義である「市民参加を阻むための戦略的訴訟」と同じ効果をもたらす。そのことに自覚的であってほしいものだ。

 大阪維新の会<ファクトチェッカー>がSLAPPの色彩を帯びていることに疑問をはさむ余地はないだろうが、私からは「その他のファクトチェックにも民意の萎縮効果を狙ったものが少なくない」という別角度からの視点を(維新批判とメディアへの批判を、一緒くたにされたくない気持ちは重々承知の上で)今一度付言しておきたい。

マスコミは、自分らがやるべきファクトチェックを維新に取り上げられ、骨抜きの低俗なリンチの道具にされていることをもっと怒らなあかん(以下略)。

 上のような意見をみかけるにつけ、おおむね同意する私だが、<ファクトチェックはマスコミがやるべき仕事>だという固定観念に囚われている方があまりにも多いような気がする。大阪府・市一元化条例があっさりと可決され、都構想住民投票の否決が踏みにじられようとしている今、大阪維新の横暴に抗う方々と無用な対立はしたくないので余計な口出しは控えているつもりだが、ファクトチェックの矛先を権力側に向けず、比較弱者である市民側に向ける者は、なにも維新に限らないことを、少しだけでも顧みてほしいのだ。

個人アカウント晒しの先鞭を付けたのは、その自称国際基準を決めた団体(FIJ)のメディアパートナー(毎日新聞、アカウント名は隠しても個人ツイートを取り上げたバズフィードなど)で、一応維新に文句つけた団体事務局長で元産経新聞楊井氏も、維新による個人アカウント晒しはスルーしている。

個人アカウント晒しは、ネット空間でのキャラクターにダメージを与えるもので、これを発動させるということは、維新ほど露骨で自己都合でなくとも制裁の意味を帯びる。悪質なアカウントはともかく個人が思い思いに使っているツイッターで新聞社がそれをやることは適切なことなのか?(「本件の特殊性に鑑み」さんのツイートより)

 まさか左派リベラルの各位は、最近私が展開しているファクトチェック批判を<表現の自由戦士たちが、好き勝手にほざく権限を守るために「ポリコレ棒を振りかざすなwと叫んでいるような愚行>と同一視しているのではないよね?

 万が一そうならば、それは違う、誤解だと断っておきたい。また、その上で、

 権力勾配を無視したマスコミによる真偽検証は、デマ拡散の防止よりも、市民の発言や批判を萎縮させる効果のほうがはるかに大きいということを、口酸っぱく指摘しておきたい。

 その具体例をここに示しておく。

kijinyaa.exblog.jp

 有料化された記事のPDFファイル※をご覧になればお分かりになるだろうが、あらためて思う、<ファクトチェック>はSLAPPである、と。鰯 (Sardine) 2021/03/07

 

毎日新聞の有料記事の引用について、私は、ツイートを無断引用された当事者であるきじにゃあさんのみが画像化する権利を有するものだと考える。元記事を閲覧したい方は、ぜひリンク先の『参考資料』に行ってみてほしい。

 また、「本件の特殊性に鑑み」さんからは多くの示唆をいただいた。とくに以下のツイートには私の言いたいことが凝縮されており、痛快だった。

メディアが普通に本来の仕事をすればよいのです。だって、権力の監視がしごとなんでしょ、マスメディアは。普通に取材し、検証し、記事を書き、必要があれば批判・糾弾・告発すればよろしい。なにも、どこかの団体が作った「ファクトチェックブランド」の定型で処理する必要はない。

 Special Thanks To;

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 最後に、商業メディアによる個人アカウントへの不当な晒しあげをマンガ化して世に広くしらしめてくれた、ぼうごなつこさんに感謝を伝えたい。

 とりわけこのツイートにはおおいに励まされた。

世にあるファクトチェックの多くが中立性を偽装した、あたかも神の視点かのような態度を装っている。そのカウンターとしてのマンガなわけだから「私の考える良いファクトチェックは…」となるわけです。

  なすこさん、ありがとう。鰯