鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

アーカイヴ音源を配信するにあたっての課題

✳︎この記事は方々に書き散らしたものの拾遺集です。

岩下啓亮 Sardine

1996年、28年前のイワシ。これもジャケット写真候補。

 

あちこちに散逸している音源を探した。

熊本地震で本棚やなんかが崩壊してしまった。その後遺症で、まとめていた資料もバラバラになった。整理すりゃよかったんだろうけど、時間がとれなくて。ずいぶん探した。あのマスターはどこにあるんだろって。なにも書いていないCD-Rをぜんぶかけてみて、片っ端からパソコンにとりこんだ。

それまで音源をデータ化していなかったのかって?

していたけど。配信ストアに載せるためには、WAVかFLACのファイルにする必要があるんだ。それでまずはFLACで取りこんだ。ところがTuneCoreがWAV形式のみでしか受けつけないんだ。それで一からやり直し。万事そんな調子だよ。

それで約150曲もの楽曲から22曲を選んだ。どれにしようか、迷いに迷ったな。

 

判断材料は、まず歌詞の内容

とにかく要らない音源を省くことから始めた。楽曲のクオリティが水準に達していないもの、音質が劣化しているもの、などなど。でも、最大の判断基準は、歌詞だ。

今の時代にそぐわない内容の歌詞は出さないことに決めた。若いころの自分は、未熟で傲慢で、他者への配慮に欠けていた。それが歌詞にも表れている。アップデートされた今の自分が聞きたくないような内容の歌を、どうして公に発表できるだろう?

 ……泣くなく外した曲もあったよ。曲の出来からすると収録すべき曲が。

「立ってるだけ」とか。

でも、あれはダメだ。かりに提出したとしても、登録後の審査ではじかれるだろう。

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

 

『Catchy 22』というタイトルをつけたら、コンセプトが固まった。

まずは「名刺代わりの一枚」にしようと思った。自分が「いい」と思っている曲ではなく、過去に他の人から「いいね」と言われたことがある曲を中心に選ぼう、と。Rate Your Musicによれば、ぼくの音楽は「Contemporary Pop」に分類されるそうだ。コンテンポラリー・ポップ。まるでオリヴィア・ロドリゴやホリー・ハンバーストーンみたいじゃないか。そのカテゴリーに沿えば、おのずとキャッチーな楽曲が揃うだろう。

そこで「キャッチー」というテーマが浮かんだ。

音楽配信のコツみたいなWEB記事によると、一枚のアルバムは22曲が限度だと記してある。だったら22曲入りのアルバムにしよう。キャチーな22曲、すなわち『Catchy 22』だ。

 

年代順に並べるつもりは毛頭なかった。

今回のアルバムはアトランダムな印象を受ける。よく言えばバラエティに富んだ、悪く言うなら、とっ散らかっている。

そんな指摘を複数から受けた。年代順に並べるべきではなかったか、とも。でも、ぼくは直観にしたがった。次はこれ、この次はこれ、と、自分のフィーリングで繋いでいったんだ。「おもちゃ箱をひっくり返したような」って形容があるだろう? そんなふうにしたかったんだ。年代順に並べたらまとまるだろうけど退屈だな、とも思った。ぼくは街角でふいに誰かと出くわしたときのように、自分の歌に驚きたいんだ。

ただ、一つだけしくじった。それは22曲は多すぎたということさ。Apple Musicでは基本的に20曲までしか表示されない。2曲ぶん損した感じ。みんなも気をつけよう。

 

音楽は基本的に人の時間を奪うもの。

いよいよリリースされるという時、ぶじ配信されるんだろうか、聞いてくれる方がいるんだろうか、と心配になった。むろん自分の制作した音楽がパソコンやスマフォから流れることが楽しみではあるんだよ。
でも、過去作を発表することに不安を感じていた。誰も聞かなかったらどうしよう、「なんだつまらないな、鰯さん音楽について日ごろ偉そにコメントしてるけど、歌も曲もたいしたことないや」と思われたらツラいだろうな、と余計な想像をめぐらした。
だけど、出さないままだときっと後悔する。そう思ったから、出した。

音楽を聴いてもらうということは、聴く人に時間を割いてもらうってことだ(それをいうならSNSの投稿も同じだね)。聴いてもらえるだけでありがたい。そこは謙虚でいたい。さわりだけを聴いて、つまらないと判断されたとしても、それはしかたない。実力不足か、好みに合わなかったかのいずれかだからさ。

ただ、出すからには、一人でも多くの人の耳に届いてほしい。ひょっとしたら私の拙い歌が、誰かの気持ちを少しだけ揺り動かすかもしれないし。私の作った歌どもを聞いて、クスッと笑ったり、おやおやと呆れたり、ふむふむと頷いたり、しんみりしてしまったりと、とにかく何かしら感じてくれたならサイコーだ。そう考えると、やはりドキドキするよ。

 

収益化について

まったく気にしない。何度もいうけど、配信で稼ぐ心算はないんだ。でも、再生回数はむちゃくちゃ気になる。誰も聞いてくれないのが視覚化されるのはツラい。

で、あまり言いたくないセリフだけど、YouTubeのアカウントをお持ちの方はチャンネル登録をお願いします。それからSpotifyだったら[フォローする]を、Apple Musicだったらアーティストの右上にある赤い星マークを、クリックしていただくとありがたいです。

iTune storeでデータを購入してくれたら、なおありがたい(笑)。それが次作を配信する資金になるから。岩下啓亮 Sardineの活動を支えたい方は、ダウンロードしてください

もちろんYouTubeでもいい、まずは聞いてほしい。聞いた上で良し悪しを判断してほしい。YouTubeは収益の報告が早いからね。2月14日〜29日で¥90ぽっちだけど、金額じゃないんだ。聞いてくれた事実が嬉しい。励みになる。

 

Spotify for artist 問題について

SpotifyにしてもApple Musicにしても、最初アーティストページに写真のないのがさびしいから、アーティスト申請をして、画像を提供しようと行動した。Apple Musicは早急に対応してくれた。が、

2/27 Spotifyの表示をまともなものにするためにSpotify for artistにログインしたが、正直いってチョー面倒くさい。 本人確認のためにInstagramのアカウントを教えろというので、インスタのアカウントを急遽作ったよ。私はMeta関係がぜんぜん好きではないのに。

あと、私は収益化を図るために配信しているわけではないのだが、相手はその意思のあるかなしかを絶えず確認してくる。それもシンドい。 なんだか仕事よりも働いている感じがする

私はただ、自分の音源をインターネットの片隅に置いておきたいだけなんだ。「より多くの人たちにあなたの音楽を届けるためにはhype(宣伝の俗語)が必要です」的なことが記されているけど、私はそういう流れに加担したくないんだ。情報の網の目が張り巡らされ、それに絡めとられているようで、息苦しくなるんだよ。

とにかく、相手の要求にあまり振り回されないようにしたい。SNSで愚痴ってごめん。自分が始めたことだからディレンマはなんとか自分で解消します。

3/4 この問題、数日経っても解決しない。こちらとしては、情報は残らず記入したというのに、まだこんなメールがSpotify teamから送られてくる。

Hey,

We got your Spotify for Artists request, but we need a little more info from you. This won't take long!

なんだよ、その「ヘイ」って! なれなれしい。
プロフィール画像を変更するだけのことで何故こんなに手間をとらせる? AppleMusicは、まったく無問題でプロフィール変更できたぞ。レーベル所属の有無がそんなに大事か、Spotify

3/9 その後Spotifyチームからメールは来ない。どうやら向こうの望む情報を伝えない限り、プロフィールページは作成されないってことらしい。ならば、それでもいいや。放っとこう。私的には淡々と予定通りにアルバムを一枚ずつアップしていくだけだ。

備考;

InstagramFacebookはやっぱり怖いよ。 音楽配信のためにやむなく開設したけど、紐づけが半端ない。さっきみたら「自分の子どもの飼い犬のアカウント」がおすすめされていた。どういう仕組みなんだろう。気味が悪いんで、基本なにもアクションしない。動画とか撮らないし、リールとか観ないもんね。 あらためて私は「文字の人」だと思った。

 

「関連するアーチスト」問題

サブスクリプションのアーチストページには、聞く人の参考のために、下に似たようなタイプのアーチストが表示される。どういう仕組みなのかはわからないが、アルゴリズムが反映しているのだろう。

これもSpotifyは不可解だった。

はっひいえんどとフェアポート・コンベンションが表示されたが、すぐ消えた。数日後ふたたび表示されて、ウェブ上(パソコン)では「ファンの間で人気」と表示されていた。数日後、KIRINJI、大貫妙子ジョニ・ミッチェルが加わり、さらに数日後、ジョニの代わりに井上陽水が表示された。私との共通性、見出せるかな?

Apple Musicで、私と「同じタイプのアーチスト」として挙がっているのは以下の方々。左から順に、

・Belle Gonzalez・武部行正・YOKOO ADAM

杉山賢人・RJFox・SUBTROPICAL DADDY

・エブリシング・プレイ・なかおちさと

既知のアーチストはエブリシング・プレイだけだった(お互いさまだ。向こうはみんな、ぼくのことを知らないだろう)。ざっと聞いてみても共通項がよく分からない。
しいていえば、フォーキー?
幸いにして嫌いな音楽はひとつもなかった(とくに「なかおちさと」って方は、凄いな)。

しかし、これも数日後にメンツが入れ替わった。

音羽信・銀河鉄道・アニュウリズム

・ひがしの ひとし・friendly hearts of Japan

・Genki band・麻生レミ・friendly spoon

と、和製フォークと懐メロが増えた。

どうもApple Musicは、岩下啓亮 Sardineをどこにカテゴライズするのか、迷っているように思える。

配信してみて、だんだん分かってきたことがある。人は「⚪︎⚪︎と似ている」とよくいいたがるが、結局どれも正鵠を射ていない。つまり岩下啓亮 Sardineは、誰にも似ていないのだ。

 

『鰯の告白』の歌詞表示問題

これもSpotifyは表示されるまでにずいぶん時間がかかった。Apple Musicはリリースと同時に表示されていたのに。TuneCoreに問い合わせると「たいへん混み合っている」との説明だった。Spotifyに不信感が募るばかりだ。

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歌詞は、いち早くLinkCoreに掲載されていた。

 

「政治性」について

私は今でも自分のことを薄情な人間だと認識している。皮肉やで冷笑的だとも。それを包み隠そうと言葉を捻りだしている、そんな自意識に疾しさを覚える。私はソーシャルネットワークサービスで政治的な事柄をたびたび言及するが、じつはそれほど確信あって述べているわけではない。間違うことも多々ある。

「政治的な」ってどういう意味だろうね? 分からないよ、62年間生きてきたけど何も分からない。22年前の方がまだ分かっていた。今よりずっと情が深かった。寛容だったし親切だった。善意を行動に移せるだけの膂力があったよ。今はない。すぐにへこたれる。口先だけ。

よほどつまらないんだろうなあと思う。惹句にはふり向くが、その先にはアプローチしない。開いても「そっ閉じ」。知ってるさ、それくらい。私だってそうだもの。みんな忙しい。誰もかれも人の言葉にじっくり耳を傾ける余裕がないんだ。しかし要は、好みに合わないのさ。あるいは、水準に達してないんだ。

政治的であるかどうか、政治性を帯びているかどうかを尺度に置いてしまうと、「好みの政治的声明をしているアーチストはオッケー=そうでない連中はゴミ」になりかねない。SNSの一部で政治性の有無で値踏みする傾向があるのをみるたび、ちょっと間口狭すぎなんでは、と感じることがある。まあ、人それぞれ、なんだけど。

 

「自称ミュージシャン」問題について

ミュージシャンが「◯◯反対!!」とかSNSで啓蒙活動をしたり、外で街宣をしたりする。でも、はたしてそれで人気が出たり音が良くなったりするんですかね?

と投稿した人について「聞いてみたらたいしたことない音楽家だ」とのクスクス笑いを方々にみてね、私、そこはちょっと彼に同情したな。

自分の過去音源を配信することのおっかなさはじつにそこなんだよね。私だって「イワシさんいつも偉そーなことツイートしてるけど肝心の音楽つまんねーもんな」と言われるのが怖いもんな。だから件のミュージシャン氏についても言及するの躊躇しちゃう。たぶん私、(そして彼も)臆病なんだと思う。自信がないんだよ。

でも、私程度の音楽性でも世界中に配信できるんだから結構な時代だと思うよ。大量のデモにうんざりしている担当者から辛い批評を言われずにも済むしさ。みんなも押入れに眠っている自分の過去音源をアーカイヴして発表すればいいよ。私ができるんだもの、誰にだってできるさ! 

話を戻すと。

彼の考え方には多分に問題あるけど、年齢やら自撮りやらまでを揶揄う必要はないんじゃないか、と彼と同じ「自称ミュージシャン」の私は思っちゃいますね。

いや、実際の私はロートルの事務員なんだけど、グーグル検索すると、岩下啓亮 Sardineは「音楽家」と表示されているんだ。自称ではなく。ネット社会では、いとも簡単に「なろう」になれちゃう。

 

「自作の解説ほど退屈なものはない」問題

Xの鰯さんは政治や社会問題がもっぱらで、ポストすればそれなりに反響あるけど、音楽の話題となるとさっぱり無反応だ。ましてや配信しだしたら、そのことばかり宣伝しているように見えると思う。だから控えめに書いていた。そもそも自分の作品を解説することが、言い訳みたいで、潔くない気がしていた。

楽家と音楽評論との関係性が、最近よく話題に上っている。私はずっとツイッターで音楽の良し悪しを無責任に書いてきたけど、自分が発表する側に回ったら、他人の作品を批評する気持ちがすっかり失せた。それは保身かもしれない。自分の作品が痛烈に批判されることを用心しているからかもしれない。

批評は活発に行われるべきだし、作品に虚飾や不備不足や剽窃があれば容赦なく指摘するべきだと思う。ただ、その批評眼がナマクラで的外れな場合には、批評そのものが批判の対象になるだろう。アーチストが牙を剥くこともあるのだ。なぜならインターネット社会の建前は双方向性なのだから。

有名無名の垣根を飛び越えられるのがSNSの最もおもしろいところだと思っていたのだが、どうやら人間は、しばらく経てば自然とヒエラルキーを構築していく性質があるようだ。今のXは有名アカウントの意見を尊び、無名のそれをしりぞける風潮が形成されている。
あれっ? 私はいったい何を話そうとしてたんだっけ。

そうだ、「自作の解説ほど退屈なものはない」が長年培った価値観の一つだった、ということを書いていたんだった。
私は「音楽はそれ自体がすべてを語る」として、たとえ「自称」アーチストであろうと、いったん発表した自分の作品を過剰に説明するのはよくないことだと思いこんでいたんだ。

けれども事ここにいたって、よほどの一流以外は「自己宣伝を怠ることなかれ」がデフォルトとなっている。臆面もなく自分語りできることが今や必須となっている。誠実に、よい作品をコツコツと作るだけは、今や美徳ではなく怠慢とみなされる。自分を売りこむことができない者は、本気じゃないと判断される。自己宣伝に長けたヤツが勝利をつかむ。

そういう時代に生きている以上、私もためらっていられない。呆れられ、「そっ閉じ」されてもかまうもんか、誰かがふり向いてくれるまで、たとえ居た堪れなかろうと声をあげ続けるぞ。と、まあ、そんな気持ちをむりやり奮い立てつつ、ぼくは五月雨式に、自分(の音楽)語りに勤しむのでした。
だって私、むかしみたく歌も演奏もできないもん。ライブ活動だなんて、そんなムリムリ。おつきあいしている音楽家もほぼ皆無だし。「人と人とのつながりこそがミュージシャンである証だ」とか高らかに謳われたら、胸中穏やかでいられなくなるし。私は一人ぼっちで音楽を作り続けていたんだ。「オール・バイ・マイセルフ」だよ。

それがひとり多重録音をはじめた動機なんだ。作詞、作曲、編曲、歌唱、演奏、録音の以外にもう一つ、今後は「プロモーション」をクレジットしなくちゃな。

 

そして「アップデート」について

期せずして、今朝がた投稿した記事が「アップデート問題」を扱っていることに投稿したあとで気づいた。しかし、前世紀に書いた歌詞に横溢する「旧さ」をアップデートする手段は、具体的にない。選択肢は以下の2つ。
①時代にそぐわず、問題ありな内容を更新した新録音を出す。
②リリース自体を諦める。

①は物理的に不可能だ。もはやかつてのように歌えないし、録音機材も持っていないから。「おんぼろクルマ」の致命的なミスは、そこだけピー音で隠したいくらいなんだが。
②については記事冒頭にも書いたが、実際に「この歌詞は今だと物議をかもす可能性がある」と判断して、お蔵入りにした曲がいくつかある。

アップデートに抵抗している? しているのかもな。「Cut 'N' Paste」って、そういう曲だよね。

いや、もちろん個人としてはアップデートしてますよ。だから過去の歌詞の欠点も認識できるわけだし。人間として、年々まともになっているはず。少なくとも「アップデートが足りない」などと謗られるいわれはないね。

まぁ岩下啓亮の自作への拘泥など、SNSの住民にはどうでもいいことだ。この記事も読まれまい。分かっているんだよ。長々と失礼しました。アデュー。

鰯 (Sardine) 2024/03/31