鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

立ってるだけ(しね、考)

 

 前回のエントリ、一部で不興を買ったらしい(いや知ってますよ)。でも、今回のは、ほんとうに顰蹙を買うかもしれない。

 と、あらかじめお断りしたうえで、気持ちを奮いたたせて書いてみます。

 

 7月1日の集団的自衛権閣議決定をうけて、おおくの抗議の声があがったことは、あらためて書き記すことはないと思うが、この一連で、とくに目立ったのは、18歳前後の若い人たちから、怒りの声が湧きあがったことである。かれらかのじょらは官邸前につめかけ、「戦争はいやだ」「あべ しね」と率直な声を発した。そのストレートなメッセージは、インターネットのLINEあるいはTwitterをつうじて、おおぜいの人が目の当たりにした。ぼくは、「やあ、ついに若者が立ち上がってくれたか」と、その盛り上がりを歓迎したのだった。

 ところが、その後しばらくして、「しね、はよくない」「罵倒は感心しない」という、良識派からの苦言を、ちらほらと見るようになった。

 代表的な意見として、前衆議院議員三宅雪子さんのツイートを紹介しよう。この短い文章に、すべては集約されている。

やはり、しね、は書くのも言うのもやめましょうと言いたい。平和と命の大切さを訴えているのだから、そういう抗議に「しね」はよくないと思う。

 これにはぼくは、やや鼻白んだ(三宅さんファンだっただけに、なおさら)。なんだかつまらない、そんな気がした。しね、はよくないとする方々のおおくは、自分に近しい意見のひとだったのも残念だった。そして、そんなしかつめらしいことをのたまっているから、いつまで経っても国家権力に歯止めをかけられないんだというディレンマを抱いた。

 たしかに、しね、という表現はよくない。ただ、その公平で誠実なスタンスは、あたらしく登場してきた若者たちの怒りを塞ぎ、気勢を削ぐ役割を果たしてやいないか、という疑念を拭い去ることができない。

 そんなことでは、とぼくは案じてしまう。冷笑家の陰気なつぶやきには到底太刀打ちできないんじゃないかとすら思ってしまう。たとえば、

これを言うと誤解する人も多いかもしれないのですが、左のアジテーションを間に受け、いても立ってもいられなくなる人も、日本を外敵や内なる裏切者から防衛しなければと勇んでいる人も、どちらも円軌道に乗っていて、最終的には強い独裁的な指導者を待望するところで出会う気がしています。 モーリー・ロバートソン

  や、

また徴兵制デマが出回っているようですが、経済的・軍事的に合理性がないし、政府も公式否定しているし、仮に徴兵制導入のために18条などの憲法改正を試みても国民に拒否されることは明白でしょう。 (ryoko174)

  などの醒めた意見には、とてもじゃないが対抗できないんじゃないだろうか。

 率直に言わせてもらうと、お行儀がよすぎる。もちろん、危機を訴え、抗う声を持続するには、発作的な怒りだけではダメだ。なぜ、どうして、という疑問を、つねに自分の内に問いかけなければならないのだから、それはそれは遠くつらい道のりである。決してラクではない。

 だけど、だからといって、「おかしいぞ」と思いはじめた人たちを、「はいはい、先ずはことば使いから改めましょうね」と門前払いしていたら、それこそ「運動は広がらない」んじゃないかという懸念を抱いてしまう。

 最初は、だれだって迂闊だし、軽率なのだ。しかし、その「飛びつき」は、とても大切なんだ。そこで前向きなエネルギーを挫けさす言動を、ぼくはしたくない。

 あの小林よしのりが「転向」したきっかけだって、ささいなものだった。市民グループの(彼からすれば)身勝手な要求に、ホトホト嫌気がさしていたときに、右派の論客である西部邁の優しいことばがけに「情にほだされて」、コロッと参っちまったんじゃないか。もともと資質はあったんだろうし、また、1ミリたりとも小林よしのりを擁護するつもりはないけれどね、でも、そんなふうに、「期待していたのにガッカリしちゃった」と思わすのは、あまりにももったいないではないか。

 いや、勘違いしないでほしい。若者を甘やかせといっているのではない。ただ、失望は往々にしてシニシズムを招来する。上述したモーリー氏がよく言う、「理想を追ったロックが最後にたどり着くのは自虐だ」というシニカルな姿勢は、自分がたどってきた道を、それこそ自虐的に否定してみせた結果である。彼の、「戦争に反対しているだけじゃ戦争は止まらないよ」といった皮肉に対抗するには、もっとこう、むこうみずで、ひたむきな、顔を赤らめたくなるような率直さが必要になるんじゃないかと、ぼくは感じている。

 だから、ぼくは「あべ しね」を否定はしない。それはなにかのおりに、「もっと違った言い方、無くね?」と、やんわり修正かければすむ話だと思う。というか、しばらくすれば気づくはずだと、ぼくは思っている。しね、はちょっとまずかったかなと、反省する機会は、かならず訪れると信じている。だって、集団的自衛権のまやかしを、「ウソだ」と気づいた感性を持っているんだもの、かれらかのじょらが、より深い洞察を経て(得て)、よりよい社会を希う一員になるかどうかは、私たち先輩のふるまいにかかっていると思うから。

 なあ、あんまりしゃちほこばってると、あのかいわいに、ごっそり持っていかれるぞ。それならそれでかまわないと思っているようならば、あなたもシニカル派に数えられよう。莫迦は相手にしないというブベリーみたいになりたくないのなら、もうちょっと温かいまなざしを若者に向けようよ。排除ではなく寛容を。嫌悪ではなく理解を。PEACE, LOVE, UNDERSTANDINGの精神で、冷笑家のせせら笑いを打ち砕こうぜ!

 

(前半ここまで。後半は思い出話だから、読みたい人だけ読んでください)

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 さて、ぼくがどうして、しね、の問題にひっかかるかというと、以前こんな歌詞を書いたことが根底にあるからだ。

 ぼくは、プロのシンガーソングライターになりたいひとりだった。なりたくてなりたくて、うずうずしていた。自主制作盤を出して、都内でライブ活動をした。しかしいずれもパッとしなかった。

 そんなときにぼくは、紹介屋に出会った。自らそう称していたから、問題はないだろう。2月14日のエントリ、「川向こうでの会見」をごらんになってほしい。

 

川向こうでの会見 - 鰯の独白

 紹介屋はぼくの自主制作CDを聴いて、こんな感想を漏らした。

「歌詞が文学的すぎるよ。これじゃ一般にはウケないな」

 数ヵ月間、ぼくは紹介屋の感想にこだわっていた。そうして、もっとストレートな、彼流にいえば、「ブレークスルーした」ことばを探しあぐねていた。ぼくはそのころ警備員のアルバイトで糊口を凌いでいた。立ってるだけの毎日に、精根つき果てていた。あたまの中にある風景は、すこぶる荒廃したものだった。彩をなくした世界が、瓦礫の山のように、目の前に広がって見えた。ぼくは感情そのままを、変わらない状況への苛立ちを、ノートに書きなぐった。それは自分に刃を向けた、まさに自虐のことばだった。そして簡単な8ビートに、ディストーションのかかった粗暴なベースを絡め、声も裂けよといわんばかりに、パンクで、ラウドなうたをがなった。

 2時間でミックスダウンまでを終えた。それが、この「立ってるだけ」だった。

立ってるだけ

 

立ってるだけ 立ってるだけ

 
そこにいるヤツを見な、途方に暮れてる
連中に「いらない」と見切りつけられた
脱落者、世の中は必要としない
連中は「いらない」と突っ返してきたぜ
 
立ってるだけ そう ただ 息してるだけ
立ってるだけ なら 死ね 死ね
 
生きてゆく価値のないヤツを見つけたぜ
かっぱらいやポン引きがまだ少しまとも
クビきられ泣きを見て茫然自失か
誰か助けてくれるといいのに、と待ってるだけ
 
待ってるだけ そう 時間 食いつぶして
待ってるだけ なら 死ね 死ね
 
キミの骨なら おいらが貰った
すりつぶして 粉にして 海に撒いてやろう
 
いつまでも甘い夢みてりゃ世話ない
ケツを巻いて逃げてゆく 情けないったらありゃしない
ああだこうだ好き放題いってるヤツらが頼るのは結局たしかな数字の結果
連中は「おまえなんかいらない」と見切りをつけた
 
立ってるだけ ただ そこに立ってるだけさ
立ってるだけ 死ね 死ね 死ね
立ってるだけ ただ 立っているだけなら
いっぺんだけ 死ね 死ね 死ね
死ね 死ね 死ね 死ね
立ってるだけ 死ね 死ね 死ね
 ぼくは、いわば「あてつけ」のつもりで、この歌を紹介屋に送ったのだ。なにが「文学的」だ、なめんなよと憤って。ところが、そのデモテープを聴いた紹介屋は、すぐさま「業界の大物P」のところへ赴き、聴かせた。彼はぼくの「立ってるだけ」をおおいに気にいり、一週間もしないうちに電話をかけてきた。
「ハロー、イワシくん? 聴いたよ。笑わせてもらいました」
 それから「川向こうでの会見」を指定してきたのである。
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いつもならこんなふうに、楽譜に記しておくのだが、
「立ってるだけ」のときは、コードすら書き留めなかった。
 
 端折って話すと、3ヶ月に及んだマラソンレコーディングは、大物Pを落胆させる結果に終わった。「立ってるだけ」を凌駕する楽曲を、ぼくは提出できなかったのだ。唯一、「愛の奇跡」という重ためなバラッドのみが彼の気にいった(「愛の奇跡」については、べつの機会にまた話そう)。最後に作った曲などは、彼を憤慨させ、「こんなモンおれに聴かせやがって!」と喚いていたという。
 それでも、ぼくに払った60万円ぶんを回収せねばならない。大物Pと紹介屋は、「立ってるだけ」をリリースするべく、各所を奔走した。彼らにとって「立ってるだけ」は、そうするだけの値打ちがある楽曲だった。ただ、返ってくる返事は、きまって「No」だった。レコード会社や放送局の反応は、おしなべて冷ややかだった。
「こんなの、かけられるわけないでしょう? だって『死ね』ですよ?」
「おもしろいうたですけどね。これをシングルに切るのは難しいかと」
 彼と紹介屋は、「新人」にも幾組か声をかけた。ためしに「立ってるだけ」を歌ってみないかと。二、三組が挑戦したが、結果は散々だった。ぼくの作ったデモに、どうしても迫力が及ばないのだ。
 しかしそれ以上に、このうたは強烈に拒まれた。面と向かって、歌いたくないですと言われたことがある。また、横浜の、ストリートで歌っているデュオに聴かせたところ、かれらはこう答えたという。
「こんな歌詞、歌えるわけないじゃないですか。酔っぱらいから絡まれますよ、絶対」
 
「と、いうわけでだ」
 男は、いつもの威圧的な態度とはうって変わって、親切を絵に描いたような表情を浮かべながら、話を切りだした。
「3ヶ月に渡って制作してもらって、どうもありがとう。でも、残念ながら、きみの楽曲は、どれも水準に達していませんでした。だから、この契約は、ここでお終い。イワシさん自身が、12曲の権利を持ってる。ぼくらの側が、勝手に使うことはありません。それは約束する」
「教えてください。どこが、いけなかったのかを」
「それは自分で考えることでしょ。教えて、どうなるものでもない」
 彼は、冷たく言い放った。これ以上の時間を費やしたくないようだった。
「ただ、おれはさ、ホントまじめに『立ってるだけ』を世に送りこみたかったよ。それは信じてもらえるかな?
 あの曲には、ひらめきがあった。暴力性があって、喚起する、扇動する力があった。それだのに妙に人懐っこいポップさがあった。そのどっちが欠けても、つまらなかった。微妙な均衡のうえに成り立っている、稀有な『ヒットシングル』…」
 彼は一瞬、天を仰いでみせた。
「ただ、きみは自分でも気づいていないだろうが、日本の社会において、『死ね』ということばを他者に発するのはタブー、ご法度なんだよ。その壁はどうしようもなかったな。ま、わかってはいたことだけど。おれは一縷の望みに賭けたんだ。あれが世間に出回ったら、さぞや愉快だろうな、ってさ。
 でも、まあ、マボロシに終わっちまったがな。『幻の、ヒットシングル』」
 それから彼は、グッと身を乗りだして、小声でぼくに迫った。
「なあ、『死ね』の部分を、『言え』に替えてみてはどうかな? いや、『Yeah』でもいいんだよ。それなら、原曲の主旨を損ないやしないだろ?」
 ぼくは静かに首を振った。歌詞の変更なんか、まっぴらだった。
「そうか、そうだろうな」
 彼は鷹揚に肯き、それから、こう締めくくった。
「売れ筋の音楽を制作させるために、これ以上きみの芸術性を毀損するわけにはいかないからな。これっきりにしましょう。
 どうか、ホンモノのうたを、これからも作ってください」
 握手を求められた。ぼくは応じた。その後すぐさま、彼はパーテーションの向こう側へ消えた。いつものように、振り向きもしなかった。
 
 事務所を後にすると、目黒川の向こう岸に、紹介屋が立っていた。ぼくを案じて、待っていてくれていたようだ。
「どうだった? オヤブンからさんざん絞られたか?」
 ぼくはかぶりを振った。いたって紳士的でしたよといって。それから、一部始終を紹介屋に伝えた。
「そうか……」
 彼はうつむいて、なにかを思案していた。
「でも、まあ。あの人だけがすべてではないから。窓口なら他にもいっぱいある」
 それから、紹介屋は、いつになく真顔になった。
「ねえ、イワシくん。あそこの文句、『うぜえ』ではどうだろう? ホラ。最近の若い連中がよくいうじゃない? うざったいを略してさ、『あいつ うぜえ』とか。
 それなら放送倫理にも抵触しないと、ぼく思うんだけどなぁ」
 ぼくは紹介屋の、とっぴな提案を聞いて、思わず腹を抱えて笑ってしまった。
 そして笑いながら、心の中でつぶやいていた。
《気を遣ってくださってありがとうございます》と。
 
 それから何年か後になって、ぼくはようやく、こう思えるようになった。
《死ね、はやっぱりないよな。あれが巷に流れるわけがない……》
 死ね、ということばには、いわく言いがたい忌まわしさがまつわりついており、ジョーカーみたいなもので、そのカードを引きあててしまったら最後、道は塞がれてしまう。ぼくは自分に向けた「死ね」という呪詛に、自縄自縛になっていた。
《たとえ自分に向けた刃であっても、他人に突きつけては、ならない》
 40歳を前にして、ぼくはやっと自分の過ちに気づいたのである。