【はじめに】
私はもう古いのだなぁ、という思いに支配された十日間だった。自分のベーシックな考えが、じつは数十年前から更新されておらず、まったく今の事情を把握できていない・ぜんぜんズレているってことに気づかされたという。そのことは馴染みの書籍を再び入手したとき、あらためて思いいたった。不変なものと、陳腐化したものとの、決定的な違いを。
黒文字=Twitter(X)、青文字=引用、緑色=マストドン、紫色=註・小見出し
2023/09/09
ポール・ゾロ著の『インスピレーション』は、おおげさにいえば私の文章へのアプローチを変えてしまった、いわば人生を変えた一冊だ。とくにポール・サイモンとレナード・コーエンへのインタビューには影響を受けまくった。そこには、自分の言葉を探しあてるためのアティテュードが書かれていた。
十年前、所沢から熊本へ引越しした際に本もCDも売っぱらってしまい、その本も今は手元にない。買い戻そうかな(かなり高いけど)。
言葉は生き物だからね。むかし読んで感銘を受けたものを今に再読したら「ん、ちょっと違うな」と感じるかもしれない。大部分は要らない情報だとも思う。けれども当時つき刺さった何行かを、もう一度この目で確認してみたい……
と、Amazonで既に購入してしまったことの言い訳をしたためておく。
(本件の特殊性に鑑みさんへの返信)
昨日帰宅してテレビを点けたら、NHKBS3では(たぶん)いつもと同じように、『ザ少年倶楽部』を放送していました。一昨日の昨日だというのに。
今まで意識したこともなかったのですが、ジャニーズ所属のタレントってめちゃくちゃたくさん出演しているんですね。昨夜も、あの後MステにSnowManが出ていたし、今もサタプラに関ジャニの丸山が出ている。これから徐々に切除するのかな。でも、代わりに吉本芸人がますますのさばりそうですね。嫌だな。
(逸見龍生さんへの返信)
『福田村事件』。観ようと思っていたら、熊本の電氣館では2日前に上映が終了していました。観に行った知人2名によると満席だったそうです。
それは日本の(メディアを経由する)カルチャーがことごとく学校のようであるからだ。娯楽番組のセットは、司会者が先生でひな壇タレントが生徒。その枠組みの中で悪ふざけしたり和やかになったりする。人員配置から演出進行にいたるまで学校の授業そのものの構成だ。永遠に終わらない、変わらない風景。
ポピュラー音楽の歌詞もほとんどが学校生活を舞台に描かれている。ドラマの演出は劇伴も照明もまるで学芸会のようだ。コマーシャルはおとぎ話そのものだ。映画俳優がマンガの登場人物をなぞる。どれもにオチがあり笑いがある。休み時間や放課後の延長線上にある。友達との駄弁りと大差ない水準の表現。
マスメディアから流出する創作物の大半は子どもが観て聴いて理解できるものというふうに規定されているかのようだ。それは日本に限った話ではないと反論されるかもしれない。が、世界の文化は日本ほど稚拙ではない。十代から脱出するか、それとも留まったままかで大きく違う。成長するか、しないかで。(2022/01/23 岩下 啓亮)
テレビというメディアの限界が誰の目にもあきらかになってきている。僅かながら観る価値あるドキュメンタリーやドラマがあるにせよ、視聴者のレベルを安く見積もった制作側の意識の低劣が番組に反映している。タレント個々の魅力よりも擁する組織の論理が優先する世界で、才能(タレント)は評価の対象にならない。
申しわけないが、私は「ジャニーズ」から送り出される芸能の大半に興味が持てない。 ジュニアらの集団舞踊、グループのユニゾン歌謡、メンバー構成と役回り、話題にするまでの値打ちもないと常々思っている。もちろん二宮和也のように演技の達者な俳優も何人かはいるし、相葉雅紀の親しみやすさに好感は持ってはいるが。
ジャニーズの枠内でしか活躍できないものと枠外に出ても通用するものがいる。自信あるタレントは、あの事務所から早急に離れたほうがいい。そのほうが活路を見出せるはずだ。
・芸能界が真に実力本位の社会であるなら・キャストを選考する側に公正が担保されるなら、が前提だけども。期待薄か。
変わらなきゃいけないのはタレントではなく、既存のスターシステム。モンキービジネスの当事者が自らの非を認め、判断を外部に委ね、一人ひとりの契約を見直していくしかない。
あとは享受する側の姿勢も。やみくもに支持し愉しむばかりではなく、歌や芝居や映画をシビアに観る鑑賞眼も養っておきたい。
最初に戻る。 私は、あの歌唱を良しとしたことが日本のポップスを停滞させた一因だと思うので、山下達郎のいう「功績」がジャニー喜多川にあるとは思わない。
そうは言いながら、ジャニーズ問題にしても、汚染水問題にしても、その他何の問題にしても、「え?何が悪いの?知らない、わかんない」というのが日本の最大勢力であるという現実は否定しようもない。(中嶋哲史さんのツイート)
いや、ほんとうはうすうす気づいているはずだ。それなのに、わからないふりをする人が多すぎることに、私は絶望的になるんだ。
(桃林の桃源郷さんへの返信)
世の中ぜんぶを理解する必要はないと思います。気を煩ってくよくよしていたら、暮らしにくいのも確か。だけど、社会の不条理や政治の理不尽を「自分には関係ないこと」に回収してしまう人が、あまりにも多すぎるようです。無知愚昧なふりをせず、もう少し「わが事」として捉えてほしいなと思います。
『ミステリと言う勿れ』の特別編。登場人物の回想で、手の皮膚が剥ける症状を「体質」だと説明していたが、あれは乾癬だ。私も十年前に半年くらい苦しんだ。肉が剥きだしになるから日常生活に支障をきたし、入院もした。が、現金なもので、ドラマを観るまで乾癬にかかっていた頃のことをすっかり忘れていた。
2023/09/10
医師には「一生つきあうことになるかもしれませんよ」と言われた。が、今のところ再発のきざしはない。二、三年前にはよく足指の皮がポロポロ剥けたが、それも今は治っている。乾癬の悩みはなかなか人に伝わりにくいが、感染する皮膚病でないことは周知しておきたい。なんとなく敬遠する人もいるからね。
親しみ易さを勘違いし、山本太郎さんに何でも言ってくる人多すぎ。(ペニーレインさんのツイート)
(ペニーさんへの返信)
<メールだけでなく浜松駅前で山本太郎に「直訴」したのに、英語民間試験の問題をれいわ新選組は完全スルーした>と憤りを隠せない英語講師の方もいました。私も民間試験には反対の立場だから気持ちは分かりますが、怒りの矛先が違うのではと思いました。党によって優先順位が違うのは当たり前だから。
都立高校の英語スピーキングテストの件でしたら
明日17時から参議院議員会館で(れいわ新選組の)依田花蓮さん主催、武蔵大の大内裕和教授を講師に迎えての会があります(あたるん・じゅりさんからの返信)
情報ありがとうございます。
2023/09/11
アンディさんの秀逸なブログに記されている、カースティ・マッコールの「ニュー・イングランド」。作者はビリー・ブラッグ。歌詞は政治的状況に翻弄された若者像を描いているとも解釈できる。キュートな雰囲気と当時流行りの編曲だけど、彼女の歌の芯には父親(重鎮イワン・マッコール)譲りの英フォークの批評性が秘められていて、今も色褪せない。
先日プレイリストにも入れたトレイシー・チャップマンの「ファースト・カー」にも共通するが、現状認識と脱出願望の交錯する状態を描いた曲である。人は「ここではないどこかへ」を夢想するが、現実の前で空想は圧倒的に無力だ。しかし歌に託された彼女らの言葉は、世界を駆けめぐり、後世に語り継がれる。
1988年にリリースされた「ファースト・カー」は歳月を経てルーク・コムズ(男性)によるカヴァーが2023年7月8日付の米ビルボード・カントリー・ラジオ・チャート1位。黒人女性が単独で作曲した楽曲が首位を獲得したのは初めてのことだ。
では、あらためてトレイシーのオリジナルを。
(09/09にツイートした書籍が)
届いていました。久しぶりだね。
2023/09/12
引用。<ジャニーズの曲は(広告会社的)コンペを潜り抜けた曲ばかりなので、一応日本の職業音楽家の粋を集めた曲>なんだそうだが、「だからつまんないんだ」と私は思う。「硝子の少年」なんか典型だが、どんな作家もみずからの個性をジャニーズの鋳型にはめてしまう。コンペ形式で作られた楽曲の弊害。
歌謡曲・Jポップス全般に同じことがいえる。会議室の風景が目に浮かぶ。音楽制作のプロセスを本邦のリスナーは過度におもしろがりすぎていたように思う。「あーそのアレンジ、某氏だったら通さないかな」みたいな逸話、みんな好きでしょ? 業界の事情にも妙に寛容だし。プロデューサー仕草で語りだす。
逸話といえば、あれが好きだな。TOTOがスマスマに出演したとき、SMAPの歌唱のひどさにスティーヴ・ルカサーが激怒し、急遽トレーニングしたというエピソード。その回の「アフリカ」をたまたま観たけど、うん、ルカサーが怒るのも無理はない、と思った。
「プリプロの段階で大人の手が入っちゃうのは仕方ないよね?」と新商品開発会議に参加したような口ぶりで、初回プレス_万枚をクリアしなければならないスタッフの一員になったつもりで、聞き手が制作側の都合を内面化している。そういう不健全な構造をせっせとこしらえてきたのがジャニーズに代表される日本の音楽業界。
政財界の論理にたやすく同調してしまう心理と、音楽(以外のカルチャー全般も含む)業界の慣習に同化してしまう心理は、じつはあまり変わらないんじゃないかと思う。
実際は支配されているにもかかわらず、支配している側の思考に傾いてしまうのは、その方が心理的負担を少なく感じるからかもしれないが、
でも、それは自己欺瞞だ。
支配する側は、被支配者が支配者側に迎合する心理を、たくみに利用する。「この流れに乗らないなんて」と否応なしの参加型イヴェントを次々にくり出して。プロジェクトの一員に抜擢されたかのように大衆が錯覚するのを期待して。端的にいって詐術だが、それを十年余も、わー国の政府は率先してやっている。
私たちは「それはさ、つまりこういうことだよ」といった、わけ知り顔の世間知と訣別しなければならない。
個人的にはデジタル大臣じたい要らないポストだと思う。もちろんデジタル庁も不要だ。デジタル化を促進するどころか、下手な手をうって、日本のデジタル化を停滞させているばかりじゃないか。
堀江貴文が「こないだ」「そしたら」とカジュアルな言い回しを織り交ぜながら、「マイナンバー機能がスマホでも、」を宣伝していたが、経済産業省の使いっ走りみたいでカッコ悪かったな。
財界のいいなりの閣僚は、もはや政治家じゃなくて政商だろうよ。
内閣改造が取りざたされているが真っ先に交代すべきは河野太郎デジタル相ではないか。マイナンバー保険証を強引に推し進めるがあまり、現行の保険証を廃止しようとした政府の過ちは、ただちに是正されなくてはならない。河野が大臣でいるかぎり国民皆保険の制度が危機にさらされる。交代するべし。
続投、ですか。
マイナンバーカード交付やマイナ保険証強行で、どれだけ地方自治体は苦しめられたか。現場は疲弊しておるぞ。あの顰めっ面を見るのもイヤだって職員が全国にゴマンといるはずだ。マイナンバーカードをめぐるゴチャマゼの混乱は、河野太郎がデジタル大臣でいるかぎり際限なく続くだろう。
昨夜『球辞苑』の再放送で「バスター(フェイクバント)の語源は元巨人コーチの牧野修が米ドジャースのキャンプでバスタードを聞き間違えたから」という由来を知った。彼がどんな人だったか調べてみると、特別練習を特別訓練と言いかえて「特訓」という略語を日本に定着させたという、迷惑な逸話のある御方だった。
私が最初に入院した内科で。右隣の若い娘さんがひどい疥癬症で、顔から手からぼろぼろでね。毎朝ベット周りを自分で掃いてる程でした(9/10の拙ツイートへ、桃林の桃源郷さんからの返信)
そうそう。退院しても、デスクやハンドルの周りに剥げた皮膚がボロボロ散らばっていた。前の職場には石窯での食育体験コーナーもあったのだけど、上司から、「お客さんが不快に思うかもしれんから岩下は出なくていい」と断られて。あれはツラい経験でした。
『ミステリーという勿れ』は久しぶりに地上波のドラマを録画して観ています。原作コミックは未読ですが。整君はなかなか鋭いし会話主体の展開が面白いですね(桃林さんからの返信)
子どもから「おもしろいよ、絶対気にいる」と勧められて原作のマンガを買って読みました。菅田将暉さんの整は原作とは少しイメージ違いますが、いい雰囲気あると思います。
2023/09/13
木原稔氏が防衛相、松村祥史氏は国家公安委員長に内定【熊本日日新聞】
(安倍晋三の側近だった)木原稔衆院議員(54歳・熊本1区)は防衛相、(全国JCの会長だった)松村祥史参院議員(59歳・熊本選挙区)は国家公安委員長に内定。ともに自民党茂木派(平成研究会)の中堅で、大臣の適齢期とされる「待機組」である。
熊本から2名が入閣。地元紙熊日の記事は祝賀ムードだが……
悪い予感しかない、とくに木原稔の入閣を、近隣諸国は警戒していると思う。 木原稔は自民党青年局長時代、勉強会に百田尚樹を講演に招き、政府の防衛方針に批判的な琉球新報・沖縄タイムスに報道規制をかけるべしと主張した人物だ。
そんな危ない議員をあえて登用し、組閣するあたりが岸田文雄の定見のなさであるが、「処理水放出」というショックドクトリンの余波を利用した今回の内閣改造、国民生活のことなど歯牙にも掛けない姿勢が露骨にすぎる。
松野官房長官も高市早苗経済安全保障担当相も河野太郎デジタル相も留任し、木原誠二が去れども木原稔が入閣するとは、なんたる内閣か!
それにしても、近隣の焼肉店に「ダクトとファンを使うなら1日150万円払え」と文句をいった伊藤信太郎が環境相で入閣とは、悪い冗談としか思えない。
引用したリツイートのリンクが切れていたので、「デイリー新潮」2020年6月記事のリンクを貼っておきます。
「22時前、営業中でお客さまがいるにも関わらず、“改修工事のプランを出せ”と怒鳴り込んできた。顔が真っ赤でお酒の匂いがしていた」
伊藤信太郎議員。
ビートルズの代表作『サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド』って作品なんだけど(略)。
タイトルトラックは「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドってバンドです」「一生懸命演奏します!」「スタイルは時代遅れかもしんないけれど頑張ります!」「それでは素晴らしいシンガーを紹介します!」って歌詞なんだよね。で、「ビリー・シアーズです!!」って振られて歌い出すのが、リンゴ・スターっていう。(森哲平さんのトゥートより)
いやあ、あらためて読むと身も蓋もない歌詞だな、「サージェント・ペッパーズ」は。しかし森さんの翻訳、ポールっぽさが絶妙だねえ。
いわれてみれば確かに、「サージェント・ペッパーズ」はノベルティ・アルバムだ。ビートルズの新譜じゃなかったら、大コケしただろうな。
先日、むかし持ってて手放した本を買い直してね。ポール・ゾロ著の『インスピレーション』って本です。
著者はソングライターに曲作りの秘訣を授かろうといろんなアーティストにインタビューする。すごい顔ぶれでさ、オノ・ヨーコからブライアン・ウィルソンまで、といえばわかるだろうか。
私にとっては「人生を変えた一冊」で(だったら何で売っぱらったんだよ? それは引越し費用を捻出するためでした)、とりわけディランとポール・サイモンとレナード・コーエンの章には影響を受けまくったものだ。
で、傑作だったのがフランク・ザッパへのインタビューで、「最近よいと思った楽曲は何ですか」との質問に、ザッパは「リヴィング・イン・ザ・ボックスの『リヴィング・イン・ザ・ボックス』だ」と答えているんだけど、これは悪ふざけで、たぶんその当時に流行っていた最低最悪のヒットシングルをわざと挙げたんだと思う(少なくとも私はそう判断した。YouTube等で聞いてごらんよ)。まあ、そのあと本当に影響を受けた何曲かを打ち明けてくれるんだけどね。
や、久しぶりに読んだけど、やっぱりおもしろかったな。ちょっぴり高かったけど、手に入れた甲斐があった。(前掲写真)
フランク・ザッパは、ビートルズの曲だと「ペイパーバック・ライター」がお気に入りだと書いてあった。わかる気がする。あのスケール(音階のことね)と密集から乖離する和声構造は、他に類をみないからね。
私はビートルズのナンバーでは「ノット・ア・セカンド・タイム」が一等好きです。いや、これマジで。
kp4323w3255b5t267.hatenablog.com
まあねー。長瀬智也や大野智や渋谷すばるといった歌手と呼ぶにふさわしいメンバーがやめていくのは何故かなあとは漠然と思ってた。
(野球中継を観ながらマストドンに投稿していた)
それにしても背番号4・山野辺翔。いかにしてカメラフレームに映りこむかだけを常に意識する男。その姿勢、もっと野球に傾けてみてはどうだろう。
埼玉西武ライオンズの選手たち、表情が暗いよ。陽気になれない展開だとしても、つまんなそうにプレイしている。覇気がない。観ていてツラいよ。
ふふっ。マストドンで野球の話をすると途端にあたりが静まりかえる。
2023/09/14
【今週の新譜】
クリストファ・エッシェンバッハによる『ピアノ・レッスン・ベスト』。よく習うピアノ曲が新鮮に響く。けれんみのない演奏はまさに「お手本」。なにも聞きたくないようなときに流すのにも最適。
はてなブログに投稿しました。
SNS鰯の記録6(2023/8/28~9/08)鰯の独白
【あとがき】より引用。
ALPS処理水の海洋放出は、ショックドクトリンだった。日本社会は事実を直視しようとせず、風評被害の払拭というアナザーストーリーすなわち国民運動に没頭することにより、心の片隅に残っていた贖罪意識を麻痺させた。失点続きだった岸田政権の支持率が再び上昇に転じ(中略)国民運動の成功を如実に示している。そういった状況の下で、どうして陽気でいられるだろう。私は日本に、日本人の意識の持ちように、心底愛想を尽かしていたのだ。
私は定期的に、SNS(ツイッターやマストドン)に投稿した文章をまとめて、はてなブログに収録しています。その時々の報道にリンクを貼って、何についてコメントしたかが分かるように工夫していますが東京新聞や地方紙は記事の削除が早い。それと、政府に不都合な記事がNot Foundになりがちですね。
勘弁してくれよBS朝日。せっかく今井先発でライオンズが先制してるのに、急遽二元中継とかで甲子園球場に切り替わったままだ。私は対ホークス戦を観るためにチャンネルを合わせたんだ。いくら阪神の優勝がかかっているとはいえだ、ベルーナドームの試合の様子がまったく映らなくなるのは納得できない!
→今夜その後はパリーグTVで観た。勝ってよかったです(剛也風)。
赤木さん妻「控訴します」 森友改ざん訴訟 大阪地裁、文書開示認めず【毎日】
徳地淳裁判長は「(文書の有無を明らかにすると)捜査の内容が推知され、将来の事件捜査に支障が及ぶ恐れがある」と述べ、不開示決定は適法だと判断
何だ、この国側の主張をなぞった判決は!
2023/09/15
(ヘンリーテニスさんの「トッド・ラングレンってずっと本邦で過小評価されてる気がするんですよね」という意見にリプライ)
ん? 私は日本での人気は高いと認識しております。私、完全ソロとバンドつきソロ、それにユートピアと3回ライブを観ましたが、いずれもホール満員でした。CDのリリース数もファンの数も多いと思います。
(追記:とはいえトッドが日本で過大評価されていたのは1990年代から2000年代にかけて。つまり、ひと昔の話だから、今どきの人にはピンとこないのだろう。私の情報が古いのだ)
道端に大カマキリのメスが潰れており、腹からハリガネムシが這い出てきた。東京で生まれ育った同僚が、「なんですかコレは? 動いてるじゃないですか!」と動揺していた。見たことも聞いたこともないんだそうだ。みなさんはハリガネムシ、ご存じ?
今年も彼岸花が咲き始めました。毎年この幾何学的な模様をみては自然の造形は凄いと感嘆します。
2023/09/16
〈CW:【随兵】秋の例大祭の話〉
昨日、私の勤務先にも奉納団体が訪問し、およそ15分ほど飾り馬を歩かせ、太鼓やラッパを鳴らしていた(目的は、御寄進だ)。
私は秋の例大祭が好きではない。嫌いといっても過言ではない。熊本の地元民はいまだに「ボシタ祭」と口にする。豊臣秀吉の朝鮮征伐で加藤清正の武勲を称えた「朝鮮、没した」が由来とされている。もちろん問題となり、今はボシタと呼んではならないことになっているのだが。もうそれだけで、私はこの祭を認められない。
馬追いも嫌だ。以前は馬に酒を飲ませていた。馬は暴れる。勢子と呼ばれる男衆が、竹の棒で叩いて煽る。酷いもんだった。 今では馬を急かしたりはしないが、祭には野蛮さがどうしてもつきまとう。
私の職場は住宅街の中にあるが、昨日も勢子の一人が道端でブロック塀めがけて立ち小便をしていたという目撃者が複数いた。そういう狼藉が許されると錯覚しているあたりが、野蛮さの表れなのだ。 これは何も熊本に限ったことではあるまい。浜松でも所沢でも、祭の時期は行った先々で似たような光景を目にした。でも今は2023年だ、いい加減アップデートしないとマズいだろう。
kp4323w3255b5t267.hatenablog.com
数年前、はてなブログに書いた『随兵寒夜(ずいびょうがんや)』という短編小説風エッセイを貼っておきます。これは実話で、私の例大祭嫌いは高校時代にまでさかのぼる。参考まで。
お祭り好きの人はスルーしてください(いや、むしろお祭り好きの人が読むべきなのかもな)。
まったく。言い方ひとつで何でも問題なかったかのように装う。お上の仰せの通りに思考停止する一般人民。そのせいで詭弁を弄する政治家や資本家がのさばる。お先まっ暗、偽りの国ニッポン。
午前中フランク・シナトラを何枚か聞いていた。キャピトル時代の、ネルソン・リドルが指揮したアルバムはどれも間違いない。コステロも指摘していたが、歌と演奏の関係性、とくに間奏で歌の出入りする瞬間が絶妙だ。この軽やかさ、滑らかさは誰にも真似できない。 ところで、麻生太郎は絶対シナトラを気取っているよね?
もう今日は何にも聞く気になんなくて横になってキャピトル時代のフランク・シナトラをはしごしていてネルソン・リドルのアレンジ最高だと思いつつもどんどん時代とズレていっている気がしてすごく不安になっていた。そこへオリヴィア・ロドリゴを試しに聞いたらようやく今と接点を持てた気がした。
誰もが言えそうで共感可能な見解を、丁寧に・順を追って・過不足なく・これが定説だと言わんばかりに・熱っぽく語るのが、今どきのオピニオンリーダーの典型的スタイルなんだね。理解の底が浅いと感じてしまうのは、私が年寄りだからか。(2021/12/19 岩下啓亮)
この「常識的だがたいした内容でもないことを、くどくどと言い尽くす傾向にある」識者が誰だったか今ではすっかり忘れてしまったが、最近も俳優同士の対談で同じような場面をみた。「役柄を演じる時いかにその人になりきるか」を熱っぽい口調で、気難しい顔をつくりながら、延々と説明していた。それは誰もが知っているような、三人の男性俳優たちだった。
2023/09/17
しかし千葉ロッテマリーンズの岡大海選手はどうしてライオンズ戦になると打つのか。今日も最終回でひやひやした。同じことは東北楽天ゴールデンイーグルスの鈴木大地選手にもいえる。
しかし何で私は(埼玉県民でもないのに)埼玉西武ライオンズを応援しているんだろう、と時どき思うことがある。たぶん選手個人にじゃないんだよね。だってライオンズから離れた選手(炭谷、岸、涌井、浅村、秋山、菊池、森とか)に心情寄せたりしないもん。移籍したら他所の人、みたいな感覚があるのはどうしてか。
(瀬戸内海アマさんへの返信)
秋山翔吾はカープに行ってよかったと思います。
野球ファンの、球団への思い入れはどこから来るのでしょうね。地域性だけでは説明つかない気がします。むしろ選手のほうが、割り切って考えるのかもしれません。どこへ行っても、ゲームはゲームだからと。
2023/09/18
例えば……
よく知らないで書くけど、宝塚歌劇団を好きな方は花組やら星組やらに在籍しているタカラジェンヌをひいきにしてらっしゃるんでしょ? 団員じゃなくなった元宝塚の女優よりも、現役を応援しているんじゃないかしら。その、所属先への思い入れみたいな感情の源泉を、私は知りたいわけだ。
私は今、なるだけ考えないで、ただ思いついたことを、放りだしているところ。それはちょうど、壁に投げて返ってきたボールをキャッチしているような感じかな。
じつに独りごとだよ。
だってみんな投稿するとき、やたらと練ってきてるでしょう? 語句に間違えないかとか、首尾一貫しているかどうかとか、狙いを定めて書いてるでしょう? それが透けてみえるから、読んでてとても息ぐるしいよ。もっと思いきり投げなよ。ストライクゾーンを意識し過ぎずに。フォームを縮こませないで。
オーケストラ・オヴ・ザ・スワンの演奏で、フランク・ザッパ作曲の「ピーチズ・エン・レガリア」を。
私は、ツイッターを含めたSNSで野球やスポーツの話をするときはとても緊張するんだけどね。以前マストドンで野球好きを公言して痛い目にも遭ったし(自業自得ですが)。むちゃくちゃ気ィつかって書いてる。岸田政権許すまじ! と書いているほうがよっぽど気がラク。
ウィル・ヴィンソンsax、ネイト・ウッドb、ギラッド、ヘクセルマンgのトリオによる「アーバン・ミス」。
「あんまりかんたんに褒めるもんじゃないよ」と若いころ嗜められたことを思いだした。
「おもしろかった、楽しかったという意見が世間一般の多勢を占めるにせよ、だ。お前さんが疑問に思ったことを胸にしまっておいたんなら、そりゃ迎合だぜ」って。言われたよなあ、当時は疎ましく思ったもんだけど。
プリンス「ア・ケイス,オヴ・ユー」(ジョニ・ミッチェルのカヴァー)。
(時々パリさんへの返信)
西鉄時代への郷愁は皆無です。
私の場合、常勝西武ではなくなったころからライオンズを応援しはじめました。
所沢に住んでいた時代を懐かしむ気持ちがあるんだと思います。うちの子は今でも球場に観に行ってますし、野球談義は妻と共通の話題でもある。自分と家族を結ぶ糸みたいなものかもしれません。
(メジャーリーグについて)
大谷選手はちょっと別格ですが。アメリカの野球ファンは、日本人選手の活躍ばかりを追いかける日本のマスコミをさぞや奇異に感じているでしょうね。松井や田中将大のいない今のヤンキースに日本人記者が取材することもない。でも、日本人選手が入団したら、また記者たちが詰めかけるだろう。ヘンなの、と。
(keitakuさんへの返信)
<手牌、或いは手札という感覚に近い>
確かに思い当たります。松井監督の采配に一々けちをつけたくなるのも、その表れかも。
ただ、選手が強ければ問題なしとならないのが不思議なところで。弱さを含めて球団を応援してしまう心理がどこから来ているのか、今後ものんびりと探ってみたいです。
(数時間後) いやぁ今日も勝てそうなゲームを落としてしまいましたね。詰めの甘さが随所に出ていた。でも、明日も懲りずに中継を観ると思います。
【今週の新譜】
マディソン・ビアーの最新アルバムは、奇をてらったところがなく、歌はナチュラル、編曲はシンプルで、いくつかの曲想はオールドタイミーといってもいい。私みたいな中高年も気持ち穏やかに聞いていられるよ。いや皮肉ではなく、これはいいです。今現在の音楽。
たしかに。『ライフハウス』を聞いていると、こりゃたまらんなと思う。
たとえば「ソング・イズ・オーヴァー」のベーシック・トラック。たった4人(ピート、ジョン、キース、ニッキー・ホプキンス)でこれだけの荘厳な音響を構築していることに驚かされる。
ザ・フー凄えよ。
あまり物わかりよすぎるのも考えものだと最近よく思う。
理解のやたら早い人がいるよね。「あ、なるほど、そういうことですね」とすばやく合点し、逡巡なく実行できる。それってあたまの良い証拠だし、能力があるともいえるけど、愚鈍な私は傍目からいつも「それでいいのか?」と心配してしまう。迷いがなさすぎじゃないの、とね。
最近ツイッターを見ていても思うんだ。あまりにもそれ整理整頓しすぎじゃないか、と。そんな簡単に結論づけていいものか、不満や憤りを要領よく切りわけ、提示してみせているだけじゃないのか、と。なんだかね、公約数ばかり示されているような気がするんだよ。
申しわけないね、逡巡ばかりで。
三連休は恐ろしくなるほど何にもしなかった。横になって音楽を聞き、本を読み、テレビを観、それでも三度の飯を食い、とおよそ生産的なことは何一つしなかったから後ろめたさでいっぱいだ。お前さん怠け者のくせして何をエラソーに書いてんだ、って気持ちになるんだよ。
いま見終わったんだけど……
結局NHKは、当事者(安田純平)不在のまま、何をしたかったんだろう。このドキュメント番組のいびつさ、悪辣さは指摘しておいたほうがいい。
(翌朝マストドンにスレッドを編集)
2023/09/19
NHK『ドキュメント記者会見 ジャーナリスト安田純平氏 帰国会見』を観た。
この種の「あのとき私たちは公平なスタンスで報道しました」といわんばかりの悪辣なアリバイづくりは、歴史の改ざんまで容易につながる。
結局NHKは当事者不在のまま、何をしたかったんだろう。記者の視点? こだわり? ジャーナリストの矜持? そんなものを中心に据えたドキュメントなど、ただの「振り」、格好つけにすぎない。クールジャズ風のBGMもじつに空々しかった。
百歩譲って、質問するジャーナリスト側に焦点をあてたドキュメントだとしても、会見した本人がいるわけだから、要所に安田氏のコメントを挿めば、より多角的かつ意味のある番組になったはずである。 だが、NHKはそうしなかった。なぜか? 安田氏に語らせる意図が制作側になかったからに他ならない。
その結果、おそろしく公平性を欠いた、ほんらい取材するべき対象を一方的に断罪するようなグロテスクな見せ物になった。記者会見に臨んだジャーナリストのひとり岡安弥生氏は、「会見が吊しあげの場になってはならない」としかつめらしく回想していたが、番組じたいがセカンド吊しあげみないな構造になっているんだから、何をいわんかやである。
私がスレッド(連続ツイート)の2番目以降を即座にリツイートする理由は「自分宛に返信したツイートはタイムラインに反映されにくいようだ」からです。インプレッション数が極端に違うもんね。より多くの人の目に触れてほしい内容を書いたときは、みなさん必ずリツイート(リポストとは呼びたくない)しましょう。
『VIVANT』を最終回まで観て、思ったこと。
ニッポン礼賛が鼻について仕方がない。家族の愛より国家のためにって、おい。戦時中か?
現実にはこれだけ落ち目の日本が、他の発展途上国を助けるという発想に納得できない。
男だけのドラマで、女が出てこない。なんだか腑に落ちないことが多すぎる。(がびさんのトゥート)
前ブーストまったく同感。 私も最終回を観たが、これはマズいんじゃないの、と独りごちた。
父親ごろし。チェーホフの銃。古典的な結構の、踏襲。
でも結局、日本の美徳みたいなところにテーマをむりやり収斂させてしまうのは、もったいないなと思う。民放制作ドラマの限界かもしれないが。
いや、よその国の政情にどかどか踏みこんで、事件の証拠を潰したあげく、あとは法治国家ニッポンにお任せあれってさ、そりゃいくらなんでも、越権はなはだしいというか、デタラメすぎるだろう。
と『VIVANT』観ながらぶつぶつ文句たれていた。 フィクションだから、あまり固いこと言いたかないんだけどさ、日本政府の意向にあまりにも従順な筋立ては、やはり問題あると思うよ。
ラストで取ってつけたように、「シビリアンコントロールの効かない組織」がどうのこうの、と卑劣な政府高官(橋爪功)に語らせていたけど、それだと国家は「暴力装置」を秘密裡に飼っておかなくてはならない、という追認にしかならない。〈公安や別班のような影の組織の暗躍で日本の安寧が保たれている〉のメタメッセージ。物語の構造が、どこまでも国家に都合好くできている。
【あとがき】
反応がないのを承知で投稿し続けることを、誰が名づけたかは知らないが、「壁打ち」という。私も最近、壁打ちが多くなっている。事実、9/18の三連休の最終日では<壁に投げて返ってきたボールをキャッチしているような感じ。じつに独りごとだよ>と書いている。
レナード・コーエンは『インスピレーション』のインタビューで、傑作をものにする秘訣は「『歌の塔』にこもって、山ほどのバリエーションを書くことだ」と語っている。私の独白は他人からしてみれば、似たようなことばかり語っているようにみえるだろう。たまに新しい考えが閃いても、それが誰かの目にとまる確率は限りなく低い。となれば考えを理解してもらうための下地づくりが必要となる。でなければ永久に壁打ちのままだ。
しかし、いつかは脱却したい。あいつは外角低めを放ってりゃ空振りする、みたいなヘボ打者に甘んじるつもりはない。ホンネをいうと、もっとヒットを打ちたい。毎回三振で、すごすごベンチに下がるのは、もうまっぴらだ。鰯 (Sardine) 2023/10/01