鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

マストドン蒼象の記録12 最終回(2023/03/20~2023/03/22)

2023/03/20

何をおもしろいと思うか、おもしろさを見出せない人に説明するのは、いささか難題だ。

私は面倒くさがりだから、準備が必須のアウトドア全般が苦手だけど、だからといって、キャンプやら釣りやらするヤツの気がしれない的な決めつけはしない。自分が興味ないからといって、その趣味をつまらないと断定してしまうのは、間違っていると思う。
プロレスリングを約束事のある格闘技だと規定した人に、内藤哲也の試合運びのおもしろさを説明することは難しいし、アメ車改造のガスモンキーにトランプ支持者的な要素を発見する人に、板金塗装の過程のおもしろさを説くのは至難のわざだ。
興味がない人をいかにふり向かせるかに腐心するほど、時間がふんだんにあるわけではない。誰に求められずとも私はこれが好きなんですよと淡々とカードを切り続けるしかない。些細な差異にこだわって反目し合う同好の士とつるむのが苦手なら、なおさら。

ここでは何を喋ってもいい、ただし他人の領域を侵すことなかれ、だ。

私もときどきやらかしてしまうが、SNSにおいて、相手の認識不足や間違いを正しい方へ導こうとする際には、細心の注意をはらったほうがいい。なんで間違いを指摘するほうが気をつかわなきゃならんのといいたくなるだろうけど、教養人なら少しは想像力と理性を働かせては、どうか。

 

漢字にするかしないかは、自分のこしらえた規則(性)に従いすぎないほうがいいかも。ある程度の一貫性は必要だけども、例外を設けてないとテキストが堅ッ苦しくなる。
こないだ私は、「揶揄う」を使ってみたんだけど、どうも当て字っぽいから、あとで「からかう」に直したよ。
「〜してる」× →「 〜している」⚪︎についても同様だけど、表現に絶対はない。そこは柔軟に、都度つどで選んでいけばいいんじゃないかな。

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2023/03/21

野川公園の写真がタイムラインに流れてきた。

野川といえば、

私が古井由吉にのめり込むきっかけとなったのは『野川』だった。

一行のなかに、これだけ多様な内容を含ませられるものなのかと驚いた。

初版:2004年5月か。

そのころは「文学とお話は違うのだから」といわれて、手当たり次第に小説を濫読していた時期だ。そして私は、いまだに文学とはなにかがわからずにいる。

ともあれ、

春ならではのさまざまな花々の画が流れるタイムラインはいいものだ。

 

ついさっき「パスワード」がどうしても出てこずに往生した。パスワードの数字を思いだせないのではなく、パスワードという単語が思いだせなかったのだ。老いは着々と進行中である。おそろしい。

 

買い物の道すがらカーラジオを点ける。モーツァルトだ。誰が弾いているかは分からないが、ピアノソナタK.457だということは数秒もしないうちに分かる。私の脳内に、記憶の書棚みたいなものがあるんだろうな。

そういうのはたぶん、終生間違えないと思う。

 

2023/03/22

3/19に書いたものの、投稿を躊躇ったトゥート。

もちろん、たかが球を投げて打つ点取りゲームに莫大な資本が投下され、選ばれし数名のみが巨万の富を得ることには私だって莫迦ばかしさと憤りを覚える。
野球が、新型コロナ感染症対策の規制緩和や、国民一丸となる体制づくりに利用されている側面は絶対にあるだろう。ワールド・ベースボール・クラシックは政権の願望を広告代理店が具現化した典型例だともいえる。
けれど私は、国別対抗の結果に大衆が過熱する世相を完全に否定できないでいる。そして私は、指を骨折してまで出場する源田の活躍を我がことのように嬉しく思い、マジョリティの陶酔に加担している後ろめたさも同時に感じている。
「あんな球転がしのどこがおもしろいのかさっぱりわからん」と一蹴できたらどんなにラクだろう。こんなことで感情の迷子になっている自分は、大の大人にはなりきれていないのか。

でも、なーんだ結構みんなWBC観てるじゃん、と昨日マストドンみていて思ったね。
あと、莫大な資本が動くけれども、単純に東京オリンピックと同一視するのは違うと思う。東京五輪は開催までに多額の税金が費やされたが、WBCで公費は使われていない(一応)。

 

ある視点からみれば、大衆は娯楽に支配されているといえるだろう。「選手たちに活力をもらってる」という言いぐさが、すでに隷属の関係にあるとも。

岸信介は安保反対のデモが高まるさなかに「私は声なき声に耳を傾けたい。多くの国民は後楽園で野球を見たり、銀座をそぞろ歩いている」と発言した。

大多数のサイレントマジョリティと極小数のノイジーマイノリティ。そういった対立の構図に単純化する統治の企みに嵌っていないか、私たちは常々に自己検証する必要があると思う。
一人ひとりに価値観があり、何を重んじるかはそれぞれに違う。とくに趣味の領域における取捨選択において、他者との違いが際立つ場面が多々ある。
何を読むか、何を観るか。
何を着るか、何を食べるか。
完全に同一の他者はいない一方で、「日本人」といった大まかな括りで、似たような者どもに分類することもできる。
何をいいたいんだろうね、私は。
人類普遍の真理である生命の尊重。さまざまに放たれたことばの中に、そこをないがしろにしないという骨があるかどうかを私はみている。
だから確固たる思想や豊富な知識に基づいていても、他人を凌駕したい欲求があらわになった意見には感心しないのだと思う。

 

さあ、これはいつまでも考えていられる課題だよ。私たちはどこから生まれてどこへ去ってゆくのか。パープルレインってそういう意味だよね?

(パディ・マクアルーン “Enchanted” 意訳)

open.spotify.com

 

(ここからは回想です)

しかし、マストドンで私がフォローしているアカウントの大半はWBCそのものに否定的だった。例えばこういった意見ばかりが多勢を占めているようにもみえた。

野球が好きとか嫌いとか関係ないんだ。一切合切が現実逃避の、面倒なことから目を逸らすための言い訳でしかなく、吐き気を催すようなグロテスクな空気が「一緒に」流れ込んでくるのに耐えられない(中略)この社会は腐ってる。と、ちゃんと理解している人たちと過ごす時間の心地よさに比べれば、嘘だらけのキラキラなんて邪魔なだけ。根こそぎ消えて欲しい。 @mojimoji@mstdn.jp

また、ここには引用しないが、信頼している方がたによる痛烈なWBC批判にも心を削がれた。「電通の宣伝によるスポーツイベント」を否定するのは分かるが、それ以前に「おっさんのための娯楽」と決めつける、野球蔑視の感情があらわれているようにもみえた。私には、ちゃんと理解している人たちと過ごす時間が、心地よいと思えなくなってきていた。

 

マストドンの居心地は悪くなかった。

例えば、数日前話題になっていた「生きる意味」について、

死ぬのがこわいので生きています。(中略)少なくとも「こうして考えている自分」がいずれ必ずいなくなることは何歳になってもとてつもなくこわい @Erscheinung47@erscheinung47.com

と、私自身が常づね感じている死の恐怖を、簡潔かつ的確に表現なされている@Erscheinung47 氏や、

リベラリズムというのは「そのどれかが正解とか決められないし決めちゃダメなんで共存しましょう」という発想なわけでしょ。多様性を認めている一方で、なぜ自分の価値観だけが認められるべきだと思うのか @moriteppei@mastodon.social

と、「リベラル」の画一的で、紋切りで、西欧ロゴス二項対立式の発言に注意をうながす森哲平氏のような、鋭い論客たちの意見を読むのが私は大好きだった。

しかし、もう潮時だなと思った。WBCを否定する意見が大半なのでイワシさんブーたれたのだな、と誤解されてもかまわない、ここから去ろう、アカウントを始末しようと決めた。

根こそぎ消えて欲しい。らしいんでアカウント消します。失礼

と、当てつけがましいトゥート(コピーしていないので正確な記述ではないが)を書きつけた数分後にサインアウトしたのである。

マストドン、とくに蒼象ことtoot.blueにとって、私は扱いにくい、鬼っ子みたいなアカウントだっただろう。サーバー管理者のHyoYoshikawaさんには迷惑をおかけしたと心苦しく思っている。ただ、私は蒼象のローカルタイムラインを含めた、マストドンの熱心な読者だった。それだけは信じてもらいたい。

ふり返ってみれば、私の人生そのものが打楽器奏者みたいなもので、集団の端っこでときたま賑やかしに加わるというスタンスだったな、と思う。(2023/01/09のトゥートより)

【付録】

昨日、私はマストドンをやめました。ほとんど衝動的にサインアウトしたのです。直前までやめるつもりは全くなかった。いつものようにトゥート(ツイート)しようとしました。けれども、いくつかの投稿(それはWBCについての否定的な意見です)を目にした途端、あーもうだめだー、私はこれ以上ここに居られないと思い詰めてしまいました。誰かが自分を非難しているわけではないのに、選手の活躍に胸を躍らせていることを指弾されているかのように感じて。
私は平常心を失い、急いで二つのアカウントを消したのです。朝したためたWBCについての雑感もろごと、証拠隠滅するかのように。

私はマストドンに愛着があったし、長く続けるつもりでしたから、自分の意思で育てたアカウント(昨日の時点で294のフォロワーがいた)を削除するのは、かなり辛い作業でした。まるで身を切るような感覚でした。そして、記した文字や画像が消えていくさまを見て、深い喪失感におそわれました。

さっき外から「蒼象」のローカルタイムラインやなじみのあるアカウントのホームを覗いてみました。誰か私の不在についてコメントしていないかと期待して。しかし誰も取りざたしてはいなかった。私は何を思いあがっていたのでしょう。自分の不在が他者に影響を与えるとでも思っていたのか。
私は亡霊みたいに、みんなの活発な発言を眺めていました。マストドンに集う人たちの、理知的で相手を貶めない高説を拝見しながら、あゝオレはここにはそぐわない俗なパーソンだった、善良な人々が集う場に居なくて正解だったと自分自身に言い聞かせていました。実際そこに悪者は一人もいなかったのです。

悪人がいない。無闇に“敵”を作らない。異論があればやんわりとエアリプで返す。引用で晒しものにしない。マストドン特有のローカルルールには、しかし陥穽がありました。無言の承認と暗黙の排除で柔らかに統治されている。そういった負の印象に苛まれた私は、まるで出口のない村のように感じてしまったのです。

再三いいますが、私はマストドンが好きだった。そこで出会ったアカウントの何人かからたくさんを学ぶことができた。だからアカウントを削除したときの無念さは半端じゃなかった。切断した直後に山ほど後悔したし、また戻らなくちゃとログインを再試行もした。が、しかし門戸はすでに閉ざされていたのです。

さぁこの長いスレッド、ツイッターに流していいものか、どうか。マストドンに居た間にすっかり文章が冗長になった。後ろ足で砂をかけるようにツイッターから背を向けた私に、復帰する資格ははたしてあるのか。

今ホームを開いたら画面に色とりどりの風船が上がりました。今日は私の61回目の誕生日でした。

今後ふたたび、ツイッターを発信の主軸にするかどうかは、まだ未定ではありますが……
このみじめな、社会的な意義のかけらもない連続ツイートを投稿することで、自分の誕生日を記憶しておこうと思います。(鰯 2023/03/23 Twitterに投稿)

 

ツイッターについては再三書いているように、今のイーロン・マスク体制になってからは不信感しかないので、いつでも逃げる準備はできている。つまり書いた端からはてなブログにコピーしておく。マストドンのアカウントを即座に削除できたのは、ここにテキストを保管していたからだ。

……私は自分の書いたテキストに執着しすぎだろうか?

鰯 (Sardine) 2023/03/24