鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

マストドン蒼象の記録3(2023/01/01~2023/01/07)

2023/01/01

おはようございます。来てくれて嬉しいです。これからもよろしく。

とっくに誰か指摘しているだろうけど、(紅白歌合戦で)桑田佳祐が最初に即興ふうに歌ったブルースは、小林由里子「朝起きたら… 」のもじりだった。

 

相手に伝わることばを使わないと、いつまでも理解できない。為政者はペテン師よろしく美辞麗句でケムに巻こうとする。その欺瞞いいや嘘くささをわかりやすく説明していかなくちゃならん。文言を単純化すればいいって話じゃない。肝心な部分は正確に記さなきゃならん。そこが難しいところだ。

たとえばニュース記事を読む。いったんコピー&ペーストしてみる。要点を抜き出してみる。あるいは分解してみる。すると記者がほんとうに伝えたいことがどこに記されているか、あるいは購読者を誘導したい目論みがどこかに隠されていないかがおぼろげに浮かび上がってくる。その選り抜きを並べ、自分なりに再構成していく。迂遠なプロセスかもしれないが、それだけでもずいぶん違う。もちろん、人のトゥートをブーストしたあとでもかまわない。大切なのは、問題点は何かを自分でさぐり当てることだ。

……とかなんとか、わかりきったことを正月から書き連ねてるわけは、さびしさを紛らわすためだ。お雑煮を食べたと思ったら、娘ふうふはムコ殿の実家(関西)へ発った。もう少しいればいいのに。慌ただしい元日。

 

(格付け選手権を観ていて)

見砂さんところ(キューバンボーイズ)のほうがねちっこいんだよね。比して明大はソリッドすぎてサルサになっちゃってる。だから正解は当然、A。

 

(故・米澤嘉博の名前がタイムラインに表れたので)

代沢の米澤さんの住処に二ヶ月ほど居候した。二十歳前のころだ。漫画のどこを読めばよいか、音楽のどこを聞けばよいかを若造にもわかるよう丁寧に教えてくれた。先日、私には師と呼べる人がいないとトゥートしたが、もし許してもらえるのなら、米澤さんを師と仰ぎたい。

 

昨年末のばつの悪さもあって、しばらく古巣に寄ってみたが、ツイッター内での諍いがあまりにも壮絶で、見るに耐えられなかった。対立する発言者を批判するときに、言動の内容をただすのはいいが、相手の属性や党派性をからめるのは禁じ手だ。相手を叩きのめすことに夢中で、自分がどんなふうに見られているのかが分からないようなら、守りたい対象を救えるどころか、足を引っ張るだけに終わる。しかも彼らは、諍いの渦中にあることが当事者であることと錯覚しているから始末に負えない。ことばは好まないが「そっ閉じ」するしかないと思った。ツイッターはもう私の居場所ではない、あきらめろと自分に言い聞かせた。

 

(80年代の電子鍵盤楽器の話題)

JUPITER-8、なつかしいですね。私は東京電機大の斜向かいにある楽器店で働いていたので、JUPITER-8がどんなにすぐれたシンセサイザーか、よく覚えています。やはりミニムーグとかプロフィット5とか音の存在感が違いました。私は当時、ボリ6とプロ600とJUNO106を使っていました。お金なかったのに、なんであんなに揃えたんだろうと今になって思います。

 

ずっとすねてたくせに、今ごろになって家中を嗅ぎ回るチャイ。「あの黒くて毛の長い、なれなれしく近寄ってきて、すばしっこく動くやつはどこへ行った? においがするけど姿はみえない。せっかく顔をみてやろうと2階から下りてきたってのに…」

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ピアニストの反田恭平と小林愛実が結婚ですか。新春からおめでたい。余談だが、将来ダンナさんは指揮者の活動がもっぱらになると思う。

 

2023/01/02

2024年の自身の自民党総裁任期までに憲法改正を実現する意欲を改めて示した岸田文雄
憲法は実質上有名無実化しているとみる向きも多いようだが、私はやはり憲法全体主義を食いとめる最後の歯止めになっていると考える。軍拡を促進し、国民に一定の制限を加えたい現政権にとって、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認、個人の尊重、生存権の保障をうたい、権力のやりたい放題を許さない日本国憲法が邪魔でじゃまでしょうがないのだ。だから自民党改憲を党是とし、今の憲法は押しつけられたものだから自主憲法が必要、というファンタジーを飽きもせず唱え続ける。為政者にとっての「自由」を謳歌するために。

www.nikkei.com

憲法へのattitude、とりわけ野党が憲法をないがしろにしていないかどうかは、常に私の着目するところである。

政治部記者は「首相がほんとうに伝えたいこと」を敏感に察知し、『改憲の決意あらたに』をオブラートに包んだ提灯記事を書きあげる。今年の大河ドラマに合わせてのことだろうが、正月から斟酌とはご苦労なこっで。

 

確かにSNSにおけるデマ拡散は問題であるけれども、情報発信する側のオンラインメディアが真偽検証することの危うさも同時に考慮されなければならないと思う。その判定基準ははたして妥当なのか、そこに他の(たとえば厚労省の)意図が反映されていないか、既存メディアの報道をチェックしないのはなぜか等の疑問を私は払拭することができない。

念のため補足。私は反ワクチンではない。

つまり、<誤情報などの「疑義言説」>などという造語を駆使して、デマ拡散の駆逐掃討に余念がないBuzzFeedを、私はまるで日本政府の広報機関のようだと感じてしまう。が、この感想も「怪しげな言説」に含まれるのだろうか。

www.buzzfeed.com

(前述 BuzzFeed記事について)

いや、じつは私、「6万人以上のフォロワーを持つ女性インフルエンサー」なるものを存じあげませんで、はたちこうた氏が採りあげるまで見たことなかったですよ。マスク就任以降の話かしら。

マスク就任以前ですね、との返信に)

あーこのアカウント怪しいな、と思ったら即ミュートかブロックしていましたから気づかなかったんでしょうね。

いかん。とてもシニカルになっている。このへんできりあげないと。

 

箱根駅伝二区のデッドヒートを観ながら)

あれ、走ってる側から大八木カントクが怒鳴りちらすのがよくないんじゃない? なんだか駒澤がめげて、逆に中大が発奮したようにも見えたけど。

 

(<ユーリ氏の論考素晴らしいな。日本国内にロシア擁護派や両成敗的な論調ってそんなに一定数がいるのだろか?特にリベラル内に、とは正直思ったりもするのだけれど。>との意見に返信)

率直に申し上げますと、私はかなり「両成敗的な」見方をしていますね。私はいちおうリベラル左派に数えられていますが、私のようなリベラルは少なくないと思います。もちろん非は圧倒的にプーチンのロシア側にあり、ロシアの流布するデマなど噴飯ものだと思っていますが、ゼ氏がホワイトハウスに赴きバイデンが承認を与える目下の情勢を懸念しています。このことについて、ツイッターではロシアの肩を持つ鰯と評価されましたので言及するのは控えております。

小泉悠氏については、積極財政についての見解はかなり自分と近しいと思う反面、それが社会保障や福祉よりも国防に資する方向に展開するので、鵜呑みにしないよう気をつけています。

www.huffingtonpost.jp

 

私の地方じゃね、自民党以外に投票していますなんて、うかつに公言できませんからね。それとなく匂わしてはいるけども。
たとえばさ、自民党の熱心な支持者に(私と書士の先生が)教員免許の更新制は第一次安倍内閣で決定したことですと説明しても、決して認めようとはしないのね。実施したのは民主党政権時だっていいはるわけ。自民に都合の悪いことはことごとく民主政権のせいだと教育されているから。その凝り固まった思考を解除するなんてムリだ、できないよ。
まわりの人びとはほとんど自民党に投票しているよ。埼玉から熊本へ帰郷したとき、野党は論外の風潮を嫌というほど思い知った。あんた昨日の__センセの後援会に来んだったね(なぜ来なかったんだ?)と当然のように訊いてくるんだからさ。自民党員の情報網はすごいぜ。電話はもちろん選挙中ともなれば檄文や街宣スケジュールがFAX(笑)で毎日何度も送られてくる。そんな土壌から、タクシー運転手に暴言をつく井手県議みたいなのが当選するんだ。
それでもさ。その四面楚歌の構造に絶望したらお終いなんだよ。ちょっとおかしいと思わないか今の政治は、と一人ひとりに語りかけ、理解者を増やしていくしかないんだ、リアルにね。

それでも自民に入れる人のことを、もう少し合理的に解釈できないのかなと。そりゃ「もうそんなやつバカ!」って言うの簡単だけど、それで選挙で勝ってる? 周囲の人に伝わってる? 心の底でこいつ俺のことバカにしてるなってモロ出まくってる人の言うこと聞けないよな、人間、普通は。頭悪いとまでは言わなくても心弱いとかさ。そういう人を見下すマインドを見透かされてんじゃないのかなって。(森哲平さんのトゥート)

莫迦にされてんのはこっちだよ。手を伸ばせば有利なルートがいくつもあるのに、それを利用しないなんてもったいないとね。

それでもね、どっかに接点はないかを探ってんだよ。合理性があるから彼・彼女らが自民に投票し続けているのも知ってる。べつに相手をみくびってはいない。そうとう揶揄われるけれどもね、ネットでずいぶん威勢のいいこと書いてますな、とかなんとか色々。

そうやってせせら笑われても、あるいは内心でしゃあないなこのオヤジどもはと呆れつつも、ちょっとずつ探りを入れながら、こっちのいうことを理解してもらうしかないんだな。

 

(<BuzzFeedが"命に関わる"などとしてコロナに関するデマ情報に眉を顰めて見せるのも少々滑稽だとは思っている。>という意見への反応)

前ブースト。私が書くのを躊躇っていたことがぜんぶ書かれている。SALAさんありがとう。

(身に余る返信をいただく)

恐縮です。
BuzzFeed周辺とファクトチェックイニシアティブ→日本ファクトチェックセンターの動向は、常に着目しています。理由は、過去こんなことがあったからです。よろしければ下掲記事をご一読ください。


① あなたもある日いきなりメディアからファクトチェックされるかもしれない(2021年2月8日 投稿)

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

② ファクトチェックから言論のイニシアティヴを奪還せよ(2021年3月10日 投稿)

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

 

(<Spotifyにはほとんど登録されていないJoni Mitchellのスタジオ盤を聴こうとして Aamazon Prime Musicを久々に聴いてみたら、Spotifyとは比べ物にならないレベルの高音質だった。>という意見に)

ニール・ヤングは昨年、<ワクチン接種に関する誤情報を拡散する全米一人気のポッドキャスト(とそれを放置するSpotify)に抗議し、全曲削除>しました。ジョニ・ミッチェルもそれに同調、他にもニルス・ロフグレンやクロスビー・スティルス・ナッシュが全曲削除しました。現在、CSNの三人はSpotifyに再び作品を上げていますが、ニールやジョニのオリジナル作品は今も聞けません。
ちなみに、私はあまり音質にこだわらないたちですが、確かにSpotify音悪いなあと思います。
(リンクは昨年2月の記事)

Spotifyは、たとえばイエスの「シベリアン・カートゥル」なんかイントロが切れたまんまだとか、発表年度があてにならないとか、全体にぞんざいだと思います。
ジョニがディランをどう批判したのかは興味あるところです。彼女、辛らつですからね。

ところで。

MastodonTwitterとの関係で)いつも思いだすのは、クロスビー・スティルス&ナッシュが「Wooden Ships」を発表したときに、それを聞いたジャクソン・ブラウンが「残され人はどうなるんだろう?」という思いから「For Everyman」を書いたという話だ(ジャクソン本人がインタビューで証言している)。私は、どちらの歌詞が示唆するところも重要だと思っている。

 

2023/01/03

アワ・フェイバリット・ショップもだけど初期のスタイル・カウンシルは複数の曲順違いがあったように覚えている。ちなみに私のfavorite albumは『コンフェッション・オブ・ア・ポップ・グループ』。

 

旧友からの年賀状に、「年末に県劇で観たシュターツカペレ・ベルリンがすばらしすぎてまだ夢心地」と書かれていた。ティーレマンが指揮するブラームスの第3,4番か。悪いはずがない。観たかったなあ。

 

社会の教室化は気になっているところで。テレビのバラエティ番組でよくみかける司会者=ベテラン芸人とひな壇芸人の関係性なんて、ほとんどが教室の縮図だもんな。

隔離された世界に居らざるをえない、が基本設定になっている話が増えたね。まんがですぐに思いつくのは進撃の巨人とか約束のネバーランドとか。他にもごまんとあるだろうけど、全体に、物語の構造が「学校的」に類型化しているとは感じるな。

あるいはそれは今の日本の社会の反映なのかもしれない。

大塚英志が、海自艦のフォーメーションを写した画像を引き合いに<昨今の「ナショナリズム」の基調に「ヤンキー」と「ジャンプ」が文化として確実にあることが改めてわかる(後略)>とツイートしていたな。うん、それは私も常日ごろ感じていた。

 

【どっちもどっち論の陥穽①】

「どっちもどっち(論)」を最初に知ったのはいつ頃だろう? 私の場合ツイッターだったけども、「どっちもどっちの曖昧な態度はNG、どちらにつくのか立場をはっきりさせるべし」の風潮が短期間で醸成されていった。
実際には「どっちもどっち」としかいいようがなくでも、指摘するのを躊躇っているうちに、二項対立のゲームに巻きこまれるはめになる。あるいは「どっちもどっちと傍観している者に口を挟む資格はない」と叱られる。よくよく考えてみれば、どっちもどっち=傍観ではないんだけど、そういわれると、なんだか野次馬みたいな気持ちになるもんね。〈自分は当事者意識に欠けているから黙っていよう〉と言及を自粛してしまうんだ。
そりゃあ問題の渦中にある人に向かって西村博之よろしく「それ、どっちもどっちですよね?」と嘲笑したら激怒するよ。当然だ。そこはSNSのみならず、現実の世界でも同じなんだけど。
いちばん困るのは、当事者でもないくせに「あなたの言説はどっちもどっち論になってますよ」と、頼みもしないのに指摘しにくる外野だ。気に食わない意見の腰を折るためにする「どっちもどっち」が、いちばん厄介だよね。

 

ちょー久しぶりに飲みにきた。楽しい。

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マスターにシュギー・オーティスのことを質問したが、あまり詳しくないんだとの返事。代わりに父ジョニーのレコードをかけてくれた。「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」が入ってるやつを。

 

マストドンには相手からフォローされている状態をアンフォローできるのかな。それともツイッターみたく、いったんブロックしたのちブロック解除して相互フォローを解消するのかな。わからないが、ま、しゃあないな。自分がするよか、されたほうがまだましだ。

 

明日から仕事始めだ。ンなこと一々気にしてたら身が持たないぞ、鰯。さっきと寝るべし。

今夜はリズム&ブルースにどっぷり浸っていたのに、いざ眠る段になって私の脳裏を過る旋律は、沢田研二の「LOVE 抱きしめたい」だったりする。

♪ 街にみぞれが 人に涙が 暗くさびしく 凍らせる さよなら さよなら……

 

2023/01/04

@fedibirdという著名なサーバーの管理者のえるさんから、ブロックは不要ですとの返信をいただき)

ご教示ありがとうございます。
そうですか、マストドンの利点ですね。

 

マストドンには相手からフォローされている状態をアンフォローできるのかな。それともツイッターみたく、いったんブロックしたのちブロック解除して相互フォローを解消するのかな。

かかる私の疑問に、のえるさんから、

フォロー・フォロワーという管理画面があるので、そこでフォローされている状態を解除できます。ブロックは不要です。

というご教示をいただき、恐縮している。
なるほど、相手からのフォロー状態を解除できる機能があるのか。それはマストドンならではの利点だな、と感心した次第。

(mstdn.jpの鰯からの返信)

試してみた。mstdn.jpから確認してみると確かに相手からフォローされている状態を解除できるんだね。それはツイッターにはない、地味だが画期的な機能だと思う。
しかしtoot.blueのオレ、再び .jpのオレをフォローしてくれよ。

(mstdn.jpの鰯への返信)

違うよ.jp。キミがもう一度、私をフォローすればいいだけの話だよ。

……って出勤初日の朝だというのに、ひとり遊びしている。

ツイッターではブロックすれば相手からのフォローが解除できるとの反応に)

私はその手法が好きではないのでね、自分では行いませんでした。一旦ブロックしなくてもいいのはマストドンの利点ですね。

ツイッターでもブラウザからだと解除できますとの反応に)

そうでしたか。私はSNSではブラウザを使わないので、詳しく知りませんでした。相手からのフォローをこちらから解除できるとなると便利ですね。とはいえ、フォローされるのも迷惑か、というふうに受けとられる可能性もあるので、自分はその選択をしませんが。

 

ついでに今知ったことを記しておく。私はtoot!というアプリを使っているが、AUDITという表示をタップすれば、edit history、すなわち編集の過程が他所からも見られるようになってるんだね。んーマストドンは奥が深いや。

Toot!は僕も愛用しています、との反応に)

そうですね。toot! にしてから、トゥートするのがかなりラクになりました。

 

【どっちもどっち論の陥穽②】

あと、Whataboutismってのもあるよね。言動が批判されたときに、“What about?”「そっちこそどうなんだ」といって疑問に答えず、話題をそらす論法。
詭弁を弄する人がよく使う手なので、「これってホワットアバウティズムだろ?」と不特定多数に同意を求めるときには、ある程度の効果がある。けれども、便法にはとうぜん副作用もあって、自分が「オマエそんなこといってるけど実際どうよ」というべきときに、〈ん、本題から逸れていないか、これはWhataboutismではないのか?〉と自主規制を促す働きもある。事象をあらわすことばによって自縄自縛に陥り、「どっちもどっち」と同様、ことばがことばを萎縮させてしまうんだ。
名状しがたい事柄を、これは___だ、と一言で形容できると、なんだか自分が急に賢くなったような気になる。でも、それは錯覚だ。「典型的なそっちこそどうなんだ主義だね」ともっともらしく分類して事足れりとするが、じつは何もわかっちゃいないという愚昧。「大層ご立派なことおっしゃってますけど、そっちの方はどうなのよ」と遠慮なく指摘することも、時には必要だと思うよ、私は。

 

ザ・ザ! この頃はむちゃくちゃ強力なメンツだったな。みんな凄腕だけど、とくにジュリアン・コープのバンドにいたベースのやつ(ジェームズ・エラー)が。

www.youtube.com

 

立憲民主党泉代表が乃木神社に参拝した、との報道に、マストドンまでもが沸騰している様子をみて)なんだ? いとも簡単に堤防決壊か。私のガマンはなんだったんだ。まぁ落ち着きなされ、皆の衆。

 

2023/01/05

年12/9に、私は<マスクの統治下にある今、Twitterはとても危険な状況にある。経営戦略上、彼が国家権力と手を結ぶことは容易にありうると思う>と懸念した。
今年1/4に、Twitterは公式アカウントで<本日、私たちはアメリカにおける『理念に基づく広告』のポリシーを緩和します。また、今後数週間以内に掲載を許可する政治的広告の範囲を拡大する予定です」と述べ、政治的広告の掲載を許可する姿勢を明確にし(gigazineより)>た。
アメリカの動きにツイッター日本は早晩追従するだろう。政府広報ツイートがタイムラインの冒頭に表示される日はすぐだ。否応なしに政府のスローガンにさらされる毎日。それはまるで、オーウェル1984』のテレスクリーンそのものだ。

「そんなのYouTubeがとっくに実施している」と反論するのも可能だ。その通り、ああなるのだ。無料で利用するかぎり。自民党の宣伝広告を見たくなかったら有料会員になるしかない。なんとも息苦しい話ではないか。(同じ内容をTwitterにも投稿)

 

ついさっき私は、ジョージ・オーウェルの『1984年』を当然の喩えとして用いた。小説の内容を知る人には「テレスクリーン」と書いただけで伝わることも、知らない人にとってはちんぷんかんぷんで、まったく不親切だと思う。要は小説に描かれたような超監視社会が現実になってきているといいたいのだが、このように、私自身がツイッターで培った流儀すなわちネット話法にどっぷり浸かっており、良くないなと感じている。けれども説明過多だと読む気が失せるのも確かだ。くどくなく、すっきりして、それでいて中味のあるテキストを書きたいものだ。それから、人に読んでもらうことをあまり意識しないようにしたい。奇を衒わず、自分が思ったまま正直に書くことを心がけたい。

 

【どっちもどっち論の陥穽③】

政治家や官僚が言い逃れに使う話法を「ご飯論法」と銘打ったのにも同じ現象がみられた。まさに<適用さえできれば勝利だとでも言わんばかりに何にでもその言葉を適用してく>るから。識者でも、ご飯論法のメカニズムを解説するのにとどまり、ご飯論法が何を誤魔化しているのかにリーチしない場合が多々ある。<ご飯論法」は単に論点をずらすのではなく、それを聞く相手に「そうかも」と思わせるような返答を行うもの>という上西充子さんの解説じたいは覚えていても、ではその当時、安倍や菅義偉が何といって答弁をごまかしていたかは記憶していないといった、認識のすり替えが生じてしまう。もちろん忘却は読む側の怠慢が大部分だけど、ご飯論法だと指摘することで肝心の問題点がぼやけ、穿つべき対象が後景に退くのはまずい。
それもこれも、テキストを無理やり140字サイズに押しこむようになった弊害だと思う。読み手が一目みてわかるよう、ことばを圧縮していった結果、SNS内でしか通用しない独特な概念が形成されていった。その言語形態、ベクトルは真逆だが「霞ヶ関文学」と大差ない。迂遠か迂闊かの違いはあるが、内向きという意味で。

 

2023/01/06

国が、社会が、いや私自身も、二重基準を設けているからコロナ禍が一向に治まらない。「いや、実際の感染者数はこんなもんじゃないでしょ。発表されてる数倍は多いよね」。身近な人と、こんな会話をしたことはないか?
私は、図らずも自分が「経済活動を停めるな」という政府の方針を受容してしまっていることに気づく。波は一人じゃ食いとめられないし、自分だけが予防のため行動を制限するわけにもいかないからと自己弁護していることに。マスク着用と手洗いうがいは励行しつつ、調子が悪い、症状が疑わしいと感じたら、あてにならない抗原検査キットで陰か陽かを調べ、人に感染らないよう気を配ってはいるが、二年前一年前の警戒心はすっかり薄れている。重症者も死亡者もいっこうに減らず、むしろ増えていく一方だというのに。
こうやって人は慣らされていく。自分を環境に馴染ませる工夫をする。ひどい状況であるにもかからわず、なんでもないことのようにとり繕う。それは欺まんに他ならない。誰もが多かれ少なかれ自分を欺きつつ生きてゆく時代になった。それはなかなかの地獄だが、インフルと同様コロナが二類から五類へ移行すれば、さらなる地獄が待ち受けている。

 

【今週の新譜】
Resurrection of Peter Gabriel.
The title is "Panopticom".
中森明菜みたいな曲調だ(誉めている)。

open.spotify.com

 

前ふたつのブースト、ハフポストの小泉悠インタビュー記事について、私がいだいた名状しがたい違和感を上手く言語化、解説してくれている。
私は<もちろん非は圧倒的にプーチンのロシア側にあり、ロシアの流布するデマなど噴飯ものだと思っていますが、ゼ氏がホワイトハウスに赴きバイデンが承認を与える目下の情勢を懸念してい>る。

 

辞職願の提出後、報道陣に囲まれた井手氏は「軽率な行為で後援会、議会に迷惑を掛けた」と辞職の理由を説明した
は? 謝る先ば間違っとらんや、井手順雄。
あたがまず謝らにゃならんとはタクシー運転手だろ。県民もいい迷惑ぞ。あぎゃん野蛮な県議が熊本に居らすて大概にゃ笑いもんだけん。後援会は年末「あの程度で辞めんな」て説得しよらしたてな。ったく揃いも揃って善悪の価値が転倒しとる。ばってん有権者もあたんごたるモンば当選させた責任もあるけんね、ただ恥いるだけたい。再び議員に立候補はならんぞ。

kumanichi.com

ちなみに昨年末、ハッシュタグつきで以下のツイートを投稿したところ、情けないことに、かなり拡散してしまった。返信や引用リツイはいっさい見ていない。おそらく「全国放送で大騒ぎするほどのことか、と良純はいいたかったのでは?」的な反論が大半だろうから。
あれは立場あるもの=県議会議員が、タクシー運転手を恫喝するという、見過ごしてはならない大問題だよ。
熊本の女性が「熊本の中高年男性は『ぶちころす』を当たり前のように口にしますから」と許容するのも、よくない。そうやって「肥後もっこす」を甘やかすから、いつまで経っても野卑のままなんだ。全国放送での恥さらしをきっかけに、いい加減アップデートしなければ、熊本の将来は暗い。

冒頭トゥートの熊本弁を標準語に翻訳しておこう。

訳:
え? 謝る相手を間違ってないか、井手順雄。
あなたがまず謝らなければならない相手はタクシー運転手だろう。県民もいい迷惑だよ。あんなに野蛮な県議が熊本に居るといわれて、大層な笑いものだ。後援会は年末「あの程度で辞めるな」と説得していたらしいが、まったく揃いも揃って善悪の価値が転倒している。だけど有権者もあなたのような者を当選させた責任があるからね、ただ恥いるだけだよ。(今春の統一地方選で)再び議員に立候補してはならないぞ。

なお、後援会が辞める必要はないと井手元県議を説得していたことは、複数のメディアが伝えている事実である。

 

熊本弁の手直しで(文字通り)再三編集してしまった。そういう場合はeditではなくdelete&re-draftを使うべきだったって、反省。

 

2023/01/07

【フェディバースのことを考えているつもりが、違う話になってしまった】

今回、mstdn.jpが他のサーバーに(エロコンテンツの氾濫を放置しているとの理由で)ブロックされた件は、フェディバースとは何かを考えるきっかけになった。
全方位外交と孤立主義のどちらを選ぶかの二択ではわりきれない「あわい」の領域がとても重要だと思う。
断絶ではなく許容をーー
ただし許容範囲の線は、サーバー運営者の専権ではなく、全ユーザーが意識して引くべきだと思う。
連合の結ばれ方よりも、私の興味はそこにむかう。
明文化されないドレスコードや暗黙の了解みたいなものは、どんなコミュニティでも自ずと形成されてゆく。
なので、自分が排除されないよう気を配ることも必要になってくる。
あのサーバーは野放図だと判断されないように、表現の身なりを整えることも、また大切だ。
かといって、同質性を保持するがあまり異端を排除する方へ向かっては、まずい。
不寛容が、スモールサークルを自滅させる原因にもなりかねない。
難しいね。
なんのこたない、現実社会と同じさね。
といってしまうと身も蓋もないけれど。
この話に結論はない。
(あーまた長くなった、すみません)

 

この曲を最初に聞いたときの衝撃といったら!多幸感に包まれるとはまさにこのこと、だった。ロジャー・ニコルズとスモール・サークル・オヴ・フレンズの「ドント・テイク・ユア・タイム」。魔法がかった2分30秒。

open.spotify.com

 

マストドンは)村の寄り合いみたいではあるね。まあ上がんなさい、そっちのほう空けておやり。そう感じるのは、私が高齢者だからか。

 

トヨタの経営戦略についてはともかく、以下の記述には考えさせられた。

「エンジンはオワコン。今すぐ開発や生産をやめて、BEVに全振りしない会社は出遅れ」と叫び続ける人がいる。しかし今、無情にもリチウムがどうやっても足りない。そして彼らが主張してきた「バッテリーがどんどん安くなることを理解しないからBEVの未来を疑うのだ」という主張は大外れが確定しつつある。(中略)「採掘量が限られている鉱物に需要が集中すれば必ず価格は高騰する」。これはずっと前からトヨタも筆者も共通して主張してきたことである

電気自動車のバッテリーに使うリチウム、リニアモーターカーに使うヘリウム、半導体に使うシリコン。いずれも不足、高騰している。加えていうなら、半導体製造公司が工場の誘致先を決めた理由は「豊富な地下水」。
限りある地球の天然資源を濫掘しながら、人類は快適な生活を維持し続けようとする。機関の何れが最適解か私にはわからないが、強欲の行き着く果ては枯渇の結末が必定である。

www.itmedia.co.jp

(五木のアベックラーメンが好きだというトゥートに反応して)

中高生のころ土曜の昼は決まってアベックラーメンでした。とんこつ味のもあるけれど私はベーシックな方が好み。地元熊本ではどこでも売っています。あー食べたくなった。

 

大阪府知事選に辰巳コータロー元参院議員が立候補するとの報道にわきたつタイムラインをみて)

辰巳孝太郎。好感持てる人物だし、よい府知事になれるとも思う。今回も応援したい気持ちはやまやまなんだけど……
うーん、公示日まで静観させてもらうよ。

鰯(Sardine)2023/01/10

マストドン蒼象の記録2(2022/12/19~2022/12/31)

もみじはきれいだな。ひとつとして同じ彩りの葉がないのには驚く。

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NHKBSのトップニュースが「マスク氏ツイッターCEO辞任、賛成多数」とは、常軌を逸している。どうしちゃったんだ、“たかが”Twitterだぞ。マスメディアのマスヒステリアを目の当たりにする師走の夜。

ホリエモン騒動を彷彿とさせる悪ノリ状態。でも。もともとマスメディアは、ツイッターを疎ましく思っていたんじゃないのかな。少なくとも本邦では。

私はやっぱり悲しいんだよ。かつてのホームグラウンドがやりたい放題に荒らされていることに。もしも私が今なおツイッターに留まっていたら、かかる惨状をどう見ただろう。なにか思うところを書いただろうか。それとも、騒動を無視しただろうか。
いずれにせよいえることは、もう元へは戻れないってことだ。

私的には今年の新人王です、Ellie Dixon "CEO of Watching Television"。

open.spotify.com

今ざっとツイッターに行ってタイムラインをスクロールしたんだけど、驚いたね、誰もマスクの迷走について言及してないんだ。ようやくマスクの三文字を見かけた、と思ったら森哲平さんの投稿だったよ。

みんな見てみぬふりしているみたい。ていうか、誰もTwitterの将来を心配していないようだ。

今だけ使えりゃいいってことか。

もちろん、マストドンでよくお見かけするアカウント(先ほどブーストしたねずみ王様さんだとかpika.pikaさんだとか)もマスクとマスクについての報道機関の悪ノリについて言及しておられる。けれども全体としては驚くほど取りざたされていない。自分たちの使っているSNSが世間で話題の焦点になっているというのに、ふだんと変わらない調子でツイッターを使っている。私はその光景にやはり違和感を覚えてしまうのだ。戦争が始まっても今が戦時下であることをなかなか自覚できなかった「国民」とはこういう具合だったのではないか、と思ってしまった。

 

たとえば3日前、『立憲民主党、防衛3文書「容認できない」泉代表が声明』の自社記事を引用しつつ、<国民の生命と財産が脅かされても被害が出るまで何もしないということでしょうか。旧民主党が政権を陥落したのは非現実的な安全保障政策が一因でした。>と上書きした日本経済新聞政治・外交のアカウントは、当然批判されて然るべきだ。
が、しかし日経は批判が殺到することをあらかじめ見越したうえで発信している。つまり炎上が前提の燃料投下なのだ。挑発をみすみす看過ごすこともできずに、ツイッターの「良識」は誤りを糾そうとする。私は彼らの姿勢を尊いと思う一方、そうした対立を生み続ける構造そのものが政官財の権力に都合よく利用されていることにあまりにも無自覚なのではないかと懸念を抱く。また、たたかいそのものが目的化してしまい、ツイッターの内側で濃度を増しながら残留しているようにも映る。
最近のツイッターを傍から観ていると、先頭に立って問題提起している方々が、残響のさなかで消耗しているのが手にとるようにわかる。余計なお世話かもしれないが、誠実さが損なわれる前に、いったん外に出てみてもいいのではないかと思わざるをえない。

 

もう一曲、エリー・ディクソンかけよう。"Swing!".

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私の場合Twitterで他人のツイートを真剣に読むほうではなかった。あくまで参考に、あるいは自説を裏づけるためにという程度でいた。あたまにくるリプライも多くもらったが、ほとんど無視していた。それは自衛のためだったが、いま思えば目をつぶって運転しているようなものだった。信頼していたアカウントは百人くらいで、気を許していた相互フォロワーも百人くらいだった。
今toot.blueにいて、ローカルタイムラインをつぶさに読んでいる。ほかの人がどう考えているか、気になるというよりも知りたいと思う。今の状態がいつまで続くかわからないけれど、マストドンにきて正解だったと思う。Twitterに戻る気持ちはまったくない。
Thank You Falettinme Be Mice Elf Agin.

 

じつは今日、休んでる。老体に鞭打ってサンタに変装しなきゃならんもんでね。明後日の会に備えて。

サンタ登場のときには、竹内まりやの「すてきなホリデイ」をかけてねと頼んでいる。
♪クーリスマスが今年もやってくる、あれほど表層的な歌詞はめったにないと思う。

 

(「ここはどこ?」の問いに)

ここはね、サーバーのルールを守ってさえいれば、誰にも気がねせずに、自分の思ったままを書いていい場所だよ。(ですよね?)

 

嶋理人さんの記事、楽しく読んだ。おもに首都圏における私鉄の敷設が、いかに本邦における近代的な市民を形成するのに寄与したかが、時系列に沿って、丁寧に記されている。こういう優秀な研究者が地元の私立大にいらっしゃると知り、喜ばしいかぎりである(ツイッターでは匿名だったので知るよしもなかった)。

【前編】

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【後編】

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これを読んで私は、嶋さんがいま熊本でもっぱらの話題である、豊肥線熊本大津駅から熊本空港への延伸計画について、どう見ていらっしゃるかを訊いてみたくなった。延伸にはTSMCの誘致ともからむ国や県や地域のさまざまな思惑が錯綜しているはずだから、きっとユニークな視座を示唆していただけると期待している。

記事【後編】の引用を、さらに孫引きすることになるが、
前出の西川祐子(文学・ジェンダー研究)氏はいみじくもこう述べている。「じつは日本の近代小説は、家を建てたら幸せになると思ったのに不幸ばかりおこりましたという話がほとんどなのである」『借家と持ち家の文学史)>
というくだりには、思いあたるふしがあった。
福永武彦の中編小説を読むと、家と会社とを結ぶ鉄道の存在が登場人物の心理に深い影を与えていることがわかる。他にも山田太一のシナリオや諸星大二郎の短編マンガ、あるいは山際淳司の掌編など、鉄道と沿線に遍在する「家」との相関を描いた物語は、明るく健全な家庭の理想像とはほど遠い、不幸な陰翳を含んだものが多い。三多摩の私鉄沿線を舞台にした原武史の『滝山コミューン一九七四』なども同系列に数えてもいいだろう。
しかし、鉄道の発展と沿線に育まれた市民生活についてを、時系列的しかも肯定的に描いた小説が皆無なわけではない。磯﨑憲一郎の『電車道(2017年)』は、いっけん幻想的な寓話のようでありながら、じつは史料が丹念に織りこまれた稀な小説である。未読の方はぜひ。

その磯﨑憲一郎『電車道』について以前したためたコラム。あまりにも拙い読書感想なので恥ずかしさのあまり長らく格納庫に収めていたが、さっき再読してみて「出しておいたほうがいいかも」と思った次第。興味がある方は読んでみて。いや拙文じゃなくって小説の方を、ね。

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

 

幼稚園連合会の元会長に有罪判決 資金流出事件、東京地裁:山陽新聞デジタル|さんデジ

全日本私立幼稚園連合会の資金不正流出事件で連合会名義の預金通帳などを偽造したとして有印私文書偽造などの罪に問われた元会長香川敬被告に対し、東京地裁(中尾佳久裁判官)は20日、懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)の判決を言い渡した。被告は初公判で起訴内容を認めていた。
連合会と関連団体では約6億8千万円の不正出金があったとされ、連合会の元事務局長勝倉教雄被告が、連合会の口座から資金を着服したとして業務上横領罪などで起訴されている。香川被告は公判で20年9月に資金流出を知り、勝倉被告らから監査を通過したいと頼まれ、通帳などを偽造したと説明した(山陽新聞

全私幼連と関連団体で約6億8千万円もの不正出金があったとされるが、香川元会長が私的に流用した額は約700万円にすぎない。全国の幼稚園や保護者会から徴収した資金の大半がどこへ流出したのか、全貌は未だあきらかになっていない。幼保無償化へのロビー活動で、おそらく政治家の懐に渡ったのだと推測されるが(香川氏は山口県で幼稚園を経営していた)今回の判決、中途半端な幕引きの感は拭いされない。

 

私も、久しぶりにスティングを聞こう。
この1991年のアルバムタイトル曲、4分15秒から冒頭曲の「Island of Souls」がリピートされるが、そこへ移り変わる瞬間がとても好きだ。海原に射しこむヤコブの階梯みたいに厳かで。

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朝起きたら薬罐で湯を沸かして茶を淹れる。この一連の間に目が冴える。台所の静寂に身を浸しながら私は茶を啜っている。窓の外はまだ暗い。

 

見えたものだけをみて全てだと判断する愚は避けたい。ここに流れている意見はほんの一例にすぎないのだから。

 

法人のみアイコンが四角になったと、面白おかしく話題にする朝の報道・情報番組。そんなに一企業のサービス区分=階層の固定化が愉快かい? 莫迦ばかしい。

かと思うとNHKおはよう日本では、わざわざ西村博之辺野古についての発信(嘲笑ぶくみの言いがかり)をとりあげ、メディアリテラシーの説諭に余念がないときた。西村博之は自分のように厚顔無恥な者だけが情報発信者として生き残っているのは好ましくないとうそぶく。政府は本格的にインターネットの情報をコントロールしようと身を乗り出し、テレビはSNSや動画投稿サイトを軽蔑しつつも利用している。一般人は何の気なしに有名人やインフルエンサーの考えを基準にしてしまう。その固定化されつつある枠組みから意識的に距離を置いて判断することが、今とても大切なことではないか、と私は考えている。

それを生き残りというなら私は生き残りたかないな。ネット世界でゾンビになるなんてまっぴらだ。

【彼奴をテレビで語らせるな】

ほんとうに、wristをcutしてしまう小学生がいるんです。
自分の行為を見届けてほしいと兄弟に伝えて実行した事例もある。
親の前でやってみせればいいだなんて軽々しく口にするような人物を、やれインフルエンサーだと時代の寵児の如くもて囃すメディアもまた罪深い。
彼奴をテレビで語らせるな。

 

私はプロ野球、とくに埼玉西武ライオンズのファンだから、ツイッターでは何故か遠慮していたけど、マストドンではおおいに野球を語るつもりです。

 

NHK7時のニュースで、湾岸戦争における自衛隊の海外派遣のいきさつが、かなり時間を割いて報じられていた。

www3.nhk.or.jp

1991年、日本は湾岸戦争で総額130億ドルの支援を行ったが、アメリカ中心の多国籍軍に参加しなかったために国際的な評価は厳しく「湾岸のトラウマ」とも言われた。
こうした中、停戦後に政府はペルシャ湾での掃海活動のため、自衛隊初の海外派遣を閣議決定した。
外務省と内閣法制局の非公式協議が複数回行われ、閣議決定の2週間前に当時の海部首相と中山外相らに対し、内閣法制局工藤長官が「日本の船舶の安全確保が目的だとすることで派遣が可能」と自衛隊法との整合性を説明した。
閣議決定の2日後、6隻の艦艇がペルシャ湾に向けて出発、34個の機雷を処理して10月に帰国した。

だがこれはあまりにも一方的な回顧である。国会での論議も世論の反対も一切扱わず、当時の状況がまるで語られていない。国会を経ずに閣議決定で全てが決せられることを正当化するための、きわめて悪質な広報である。

閣議決定の名のもとに、重要な政策が粛々と進められる。首相と閣僚の相談によって国の方向性が決まっていくことの異常。この事態を異常と感じられない国民の無関心。政府の方針に一切の異議をはさまない報道が無関心に拍車をかける。湾岸戦争時の自衛隊派遣が、あたかも政府内“のみ”で調整が行われ、決定したかのように語られる。それは歴史の改ざんといっても過言ではない。毎日こんな調子で政府に都合のよい解説を聞いているうち、国民は徐々に疑問を持たなくなる。閣議決定が、国が最終的に下した判断であると錯覚してしまう。
いま本邦はおそろしい勢いで変わりつつある。大量の情報投下によって常識が次々に塗り替えられてゆく。今も経済産業省のテレビCMが流れている。ALPS処理水の海洋放出について「国は科学的根拠に基づいた安全基準を満たしている」といったゆるふわな言い分が、穏やかな若い女性の声でくり返し伝えられる。私たちの納めた税金で、国がおかした過ちの数々を正当化するための宣伝が作られる。だが、かような方針を決めたのも『ALPS処理水の処分に関する基本方針の着実な実行に向けた関係閣僚等会議』においてだ。なんと莫迦げたこと! 

www.youtube.com

ALPS(アルプス)処理水について、国は科学的な根拠に基づいて情報を発信。
国際的に受け入れられている考え方のもと、安全基準を十分に満たした上で海洋放出する方針です。

この淡々とした女声のナレーションが、私にはなんとも不気味に聞こえる。
科学的根拠とは何か、国際的に受け入れられている考え方とは何か、具体的なことは何も語られていないのだ。
(ちなみにこれはまだ辛うじて観られるが、西村経産相のヴァージョンは正視に耐えられないぞ)

国民の皆様の理解を得られるために岸田内閣と各省はいったいいくら予算を費やすのだろう。

 

苦手なやつ(イケハヤ)に似てるといわれたからアイコンを変えてみた。
あと、mstdn.jpをアクティブに戻した。引っ越し未遂のまま非アクティブはしのびないので。toot.blueが好きだから、投稿はこれからもここで。

さて、今日はサンタさんに変装せねば。

 

BGMね。ときどきぜんぜん好みじゃない曲が頭の中を駆けめぐることってない? いやじつはさっきから、DA PUMP『if…』の♪もーしも、が脳内でループしていて困ってるんだ。

昼のトゥートの続き。もっとも悲惨な「BGM」は、高校のころ数学の中間テストの最中にいきなりビューティーペア『かけめぐる青春』の「 ♪ビューティビューティー〜」が文字通り脳内を駆けめぐり、まったく試験に集中できずに赤点とったこと。

もう少しふだんの話だと、有名バンドの取るに足らない穴埋めみたいな曲が頭の中で再生されがち。たとえばローリング・ストーンズの「Llies」とか、ディープ・パープルの「Sail Away」とか。こないだはジミー・ウェブの「Laspitch」が何度も脳内でリピートしていた。ラリー・コリエルのファズギターが脈絡なく絡むとりとめのない曲で、好きでもないのに何故いつも思い出してしまうのか自分でも不思議なんだけど……
……え、「BGM」ってそういう意味のお題じゃないって? そりゃまた失礼しました。

 

【政治のトゥートをも少し読みたい】

先ほど<今のSNS界を2017年の日本の政界に例えると、たくさんの立憲民主党ができているような状態なのかもしれない>というトゥートをみかけた。私は立憲民主党とは距離をとっていた者だが、その見立ては当たっていると思う。たしかに枝野が旗あげしたときと似た雰囲気を感じる。じっさいマストドンにいる人たちは、立憲民主を支持する割合が一番多いんじゃないかな。次いで共産か。私のようなれ新支持はほとんど見かけない(そういや昨日いました)。マストドンにきてホッとするのは支持者間の罵りあいが今のところ皆無なことだ。私も___カルトと呼ばれる人たちには悩まされたし(だけど、それで傷つくほどヤワじゃないよ)。
ただ、その反面、政治についての投稿を見ることも激減した。あれほど社会問題となった旧統一教会のことも、(議員の不祥事から万博にいたるまでの)大阪維新の問題も、ここマストドンではほとんど見かけない。そこはやや物足りないところではある。
なにか思うところあればその都度、私なりに言及していきたいと考えている。政治にかんするトゥート、もっと読みたいんだよ。他党をdisるではないのを。

 

一昨日からスティングばかり聞いている。
一度は「もういいかな」とこころ離れたのを再び呼び戻したのは、ザ・チーフタンズと共演した『シスターズ・オヴ・マーシー』。これを聞き、やっぱスティングすげえなとなって今日にいたる。昨年なくなったパディ・モローニの青空にさえずるひばりのようなティンホイッスルもすばらしい。数多あるレナード・コーエンのカヴァーのなかでも抜きんでた一曲だと思う。

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ちょっとツイッターのアカウントをのぞいてきた。6日前のツイートからインプレッション数が表示されているね。案の定というべきか、この連続ツイート不興を買ったみたい。そういうことが一目瞭然となる仕組みだ。

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インプレッション表示、まるでブラックな営業所の顧客獲得グラフみたいだね。「おまえのツイートこの程度な」って絶えず値ぶみされた日にゃ、「有難ッス、俺ツイッター辞めます」が続出するかもよ。

イーロン・マスクの、「これでTwitterが見かけよりにぎわっていることが分かる」「いいねされた回数の約100倍は読まれている」という説明、売り文句とはいえ、はっきりいってカッコ悪いよな。

 

テレビをつけて、おや、小澤征爾か、と思ったら小沢健二だった。

堂本剛も大概だったけど、広瀬香美、とんでもなくひどいな。

 

(サンタに変装した写真をアップしていた。現在は削除)私が相当なお調子者だということは、ご理解いただけたはずだ。

 

【私には師と呼べる人がいない】

尊敬する師を持つ人がうらやましい。私は尊敬できる師に終ぞめぐりあわなかった。猜疑心が人一倍つよく、人の欠点を先に探してしまうからだ。教わる態度が備わっていれば、師はいつでも目の前にいたはずだ。それは従順や謙虚ではなく、学ぼうとする意志のあるかなしかによって培われる。私には知識や技術を得ようとする向上心あるいは貪欲さが欠けていた。だから師を求め、師を得、師を敬える人の心を、私は尊いと思う。

なんだか道徳の教科書みたいなことを書いてしまったが、これが私の今の素直な気持ちです。

 

【『嫁ブリ』のこと】

昨日おそろしい話を聞いた。熊本では<初正月を迎える新婚の婿方から、「よかヨメです、ありがとうございました」の気持ちをお嫁さんのご両親に届ける家と家の節目のご挨拶に>と寒ぶりを贈る『嫁ブリ』という風習があるという。じっさい教えてくれた人は、息子さんの妻の実家に鰤を一尾贈ったんだそうな。私は熊本生まれだけども、そんな(あえていう)因習はじめて知った。調べると、福岡や岡山にも『嫁ブリ』はあるらしい。どう思う? 私は語感がまずダメだし、その起源を知るにおよんでますます嫌になった。九州の男尊女卑を固着する、廃れてほしい慣わしだと思う。

【続『嫁ブリ』のこと】

岸田首相が寒鰤に舌鼓を打って「すごいお金持ちになった気分」と軽薄な感想をもらしたそうだが(それで『嫁ブリ』の話を持ちだしたわけでもないんだが)、正直なところ私は大晦日にいただくブリ大根があまり得意ではない。鰤と大根は、あまり相性よくないと思う。
両親が亡くなってから年末年始は質素なものだ。大晦日は年越しそば、元日は雑煮くらい。おせちもお屠蘇もなし。妻と二人暮らし、それでいいやと思っているけど、今年は年末に新婚夫妻が泊まるから、それなりにいろいろ準備しておくかと相談している。
ちなみに朝、『嫁ブリ』の話をしたら、妻は「知ってる」と答えた。
「お義父さんお義母さんから熊本にそういう風習があると聞いた。『お宅の娘さんなヨカ嫁ぶりですばい』の意味だって。でも結婚した年、実家に鰤が届いたって話はきかない。私、ご両親にはよい『嫁』じゃなかったけど、それはそれで複雑な心境だったな」
それより問題なのは今後のことよ、私たちまだ相手のご両親にご挨拶もしてないじゃない、これから先いろいろと大変よ、と話す妻を見つめつつ、私は、世の「しきたり」をひたすら回避してきた半生だったな、と反省していた。

【面倒くさいを回避しない】

たとえば結納。あれは莫迦ばかしい風習だからやめたい、と若い二人がいってくれたから、その意見に乗っかっているけれど、向こうのご両親と話し合って合意したわけじゃないんだ。結納やめるにしても、一回は顔合わせて話つけるべきじゃない?※
そういう面倒でもやらなきゃいけないことを回避するばかりではまずいんじゃないか、と。ましてや「そんな旧弊なしきたりさっさと廃止せよ」とSNSで声高にさけんでも詮ないことだと思うんだ。そんなこといってサお前さんホント世間体に毅然と立ち向かえてる? と自分に問いたくなる。その世間体を人一倍気にしているのは他でもない、お前自身じゃんかと。
まあ、言行一致できてるかどうかを、最近よく考えてしまうんですよ。考えと行動は統合されていたほうがいいし、自分の発したことばを自身の行為で裏切りたくはないからね。「面倒くさいを回避しない」。これを私は来年の目標にしよう。

※いちおう言い訳しとくと、若い夫妻は関東在住、夫の両親は関西、妻の両親(私ども)は九州です。

 

私も「主は来ませり」が、「シュ履きませり」に聞こえてた。

 

マストドンのみなさん、Merry Christmas!!
さて、今年も恒例の『2022年に出会った曲』のプレイリストを作成しました。倍近くセレクトした中から、「ほんとうに好きな曲」を基準に、悩み抜いた末に厳選した27曲です。
私的に、最優秀シングルは、バーラ・デゼージョの「Baile de MáscarasRecarnaval)」、最優秀アルバムは、キング・ギザード&ザ・リザード・ウィザードの『Changes』です。
今年もたくさんの新しい音楽に出会えました。いくつになっても、今までにないものを聞いて驚きたいと思います。
ではでは、お楽しみください!

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邦楽ほとんど聞きませんので。
あと、クラシックはリストから外しております。

クリスマスソングで私がいちばん好きなのはクリス・レアの「ドライビング・フォー・クリスマス」。

Driving Home for Christmas - song and lyrics by Chris Rea | Spotify

今回のプレイリストには一曲だけ日本のグループが入っています。ヘンリーテニスの「マジック・アワー」。

あ、でも日本のポップスをまったく聞かないわけではない。『私の好きな日本の女性歌手』なんてプレイリストも編んでいます。

私の好きな日本の女性歌手 - playlist by 岩下 啓亮 | Spotify

 

邦楽ポップスの歌詞の大半はそこを隠ぺいしてしまうからな。

いつまで経っても十代のイノセントから脱皮できない。性愛や倦怠や裏切りを含めた大人の恋愛を描けないから退屈なんだ。

 

ガイアの夜明けをちょっと観ていた。せっかくTSMCの台湾本社へ取材に行ったのに、こともあろうか、ラピダスの設立をどう思うかと訊くとは。挑発してどうすんの。日の丸半導体の復活なんて、向こうからすればどうでもいい話だよ。センス悪。

 

熊本市在住の日本近代史家で、作家の故石牟礼道子さんを編集者として支えた渡辺京二さんが25日、死去した。92歳。京都市出身。代表作「逝きし世の面影」や「黒船前夜」、「バテレンの世紀」など近代を問う著作で知られる。

<速報>日本近代史家の渡辺京二さん死去、92歳|熊本日日新聞社

 

私は投稿したあと誤字や「てにをは」が気になって、頻繁に編集するけど、そのたびに「編集しました」の通知がフォロワーのみなさんに届くのかな? だとしたら迷惑だろうな。どう設定すればいいんだろう。 

【反響は滞在時間に比例する】

ツイッターが戦場?
となると、私はツイッターの敗走兵なのかもしれないね。
私は昨晩、マストドンツイッターで、ほぼ同時刻に同じ内容のトゥート(ツイート)を投稿したが、反応の差は歴然としていた。もはやマストドンのほうがツイッターより圧倒的に反応が多い。やはり、ちょいとお邪魔して投稿したまま放ったらかしでは、誰も見向きもしないようだ(そりゃそうだよね)。
自分の発信が見られている実感があれば、投稿し甲斐があるというもの。それはお互いさまで相手にとっても同様なんだ。たまにツイッターに来て、いいたい放題いってタイムラインをのぞかないようなヤツの発言なんて不愉快だろうし、無視したくなっても当然だ。
思うに、システムのありかた如何にかかわらず、反響は滞在時間に比例する。タイムラインに表示されたみんなの投稿に反応したぶん、共感やお返し(ブーストやお気に入り)も増えていくはずだ。反応の鈍さに落胆する前に、そこは肝に銘じておかなくちゃならないところだ。
インプレッション数の表示を実装したツイッターは、今や反響営業の主戦場みたいなもんだからな。たたかうしかないようにできてるんだよ。

 

鷹丼、鷲丼、レオ丼、海丼、ハム丼、えーっ牛丼?

訂正。レオ丼 → 獅子丼

論寒牛男 - song and lyrics by Eiichi Ohtaki | Spotify

 

マイナンバーについて、これはいつも書いていることなんだけど、行政は申請書を出すときに「個人番号を証明できる書類の写し」の添付を必須としているんだよね。写しとは要するにコピーのことで、マイナンバーカードのコピーか個人番号記載の住民票のコピーをつけなくてはならない(住民票の場合は顔写真いりの証明証たとえば運転免許証も同時に添付する必要があるんだ)。しかも、令和3年度以降のマイナンバー通知書は今年から証明する書類とは認めないという通達まできた。まあ一言でいってナンセンスのきわみだね。行政職員は申請書に記入されている個人番号が正しいかどうか、写しをみて一々確認しているんだから。事務処理にかかる時間と労力を考えればムダ以外のナニものでもない。個人番号の照合なんて行政の中でできることじゃん。データを調べれば一発だよ。で、マイナポータルを利用すれば煩雑な申請がスムーズになりますとアナウンスしているけど、そこまでしてマイナンバーカードを持たせたいかと呆れるね。マイナカード促進が進んでいないと自治体への助成金が減らされるから、やってます感を政府に示さなくちゃならないんだろうけど、やっぱりナンセンスだよ。

 

ワックスがけしたあとの床板は見ていて気持ちいいね。

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幕末太陽傳(57年日活、監督川島雄三、主演フランキー堺)、何度も観ているけど、その都度いいな。文句なしの傑作だ。

 

冬になると部屋干しでは乾きにくいためコインランドリーの乾燥機を利用している。円筒の内側で回っている洗濯物をながめているたびに、プリテンダーズのこの曲を思いだす。

Watching the Clothes - 2007 Remaster - song and lyrics by Pretenders | Spotify

西の空低く、刺さると痛そうな朱い三日月

 

今日は今まで散髪へ行ったり庭の植えこみを刈りそろえたりしてました。

窓拭きまではやろうと思っていたんだけどね、急に寒くなってきて。明日はかならずやる、えぇやりますとも。

 

東京地検特捜部は27日、森友学園問題を巡り、学園側と財務省近畿財務局との交渉記録などの情報開示請求に対し「不存在」との虚偽の理由で不開示決定をしたとして、虚偽有印公文書作成・同行使の疑いで告発された財務省元理財局長の佐川宣寿氏ら3人を容疑不十分で不起訴とした。「対象文書が残存しているとの認識を認めるに足りる証拠がなかった」としている。(毎日新聞

官僚が「交渉記録なんて存在しないと認識していました」といえば、その文書が後から出てきても許されるということか。「だって、知らなかったんだもん」でしらばっくれるのはダメですよって子どもの時分に習わなかったのかな? 東京地検特捜部も追及が甘いな。なぜ安倍関連の事件になると、急に捜査の勢いがなくなるんだろう。東京五輪の贈収賄についても、政治家関与のアンタッチャブルな領域には決して手を出さないし。安倍の死後、さまざまな疑惑の全貌が明るみになるだろうと(ある意味)期待していたんだが、幕引きを急ぐ報道ばかり。このまま真実は闇から闇へと葬られるのか。

 

国がor上のほうが決めたことですから、と言いわけしながら、粛々と実行するのが本邦のならいだから。それで自分への責任は回避されると思っている。

で、お上が決めたことに唯々諾々と従っているうちに、「今や有事」のムードが醸成され、軍備が増強され、国防一色に染めあげられる。もう、その兆しはいたるところに見出せる。

本邦の場合、文学にしてもエンタメにしても挫折がテーマになりがちなんだよね。スポーツは最終的に勝利するもので、社会運動は最終的に敗北を余儀なくされる。この初期設定を解除してやらないと、次には。

『あちこちの__゛さん』。番組制作側がいくら「戦争はよくないこと」を基調としていても、「だけど戦時下の暮らしも工夫次第で楽しくなりますね」的なガイダンスとして成立してしまうので、誠実さが裏目に出てしまう。「質素は美徳」のスローガンは善良な人ほどうっかり頷いてしまいがちだから気をつけたい。

 

今年の最優秀ソングを一曲だけ選ぶとしたら、それはアンソニー・ウィルソンの「The Bridge」だ。
歌に込められた真摯さと誠実さに心うたれる。それはランディ・ニューマンピーター・ガブリエルを聴いたときの感興と同質のものだ。

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これと同じ内容をTwitterでも @ 付きで投稿したところ、数時間後アンソニー氏から嬉しい返信をいただいた。以下ご紹介。
> Deep appreciation for you and your listening. Happy New Year.

 

香露の大吟醸(限定)を彼方さんへの贈答に一本、霊山の純米吟醸を自宅で飲む用に一本購入しました。

ふだん私は酒を飲まなくても平気な人だけど、酒の美味い不味いにはわりと厳しい。

 

NHKスペシャル『未解決事件・松本清張帝銀事件』を観ている。これは見ごたえがある。ひどい過去を美化せず、真正面から見据えていると思う。観てみるとよい。

今日の昼間に< 実在の事件の扱いは、それで良かったのか? 今年最大の話題作『エルピス』、語られなかった「危うさ」 | 文春オンライン >という文春オンラインの難渋なコラムを読んだけれど、この「ドラマ仕立ての歴史ドキュメンタリー」を、筆者はどうみるだろう?
他ならぬ番組内で、現在も進行中の事件をどう取り扱うかについて、作家松本清張大沢たかお)と編集長田川博一(要潤)が激論をたたかわす場面があった。

小説と銘打った判断ははたして正しかったのか?
私は切れ切れにしかみていないので、『エルピス』を熱心に支持はしないけれども、フィクションの形式ですら世の実相を描きにくくなった現在、ドラマの中に「現実に起きた出来事」をインポーズさせる試みはあって然るべきであると考える。問われるべきは事実に迫る調査の精度と、取り扱うにあたっての制作者の誠実であろう。
明日、NHK取材班による「大量の資料を調査したうえで事件の核心に迫る」裏付けの続編が放送されるようだから、それを観てから今夜のドラマ仕立てがはたして妥当であったかを判断したいと思う。

読むのに難儀な文章ってのがあって。いいたいこと分かるけど、いまいち伝わらないみたいな。書き手が考えを整理できていない場合がたいていだ。混乱したまま読み手に解釈を委ねてしまう。しろうとならともかくプロがそれでは困る。装った難解さで読者をケムに巻いてはいかんでしょう。

過去を美化しているというなら、大沢たかお松本清張を演じることが、まずもって美化だよな。
ともあれ、NHKにはがんばって良質な番組をつくってもらわないと困る。こちとら年末に半年分一万二千四百三十円も通帳からぬかれてンだから。

 

 

ルー・リードは人生を変えた一人だ。とくに『ベルリン』は、私のもっとも深いところまで降りてきた作品だ。いまだに聴くときは緊張する。
それともう一枚あげると、『コニー・アイランド・ベイビー』は個人的にもっとも親しんだアルバムだ。とくにタイトル曲は大島弓子『バナナブレッドのプディング』でも引用されたが、私自身、ルーの正直な告白に深夜耳を傾けては、ずいぶん励まされた。

Ah, but remember that the city is a funny place
Something like a circus or a sewer
And just remember different people have peculiar tastes

不思議なことに、自伝的な色彩の濃い『コニー・アイランド・ベイビー』とヒット作『死の舞踏』の二枚は、サブスクにアップされていない。それもまた、ルー・リードらしいといえばらしいが。

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窓拭きしながら福岡史朗の最新作『4』を聞いている。「ある日、あの窓、あの屋根」にのぼって。いい感じだ。

 

【お詫び】
今朝の連続トゥート、党派性について書いたわけではなく、文化的な側面を語ったつもりでしたが、筆力がいたらず、穏やかな湖面に波風をたててしまった。

toot.blue を軋轢の場としたくない思いは私も理解しておりますので、該当する3トゥートおよび関連トゥートを削除しました。岩下 啓亮

iwashi-dokuhaku.medium.com

 

 

昨日はお騒がせしました。スミマセン。

昨日から娘ふうふ(withワンちゃん)が来ていて、ひさしぶりににぎやかな年の暮れです。

来客、懐っこくて膝にも乗るけど、動きがすばしっこくてなかなかフレームに収まらない。

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うちはすき焼きにしました。

藤井風だけは集中して観た。この人は稀有な才がある。大事にしなくちゃいけない。

〆にうどんを入れて年越しそばの代わり。

 

思いっきり世俗的な大晦日だった。天然温泉のサウナに入ってムコ殿とガマン比べをし(とうぜん負け)、イオンモールで昼飯を食らい、帰宅後ムスメが子どもの頃の写真を引っ張りだして眺めた。すき焼きを食べながら紅白を観て、午前零時におめでとうといいながら近所の神社まで歩いて初詣までした。何だか一日じゅう列に並んでいる、これはまるで典型的な俗物だなと自嘲しながら、私は周りの"ordinary people"の表情を観察していた。
結局、サウナに浸り、モールでショッピングし、元旦には参拝するような人たちを味方につけないかぎり、かかる状況は改善されないのだ。さて、どうやって一般大衆に耳を傾けさせるか。思案のしどころだ。

幸いなことに、ムコ殿は穏やかで優しいやつだった。世辞かもしれないが、この写真いいですね、と選んでくれた。当時編集者だった妻が、私と娘を撮ったものだ。ずっと忘れていた。確かにこれはすてきな一瞬だ。このとき何を相談してたんだろうね。

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鰯(Sardine)2023/01/04

 

マストドン蒼象の記録1(2022/12/09~2022/12/18)

もう20年くらい前のことだけど、図書館の本を紛失したと(たぶん電車に置き忘れた)申し出たら、代わりに予約の多いこの本を寄贈してください、といわれた。だから購入したよ、「世界の中心で、愛をさけぶ」を。

 

テレビ地上波ではとっくに防衛力増強のキャンペーンが張られており、こんなに凄いぞ日本の防衛力みたいな特集番組も散見するが、いよいよネット上にも防衛省の宣撫広報が本格化するようだ。となると一等はじめに狙われるのがTwitterだろう。意見の対立を誘発するメカニズムを備えたツイッターの構造を熟知したインテリジェンスが、確かな情報をインフルエンサーへ優先的に与える。内閣官房が重宝した“dappi”のように)有能なアカウントが、より効果的かつ広範囲に反撃能力や防衛費増額の必要性を説くだろう。その兆しはそこかしこに見出せる。マスクの統治下にある今、Twitterはとても危険な状況にある。経営戦略上、彼が国家権力と手を結ぶことは容易にありうると思う。

nordot.app

 

引っ越しました。mstdn.jpからtoot.blueへと。ところが141名のフォロワーのうち60名ほどの引き継ぎがまだ完了していないし、むこうで引っ越しの案内をしようと思っても、非アクティブとかで投稿できない。これは気長に待つしかないのかな。

明日は大がかりなイヴェントがあるというのに、こんな夜更かししててもいいのかな。
いかん、寝なければ。

昨日のtootに、一行を加えてTwitterにも投稿しておいた。
今どこにいて、誰に向けて語るかは自分で決める。それがどれほど有効であるかどうかはともかく。再三いうが、私にも多少なりの考えはあるのだ。

今日はこれから圏外に一日いるので、mstdnはのぞき(け)ません。ご了承のほどを。
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今日は臨時の音響やさん。プレイボタンを押すだけの誰にでもできる仕事。時おりF.O.など。
 

マスク「休眠15億アカウント削除」揺らぐ故人の声
Twtter上に残る故人アカウントの扱いはどうなる
東洋経済オンライン】

toyokeizai.net

マスクやTwitter社は故人アカウントの保護を一切行わずに、単なる休眠アカウントでも故人のアカウントでも一斉に抹消する道を選ぶ可能性があるという。

私は以前、ある憲法学者の書いた著作についてツイートしたことがある。すると、ご本人から感謝の返信をいただいた。私は嬉しくて、それをブックマークに収めた。が、それから半年ほどのち、その方は高速道路で亡くなった。

SNSやブログに記された無数のテキストは<運営元の方針あるいは事業撤退ですべてが無に帰すことがある(記事より)>。マスクのような資本家にとって休眠アカウントのログなど残す価値のない不動在庫のようなものかもしれない。
しかし私は、故人の遺したツイートは(著作などと同様に)保護されるべきだと思う。たとえ顧みられることがないつぶやきだろうと記録は大切に保管されたほうがいい。おおげさかもしれないが、それは人ひとりが生きたことの証だからだ。

氏とは今でも相互フォローだ。

 

ツイッターに常駐している人に向かって、ツイッターは人の怒りを糧に収益化を図るシステムだよと説明しても、あまり理解してもらえない。
ちょっと前まで私自身もそうだった。政治や社会の問題を語っているつもりが、いつのまにか論点から外れている。アンチから降りかかる火の粉を払うことが「たたかい」だと錯覚してしまって。
ツイッターに長くとどまっていると、そのことがわからなくなる。賢明だったはずの政治家や学者や論説委員までが、異論に対して毒つくようになる。
それで肝心の政府やエスタブリッシュメントは痛くも痒くもない。ツイッターの蛸壺化を高みから見物(観測)している。
読む側の怒りを惹起するマスクの発信は、本邦インフルエンサーのそれによく似ている。橋下徹堀江貴文西村博之、三浦瑠麗、田端信太郎、等々。反感買うのを見越した上で、わざと挑発や詭弁を弄するところがそっくりだ。
罵り合いの常態化。それがマスクの目論みなのだ。トランプの召喚をはじめとする解凍の恩赦も、それを助長するためのものだ。
今後もツイッターを利用する際には、クリンチみたいな引用にいちいち反応せず、アウトスタンスに徹しようと私は考えている。

 

私がtoot.blueをメインにしようと考えた理由は、ここならかまえず素直にことばを送りだせると直感したから。時事に偏らず趣味の話もしようと思ってる。

 

私も数日前に夜の会合(飲み会ではないよ)で胸がぎゅーっとなって中座したばかり。舌下錠で落ち着いたけど十日の間隔で二度はさすがにヤバいな。心電図はきれいなもので血圧も少し高めなくらいだけど、いっぺん精密検査したほうがいいのかもな。

 

地上波はそういう(増税の)風潮を積極的に推し進めているからなあ。「んー困りますけど……近隣諸国との緊張が高まっているなか、万が一に備えての、その、増税も致し方ないんじゃないですかねぇ……」なーんて街角の(理性的な)声を拾いあげて。

 

不特定多数に呼びかけでも来ないだろうから、何人かを一本釣り、もとい直接交渉しようかと考えている、「マストドンに来ませんか」と。

 

えーと今私はマストドンの公式?アプリを使って投稿していますが引っ越し以後どうも調子が悪くなって途中で文字入力が固まってしまう。

どうやら今のは無事に投稿できたみたいだけど65文字くらい入力したところで突如として動かなくなるんだ。なぜだか理由は分からない。
mstdn.jpの方は<アカウントは引っ越し設定されているため非アクティブになっています。Your account is fully operational.>のままだし。
アドバイスにしたがってMastodon for iphone and ipad再インストールしてみた。するとあきらかに動作が軽快になった。mstdn.jpをサインアウトして、toot.blueに一本化したが、二つを交互に使うのはアプリに負担がかかったのかもしれないな(と、システムに疎い私の想像)。
 
今日は同じ曲を何度も聞いた。シュギー・オーティスの「ストロベリー・レター23」。ブラザーズ・ジョンソンのカヴァーが有名だが、私は1974年の『インスピレーション・インフォメーション』に収録されたオリジナル版の方が好きだ。トッド・ラングレンのソロ作品に通じるデリケートなサウンドは、シュギーがいかに豊かなイマジネーションを備えているかを余す所なく表している。後半、複数のギターによるミニマルなシーケンスにグロッケンシュピールとオルガンが重なり、フェイズシフターが音響の全体を包みこむあたりで、私はこの曲のとりこになり、もう一度くり返し聞いてしまうのだ。

open.spotify.com

ファクトチェックイニシアティブや日本ファクトチェックセンター等の<報道機関独自ではない、外部に司令塔があるファクトチェック>を使って、新型コロナワクチンに関するネット上のデマの根絶にいそしんだバズフィードジャパンなどは、さしずめ厚生労働省出先機関といったところか(ふり返れば、行政の「生活保護の水際対策」への批判も厚労省の見解をまんまなぞっていたし)。オンラインメディアがSNSに投下する情報に、省庁の企図がからんでいないとは誰がいえよう。私はワクチン接種に反対ではないが、バズフィードはワクチン反対派の意見を封じるべく、ファクトチェックを行い「誤情報」と判定することによって、世論誘導の一翼を担っていたとみている。

nordot.app

べつにキャンペーンをうってもかまわないのだ。それが社会に資することだというのなら、ワクチン接種の啓発も原発再稼働の必要性も、堂々と唱え続ければよい。
問題は、さも中立を装って、片方の意見を一方的に誤りだと断定する、その立ち位置というかありようである。ファクトチェックの目的が支配構造の維持であるなら、フェアであるとはお世辞にもいえまい。けれどもマスメディアやオンラインメディアが取りあげるファクトチェックは、ネット上のあやしげな言説や風評を取り締まるのがもっぱらで、報道機関が発表した報道の内容にたいする検証はまったく行われていない。自分たちの発信する情報は無謬であるが前提なのだ。それで審判を努めるのは、キャッチャーが自分の受けた球を「ストライク」といっているようなものだ。きじにゃあ氏が<こういう話が表に出てくるときにはすでにいろいろと動いている。報道機関独自ではない、外部に司令塔があるファクトチェックとかは、一般人の言論統制手段だと思うよ>と指摘するとおり、ファクトチェックは一般人への言論統制手段といっても過言ではないと思う。
誤情報には警戒すべきだし、デマの流布は許されざることであると私も思う。ただ、メディアの「外」に設けられた団体が、第三者機関のような位置づけであることには疑問を抱かざるをえない。率直にいうと「あんたらグルだろ」と思っている。

 

アニメね。
美少女が・世界を救うため・巨悪に立ち向かう、以外の設定のアニメが観たいな。

 

マストドンと最初に聞いたときマスチゲンという薬を連想した。

すでに誰かが言及しているかもしれないけど言っておきたかったーーそういうの、ない?

 

あるある。

書類の提出はもとより集金となるとなおさら大変。未提出はたいてい常連ばかり。

今日は元の職場に行って大根を掘ってきます。

一昨日は音響担当、今日は軽トラ担当と、落差が大きすぎる。ふだんはパソコンの前に座っている私だけども、たぶん来週あたりサンタさんにならなきゃいけない。ユーテリティプレイヤー。サラリーは少ないが、飽きない仕事だよ。

今年は上出来。引っこ抜くのに一苦労するほどの、すばらしい大根でした。

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大根おろしにしてみて、さらにびっくり。シャーベットみたいに口の中で溶けてゆく。辛味のなかに甘味があって、後味がとてもよい。いやー、美味しかった。

 

渡る世間は鬼ばかり」のテーマ、野球の応援歌にピッタリだと思っているのだが誰にも理解されない>というトゥートに、⇒ 私も、「千の風に乗って」をプラスアレンジしたらマーチングにぴったりだぞ、と前々から言っているけど、一度も賛同を得られない。

 

BS松竹東急で小津の東京物語を放送しており、いま観ている。

 

近藤健介は福岡ソフトバンクホークスへ移籍するのか。埼玉西武ライオンズに来てくれるんじゃないかと期待していたんだが。残念すぎる。

 

迂闊にも気づいてなかったが、キング・クリムゾンのアルバムがほぼ全タイトルSpotifyにアップされている。今までは直近のライブ盤をいくつか載せたり、再リリース時に期間限定で出していたりしていたが、何の心境の変化か、ロバート・フリップのソロ作品までもがフルラインナップだ。
私はさほどクリムゾン宮殿の迷宮(おびただしいボックスセット)にははまらなかったが、それでもオリジナルタイトルはぜんぶ履修した。プログレッシヴロックのカテゴリーだけで済ますことはできない、別格の存在だと思う。とくに第二期の三部作(太陽と戦慄・暗黒の世界・レッド)は、今聞いても興奮する。あまりよく知らないという方は、ぜひ聞いてみてほしい。難解に感じるかもしれないが、今までと違う斬新な試みが行われていたことがわかるはずだ。この大盤振る舞い、いつまで続くかわからないのでお早めに、と申し上げておく。

あと、マストドン的に、この曲は押さえておきたい。キング・クリムゾン「エレファント・トーク」。

open.spotify.com

【血縁という言葉がきらいだ】

連綿と続く血統の継承。自分の血を濃く受けついだ子どもに事業を継がせたい。そう願うのが大方の経営者だろうが、たとえ私企業であっても、社会における法人の役割を慮るなら、血縁の尊重は厳に戒めるべきである。政治家ならばなおさら、自分の身内に利益を誘導し、一族の繁栄を目的としてはならない。

同族や同郷者といった共同体を優先するがあまり、排他的に陥ることを縁故主義ネポティズム)と呼ぶ。縁故は社会に腐敗をもたらす。歌舞伎の襲名よろしく身内を後継者とする世襲を政治に持ちこんではならない。「ご立派に成長なされた__さんのご子息」みたいな世間に横溢する世襲への憧れを断ちきっていかないと、公平で公正な社会は永遠に訪れない。
コネクションの有無で採用や契約が左右されるような「ありふれた不公平」を解消していくことが、政治の本来の務めである。これ以上、世襲政治家は要らない。有権者世襲政治家が跋扈するような国会を選挙で変えていかなくてはならない。

 

 *

マストドン JP(2022/11/14~2022/12/11)全記録 その1
はてなブログに投稿しました。タイトル通り私がmstdn.jpに投稿したトゥート全てを時系列に並べたものです。テキストをペーストしてみると約25000文字もあったので、その1その2に分けました。自分用の記録ですからほとんど編集していませんが、少しは読みやすくなっています。よろしければ、のぞいてみてください。

 

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

マストドン JP(2022/11/14~2022/12/11)全記録 その2
こちらは後半(11/30〜)です。読みかえしてみると、私自身がいかにTwitterに依存していたかがよく分かります。まるで禁煙者のように悶えている。時事について言及した投稿もいくつかありますが、半分以上はそれこそ「つぶやき」です。いや、ぼやきかもしれないな。私は日常の些細なことがらを簡潔なことばで表したものを、より愛おしく感じます。べつに誰かに刺さらなくてもいい、四六時中、呪詛をまき散らなくてもいい、そう思えるようになっただけでも、マストドンに来てよかったと思います。

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

今回の記事は、mstdn.jpに限るもので、toot.blueを同じようにまとめるつもりは毛頭ありません。そんな七面倒くさい作業はしないよ。もちろんマストドンをやめるつもりもないです(と書いたけど、ひと月ごとにまとめる慣習を続けようかと思って、今回この稿を編集している)。

……あぶない。七面倒を七面鳥とタイポしたまま投稿しそうになった。

 

昨晩投稿した「血縁という言葉がきらいだ」の不満な箇所をいくつか訂正した。
toot.blueの編集機能はありがたい。

 

おお、白いものがちらほらと。これは雪か。

 

昨日Workingman Deadを聞いていた。かれらはピート・シーガーウディ・ガスリーの継承者でもあったね。

 

たしかにハーゲンダッツは高い。けれども夏コロナにかかって喉の腫れがピークのときは、あれしか受けつけなかった。

だけどそれからチャイが味をしめ、私たちがハーゲンダッツを食べるたびに「ぼくもなめさせろ」と要求するようになった。彼はバニラが好物で、しかもハーゲンダッツ以外のアイスはそっぽを向く。ぜいたくな猫になった。

ところで、私は朝から喉が痛くて微熱がありだるいので、早退してさっきまで眠っていた。抗原検査キットでは陰性だったが……

 

G.E.M.【倒數 TIK TOK】鄧紫棋/香港のシンガーソングライター鄧紫棋の曲はかっこいい曲が多いですが、私はこの曲が一番好き。とにかくかっこいい>というトゥートに ⇒よいPV。アラニス・モリセットの「アイロニック」を連想した。

 

ツイッターで親しく交流している方からお歳暮が届いた。大きなりんごが二つ。小さな手紙が添えてあり、「Twはもう辞めてしまったのですか」と書かれていた。
その方は半月ほど前、「私には他に行くところがないから」と私宛にメンションを送ってきていた。そういう方に「マストドンに来ませんか」とは誘いにくい。
私は最近、マストドンで反響があったトゥートをツイートしている。投稿したあと通知は一切みていない。が、それは不誠実な態度ではないかとの思いがつのる。私は何のために投稿し続けているのか。自己満足か、それともツイッター上の意見表明にいくばくかの公益性があると考えてのことなのか……
わからない。わからないが、このままで良いはずがない。イーロン・マスクが好き放題にふるまう今のツイッターには最早なんの期待もないが、そこで出会った何人かの人たちとの淡い交流を断ってしまうのはあまりにもつらい。
週末にはこちらからも何か季節のものを送ろうと思う。マストドンに来ませんかと誘ってみようか。そのほうがきっと心安らぐからと。 

 

エルトン・ジョン、ツイッターを止めるつもりであることを発表 | NME Japan

エルトン・ジョンでいちばん好きなアルバムは『マッドマン・アクロス・ザ・ウォーター』。バーニー・トーピンの綴った今様の壮大な叙事詩を、エルトンは数分間のポップスに収めてしまう。その才覚が何のトラックからも溢れんばかりだからだ。「タイニー・ダンサー」には最近つくられたプロモーションヴィデオもあるけれど、私はピアノ弾き語りのほうが好きだ。このままシンガーソングライターの道を着実に歩むか、それともさらなるエンターテインメントの道へ進むのかを、今まさに岐路に立つ若者が私たちに語りかけているように感じるからだ。

Elton John - Tiny Dancer (Live On Old Grey Whistle Test) - YouTube

 

こんなツイートを見かけた。

ある新聞関係者と飲んだとき、「新聞社が生き残るためには大同団結するしかない。朝日も毎日も読売も産経もみな一緒の会社になればいい」という意見が出た。そんな発想をしたことはなかったが、たしかにこの4社が合併すればヤフーニュースやLINEニュースに対抗できるのかもしれないと思った。(亀松太郎氏)

新s(あらたにす)を思いだす。日経・朝日・読売3社による事業組合が運営していたニュースサイトを。新聞社が合同でインターネット上の事業を展開するのは難しい部分が多かったのだろう(2008年1月にサービスを開始し2012年2月にサービスを終了)。
新聞関係者からしてみれば、Yahoo!ニュースやLINEニュースに自分ところの記事が転載されるのは愉快ではないだろう。自社の有料サイトでは全文が読めないのにヤフーでは読めるというケースもあるから、なおさらだ。購読者離れがますます加速化している中、何とかしなくてはの思いが、新聞社大合併の夢想を語らせるのだろう。
が、時すでに遅し、が私の感想だ。今さら新聞社が合併したとして何になるだろう。ふたたび翼賛報道に堕すのが関の山ではないか。

それでなくても、新聞各社の政治部による記事は横一線から抜けでることはなく、官邸の思惑と合致した、記者クラブでのすり合わせが透けてみえるような記事ばかりである。紙面において一社統一はすでに達成されているといっても過言ではないだろう。
しかし、
新聞社が今までに培ってきた取材のノウハウと取材にかかる資金を支える体制の構築は、他が容易に真似られるものではないと思う。フリージャーナリストでは突破できない壁がある。新聞社の看板には相応の値打ちがあるのだ。それを新聞社はどれだけ自覚し、活かしているかは甚だ疑問だけれども。
一次ソースを世に出すには時間と労力とコストがかかる。Yahoo! やLINEのニュースサイトは取材をせずに転載するだけの極端にいえば上澄みを掬うだけのおいしい商売だ。しかし、それでは自前で厚みのある記事を世に問うことはできない。
これは新聞記事に限った話ではない。音楽のサブスクリプションにも同じことがいえる。レコーディング等に費やされるコストをSpotifyが負担するわけではない。ただコンテンツとして利用するだけ。これでは文化としての音楽は衰退してしまうだろう。新聞記事と同様に。

 

私たちはインターネットで情報を簡単に入手できると錯覚している。だが、ただ漠然とサービスを享受しているだけでよいのか。たとえばこのマストドンのサーバを支えるための資金はユーザーが賄うべきではないのかな。
そんなことを考えていた、話が飛躍しすぎだろうけども。
イーロン・マスクにお金を吸い上げられるのはごめんこうむるが、toot.blueを維持するためのドネーションなら喜んで。
情報を伝える道は、みずから確保しておきたいと思うから。

 

今夜は『秋日和』。中村伸郎、いつ観てもいい味だしてる。

しかし中年男三人のやりとりは今なら全員アウト、だ。

 
【今週の新譜】
『ワカ・ジャワカ/グランド・ワズー』はフランク・ザッパの全キャリア中、電化室内楽といおうか、いちばん曲調の穏やかなころだ。初手はここからでよいかもしれない。

Waka/Wazoo - Album by Frank Zappa | Spotify

うるさくないから、かけっぱなしにしていても眠れる。すごい演奏がくりひろげられているんだけどね。

 

www3.nhk.or.jp

私は今のところロックされていないが、時間の問題だろうな。

さっきの「ツイート」、定期的に投稿しようかな。いやマジで。適当に文言かえて。今まで私、なにを遠慮してたんだろう。いいと思ってるんなら、素直に書けばいいじゃんか。マストドン最高だよって。

 

「浮草」はさすがにパス。いくら傑作ばかりでも、小津映画を毎晩つづけざまに観るもんじゃない。

 

熊本県は16日、新たに3213人の新型コロナウイルス感染を確認したと発表した。前週の金曜日から5割強増え、14日連続で前週の同じ曜日を上回った熊本日日新聞) 

新型コロナ感染者数3213人。とんでもない数字だ。私の周囲でも発熱、咳、悪寒、喉の痛みを訴える人が増えた。風邪、インフルエンザとの併発もありうる。この冬さらなる大流行も予想される。用心するに越したことはない。

 

既存のメディアや公的機関、それにアーティストたちは、とうぶんツイッターから離れないんじゃないかな。情報拡散のためだとわりきって、マスクの専横を見てみぬふりしながらツイッターを利用し続けるだろう。でもマスクは、どうせここから離れられやしないさってたかを括っている。足もと見られているんだ。

 

感度がにぶいんだよ。マストドンとリンクできない? それで何か問題でも、って反応だ。まあわからないでもないな。かりに自分がツイッターをメインに使い続けていたら、外野からの忠告を余計なお世話だと感じるかもしれないから。

 

村上春樹の小説は)小さなエピソードが印象に残っている。高松の名曲喫茶でホシノくんが百万ドルトリオの「大公」に感銘するところとか。

 

ゴンチチの「世界の快適音楽セレクション」でも渡辺亨氏が選曲したバーラ・デゼージョ(Bala Desejo)の『SIM SIM SIM』がかかった。昨夕も地方局でかかっていた。私も先月マストドンで紹介したけど、これはホントにブラジルの今を反映した傑作だと思う。おすすめします。

 

(レイチェル・ソーンさんからのリプライに添えられた写真に)スイカから生まれた赤ちゃんのエピソード。そのあとのやりとりも楽しいから見てみて。こういうリプライはいつだって大歓迎だよ。

 

ツイッターに棲まう人たちはツイッターへの批判をあまり嫌がらない。むしろツイッター批判を喜んで受容する。ところが他所のサービスを取りざたするのは好まない。マストドンに来ませんかと呼びかけても、応える人はごく稀だ。

ただね、私がツイッターに夢中だったころ、知人に「顔本(Facebook)はいいぜ、匿名ばかりのツイッターみたく陰湿じゃないし」と云われたときは、さすがにいい気持ちはしなかったな。

マスク支配下ツイッターは確かに迷走し続けているが、それに無自覚なユーザーばかりではないはずだ。ツイッターが唯一のソーシャルメディアではないということと、誰でも利用できるサービスが他にもあるということをアナウンスしていく必要はあると思う。
それにしても、他のSNSとの併用を検討しようとしない心理的抵抗感は何に起因しているんだろう。いつのまにか不可視の境界線が引かれているような。

"Dear Twitterer, won't you come out to play?"
マストドンは意識高い系だと勘違いされているかもしれないけど、そうじゃない、心の壁をとり払ってみてよと呼びかけてみたい。なんだか、ちんけな縄張り意識みたいなものが、世界規模の情報通信網であるはずのインターネットを、風通し悪いものにしているような気がしてならない。もっと自由に往き来すればいいのに。私は、今が適所だと思いこんでいる人たちの固定観念を解除したいんだ。

 

(<結局マストドンに居てもツイッタの話がいっぱい流れてきて、…… 早く一段落すればいいのに>という反応に)

そうだね。ここんとこツイッターの話しすぎてたな。明日は他の話をしよう。

 

www.nikkei.com

私も「外交での説得力にもつながると考えて防衛力を整備している」という、身も蓋もない発言には驚いた。

 

国立病院機構熊本医療センターの近くにある(旧知の二人が経営する)八木カレーにて遅い昼食ちゅう。写真をあげたい誘惑にかられるが撮影禁止なので。
あまり教えたくないが、最高にうまいです。来熊の際はぜひ。

 

たまたまテレビ点けたら、かもめんたるが漫才やってた。岩崎う大の着眼点はわりかし好き。M-1、他のは観ないよ。

落語家の立川志らく(59)も「今の時代は人を傷つけてはいけない時代なんです。それが人を傷つけまくるでしょ。だから、あなた方がスターになってくれれば時代が変わる。本来、笑いというのはそういうもの。毒があるのが面白いので、これが王道になってほしいという願いも込めて、98点にしました」スポニチ記事より)

結局、本選の後半を観てしまったが、松本人志立川志らくが毒舌の復興を願っているのがあからさまにうかがえる結果になった。彼らの思う毒舌とは自分たちが好き勝手にものをいえる自由のことだ。そしてその毒は権力には決して向けられない。彼らの毒は権力にあがらい、あるいはまた疑問を訴える人たちを腐し、叩くために向かう。だから風刺にはなりえない。ただのうす汚ない悪口にしか。

 

マストドンに移籍してみてホッとしたのは、政党のスローガンや党内でしか通用しないジャーゴンを振りかざす専従的アカウントが少ない(皆無とはいわない)こと。手垢にまみれた常套句の羅列をみていると、それ誰かの受け売りでしょといいたくなる。どんなにでこぼこな文章でも、思考をめぐらした形跡があれば、もう少しあなたの話を聞かせてよという気持ちになる。蒼象のローカルタイムラインをながめていると、トゥート一つひとつにそれぞれの個性がうかがえる。おもしろいよね。

 

(タイムラインがおでんの種で盛り上がっていたので)

おでんに里芋を入れるのは一般的なのかな。

里芋うまいですよ。あと九州人として、おでんの種にさつま揚げは欠かせないところ。

 

塩村議員からフォローされていた(上の投稿に「いいね」をもらっていた)。投稿ゼロだけどホントにご本人だろうか。しばらく様子見しよう。話題は何でもいいからまずは発信してみてくだされ。

※じつは先月ツイッターで塩村あやか議員(立憲民主)の「減税ポピュリズム」発言を手厳しく批判したところだった。

 【ここはマストドンだ(自戒をこめて)】

知ってるかもだけど、私は緊縮財政反対派で、財務省主導の財政規律は経済の衰退をまねくと考えている。庶民の暮らしを守るためにも消費税は減税いや廃止すべしの、れいわオーナーズでポエムな鰯さんですよ。積極財政派につける薬はないと嘲っていた立憲民主の議員(米山隆一)を「左様なら」するくらいの……
いいのか、それで?
いいんだ、ここはツイッターではない。
ここはマストドンだ。バトルフィールドではない。無用な身構えはやめにしよう。

 

さて、

はてなブログの容量が、そろそろ限界に近づいているころだ。続き(12/19~12/31)は次にエントリーしよう。 鰯(Sardine)2023/01/04