鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

もう一本の『電車道』(2018-11-09)

【お断り】

このコラムは2018年11月9日に「もう一本の『電車道』」という題名でポストしたが、その後あまりの不出来に恥ずかしくなり、格納庫におさめていたものである。

今回蔵出しする際、パーソナルな部分を一部割愛して再掲した。

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 筆者は伏し目がちに「いやぁ適当に読み流してもらえればいいんですよ、ぼくの小説なんて」と謙遜していた。適当にというより、よどみなく読み進めていきたいのだが、気がつけばまるで密林をさまよっているみたいに読む速度がのろくなる。単線かと思っているうち複線になっているとでもいうか、読者の意識には本筋とは違う、もう一本の線が起きあがってくる。

 礒崎作品はどれも改行が少ない。とはいえ横光の「機械」のように文字がぎっしりと詰まっている感じではない。むしろ息継ぐすき間の多い平易な文体であるが、改行の少なさは連続した思考を促す。たとえば以下のような箇所でページをめくる手がとまる。

すると突然、何者かに自分が試されているように息子は強く感じた、お前はこの場面で一歩を踏み出し、吸殻を踏みつぶして、火種を完全に消すことができるのかどうか? (中略)四歳の子供としては明らかに自意識過剰だが、どうしてだか本人にとってはそれは他人に知られると酷く恥ずかしい、大人びた行為のように思われた。(『電車道』214ページ)

  これと同じような経験が私にもあるので、記憶が呼び覚まされるのだ。以下のように、

踏み切りの前で同級生と会う、向こうは「よう」と声をかける、が、「ぼく」は言いよどんで上手く返事できない、気まずい思いをしていると、母親から「ちゃんと挨拶なさい」と注意される。

 などといった忘れかけていた苦い記憶が蘇る。

 これはなにも『電車道』に限らず、他の礒崎作品にも共通して見出せる要素で、『世紀の発見』なんか記憶を惹起する描写のオンパレードで、詳しく書くと長くなるので割愛するが、布団から見あげた天井の節目をたどっていくところなんか、あーそれだそれ、それは私にも覚えあるぞと、板張の木目が何だか顔・鳥・馬・山に見えてくるアレだな、と自分の経験が、書かれているテキストから分岐し、並走しだすのである。

 だから「読んでて、クラクラする」んですよ。

 

 とはいえ『電車道』は、ノスタルジーを喚起するだけのヤワな話ではなく、明治の頃はまだ海のものとも山のものとも知れない交通機関であるところの鉄道を敷設した男と、またその沿線で土地を開墾し私塾を開いた男の二人を軸とした、百年間の経過を綴った小説である。

 ただし、題材から期待されるような稀有壮大さや成功譚に特有の爽快さは微塵もない。むしろ意識して勇ましさから遠ざかろうとする。磯崎は鉄道会社設立の資金繰りに奔走する男の動機をも、「とどのつまりは・虚栄心を満たすため」だと突き放してみせる。主人公の心理と一体となって、読者に疾風怒濤の荒波を浴びせるような真似はしないのだ。

ただ一人、専務だけは電灯会社が鉄道を持つことに断固反対し続けていた。「こんな田舎町ですら商店や役場の回りは街灯が通行人の足下を照らすようになった(中略)博打みたいな投資をして鉄道などを傘下に置いて、その浮沈が発電所の操業に影響を与えるようなことがあってはならないのだ」(82ページ)


  この箇所を読んだときに奇妙な既読感があった。しばらくして思いだした、石川達三の『交通機関に就いての私見』に似ているのだと。あれは石川が、郷里の町並が伯備線の開通によって変貌していったことを嘆く、文明社会への抵抗を表明した掌編だった。

 しかし文明の発達とは、そんな個人の思惑など頓着せず、ただひたすら発展の一途をたどってゆく。荒野を切り開いて線路は延びてゆく。線路が敷かれたあとに、泥縄式の宅地造成が始まる。私塾を創設した男が地元の子供たちに縄を持たせて、適当に区画を決めていった町が戦後は誰もがうらやむ高級住宅地と化してゆく。だが、その繁栄をもたらした理由をたどれば関東大震災であり、B‐29の空襲であり、都心を逃れ、郊外に居を構えるというそもそもの発端が無秩序で、無計画であったことを示唆するあたり、礒崎の批評性もまた、一筋縄では行かない。

 そういえば結婚前、私は義父の書棚に鉄道会社の社史を発見し、読ませてもらったことがある。昭和30年代に西日本鉄道は、福岡と北九州と筑豊筑後と佐賀とを網羅しつくす計画であったらしい。幻の路線図が載っていた。もちろんモータリゼーションの到来とともに計画は頓挫し、西鉄もまたバス運行を主軸と転換せざるを得なかったわけだけれども。

 閑話休題

 そのような「運命の一ひねり」は人の生涯のいたるところに潜んでいて、個人の思惑のあずかり知れぬ領域で進行していくものだ。とくに礒崎の小説には、万物をいったん相対化してみようとの働きが強く現れるがゆえに、主人公に感情移入しにくい。だいいち主役格の二人にすら名前が与えられていないんだもの、どうやって気持ちを寄せろというのだ。とケチをつけてみたが、では作者は冷徹に、はるか高みから地上を俯瞰しているのかといったら、そうではなく、むしろ登場人物よりも激しく、その時代の意識に近い位置から、憤ったり嘆いたりする。たとえばこんなふうに。

だいたい戦闘機の操縦士だって、どうして律儀に体当たりなんてするんだろう? 兵役だってしょせんは形を変えた労働ではないのか? せっかく一人で飛行機を操縦しているのだから、戦場から逃げて燃料の続く限りどこまでも飛んで、山の中にでも無人島にでも不時着すれば半分以上の確率で生き延びることができるのに。(123ページ)

 と、まるで『紫電改のタカ』みたいな空想を地の文に織り込んでいく。そして、

それなのに私たちは、義理や人情や友情の網にがんじがらめに縛られてしまって、身動きが取れないのだ、これがお前の仕事だと教え込まれたら、殺す側も、殺される側も、じっさいにその仕事をやり遂げてしまうほど従順で愚かなのだ。(123ページ)

 戦争のただなかの、戦火を逃れる人々を描きつつも、このような作者自らの意思を表明していく。それは史実を記述するにとどめ、感想を排するドキュメンタリーには決してできない、ただ小さな説である小説にのみ許された特権であり、礒崎は躊躇うことなく、そこへ踏み込んでいく。

 

 が、そのような書き方は、今の「説明責任」の時代には危険をともなう。私は今回この稿を書くにあたって、ネット内に記されたさまざまな感想やレビューを、ざっと見渡してみたところ、とくに芥川賞受賞作である『終の住処』に顕著だけれど、「主人公に共感できない」式のふやけた感想が少なくないということに気づいた。日本の小説の読者は、いったいいつから文章の咀嚼力が衰えてしまったのだろう。主人公が思いどおりに動いてくれなければ即つまらない作品なんだろうか? 莫迦いっちゃいけない。

 なるほど礒崎の小説は、そういった読者の期待からナチュラルに逸れていく。主人公の性格が好きになれないのはかまわない、が、読者はもう少し想像力を働かせるべきではないかと思う。お人よしばかりの登場する小説のほうが余程退屈だろう。先にも述べたように、私にとっての面白い小説は思考を促す働きをもった小説である。

 たとえば礒崎には『絵画』という短編があるけれど、あなたは絵を描くときに、どんな思考をめぐらすだろうか。橋があり、川があり、鳥が飛び、人が行き交う。それらを画用紙に収める際に、何を選び、どう配置し、どう彩るか、考えないだろうか。礒崎は一つひとつ小説で試行しているが、それが錯誤かどうかは、あまり深刻にならないよう心がけているはずだ。

 ある新聞社のインタビュー記事を読むと、礒崎は小説を書く際に、あらかじめ計画しないで書きだすのだという。東工大の教授でもある礒崎先生が、作品を構成するにあたって設計図を引かないとは何と大胆な、と思うけれども、これまた小説のみに許された、数少ない自由の領域なのである。人間の行き着く先は決まっており、他はないのだ。が、終点にいたる道筋は幾通りもあり、作者も読者も、それを自由に選ぶことができる。となれば、選択肢は無数にあったほうがいい。

 今回この稿がどこで終わるか、私にも見当がつかない。だけど書いていてワクワクしている。三島は書くべきことを先ず箇条書きにし、それを一個ずつ原稿用紙に書いてゆけば、おのずと小説は書きあがるといった。なるほどそいつも手だ。が、先のあてを考えずに書くことはむちゃくちゃスリリングだ。

 じゃあ私は私の脱線した『電車道』を書こう。イマジナリーラインを超えて、モンタージュを省略して。そんな気にさせられる、もちろん稿はあらためるけれど。※

 

 どの道、たどり着く先は決まってる。『電車道』もまた例外ではない。たそがれの住宅地によく似合う薄暮の情景は、今の日本がおかれた状況を簡潔にスケッチしている。

 礒崎は私より少し若いけれども、基本的には同世代だ。彼や私の少年時代が、

過去百年の日本の歴史の中で、昭和40年代こそが子供たちにとって最も幸福な時代であったことは疑いようもない。(207ページ)

と回顧していることにも共感できる。

 ただ、その相対的に配置した幸福のありようがいかに微妙な均衡の上に成り立つ脆いものであったかも、同時に意識しなければならない。だからか礒崎は作品の中で、過去の歴史の悲惨について訴えるとき、権力ではなく弱者の側に寄り添おうとする。

 丁稚奉公の辛苦について、

いずれ人類が滅亡するとしたらそれはあかぎれの痛みのためではない。いったんある方向に転がり始めてしまったら、途中で立ち止まる勇気がないがゆえに、ただ判断保留がゆえに、つまりはその愚かさゆえに、人間は死ぬまで転がり続けてしまう。(31ページ)

  そしてまた、「電車がきまっせえ。あぶのおっせえ」と、京都の路面電車の前を叫びながら走る告知人について、

その少年も力尽きて線路上にしゃがみ込んでしまった、頭を股の間に深々と挟んで、額はほとんど地べたに触れるぐらいだった。誰もが家へ帰る時間だというのに、どうせこんな雪の日に通行人なんていやしないのに、それでも告知人が電車の前を走り続けねばならない理由とはいったい何なのか。(41ページ)

 これらの文から滲みでる感情の表出が、私のもっとも好きな礒崎の側面である。

 

 人間の営為は莫迦ばかしくも愚かしい。盆踊りとバケツリレーの先に、戦火の惨禍が待っている。だが、その時々を生きている者に、進行中の愚行は自覚できまい。愚かだと指摘すればつまはじきにあうのが日本社会の世の常だ。そして「あんな思いは二度としたくない」はずの風潮が、ふたたび復古しようとしている。

 私たちは過去よりも今を、今よりも未来が良くなるものだと信じている。が、より良い明日を獲得するために人類はどれほど多くの犠牲を払ってきただろう。百年の孤独な過去に思いをはせるとき、私はそのことをいつも考えてしまう。戦前・戦後と歴史を区分することに果たして何の意味があるのか、時刻という名の垂直な縦線は、無窮の、水平な時の流れを寸断するばかりではないかと。

 礒崎の奏でる長い旋律は、まるで小節線のない現代音楽のようだ。が、その息の長い文章に慣れてしまえばあとはこっちのもの、内面の深くまで潜るには格好の道案内だ。彼の敷いた鉄路を機関車は走ってゆく。その乗客になるもよし、あるいは次の電車に乗り換えるもよし。終点は近い。だからこそ私たちのあとを継ぎ、未来を担うきみたち若者へ、この本を贈りたい。

 

 礒崎憲一郎の書籍は、まともな書店なら必ず置いてある。どれでもいいから一冊手にしてみてほしい。『電車道』もすでに文庫化されている。

 文芸雑誌『群像』にて連載されていた『鳥獣戯画』が、目下(2018年時点)の最新刊である。

※ 敬称略、引用をお許しください。 

 

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