鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

マストドン蒼象の記録2(2022/12/19~2022/12/31)

もみじはきれいだな。ひとつとして同じ彩りの葉がないのには驚く。

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NHKBSのトップニュースが「マスク氏ツイッターCEO辞任、賛成多数」とは、常軌を逸している。どうしちゃったんだ、“たかが”Twitterだぞ。マスメディアのマスヒステリアを目の当たりにする師走の夜。

ホリエモン騒動を彷彿とさせる悪ノリ状態。でも。もともとマスメディアは、ツイッターを疎ましく思っていたんじゃないのかな。少なくとも本邦では。

私はやっぱり悲しいんだよ。かつてのホームグラウンドがやりたい放題に荒らされていることに。もしも私が今なおツイッターに留まっていたら、かかる惨状をどう見ただろう。なにか思うところを書いただろうか。それとも、騒動を無視しただろうか。
いずれにせよいえることは、もう元へは戻れないってことだ。

私的には今年の新人王です、Ellie Dixon "CEO of Watching Television"。

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今ざっとツイッターに行ってタイムラインをスクロールしたんだけど、驚いたね、誰もマスクの迷走について言及してないんだ。ようやくマスクの三文字を見かけた、と思ったら森哲平さんの投稿だったよ。

みんな見てみぬふりしているみたい。ていうか、誰もTwitterの将来を心配していないようだ。

今だけ使えりゃいいってことか。

もちろん、マストドンでよくお見かけするアカウント(先ほどブーストしたねずみ王様さんだとかpika.pikaさんだとか)もマスクとマスクについての報道機関の悪ノリについて言及しておられる。けれども全体としては驚くほど取りざたされていない。自分たちの使っているSNSが世間で話題の焦点になっているというのに、ふだんと変わらない調子でツイッターを使っている。私はその光景にやはり違和感を覚えてしまうのだ。戦争が始まっても今が戦時下であることをなかなか自覚できなかった「国民」とはこういう具合だったのではないか、と思ってしまった。

 

たとえば3日前、『立憲民主党、防衛3文書「容認できない」泉代表が声明』の自社記事を引用しつつ、<国民の生命と財産が脅かされても被害が出るまで何もしないということでしょうか。旧民主党が政権を陥落したのは非現実的な安全保障政策が一因でした。>と上書きした日本経済新聞政治・外交のアカウントは、当然批判されて然るべきだ。
が、しかし日経は批判が殺到することをあらかじめ見越したうえで発信している。つまり炎上が前提の燃料投下なのだ。挑発をみすみす看過ごすこともできずに、ツイッターの「良識」は誤りを糾そうとする。私は彼らの姿勢を尊いと思う一方、そうした対立を生み続ける構造そのものが政官財の権力に都合よく利用されていることにあまりにも無自覚なのではないかと懸念を抱く。また、たたかいそのものが目的化してしまい、ツイッターの内側で濃度を増しながら残留しているようにも映る。
最近のツイッターを傍から観ていると、先頭に立って問題提起している方々が、残響のさなかで消耗しているのが手にとるようにわかる。余計なお世話かもしれないが、誠実さが損なわれる前に、いったん外に出てみてもいいのではないかと思わざるをえない。

 

もう一曲、エリー・ディクソンかけよう。"Swing!".

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私の場合Twitterで他人のツイートを真剣に読むほうではなかった。あくまで参考に、あるいは自説を裏づけるためにという程度でいた。あたまにくるリプライも多くもらったが、ほとんど無視していた。それは自衛のためだったが、いま思えば目をつぶって運転しているようなものだった。信頼していたアカウントは百人くらいで、気を許していた相互フォロワーも百人くらいだった。
今toot.blueにいて、ローカルタイムラインをつぶさに読んでいる。ほかの人がどう考えているか、気になるというよりも知りたいと思う。今の状態がいつまで続くかわからないけれど、マストドンにきて正解だったと思う。Twitterに戻る気持ちはまったくない。
Thank You Falettinme Be Mice Elf Agin.

 

じつは今日、休んでる。老体に鞭打ってサンタに変装しなきゃならんもんでね。明後日の会に備えて。

サンタ登場のときには、竹内まりやの「すてきなホリデイ」をかけてねと頼んでいる。
♪クーリスマスが今年もやってくる、あれほど表層的な歌詞はめったにないと思う。

 

(「ここはどこ?」の問いに)

ここはね、サーバーのルールを守ってさえいれば、誰にも気がねせずに、自分の思ったままを書いていい場所だよ。(ですよね?)

 

嶋理人さんの記事、楽しく読んだ。おもに首都圏における私鉄の敷設が、いかに本邦における近代的な市民を形成するのに寄与したかが、時系列に沿って、丁寧に記されている。こういう優秀な研究者が地元の私立大にいらっしゃると知り、喜ばしいかぎりである(ツイッターでは匿名だったので知るよしもなかった)。

【前編】

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【後編】

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これを読んで私は、嶋さんがいま熊本でもっぱらの話題である、豊肥線熊本大津駅から熊本空港への延伸計画について、どう見ていらっしゃるかを訊いてみたくなった。延伸にはTSMCの誘致ともからむ国や県や地域のさまざまな思惑が錯綜しているはずだから、きっとユニークな視座を示唆していただけると期待している。

記事【後編】の引用を、さらに孫引きすることになるが、
前出の西川祐子(文学・ジェンダー研究)氏はいみじくもこう述べている。「じつは日本の近代小説は、家を建てたら幸せになると思ったのに不幸ばかりおこりましたという話がほとんどなのである」『借家と持ち家の文学史)>
というくだりには、思いあたるふしがあった。
福永武彦の中編小説を読むと、家と会社とを結ぶ鉄道の存在が登場人物の心理に深い影を与えていることがわかる。他にも山田太一のシナリオや諸星大二郎の短編マンガ、あるいは山際淳司の掌編など、鉄道と沿線に遍在する「家」との相関を描いた物語は、明るく健全な家庭の理想像とはほど遠い、不幸な陰翳を含んだものが多い。三多摩の私鉄沿線を舞台にした原武史の『滝山コミューン一九七四』なども同系列に数えてもいいだろう。
しかし、鉄道の発展と沿線に育まれた市民生活についてを、時系列的しかも肯定的に描いた小説が皆無なわけではない。磯﨑憲一郎の『電車道(2017年)』は、いっけん幻想的な寓話のようでありながら、じつは史料が丹念に織りこまれた稀な小説である。未読の方はぜひ。

その磯﨑憲一郎『電車道』について以前したためたコラム。あまりにも拙い読書感想なので恥ずかしさのあまり長らく格納庫に収めていたが、さっき再読してみて「出しておいたほうがいいかも」と思った次第。興味がある方は読んでみて。いや拙文じゃなくって小説の方を、ね。

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幼稚園連合会の元会長に有罪判決 資金流出事件、東京地裁:山陽新聞デジタル|さんデジ

全日本私立幼稚園連合会の資金不正流出事件で連合会名義の預金通帳などを偽造したとして有印私文書偽造などの罪に問われた元会長香川敬被告に対し、東京地裁(中尾佳久裁判官)は20日、懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)の判決を言い渡した。被告は初公判で起訴内容を認めていた。
連合会と関連団体では約6億8千万円の不正出金があったとされ、連合会の元事務局長勝倉教雄被告が、連合会の口座から資金を着服したとして業務上横領罪などで起訴されている。香川被告は公判で20年9月に資金流出を知り、勝倉被告らから監査を通過したいと頼まれ、通帳などを偽造したと説明した(山陽新聞

全私幼連と関連団体で約6億8千万円もの不正出金があったとされるが、香川元会長が私的に流用した額は約700万円にすぎない。全国の幼稚園や保護者会から徴収した資金の大半がどこへ流出したのか、全貌は未だあきらかになっていない。幼保無償化へのロビー活動で、おそらく政治家の懐に渡ったのだと推測されるが(香川氏は山口県で幼稚園を経営していた)今回の判決、中途半端な幕引きの感は拭いされない。

 

私も、久しぶりにスティングを聞こう。
この1991年のアルバムタイトル曲、4分15秒から冒頭曲の「Island of Souls」がリピートされるが、そこへ移り変わる瞬間がとても好きだ。海原に射しこむヤコブの階梯みたいに厳かで。

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朝起きたら薬罐で湯を沸かして茶を淹れる。この一連の間に目が冴える。台所の静寂に身を浸しながら私は茶を啜っている。窓の外はまだ暗い。

 

見えたものだけをみて全てだと判断する愚は避けたい。ここに流れている意見はほんの一例にすぎないのだから。

 

法人のみアイコンが四角になったと、面白おかしく話題にする朝の報道・情報番組。そんなに一企業のサービス区分=階層の固定化が愉快かい? 莫迦ばかしい。

かと思うとNHKおはよう日本では、わざわざ西村博之辺野古についての発信(嘲笑ぶくみの言いがかり)をとりあげ、メディアリテラシーの説諭に余念がないときた。西村博之は自分のように厚顔無恥な者だけが情報発信者として生き残っているのは好ましくないとうそぶく。政府は本格的にインターネットの情報をコントロールしようと身を乗り出し、テレビはSNSや動画投稿サイトを軽蔑しつつも利用している。一般人は何の気なしに有名人やインフルエンサーの考えを基準にしてしまう。その固定化されつつある枠組みから意識的に距離を置いて判断することが、今とても大切なことではないか、と私は考えている。

それを生き残りというなら私は生き残りたかないな。ネット世界でゾンビになるなんてまっぴらだ。

【彼奴をテレビで語らせるな】

ほんとうに、wristをcutしてしまう小学生がいるんです。
自分の行為を見届けてほしいと兄弟に伝えて実行した事例もある。
親の前でやってみせればいいだなんて軽々しく口にするような人物を、やれインフルエンサーだと時代の寵児の如くもて囃すメディアもまた罪深い。
彼奴をテレビで語らせるな。

 

私はプロ野球、とくに埼玉西武ライオンズのファンだから、ツイッターでは何故か遠慮していたけど、マストドンではおおいに野球を語るつもりです。

 

NHK7時のニュースで、湾岸戦争における自衛隊の海外派遣のいきさつが、かなり時間を割いて報じられていた。

www3.nhk.or.jp

1991年、日本は湾岸戦争で総額130億ドルの支援を行ったが、アメリカ中心の多国籍軍に参加しなかったために国際的な評価は厳しく「湾岸のトラウマ」とも言われた。
こうした中、停戦後に政府はペルシャ湾での掃海活動のため、自衛隊初の海外派遣を閣議決定した。
外務省と内閣法制局の非公式協議が複数回行われ、閣議決定の2週間前に当時の海部首相と中山外相らに対し、内閣法制局工藤長官が「日本の船舶の安全確保が目的だとすることで派遣が可能」と自衛隊法との整合性を説明した。
閣議決定の2日後、6隻の艦艇がペルシャ湾に向けて出発、34個の機雷を処理して10月に帰国した。

だがこれはあまりにも一方的な回顧である。国会での論議も世論の反対も一切扱わず、当時の状況がまるで語られていない。国会を経ずに閣議決定で全てが決せられることを正当化するための、きわめて悪質な広報である。

閣議決定の名のもとに、重要な政策が粛々と進められる。首相と閣僚の相談によって国の方向性が決まっていくことの異常。この事態を異常と感じられない国民の無関心。政府の方針に一切の異議をはさまない報道が無関心に拍車をかける。湾岸戦争時の自衛隊派遣が、あたかも政府内“のみ”で調整が行われ、決定したかのように語られる。それは歴史の改ざんといっても過言ではない。毎日こんな調子で政府に都合のよい解説を聞いているうち、国民は徐々に疑問を持たなくなる。閣議決定が、国が最終的に下した判断であると錯覚してしまう。
いま本邦はおそろしい勢いで変わりつつある。大量の情報投下によって常識が次々に塗り替えられてゆく。今も経済産業省のテレビCMが流れている。ALPS処理水の海洋放出について「国は科学的根拠に基づいた安全基準を満たしている」といったゆるふわな言い分が、穏やかな若い女性の声でくり返し伝えられる。私たちの納めた税金で、国がおかした過ちの数々を正当化するための宣伝が作られる。だが、かような方針を決めたのも『ALPS処理水の処分に関する基本方針の着実な実行に向けた関係閣僚等会議』においてだ。なんと莫迦げたこと! 

www.youtube.com

ALPS(アルプス)処理水について、国は科学的な根拠に基づいて情報を発信。
国際的に受け入れられている考え方のもと、安全基準を十分に満たした上で海洋放出する方針です。

この淡々とした女声のナレーションが、私にはなんとも不気味に聞こえる。
科学的根拠とは何か、国際的に受け入れられている考え方とは何か、具体的なことは何も語られていないのだ。
(ちなみにこれはまだ辛うじて観られるが、西村経産相のヴァージョンは正視に耐えられないぞ)

国民の皆様の理解を得られるために岸田内閣と各省はいったいいくら予算を費やすのだろう。

 

苦手なやつ(イケハヤ)に似てるといわれたからアイコンを変えてみた。
あと、mstdn.jpをアクティブに戻した。引っ越し未遂のまま非アクティブはしのびないので。toot.blueが好きだから、投稿はこれからもここで。

さて、今日はサンタさんに変装せねば。

 

BGMね。ときどきぜんぜん好みじゃない曲が頭の中を駆けめぐることってない? いやじつはさっきから、DA PUMP『if…』の♪もーしも、が脳内でループしていて困ってるんだ。

昼のトゥートの続き。もっとも悲惨な「BGM」は、高校のころ数学の中間テストの最中にいきなりビューティーペア『かけめぐる青春』の「 ♪ビューティビューティー〜」が文字通り脳内を駆けめぐり、まったく試験に集中できずに赤点とったこと。

もう少しふだんの話だと、有名バンドの取るに足らない穴埋めみたいな曲が頭の中で再生されがち。たとえばローリング・ストーンズの「Llies」とか、ディープ・パープルの「Sail Away」とか。こないだはジミー・ウェブの「Laspitch」が何度も脳内でリピートしていた。ラリー・コリエルのファズギターが脈絡なく絡むとりとめのない曲で、好きでもないのに何故いつも思い出してしまうのか自分でも不思議なんだけど……
……え、「BGM」ってそういう意味のお題じゃないって? そりゃまた失礼しました。

 

【政治のトゥートをも少し読みたい】

先ほど<今のSNS界を2017年の日本の政界に例えると、たくさんの立憲民主党ができているような状態なのかもしれない>というトゥートをみかけた。私は立憲民主党とは距離をとっていた者だが、その見立ては当たっていると思う。たしかに枝野が旗あげしたときと似た雰囲気を感じる。じっさいマストドンにいる人たちは、立憲民主を支持する割合が一番多いんじゃないかな。次いで共産か。私のようなれ新支持はほとんど見かけない(そういや昨日いました)。マストドンにきてホッとするのは支持者間の罵りあいが今のところ皆無なことだ。私も___カルトと呼ばれる人たちには悩まされたし(だけど、それで傷つくほどヤワじゃないよ)。
ただ、その反面、政治についての投稿を見ることも激減した。あれほど社会問題となった旧統一教会のことも、(議員の不祥事から万博にいたるまでの)大阪維新の問題も、ここマストドンではほとんど見かけない。そこはやや物足りないところではある。
なにか思うところあればその都度、私なりに言及していきたいと考えている。政治にかんするトゥート、もっと読みたいんだよ。他党をdisるではないのを。

 

一昨日からスティングばかり聞いている。
一度は「もういいかな」とこころ離れたのを再び呼び戻したのは、ザ・チーフタンズと共演した『シスターズ・オヴ・マーシー』。これを聞き、やっぱスティングすげえなとなって今日にいたる。昨年なくなったパディ・モローニの青空にさえずるひばりのようなティンホイッスルもすばらしい。数多あるレナード・コーエンのカヴァーのなかでも抜きんでた一曲だと思う。

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ちょっとツイッターのアカウントをのぞいてきた。6日前のツイートからインプレッション数が表示されているね。案の定というべきか、この連続ツイート不興を買ったみたい。そういうことが一目瞭然となる仕組みだ。

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インプレッション表示、まるでブラックな営業所の顧客獲得グラフみたいだね。「おまえのツイートこの程度な」って絶えず値ぶみされた日にゃ、「有難ッス、俺ツイッター辞めます」が続出するかもよ。

イーロン・マスクの、「これでTwitterが見かけよりにぎわっていることが分かる」「いいねされた回数の約100倍は読まれている」という説明、売り文句とはいえ、はっきりいってカッコ悪いよな。

 

テレビをつけて、おや、小澤征爾か、と思ったら小沢健二だった。

堂本剛も大概だったけど、広瀬香美、とんでもなくひどいな。

 

(サンタに変装した写真をアップしていた。現在は削除)私が相当なお調子者だということは、ご理解いただけたはずだ。

 

【私には師と呼べる人がいない】

尊敬する師を持つ人がうらやましい。私は尊敬できる師に終ぞめぐりあわなかった。猜疑心が人一倍つよく、人の欠点を先に探してしまうからだ。教わる態度が備わっていれば、師はいつでも目の前にいたはずだ。それは従順や謙虚ではなく、学ぼうとする意志のあるかなしかによって培われる。私には知識や技術を得ようとする向上心あるいは貪欲さが欠けていた。だから師を求め、師を得、師を敬える人の心を、私は尊いと思う。

なんだか道徳の教科書みたいなことを書いてしまったが、これが私の今の素直な気持ちです。

 

【『嫁ブリ』のこと】

昨日おそろしい話を聞いた。熊本では<初正月を迎える新婚の婿方から、「よかヨメです、ありがとうございました」の気持ちをお嫁さんのご両親に届ける家と家の節目のご挨拶に>と寒ぶりを贈る『嫁ブリ』という風習があるという。じっさい教えてくれた人は、息子さんの妻の実家に鰤を一尾贈ったんだそうな。私は熊本生まれだけども、そんな(あえていう)因習はじめて知った。調べると、福岡や岡山にも『嫁ブリ』はあるらしい。どう思う? 私は語感がまずダメだし、その起源を知るにおよんでますます嫌になった。九州の男尊女卑を固着する、廃れてほしい慣わしだと思う。

【続『嫁ブリ』のこと】

岸田首相が寒鰤に舌鼓を打って「すごいお金持ちになった気分」と軽薄な感想をもらしたそうだが(それで『嫁ブリ』の話を持ちだしたわけでもないんだが)、正直なところ私は大晦日にいただくブリ大根があまり得意ではない。鰤と大根は、あまり相性よくないと思う。
両親が亡くなってから年末年始は質素なものだ。大晦日は年越しそば、元日は雑煮くらい。おせちもお屠蘇もなし。妻と二人暮らし、それでいいやと思っているけど、今年は年末に新婚夫妻が泊まるから、それなりにいろいろ準備しておくかと相談している。
ちなみに朝、『嫁ブリ』の話をしたら、妻は「知ってる」と答えた。
「お義父さんお義母さんから熊本にそういう風習があると聞いた。『お宅の娘さんなヨカ嫁ぶりですばい』の意味だって。でも結婚した年、実家に鰤が届いたって話はきかない。私、ご両親にはよい『嫁』じゃなかったけど、それはそれで複雑な心境だったな」
それより問題なのは今後のことよ、私たちまだ相手のご両親にご挨拶もしてないじゃない、これから先いろいろと大変よ、と話す妻を見つめつつ、私は、世の「しきたり」をひたすら回避してきた半生だったな、と反省していた。

【面倒くさいを回避しない】

たとえば結納。あれは莫迦ばかしい風習だからやめたい、と若い二人がいってくれたから、その意見に乗っかっているけれど、向こうのご両親と話し合って合意したわけじゃないんだ。結納やめるにしても、一回は顔合わせて話つけるべきじゃない?※
そういう面倒でもやらなきゃいけないことを回避するばかりではまずいんじゃないか、と。ましてや「そんな旧弊なしきたりさっさと廃止せよ」とSNSで声高にさけんでも詮ないことだと思うんだ。そんなこといってサお前さんホント世間体に毅然と立ち向かえてる? と自分に問いたくなる。その世間体を人一倍気にしているのは他でもない、お前自身じゃんかと。
まあ、言行一致できてるかどうかを、最近よく考えてしまうんですよ。考えと行動は統合されていたほうがいいし、自分の発したことばを自身の行為で裏切りたくはないからね。「面倒くさいを回避しない」。これを私は来年の目標にしよう。

※いちおう言い訳しとくと、若い夫妻は関東在住、夫の両親は関西、妻の両親(私ども)は九州です。

 

私も「主は来ませり」が、「シュ履きませり」に聞こえてた。

 

マストドンのみなさん、Merry Christmas!!
さて、今年も恒例の『2022年に出会った曲』のプレイリストを作成しました。倍近くセレクトした中から、「ほんとうに好きな曲」を基準に、悩み抜いた末に厳選した27曲です。
私的に、最優秀シングルは、バーラ・デゼージョの「Baile de MáscarasRecarnaval)」、最優秀アルバムは、キング・ギザード&ザ・リザード・ウィザードの『Changes』です。
今年もたくさんの新しい音楽に出会えました。いくつになっても、今までにないものを聞いて驚きたいと思います。
ではでは、お楽しみください!

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邦楽ほとんど聞きませんので。
あと、クラシックはリストから外しております。

クリスマスソングで私がいちばん好きなのはクリス・レアの「ドライビング・フォー・クリスマス」。

Driving Home for Christmas - song and lyrics by Chris Rea | Spotify

今回のプレイリストには一曲だけ日本のグループが入っています。ヘンリーテニスの「マジック・アワー」。

あ、でも日本のポップスをまったく聞かないわけではない。『私の好きな日本の女性歌手』なんてプレイリストも編んでいます。

私の好きな日本の女性歌手 - playlist by 岩下 啓亮 | Spotify

 

邦楽ポップスの歌詞の大半はそこを隠ぺいしてしまうからな。

いつまで経っても十代のイノセントから脱皮できない。性愛や倦怠や裏切りを含めた大人の恋愛を描けないから退屈なんだ。

 

ガイアの夜明けをちょっと観ていた。せっかくTSMCの台湾本社へ取材に行ったのに、こともあろうか、ラピダスの設立をどう思うかと訊くとは。挑発してどうすんの。日の丸半導体の復活なんて、向こうからすればどうでもいい話だよ。センス悪。

 

熊本市在住の日本近代史家で、作家の故石牟礼道子さんを編集者として支えた渡辺京二さんが25日、死去した。92歳。京都市出身。代表作「逝きし世の面影」や「黒船前夜」、「バテレンの世紀」など近代を問う著作で知られる。

<速報>日本近代史家の渡辺京二さん死去、92歳|熊本日日新聞社

 

私は投稿したあと誤字や「てにをは」が気になって、頻繁に編集するけど、そのたびに「編集しました」の通知がフォロワーのみなさんに届くのかな? だとしたら迷惑だろうな。どう設定すればいいんだろう。 

【反響は滞在時間に比例する】

ツイッターが戦場?
となると、私はツイッターの敗走兵なのかもしれないね。
私は昨晩、マストドンツイッターで、ほぼ同時刻に同じ内容のトゥート(ツイート)を投稿したが、反応の差は歴然としていた。もはやマストドンのほうがツイッターより圧倒的に反応が多い。やはり、ちょいとお邪魔して投稿したまま放ったらかしでは、誰も見向きもしないようだ(そりゃそうだよね)。
自分の発信が見られている実感があれば、投稿し甲斐があるというもの。それはお互いさまで相手にとっても同様なんだ。たまにツイッターに来て、いいたい放題いってタイムラインをのぞかないようなヤツの発言なんて不愉快だろうし、無視したくなっても当然だ。
思うに、システムのありかた如何にかかわらず、反響は滞在時間に比例する。タイムラインに表示されたみんなの投稿に反応したぶん、共感やお返し(ブーストやお気に入り)も増えていくはずだ。反応の鈍さに落胆する前に、そこは肝に銘じておかなくちゃならないところだ。
インプレッション数の表示を実装したツイッターは、今や反響営業の主戦場みたいなもんだからな。たたかうしかないようにできてるんだよ。

 

鷹丼、鷲丼、レオ丼、海丼、ハム丼、えーっ牛丼?

訂正。レオ丼 → 獅子丼

論寒牛男 - song and lyrics by Eiichi Ohtaki | Spotify

 

マイナンバーについて、これはいつも書いていることなんだけど、行政は申請書を出すときに「個人番号を証明できる書類の写し」の添付を必須としているんだよね。写しとは要するにコピーのことで、マイナンバーカードのコピーか個人番号記載の住民票のコピーをつけなくてはならない(住民票の場合は顔写真いりの証明証たとえば運転免許証も同時に添付する必要があるんだ)。しかも、令和3年度以降のマイナンバー通知書は今年から証明する書類とは認めないという通達まできた。まあ一言でいってナンセンスのきわみだね。行政職員は申請書に記入されている個人番号が正しいかどうか、写しをみて一々確認しているんだから。事務処理にかかる時間と労力を考えればムダ以外のナニものでもない。個人番号の照合なんて行政の中でできることじゃん。データを調べれば一発だよ。で、マイナポータルを利用すれば煩雑な申請がスムーズになりますとアナウンスしているけど、そこまでしてマイナンバーカードを持たせたいかと呆れるね。マイナカード促進が進んでいないと自治体への助成金が減らされるから、やってます感を政府に示さなくちゃならないんだろうけど、やっぱりナンセンスだよ。

 

ワックスがけしたあとの床板は見ていて気持ちいいね。

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幕末太陽傳(57年日活、監督川島雄三、主演フランキー堺)、何度も観ているけど、その都度いいな。文句なしの傑作だ。

 

冬になると部屋干しでは乾きにくいためコインランドリーの乾燥機を利用している。円筒の内側で回っている洗濯物をながめているたびに、プリテンダーズのこの曲を思いだす。

Watching the Clothes - 2007 Remaster - song and lyrics by Pretenders | Spotify

西の空低く、刺さると痛そうな朱い三日月

 

今日は今まで散髪へ行ったり庭の植えこみを刈りそろえたりしてました。

窓拭きまではやろうと思っていたんだけどね、急に寒くなってきて。明日はかならずやる、えぇやりますとも。

 

東京地検特捜部は27日、森友学園問題を巡り、学園側と財務省近畿財務局との交渉記録などの情報開示請求に対し「不存在」との虚偽の理由で不開示決定をしたとして、虚偽有印公文書作成・同行使の疑いで告発された財務省元理財局長の佐川宣寿氏ら3人を容疑不十分で不起訴とした。「対象文書が残存しているとの認識を認めるに足りる証拠がなかった」としている。(毎日新聞

官僚が「交渉記録なんて存在しないと認識していました」といえば、その文書が後から出てきても許されるということか。「だって、知らなかったんだもん」でしらばっくれるのはダメですよって子どもの時分に習わなかったのかな? 東京地検特捜部も追及が甘いな。なぜ安倍関連の事件になると、急に捜査の勢いがなくなるんだろう。東京五輪の贈収賄についても、政治家関与のアンタッチャブルな領域には決して手を出さないし。安倍の死後、さまざまな疑惑の全貌が明るみになるだろうと(ある意味)期待していたんだが、幕引きを急ぐ報道ばかり。このまま真実は闇から闇へと葬られるのか。

 

国がor上のほうが決めたことですから、と言いわけしながら、粛々と実行するのが本邦のならいだから。それで自分への責任は回避されると思っている。

で、お上が決めたことに唯々諾々と従っているうちに、「今や有事」のムードが醸成され、軍備が増強され、国防一色に染めあげられる。もう、その兆しはいたるところに見出せる。

本邦の場合、文学にしてもエンタメにしても挫折がテーマになりがちなんだよね。スポーツは最終的に勝利するもので、社会運動は最終的に敗北を余儀なくされる。この初期設定を解除してやらないと、次には。

『あちこちの__゛さん』。番組制作側がいくら「戦争はよくないこと」を基調としていても、「だけど戦時下の暮らしも工夫次第で楽しくなりますね」的なガイダンスとして成立してしまうので、誠実さが裏目に出てしまう。「質素は美徳」のスローガンは善良な人ほどうっかり頷いてしまいがちだから気をつけたい。

 

今年の最優秀ソングを一曲だけ選ぶとしたら、それはアンソニー・ウィルソンの「The Bridge」だ。
歌に込められた真摯さと誠実さに心うたれる。それはランディ・ニューマンピーター・ガブリエルを聴いたときの感興と同質のものだ。

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これと同じ内容をTwitterでも @ 付きで投稿したところ、数時間後アンソニー氏から嬉しい返信をいただいた。以下ご紹介。
> Deep appreciation for you and your listening. Happy New Year.

 

香露の大吟醸(限定)を彼方さんへの贈答に一本、霊山の純米吟醸を自宅で飲む用に一本購入しました。

ふだん私は酒を飲まなくても平気な人だけど、酒の美味い不味いにはわりと厳しい。

 

NHKスペシャル『未解決事件・松本清張帝銀事件』を観ている。これは見ごたえがある。ひどい過去を美化せず、真正面から見据えていると思う。観てみるとよい。

今日の昼間に< 実在の事件の扱いは、それで良かったのか? 今年最大の話題作『エルピス』、語られなかった「危うさ」 | 文春オンライン >という文春オンラインの難渋なコラムを読んだけれど、この「ドラマ仕立ての歴史ドキュメンタリー」を、筆者はどうみるだろう?
他ならぬ番組内で、現在も進行中の事件をどう取り扱うかについて、作家松本清張大沢たかお)と編集長田川博一(要潤)が激論をたたかわす場面があった。

小説と銘打った判断ははたして正しかったのか?
私は切れ切れにしかみていないので、『エルピス』を熱心に支持はしないけれども、フィクションの形式ですら世の実相を描きにくくなった現在、ドラマの中に「現実に起きた出来事」をインポーズさせる試みはあって然るべきであると考える。問われるべきは事実に迫る調査の精度と、取り扱うにあたっての制作者の誠実であろう。
明日、NHK取材班による「大量の資料を調査したうえで事件の核心に迫る」裏付けの続編が放送されるようだから、それを観てから今夜のドラマ仕立てがはたして妥当であったかを判断したいと思う。

読むのに難儀な文章ってのがあって。いいたいこと分かるけど、いまいち伝わらないみたいな。書き手が考えを整理できていない場合がたいていだ。混乱したまま読み手に解釈を委ねてしまう。しろうとならともかくプロがそれでは困る。装った難解さで読者をケムに巻いてはいかんでしょう。

過去を美化しているというなら、大沢たかお松本清張を演じることが、まずもって美化だよな。
ともあれ、NHKにはがんばって良質な番組をつくってもらわないと困る。こちとら年末に半年分一万二千四百三十円も通帳からぬかれてンだから。

 

 

ルー・リードは人生を変えた一人だ。とくに『ベルリン』は、私のもっとも深いところまで降りてきた作品だ。いまだに聴くときは緊張する。
それともう一枚あげると、『コニー・アイランド・ベイビー』は個人的にもっとも親しんだアルバムだ。とくにタイトル曲は大島弓子『バナナブレッドのプディング』でも引用されたが、私自身、ルーの正直な告白に深夜耳を傾けては、ずいぶん励まされた。

Ah, but remember that the city is a funny place
Something like a circus or a sewer
And just remember different people have peculiar tastes

不思議なことに、自伝的な色彩の濃い『コニー・アイランド・ベイビー』とヒット作『死の舞踏』の二枚は、サブスクにアップされていない。それもまた、ルー・リードらしいといえばらしいが。

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窓拭きしながら福岡史朗の最新作『4』を聞いている。「ある日、あの窓、あの屋根」にのぼって。いい感じだ。

 

【お詫び】
今朝の連続トゥート、党派性について書いたわけではなく、文化的な側面を語ったつもりでしたが、筆力がいたらず、穏やかな湖面に波風をたててしまった。

toot.blue を軋轢の場としたくない思いは私も理解しておりますので、該当する3トゥートおよび関連トゥートを削除しました。岩下 啓亮

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昨日はお騒がせしました。スミマセン。

昨日から娘ふうふ(withワンちゃん)が来ていて、ひさしぶりににぎやかな年の暮れです。

来客、懐っこくて膝にも乗るけど、動きがすばしっこくてなかなかフレームに収まらない。

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うちはすき焼きにしました。

藤井風だけは集中して観た。この人は稀有な才がある。大事にしなくちゃいけない。

〆にうどんを入れて年越しそばの代わり。

 

思いっきり世俗的な大晦日だった。天然温泉のサウナに入ってムコ殿とガマン比べをし(とうぜん負け)、イオンモールで昼飯を食らい、帰宅後ムスメが子どもの頃の写真を引っ張りだして眺めた。すき焼きを食べながら紅白を観て、午前零時におめでとうといいながら近所の神社まで歩いて初詣までした。何だか一日じゅう列に並んでいる、これはまるで典型的な俗物だなと自嘲しながら、私は周りの"ordinary people"の表情を観察していた。
結局、サウナに浸り、モールでショッピングし、元旦には参拝するような人たちを味方につけないかぎり、かかる状況は改善されないのだ。さて、どうやって一般大衆に耳を傾けさせるか。思案のしどころだ。

幸いなことに、ムコ殿は穏やかで優しいやつだった。世辞かもしれないが、この写真いいですね、と選んでくれた。当時編集者だった妻が、私と娘を撮ったものだ。ずっと忘れていた。確かにこれはすてきな一瞬だ。このとき何を相談してたんだろうね。

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鰯(Sardine)2023/01/04