鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

もう一本の『電車道』(2018-11-09)

【お断り】

このコラムは2018年11月9日に「もう一本の『電車道』」という題名でポストしたが、その後あまりの不出来に恥ずかしくなり、格納庫におさめていたものである。

今回蔵出しする際、パーソナルな部分を一部割愛して再掲した。

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 筆者は伏し目がちに「いやぁ適当に読み流してもらえればいいんですよ、ぼくの小説なんて」と謙遜していた。適当にというより、よどみなく読み進めていきたいのだが、気がつけばまるで密林をさまよっているみたいに読む速度がのろくなる。単線かと思っているうち複線になっているとでもいうか、読者の意識には本筋とは違う、もう一本の線が起きあがってくる。

 礒崎作品はどれも改行が少ない。とはいえ横光の「機械」のように文字がぎっしりと詰まっている感じではない。むしろ息継ぐすき間の多い平易な文体であるが、改行の少なさは連続した思考を促す。たとえば以下のような箇所でページをめくる手がとまる。

すると突然、何者かに自分が試されているように息子は強く感じた、お前はこの場面で一歩を踏み出し、吸殻を踏みつぶして、火種を完全に消すことができるのかどうか? (中略)四歳の子供としては明らかに自意識過剰だが、どうしてだか本人にとってはそれは他人に知られると酷く恥ずかしい、大人びた行為のように思われた。(『電車道』214ページ)

  これと同じような経験が私にもあるので、記憶が呼び覚まされるのだ。以下のように、

踏み切りの前で同級生と会う、向こうは「よう」と声をかける、が、「ぼく」は言いよどんで上手く返事できない、気まずい思いをしていると、母親から「ちゃんと挨拶なさい」と注意される。

 などといった忘れかけていた苦い記憶が蘇る。

 これはなにも『電車道』に限らず、他の礒崎作品にも共通して見出せる要素で、『世紀の発見』なんか記憶を惹起する描写のオンパレードで、詳しく書くと長くなるので割愛するが、布団から見あげた天井の節目をたどっていくところなんか、あーそれだそれ、それは私にも覚えあるぞと、板張の木目が何だか顔・鳥・馬・山に見えてくるアレだな、と自分の経験が、書かれているテキストから分岐し、並走しだすのである。

 だから「読んでて、クラクラする」んですよ。

 

 とはいえ『電車道』は、ノスタルジーを喚起するだけのヤワな話ではなく、明治の頃はまだ海のものとも山のものとも知れない交通機関であるところの鉄道を敷設した男と、またその沿線で土地を開墾し私塾を開いた男の二人を軸とした、百年間の経過を綴った小説である。

 ただし、題材から期待されるような稀有壮大さや成功譚に特有の爽快さは微塵もない。むしろ意識して勇ましさから遠ざかろうとする。磯崎は鉄道会社設立の資金繰りに奔走する男の動機をも、「とどのつまりは・虚栄心を満たすため」だと突き放してみせる。主人公の心理と一体となって、読者に疾風怒濤の荒波を浴びせるような真似はしないのだ。

ただ一人、専務だけは電灯会社が鉄道を持つことに断固反対し続けていた。「こんな田舎町ですら商店や役場の回りは街灯が通行人の足下を照らすようになった(中略)博打みたいな投資をして鉄道などを傘下に置いて、その浮沈が発電所の操業に影響を与えるようなことがあってはならないのだ」(82ページ)


  この箇所を読んだときに奇妙な既読感があった。しばらくして思いだした、石川達三の『交通機関に就いての私見』に似ているのだと。あれは石川が、郷里の町並が伯備線の開通によって変貌していったことを嘆く、文明社会への抵抗を表明した掌編だった。

 しかし文明の発達とは、そんな個人の思惑など頓着せず、ただひたすら発展の一途をたどってゆく。荒野を切り開いて線路は延びてゆく。線路が敷かれたあとに、泥縄式の宅地造成が始まる。私塾を創設した男が地元の子供たちに縄を持たせて、適当に区画を決めていった町が戦後は誰もがうらやむ高級住宅地と化してゆく。だが、その繁栄をもたらした理由をたどれば関東大震災であり、B‐29の空襲であり、都心を逃れ、郊外に居を構えるというそもそもの発端が無秩序で、無計画であったことを示唆するあたり、礒崎の批評性もまた、一筋縄では行かない。

 そういえば結婚前、私は義父の書棚に鉄道会社の社史を発見し、読ませてもらったことがある。昭和30年代に西日本鉄道は、福岡と北九州と筑豊筑後と佐賀とを網羅しつくす計画であったらしい。幻の路線図が載っていた。もちろんモータリゼーションの到来とともに計画は頓挫し、西鉄もまたバス運行を主軸と転換せざるを得なかったわけだけれども。

 閑話休題

 そのような「運命の一ひねり」は人の生涯のいたるところに潜んでいて、個人の思惑のあずかり知れぬ領域で進行していくものだ。とくに礒崎の小説には、万物をいったん相対化してみようとの働きが強く現れるがゆえに、主人公に感情移入しにくい。だいいち主役格の二人にすら名前が与えられていないんだもの、どうやって気持ちを寄せろというのだ。とケチをつけてみたが、では作者は冷徹に、はるか高みから地上を俯瞰しているのかといったら、そうではなく、むしろ登場人物よりも激しく、その時代の意識に近い位置から、憤ったり嘆いたりする。たとえばこんなふうに。

だいたい戦闘機の操縦士だって、どうして律儀に体当たりなんてするんだろう? 兵役だってしょせんは形を変えた労働ではないのか? せっかく一人で飛行機を操縦しているのだから、戦場から逃げて燃料の続く限りどこまでも飛んで、山の中にでも無人島にでも不時着すれば半分以上の確率で生き延びることができるのに。(123ページ)

 と、まるで『紫電改のタカ』みたいな空想を地の文に織り込んでいく。そして、

それなのに私たちは、義理や人情や友情の網にがんじがらめに縛られてしまって、身動きが取れないのだ、これがお前の仕事だと教え込まれたら、殺す側も、殺される側も、じっさいにその仕事をやり遂げてしまうほど従順で愚かなのだ。(123ページ)

 戦争のただなかの、戦火を逃れる人々を描きつつも、このような作者自らの意思を表明していく。それは史実を記述するにとどめ、感想を排するドキュメンタリーには決してできない、ただ小さな説である小説にのみ許された特権であり、礒崎は躊躇うことなく、そこへ踏み込んでいく。

 

 が、そのような書き方は、今の「説明責任」の時代には危険をともなう。私は今回この稿を書くにあたって、ネット内に記されたさまざまな感想やレビューを、ざっと見渡してみたところ、とくに芥川賞受賞作である『終の住処』に顕著だけれど、「主人公に共感できない」式のふやけた感想が少なくないということに気づいた。日本の小説の読者は、いったいいつから文章の咀嚼力が衰えてしまったのだろう。主人公が思いどおりに動いてくれなければ即つまらない作品なんだろうか? 莫迦いっちゃいけない。

 なるほど礒崎の小説は、そういった読者の期待からナチュラルに逸れていく。主人公の性格が好きになれないのはかまわない、が、読者はもう少し想像力を働かせるべきではないかと思う。お人よしばかりの登場する小説のほうが余程退屈だろう。先にも述べたように、私にとっての面白い小説は思考を促す働きをもった小説である。

 たとえば礒崎には『絵画』という短編があるけれど、あなたは絵を描くときに、どんな思考をめぐらすだろうか。橋があり、川があり、鳥が飛び、人が行き交う。それらを画用紙に収める際に、何を選び、どう配置し、どう彩るか、考えないだろうか。礒崎は一つひとつ小説で試行しているが、それが錯誤かどうかは、あまり深刻にならないよう心がけているはずだ。

 ある新聞社のインタビュー記事を読むと、礒崎は小説を書く際に、あらかじめ計画しないで書きだすのだという。東工大の教授でもある礒崎先生が、作品を構成するにあたって設計図を引かないとは何と大胆な、と思うけれども、これまた小説のみに許された、数少ない自由の領域なのである。人間の行き着く先は決まっており、他はないのだ。が、終点にいたる道筋は幾通りもあり、作者も読者も、それを自由に選ぶことができる。となれば、選択肢は無数にあったほうがいい。

 今回この稿がどこで終わるか、私にも見当がつかない。だけど書いていてワクワクしている。三島は書くべきことを先ず箇条書きにし、それを一個ずつ原稿用紙に書いてゆけば、おのずと小説は書きあがるといった。なるほどそいつも手だ。が、先のあてを考えずに書くことはむちゃくちゃスリリングだ。

 じゃあ私は私の脱線した『電車道』を書こう。イマジナリーラインを超えて、モンタージュを省略して。そんな気にさせられる、もちろん稿はあらためるけれど。※

 

 どの道、たどり着く先は決まってる。『電車道』もまた例外ではない。たそがれの住宅地によく似合う薄暮の情景は、今の日本がおかれた状況を簡潔にスケッチしている。

 礒崎は私より少し若いけれども、基本的には同世代だ。彼や私の少年時代が、

過去百年の日本の歴史の中で、昭和40年代こそが子供たちにとって最も幸福な時代であったことは疑いようもない。(207ページ)

と回顧していることにも共感できる。

 ただ、その相対的に配置した幸福のありようがいかに微妙な均衡の上に成り立つ脆いものであったかも、同時に意識しなければならない。だからか礒崎は作品の中で、過去の歴史の悲惨について訴えるとき、権力ではなく弱者の側に寄り添おうとする。

 丁稚奉公の辛苦について、

いずれ人類が滅亡するとしたらそれはあかぎれの痛みのためではない。いったんある方向に転がり始めてしまったら、途中で立ち止まる勇気がないがゆえに、ただ判断保留がゆえに、つまりはその愚かさゆえに、人間は死ぬまで転がり続けてしまう。(31ページ)

  そしてまた、「電車がきまっせえ。あぶのおっせえ」と、京都の路面電車の前を叫びながら走る告知人について、

その少年も力尽きて線路上にしゃがみ込んでしまった、頭を股の間に深々と挟んで、額はほとんど地べたに触れるぐらいだった。誰もが家へ帰る時間だというのに、どうせこんな雪の日に通行人なんていやしないのに、それでも告知人が電車の前を走り続けねばならない理由とはいったい何なのか。(41ページ)

 これらの文から滲みでる感情の表出が、私のもっとも好きな礒崎の側面である。

 

 人間の営為は莫迦ばかしくも愚かしい。盆踊りとバケツリレーの先に、戦火の惨禍が待っている。だが、その時々を生きている者に、進行中の愚行は自覚できまい。愚かだと指摘すればつまはじきにあうのが日本社会の世の常だ。そして「あんな思いは二度としたくない」はずの風潮が、ふたたび復古しようとしている。

 私たちは過去よりも今を、今よりも未来が良くなるものだと信じている。が、より良い明日を獲得するために人類はどれほど多くの犠牲を払ってきただろう。百年の孤独な過去に思いをはせるとき、私はそのことをいつも考えてしまう。戦前・戦後と歴史を区分することに果たして何の意味があるのか、時刻という名の垂直な縦線は、無窮の、水平な時の流れを寸断するばかりではないかと。

 礒崎の奏でる長い旋律は、まるで小節線のない現代音楽のようだ。が、その息の長い文章に慣れてしまえばあとはこっちのもの、内面の深くまで潜るには格好の道案内だ。彼の敷いた鉄路を機関車は走ってゆく。その乗客になるもよし、あるいは次の電車に乗り換えるもよし。終点は近い。だからこそ私たちのあとを継ぎ、未来を担うきみたち若者へ、この本を贈りたい。

 

 礒崎憲一郎の書籍は、まともな書店なら必ず置いてある。どれでもいいから一冊手にしてみてほしい。『電車道』もすでに文庫化されている。

 文芸雑誌『群像』にて連載されていた『鳥獣戯画』が、目下(2018年時点)の最新刊である。

※ 敬称略、引用をお許しください。 

 

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マストドン JP(2022/11/14~2022/12/11)全記録 その2

2022/11/30

昨日は私もお昼に焼きそばUF○を食べた(ふつうのソースのやつを)。うん、確かに罪悪感というか、後ろめたさみたいなものを感じつつ。

 

戦い方は人それぞれ。私にも多少の考へはある。

 

昨夜はうっかりさかなのギタリスト西脇一弘のブログと、それに異議をとなえた高橋健太郎の注釈を読んで、少しヘヴィーな気分になった。

20世紀の終盤に私も似たような経験をした。あの頃の雰囲気がにわかによみがえってきて、息苦しいのに目が離せなかった。

真相は藪の中であるにしても、私は両者の言い分が痛いほどわかる。アーティストは自分の創作に夢中で、その環境を誰が用意したのか無頓着になりがちだ。プロデューサーは予算や納期や調整に腐心するがあまり、ついついキツい言葉を投げかけがちだ。互いに配慮していても創作の現場に衝突はつきものだ。いや、まともに衝突しなかったがために、後になって怨念が募ったり、今さら思い出したくなかったりするのだろう。

私の場合、依頼者の思惑に沿った楽曲を提供できなかった。私としては制作の過程でずいぶん譲歩し、そのあげく「使えない」となったから恨み骨髄だった。向こうとしても先行投資を回収できずに憤懣やる方なしだった(らしい)。

当時の音源が世に出ることはないが、今の耳でデモ盤のコピーを聞くと、彼らの判断は間違っていなかった。私の作品はあまりにも独りよがりで普遍性に欠けていたのだ。

 

似たような展開は、世紀を跨いでもう一度訪れる。

おおげさにいうなら、それがMy Destiny。

All my lazy teenage boasts Are now high precision ghosts だ。

10代ではなく、30代だったけどさ。

 

マストドンの長所は、話の要点だけをつまみ食いされずに済むことだろうな。テキストの一部をサンプリングし、そこに新たな意味を付加するのもいいが、私は思考の展開そのままを書いて投稿したい。あまり体裁を整えないままで。

 

遅い昼休み。熊本人なら誰もが知っている、らくのうマザーズの「カフェオレ」。しかしこのパッケージ、ロートレックが現在に生きていたとしたら、一悶着あるだろうな。甘くてね、おいしいんだけど。

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2022/12/01

12月1日。早くも「Spotifyのまとめ2022」というのが作成されていた。私はまだ、「2022年に出会った曲」ってプレイリストを作成中だというのに。

①「再生時間は59,213分。日本の他のユーザーの98%よりも多く再生しています」か。

だろうね。ネットにつながっている間ずっと流しっぱなしだからなあ。

②「あなたのトップソングはイヴァン・リンス『Quadras De Rodas Medley』でした。8月10日には25回も再生していますね」だって。

まあね、コロナにかかっていちばん苦しかった頃だったから、救いをもとめたんだろうな。

③聞いた楽曲は9,060曲。「夢中になって聞きましたね」。

たしかに大半は夢うつつの状態で聞いているからなあ。

④「あなたのトップアーティストはジェネシスです。合計2,655分も聞きました」。

ちょっと恥ずかしい。けど好きなんだからしゃあない。

しかし、こんなふうに全てを数値化されるのは正直いって怖いね。

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滞在時間や再生時間で測られるものとはなんだろうね。忠誠心とか(笑)。

Spotifyの場合、私はpremiumで月額ナンボか払っているから、元をとっちゃる的に現金な側面があるのかもしれんな。

無意識のうちに払っているの、イヤなんだよ。

考えてみれば、NHK受信料は元祖サブスクだと思うね。世間の大半は、払ってる感覚なさそうだし。

【参考】

衛星契約 :2カ月払額:4340円 ・6カ月前払額:1万2430円 ・12カ月前払額:2万4185円

地上契約 :2カ月払額:2450円 ・6カ月前払額:7015円 ・12カ月前払額:1万3650円

 

以前、著名な作家がWeb上で掌編を発表したというので、さっそく読んで感想をツイートしたら、「岩下さん読むの早すぎです」とリプが返ってきたことがある。書いた本人としては、もっと味わって読んでほしかったんだろうな。

 

脳の使っていない部分を刺激するような音楽が好きだ。今だにそれを探しもとめている。

 

……おかしいなぁ。長文を投稿したのに反映されないや。ニュースを貼りつけたからかな?

www.tku.co.jp

台湾の半導体製造大手TSMCの熊本進出を機に半導体分野の人材育成を目指す熊本大学が2024年春に設置を目指すのは学部に相当する『情報融合学環(仮称)』。

定員は60人で、学部には人工知能ビッグデータ分析などを学びDX課題に対応できる人材育成を目指す『DS総合コース』と、半導体の専門的な知識を学ぶ『DS半導体コース』を設置。

また、工学部には学科に相当し半導体の開発や製造・評価、設計などに携わる高度な技術者の育成を目指す『半導体バイス工学課程』を設置する予定。現在、文部科学省認可申請が行われている(TKUテレビ熊本11/30のニュースより)

感想。

歴史ある地元の国立大学に新しい学部ができるのは結構なことだが、台湾セミコンダクターマニュファクチャリング公司の工場を熊本に誘致し、2024年に稼働するはいいが人材不足が目に見えているから学部を設立するという経緯は、正直いって、順番あべこべじゃないかとの思いを抱かざるをえない。

※ リンクを張らず、表現を少し穏当にして再投稿した。

 

ここマストドンは文章力の確かな方が多い。

 

また投稿中のまま止まっているぞ。システムエラーで投稿しそびれたテキストは、いったいどこに隠れているのだろう?

自分の文体に倦んだときには、音声で入力してみる。ほんとうにいいたいことが、わかるような気がする。

スマフォで書いていると文章が縮こまる。小手先ならぬ、指先のテクニックにはしるようになる。

 

2022年によく聞いたアーチストの第4位を聞きながら眠りにつこう。おやすみ。

 

open.spotify.com

と、消燈したとたんに、ポトン・ポトンと音がして、ぷーんとにおいが漂ってきた。ポッポを片づけないと雄猫チャイはあばれ回る。しかたなくむくりと起きあがる私であった。あー

 

2022/12/02

私が文章に着目するのはそこに人となりが表れるからだ。実名か匿名かはまったく関係ない。

 

XTCずっと好きだったんだけど、Twitterには@)neonshuffleを名乗るネトウヨがいて、他にも偏屈なXTC好きがいたんで、嫌いになりかけた。

そのへんで私が一途に好きなのはブルーナイル、今年リリースの作品ではマディソン・カニングハムの『Revealer』に、XTCの影響を色濃く感じました。

マディソン・カニングハムのアルバム二曲め「Hospital」を聞いてみよう。これをアンディ・パートリッジが歌ったら、と想像してみて。彼女、むちゃくちゃギター巧いでしょ?

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Ugh, stomachache. Maybe it's because of the strawberry cake.

 

私も国税を払うのイヤだな。税金を払わないと結局自分が損するぞ式の論法はまったく説得力を持たない。あなた国税局の人ですか、と嫌味をいいたくなる。マストドンにいる人たちは生活に余裕のある人が多いのかしら。私はこれ以上搾り取られたくないね。

あまり豊かではないが、私はけちではないぞ。

ドネーションはそれなりにしている。すべきだと思うところへ、ささやかながら。おおやけにするつもりはない。

 

2022/12/03

あゝまただ。投稿中で固まってしまい、書いた文章がなくなってしまう。今からというときにうやむやにされ、出鼻をくじかれてしまう。この不具合、なんとかならんか。

 

さっき書いた文章を思い出してみる。

・政府は国民の無償の好意に頼りすぎている。

・事業所から自治会にいたるまで、ほんらい行政がすべき業務を民間に委託しすぎる。

・虫のいい制度設計ばかりを策定する官公庁をこともあろうか庇う言説が多すぎる。

財務省を諸悪の根源みたいに叩くのは無意味だというが、ならば今の増税路線を容認するというのか。ものわかりが良すぎる。

ざっとこんな感じのことを(もう少し強めの語調で)書いたが、投稿できなかった。

再投稿してみる。ぶじ送られるだろうか?

<人殺しの武器にばかり使われるなら、まじで税金払いたくない>の意見に対し、

それでいいと思うんだ。

 

チャイがふとんにもぐりこんで下腹部に寄り添ってくれるから、少し痛みがやわらいだ。私が弱ると、猫はかならず看病してくれる。ありがとう。

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昨日の朝の話の続きだけど。

音楽の好みが合うからといって、政治的スタンスがかみ合うとはかぎらない。

むしろあべこべの場合が多い。英ロックとくにプログレXTCあたりを好きなリスナーが偏狭で保守的なことに驚いた。君たちいったい何を聞いていたんだい、といいたくなるような。

音楽の趣味が合うからとフォローしてきて私の政治の話題に辟易してリムーブする方がおおぜいいたよ。

プロの音楽家や音楽関連のライターも然り。好みの音楽を作ったり論じたりする人が権力の横暴に沈黙あるいは迎合するさまに、けっこうガッカリしたここ十年間でした。

むしろ自分の好みの対局にある人たちが意外とまともだったりした。GLAYとかSUGIZOとか見直したもん。

それから和製R&Bを牽引したプロデューサーの松尾潔さん。以下のツイートは嬉しかったな。

「ラブソングばかり作ってきた松尾さんでも政治の話をするんですね」「踏み込みましたね」「お立場大丈夫ですか?」

この数週間どれだけ言われてきたか。そのたびにこう答えてきました。

「ヤワなラブソングをもっと作り続けたいからこそ、話してるんですよ」

わかっていただけるとうれしいです。

 

政治の話題が憚られる「世間」がおかしい。

職場や地域で、あるいはここマストドンで、政治の話をタブーにせず、喧嘩腰にならず、フランクに語りあうまでに、あとどれくらいかかるだろう。

R.E.M.の歌の一節を思いだす。「天気の話でもしようか、それとも政治の話でも?」

R.E.M.は曲調がハッピーでも、聞いてるうちになぜかせつなくなるんだ。不思議な歌だ。

 

緑茶が切れていると勘違いしたので紅茶を淹れて仏前にそなえた。母は嬉しがるだろうが、父はどうかな。

習慣。信仰心ほぼゼロの私なのに毎日なにゆえ仏壇に手をあわせるのだろう。

 

【今週の新譜】は、シン・リジーの『ライブ&デンジャラス/スーパーデラックス』の先行シングルや、フランク・ザッパジョージ・デュークの『ラブ』など、古株ロックファンの喜ぶリリースが目白押しだけど、とりわけ嬉しいのが、ポール・マッカートニーの『ザ・7インチシングルス』だ。リリース順80枚で159曲がまるごと聴ける。私の好きな「リトル・ウーマン・ラブ」や「アイ・ライ・アラウンド」も選びやすくなった。ポールの卓越した作曲術をたっぷり堪能できる、年末の嬉しい贈り物だね。

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2022/12/04

古株ロックファンとしては、クリスティン・マグヴィの訃報にも触れておかねばならない。ブルースを歌える女性鍵盤奏者としてフリートウッド・マックに加入、地道なツアー活動が実を結び、『ファンタスティックマック』『噂』の二枚でバンドはビッグネームに。クリスティンの素朴な楽曲はアルバムの清涼剤となり、プライベートでは苦境にあっても)クールな歌唱は鎮静剤の効果があった。87年の『タンゴ・イン・ザ・ナイト』では「エブリホエア」や「リトル・ライズ」でスティーヴィやリンジーに勝るとも劣らない存在感を示した。

と偉そうなことを書いたが、私がフリートウッド・マックの唯一無二さに気づいたのはごく最近のことである。彼らほど「妙なバンド」は(粘りあるリズム隊のグルーヴを含めて)なかなかいない。同時代的には空気みたいな存在で聞き流していた。今となって凄みがわかったという……

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エヴァ・キャシディもカヴァーした名曲「ソングバード」で追悼したいと思う。R.I.P.

 

どうしてもスーツを着る必要にかられ、高価なものは買えないので、完全閉店を掲げた(郊外にある全国チェーンの)店舗へ行った。しかし閉店間際の店は品揃えがまばらで侘しいものがある。以前スーツの新調は晴れがましい気持ちになったものだが。まあ、いろんな意味で今の私の身の丈にあった一着を得られたので良しとするか。

だけど、妻の光沢のあるブラウス(これも必要にかられて「郷土のデパート」で購入)と、私のあつらえたスーツがほぼ同額なのは解せないな。ていうか、どうしてペラペラでひらひらな一枚が、あんなに高価なのさ⁈

 

坂東裕大とグレッチェン・バーラトだ。これは昨年むちゃくちゃ聞いたな。ドラマは観てないけど。

訂正。

誤:グレッチェン・バーラト → 正:グレッチェン・パーラト

 

アルゲリッチアバドはパソコンの壁紙にしていた。あとイッツアビューティフルデイやアンダーカレントや海と私のねじれたキャンドルとか。GOOを表示していたら同僚に「お、ソニックユースですね」と言われて少し照れくさかったことも。ちなみに今はジミースミスの「クリスマスクッキン」。

 

昨年7月のことである。

肺炎で入院していた母は小康状態だったが新型コロナワクチンを接種したあと急速に体調が悪化し、十日後に死亡した。享年93歳だった。

ワクチンのせいで、とはいわないが(私はその後、三回ワクチン接種している)、ワクチンが病状をブーストしたとはいえるのではないか。

そもそも母が入居していた特別養護老人ホームは、母が入院したその直後にクラスターが発生し、十数人の陽性者が出た。母もまたコロナにかかっていたのではないか。

すべては推測だし、調べるすべもない。しかし私は、コロナウイルスの流行が、直接的もしくは間接的に、母の生命を奪ったと思っている。

新型コロナウイルスの感染者数、死亡者数について、おおやけに発表された数が信頼に値する正確なものかどうか、はなはだ疑わしいと私は思わざるをえない。

日本にPCR検査が定着しないのは、ものごとをはっきりさせたくない国民性にもよると考えている。陽性が陰性かさだかではない状態で出勤したり通学したりすれば、そりゃウイルスが蔓延するに決まっている。体調よくないですが今日も休めませんからの人は、抗原検査のほうが都合よかろう。実際の感染者は発表された数をはるかに上回っているはずだと私は思うんだ。

 

庵功雄 編著『「日本人の日本語」を考える プレイン・ランゲージをめぐって』(丸善出版

https://www.maruzen-publishing.co.jp/item/b304668.html

これは購入しよう。私が今もっとも必要とする内容の本だ。

 

自己紹介に以下の文を追加した。

「ことばにゆとりや余白を回復させたい。これまではソリッドさに固執するがあまり、ことばが萎縮していたから。」

マストドンで、ツイッターと同じようなことを書いてもしょうがないと思うし、ツイートそのままをコピー&ペーストしたようなトゥートは読みたくない。マストドンマストドンツイッターと違う話を聞きたい。

 

2022/12/05

LINEを私は利用してないけど、使ってる様子を側で見てると「大変そうだな」と思う。即レスポンスしないとマズいみたいな縛りや、自然と形成される序列みたいなもの。本邦ムラ社会の縮図そのものに感じる。

実生活でLINE等を利用することの危うさ。

たとえば職場や部活や保護者会の連絡網として使われた場合、同調圧や相互監視といった現実そのままを反映した人間関係の縮図となりがちだ。既読しているかどうかを詮索したり、誰から先に返信を送るか気を揉んだりと、始終つながっているので気が休まる暇もないというから大変だ。限られたサークル内で使われる場合のローカルルールは必要だろう。「緊急時以外は使用しないこと」など基本的な約束事を交わすべきだ。でないと際限なくなるから。

と、なすこさんの先日の連投を読んで思った。

 

うまいこといってやろうって邪念は捨てよう。大喜利じゃないんだから。

向こう側にいる人たちを懐かしむのはよそう。そのうちまた会えるから。

フォロワーの数なんて自慢するんじゃないぞ。暇だったって証拠だから。

Twitterのことなんかさっさと忘れてしまおう。惜しんでる暇はないから。

 

これは私のことだろうか? 「庶民の暮らしがどうたらで山本太郎しかないとかポエムかま」してたりはしないはずだが。

まぁいいや。れいわ新選組支持者を「れ新信者」などと十把一絡げにして事足れりとする意見は直ちにミュートするから。

昼飯が不味くなったよ、マストドン

れ新信者、沖縄のマルチ市議の件とか、都合の悪いことは完全スルーなくせに、庶民の暮らしがどうたらで山本太郎しかないとかポエムかます鰯みたいなのがゴロゴロいるからなあ…

……って、この「鰯」ってやっぱり私のことじゃん。べつに都合の悪いことを完全スルーなんかしてないぞ。あー無性に腹が立ってきた。ブロックする。それから、この湯の屁みたいに無内容なトゥートをブーストした人もフォローを外してミュートする。

ポエムをポエムと莫迦にするような不毛さに辟易したから移籍してきたというのに、またもやこういう雑なトゥートを当てつけられるのか。あーうんざりだ、まっぴらだ。

 

雨の駐車場で奥さんを待つ。仕事が終わるまでもう少しかかりそうだ。

音楽のことでも書こうか。

昨年Spotifyで再生した曲のなかで、ベスト5入りしたのが、アンドリュー・ゴールドの「ロンリー・ボーイ(1976年)。これもフリートウッド・マックと同様、当時から知ってはいたけどレコード買うにはいたらなかった曲だ。

この裏拍から入るイントロ、けっこう流行ったね。ポリスの「ブリング・オン・ザ・ナイト」やリッキー・リー・ジョーンズの「ウイ・ビロング・トゥゲザー」みたいに拍子の表裏がとれなくなるリズム。意表をつかれると人は確かめたくなる。最近ではどうなのかな。そういうヒット曲ある?

私にアンドリュー・ゴールドのことを思い出させてくれたのは、キハラさんだ。彼はTwitterのアカウントを削除してしまったから、もう二度と音楽談義ができない。

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TwitterやFBのメカニズムがパチンコと同じ」なのか。なるほど、頷ける話だ。もう何十年もやってないけど。続けざまにバズる感じは、確変かかったときの感じとよく似てる。buzzるはやっぱり射幸心をあおるんだね。

 

妻のことを何と書き表せばよいだろう。さっき奥さんと書いたが、多少違和感がある。絶対に使いたくないのが「嫁」。最近の若い男性はてらいなく「うちのヨメがー」というけど、私は聞いて不愉快になる。Twitterじゃときどきパートナーと記していたけど、実生活とかけ離れているし、細君とかワイフとか書くのもわざとらしいし。妻なら実際、「私の妻が」というからな。やっぱり「妻」と書くことにしよう。

 

湯槽の中で寝そうになった。危ないあぶない。

 

2022/12/06

今朝は昨日の残りに、冷やご飯とお餅を入れたおじやをいただいた。これがまた美味いんだ。

 

大久保由希と福岡史朗の渋谷BYGでのライブ、盛況に終わったようでなによりだ。

福岡の新譜『4』については、今年中にレビューを書こうと思う。高橋健太郎青山陽一が高く評価していた「タガネ」の延長線上にある作品集で、ピアノ主体の歌と演奏はさらに深化しており、他に類をみない境地まで達している。「タガネ」は昨年発表の『プリズム』に収録されている。

「ブラシを回すーー音」のところでガラッと風景が変わる。このフェーズが変わった・ページをめくるような場面転換がごく自然なんだ。あれ?いつの間にか戻っている。掴みどころがなさ過ぎだけども曖昧なところは特にない。シンプルで複雑な、書こうと意気ごんでも書けないもんですよこういう曲は。

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

 

2022/12/7

ふう。ようやく復活したか。

サーバが落ちているあいだ、久しぶりに古巣をのぞいてみたら、私は「闘うことを諦めて逃げ出した奴」になっていた。そんな奴には「誰もついてこない」らしいが、ついてこいだなんて口がさけてもいわないよ。ついてこられても迷惑だもん。たった一週間ほど留守にしただけでこのいわれよう。逃げ出して正解だった。

闘うって認識からしてもう違うんだよな。私は闘うためにTwitterしていたんじゃないのに。あなたは何とたたかっているのとリアルで訊かれたことがあるけど、そういうふうに映っていたのかな。私はただ、もがいていただけなのに。

私のことを逃亡者認定した男は、以前も二週間ツイートしなかった私を、あしざまに罵っていた。そこにはこれくらい噛みついても許してもらえるだろうという甘えがあった。あの時点で私は、彼のイワシさんへの「依存」を断ち切っておくべきだった。

それにしても人に向かって「奴」とは何だ。せめて「ヤツ」と記せよ、失敬な(←引っかかる箇所そこかよ)。

自分の今いる場所だけが闘う土俵だと認識しているのなら、それはとんだ思いあがりだ。

 

今朝がた「フェーズが変わった」という(あまり好きではない)弁法を使った自分のブログ記事を引用したが、たしかにイーロン・マスクが就任して以降、Twitterのフェーズはあきらかに変わった。その変化、何割のユーザーが気づいているだろうか。まるで車軸が曲がり、制御装置が働かなくなったクルマでハイウェイをつっ走っているかのようだ。

 

What’s “闘う”

マストドンは一見平和そうにみえるが、それは錯覚だ。先日も私をdisった無礼なトゥート(マストドン用語。ツイッターのツイートと同義)をみつけたので、即刻ブロックした。すさんだ心の持ち主はどこにでもいる。そういう通り魔みたいなアカウントと争っても消耗するだけだから相手にしないほうが賢明だ。これからもSNSを続けたいなら、自分の居心地のよい場所にしていくべきだと思う。闘いから逃げているといいたいんならいえばいい。

iwashi-dokuhaku.medium.com

 

シューマンは知らずしらずのうちに借用しているケースがある。一箇所にとどまらずつねに流れていく自由形式なので、それと気づかぬまま使ってしまうのだろう。

この場合の主語は、「現在の音楽家」。私ではない。平たくいえば、シューマンのメロディーと知らないまま、パクッている音楽が数多あるということ。

 

Laufey(レイヴェイ)はアイスランド出身の歌手。落ち着いたアルトが魅力的。今年のクリスマスソングにどうぞ。

A Very Laufey Holiday - Single by Laufey | Spotify

 

師走に入ると方々からペートーヴェンの第九が聞こえてくる。合唱の経験があるということで私は小さなサークルで「歓喜の歌」を歌うことになった。

余興とはいえ、各パートの音程やドイツ語の発音などに調整が必要である。練習のさなかに、私はとつぜん『トーマの心臓』の一場面を思いだしていた。最上級生の席に紛れこんだ朝の礼拝で変声期前の歌声を発しようとしたエーリクの口を、バッカスが「しっけい!」と塞ぐ。

「バスにソプラノがまじってちゃまずい」

バスのパートを歌いながら、思い出し笑いして怪訝な顔をされた。

中二の夏に遭遇した萩尾望都の諸作品は、私に多大な影響をもたらした。『トーマ〜』の終盤でバッカスは、煮え切らない態度のユーリの根性を直すべく「五、六発ぶんなぐるんだな」とオスカーを焚きつける。するとオスカーは「顔がかわっちまう……」と返すのだ。

「顔がかわんのはこっちだよ…… やつァ(ユーリのこと)けっこう強いんだ……」

これまでに読んできた勧善懲悪の物語では味わえない、人と人との微妙な間合いがそこに描かれていた。

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暴力による支配は根絶されねばならない。

暴力の回避は『トーマの心臓』における通奏低音である。

ユーリ=「やつ」の強さは、理性による自律である。それはフェンシングや教鞭の場面で何度も示された。一方で、エーリクを組み伏してハサミを振りかざすような危うさを裡にかかえてもいた。

オスカーは噂を吹聴する下級生を制裁しようとしたことも、下級生を脅す上級生に睨みをきかすこともあった。腕に覚えがあるからこそユーリの強さを正確に測ることができた。

ギムナジウム(寄宿舎)のそこかしこに暴力の萌芽があった。しかし、あらゆる暴力の行使は未遂に終わる。ただ一つの例外を除いてはーー

当時の少年マンガに顕著な、ケンカの相手に勝つことを目的とする単純な物語構造をくつがえす、人と人とが織りなす複雑な心理劇を萩尾望都は描いた。

エーリクの短絡をユーリが「それでは問題の解決にならない」とたしなめる場面がある。かつて暴力に服従した経験をもつ彼は、暴力支配の無意味さをよく理解していたが、過度な抑制からみずからを解き放つ必要にも気づいていた。

 

2022/12/08

動画をアップしようと何度かトライしてみたがだめだった。

るまたんさんのアドバイスでfedimovieのアカウントを作成し、動画をアップしてみた。

これでどうだろう? うまくいくかな。

fedimovie.com

 

ハウスにはあまり明るくないが、Summer Daze好きだったな。リズムだけでせつなくなるという意味では、Mr. Fingersのこれなんかも。

違った。これも好きなんだけど、伝えたかったのは“Children at Play”だよ。

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21世紀の「サークルゲーム」だと思っている。the bird and the beeの“again and again”。

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クリスマスソングもリリースしていた。週末に新しいプレイリストでも編んでみようかしら。

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子どもの遊んでいる声が私は好きなんだ。うるさいとは思わない。歓声を聞くたびに、思う存分楽しんでくれと思っている。

わが家のとなりは幼稚園だ。物心ついたときから子どもたちのさんざめきを聞いて育った。だから抵抗ないのかもしれない。

子どもの声を騒音に感じる人が世間には一定数いる。とくにお年寄りに多い。煩わしく感じる気持ち、わからなくもないが。

生命力のほとばしりはまぶしい。トゥマッチに思うこともしばしばある。私だって日々衰えを感じる還暦すぎの老人だから。

私は園庭の隅っこで、仲間の輪に加われず、わんぱく坊主たちが走り回るさまをおとなしく眺めているような子どもだった。

だからこそ思う、大勢のなかの一員になることも子どもにはかけがえのない経験なんだと。大人はそれを妨げてはならない。

喧騒も静寂も軋轢も寂寥も充足も、子どもにはさまざまなシチュエーションで、「感じる」を掴みとる機会を与えてほしい。

そこは塞がずに開こう。保育士任せではなく社会全体で子どもを育てていこう。かつて私たちも通過してきた道なのだから。

 

あー、また今夜もポエムかましてしまった。もう一眠りしよう。チャイ、朝ごはんはもう少し待て。いつもの時間にあげるから。

 

2022/12/09

「こんな寒い朝に似合う音ってなんだろう」

と私は訊ねた。彼は

マニュエル・ゲッチングの『E2-E4』、ですかね」と即答した。

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あの会話から15年も経ってるのか。つい昨日のことのように覚えているのだが。

 

北西の空低くしらじらとした満月がぽっかりと浮かんでいた

 

2022/12/10

私は一瞬「あれっ」「えーと」と考えさせられる話題がすきだ。たしか彼女、英国出身だったよね、と確認したくなるような。

 

いいな、と思う写真を載っけたトゥートを四つブーストした。

※トゥート=Twitterでいうところのツイート 

ブースト=Twitterでいうところのリツイート

 

Twitterから何かを「持ち込む」にしても、それなりの工夫をほどこしてほしいな、ここでは。

工夫っていうのは問題のたてかたよね。Twitterでは、自論を擁護するがあまり話が妙に捻れている例をよく見かけた。あらかじめ防禦している投稿は、胸の痞える感じがする。

 

Twitterの広告で、マンガが頻繁なのはアルゴリズムが私の傾向を判断してのことだろう。つい覗いてしまうのだ、さわりの部分の誘導を。それで、

「有難ッス、オレ会社辞めます(ボコボコボコ)」

を何度もみるはめになる。無料お試しにもアプリ取得にも無縁だが、感情過多になる要因かもしれないな。

なんだろうな、怒りや憤りを誘発する装置でもついているのかなと思うよ。コミックサイトへの誘導も情動をかき立てる要因の一つだね。

 

デヴィッド・クロスビー、2018年キャピトルシアターでのライブアルバムもリリースされていた。ライトハウスバンドと銘打たれたサポートが凄いメンツで、ベッカ・スティーヴンズとミシェル・ウィリス二人の女性歌手、スナーキー・パピーのマルチ・インストゥルメンタリストのマイケル・リーグと、いまの時代を切り拓くプレイヤーたちが御大の歌を支える。過去と未来をつなぐ、こころ温まるハーモニーだ。

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先ほど車中のラジオから流れてきた楽曲。ソフト&メロウなA.O.R.だなと思ったら、今年10月リリースの新譜だという。ヤング・ガン・シルバー・フォックスという二人組だそうだが、ここまで作りこみが徹底していると、ある意味マニエリスムだなと感じた(誉めていない)。

どっかに新味がないとね。昔をなぞるだけじゃ。

 

いいなと思った投稿は、積極的にブーストすることに決めた。SNS分析も必要だけど、まずは頷ける意見を紹介しつつ、静かな盛りあがりを期待したい。

 

マストドンの仕組みを理解したとはいいがたい。正直いって、サーバについてはよくわかっていない。複数のサーバを使いわけるほど私は器用ではないけど、jp.以外の住処をblueに設けてみた。引っ越すかどうかは今のところ未定です。

マストドン JP(2022/11/14~2022/12/11)全記録 その1

2022/11/14

mstdnのアカウントを作成しました。しばらくはTwitterと併用します。今は右も左もわからない状態ですが、ぼちぼち投稿していこうと思いますので、よろしくお願いします。鰯

 

いつもの調子で投稿してみる。

昨日は熊本市長選だった。結果は予想通り、現職大西一史の圧勝だった。

そういえば一昨日、市内中心部の辛島公園の前を通過したとき、彼が演説していた。運転中の私に同乗者がつぶやいた。「大西さんの話、誰も聞いてないね」。公園の階段にしゃがんでいる何人かの若い人たちは、スマフォに目を落とし待ち合わせしているだけで、目の前で語る市長に関心はなかったようだ。投票率は30%を割り過去最低。多数に支持されたゆえの三選ではないことを、大西氏は認識しているだろうか。

現職の大西氏が大差で3選果たす 熊本市長選 子育て支援や都市高速整備訴え 投票率は過去最低更新|熊本日日新聞社

先にマストドンの500文字のスペースでのびのびと書いたものを、後ほどツイッターで140文字に圧縮してみようかな。同時に投稿できるアプリもあるみたいだけど、それだとなんだかズルい気がするので。

 

朝の光が武蔵塚公園の紅や黄の葉を眩しく照らす。アンソニー・ウィルソンを聞きながら通勤中。

まっさらなノートを与えられた子どものような気持ちで書いてみよう。新しいテキストを、マストドンに。

最近の子ども、ピーポーじゃないほうのサイレンの音を口まねするんだよね。高い音程でォワンォワンと。それがまたリアルなんだ。

 

2022/11/15

月曜日がいちばん疲れるんだよな。夕飯を食べたらすぐに眠くなってしまう。話題のドラマを観ようと見るだけ予約するんだけど、今夜も10時になる前に寝落ちしてしまった。うちのテレビは安物だから録画できない。録りたい番組もほとんどないし、べつにかまわないんだけど。で、変な時間に目が覚める。ベッドで横になったままスマフォをさわる。私の夜はそんなふうだ。本を読むほどの気力はない。とても怠惰な人間になった。

パブリック・イメージ・リミテッドで鋭角的なギターをかき鳴らしていたキース・レヴィンが亡くなったそうだ。今や訃報を報せるツールとしてSNSが機能している感じがする。

セカンドアルバム『メタル・ボックス』は18歳のころ福岡は長浜公園前のバラエティってバーで初めて聞いた。天井のJBLから降りそそぐPILの大音響に、若僧の私は音楽の常識が書き換えられていると感じた。今どんな音楽を聞いても、あの時のような衝撃は感じない。それは音楽のせいでも時代のせいでもない。私の意識が衰えたせいだが、枕もとのスピーカーから密やかに鳴り響くGraveyardは今も空気を震わせる。

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二度寝した。キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』D面「part iic」のさわりを弾く夢をみた。今はもう、むかしみたいにパラパラとは弾けない。

 

平河エリってポリティカルライター、私は以前から批判的にみている。今回の枝野幸男発言についての連続ツイートでも、

「左のポピュリズムは、消費税減税さえ言えば票が取れると思っている人たち」とだいぶ正直に言っててちょっと笑ってしまった。代表を辞めてイキイキしているなぁ

と一番目のツイートで笑ってみせ、

私は個人的には消費税に関するスタンスが投票行動に大きく影響を与えるとは思っていない(れいわならともかく、立憲に関しては)が、創業者が前回選挙と全然違ったことを言っているという点で信頼を失う可能性は十分にあるとは思う、というあたりも折り込みながらの発言なのだろうけど

と、枝野の消費税減税撤回が批判を浴びている現状を踏まえつつ、「というあたりも折り込みながらの発言なのだろう」と枝野の意図を斟酌しながら、

要は、消費税減税が野党間の結節点になるような政治情勢ではないということを踏まえているのだと思う。これはこの間の執行部の動きとおおむね重なる。

と三番目で結ぶ。客観視を装いつつ、あくまでも立憲民主党および枝野を擁護するスレッドに他の野党への配慮はみじんも感じられない。痛い、これは痛いよ。

→  500文字だと3つの連続ツイートを丸ごと飲みこめて、しかもおつりがくるんだなあ。

 

2022/11/16

先日、行政からメールが来ていた。

◯◯を申請する場合は、本人の個人番号(マイナンバー)であることを証明する書類等の写し(コピー)が必要ですが、2020年以降に行政から発行されたマイナンバー通知書は個人番号の証明には使えなくなりましたので、今後はマイナンバーカードか個人番号記載の住民票の写しを添付するよう通知してください、と。

だいたい申請書に添付書類をつけること自体がナンセンスなことだと私は思うが、マイナンバーカードを普及させるための方便を、よくもまあいろいろと考えつくもんだなあ、と呆れてしまった。

複数の方から聞いた話だが、マイナカードを申請したけれど未だに交付の通知が来ていないという。ポイント付きのキャンペーンでマイナカード普及を喚起したものの、発行までの業務が追いついていないのが現状のようだ。

先日は行政の職員が交付前のマイナカードを一枚紛失したというニュースもあった。これも業務に追われてのヒューマンエラーであることは想像に難くない。いずれにせよマイナンバーカードをめぐるMixed-Up Confusionは、まだまだ続きそうだ。

私、もう何人かに、「マイナンバー通知書」のコピーでいいですよって伝えてしまったよ。まぁ提出期日はずっと先だから、なんとかなるけどさー。

正確に記しておこうか。

マイナンバー(個人番号)通知カード」は令和2年5月25日に廃止され、「個人番号通知書」に変わりましたので、(一部略)持っていないことが想定されます。

「個人番号通知書」は証明書類として認められておりませんので、今後証明書類を添付される際は、マイナンバーカードまたは(個人)番号記載の住民票をご提出いただきますよう、お願い申し上げます。

※  通知カードが既に発行されている方に関しては、氏名・住所等が住民票に記載されている事項と一致している場合に限り、引き続き通知カードを証明書類として利用することができます。

現行の「個人番号通知書」がなぜ証明書類として認められてないのか、の説明が記してないのは、かなり疑問だな。

 

今、上空がうるさいと思って見あげたら、オスプレイだった。

嫌だねぇ

 

2022/11/19

最近ツイッターで音楽の話をしても、あまり相手にされなくなった。昨日アメリカのコーラスグループ、ザ・フラット・ファイヴが2016年にリリースした『It’s a world of love and hope』より「This is your night」を貼りつけて投稿したんたけど、ほとんど反応なかったもんね。まあ、ぶっちゃけセルジオ・メンデスとブラジル66だし、スモール・サークル・オヴ・フレンズ(ロジャー・ニコルズのほうね念のため)の「Don't take your time」の焼きなおし版ではあるのだけど、気持ちいいからいいじゃないか、とひとりでイキってる。

そして、そのセンをずっと辿ればリオの新生グループBala Desejoにつきあたる。個人的に2022年のベストシングルは、彼・彼女らの「Baile de Máscaras (Recarnaval)」に決定済だ。絶妙なコーラスワークとチャーミングなアレンジ、加えて疾走感がたまんない。セルメンから円環で結ばれた感じがする。というわけで聞いてみて。

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※バーラ・デゼージョのアルバム『SIM SIM SIM』は、2022年度ラテングラミーのポルトガル語ポップコンテンポラリー部門を受賞している。

 

今はまだ様子見で、穏やかそうな態度でいるけど、私の性格上、そのうち政治やら何やらをマストドンに「持ち込む」と思うよ。と先に断っとく。

 

長文は畳むとな。初めてなもんですみません。で、畳み方どうすればよいのだ?

(何人かに教えてもらう)

マストドンのみなさんは親切だなあ。

 

2022/11/20

先日来『&ニコ』を聞き直している。「毛皮のヴィーナス」や「オール・トゥモローズ・パーティー」を聞いていると、ルー・リードによる歌詞と旋律の揺るぎなさは、まるでトラッドのようだ。ジョン・ケイルによるオスティナート主導のアレンジも伝統的だといえる。初手でこんな曲どもを出せるとは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは異能集団だったのだな、と今さらながら感心する。

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昨日は市街に出て買い物をした。たいへんな人混みで往生した。帰ってきてドッと疲れた。何かよからぬウイルスをもらったかもしれない。

もう新しい服はほとんど買わない(買えない)が、ウインドショッピングは好きだ。最近の流行りの色やデザインはどんな感じだかを知っておくと、タンスの肥やしから今に合うものを引っ張りだせるからね。年寄りなりの知恵と工夫さ。

エレベーターですれ違った同僚が、明るい色の洋服を上手に着こなしていた。若いひとがおしゃれしていると、こっちまで嬉しくなるね。

若いひとが好きな格好して闊歩できる世の中にしたいね。暮らすのにせいいっぱいで着るものも選べないなんて現状、おかしいと思うよ。

もっと給料あげようよ。節約ばかりだと人の顔色が悪くなる。店がつぶれて寂れた街に、貧相で色褪せた本邦にインバウンドは訪れない。外観や容れ物よりも先ずは人。キャンペーン打つ前に、もっと手取りの額を増やそうよ。

 

ついさっき、ツイッターで「引用リツイート」されてたんだけど、あれ、ホント魂を削られるわ。引用がないのは、マストドンの長所だね。

 

地元の交響楽団の定演を県劇に観に行った。プログラムはシューマン。アマ楽団に共通する課題だけどヴィオラとホルンが弱い。テンポの切り替えも拙く、音楽が途切れがち。練習時間や人数の確保など難しいことも多いだろうが、要所を締めればもっと良く「鳴る」はず。自分の奏でる音にどんな意味があるのかをよく考えたうえで演奏に臨んでほしい。次回に期待する。

 

2022/11/21

正直いって私はまだTwitterに未練がある。割り切ってマストドンonlyにはなれない。向こうに留まっている人のことが、やけに気にかかる。だから当分は行ったり来たりをくり返すつもり。

とはいえ、滞在時間はあきらかにmstdnのほうが長くなっている。向こうにいる時間が段々減っている。

午前零時を過ぎた。おやすみなさい。

 

うー、嫌な夢をみた。逃げようとするが、どこへ行っても誰かがいて、脱出できないという。何を象徴した夢か。仕事か、それともSNSか?

 

【12年もTwitterと戯れていた私。】

帰宅してTwitterを開いたら、

Twitterに登録した日を覚えていますか?#MyTwitterAnniversary >

 と表示された。私は、

覚えてますとも。あれから12年も経ちましたか。でも、凍結していた元大統領のアカウントが復活して、ツイッターがオワコンになる光景を目のあたりにするとは、さすがに想像できなかったよ。

とつけ加えた。

12年も同じメディア(だと思う。たんなるサービスとは思えない)に浸っていると、さすがに馴れあいや惰性が生じる。投稿した内容が誠実であるかどうかも、自分で判断するのはむずかしい。ただ、ここでTwitterの悪口をあまり言いたくはないのだ。いろんな意味で、Twitterは道場だったと思う。他人はどうだか知らないが私はずいぶん鍛えられた。恥をかいたり辛酸を舐めたりしたこともあったが、それも良い経験だった。だからTwitterなんかなくなったって平気さ、なんて醒めた態度をとりたくない――

おやおや、書いているうちに話が妙に熱っぽくなってしまったぞ。これは隠しておこう。

 

2022/11/22

いつのまにか、うちの庭と県道をへだてる空き地の木に、ピンクと白色の、さざんかの花が咲き乱れていた。

そういうことにも気づかないほど、忙しく暮らしていたのか。

 

コンバースのスリッポン(フェイクレザー)。カジュアルだけどスーツにも合わせられるので重宝しているが、もう製造していないのかな。

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歳をとると靴を履くのが億劫になる。スニーカーも面倒くさい。日ごろは布地の黒いスリッポンを二足交代で履いている。先の尖った靴は趣味じゃない。

亡き父親のタンスから発掘したWillis & Geigerのデニムシャツ。生地が柔らかくてゴワゴワしていない。軽くて着心地いいうえに色合いがとてもきれい。この秋いちばん袖を通している。

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2022/11/23

Light My Fire(s)』は、一時間半ぜんぶ「ハートに火をつけて」というSpotifyのプレイリストだ。

このドアーズの大ヒット曲には、たくさんの秀逸なカヴァーがあるけれど、どれも独創的なテクスチャー(Am-F♯mの往復による浮遊感など)がよく表れている。しかし、レイ・マンザレクの弾いた印象的なオルガンを大半のカヴァーが踏襲していないのは残念だ。あの前奏がいいのに。ほとんどがホセ・フェリシアーノの解釈に準拠していることがわかる。

このプレイリストを編んだ理由は私自身がそれぞれを比較したかったからで、ジョニー・ハリス楽団の版を聞いたときに思いついた。UB40やマッシヴ・アタックやフリーデザインのは好みではなかったので割愛した(どれも好きなグループですがね)。一等好きなのはブライアン・オーガー&トリニティft. ジュリー・ドリスコールの版だ。

それにしても。“And our love become a funeral pyre”のイメージは強烈だ。この一行があることで「ハートに火をつけて」は凡百のポップスを凌駕しているといえるだろう。

open.spotify.com

といった感じで、これからちょくちょく自分の編んだプレイリストについてを500文字で解説してみようと思う。cw(長文を隠すこと)に文字数が削られるのはもったいないので貧乏性の私は割愛する。

 

ワールドカップが開催されているんだね。あまり興味がわかないな。フットボールきらいじゃないんだけどね。負けられないたたかい、とか絶叫するのが好きじゃないんだ。

目下のスポーツでの関心事は、北海道日本ハム近藤健介が埼玉西武ライオンズに移籍してくれるかどうか、それだけ。

※ その後、近藤選手の移籍先は福岡ソフトバンクホークスに決まった。

 

甘噛み(飼い猫の写真)。今朝はまだベッドの中でペットと寝ている。

 

ちょうど30年くらい前か、当時の同僚が「みんなが使っているものが、いいものなんだよ」と私に得意げに説いてて、やべーなその考えと思ったもんな。

 

雨がしとしと降っている。つれあいがピアノを弾いている。そこはこうだのに、と思うけども黙っている。

弾いてるとき横からあーだこーだ言われるの迷惑だからね。口出しは基本しない。

 

政治の話ね。そのうちすると思う。ツイッターみたくマストドンにも政治家が進出してくるのかな(さっき候補者は見かけたけど)。私が苦手なのは、党派性の話題が専らな人。政治部記者の政局談義と同様、敵対する派閥の政治家を貶めるのに忙しい人。そういうものとはおさらばしたい。ホント不毛だから。

政権批判もコツがあるんだ。Twitterには達人が何人かいる。140文字で問題点を要領よく伝える技術。ずば抜けて巧いのが「異邦人」、あと「さよなら昨日の私」かな。既存の記事に乗っかるのではなく、テキストのみで読み手を喚起する。

私はたぶん、憤りのポイントを探りあてるのが得意だったんだと思う。だからときたま“buzzった”。でも、おかしな話じゃないか。地方都市の一般人が何百何千もリツイートされるなんて考えてみれば異常なことだよ。それが度重なると、感覚が麻痺していく。何日か当たらないと不調だと感じてしまう。プロ野球の打者じゃあるまいに、何を勘違いしていたんだろう。

そこは反省している。今後だから政治の話をするにしても、岸田が萩生田が野田が枝野が怪しからん式の投稿はしなくなると思う(←今してるじゃないかと自分でツッコむけれど)。現政権を批判するにしても、もう少しアプローチを変えるというか、テキストに膨らみをもたせたいと思う。読み手に考えをうながすような。

 

デイリースポーツお得意のコタツ記事を肴にしてみよう。

米イエール大助教授で経済学者の成田悠輔氏に、私は正直ネガティヴなイメージを持っていたが、今朝たまたま観ていたモーニングショーでのコメントはしごく真っ当なものだと思った。

「スポーツと政治とか人権、それからお金の問題っていうのがすごく極端な形で出てる大会なのかな」(略)「日本もオリンピックの時にお金とスポーツの問題は噴出したじゃないですか。『電通が関わってる』みたいな話があったかと思う」「どういう風に解決していくかっていう仕組み作りができないまんま時間だけが過ぎてる」と

した(記事より抜粋)。

しかし<W杯が問題解決のきっかけとなることを期待した>ようには聞こえなかったし、<この日の成田氏の発言は(モーニングショーで謹慎処分となった)玉川徹氏とはまったく別物であり、問題となるものではなかった>という感想も余計だ。

どこか奥歯にものの詰まったような書き方はスポーツ業界に配慮せざるをえないスポーツ紙の宿命なのかもしれないが、東京五輪やW杯を批判できないようでは報道機関の名折れじゃないかね?

https://www.daily.co.jp/gossip/2022/11/23/

 

低気圧の影響ってやっぱりあるのかね。午前中は頭が痛かったけど雨上がりの今はスッキリしている。

たいして大切ではないことでも忘れてしまうとすごく焦ったくならない? 今ちょうどそんな状態。

 

ああそうだ。

今日は私と妻の結婚記念日だった。

普段とたいして変わらない休日を過ごした。

そして関東に住む娘が、今日入籍したのだ。

挙式は来年の今ごろに行うんだと。

昨今の結婚事情はよくわからんが、

ともあれ、おめでとう。

 

2022/11/24

久しぶりにmediumに投稿してみた。

今スマフォでテキストを書いてるんだけど、mediumなんて書きやすいんだとあらためて感心している。ストレスがまるでない。サクサク書けるとは、まさにこのことだ。これは他のSNSにはない、medium最大の長所だ。

選択肢の一つとして、mediumもアリだと思う。

iwashi-dokuhaku.medium.com

本文には書かなかったけどmedium最大の魅力は「過疎っている」ことだ。誰にも気がねせず自由奔放に書けるスペースを、私は欲してるんだ。

 

つらいね。

ウィルコ・ジョンソンは、ミック・グリーン、アベフトシと並んで、私にとって三大ギタリストのひとり。あのソリッドなカッティングに憧れたものです。R.I.P.

nordot.app

ともだちから今年の収穫(作品集)が送られてきた。いま聞いてる。今回はピアノか。私は彼の朴訥なピアノが好きだ。普通のピアニストがぜったいに思いつかないようなピアノだから。

じきに、彼の作品についてレビューを書こうと思っている。今回のは驚異的だ。なぜなら「誰にも何にも似てない」から。

 

2022/11/25

(車中にビートルズの青盤を持ちこんだ友人をめちゃくちゃdisったというエピソードを読んで)オレがそんな目に遭ったらその場でクルマから降りるかもな。そういや、むかし何人かでドライブしていたとき、ステファン・グラッペリを好きなやつが、ジャン・リュック・ポンティの悪口いったから口論になったことがある。他の同乗者は居心地悪そうだったな。

 

ブルース・コバーン(カナダのSSW)の新譜。Bruceの音楽は淡々と語りかけてくる。一対一で向き合ってる感じがする。しんみりするし、辛気くさく聞こえるかもしれないが、内に秘めた炎は激しい。信頼する音楽家のひとりだ。

open.spotify.com

 

しかしまあビートルズは、若い世代にとっては抑圧の象徴なのかもしれないな。頭上にのしかかる権威、みたいな。貶したくなる気持ち、わからなくもない。

私も(日本における文化としての)ジャズが鬱陶しかったからな。ジャズを好んで聞くようになったのは、ごく最近といってもいい。

 

昨日は人前で歌ったんだった。年末恒例行事のために。歌うのいやだと拒否っていても、いざ声をだしたら、もうその気になっている。歌うこと演奏すること、抗えないからおそろしい。

 

<日本は必要な公務員が絶対的に不足してしまっているのだから、非正規公務員正規雇用にして、さらに足りない部分も新規で正規公務員を雇入れればいい。>という意見に、

私も公務員を減らしすぎだと思う。人員削減に邁進した結果、チェック機能が働かなくなり、ヒューマンエラーが増えた。

実務に勤しんでいるの、ほとんど非正規と派遣だからね。あるいは外注。そして事業者様への「お願い」だ。

とにかく、いま前線で働いている非正規雇用の職員を正規に雇い入れること。それが急務だ。

 

じつは私も、意識しなくても140文字になる。ここmstdnの500文字スペースでも、気がついたら残り220〜80字あたりに収めてしまっている。Twitterを使い始めて12年。培った習慣とはおそろしいものだ。

 

2024年度からは国税として、国内に住所がある人から1人1000円、住民税に上乗せする形で「森林環境税」が徴収されます。

納税者を約6200万人とすると、税収は1年で620億円に上るといわれています。

再来年からひとり1,000円、住民税に乗っけられます。ウグげっ!

www.nhk.or.jp

と、非正規を正規に、と呼びかけた矢先、こんなニュースが目に入った。

非正規で働く地方公務員の多くが、2022年度末に「雇い止め」に遭う恐れが出ている。20年4月に始まった人事制度で政府が雇用契約の更新を原則2回までとする方針を示したため、3年目の年度末に7割近くの自治体が職員の公募試験を実施する可能性があり、試験に受からなければ働けなくなるからだ(東京新聞記事より)

非正規の地方公務員は、20年時点で約69万人いる。保育士や司書、各種相談員など経験や専門知識が必要な職務を担う人が多い、という。非正規職員を正規に雇用し、持てる経験と知恵を十二分に発揮してもらうことが、ひいては経費削減につながるのではないか?

www.tokyo-np.co.jp

 

2022/11/26

昨日ようやく懸案事項から脱出できた。ホッとしている。

ちょっと前にクッキーをいただいたのだけど、なかなか食べられないでいる。(写真)

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【じつは左派でもリベラルでもないよ】

あんまり「左派リベラル」認定されるのも何だから、ここらでスタンスを明確にしておくよ。

SNSを始めたきっかけは、俗にいう「陸山会事件」への疑問からだった。あれは小沢一郎を陥れるために政財界がしくんだ「陰謀」だと私は認識してしており、それは月日が経っても微動だにしない。

立憲民主党の一兵卒である今の小沢にはさほど期待はないが、彼と自由党で共同代表をつとめた山本太郎には政治家としての飛躍を願ってやまない。目下の支持政党は「れいわ新選組」である(れいわオーナーズ会員だもん)。

……このへんで半分が脱落したね。

だから当然、緊縮財政には反対の立場だ。いわゆる現代貨幣理論を鵜呑みにはしないが、社会保障を支えるには財政出動国債発行が必要だとも考えている。だから頭でっかちな財政規律派にはかなりアレルギーがある。

……はい、ここでまた半数が脱落ね。

てなわけで、昨日あたりからフォローしてくれた方々のご期待にはあまりそえないと思う。それでも、協調できる場面では協力しあいましょう。なんでも否定がサヨクの限界、だなんて偏見もあるようだけど、そうじゃないってとこを示しましょうよ。

 

財務大臣の諮問機関、財政制度等審議会や防衛力強化のための有識者会議の報告書では、新型コロナ対策として病床確保などのために特例で配った補助金が国公立病院を運営している独立行政法人に使われないまま積みあがっており、この「余った積立金」を防衛力強化の財源に活用する案を検討しているという。

岸田文雄首相が打ち出した防衛費増額の財源として、国公立病院を運営する二つの独立行政法人にある積立金(利益剰余金)約1500億円を活用する案が浮上している。財務省新型コロナウイルス対策の補助金などで過剰に積み上がったと指摘し早期の国庫返納を主張するが、厚生労働省は難色を示している(中略)防衛費増額の財源を巡っては、増税による国民負担が避けられない中で財務省は歳出改革も徹底したい考えだ。両法人の積立金は「数ある独法の中でも際だって多い」(財務省幹部)といい、財源として目を付けた形だ(毎日新聞記事より)

敵基地攻撃能力(反撃能力)を保有するため財源確保に奔走する財務省。もちろん国庫返納程度ではミサイル装備に足りないので、国民に負担をお願い=強いる形で増税が実施されるだろう。私は消費税が上がると予想している。

mainichi.jp

防衛力強化のための増税を許すな

 

フランチェスカ・アンカローラはチリのシンガーソングライター。チリ大学出身。ジャズの影響を受けつつも伝統音楽やヴィクトル・ハラの継承にも心血を注ぐ国民的歌手。新作『愛の歌』はHoracio Burgosのギター一本でうたう。

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2022/11/27

【お金のどれいになってはだめだよ】

お金があればなんでもできる。なるほど欲しいものはたくさんあって、その大半はお金を出せば買える。資本主義社会はそういう仕組みになっている。私だって物欲が減ってもまだまだ欲しいものはある。おんぼろ家屋の補修にはお金がかかるし。いくらあっても足りないものがお金。ゆえに人は拝金主義に陥る。けどもお金のどれいになってはだめだよ。お金は人のこころを蝕む。政治家をみてごらん。資本家をみてごらん。地位と欲のかたまりだ。利権のためならなんだってやる。他人のいのちや尊厳を踏み躙っても平気になる。元理財局長みたく裁判に出廷しなくても平然としていられる。お金に執着するとこころに鬼が棲むようだ。ねえ、お金のどれいになってはだめだよ。むかしの人はそれを守銭奴と呼んだ。幸せはお金じゃ買えないとは思わないし、お金がなくたって生きていけるだなんて世迷いごとは吐きたくない。健康で文化的な生活を営むためには最低限度のお金が必要だ。だからこそ、税金の使い途にはうるさくもなるさ。日本政府は奪うばかりで与えないじゃないか。人を殺めるための武器を調達するよりも、民が生きるためのお金を社会に回してくれ。

 

ある秘密を「ぼく」は持っている。同じクラスに、ぼくと同じ秘密を持っているひねくれ者のやつがいる。ぼくと彼はことごとく衝突するけど、きみと同じ秘密を持っているんだと彼に打ちあけることで、対立は解消する。ぼくたちは学校のみんなに、自分たちのつらさを理解してもらいたいと思う。そのため児童集会で発表しようと計画する。でも、どうやって?

と、二人であれこれ相談している途中で、夢から目覚めました。

 

青盤を聞きながら眠ったから、小6の子どもに戻った夢を見たのかもしれない。私がこのアルバムを歳上のいとこから聞かせてもらったのがそのころだから。しかしこれを聞いて嘲笑える神経が私には理解できない。創造の極致じゃないか。

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まぁ私も、回転寿司の店でビートルズが延々とかかっていると、かんべんしてくれよと思うが(実際あるんですよ、そんな店が)。ヤー・ブルースなんかが鳴ってると、寿司つまむ気分が失せるもん。

 

【100トゥート記念はやっぱり音楽の話にしよう】

私はBGMが気になる質でして。F○○dy ○neって地元のストアでは、ジャズやフュージョンがよくかかっている。マンハッタン・トランスファーやらカシオペアやらウェス・モンゴメリーなんかが。さっき買い物に行ったら、ニール・ラーセン&バジー・フェイトン『フルムーン』の2曲めがかかっていた。これはかつて幻の名盤で、レコードが出回ってなく、盤を持っている友人にダビングしてもらったカセットテープをくり返して聞いていたものだ。今じゃサブスクでカンタンに聞けるけどさ。まぁそんなふうに不意に聞こえてくる音楽には、部屋の中で聞くものとは違った感興がわくものだ。そういえばニトリに行ったらフランク・シナトラのヴァージョンで「レット・イット・スノー ×3」が流れていたよ。そろそろクリスマスシーズンだね。

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ブラジルのピアニスト、アンドレ・メマーリが女性歌手と組んで、(同郷ミナス州の巨匠)ミルトン・ナシメントの楽曲に印象派的な和声をあしらったアルバム。今年の収穫のひとつ。

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ここmstdnでTwitterの愚痴はなるべく控えていたけど、どうやら私、ペナルティくらっているみたい。シャドウバンされた理由はわからないが、いい機会だ、Twitterをしばらく休もう。

シャドウバンではないかもしれないがTwitterのインプレッションは11月に入って激減した。より正確にいうとMastodonを開設して以降。

長く棲んでたらね、理屈じゃなくわかるのさ。いつもとは違うぞ、おかしな方へ向かってるぞと。異変に気づかないほど私は鈍感じゃない。

 

2022/11/28

これはいいな。粗削りだけど可能性がある。ピアノ弾くのが楽しくってたまらないって感じ。

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ファーガス・マクリーディー(Fergus McCreadie)の3rd『Forest Floor』、昨日マストドンで知ったばかりだけど、かなり気に入った。スコットランド出身で1997年生まれ。さまざまなピアニストの影響を感じる(とくに北欧系)けども、強靭なタッチやフレーズのたどり方には他にない個性がある。今後が楽しみだ。さっそく拙プレイリスト『Chamber MusicとしてのJazz』に一曲挿入しておいた。

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確かに。Twitterのぞいてみても、長く留まってられなくなった。

ツイッター マスク氏買収1か月 有料認証サービス 来月開始表明【NHKニュース】

認証マークの付与はこれまで著名人などに限定した形では存在しましたが、今後は一般人も含め個人は青色、政府機関はグレー、そして企業には金色のマークが与えられるとしています。

企業には金色マークって、露骨なまでの拝金主義ぶりの表れだなあ。

www3.nhk.or.jp

【また太郎の差し金か、マイナカード濫用。読売の詳細な記事は、まるで官報のようだ】

河野デジタル相が、プロスポーツを始めとする関係団体と具体的な協議を始めるようデジタル庁に指示した。チケット販売にマイナカードが使えるかどうかを調べる実証実験は既に行われており、課題を検証して早期の導入を目指す。

この仕組みは本人であることを証明する電子証明書機能を使う。チケット購入時に利用者がマイナカードをスマートフォンにかざせば、内蔵したICチップを通じて情報を確認できる。

転売を防ぐために、入場時もマイナカードをかざして第三者ではないかを調べる。現在は、インターネットで予約しコンビニエンスストアなどで紙のチケットを受け取って入場する例が多い。紙を使わずにマイナカードを活用すれば本人確認が徹底でき、第三者の入場を食い止められる。イベント主催者は、会場にマイナカードを読み取る端末を設置する必要がある。スマホを持っていない人や家族の分をまとめて購入した時に、どうやって本人を確認するのかという課題もある。

②記事の途中に、

ただ、取得にメリットが感じられないとの声もあり、申請率は6割にとどまっている

と記し、また、末尾にも

個人情報の漏えいを恐れる人も多く、情報管理の徹底が欠かせない

という一行を加えることで記事としての体裁を整えてはいるが、そこに(官民が癒着することへの)批判のトーンは微塵もなく、「情報管理の徹底が欠かせない」と結論づけることで、マイナンバーカードの普及が既定路線であることを、殊更に強調している。

プレスリリースそのままをなぞるような、読売新聞らしい、政府の意向をまるっと反映した記事である。

https://www.yomiuri.co.jp/economy/20221127

③しかし、河野太郎っておかしな政治家だ。

マイナンバーカードの普及が行政のデジタル化のカギを握るとして、2022年度末までにほぼすべての国民が持つことを目指し、24年秋には現行の保険証を廃止し、マイナカードに一本化することを決め、運転免許証との一体化も進める方針を掲げており、持ち歩かずにすむよう、機能をスマホに搭載することも進めている。

わけだが、これだけマイナンバーカード一体化に疑問の声があがっているというのに、それをものともせず、あべこべに反対を表明する人びとの神経を逆撫でするかのごとく、矢継ぎ早にマイナカードの普及戦略を推し進める。この無神経さ、厚顔無恥さは誰かに似ている。そう、イーロン・マスクだ。自分の企図に反対する者が嫌がるようなことを、あえてしてみせるところがクリソツだ。ひょっとしたら河野太郎は、マイナンバーカード普及よりも、マイナンバー反対派を打倒することが目的化しているのではないか?

てなことをTwitterで書いたら、間違いなくブロックされるだろうな(私、恥ずかしながらされてなかったんだよ)。

 

2022/11/29

このキャメルのライブ演奏、私はよく憶えている。当時エフエムで放送されたのをカセットにダビングした。最後の曲がアルバム未収録でクレジットは「Nobody Knows」だが、これはニール・ラーセンの「Jungle Fever」だね。

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雨が降っている。頭が痛い。

じつは日中、かなり胸のあたりが痛く、喉元までグッとせりあがってきたので、かかりつけのクリニックで診てもらった。

平熱。血圧は127 / 81だった。普段はもう少し高いのでもう一度測ったが、同じ値だった。

心電図は「きれいなもの」だそうだ。狭心症の一種だろうが、入院が必要なほどではないので安静に過ごすように、とのことだった。原因は心労からではないかともいわれた。

ニトロを10錠、処方された。

心労か。

たしかに心労が続いている。先週は厄介な「説明」をしに某所へ赴いたりもしたが、私は政治家と違って、ちゃんと責任ははたした。だからむしろ晴れやかな気分だったのだが、心の休まる暇がほとんどなかった。

こんなときは投稿を控えたほうがいいのだろうが、つい書きたくなってしまう。Mastodon for iPhone and iPadのアプリを入れてから、文字の入力が格段にラクになった。ただし、反映が遅れるのが玉にきずだけど。

長く眠れない。いつでも眠れるから不眠症ではないのだが、すぐに目が覚めてしまう。困ったものだ。

雨がやんで、頭痛も少し治った。もう一眠りしよう。

 

そういえば私、Twitterのデータをダウンロードしたんだ。万が一に備えて。投稿したツイートが取得できなくなったら困るから。他の誰かにとって取るに足らないものでも、私にとっては過去に書いたテキストは大事なんだ。Twilogで読めるうちに、少しずつコピーしておくことも考えている。

自己満足かもしれない。でもいいじゃないか。

亡くなった方からいただいたメンションや好意的に言及してくれたツイートはブックマークに収めている。そういうのも失いたくないんだ。

 

そうだよな。「停止期間外し・原発運転延長」なんかも同様だけど「今だけ・自分たちの代だけ・任命期間中だけ」のスケールで計られた無責任な方針決定が、本邦の将来をますます暗いものにしている。

 

ついさっきTwitterに今の率直な心境を表明してきた。当分は投稿も覗くこともないだろう。Mastodonに専念しますよ。

 

情報は漏洩するものだ。

私はネットにおける「匿名」を尊重する。よく新聞記者などが、実名を隠して批判するのは卑怯だ、みたいなせりふを口にするけど、匿名の向こう側に一人ひとりがいるというごく基本的な事実を踏まえてないとは思いあがってるなと感じる。てめえは大新聞社の看板を盾にものをいってるくせにさ。

……話が逸れた。

ネット上の情報はかけめぐるものだ。私なぞ実名で顔をさらしているからなおさらだ。つい先日も、若いころ交際していた女性が私のツイートを読んでいることを、その女性の友人から教わった。私の職種、生活レベル、趣味嗜好、家族構成などは、過去ログを小一時間もたどれば大抵の情報は読みとれるはずだ。

考えてみれば、おっかない話だ。

が、それが「情報化社会」ってやつだ。

私は、「ネット上の発信は基本的に匿名で行うべし」と考えている。なぜなら、その方がより安全だからだ。少なくとも、悪質な第三者がアカウントを本人特定するまでの時間が稼げる。自衛のためにも匿名であるべきだ。

だから、マイナンバーの基本4情報(住所・氏名・生年月日・性別)が刻まれたカードを、さまざまな場面で汎用させる政府の方針にも反対だ。

 

キング・ギザード&ザ・リザード・ウィザードを聞いている。最新アルバムは私的には今年のベストテン入り。

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数年前、チカーノ・バットマンを発見したときに感じた、ムフフと笑いたくなる要素が随所に見出せるんだ。

 

やたらと漢字に変換しないほうがいい。 「宜しくお願い致します」は「よろしくお願いいたします」のほうがすっきりみえるでしょ。 今年亡くなった小田嶋隆さんが、そういうことにうるさかった。

以下引用。

「詰る」(なじる)、「論う」(あげつらう)、「掠る」(かする)、あたりの言葉をそのまま漢字で書く人が増えた気がする。理由は、

1.パソコンなりスマホなりの日本語入力システムが提案してくる変換候補をそのまま使っている

2.気取っている

3.ガチな漢字博士

 のうちのどれなんだろう。

2019年7月7日 小田嶋隆氏のツイートより。

 

BS松竹東急で、『ロンゲストヤード(1974年版)』を放送していたので、ついラストまで観た。プリズンが舞台の映画は何故だか見入ってしまう。