鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

あなたもある日いきなりメディアからファクトチェックされるかもしれない

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Part1 話はそれからだ

きじにゃあさんが上のツイートを投稿したのが1月23日。おりしも石原伸晃議員の入院が話題となっていたころだけに、該当ツイートはご覧の通り“buzzった”。陽性判明後の与野党の扱いの差が、視覚的に表された秀逸なツイートだから、拡散されて当然だと私は思ったし、当然リツイートもした。

ところが、3日後の1月26日に、

毎日新聞が上掲の記事をオンラインで配信する。翌朝27日の朝刊紙面でも、“きじにゃあ”というアカウント名こそ省かれていたものの、3段で組まれ、大きく報じられた(写真を掲載したいところだが、著作権侵害を訴えられかねないので、やめておこう)。

ところで。

ある日とつぜん、全国紙の紙面で、自分のポストしたつぶやきが<ファクトチェック>の対象になったとしたら、あなたはどう思うだろうか。

きじにゃあさんと私はTwitterで相互フォローの関係にあり、面識はないもののDMでのやりとりもある。だからなおさら今回の件を他人事とは思えなかった。自分がこんな目に遭ったらと思うと、恐ろしくて眠れなくなった。

が、きじにゃあさんは果敢にも、1月31日このファクトチェック記事に、ご自身のブログで反証している。

kijinyaa.exblog.jp

まずはこのブログ記事に目を通していただきたい。話はそれからだ。この件についての私的な感想は後日、下に追記します。

鰯 (sardine) 2021/02/01

 

Part2 長い、長い追記

一から稿を起こすことも考えたが、この間に投稿したツイートを基に構成した。未整理で、重複した部分や枝葉が多いので、読みにくいことこの上ないが、ドキュメントとして捉えていただきたい。

 

1月26日

毎日新聞の記事に限らず思うことだが、「ファクトチェック」の名のもとに、新聞社が個人のツイートを槍玉にあげることに私は強い違和感を覚える。なにか牽制のつもりだろうか。それとも政治勢力の代言を買ってでているのか。

牽制とはつまり、SNS上で話題になった言説や政権批判などを、在京マスメディアなりオンラインメディアなりが「信憑性に欠ける情報だ」と一方的に裁定することで、火消し=事態の回収にまわることだ。

「ファクトチェックしました」というタイトルの記事をみると、大抵が既定路線の擁護と維持のために機能している。誤った情報の拡散を抑制するという大義名分を掲げてはいるが、じつは異論を排し、批判的な見解を封じる目的で書かれた記事が少なくない。私は個人のつぶやき=感想までが偽情報として回収されていく事態を黙って見過ごすわけにはいかない、今回の毎日新聞の検証は度が過ぎている、と思った。

あれでは風刺ができなくなる。該当ツイートの骨子は「与野党議員の(保健所や医療機関の)扱いの格差」であるが、痛いところを突かれたと政権与党が反論するならまだしも、ブン屋風情(失礼)が中立にふるまって相対化と希釈化に明け暮れるとは、いったい何をやってンだ、そんな暇があるなら問題の本質(すなわちコロナ禍における検査不足と医療従事者の疲弊と入院病床数の削減といった現場の困難を放置した根本的原因が政治判断にあること)をもっと抉れや、と言いたくなる。

 

1月27日

申しわけないが、この毎日新聞の記事を琉球新報が如何なる意図で転載しているのか、理解に苦しみます。デマ情報の拡散というふうに捉えているのでしょうが、検証すべきファクトは果たしてそこでしょうか。ファクトチェックの名のもとに問題を相対化し、希釈して済ますのがマスメディアの仕事でしょうか。該当ツイートの比較の部分は、検査から入院までの過程における与野党の圧倒的な不均衡=不平等を分かりやすく視覚化し、風刺したものです。本来ならプロ中のプロであるマスメディアが取材調査した上で指摘すべき事柄であるのに、アマチュアの発信をドヤ顔で裁定するとは新聞記者の矜持ってもんはないんでしょうか毎日新聞の記事を転載した琉球新報への引用リプライ)

個人と集団とのあわいにある公に資する情報とも感情のため息ともつかぬ言の葉を抽出してしまうのがツイッターという言語生成ツールだ。/傍からみて楽しげに話しているように思えても表の顔とは裏腹に絶望感に苛まれてのたうち回っているかもしれない。/私は情報のやりとりに終始するだけで、そこに書き手の視座が介在しないテキストには興味がない。/醒めた態度で事象を手際よく捌いただけのファクトなんてチェックする値打ちもない。

<首相は恐怖で社会を支配しようとしている>と、私がポストした感想を菅義偉が読んだとしたら「指摘は当たらない」と反論するに決まっている。その通り、事実であれば困るから、徒手空拳で警鐘を鳴らしているのだ。それだのに新聞が権力側に与し、市民の疑念や憤りを潰してまわる働きをするようなら、私たちはもはや新聞を社会の公器とは呼べない。

buzzる、は狙って打てるものじゃないんだ(その証拠に私は万単位のbuzzを2, 3回しか経験していない)。たまたまだ。なぜ大衆心理の渇きを潤す意見が待望されているのか、既存メディアに欠けている部分は何か、現象を分析し考察するのがfeedってもんだろう。一アカウントを吊るしあげている場合か?

今回の件で、大野友嘉子という毎日新聞・統合デジタル取材センター所属の、着眼点を間違えている記者の名前は覚えた。

プロ中のプロであるはずのマスメディアがアマチュアの発信をファクトチェックするとは、可笑しくって莫迦ばかしいや。皇居のほとり竹橋に在所をかまえる大新聞社にしちゃ、なんとも野暮な振る舞いじゃないの。buzzをfeedしフェイク化するハイエナ稼業なんざ牡蠣食う記者に任せとけ。

 

1月30日

【「自民PCR」大ブーイング】

職場での積極的な感染拡大防止策が、なぜ、ここまで批判が高まったのか。/「党職員の検査は本来批判されることではありません(略)」と、政治評論家の有馬晴海さんは指摘。

ホラ、またそうやって毎日新聞は問題の相対・希釈・沈静化をはかる。

【なぜ「自民党本部職員 PCR検査」は大ブーイングを浴びたのか】毎日新聞がつけた見出しを、【「自民PCR」大ブーイング】ツイッターの文字数に収めるため、さらに圧縮しております。ていうか、見出しって本来そういうもんだよね?

PCR検査は誰もが・いつでも・気兼ねなく受けられるべきだ、と私は思う。たとえ自由民主党職員といえども、だから検査したことを非難するつもりはない。だが、なぜ平等に検査が受けられないのかという疑問や憤りは、今やツイッターに限らず国民全体に広がっている。その事実を新聞は無視してはならない。

以下に示された住民vs自民の対比を菅義偉がみたら、「指摘には当たらない」と斥けるだろう。だが、これこそが権力のもっとも嫌がる「風刺」なのだ。さらに言えば、ここに挙げられた数例の対比を事実=ファクトかどうかチェックする必要はどこにもない。圧倒的な格差は誰の目にもあきらかであるからだ(中林香氏1月30日のツイートを引用)

https://twitter.com/kaokou11/status/1355292471727697921?s=21

 

1月31日

社会には個人が抱えきれないほど重い苦しみがある。そして本来なら政治は人びとが苦しむ原因となる数々の問題を解決しなければならないはずだ。ところが本邦の政治は人を救済しようという意志も発想もない。それどころか政治のありようをおかしいと指摘しようものなら明後日の方角から礫が飛んでくる。

政府のおかしさを指摘することに夢中になっているわけではない。個人が追いきれないほど、この国の政治には数えきれないほどの問題点がある。それを一つひとつ掬いあげているアカウント諸氏にまずは敬意を表したい。私にはとても無理だ。一度に多くのウサギは追えない。

さて、今から一つのブログ記事を紹介するが、できるだけ多くの人に読んでもらいたい。とりわけ、政治・社会問題をとり上げているアカウント諸氏は、記事に書かれた内容を決して他人事だと考えないでほしい。私はこの数日間、きじにゃあさんのツイートを毎日新聞がファクトチェックしたことが、一番の関心事で、心配事だった。

最初に@pristinanomine さんのツイートで毎日新聞のファクトチェック記事を知ったとき、〈自分がきじにゃあさんの立場になったら〉と想像すると眠れなくなったんだよね。このブログ記事が出てよかったです。降りかかった火の粉はふり払わなければならない。彼はちゃんと反証している(“本件の特殊性に鑑み”さんへの返信)

毎日新聞の<ファクトチェック>は正しいの?:きじにゃあのツイッター備忘録

当方は実質フォロワー500人程度の弱小アカウント。たまたま1万3000件のリツイート、2万2000件の「いいね」をもらったとしても、それだけで毎日新聞からファクトチェックを受けるのは相当に違和感がある。もちろん、社会に害悪を及ぼす看過できないデマの発信元というなら大義名分は立つだろうが、そう認定するには相当に慎重であるべきだ。少なくとも本人への取材、最低ひとつのリプライ、DM等で確認を取るべきではないか?

控えめなきじにゃあさんが、これほど切実に訴えるのには相当の理由がある。

2月1日

とり急ぎ、Mediumに概略を提示しておきます。とにかく、きじにゃあさんの反論記事を読んでください。メディアが発するファクトチェックについての疑念は追って書きますが、今朝はここまで。

として、このMedium記事の上の部分を投函したのである(ふう)。

 

2月2日

私がどれくらい怒っていたか、少しは理解していただけただろうか。例えば、毎日新聞統合デジタルセンターのツイッターアカウントは1月26日に、

新型コロナに感染した国会議員9人のリストを示して「自民党議員は無症状で即入院しているのに野党は自宅待機」といった内容の匿名アカウントのツイートが異例の拡散をしていますが、誤りが含まれています。#ファクトチェック

と記事を要約して紹介しているのだが、私は、

<匿名アカウントのツイートが異例の拡散をしています>? この書きかたでは、匿名アカウントは怪しげで、拡散するのは異例のことだから、まともな“情報”ではないという誤った印象を与える。記事を受けてのことだろうが、新聞社のアカウントにしては(既に何人か指摘しているけれども)表現が雑ではないか?

と返信している(最近そんなふうに食ってかかることは滅多にないのだが)。

私が気になるのは、文中に表れる大野記者の無自覚な匿名アカウントへの偏見である。なによりも「ふざけるな」と思ったのは、なんと毎日新聞は、事前に、該当ツイートを記事に使用する旨を、きじにゃあさんに、連絡していないのである。

さらに、26日12時に配信されたデジタル版には「きじにゃあ」のアカウント名を明記している(翌27日の紙面にはアカウント名は伏せられている、何故か?)。なんという無礼な仕打ちであろうか。

 

2月3日

ファクトチェックは使い方を誤ると非対称の暴力性を帯びる。

なるほど、ひとたび公開されたテキストはTwitterの呟きであれ投稿者が責任を負うものであるのかもしれない。が、その理屈を総てのツイートに適用してしまうことに私は違和感がある。言論の警察化による取り締まりは、SNSの活発な意見交換を萎縮させかねない。

社会の公器であるはずの全国紙が投稿者に何の断りもなく記事の俎上にあげる。これは公平といえるだろうか? 個人の意見や素朴な疑問が、ある日とつぜん「誤情報」として扱われ、「不正確である」と判定されるのだ。投稿した本人は当惑するしかない。この不条理をどうやって解消し、不名誉を回復するつもりか。

私は、ミスリードを誘う意思がなく、また、誘発する要因もなかったから、きじにゃあさんは被害者だという認識である。

さらにいえば、ファクトチェックする資格が毎日新聞にあるのかどうかも疑問がある。いったい何の権限があって「この情報は不正確だ」と警鐘を鳴らすのか。あなた方は裁判官かい、と皮肉ひとつも言いたくなる。意見には意見をもって答えよ、批判なら混じり気なしに批判すべし、だ。

何人にも判定する権利や自由があると思うというご意見をいただいた。もちろんだ、けれどもファクトの真偽のみに興味を持つ向きは大抵、フェアネスの欠如に片目を瞑っている。

 

2月4日

毎日新聞統合デジタル取材センター大野友嘉子記者は、結果的に権力の片棒を担いだことを自覚しているのか? 石原伸晃事務所には入院までの経緯を再確認する一方、ファクトチェックの俎上にあげたツイート主にはDMひとつもよこさないで掲載する。権力勾配に無自覚な取材姿勢だといわざるを得ない。

さらに、匿名アカウントの向こう側には血の通った人間がいるということについて、大野記者および毎日新聞はあまりにも無頓着ではないか。御ツイートを引用しますとの許可を得ないで、まるっとコピペする。発信者の立場など顧みもせず現象として扱う。それで購読料をちょうだいするとは、まっこと新聞社は気楽な商売だ。

問題は、ファクトチェックの行使者があたかも正義のマントをまとっているかのようにふるまい、みずからのチェックの信憑性をみじんも疑っていないことだ。また、発信者の政治的バイアス(現政権に批判的であること)に疑問をはさむ向きは、ファクトチェックによる審判も別角度からみた一つの視点であるに過ぎないことを考慮するべきである。

が、

きじにゃあさんは圧力に屈さぬ勁いこころの持ち主だ。断りもなく全国紙によって下されたファクトチェックで、ツイートは不正確との烙印を押された。けれども削除したり、アカウントを閉じたりはしない。誰が真で誰が偽かはいずれ誰の目にもあきらかになる。その日がくるまで彼は穏やかな顔して淡々と言葉を刻み続ける。

“匿名アカウントが流す情報”を色眼鏡でみる気持ちは分からなくもない。アメリカ大統領選におけるQアノンの狼藉とフェイクニュースによる情報撹乱は、まさに社会構造を揺るがす危険を孕んでいた。が、そんな輩と、きじにゃあさんを一緒にしないでほしい。彼は活動家でも野党の専従でもない。市井に暮らす、名もなき一般人である。

ここで毎日新聞を購読している方は、ぜひ以下の有料記事を読んでみてほしい。中盤に数日前「不正確」な情報だと判断されたツイートがさりげなく引用されているから(校閲は見落としたのかな、それとも見過ごしたのかな? ちなみに執筆は1月26日と末尾に記されている。本紙に掲載されたのは1月31日だ)。ともあれ、歯に絹着せぬ物言いが爽快な松尾貴史氏のコラムである。

 

長い、長い追記のまとめ

さて、どうして大野友嘉子記者は、きじにゃあさんのツイートに着目したのだろう。きっと彼女は、自分は正しいことをした、不確かな情報の流布に警鐘を鳴らす目的で記事をものにしたのだと考えてらっしゃるに違いない。記事からはその自負がうかがえる。が、その正義感はまるでとは言わないまでも、私にはかなり見当違いに思える。

一般のツイートは感想と情報が分かち難く、ファクトチェックし辛い。ところが、きじにゃあさんのツイートのように列挙&比較の形をとると、情報だけ切りとって腑分けし易い。つまり( )内に示されたきじにゃあ個人の意見と政治的傾向を度外視することが容易になる。それは不偏不党を建前とする新聞の記事に扱うには都合がよい、はずである。

社会の公器であり木鐸である新聞は、本来なら国民の生活に困苦をもたらすような政治の無策を批判すべき立場にある。ところが昨今の新聞ときたら、政府におもねり、首相や閣僚や霞ヶ関の官僚の顔色をうかがい、スポンサーからの注文にしたがい、読者からのクレームにおびえ、すっかり批判精神を捨てさってしまっている。そんなメディアは恐かない。現政権や経団連は舐めきっている。当たり前だ。無名のアカウントによるツイートの間違い探しに血道をあげ、元幹事長事務所の言い訳を公平そうに扱えば、そりゃ官邸は喜ぶに決まっている。見事に火消しの役割を担っているから。

そんなふうに、人が無償で書いたテキストを無断で引用もとい書き移し、その不正確性をあげつらった記事をオンラインにアップし、翌日には紙面をかざる。それで読者から購読料を取り記者はサラリーを得る。元手のかからぬ結構な稼業だ。けれども三大紙の一つがそんな取材姿勢でいいのか? それでよく一流企業と胸を張れるものだ。企業倫理はどこに行った

私がもっとも怒りを覚えるのは、匿名アカウント“きじにゃあ”を侮り、使用許可の連絡を怠った毎日新聞社の思い上がった態度である。大野友嘉子記者ならびに統合デジタルセンターの責任者は、今からでも遅くないから、きじにゃあさんに連絡をとるべきだ。それでようやくあなた方はファクトチェックをする権利が得られるというものだ。

最後に断っておくが。

私は三大紙の中で、毎日新聞をいちばん信頼している。『桜を見る会』の追及において、吉井理記記者をはじめとする総合デジタルセンター発の一連の記事には目を瞠ったし(だから『汚れた桜』の本も購入した)、吉村洋文・松井一郎の維新の会ふたりの首長の専横による大阪都構想住民投票に待ったをかけた、大阪本社の『大阪市4分割コスト市の試算で218億円増 都構想実現で特別区の収支悪化』記事もみごとだった。権力の横暴に歯止めをかける在野精神、ジャーナリスト気質の片鱗が竹橋発の記事にはまだ息づいている。定期購読こそやめたものの、私が折々にコンビニエンスストア毎日新聞を購入する理由は貴紙のスクープや検証記事に一縷の望み、期待をかけているからだ。だからどうかがっかりさせないでほしい。これ以上、失望させないでほしい。

私は先に、大野記者は着眼点が間違っている、と批判した。が、記者がなお筆の正義を振るう気概をお持ちなら、ぜひ権力のフェイクに着目してみてほしい。為政者らがどんなギミックを弄し、見せかけのデータで騙すかを、綿密な取材を重ねた上で、微に入り細に穿つチェックをしていただきたい。そういう記事をものにしたあかつきには、私たちさえずるばかりの青い小鳥たちも、惜しみなくあなたを称えることでしょう。

ファクトチェックは、人への幻滅を表明するものではなく、人を活かすためにするものである。

鰯 (Sardine) 2021/02/07 Mediumより転載

 

 

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記事の一部を切りとり。<新聞記事はダイジェストでありテレビニュースはハイライトである。現実の事象を手際よく要約し説明したものを私たちは「記事」と呼ぶ/情報は現実の切り取りであり、手際よく編集されたプロの報道も素人の感想を投稿したツイートも現実の一部分を切り取ったにすぎない。その点においては等価である>

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