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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

沈む思考、潜ることば

 

はてなブログの投稿をさぼっていたら約1か月が過ぎ去っていた。

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この間ぼくは、ただ手を拱いていた。書きかけの記事を破棄しては途方に暮れていた。今後どのように問題とアクセスすればいいか。もっとも有効な手だてとはなんなのか。分かったことはただ一つ、「近道はない」ということだけだ。

この一か月間の思考の推移をTwitterの「モーメント」に並べてみた。今いちばん引っかかっているのは何かを探ろうと。すると、おぼろげながら見えてきたものがある。それは、自分がいま居る・在る場所である地域と、個人であるぼくの意識とが、乖離した状態であるということだった。

<ぼくなんか典型的な低所得者で下流階層にもかかわらず、社会に向ける視座や文化的受容の姿勢が明らかに中流のそれなんだ。で、現状と自意識のかい離したところで悶えている。一度身につけた衣はなかなか脱ぎ捨てられないものだから、下流階層であると自己定義できないでいる。ぼくもこの土地の住民として、侘しくも寂しい喧騒と装飾過多の街を形成する一員であると自覚しているつもりだけど「何故、社会問題に逃げるのか」という理屈は人の営為そのものの否定でしかない。ああいう表層的で一面的なシニシズムから脱却しなければならない。>

<これはぼく自身にも垂直に降りてくる問題で、震災後に自分の裡にわきあがる「郷土愛(嫌らしいことばだ)」みたいなものや、父の死去によって自覚した霊魂との共存が、理屈とは裏腹に意識の底に棲みついているようで、抗うべきは国家よりもむしろ生活習慣に根ざした部分ではないかと煩悶している。>

<ぼくにも愛郷心みたいな感情は人並みにあるけれど、それは無条件に崇め奉るものではないと思う。>

ああ、回りくどい助走はやめよう。ぼくがつまづき、問題だと思ったことは、精神科医として著名な斎藤環氏が〈ヤンキー=常民〉という視点を用意したからである。

①(前略)北九州市の貸衣装「みやび」の記事。

この店にヤンキーは一人も来ないのだという趣旨だが…

②「みんなびっくりするくらい礼儀正しくて…衣装も翌日にちゃんと返してくれるし…しっかりした人じゃないとできないですよ」いやだからそういった筋を通す倫理観もヤンキーの本質なんだと何度言えば。
③気合いが入ってて筋を通し、人に迷惑掛けず、(がんばる)弱者には優しく、タテ社会の秩序と、郷土と家族を大切にする。ただし、ちょっとだけバッドセンス。これが〈普通の〉ヤンキー。もしも「治安」と「絆」と「経済」が最優先課題なら、社会がヤンキーを尊重しなくてどうしますか。
(③への返信)ついでに言うと、「地元」とその延長にある「自国」も大好きだから、ナショナリズムを煽るのにも好都合。
ナショナリズムには転びますが、めったに極右まではならないバランス感覚もヤンキーの特徴です。現代の常民
(③への返信)ヤンキーは「素直に」環境に適応できた(できる、ではない)人々のことではないかと思いました。しかしその適応は一回きりで、ゆえに環境の変化を嫌うのかもしれないと。
⑤適応力ハンパないですよ。でも一回きりということはないような。族→JC→地方議員みたいなコースもあるので。
(③への返信)学校文化から離反して自己肯定的な階層をつくっているともいえるなあ。可能性だなあ。イギリスの野郎どもに近いような。
⑥「野郎ども」との違いは、階層や格差の再生産とはあまり関係ないところですね。芸能界はヤンキー〈文化〉の独擅場ですし、政治家も。誰とは言いませんが大阪府知事とか西宮市長とか…ハッ、ということはヤンキー文化は格差化の歯止めにもなっている!?
(⑥への返信)斎藤環先生が、「普通のヤンキー=現代の常民」と仰ってますが、民俗学の徒として本当にその通りだと思いました。マイルドヤンキーとか分類されているけど、地方では寧ろ多数派で、地元を支えている。私のように研究者を目指し、地元を捨てた人間から見ると、彼らの方がマトモだったのだとも思う。
(③への返信)ヤンキー社会は、不平等かつ不公平である。曖昧な雰囲気で重要な物事が決まり、「気合いが入って」ない人間は軽視される。主要メンバーとザコの区別は明確で、贔屓と差別が横行する世界である。 そこに、自由はない。だからみんな昔から、地方を飛び出し都会を目指したんだろう?
⑦「自由」と「個人」と「平等」の価値を優先するのであれば、ヤンキー文化は壁にしかなりません。でも、そういう理想を掲げていたはずの英米がブレグジットとトランプみたいになるこんな世の中じゃ、ヤンキー文化がまぶしくみえてしまいます。愚行権も国家レベルのはシャレになりませんね。
この一連のやりとりをみていて何ともいえない居心地の悪さを覚えた。そう、ここに示された「普通のヤンキー=現代の常民」説こそ、ぼくが熊本という地方都市に住みながら常々感じていることで、同時に自分が地域社会にアプローチしづらい最大の要因であるから。
 
熊本には「あからさま」なヤンキーは少ない。着道楽の気風は、あべこべに色鮮やかな衣装で成人式を迎えるといった風習に発展しない。若者の格好を見渡すと、都会風に洗練されているが、その外観さえ除けば、地域に定住する若い人たちの意識は、成人式を派手にやらかす地域のそれと、さほど変わらないように思える。
類型化は避けたい。地域から出ない=都会に出ない生き方を選択した若者たちにだっていろんなタイプがいる。ひとえに「ヤンキー」と括ることはできない。が、しかし「覚悟を決めた」者たちの意識には、ある共通した要素を(いったん郷里を離れて戻ってきたぼくからしてみれば)見出せる。それは習俗にかんする衒いのなさ、行事への参加を当然とするマインドの在りように顕著である。彼らは万事に積極的で、そこへ疑問を挟む余地はない。地域で「活躍する」若者たちが、たとえヤンキー的な身なりをしていなくても、常民であると感じる部分は、まさにそこにある。
常民(じょうみん)とは、民俗伝承を保持している人々を指す民俗学用語で、最初に使用したのは柳田國男である。「庶民」の意味に近いが定義は一定しない。(Wikipediaより)
ところがぼくは、その常民さ加減がよく分からない。そこにどれくらいかかわればいいのかが若いころから分からなかった。大方は「人つきあい」を面倒くさがる怠惰から来ているが、一般的常識として世間とのかかわりを拒絶まではしなかった。変わり者だと思われたくない意識があるからか。けれども、この齢になっても情けないことに得意ではない。妙にしゃちほこばったり、必要以上に強張ったり、つっけんどんになったりする。
批評精神がまずいのではないか、とも思う。ぼくは何事に対しても分析したがる性向があり、とくに世俗的な習慣(習俗)にかんしてはかなり批判的に眺めてしまう。その理由は後学的なものであり、そういった地域のしがらみから(ある程度)解放された首都圏で生活したからであろうが、ともあれ、習俗から一歩身を引く態度が備わってしまっている。だから、いざ地域の諸々な行事に参列するたびに居心地が悪く、居たたまれない気持ちになってしまうのだ。
自然と、地域に溶けこみたい願望が、確かに己の裡に潜んでいる。
だけど、いや、だから。
斎藤環先生のおっしゃることはよく分かる。ある種の相対化や価値の転換を図ることによって、現代社会の閉塞した時代状況を逞しく乗りきるメソッドだと捉えることも可能だと考える。現代の常民を定義する<礼儀正しくて・気合いが入ってて・筋を通し・人に迷惑掛けず・(がんばる)弱者には優しく・タテ社会の秩序と・郷土と家族を大切にする>人物像。そこには、かなり戯画化された皮肉が混じっている。その定義から零れ落ちる者たちが大勢いることを織りこんだうえで、斎藤氏は意図的に類型化している。だからこそ、<社会がヤンキーを尊重しなくてどうしますか。>と問いかけているのだ。
問いかけている? 誰に?
それは他ならない「ぼくはヤンキーじゃないよ」と思いこんでいる者たちへ、だ。ああいう趣味・嗜好性は論外だとする都会のエリートたちやリベラル系文化人、そして「ぼく」へ向かって問うているのだ。
ぼくだって半身を浸している。三代目ナントカの歌は聴かないし、初詣の列には滅多に並ばないけど、大まかな(都会から目線の)括りでいえば、むしろ彼らの側なのである。だのに、そこを切断しようとする。その土着性から逃れようとする。趣味が悪いと嗤おうとする。田舎者が田舎者を見くびる構図。ぼくは彼らとは違うと言い張ろうとする。
いったいどこが違う?
葬式を出すならやはりこれくらいは、とか。香典返しはどのくらいまで、とか。仏壇はどうだ、供える花は菊だろうやっぱり、喪中につきの新年のハガキを用意しなきゃ、とか。この数か月ぼくは習俗まみれだったじゃないか。そんなもの迷信だ、ナンセンスだと思えるほどドライな性質じゃない。遺影を前にすりゃ、そこに親父がまだ居るような気がして、あだや疎かにはできないなと柄にもなく茶を淹れて返して線香あげて。日常の暮らしには科学的観点からすれば全く無意味な習慣を、ほとんど無意識のうちに行っている。
なので初詣ラッシュを「奇怪だな」と感じ、「右傾化が進んでる、危ないぞ」と思う自分がいる一方、神社に手を合わせる程度のことで一々文句をつけるオレもそうとう世間一般からズレているよなと自覚もする。つまり、理性と感情がうまい具合に統合し得ないところが目下の課題だと自分では思っている。
この苦しさ、いいようのないもどかしさを理解してもらいたい、誰かと共有したい、と発信し続けているのだけれど……
それもまた、なんだか徒労のように思えてしまう昨今なのである。
 
現政権および既存のマスメディアは、そこらへんをじつに要領よくすくいあげている。常民の生活感情にフィットした情報を投下し、現実を「人生はあなたが思うほど悪くない」と思わせる術に長けている。
この(ぼくの批評眼からすれば)詐術を見抜き、逃れるには、そうとうのエネルギーを要する。いや、だまされるなと自分に言い聞かせることはできても、隣人に「いま、世の中がおかしくなっていると感じませんか?」と問いかけるのはとてもむずかしい。
「そうかな?お給料はもう少し上がってほしいし、不満がなくもないけど、わりと今のままでいいと思うんだけど?」という答えが返ってくる確率が高いのではないか?
昨日(1月15日)のFNNの調査によれば、内閣支持率は何と67%だという。驚異的な数字だ。けれども、これを「おかしい・ヘンだ」と捉える批評性が、あらかじめ剥奪されている現状である。なにしろ、「おかしいぞ」と声をあげること自体が、奇異な目でみられる社会の様相であるから。
ぼくは、ぼく自身が「常民」であることを自覚せねばと考えている。為政者の目から見れば、あるいは行政的な分類をすれば、無産者で低所得者でしかも「現時点で社会運動を行っていない」ぼくは、間違いなく常民の側である。ところがこのイワシ、自分が常民であるにもかかわらず、なにか特権的な他とは違う優越的な立場にあると錯覚し、自分は分かっているのに他人が理解していないことにディレンマを抱く、生活保守とプチブル意識にまみれた似非リベラルである。根っこの部分じゃかなりコンサバティヴなくせして、文化領域においては革新派を気どり、新奇を認めようと偽装する。が、そういう表面的な態度は「地に足の着いた」者にはすぐに見破られる。そういう理想を旗に掲げるのは構わんが、果たしてそれでメシが食えるのかね?という現実的な問いに挫かれる。中産階級育ちはじつに脆い。
そして彼らはささやく。もっと素直になれよ、と。
取り巻く世界を否定的に見すぎてンだよ、もっと肯定的に捉えればいいんだよと、微笑みとともに手を差し伸べてくる。そうだ、こっちへおいで。キミは何か悪い思想にとらわれていただけなんだ。あらゆる事象を「問題だ」と妄想してしまう、批判中毒に……
ああ、ここまで書いてきて、胸くそ悪くなってきた。どうしてぼくらは「彼ら」を彼らと彼岸においてしまうのだろう。自分の側に引き寄せるか、引き寄せまではせぬとも隣人として扱えないのだろう。なぜ対岸の人びとだと規定するのだろう。彼らは笑いながらいう、熊本出身じゃないか、同じ男じゃないか、同じ日本人じゃないか!
いいえ、いいえ。
違う、それは違います。きみと・きみらとぼくは、種や族は同じでも、個としては同一ではない。一緒くたにしないでくれ。考え方の基は、同じようで、一人ひとり違う。
その違いを認めてくれ。
……とストレートに、それこそ素直に・自然に・衒いなく言えるようになりたい。自意識過剰なのかもしれないが、まずは現実に、そういえる間柄を作りたい。もやもやとした「世間」ではなく、対話のできる個と個の人間関係。その橋頭堡を築く年にしたい。
 
とりとめのないことを未整理のまま縷々書きなぐってしまったが、錯覚かもしれないけど、リベラル左派を自認するぼくは同志たちに向かって、年頭にあたってのささやかな提言をしたい。それは、
「批判はもうこりごりだ、といわれるほど、ぼくやきみの批判は届いていない」
ということだ。ポリコレ棒に殴られたと喚いているやつらはそれこそほんの一握りで、大方は何も知らないし、意識していない。「ときの首相がミサイルを売りこみに行って断られた」なんてニュースも知らないだろう。で、それは必ず伝える。どんな手段を講じてでも届ける。不断の努力を怠らないことが重要だ。SNSの拡散から現場でのデモにいたるまで、手段は無数にある。伝える・届けるに倦まないこと。
が、
それと同時に「知らないよンなこと」という野郎どもが、ふむふむと耳を傾けられるようなことばを探し当てなくてはならない。彼らは「聞く耳を持たない」のではなく「聞く機会をあらかじめ奪われている」だけなのだ。社会構造にかんする批判を耳にして胸がざわつく体験すらないのだよ。でも、だからこそ届くことばを選ぶ。やみくもな「倒せ」は、彼らの「日常」はなじまない。異物としてそのまま排泄されるだけだ。そうではなく、彼らの分かるような言説を・弁舌を鍛えるべきなのだ。それは妥協ではなく、工夫だ。同じトーンでやみくもに、ダメだダメだと叫んでいては、かんじんの「何がダメなのか」がマスキングされて聞こえなくなる。もちろんスローガンやシュプレヒコールは重要だ。でも、それと同時に、きみのこころに直接伝えたいんやというパースン・トゥ・パースンの姿勢が、これからもっと大切になってくると思うんだ。
それで一人がひとりに、何かきっかけを、ヒントを与える。その集積がいつか、日本の社会を覆う重苦しい空気を掃いのけられるのだと信じている。
ぼくが自分を「常民」だと規定したココロが分かっていただけるだろうか?
ぼくはインターネット上のさまざまな意見を目にする。そこで、あえて自分を「高卒で手に職を持つ・女房と子どもがいる労働者階級」だと規定し(それ、ほぼまんまじゃん)、その視点から社会批評や政権批判を眺めてみる。
すると分かるよ、どんな意見が響くのか、腑にストンと落ちるのかが。
うわっつらの批判は、深いところまで下りてはこない。データでは、ダメなんだ。
生活している者に訴えるには、暮らしの根本に影響するような訴えが必要なんだ。
自分のスタイルで発信し続けるやつには信頼感を抱くよね?
そういう論客をくさしてはダメだよ。育てなきゃ。
ぼくはたとえば野間易通のことを言っているんだ。
ああいう個性をもっと活かさないと、勝てねえよ。
あいつもダメ、こいつもダメと選り好みしているようではね。
学識者や文化人は日本の実相を俯瞰で眺めて実態を大まかに把握する。その視線で捉えられたぼくは紛うことなき「常民」だ。そんな傾きかけた国から早く脱出すればいいのに……と外から忠告されようと、そんなおいそれと故郷を離れられるはずなかろうが。
いいさ沈んでゆくさ、郷土と一緒になって。
いずれ朽ち果てたときにゃ、土くれに還るのみ。
そういう捨て鉢な気分になりつつも、やっぱり「これじゃいけないんじゃないの?」と声を挙げていく必要があると強く感じている。
社会問題にアクセスするときの躊躇いはいったい奈辺に起因しているかを考えなけりゃならないとも思う。
運動の起点が、目的が自己実現であってもいっこうにかまわないと、胸を張っていえる地点まできてはじめて、ぼく(ら)のことばは「常民」の心底深きにまでリーチするだろう。
いいか、「近道はない」んだ。
今ある危機を訴えるなら、まずは己が隣人からだ。
 
 
 
【追記】
奇しくもというべきか、このエントリーを投稿した日に、小田原市職員のジャンパー事件が報じられた。ぼくはこれこそが「常民化」の典型的な事例だと感じたので、伝播の経過を注視していた。そして関連したツイートをできる限り「モーメント」に収めた。
①<人に迷惑掛けず・(がんばる)弱者には優しく・タテ社会の秩序と・郷土と家族を大切にする>との「常民」の人物設定が歪なものであるかの、これは証左ではないか。福祉課の家庭訪問で、このようなジャンパーを集団で着用することが、いかに(がんばれない)弱者を足蹴にしているかの象徴的な事件だ。
②類型化された「マインド」に順応した結果が、このありさまだ。これはひとえに一自治体の職員にとどまらない、いまの日本社会を覆いつくす弱者排斥の風潮だと何度言ったら(分かるのかって話)。
③<職場の連帯感を高めるため10年前の平成19年に有志の職員によって作られ、職場で着用されていましたが、その後、一部の職員が受給者の家庭を回って支援に関する相談に応じる際などにも着ていたということです。>この「連帯感」がくせものなんだ。
④うん。お揃いのジャンパー着て士気を高めるという習慣はせいぜい団体スポーツくらいに留めてほしいですね。傍から見れば滑稽でしょ。着た本人たちは「連帯感」で強くなったように錯覚するんだろうけど、個の弱さを露呈しているように思えます。
 
ぼくのツイートのいくつかを抜書きしたが、いったい何人が「そのこと」に気づいただろう。どうやらぼくはまだ言葉足らず、説明不足のようであるらしい。だとしたら、このブログ記事に対する、かつてないほどの「無反応」さも頷ける。要は、まったく伝わっていないのだ。
上の「モーメント」に収めた自分のツイートのいくつかは、ぼくの意図とまったく違う文脈で読まれており、何人かが<大変な思いをする市の職員を擁護・不正受給者に弁護の余地なし>という解釈でリツイートしている。あー誤解だ違うよそうじゃないんだってば、と言っても後の祭りだ。
このブログ記事も違う読み方をされた可能性があると思ったら、途端に背筋が震えた。
だから次に書く記事は、この記事を承けた内容になると予告しておきます。あまり気乗りしないけど。(1月21日)
 
 

的外れなレスポンス

Music

 

更新をサボっていたらアクセス数が桁に達していた。訪問ありがとうございます。

でも、今のぼくには一から記事を起こす気力はない。だからMediumに書いた記事をまとめてお茶を濁そうと思う。

 

medium.com

悩ましいところ

エヴァ・キャシディ(1963年〜1996年)の「オータム・リーヴス(枯葉)」がカーラジオから流れてきた。嫌いな歌手ではない。この時も、ああいいなと思いながら聞いていた。

けれども悩ましい。私は世評に定着したようには手放しに称賛できない。世紀をまたぐ前後に登場した欧米のポピュラー歌手に共通して感じる「もどかしさ」があって、それを説明するのはとても難しい。

エヴァ・キャシディはロック・フォーク・ジャズ・ブルース・カントリーなどの様々なジャンルを統合し、スタンダードナンバーに新たな解釈を加えた。そのアイディアを支える歌の表現力には素直に脱帽する一方、エヴァを模倣したようなスタイルの歌手が(調べたわけではないが)この20年ほど増加の一途をたどっているような気がする。本人の責任では全くないのだが、そのフォロワーたちに表現領域を開拓していく気概を感じないのだ。

名曲が歌い継がれていくことは大事なことだけど、素朴なアレンジで誠実に、丁寧に歌っている「だけ」のカヴァー歌手が、洋の東西を問わず多すぎるように思う。

断っておくとエヴァ本人は随所に工夫を凝らしていた。例えば有名な「オーヴァー・ザ・レインボー」では、ミドルエイトの音符を意図的にずらして歌い、歌詞に違った側面からの光を当てている。しかし、そういった創意の跡の見当たらない耳ざわりがよいばかりのカヴァー歌手の蔓延がエヴァ亡き後の「成功モデル」に起因するとなれば、なんとも皮肉な話ではないか。

今日も歌手を目指す女性たちはデモを制作する。「ローズ」や「デスペラード」を歌うように勧められる。誰に?ボイストレーナーや売りこみに余念ないエージェントたちに。だけど彼女らはベッド・ミドラーやカレン・カーペンターの域には決して及ばない。私は忌野清志郎の意訳による「500マイル」を歌う女性歌手にも同じようなにおいを感じてしまうが、見方が皮相に過ぎるだろうか?

「ポピュラー音楽の定型は概ね出尽くしてしまった」と言われて久しい。そうかもしれない。けれども時代に新鮮な息吹を吹きこむ表現には、やはり今までとは違った何か(Something New) が必要である。エヴァの遺した録音に、それを見出すのは正直言って難しい。オリジネーター至上主義を声高に唱えるつもりはないが(同じく夭折した女性歌手である)ジャニス・ジョプリンローラ・ニーロ、サンディ・デニーミニー・リパートンの軌跡を知る私の耳は、五つ星には届かないなとシビアな評価を下してしまう。

とても気持ちよい上に、身が引き締まる声なのだけど。

厳しい意見を縷々書いたが、結句好きな歌手なのである。選曲のセンスもいい。クリスティン・マクヴィの「ソングバード」も良いが、何れか一曲を、と問われれば、私は「フィールズ・オヴ・ゴールド」と答えよう。

www.youtube.com

私見だが、これはスティングのオリジナルを凌いでいると思う。スティングの書いた客観的な構成の歌詞が、エヴァ自身の感情が率直に伝わるよう控えめに改変されている。その、僅かだけれども自分の色を添えたことが、より人口に膾炙した秘訣なのかもしれない。そこには歌うたいの明らかな意思がある。エヴァの見つけた黄金の野の原が。(12月17日)

 

こういう音楽記事、Mediumではあまり注目されない。Twitterに告知するまでは閲覧数もわずかだった。その告知がリツイートされるまでは。

 

medium.com

特命試走車

自動車教習所の授業で観る古いフィルムが好きでしたね。白黒画面にスクラッチの雨が降っている、荒川土手の未舗装道路を三輪トラックが上下左右に揺れながら徐行しているような「短編映画」が。

そんな昭和の映像を観たくなってYouTubeをザッピングしていましたら下に貼ったドキュメンタリーを発見しました。

特命試走車」。どうぞご覧ください。

凄いでしょ。悪いけど私、30分弱の間に何度も笑いました。以下、見所を列挙。

  • テストコースに突如スパイ(ライバル会社)のヘリが急襲する。布カバーに覆われた試走車を撮影されてはならないと、伝声管に向かって叫ぶ警ら係の緊張した声。「大変!大変!」。

  • テストドライバーは朝食を摂らない。水分は禁物なのだ。わが子に「ちゃんとご飯を食べろ」と諭しつつ、自分はチョコレートを齧るだけ。

  • ナレーションの調子がやたらと仰々しい。「○○なのである。だから〜」と「だから」を連発するあたり、原稿の文章が粗雑い。

  • しかし、なんと言っても凄いのは、リーダーが檄を飛ばすところ。「お前らたるんでるんじゃないのか?(略)辛いなどと言わずに気合で、大和魂で乗り切れ」と叱咤、三日三晩(映像を確認すると四日四晚でした)不眠不休ノンストップで殆ど未舗装の北海道を一周する。しかも前のタイムが不甲斐ないので連続2回目の走行なのだ。

と、まあ全編これ高度経済成長初期に於ける企業のありようがうかがい知れる貴重な資料であり、かつ愉快なフィクションである。だってノンフィクションを謳うには、あまりにも作為的だもの。

今の目で見るならば、あまりにも合理性に欠ける研究開発/実験だけど、当時はこのような手段しかなかったのかもしれない。よりよい数字=記録を叩き出す目的を達成するために、エンジンがオーバーヒートするのも厭わず試験走行をくり返す。これは「世界に追いつき、追い越せ」の一念に支配された男たちの、血と汗と涙とオイルにまみれた根性物語、でもある。

かりにその「企業精神」が、戦後日本の自動車産業の礎となった事実は否定できないにせよ、滅私奉「社」の精神と、暴走族の理不尽なヤキとのアマルガム(合金)が、昨今隆盛のブラック企業の地金になったこともまた否定できまい。

つまりは企業PR映画なんだ。企業の内に発奮を促すための。昭和の真面目さや直向きさの向かう先は大半が社内か国内。外には開かれていない宣伝材料。

だから面白がって観たあとに、なんとも言えない苦い後味が残る。それは結末の場面にそれとなく示されている。耐久と徒労。ぜひ観て確かめられたし。

(ここに悪趣味な自画像イラストを貼る。お行儀よいMediumへのちょっとした挑発のつもり)

今回の記事の内容とはぜんぜん関係ない話だけれど。

Mediumのレスポンス機能を使わない手はないよ。ハイライトにマークして返信するだけだ、気軽に書いて送ればいい。

私は、気安い私信のときはタグをつけずに、発想の起点となるような記事を見つけたときはタグをつけて送信する。タグをつけると公に表明することになるから元記事を書いた方に失礼のないよう配慮するが、そういう使い分けをすることでMediumの楽しみ方も増えるはずだ。

私は面白がる観点が人様と違うようだ。どうかみなさんも遠慮なく、意識の高いふりした鰯に熱いレスを。(12月19日)

 

後半の記述について説明しておくと、Mediumにはresponseという便利な機能があり、ユーザーは要所(highlight)をマーキングしたり、そのマークが起点となった返信を送ったりすることができる。それ、もっと活用しましょうよという呼びかけだったのだ。

すると、記事自体はたいして読まれていないのに積極的な反応が返ってきた。返信は転載しないので、リンク先をご確認願いたい。

 

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はい、そのやみくもなエネルギーが戦後日本の復興には必要だったのでしょう。根性を否定する気持ちはありません。それは興した業の継続に不可欠な要素だと思います。

ただ、国が豊かになってからの日本は、ど根性が形骸化して精神論「の、ようなもの」に変質していった。私の同世代がその風潮を促進したとの忸怩たる思いがあります。

やがて「努力した分だけ報われる」が、いつの間にか「努力した者だけが報われる」社会にすり替わってしまった。そしてそれが自己責任論を呼び起こし、生活保護不正受給者パッシングまでエスカレートしている。それは「不安の払拭は気の持ちよう」と嘯く文化人らの言説にも顕著に現れている。旧来型の頑張りが肉体から離れ、観念のみの知の遊戯に堕している。そんな現在進行形の冷笑的な風景よりも、直向きに頑張れた戦後まもなくの日本の方が、まだまともで健全だったように感じてなりません。

が、

映像の昭和は懐かしい。けれどもノスタルジーに溺れてはならないと思っています。昔よりも今の時代がより素晴らしい。基本的にそう感じていたいし、そうであらねばならない。

長くなりました。続きは今後のテーマとします。返信ありがとうございました。鰯

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少子化する日本社会は、否応なく老後を意識する社会に変貌しました。年金支給についての政府の方針は一貫しており、「身体が動かなくなるまで働け」というメタでもないメッセージが含まれていますね。かりに政権が変わっても、官僚の描くデザインに大幅な変更はなさそうです。

Medium内をざっと見渡すと、若い方々は冷静に社会の推移を読んでいるし、中高年は国や企業に依存しないライフスタイルを選択している印象がある。早い話が賢いし、強い。だからユーザーがなかなか増えないのかもしれない(笑)。

老後かあ。若い頃はまったく意識してなかったし、今も意識の片隅に追いやっていますが、さて、どうしよう。いつまでも考えていられるテーマがまた増えました。

返信ありがとうございます。鰯

 

こういった丁寧なやりとりはTwitterでは味わいにくい(不可能ではないが)。Medium最大の長所だと思う。ぼくも興味深い記事にはなるたけ反応しようと心がけている。次はその例。

 

 

medium.com

私は先日Twitterで、落陽の瞬間を見たというツイートを、落葉の瞬間だと錯覚して勘違いも甚だしい感想を送った。するとユーモアたっぷりの返事をいただいた。

「いい歳をしてまさか。」

私は入院中の彼がたぶん感傷的な気持ちになっているのだと早合点した。けれども彼は違った。いま沈みゆく夕陽を記憶に刻んでおきたかっただけなのだ。

御記事を読んだとき、そのときの感情がにわかに蘇りました。そして、勘違いした理由がいくぶんか解けた気がしました。

的外れなレスポンス、失礼しました。鰯

 

これは元記事の、

夕焼けを見ると、大きく分けて、悲しくなるという人や、元気が出るという人になる。

でもそれは、その瞬間瞬間の気持ち次第なんだ。

コンテキストとは、文脈などと訳されることが多い。実はwebのプログラムをしているとよく出てくるワードで、トランザクションにおける瞬間瞬間の情報をひとまとまりにしておいて、またその中のどこかで利用するような、比較的曖昧な単語だ。

気持ちというコンテキスト。これが呼びよこされる似たような瞬間に出会うのが郷愁。そういう感覚と錯覚するのが既視感。

すごく、曖昧なものなんだ。

そしてそれはあまり共有されることがない。

なぜなら曖昧で、その瞬間瞬間で体験したものだからだ。人の感覚は読めるようで読めていない。

 という文章に喚起されて送ったレスポンスである。

これを書いた方は高校生だが、マナーをわきまえており、洞察力も高い。ぼくのやや不躾な反応にも、このような返信を送ってくださった。

Responseありがとうございます!

御記事などとたいそれたことは書いてはないですが^^;、的外れでは無いと私は思います。

音の同じ文字を読んでThe Last Leaf的なお話を先に思い出すのは、相手が病院に入っているというコンテキストの一部を共有しているからでだと思います。ただその重みが外から見ているのと内から見ているのではじつは相違があった、ただそれだけなのではないでしょうか。

素敵なお話をいただくきっかけを作っていただいた、お友達の方の早急な退院を願っております。

なんとかれは、ぼくの<落葉の瞬間だと錯覚した勘違いも甚だしい感想>が<The Last Leaf的なお話>だったことを、文脈から読みとったのである。これには舌を巻いた。

この高校生に限らず、Mediumには若く・頭の柔らかいアカウントが多い。ぼくはかれ・かの女らから多くの教えを授かっている。

 

ぼくがTwitterで的外れな感想を宛てた相手は新潟在住の方で、時どき『鰯の独白』の告知を紹介してくださる。<ブログ再開祈念しております。>とのリプライまでいただいているのである。が、目下のぼくは応えられずにいる。つらい。

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写真は、金峰山に沈む熊本の夕陽。(でも、本当に伝えたかったことは、新潟で見た夕陽は、今までに見た他のどの地方の夕陽よりもきれいでした、ということ。)

 

昨夜12月23日から24日に差しかかったころ、ぼくはMediumに以下の記事を投稿した。しかし反応は皆無だった。音楽の記事だからというよりも、穏やかなコミュニティには政治色が濃すぎたのかもしれない。失望したぼくは、早々に記事を引っこめた。

そして今ぼくは、その文章をこっそり「はてなブログ」に移植している。既存の記事を再構成することもなくカット&ペーストするだけの、自分で読む以外は殆ど意味のない記事を公開しようとしている。

 

きよしこの夜/7時のニュース

 

今日はクリスマス前夜。さまざまなクリスマスソングがちまたに流れるけれども私はアート・ガーファンクルエイミー・グラントのアルバム、『アニマルズ・クリスマス』(86年)を勧めたい。下はその抜粋である。ご覧ください。

www.youtube.com

オーケストラによる演奏と子どもたちの合唱。作曲家ジミー・ウェッブの創りあげた純度の高いオラトリオ。アーティの「天使の声」、歌いきったエイミー快心の表情。いつまでも忘れられない、すてきな贈り物のような映像である。


だけど、思い出してほしい。サイモンとガーファンクルが66年に発表したアルバム『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』に収められた、あまりにも有名な「聖歌」を。

きよしこの夜/7時のニュース」。

これが歌われた時代背景について分かりやすく書かれた記事を紹介します。

note.chiebukuro.yahoo.co.jp

66年12月25日のニュースを要約すると。

  • 下院議会では、公民権法による、包括的な人種差別禁止住宅政策が争点となっている。
  • コメディアンのレニー・ブルースが麻薬の過剰摂取によりロサンゼルスで死去。42歳。
  • マーティン・ルーサー・キング師は、人種による住宅と居住地の差別撤廃を求める日曜日のデモ行進について、中止の意向はないと表明。
  • シカゴで(9人の看護実習生を殺害した疑いの)リチャード・スペック被告を審理する大陪審が開かれる。
  • 下院議会における非米活動についての特別小委員会で、ベトナム戦争反対運動に対する精査が、緊迫したムードのなか行われている。
  • リチャード・ニクソン(当時:副大統領)は「ベトナムにおける戦力投入の拡大と、さらに5年の戦争の延長が必至である現在、反戦運動は合衆国を攻撃する脅威であり敵を利するものである」と述べた。

ポールとアーティは事もあろうか聖歌に「政治を持ちこんだ」のである。大胆な挑戦だったことは想像に難くない。

そして世紀をまたいでから16年が過ぎた今、美しいハーモニーに耳を傾けていると、それを遮るように読まれる報道の内容が、現在の世界が抱えこむさまざまな問題と、通低していることに改めて驚かされる。私たち人類は何か解決しただろうか。ただ平和を祈るしかできないのだろうか。

YouTubeは貼らない。すぐに探しだせる。

クリスマスくらい楽しく過ごしたい。だけど私はシリアスに考える日にしたい。

(12月24日)

 

このブログについては書くだけの動機がなければ発表しないほうがましだとのキビしい姿勢で臨んできた。けれども、発信する場所がTwitterとMediumだけになったら途端に窮屈さを覚えた。どうやらぼくには個人的な声明、つまり独白を撒き散らす余地が必要なようだ。

「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴を掘るための空き地が。

来年のことを言うと鬼が笑うそうだが、来年になったら『鰯の独白』を再開します。

みなさん、よいお年を。鰯

 

 

アジアの片隅で

Music

 

悪いくせで、また『鰯の独白』を更新するのが億劫になってしまった。

というのも、何に身構えているのかは自分でもわからんが、書く気持ちを奮い立たせるのに一苦労なんである。モチーフはいろいろと思いつき、半分くらいは下書きしているにもかかわらず、発表するのにためらいを覚えてしまうのだ。

苦しまぎれに過去のエントリーを読んでみて、どんなことを書いていたかを確かめると、だいたい言いたいことはとっくに書いている。効果的に書かれているかどうかはともかく、文章に起こしてはいるのだ。人権擁護と表現の自由について。差別と被差別について。どの記事にどう書かれているか、いちいち引っぱり出して提示するのもなんだか気が進まない。これなんか、自分でもそうとう好きな記事なんだけれどね。↓

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

これを書いたときと同じくらいの感情の昂ぶりを、今の自分に期待するのは正直いって難しい。醒めてしまったわけではないのだが、同じような内容のことを焼き直ししてもしょうがないじゃんと思ってしまうから。あい変らずぼくは怒っているし、世に物申す気持ちを失ってはいないのだが、いや、でもしかしもう少し書き方を工夫しないと「新しい投稿でござい」と胸を張っては開陳できない。

 

その一方で、他愛ない話題を書きたい気持ちが山ほどある。好きな音楽のよもやま話に興じていたいのだ。「ジェネシスにおける、フィル・コリンズフィルインは、マックス・ローチのそれに匹敵する」だの、「ジェネシスにおける、トニー・バンクスの構築力は、ショスタコーヴィチに着想を得ている」だの、そういった好事家のみが通じ合うような記事を、ねちねちと綴ってみたいのだ。ところが、現実には常日ごろより「書けない」と嘆いていた、レナード・コーエンについて、それも『最近の唄』に収録された「客」についてを書こうとしたものだから、火傷して焦げついたまま、記事は途中で放ったらかしだ。なぜぼくは、登れもしない高い山を築いてしまうのだろう。もっと気楽に、扱いやすい題材を対象にすればいいのに。

 

それでは、前回の記事でグレッグ・レイクの逝去を偲んだときに、うっかり全編を観てしまった『エイジア』の83年ライブについて語ろうか?

エイジアというバンドは、80年代にプログレッシヴ・ロックのビッグネームたちが生き残りをかけて結成したバンドで、オリジナルメンバーは元UKのジョン・ウェットン(ベース・ヴォーカル)、元イエスのスティーヴ・ハウ(ギター)、元バグルスのジェフ・ダウンズ(キーボード)、元EL&Pのカール・パーマー(ドラムス)の4人。ところが、フロントマンのウェットンが何らかの理由で来日できなくなって、急きょ元EL&Pグレッグ・レイクが招かれ、合歓の郷かなんかで合宿し、けっきょくキーを半音だか1音だか下げて、日本公演を乗り切ったんです。いわゆる「産業ロック嫌い」だったぼくはコンサートを観に行ってないけど、そういう情報は方々から耳に入っていた。 Youtubeテレビ神奈川(だったかな)で放映されたときの映像がアップされている。観てみるかい?


ASIA with Greg Lake - Japan 1983 - Live at the Budokan

や、ゲイリー・ムーアとレイクの共演盤を良しとするぼくでも、さすがにこいつは受け容れ難い。好きな方には申し訳ないけど才能の無駄遣いだと思う。この83年式の「スポーティー」な雰囲気が耐えられないんだ。とくにジェフ・ダウンズ。仏壇具店みたいにキーボードをずらりと並べた虚仮威し、横走りしてまで弾く必要あるのか?尊敬すべきギタリスト、ハウ師匠も凡庸なフレーズでお茶を濁しているし、だけども「揺れるリズムキーパー」のパーマーは元気いっぱいで楽しそう。ハウとは相性よさそうだ……いやいやダメだダメ。懐古的に眺めようとも、つまらんものはつまらん。

所詮はカネのためっていうのが態度にありありと窺えるもの。それは当時、観に行かなくったって分かってたもの。ジャーニーもTOTOも悪いなヴァン・ヘイレンも、ショービジネスを臆面もなく前に出していたから、ぼくは『ベスト・ヒット・U.S.A』的なものから、カラフルで・溌剌とした・洋楽ヒットから距離を置いていたんだ。

恥ずかしくって。

このエイジアのライブや、そうだなジャズ・フェスティバルとして名を馳せた『ライブ・アンダー・ザ・スカイ』なんかの映像を観ていると、もう居心地悪くて正視できない。当時の日本の若者たちが、ものすごくまぬけにみえるから。パーマ、べっ甲メガネ、ポロシャツの大人しそうな男たち。じゃあオマエはどうだったんだと反論されたら、あゝ五十歩百歩だったよ。この呪詛はまんま自分に降りかかってくる。いつ立てばいいかなって心配しながら(当時のロックコンサートは大人しく座って聞くものでした。途中で立てば警備員から席に座れと押しつけられる)周りの様子を窺うような小心者だったぼく。だからこそ、あの時代特有の「ぎこちなさ」に居た堪れない気持ちになるんだ。

 

こないだスティングが来日していたけど。かれが在籍したポリスの83年の『シンクロニシティ』ツアーの映像が好きで当時よく観ていた。ハイライトでは初期の代表作「キャント・スタンド・ルージン・ユー」が演奏され、バンドがどんどん加速する。と、カメラは観客席に切り替わり、メガネをかけた東洋人のひ弱そうな若者(男性)がシャカリキに・一心不乱になってステップ踏んでいる光景が映しだされる。まわりの客は地元のアメリカ人で、踊る様子を苦笑しながら見ているんだけれども、そのうちの一人が冗談のつもりでか踊るそいつの肩をポンと突くわけよ。かれはガクンと前につんのめって、そこで画面が切り替わる(下の画像だと5:53から6:00にかけて)。


The Police ~ Can't Stand Losing You ~ Synchronicity Concert [1983]

スティングは歌い続ける、“Can't Stand Losin' You,Can't Stand Losin' You"。

映像チームのゴトリー&クレーム(元10cc)らしい、意地悪な演出だけど。

悲しかったねえ。

あれはボクだ!と心の中で叫んだ。

彼が日本人か、中国人か、韓国人かどうかはわからない。ぼく自身ロンドンでは再三チャイニーズ?と訊かれたし、ニューヨークではコーリアン?と問われた。彼らからみれば似たようなもんですよ、平たい顔をした東洋人。

アジアの片隅の島国で、東洋人が、英語もろくに喋れないくせして、ロックにうつつを抜かしてやがる。せいぜい稼がせてもらうさ。エイジア・イン・エイジア?悪い冗談だよ、ったく。

80年代はそういう時代だ。エンターテインメントの飴玉をしゃぶった頭すっからかんの若者が大手を振ってまかり通っていた。あの頃、真剣にものを考える態度は嘲笑の的だった。ぼくは笑われもしたが、他人を笑いもした。きわめて無自覚に無批判を装っていた。

そのツケが貯まって、支払えと督促が来ている。それが現在、2016年の今だ。

アジアの片隅で、小さくうずくまり、ネットの片隅で、無駄吠えし、咬みあっている。

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『エイジア・ライブ・イン・エイジア』1983年

 

ところで。ぼくは形而上ではヒダリだが、形而下ではミギのような気がするよ。

どちらでもいいさ。好きなように認定すればいい。

ぼくはしばらく、このブログを休もうと思う。

気が向いたら再開する。それまでサヨナラ。

 

追悼グレッグ・レイク

Music

medium.com (註:この記事は昨晩12月8日Mediumに投稿したものを翌日に転載しました。)

 

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驚いた。

グレッグ・レイクキング・クリムゾンエマーソン・レイク&パーマー等で活躍した英国出身のベーシスト/ヴォーカリスト)のホームページに、昨日(12月7日)亡くなったとの報せが掲載されている。

🔗 greg lake (ホームページTOP)

キース・エマーソンの訃報は衝撃だったが、グレッグ・レイクの逝去も辛い報せである。いったい2016年は何人のロックヒーローが天国に旅立ったことだろう。

信じたくはないが……今夜は彼を追悼して、代表作を何曲か貼りつけてみたい。

 

① キング・クリムゾンキャットフード


King Crimson w Greg Lake-Cat Food-Top Of The Pops March 1970

キング・クリムゾン時代の初々しい姿を捉えた貴重な映像。2枚のアルバムに参加したのち、スーパートリオ「エマーソン・レイク&パーマー」を結成する。

 

②『展覧会の絵』より「賢人」


Greg Lake The Sage With Emerson Lake and Palmer ELP

「賢人」のギターを弾けるヤツは尊敬されたものだ。グレッグはカルカッシの教則本をきちんと修めていたし、なにより声に恵まれていた。精確で強いピッキングが彼の持ち味だった。

 

③「ラッキーマン」のソロ弾き語り版


ELP -- Lucky Man (First Greg Lake Solo Version)

言わずもがなの名曲「ラッキーマン」。彼の歌詞のテーマは「人の一生」について書かれたものが多い。「石をとれ」然り「キエフの大門」然り。

 

④「リヴィング・シン」


ELP - Living Sin

『トリロジー』から「フロム・ザ・ビギニング」ではなくこれを選んだ理由は、グレッグのハードな側面をふり返りたかったから。豊かなバリトンから激しいシャウトまで優れた歌唱力を推し量れる佳曲。

 

⑤「ナイフ・エッジ」

www.youtube.com

グレッグは「ピアノの低音の弦のような音色が理想だ」と語っていた。バンドの屋台骨を支えるベーシストの鑑である。実際、あの突っ走る二人を繋ぎとめられるのは彼にしかできなかった役割ではないか?キースとは確執もあっただろうけど、音楽は信頼関係に結ばれていたと信じたい。それにしても“Can you still keep your balance?”の一節は強力だ。殆どviolenceに聞こえる。

 

⑥邦題「夢見るクリスマス」


Greg Lake - I Believe In Father Christmas

追悼のラストナンバーは(U2のボノもカヴァーした)平和を祈念するソロ名義の代表作で終わりたい。プロコフィエフの「トロイカ」がモチーフに使われている。素朴で穏やかな歌だ。

I Believe In Father Christmas!地には平和を。グレッグ・レイク、安らかな眠りを。

 

 

 【関連記事】

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

 

今は「有事」なのですから

 

風邪をひいているせいか思考が重力に抗えない。

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浮遊できない思考はおのずと下へ下へと沈んでゆく。予想しているよりも事態はいっそう酷くなっているのに、とりあえずそれを脇に置いて、何事もなかった風を装いながら日々を生きている。

かつて、これほど惨い時代が過去にあっただろうか。いや、ない。少なくともぼくが生まれ育ってきた数十年の間で、今がいちばん悪い時代だということは間違いない。しかも、これから先の回復の兆しはない。すべての領域において暗い予測ばかりが立ってしまう。

 

先日、話題の映画を観た。『この世界の片隅に』というアニメーションである。

良質な作品である。映画としての出来映えに注文はない。そのことは上掲記事にも書いたが、観終ってちょうど一週間が経った今、「たんに手放しで誉めて良かったんだろうか?」という思いがふつふつと湧きあがってきた。

太平洋戦争の渦中にいきる「すず」と、嫁ぎ先の家族の日常を描いたこの作品に、含むところはなんらない。いや、むしろ問われるのは観客である私たちである。ぼくは、この映画を観ている間、呉に住む人びとの生き(死に)と同調し、他人事ではないような感覚に陥ったが、さて今、2016年11月の現在、私たちをとりまく社会は、日本と言う国ははたして平和だろうかと自問してみて、残念ながら平和ではないと認識するに及んで、ぼくは『この世界の片隅に』生きている今が、戦時中であることを自覚したのである。

なるほど映画のように、戦闘機や爆撃機は飛来しないし、食料は配給ではないし、青年の出征を送ることもない。威張りくさった憲兵はいないし、隣保間の助け合いも頻繁ではない。が、にもかかわらず、あれは遠い昔の出来事だと客観視できないでいる。

なぜだろう?

なぜ過去の、戦時中の生活に「私」はタイムスリップしてしまったのか?

ぼくは答えを弾きだせずにいた。それを認めるのが怖かった。だけど、思いきって言おう。今は「戦時中」なのである。日本は既に、戦争をはじめてしまった。「駆けつけ警護」という欺まんを弄し、自衛隊を「南スーダン」という戦闘地域に(あえて言う)派兵してしまった。 戦時下に観た映画であるからこそ、胸にズシリと重石が乗っかっているのだ。

戦争はもはや余所事ではない。

 

ぼくは半年前に震災を経験した。被災地では水や電気といったライフラインが途切れ、自衛隊の救助活動なしでは暮らしもままならない状況だった。が、以前の日常に復旧する道筋は見える。町や家屋は破壊されたけれども、手を施せばいずれは元の暮らしに戻る。大げさなようだが、そんな思いを励みに生きてきた。こんな風景を日常化させてしまってなるものかという意地が熊本の人びとに共通していた。

しかしそれは自分の手で、自分たちの手で日常をとり戻せるのが可能な範囲だったからこその思いだった。もしも自助努力の遠く及ばぬ範囲で、あるいは国家間の争いだとしたら、思いなど通じやしない。国が、国家権力を行使し、私たちの生活に探りを入れ、直接的な影響を及ぼし、制限を加えはじめたら、それはもう日中戦争を含めた15年間の再来だといっても過言ではないだろう。私たちはもう、取り返しのつかない時点にまで来てしまった。

さあ、そこでどうする?どうやって生きてゆく。

今問われるは、まさにそこだ。国家の決めた方針に大人しく従うか、権力の横暴に隷従するのか、飴玉のように差しだされたゴシップや空疎なエンタメにうつつを抜かすか?

それとも、徹底的に抗うか?

抗うとしたらどのような手段で?

答えはない。答えなど見つからない。ただ途方に暮れ、現実の劣化と崩壊をSNSにつぶやき、嘆くだけなのか?

抗う姿勢は徒労でしかないのか?

 

昨年ぼくは自分の中途半端な正義感を批判されたし、嘲りもされた。イワシのようなヤツはけっきょくいつまでも現状に不満を持っていて、しかも解決する手段を提示できないと指摘された。それは分かっている。ぼくは本当に無能である。だけど、ぼくを指弾したかれらは、はたして現状にたいしてなんら不満なく、安穏と暮らせているのだろうか。分からない。ただ、ぼくの発した警告なり行動なりが、かれらの安全圏内を脅かしたのかもしれない。だからこそ躍起になって批判していたのだろうと一年前を振り返ってみて思う。

でも、ひょっとしてキミたち、ガマンしてるんじゃないのか?

ぼくが指したい部分は、じつにそこだ。我慢して、大人しく体制に阿っていることで、生活が保守できると考えているんじゃないか。

たぶん、いや間違いなく、そのような安全保障は反故にされる。キミたちが自分たちを守ってくれていると信仰しているところの国家やら組織やら企業やらは、残念ながらキミたちを生涯守るつもりはないんだよ。

たぶん、いや間違いなく、キミたちの敵は、周辺諸国でもなければ、ぼくのような不満分子でもない。他でもない、キミが信じたいと願っている国家そのものだ。敵は外に在るのではなくキミの内にある。そこが視えないかぎり、キミはキミ自身の育んだ不可視の敵に絶え間なく怯え続けるだけだ。国の方針に従わない者をにくみ、疑義を唱えるものをうすぎたなく詰り、みずからが圧政に加担している可能性に目をつぶり、さも自分こそが被害者であるかのようにふるまう、その倒錯した姿を鏡に映してごらん。キミは今何を守っている?何を我慢している?耐えがたきを耐えたその先に、美しい国が到来することを夢みているのか?

ぼくが『この国の片隅に』を観て重苦しい気持ちになった理由は、おそらく「すず」が無抵抗に現状を受け容れている点だろう。異を唱えない、いや異を唱える手段を持たず、抗うという発想すらなく、ただひたすらに現実を映し、描く。それはともすれば、諦めに直結する。もちろん作者も「すず」自身も、そんなつもりは毛頭ないだろう。だが、その素朴な筆致が「美しく」解釈されてしまう危険性をはらんでいるという点は、指摘しておいたほうがよいかもしれない。

 

四月の震災のとき、ボランティアの話題が上った。野良ボラという侮蔑的な呼称に、ぼくは異を唱えた。自発的であるはずのボランティアには公認のみならずいろんな形態があってもいい筈、それを野良と十把一からげにするのはどうか?と。ぼくは実際にボランティア活動をなさっている方から厳しく糾された。被災地の現実はそんな甘いものではない、統制のとれない・連絡のつかないような組織はボランティアを名乗る資格がないと。そして、

「今は『有事』なのですから」

と、文末が締めくくられていた。

「有事」。確かにそうであるに違いない。火急の状況で怪しげな民間団体に慮る余裕はなかろう。混乱をきたすようであれば排除も止むなしなのかも知れない。その点において、ぼくは何の異議も唱えない。喫緊の事態の最中に機会の平等を唱えるほど、ぼくもおめでたくはない。

が、同時にぼくは懼れるのである。「有事」の名のもとに、いかに多くの細やかな思いやりのある相互信頼が壊されてきたことだろう。「有事」だから止むなしとして、いかに慎ましく穏やかな交流が遮断されたことだろう。「有事」なることばは戦車のキャタピラーのごとく「お花畑」を踏みにじってゆく。言語の、イメージの問題ではない。言葉狩りでもない。ただ「有事」ということばに白紙委任状を授けてはならない。「有事」は錦の御旗ではない。取り扱うには細心の注意を払う必要があることばだ。

だから、今を軽々に戦時中だと唱えるつもりはない。戦時だと認識したとしても、それを簡単に容認してしまってはならない。「有事」を常態化させないこと。それはただ平和を祈念するばかりではなく、戦争は嫌だね、絶対に悪だね、はやく平時に戻りたいねと莫迦みたいに喚くことである。それが武器を持たず、抵抗する術を知らぬ市井の一人の、唯一の抵抗手段だ。

厭戦の機運を醸しだすこと。いい加減やめようぜこんな醜い争いは、と戦闘モードの権力サイドに水を差すこと。ぼくはついさっき、『この世界の片隅に』は反戦映画ではなく、木下惠介の『陸軍』のような厭戦映画ではないか、と古道具上海リルさんに返信した。戦局の激化に伴い出征を余儀なくされる息子、それを見送る母親。最後の長回しでカメラは息子を追いかける田中絹代を執拗に捉える。そこには戦争の理不尽に対する抗議が確かに秘められている。が、表だって反戦を訴えはしない。もしもそういった場面が微塵でも発見されたら、たちまち検閲の対象となってしまうだろう。そういった暴力の支配する閉塞感と、今の空気は別種のものかもしれない。が、戦後70年を経て私たちが目前にする新たなる検閲は、なんと複雑怪奇で面妖なものか。抵抗しようにも抵抗できない、辺見庸のことばを借りれば「鵺のような全体主義」である。そこにささやかな一石を投ずるにはかなりな表現の工夫が必要である。たぶん『この世界の片隅に』がリーチすべきは、ぼくやリルさんのような今の世相に常々懸念を抱いている人ではなく、むしろ「いつもと変わらないんじゃない?日本はまだ平和なものよ」と思っている人にこそ届くべき作品なのである(ただし、クラウドファンディングの過程において『花は咲く』のプロモーション映像を手がける制作側の姿勢を、したたかとみるか節操がないとみるかは論の分かれるところであろう)。

ともあれ、今もっとも必要な表現とは、糜爛な空気に風穴を開け、人びとの意識を少しでも揺り動かし、刷新を促す種類のものである。けれどもその表現が万人向けであればあるほど、あべこべに利用される懸念も発生する。「すず」を迎え入れる呉の一家は、親切で心優しき人たちだけど(もちろん裏に潜む複雑な感情を作品はないがしろにはしていないが)、これを理想的な家族のありかたとして逆利用されかねない危うさがあることもまた確かなのだ。魅力的な軍艦の威容やロシュフォールと見まごうほどの華やかな街角の誘惑(もちろん抑制の効いた表現ゆえ致命傷には至らぬが)は、一歩間違えば「あの時代は良かった」式のノスタルジーへ容易にスライドしてしまうだろう。そう読み解かれないための予防線をぼくたちは張る必要がある。かれらは往々にして「文化」を一色に染めあげようと日夜画策しているのだから。

 

さて、自衛隊が派遣されてしまった以上、もちろん今は有事である。が、有事ですからというエクスキューズを使って、相手の口を封じ込めようという気配が横溢するようならば、ぼくは徹底的に抗うつもりだ。ぼくはただ黙って耐え忍ぶほどお人よしじゃないから、有事ですから我慢しましょうって風潮にはガマンならないんだ。