鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

『かぐや姫の物語』2013年11〜12月のツイートから

 

2013年11月23日、ぼくは足の指を骨折した。仕事を休んでいたが、家に居てもつまらないので、映画でも観ようと思い、近くのシネコンに行ってみた。

【11月25日】

①今から『かぐや姫の物語』を観ますね。では、しばし失礼。

posted at 12:58:34

②『かぐや姫の物語』、いま見終わった。
観客は30人くらいか。つまりガラガラだった。

感想は、書かないでおこう。

観たほうがいいと思うよ絶対。

posted at 15:44:26

③昨日ある方のツイートに貼られたリンク先の文章を読んで、俄然『かぐや姫の物語』を観たくなったわけで。前言撤回、やはり観たあとの感想を書いておこうと思う。

posted at 17:05:30

④『かぐや姫の物語』。謳い文句にあるジブリ史上最高の絶世の美女だとは思わんが、むちゃくちゃかわいい。

posted at 17:11:50

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高畑勲監督の作品は、説話的→説明しすぎ→説教くさい傾向があったが、今回の『かぐや姫の物語』は、雲をつかむようなお話になりかねないので、理詰めの演出が功を奏した、というかちょうどよかった。観客は物語を読み誤らずにしっかりと把握できる。

posted at 17:26:15

⑥従来ならばクサいと感じてしまう場面も、画の説得力で押し通してしまう。アハハと笑いながら山野を駆けめぐるふたり。放たれた矢が花束に変質してしまうくだり。さんざん使い古され、もはやパロディもされなくなった話法を、『かぐや姫の物語』は、これでもかと見せつける。

posted at 17:35:52

⑦観ているうちに誰しもが気づくメッセージ性の強さ。お約束ですからの言いわけなんか一切しない潔さ。ぼくは『かぐや姫の物語』を観ていて、絶対的権力(例えばそれは天皇制だ)に対する抵抗の意志と、GPSに代表される汎地球規模の監視システムへの絶望の、二つを感じとった。

posted at 17:54:05

⑧このくらいでとどめておこう。感想は人それぞれだから、ぼくとは違った見方でお楽しみください。
あ、音楽がよかった。久石譲の劇伴でもなく、エンディングの歌でもない、高畑勲監督が自ら作った「わらべ唄」と「天女の唄」が。旋法を識ってなければ書けない、優れた仕事だ。

posted at 18:01:37

【11月28日】

映画『かぐや姫の物語』の冒頭では「制作・氏家齊一郎」とクレジットされるが、なぜ、日テレの故・氏家氏が、「赤字でも構わない、金はすべて俺が出す」からと、高畑勲の映画にこだわり、支援し続けていたのかも、思想的背景を抜きにしては語れないだろう。

posted at 21:21:08

【12月5日】

午後3時か。
さて、宿題にとりかかろう。

posted at 15:04:11

①今年(2013年)の夏に『はだしのゲン』問題がありました。あの時少なからず散見したのが、「表現の弾圧はけしからんと思う。でも、それ以前に、あの絵柄がどうも受けつけない」という意見です。たしかに中沢啓治氏の太い描線と悪漢の形相は、発表当時の少年ジャンプの中でも、かなり古くさく感じました。a

posted at 15:11:22

②同様のことを、ぼくは高畑氏のアニメーション作品にも感じておりました。絵柄が苦手。表情のつけ方やキャラクターの動作が、現在進行形の「かっこいい」や「かわいい」とかなり異なってい、古くさく見える。アニメのモード=コードを逸脱した「感じ」に、なんとも居心地の悪い思いを抱いていました。

posted at 15:17:54

③古くささなら、盟友・宮崎氏のアニメにも見出せます。やーいやーいと囃したてる子どもら、いただきまーすと唱和する男たち。そういったステロタイプを、しかし宮崎氏は画力で場面を展開、つまり突破してしまう。ところが、高畑作品はそうはいかない。そこで立ち止まる。じっくり見せつける。

posted at 15:23:25

④高畑氏は丁寧に、それこそ子どもにもわかるように絵解きをする。ここは悲しい場面なんだと、キャラクターの表情と動作と背景の絵とせりふと、総動員で説明する。早い話が、お説教くさい。そこを宮崎駿は揶揄もしている「共産党みたいなことを」と(河出ムック『宮崎駿の世界』より)。

posted at 15:28:41

⑤さあ、第一のポイントです。ぼくが「感じた」ものの正体。それは作品全体を覆う隠しようのないメッセージの色。主張を正しく伝えることが第一義にあり、エンターテインメントとしてのアニメーションとして受けとるには重すぎる命題を、避けて通らせてはくれない。だからやっかいだなあと思いました。

posted at 15:35:28

⑥『ぽんぽこ』では自然・環境破壊を。『火垂るの墓』では戦争反対を、堂々と掲げている。娯楽のオブラートに包まない。それだけが高畑氏の作品ではないことは百も承知ですが、道徳の授業みたいなムードをぼくは敬遠していました。絵柄、とくに彼の指示による表情のつけ方は、まさにその象徴に思えたのです。

posted at 15:41:16

⑦いい訳めくのですが、ぼくは『山田くん』を観ていません。そこがミッシングリンクかなと思いますので機会を見繕って観ようとは思いますが……先を急ぎます。今回11/23に封切られた『かぐや姫の話』について。ぼくは足を怪我して、時間をもてあまして、たまさか観たのです。

posted at 15:45:18

⑧だから白状しますと、たいして期待もしてなかった。ジプリ・日テレ・電通等の広告代理店各社のメディアスクラムに反発もしてましたし。ただ、どうしてでしょう、なにか引っかかったのです。前日にみたツイートのせいかもしれません。画期的であると、アニメーションの概念をくつがえす作品である、と。

posted at 15:48:32

⑨最初の数分間は、やはり違和感を感じました。翁の、さも善良そうな表情やら、竹の子やーいと囃したてる童やら。子ども時代の体型やら、脚の描き方など、むかしの「サスケ」みたいじゃんと内心ケチつけながら観てましたが、そのうち、そんなことはどうでもよくなっていた。徐々にのめりこんでいった。

posted at 15:53:22

⑩その日(11月25日)に書いた感想が、いちばん正直な心に近いと思いますが、ともかく観おわった後は、絶賛する側に回っていた。では、その逆転した場面とはどこか?

posted at 15:59:25

⑪その場面こそ、あの予告編に垣間見れる1分間なのである。ぼくは、アニメーションであれほど「速度」を感じたことはない。なんだなんだこれはいったいと息を呑み、手に汗握った。こういう喩えを許してもらえるなら、あれはまさに「序・破・急」だった。そしてアニメがもっとも苦手にしていた「抽象性」を獲得していた。

posted at 16:04:26

⑫あとは、誰がなにを演じようが、物語がどう進行しようが、ぼくにとってはたいした問題ではなかった。月よりの使者の奏でる「天上の調べ」が、やや類型的かなと感じた程度である。ともあれ『かぐや姫の物語』は、ぼくが勝手に作り上げていた高畑勲像をこなごなに粉砕したのである。

posted at 16:10:00

⑬最後に。『かぐや姫』にまつわるもうひとつの大きなテーマは、「女性」。〈月〉そのものが女性の生理の暗喩である以上、避けては通れない。もちろん高畑作品は問題を回避せず、物語の中にしっかと刻みつける。ちゃんとせりふで説明するし、絵解きもする。が、嫌味にはならない。

posted at 16:19:12

⑭もしかしたらそれは「男性からみた女性」なのかもしれないから、女性から観た『かぐや姫』の感想を聞きたいところです。ただ、描写は最大限デリケートに扱われているし、典型的メタファーも巧い具合に機能している。教条的にもならないし、さりとてうやむやにもされていないと申し添えておきます(了)。

posted at 16:27:53

togetter.com

なお、この日の連続投稿は、<『かぐや姫』と特定秘密保護法強行採決>というタイトルで、togetterにまとめられている。騒然とした中の呑気な感想。

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今日(2018年5月18日)高畑勲氏の追悼番組として、『かぐや姫の物語』が地上波(日テレ系)で放映された。

ぼくは下掲の感想をツイートしようとして、

高畑勲氏の演出は、物語の全体から各場面の細部にいたるまで、どのような意図で描かれ・セリフが交わされているかが明確に示される。曖昧さは排除され、すこぶる論理的で誤解の余地は少ない。類型はともすれば説教に陥る危険はあるけども「観客が理解できること」が先ずは最優先される。すなわち解題……

途中でやめた。これとほぼ同じ感想なら5年前の初公開時に書いていたぞと思いだして。それでここに再掲し、再構成を試みた次第である。

ただ今回は後半の展開が5年前よりも心に残った。#MeToo 運動の興隆が、今年に入って世界中を揺さぶり続けている。性的被害を受けた人々が勇気を奮って沈黙を破る一方で、それに慄き、認識をアップトゥデイトできない(主に中高年男性)人々もいる。そうした今の社会情勢と『かぐや姫の物語』はリアルに連動し、共振していた。とくに御門(帝・ミカド)に後ろから抱きすくめられたときのかぐや姫の恐怖の表情 b たるや、凡百のアニメ映画の追随を許さぬ迫真の描写だった。この高畑勲の非妥協的な社会批評の姿勢は、たとえ氏が(2018年4月5日)彼岸へ旅立とうとも、今後ますます地上の現在を反映する鏡になるだろう、とぼくは痛感したのである。

 

 

 

【追記】

a: 記事中、「はだしのゲン」の絵柄について「古くさく感じて苦手だ」と触れているけれど、スマフォが主流になった今、あの太い描線と白黒のコントラストは、あべこべに訴求力のあるビジュアルとして、世代を超えて好まれているように思える。何がタイムリーで何がタイムレスかは次の時代が答えてくれる。

b: 引用ツイートの画像を参照のこと。

c参照記事2点。対照的だが、優れた論考。

d: ぼくは、自分の中にわだかまるモヤモヤとした感覚を、わかる形で明確に示してくれる作品だという、雪原 @ykhre さんが2015年に投稿した意見を見て共感する反面、新規の稿を起こせずにいるスランプ状態に苛立ち、拗ねていた。

自分の以前に書いた記事を読んで、ぼくは5年前より確実に文の切れが鈍くなり、思い切った意見を発せなくなっていることに気づいて、意気消沈している。人間は進化するばかりではなく、退化するものなのだ。

と、このネガティヴな投稿に呼応したようなツイートが目にとびこんだ。以下、@Ogi_Hong0504 さんの投稿。

かぐや姫の物語」録画しておいて今夜観ました。5年前の作品だけど初見。
衝撃的。愛おしい美しい温かい力強い荒々しい憎らしいばかばかしい愚かしい切ない狂おしい。こんなに素晴らしい映画だったとは。そして公開時の5年前より今、社会により大きな問題を提起しているのでは。

5年間に社会が後退したのか、それとも5年前には気づけなかった問題に気付けるようになったという意味で前進したのか。前進と後退はそう考えたらとても連続的な概念だな。後退したがゆえに「気付き」と言う前進がもたらされ、その前進が大きなうねりとなってやがて後退した考えをひっくり返すだろう。

高畑勲監督のご冥福をお祈り申し上げます。

それで、救われた、気持ち。

 

アウトテイク(没ツイート)

 

ぼくのIPhone8+に収めていたTwitterの「下書き」を見せようか?(言い訳つき)

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たぶんぼくは「プレ“おたく”世代」に属するんじゃなかろうか。おたくということばを、中森明夫氏が定義づけた以前の風景を目のあたりにしているという意味で。語る相手の守備範囲をはかるときに「おたくアレ観た? 知ってる?」的な探りを入れる場面を、少なからず見聞きした。

そういったやりとりから自然とテリトリーが生成されていった。80年前後のこと。ぼくはマンガの「ニューウェーブ」にはかなり奥地まで足を踏み入れたけど、アニメーションに明るくなく、ガンダムは絵柄も台詞も好みではなかったから、そっち方面とは疎遠だった。でも、敵味方やセクト化ではなかったな。

いま思えば牧歌的な時代だよ。おもしろそうな活動をしていると思ったら異種ジャンルとも交流する、ごった煮的な状況だった。そんな中で交わされる「おたく」というジャーゴン符牒)は、せいぜい自虐的なニュアンスでしかなかったし、差別の要素はなかった。……いや、少しはあったかもしれないが。

これ「オタク差別」の定義でタイムラインが騒がしかったときに一丁噛みしたくなったんだ。たんなる昔話になりそうだったから自重したけど、やめといて正解だった。

枝の字と、大塚・玉木の二つを選ぶなら「政局を見る目のない」ぼくは断然後者。ただし、野党第一党代表を立てるのが当然、とする小沢氏の意見を尊重する。いわゆる「オザシン」だから。

国民民主党を率いる大塚耕平議員の発言に、共産シンパが怒るのはしごく当然だと思う。ぼくもあの発言にはがっかりした。しかし、彼や玉木雄一郎議員のようなタイプの、政策立案の得意な政治家は、今後の野党にとって、やはり必要になるんじゃないか。

ご存知ないかたも多いだろうけど、ぼくはアンチ立憲民主党なの(きっぱり)。そりゃ連合主催のメーデーにのこのこ出かける玉木雄一郎や、たちの悪いフリー記者に言質を取られる大塚耕平に頭を抱える場面もあるけど、国民民進党を悪くいうことでいったい何の利得があるのさ。ぼくはたまに、立憲サポーターズたちの偏狭さに我慢ならなくなるんだ。

ニートラップということばが、まさに社会の抑圧を象徴している。冒険できずに保守化が著しい、現代人の意識の裏には、自己責任、自己防衛、自己抑制といった教条が内面化されている。自分は規則に従っている(つもり)。だから相手を疑う。自分を陥れ、貶める。これは罠だと解釈し、不信の塊となる。

いいセンいってる、でも、肝心なとこまで届いていない。表現が上っ面だから、

追記:武田砂鉄氏が鋭い論考を示していた、さすがプロの著述家は違うわ。

wezz-y.com

ちんぴらの意気がりはカッコわるいね。ぶら下がってるコメントもすり寄りばかり。いったいなんでしょうね、<私も「良い人キャンペーン」終了しました>って。今後は腕っぷしで思い知らせてやりましょうぜとアピールしてンのかな?

♪日本人って暗いね、性格が暗いね。

これは例の小坪行橋市市儀(の乱心)について、ワイド師匠に宛てた返信なんだけど、なんかおもねってる感じがして投函をためらった。ラストに「暗黒大陸じゃがたら」の歌の一節を引用したのも、あざといかなと思っちゃったのね。

IR? 古い呼び方すれば「公営ギャンブル」でしょ? 胴元どこ? 地方自治体? 何にせよ国が賭場を開くってのは感心しねえなあ。他がやってるからって何も真似するこたないんだし、それで身上潰したって国は責任とらねえよ。けど税収を賄うにはカジノが一番手っ取り早いんだよな。オレかい? 麻生太郎だよ。

特区だよ特区。何のために国家戦略特区を定めたかって、公営カジノを建設するために決まってるじゃん。あー、まるでマンガ『サラリーマン金太郎』みたいな途方もない計画だ。

これ、深夜に勢いで投稿したものの、翌朝読み返したら恥ずかしくなって外したのね。吟味するスタンス氏を意識したみたいで、カッコ悪いなと。彼みたいに軽妙な味は一寸真似できないね。

では、リベラル・サヨク金正恩の非人道的な人民支配を許容するのかと怒りをあらわにした意見を見かけたけど、誰も北朝鮮のあり方が正しいとは思ってないよ。間違った国家体制だと殆どの人が認めている。が、その誤りを是正するためにも、今回の南北会談が解決への第一歩になることを期待しているんだ。

これは、北朝鮮の独裁体制を激しく糾弾している意見を見てしまったので、それに対する反論を書きはじめた。けど、説得は無理だろうなと早々にあきらめた。ただ、リベサヨが押しなべて冷笑的だという指摘には首を傾げるけど。ネトウヨざまあwみたいな気持ちはさらさらないから。南北首脳会談は二国の成果なのだし、一部のリベラルが、まるでわが手柄のように誇る態度は、ぼくも違うと思う。

仕事に疲れてるのは分かる。労組の幹部の高齢化が気にくわないのも。

若者は自己中心的でかまわないと思う。「他人のことに構ってられっか、自分にしか興味ないね」という態度が、本来なら許されるべきなんだ。

どうせ権力に歯向かっても太刀打ちできないのに、の無力感と、オマエら高齢者層が日本の貯えを食い散らかしてきたくせに、の怒りが、労組や野党や市民運動への反発につながり、世界平和? へっ、いい気なもんだ!という苛立ちが、皮肉・揶揄・冷笑・嘲りといった歪んだ形で表出されているのだと思います。

 これは桃園凜さんへの返信用に書いて、途中でやめた部分。ちょっと対象を決めうちしすぎちゃったかな? と思って、削除しながら返事した。

なお、タイムラインでは以下のようにやりとりしている。

凜)面倒くさいは病であるって、桜沢如ーが言ったのを思い出します。楽をして稼げる、楽していい社会になればいいと。思考も行動も惜しんで結果だけ得ようはないんだよね。不服従を示したり抗議するのは面倒、批評はしても何もしないではね。自戒を込めてそう思います。

鰯)最近の「シラネ」「しょーもな」の捨てゼリフに表れる、反権力アレルギーすなわち抗議の対象ではなく抗議する主体を叩く風潮の背景には、「オレは精一杯やってる、社会全体のことに感けてる余裕なんてないんだよ」という、怨嗟の念があるんだろうなと思います。

凜)反権力アレルギーっていうのを、70年以来、政権が陰に陽に人々にすりこんできたからね。抗議の対象は巨大だし怖いんだよ。だから叩きやすい反権力をサヨクと叩く。政治や社会を考えるヒマがない余裕が無い。に追い込んできたからね。

鰯)ただ一つ確実に言えることは、仮にメーデーから政治的な色を排除したとしても、労働者の権利を守るという目的を追求する過程において、国会に代表者を送りこまなければラチがあかない、という結論になると思います。鶏が先か卵が先か、何れにせよ政治と労働運動は切っても切り離せない関係性がありますね。

凜)親鳥も卵もニワトリという存在です。ある社会で働くという事は、その社会や政策と切り離せないんだと思います。それは音楽に政治を持ち込むなの詭弁も同じようなもんです。政党政治や国会民主主義を否定できないかぎり、仰るように労働者の代議士を国会に送るしかないですよね。細論に陥らぬためにもね。

鰯)はい。 だからメーデーの在り方に疑義を唱えるのは大いに結構。労働条件の改善が主旨ではないのか?と真正面から問えばいい。ただし現政権下における大企業への優遇が社会保障や福祉予算を削って成り立っているという認識を持ち合わせた方がいい。

結論:「労働運動に政治を持ちこむな」はナンセンス。

凜)その通りだと思うの。働く人って大手企業の組合員だけではないしね。

と、まあきれいに括ってはみたものの、このやりとりの引き金になった<私の望まないメーデー/望むメーデー>という一万越えツイートや、

イラネ」「しょーもな」みたいに語尾の「い」を抜くと「あたま悪」く見える。 

のみならず「クソー、やべーやらかした(略)人生終了〜」にしてもそうだが、自虐と加虐のない交ぜになった捨てばちな気分が使う言葉に表れている。投稿主の不満や憎悪の反映したツイートが万単位で「いいね」されるのは何故だろう?

我が意を得たりと感じるのか。

 例に挙げた(Buzzった)ツイートに世代間の断絶をひしひしと感じる。それゆえ、ぼくは火を噴かないよう慎重に投稿している。

ま、それだけの影響力はないに等しいのだけど、一応。

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ぼくのネット上での発言をみている旧友が、「いったいイワシタくんは誰とたたかっているのかな?」と質した。ぼくは即座に返せなかったけれど、今なら答えられる。

それは野党が嫌いで、労働組合も嫌いで、きれいごとや正義感が疎ましく、団塊世代の説教に我慢ならなかった、かつての自分と、たたかっているんだと思う

そして。

糸井重里氏や佐々木俊尚氏が「批判すること」自体を批判するキャンペーンを張っている現状においては、やっぱり口を閉ざしてはいけないと思うんだ。

パリ5月革命のスローガンを、きみは知っているだろうか?

禁止することを禁止する “Defense de defendre”。

さて、批判することを批判する、に対しては何といえばいいだろう?

批判する口を封じこめるな、か?

うーん上手くない、誰かいいアイディアを寄こしてくれ。

連中がぎゃふんとのけ反るような。

前川喜平講演会 備忘録 2018/04/11 熊本

 

決めた。
明日は前川さんに会いに行こう(4月10日)。

前川喜平氏(前文部科学事務次官)講演会
期間:4月11日(水)18:30~
場所:くまもと森都心プラザホール
熊本市西区春日 JR熊本駅東口前)

演題:権力の腐敗と暴走

会費:資料代 500円
主催:前川喜平講演会実行委員会
連絡先:熊本県平和運動センター

連絡先に、電話で問い合わせたところ、開場は5時半から受付した順に入場できるとのこと。在熊のみなさん、前川さんの旬なお話を間近に聞くチャンスです。会場を満席にしましょう。

そして当日、4月11日。

前川喜平さんの講演会(於:くまもと森都心プラザホール)ただいま17時に開場しました。ぼくは前から6列め、真ん中に座っております。来場者、さすがに多いですが、まだ席に空きがあります。

17時45分。開演45分前、会場は既に満席です。

18時30分開演。進行は弁護士の阿部広美さん。

主催者の挨拶ののち、前川さん登壇。

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(開演前に撮影)

20時10分に第1部が終了しました。いやあ面白かった。弛む場面は一度もなく、会場のみんなが食いいるように話を聞いていた。10分の休憩ののち、アンケートに基づく質疑応答。

では、また後ほど。

21時。講演ただいま終了。主催者発表によると約1000人が詰めかけたとか。質疑応答も含め、全体にユーモアを絶やさず、けれどもシリアスに「権力の腐敗と暴走」といったテーマを語ってくれた。とても充実した2時間半。前川さん、ありがとうございました。

this.kiji.is

22時30分。遅い夕飯を済ませて、先ほど帰宅しました。今日の講演は録音・録画できるとのアナウンスがあったので、ボイスレコーダーに録ってみたけど、レベルが低すぎて前川さんがなんと話しているのかいまいち分からない(笑)ので、なぐり書きしたメモを頼りにツイートしてみます。これぞまさしく「備忘録」。

ここで一応お断り。ぼくのメモは要旨だけを走り書きしています。テープ起こししたわけではないので実際に前川さんが語った内容と寸分違わぬわけではありません。そこんとこ引用する際は念頭においてください。

では、備忘録スタート(TwitterよりC&P)。

 

街を歩いていると、よく声をかけられるようになりました。頑張ってとか、応援してますとか。ホントは誰にも知られず歩きたいのですが。でも、私はまだいい。ホントのことを言えるから。佐川さんや柳瀬(元首相秘書官)さんもホントのことを言えばラクなのに、と思います。

先ほど紹介の方も触れられましたが、文藝春秋の5月号に、加計学園に詳しい森功さんとの対談が載ってます。文藝春秋といえば、私の手記が昨年度の読者賞になりまして。いえ、私が書いたわけじゃないんですね。書いた人は文春の編集の方で(笑)、私はチェックしただけ。

(背後の題字を見ながら)今日のタイトルもすごいですね、「権力の腐敗と暴走」。加計学園の問題についてを語るわけですが、自分の知る範囲の事を主に語ります。全部を見聞きしたわけではないし、下村(元文科相)さんについても、それほど詳しくないです。

加計学園の問題は行政が歪められた問題だと認識しています。私は3つの問題点があると思う。それは⑴不公正、⑵不公平、⑶不透明、この三点です。
まず⑴の不公正ですが、これは獣医学部の開設において、公正な審査が行われていない、ということです。

国家戦略特区区域法の定めにより、岩盤と呼ばれる規制が緩和され「国際的な競争力を高める」という条件を満たしたところに、新設の認可が下りるわけですが、加計に関して実質的な審査が行われたとは言えない。提出された資料も「世界に冠たる〜」と2,3ページに美辞麗句の書かれた文章があるだけ。

2015年6月30日の閣議決定で、4条件が示されました。①これまでにない、②新しい分野の、③既存の16大学では対応困難で、④(学生数)全体の需給バランスを崩さない、との条件を満たせば新設できると。これは一般に石破4条件と呼ばれますが、私はむしろ「下村4条件」だと思います。

その条件を満たしたとして、加計学園は大学OBと新任の、いわばロートルと若輩の陣容で、この4月からスタートしたわけですけれども。
⑵不公平、なんですね。だって加計には強力なライバルがいたのに、競争がなされなかった。京都産業大学京産大の申請は内閣府が葬ったようなものです。

ヒアリングの席では条件④にあたる『広域的に学部が存在しないことが条件』との理由で、近畿の京産大は立地に不適当、四国の加計は適当となったわけです。が、戦略特区の範囲をいえば、今治市広島県。つまり中四国ですね。ならば鳥取大も山口大もある。要するに後づけの条件なんですね。

この条件がオープンになったのが平成29年の1月。これで翌年4月に開校は到底ムリでしょう。ではどうして加計は手を挙げられたか?それはフライングしていたから。指定事業者になれたこと自体(略)公平に審査していたら、京都大学とiPS細胞の研究で提携していた京産大が合格です。

そして⑶不透明。決定までの一連のプロセスが透明ではない。例えば2015年6月ヒアリングの場に出てきた加計学園の関係者は、教員確保について説明していますが、これは議事録に載っていない。すなわち記録に残されていないのです。「総理の口から言えないから」という。

今治獣医学部、早く作れ」と和泉補佐官が総理に代わって言い、内閣府の藤原さんも「これは官邸の最高レベルが言ってる」、萩生田官房副長官も「総理は30年4月開設とお尻を切ってる」。そして今回、愛媛県からも首相案件だと。もう首相の意向はほぼ明らかで、これはもう忖度では無く、指示だ。(インタビューより)

2016年9月9日官邸にて和泉総理補佐官が「早く進めてくれ」と言ったことも、書かれた紙が残っていない。

①そんなことを言えば覚えているはず→

②だけど覚えていない→

③だから言っていない→

の三段論法。柳瀬さんも同じ論法を使う。言った・言わないの水掛け論に終始する。

一方、萩生田内閣副長官の発言は残っていますね。「総理は平成30年4月にお尻を切っていた」と紙の証拠があります。それにしても平成30年4月の開設にこだわりますね。藤原豊審議官が文科省の担当に「官邸の最高レベル、総理のご意向だ」と指示したということも、

私は報告を受けています。事務次官であるから、愛媛県知事同様、部下を信じたわけです。そして愛媛県から出た文書は「首相案件」であることを証明する証拠です。これらは、憲法15条『公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない』に違反していることを示している。

NHK、朝日、東京新聞、報道機関から次々とスクープが出てきますね。2015年4月2日午後3時からの1時間半、加計学園事務局長、今治市企画課長、愛媛県地域政策課の三名は、柳瀬唯夫秘書官と面会しました。愛媛県はこの時の文書を文科・農水・内閣府にも渡したという。

この4月2日の面会メモ。中村知事は「備忘録」だと会見で述べましたが、出所はたぶん文科省の、わが後輩からのリークだと思うんです。こういうのを霞ヶ関では「脇が甘い」と言いますが、文科省には単独で行動する3,4名がいるんじゃないかな。私が見たこともないものも、たくさんあると思う。

さて、柳瀬さんが「首相案件である本件」について加計の事務局長にアドバイスしたことを示した部分が、下村さんが「けしからん」と言ったというくだりです。ここに安倍首相の関与がはっきりと記されている。ちょっと分かりづらいので、丁寧に読んでみようと思います。

加計学園側が柳瀬秘書官に、下村大臣が「けしからん」と言っていることへの対応策を訊ねている。
・開設にあたって作った課題への回答がなくけしからん、と下村大臣が言っているが、それは先日(4月2日より前の日)に、安倍総理が、加計理事長に言った発言である。

・4月2日より前の日はいつか?との質問に、今日の国会でも総理は4ヶ月前の12月だと思う、と答弁していたが、この説明には無理がある。
・下村大臣が前もって用意した、閣議決定される4条件の課題をクリアするよう、柳瀬秘書官が今後策定する提案書の内容を教えたのでは?

それは試験官が回答を用意するようなもので、私は飛行機の中で国会中継を聞いていましたが、厚顔無恥とはまさにこのことだと思った。今日11日の答弁で安倍さんは「下村さんから聞いていない、加計さんには伝えていない」と答弁していたが、裁判だったら反証がなければ負ける。

朝日新聞は一連のスクープで、動かぬ事実を記事にしている。SK新聞とは違う。NHKも変わってきた。昨年は私が取材を受けてから一ヶ月経っても放送しなかったが、最近では朝日より早く報じるときもある。次は読売の番だ(笑)。権勢は長く続かない、離反する時期に来ていると思う。

英国アクトン卿のことばに『権力は腐敗する』とある。行政の私物化によって、国民・住民の税金が投入されている。愛媛・今治で約100億が費やされる。
一方、森友学園の問題は土地売却の金額は約10億だが、私的乱用以外に、公文書の改ざん・隠蔽といった大きなおまけがついた。

こういった問題は、外部からの大きな圧力がなければ起こらない。公務員だけではあり得ない。官邸の関与プラス総理の意思がなければ。そして指揮者がいなければ各省庁間の連絡と調整は不可能で、私の感想では加計では和泉洋人、森友では今井尚哉が全体を統べていると思う。

私の主観だけれど、森友の場合、財務省国交省大阪府私学課・審議会などが足並みを揃えなければできない。それは安倍昭恵さんや谷査恵子さんでは不可能で、全ての連携を図れるのは元経産省の今井さんしか思いつかない。加計はイズミ、森友はイマイがシナリオを書いたのだと思う。

ただ、残念なことに文科省にも不正が行われた。それも自分に関係することで。名古屋の中学校で、私は「自分は自分で変えられる」「自ら考え、学び、行動し」「他者と協力し合う個人・市民であれ」という内容で、中学生に講演しました。

「知っていますか?夜間中学校って教室の真ん中に薬缶が置いてある中学校のことだよ」と冗談いったら、本当のことだと信じてしまう生徒が少なくないんです。だから私は「大人のいうこと全部を信じるな」と伝えたんです。

ところが、文科省から名古屋の中学校や市教委へ15項目による質問書が送られた。林文科相や宮川政務官はこんな下品なことはしない。自民の部会長、副部会長の通称「池・池コンビ」だった(笑)。与党審査会は生殺与奪で役人をどう喝する。だから文科省に同情はするけど落胆した。

教育現場に政治の介入があってはならない。それは不当な支配と教育基本法にも記されている。政治の介入を防ぐことは、教育行政の重要な仕事だが、安倍政権は歴史教育や道徳への介入が甚だしい。旭川学テ裁判では「政治は抑制的でなければならない」と最高裁判決が出ている。

また、七生養護学校事件も、都議会議員と都教委による性教育への政治的な介入だった。こころとからだの学習裁判、通称「ここから裁判」でも「不当な支配」だと判決が下った。

名古屋の上井校長は言う、「主体的に考え、行動する生徒を育てるには、教育がそうならなければ」。

安保法制の際、国会でSEALDsの奥田愛基さんは、「政治家のみなさん個人でいてください、みなさんは考える力を持っています」といった。この言葉の意味を理解できた国会議員が、はたしてどれくらいいたでしょうか。

日中戦争における南京の虐殺を認めない国会議員が大勢います。歴史の本や教科書を読んだことがあれば「なかった」と理解するほうが困難だと思うのですが。また、米・中・朝の会談が日本抜きで着々と進められていることなども含め、安倍政権になってから歴史認識の誤りや外交での失敗が目立つ。

米国ホロコースト博物館には『ファシズムの14の兆候』というオファリングがある。その項目一つひとつがことごとく今の日本に当てはまる。官製ヘイトと呼ぶべき事態が、在日や朝鮮学校の問題に顕著である。多文化共生社会における教育の自由は保護されなければならない。

人権の蔑視がファシズムの入口となる。憲法改正からファシズム国家へ。最近では『道徳の教科化』が挙げられる。道徳学習の成果を評価することは戦前の修身となんら変わらない。道徳性の相対的評価は困難です。小学校の先生方には、適当にやってください(笑)と願う。

どの教科書にも問題があって、『星野くん』という話では、

<監督の指示は犠牲バントだが、打てる気がした星野くんは二塁打を打ってしまう。チームは勝ったけど、次の試合で星野くんはレギュラーから外される>

dot.asahi.com

という団体への犠牲や従順を強いる話が掲載されていました。

あるいは小一で3パターンのお辞儀の仕方なんかをね(と、実際にお辞儀してみせる)。

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(写真提供 @makimakiia さん)

そういったもろもろは第一次安倍政権で成立した教育基本法「改正」が端緒と考えられます。それは憲法改正の準備段階だし、権力・権威に従順な国民づくりだし、個人の尊厳も、国家に奉仕する一員にされる危険性がある。

私は安保法制に反対だったから国会前に行って「集団自衛権はいらない」と叫びました。ラップっていいんですよ、“What Does Democracy Look Like?”って問いにレスポンスがついて。スペイン語もいいな、“No pasarán!”、奴らを通すなって意味ですけど、私はこう言いたいです、

ソンタク・ファシズムは要らない!」。

ありがとうごさいました。

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(乱雑な文字のメモ)

10分の休憩を挟んで、アンケート用紙の意見を取りあげた形での、前川さんの質疑応答が始まった。

 

Q:次官時代に安倍首相から直接の指示などがありましたか。主観よりも事実が知りたいです。
A:大きな方向の逆に行くのは難しい。政治と現場の間をマシにする努力はしました。例としては八重山の教科書採択。育鵬社版を採用したい石垣市と東京書籍を採用したい竹富町で意見が分かれた。

そこで、郡単位の共同採択を外すという法改正を行い、3つの自治体に同じ教科書を採用させたい政治的な介入を、行政官として防ぐことができた。
ただ事務次官としては、抵抗できず権力に手を貸していたこともあったと反省している。副読本『わたしたちの道徳』の内容も、下村さんにずいぶん介入されてしまった。批判は免れないと思います。

Q:いのち大丈夫? アベ一族からの刺客はこない?
A:大丈夫です。みなさん、私をみても好意的でありがたいことですが、こんな有名人になるつもりはなかった。早く政権交代してもらって、元の無名に戻りたいですね。

Q:なぜ安倍首相は平成30年4月に固執したのか?
A:固執したのは加計さんでしょうね。3つの大学のうち、倉敷と銚子は赤字だから。17番目の獣医学部は儲かります。入学枠970人が140人も広がった。今年の加計の志望者は147名。一人当たり6年在学で約2,000万円かかると言いますから、けっこうな額になりますね。

Q:加計学園以外にも特別区として設立された学校はありますか?
A:あります。千葉県成田市国際医療福祉大学です。ここの高木さんという理事長は政界にたくさんパイプがありまして、安倍さんだけじゃないんですね。むしろ加計さんが安倍さんオンリーだから目立っちゃったのかもしれません。

Q:政治家になる気持ちはありますか?小泉進次郎さんと天下を取ってほしい(場内・笑)
A:小泉さんは、若いのに話が上手い、ですね。でも、一緒に天下をとるつもりはないですし、公務員のころに政治家のいやな面もたくさん見てきましたから、すみません、政治家には、なりません。

Q:教育勅語を、どのように、とりあげるとよいでしょうか。
A:反面教師としての教材なら、かまわないと思います。
私は教育勅語を諳んじていますよ。
(と、冒頭から暗誦しはじめる。場内より拍手が起こる)
やはり、批判するためには、嫌いなことでも勉強しなくてはならないと考えて、覚えました。

教育勅語は、宗教の教義にも似た、架空の物語ですけど、1948年、衆議院では憲法違反として排除、参議院では教育基本法との関係から無効とされています。しかし、教育勅語を復古させたい勢力があります。日本会議は、平成25年の中教審櫻井よしこさんを送りこみました。高橋史朗八木秀次の両名もそうですね。

Q:安倍政権が終わったらどうなるでしょう?
A:岸田さんは役人受けがよいですね。強権的ではないし、改憲のおそれも少ないし。(野田)聖子さんも評判は悪くない。石破さんは……うーん、9条でも物足りないという方ですからね、どうだか。

自民党憲法改正案は危ないと私は思っています。樋口陽一さんは私の尊敬する法学者ですが、樋口先生に言わせると、自民党案は「大日本帝国憲法への回帰どころか、慶安の御触書への回帰に等しい」のだそうです。
Q:活動のモチベーションは?
A:各地の旨いものを食べること、ですか。

Q:議論する道徳は成立しますか?
A:可能だと思います。学習指導要領・道徳の「解説」には、憲法・人権・主権者、この三つについての教育を目標に掲げています。一面的な道徳ではなく、例えばさっき例に挙げた『星野くん』でも、サンデル教授の講義のように、議論の材料として使うことはできます。

もちろん「物語の相対化」は、小学生では難しいかもしれませんが、中学生なら、正解は一つではないと理解することができると思います。
Q:忖度と斟酌はどう違うのか?
A:本来、忖度はそれほど悪い言葉ではないはずですが、他者への想像力という意味では斟酌と近いのかもしれません。そこはやはり、国語学者に訊いたほうがいいと思います。

Q:日本民族ってありますか?
また、ヘイトをなくすためにはどうすればよいでしょう?
A:地域ごとの良さがありますね。熊本はいいですね。もしかしたら邪馬台国は熊本だったかもしれない。でも私は奈良の生まれだから、やはり大和が邪馬台国箸墓古墳卑弥呼の墓だと思うんですよ。これも歴史修正主義の一種でしょうか。

子どもにも悪魔のような心があります。いじめたい、差別したいという悪魔性は、大人になっても心の奥に潜んでいる。その隠された気持ちをヘイトスピーチが解放してしまう。
違いを知ることです。金子みすゞは「みんな違って、みんないい」と言ってましたよね?マイノリティの存在を知ることが大切です。

さまざまなマイノリティ、地域差別もそうですし、障がい者、性的小数者への理解も必要です。LGBTにあたる人は7.6%、つまり500人中38人いるといいます。その38人がカミングアウトしても大丈夫な社会を作っていくことです。私は文科省を退職前に若い職員らに託したんです、“ally”のステッカーを。一人ひとりを大事に、と。

日本政府は、日本会議のような団体思想は、血縁共同体の再構築を目指しています。イエ制度は天皇中心の万世一系にも通じます。ヘイトをなくすためには、国体、国家全体に奉仕するではなく、他者と協力し合う個人として生きることではないかと、私は思います。

ありがとうございました。〈了〉

 

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