鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

樫本大進の『神話』 2017年7月11日 於:熊本県立劇場

 

樫本大進(ヴァイオリン)とアレッシオ・バックス(ピアノ)の二重奏を聴いた。

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翌朝になっても、ぼくの耳の奥には、まだ余韻が残っている。

熊本県立劇場の長い残響にも濁ることなく、樫本の伸びやかで透きとおった音色とアレッシオの繊細なタッチは、コンサートホールの高い空間をあまねくみたした。

軽快かつ明朗なモーツァルトソナタでさりげなく始まったステージは、続くブラームスのヴァイオリンソナタ『雨の歌』で一気に緊張の度合いを高めた。二人の放熱に聴衆は惹きこまれ、第一楽章の終わりではフライング気味の拍手がわき起こるほどだった。が、集中の糸が途切れることはなく、二人はさらなるテンションで残りの楽章を高みへと引っ張りあげた。

 

ぼくは樫本大進を2014年に観ている。スイス・ロマンド管弦楽団で指揮は山田和樹、場所は同じく県劇コンサートホール。有名なチャイコフスキーのコンチェルトだった。好きな曲だっただけに期待していたが、さほど感銘を受けなかった。もっとハッタリ効かせてくれてもいいんじゃないか、どうもお上品すぎる、圧倒してくれという不遜な感想を抱いた。

 

が、今回は不満がない。

樫本の音色は確かにノーブルだけど、今回のブラームスでは彼の野心のようなものが垣間見えた。それは聴き手をねじ伏せてやろうというよこしまな我欲ではなく、もっとこう、音楽そのものをより高次へ導いてやろうという意志のようなものだ。それは腕前達者な相棒が的確なピアノフォルテを奏でることで初めて可能となる。樫本はアレッシオに全幅の信頼を寄せていた。それは疑いようがない。彼らは不可視の糸でつながっている。見えないけれども確かに存在する音の糸が。だから樫本は思う存分ぶつけられる、これはどうだい、ではこれは?と。

けれども樫本の示す音楽のかたちはとても明確だ。譜面が目前に見えるようだ。それはやはり、ベルリンフィルの第一コンマスとして長年培った能力、音を俯瞰してみる力に依るものだろう。ときに彼の動きはヴァイオリン奏者というよりも、ぼくには指揮者のように見えた。

休憩をはさんで後半のプログラム。シマノフスキの『神話』で、樫本はいよいよ本領を発揮した。フラジオレット(ハーモニックス)や重音の頻発する難曲を、彼はミスすることなく、いともたやすく弾きこなす(実際の心境はどうだかわからないが、そのくらい余裕綽々に映る)。弦と弓の当たる角度やボウイングの速度によって、場面場面での色がさまざまに変化する。とても一つの楽器とは思えないほどだ。フォルテッシモの駆けあがりは空気を引き裂くほどに激しく、ピアニシモやディミヌエンドは消え入りそうなほど微かに震え、異様なテンションでシマノフスキのデザインしたギリシア神話の耽美な世界を紡ぎだす。

 Karol Szymanowski, Mythes Op.30: Narcisse. Kaja Danczowska i Krystian Zimerman - YouTube

神曲』はカヤ・ダンチョフスカvnとクリスチャン・ツィメルマンpfによるレコードが有名だが、樫本とアレッシオのデュオは、過去の名演をはるかに凌駕する。その高みは樫本の正確無比なテクニックと探究心によるものだ。もしかしたら彼は、軽々と難所をこなしてしまうがゆえに、いまいち凄味が伝わりにくいのではないか?ぼくはクラシックに通暁しているわけではないが、それでも関東にいたころはかなりの奏者を観た。樫本大進は間違いなく超一流だと思う。彼のグァルネリの音色はくせがなく、クリアーで上品な響きだが、今回のステージではさらに複雑な陰影と深みが加わった。ぼくが数年前に感じた物足りなさは払しょくされ、樫本はヴィルトゥオーソと呼ぶにためらいのない、未知の領域に足を踏み入れたように思う。

 

最後はデビューアルバムにも収録されていたグリーグの第三番コンチェルト。これはもう全開モード、息もつかせぬ迫力で、あっという間にクライマックスに達した。しかしこれほど激しいパッションをどこに秘めていたのだろうか。ぼくは貴公子然としたパブリックメージが覆されていくのを痛快に感じた。そして、日本人という狭い枠を超えた国際的な演奏家の、脂の乗りきった演奏を堪能できたことに、無上の喜びを覚えた。

アンコールではお道化気味にクライスラーのロスマリンを弾いたが、どんなに走ろうがデフォルメしようが、諧調になってしまうのがこの人生来の持ち味である。

 

ぼくは年甲斐もなくロビーでベートーヴェンソナタ大全集を買い求め、行列に並んでCDの小冊子にサインしてもらった。

ハンサムなピアニストにはヘタなイタリア語で“E 'stato grande”と伝え、大進さんには、

シマノフスキサイコーでした、しびれました」

と伝えた。彼は「ありがとう」と穏やかに微笑んでくれた。

コンパクトディスクという音楽のパッケージは、たぶん廃れるさだめだろうけど、その時代に記録された事実は永遠に残る。だからこのデュオには、ぜひ正式に録音してもらいたい。そして、「シマノフスキの『神話』は大進とアレッシオが決定盤だ、おれは彼らの演奏を間近で観たんだぜ!」って自慢してみたい。

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【インタビュー記事】

 

Beethoven's violin sonatas 4CDBox 公式プロモーション


Daishin Kashimoto - Beethoven: The Complete Violin Sonatas (EPK)

 

用意周到なサイケデリア、あるいはフォーク・ロックの集大成/ライリー・ウォーカー『ゴールデン・シングス・ザット・ハヴ・ビーン・サング』

 

Ryley Walker “Golden sings that have been sung ”

ライリー・ウォーカー『ゴールデン・シングス・ザット・ハヴ・ビーン・サング』

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こちらはAmazonで注文したライリー・ウォーカーの『ゴールデン・シングス・ザット・ハヴ・ビーン・サング(16年)』。

The album of Ryley Walker announced last year was a masterpiece as expected.

ピーター・バラカンのFM放送で何曲か聞いて、これは買わなくちゃ、と思った。

When I heard this album on FM broadcast of Peter Barakan, I thought that I had to purchase this.

Youtubeからアルバムの冒頭を飾る曲(オフィシャル)を紹介しよう。

Let’s introduce the official sound source from YouTube. It’s the song at the beginning of the album.


Ryley Walker - The Halfwit In Me (Official Audio)

シンガー・ソング・ライターの枠に収まらない、多様なジャンルに影響を受けた、複雑な音楽である。

It’s complicated music influenced by various genres that doesn’t fit in the frame of a singer-songwriter.

雄大な風景が眼の前に拓けるようなアンサンブルは、パット・メセニーブルース・ホーンズビーを彷彿とさせる。

The ensemble that magnificent landscape appears before the eyes makes Pat Metheny and Bruce Hornsby reminiscent of.

だが、そのアレンジはソロが主体ではなく、異なる楽器がつづれ織りのように重なり合い、ひと塊りの響きを紡ぎだす。

However, arranging is not mainly solo, but various instruments overlap like a tapestry.

それはライリー自身が弾く、開放弦を活かしたギターの持続音と、木管楽器を効果的に採りいれた(元ウィルコの)ルロイ・バックの用意周到なアレンジによってもたらされたものである。

It was brought about by Ryley himself playing, the sustained sound of the guitar making use of the open string, and the careful arrangement of the Leroy Bach(originally Wilco) who took the woodwind instrument effectively.

ドローンを使った拡大する感覚は、以下の記事で高橋健太郎氏が指摘しているように、60年代サンフランシスコのサイケデリック・サウンドと非常に近しい。

The feeling of enlarging with “drone”is very close to the psychedelic sound of San Francisco of the 1960s as Kentaro Takahashi points out in the following article.

ライリーのエロキューションはありがちなもので、私はブルース・コバーン以外にもロン・セクスミスやアンドリュー・バードなどを想起した。

The voice quality of Ryley is common to Ron Sexsmith and Andrew Bird in addition to Bruce Cockburn.

しかし、もっとも声の似ているシンガーは、『ソリッド・エア』の頃のジョン・マーチンではないか?

But is there a closer singer John Martin in “Solid Air”?

ともあれ、そんなあてどない想像をあれこれめぐらしながら、私はこの「フォーク・ロックの集大成」的なアルバムを何度もくり返し聴いている。昨今のCDには珍しく、40分ちょっとで終わってしまうのも好ましい。ぜひ聴いてみてほしい。

This is a comprehensive album of Fork & Rock. I listened many times, but not tired at all. Recommended. (Sardine) 2017/07/10 Mediumより転載

 

 

  

【おまけ】

はてな読者へ特別にオプション。ジョン・マーチン、1987年ダブリンでのライブを。ダブルベースは元ペンタングルのダニー・トンプソン。


John Martyn - Solid Air (1987)

https://youtu.be/Kg_Utj4Aljc ←スマフォはコチラ

 

ダニー・ライリーの音楽は、ホントに様々な過去の傑作を呼び覚ましてくれる。ぼくが上記以外に漠然と思い起こしただけでも、ざっとこれだけある。列挙してみよう。

ティム・バックリィ『ハッピー・サッド』

ヴァン・モリソン『アストラル・ウィーク』

ジャクソン・ブラウン『レイト・フォー・ザ・スカイ』

イッツ・ア・ビューティフル・デイ『同タイトル』

ジョニ・ミッチェル『逃避行』

ジェファーソンズのいくつか、デッドのいくつか、あのへんのおっかない山セッション

ブルー・ナイル『ピース・アット・ラスト』

まだあるかもしれないが、きりがないのでこれくらいで。

 

Back to 90'sの趣き/トッド・ラングレン『ホワイト・ナイト』

 

『ホワイト・ナイト』は、トッド・ラングレンが2017年に発表したアルバムである。

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トッドと誕生日が1日違いの)リュウジが持ってきてくれたCDを、ぼくはクルマの中で何回も聴きながら、感想を書かなきゃなと焦りつつ6月をすぎ、7月に入ってしまった。

『ホワイト・ナイト』とは英語で「白騎士」の意味。日本においては「白馬の騎士」と意訳される場合が多い。M&A(企業の買収や合併)における「敵対的買収を受ける企業にとって友好的な第三者(企業もしくは人)」を指す。2005年のライブドアによるニッポン放送買収問題でフジテレビのホワイトナイトだと北尾吉孝氏が評されたことで、日本でも普及した経済用語である(経済に疎いイワシ、付け焼刃の解説)。

トッドがアルバムのタイトルに定めた理由は、狭義の意味ではなく、コラボレーション・アルバムであることを婉曲に表明したかったのだろう。窮地を救ってもらったというよりも「友だちにちょっと手伝ってもらった(With a Little Help from My Friends)」くらいのニュアンスではなかろうか。

というわけで、これはワンマンなトッドのキャリアでも珍しい、他者を招き入れた作品集である。クレジットは下記参照。

1. Come
2. I Got Your Back feat. KK Watson with Dam Funk
3. Chance For Us feat. Daryl Hall with Bobby Strickland
4. Fiction
5. Beginning Of The End feat. John Boutte
6. Tin Foil Hat feat. Donald Fagen
7. Look At Me feat. Michael Holman
8. Let’s Do This with Moe Berg
9. Sleep with Joe Walsh
10. That Could Have Been Me feat. Robyn
11. Deaf Ears feat. Trent Reznor & Atticus Ross
12. Naked & Afraid feat. Bettye LaVette
13. Buy My T
14. Wouldn’t You Like To Know feat. Rebop Rundgren
15. This Is Not A Drill feat. Joe Satriani with Prairie Prince & Kasim Sulton

トッドのファンには馴染みの名前もちらほら見かけるが、やはり話題の中心は、かのスティーリー・ダンを率いたドナルド・フェイゲンをヴォーカルに起用した、6曲目の「ティン・フォイル・ハット」だろう。先日も偶さか民放エフエムでかかっているのを聞いたが、二人のヴェテランが久しぶりの(ポテン)ヒットを放ったって感じだ。

聴いてみようか?


Todd - Rundgren - Tin Foil Hat (feat. Donald Fagen) [Official Video]

Because the man in the tin foil hat
Is gonna drain the swamp tonight
And fill it up with alternative facts
And it's gonna be great, tremendous, amazing, and all that

まあ、ドナルドがドナルド(トランプ)を歌うという、タイムリーだけど何の捻りもない企画ではあるが、ぼくはこれ、曲が先に出来てしまったんではないかと睨んでる。で、トッドのことだ、「しまった、これじゃまんまスティーリー・ダンじゃん」と舌を打ちつつも、にわかにプロデューサー根性を発揮、「だったらドナルド本人に歌わせりゃいいんじゃ?」とアイディアが閃いたのではなかろうか。ちなみに二人の初顔合わせは2006年で、名ソウル歌手アル・グリーンの“Rhymes”をカヴァーしている(アルバム“Morph The Cat”のアウトテイク。2012年の“Cheap Xmas:Donald Fagen Complete”に収録。今年8/23に日本盤が発売)。

話が脱線してしまったが、トッドの割りきった粗めのアレンジが、いささか高級すぎてアウト・オヴ・デートになりがちなドナルドのパブリック・イメージに、いい感じの今日性をもたらしている。なんでもワイアード誌によれば最近の全米ヒットは、

イントロ短く(5秒前後)、曲名短く、唐突にリフ(開始後30秒以内)、間奏はなく、曲自体短く、ミックスは安っぽく、認識しやすい。

という特徴があるのだそうだが、この歌は、最新型ポップの条件を(結果的にだが)見事にクリアーしている。職人気質で、どちらかといえば冷笑派の二人も、思わぬ出来映えに苦笑いしただろう。

ちなみに「錫の・ホイルの・帽子」とは「陰謀論者」のスラングだというブログ記事を見かけた。真相は分からないが、トッドはインタビューでトランプ大統領の政策を烈しく非難していたから、ヴィデオを確かめるまでもなく、オルタナ・ファクトを振りかざす「誇大妄想狂・ドナルド」を徹底的に茶化した歌詞であることは間違いあるまい。

 

でもリュウジ、この調子で一曲ずつ解説していたら日が暮れちまうよ。あとは大まかな印象でお茶を濁してもいいかな?

 

『ホワイト・ナイト』は全体的にリラックスした曲調が多いから、旧知のファンにも新参のリスナーにもとっつきやすい作品だといえる。

今のところベストトラックと思うのは2曲めの「アイ・ガット・ユア・バック」。トッド唯一無二の浮遊感あふれるコードによる抑制された4小節ループ。元祖テクノ男がデトロイトテクノ的な要素をようやく自家薬籠中のものとした感じがする。これは前作『グローバル』のツアーで身につけたセンスだろう。EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)とトッド流ソウルテイストが良い塩梅に融合していて、裏切りがない。

それはアルバム前半の旧友ダリル・ホールとの共演や、続く女性ヴォーカルによるお得意の3連バラードにも言えることだが、衰えた部分を他人に補ってもらうことで、無理なくメロディーに没入できる。トッドはなんでも一人でやれるし、一人でやりたがる人だったけど、ときにそれは聴く際の負担にもなりかねなかった。

しかし、このスムージーな感覚はなんだろう?誰かが80年代洋楽ポップス的だと評していたけど、EDMをトッドなりに咀嚼したサウンドの肌触りは、むしろ90年代のそれに通じないだろうか。具体的に誰みたいだとは言わないが、あの物議をかもしたインタラクティヴCD、“TR-i”の前後に、今回の『ホワイト・ナイト』みたいなトッド流R&Bがリリースされていたら、より広範囲な支持を獲得できたかもしれないと想像してしまう。もちろん四半世紀前に戻れるはずもなく、トッドは安直な道を選ばないチャレンジャーだから、その夢は果てしなくもはかないものだが。

アルバムも後半になると少々だれる。CDのフォーマットでは仕方ないことだが、それでもナイン・インチ・ネイルズトレント・レズナーが参加した「デフ・イヤーズ」は後半のハイライトともいえる秀逸な仕上がりだ。ただ、その音響デザインは、どちらかといえばNINとよく比較されるレディオヘッド(それも“Kid-A”)により近い。ひょっとしたらトッドは「絶対にありえない共演」を、デスクトップに仮構したのかもしれない。

あと、ラストナンバーだけど。「トッドくんのかんがえたさいきょうメンバー」による演奏はあまりにも予定調和的で面白くなかった。この3人ならこれくらい楽勝だよねーと聞き流してしまう。もっと10分ぐらいの長尺で、転調&リズムチェンジしまくりの、陽気なプログレハード・ロックを展開してほしかった。もっともトッドも御年68歳、あんまり無理はきかない齢だから、ま、健在ぶりを確かめられただけでも良しとしなくっちゃなあ……

 

ああそうだ。日本盤にはもう一曲、『グローバル』ツアー時のハイライトナンバー、「ワン・ワールド」が収められている。

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

 「オハイオ・トゥ・トキオー」じゃなくて「クリーヴランド・トゥ・トキオー」だけども。「ワン・ワールド」ってシンプルだけど飽きがこない、トッドの代表曲だね。

 

さて、そろそろ不出来なエントリーをリリースしようか。トッド、それからリュウジ、遅ればせながら「誕生日おめでとう」。