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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

追悼グレッグ・レイク

Music

medium.com (註:この記事は昨晩12月8日Mediumに投稿したものを翌日に転載しました。)

 

 

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驚いた。

グレッグ・レイクキング・クリムゾンエマーソン・レイク&パーマー等で活躍した英国出身のベーシスト/ヴォーカリスト)のホームページに、昨日(12月7日)亡くなったとの報せが掲載されている。

🔗 greg lake (ホームページTOP)

キース・エマーソンの訃報は衝撃だったが、グレッグ・レイクの逝去も辛い報せである。いったい2016年は何人のロックヒーローが天国に旅立ったことだろう。

信じたくはないが……今夜は彼を追悼して、代表作を何曲か貼りつけてみたい。

 

① キング・クリムゾンキャットフード


King Crimson w Greg Lake-Cat Food-Top Of The Pops March 1970

キング・クリムゾン時代の初々しい姿を捉えた貴重な映像。2枚のアルバムに参加したのち、スーパートリオ「エマーソン・レイク&パーマー」を結成する。

 

②『展覧会の絵』より「賢人」


Greg Lake The Sage With Emerson Lake and Palmer ELP

「賢人」のギターを弾けるヤツは尊敬されたものだ。グレッグはカルカッシの教則本をきちんと修めていたし、なにより声に恵まれていた。精確で強いピッキングが彼の持ち味だった。

 

③「ラッキーマン」のソロ弾き語り版


ELP -- Lucky Man (First Greg Lake Solo Version)

言わずもがなの名曲「ラッキーマン」。彼の歌詞のテーマは「人の一生」について書かれたものが多い。「石をとれ」然り「キエフの大門」然り。

 

④「リヴィング・シン」


ELP - Living Sin

『トリロジー』から「フロム・ザ・ビギニング」ではなくこれを選んだ理由は、グレッグのハードな側面をふり返りたかったから。豊かなバリトンから激しいシャウトまで優れた歌唱力を推し量れる佳曲。

 

⑤「ナイフ・エッジ」

www.youtube.com

グレッグは「ピアノの低音の弦のような音色が理想だ」と語っていた。バンドの屋台骨を支えるベーシストの鑑である。実際、あの突っ走る二人を繋ぎとめられるのは彼にしかできなかった役割ではないか?キースとは確執もあっただろうけど、音楽は信頼関係に結ばれていたと信じたい。それにしても“Can you still keep your balance?”の一節は強力だ。殆どviolenceに聞こえる。

 

⑥邦題「夢見るクリスマス」


Greg Lake - I Believe In Father Christmas

追悼のラストナンバーは(U2のボノもカヴァーした)平和を祈念するソロ名義の代表作で終わりたい。プロコフィエフの「トロイカ」がモチーフに使われている。素朴で穏やかな歌だ。

I Believe In Father Christmas!地には平和を。グレッグ・レイク、安らかな眠りを。

 

 

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kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

 

今は「有事」なのですから

 

風邪をひいているせいか思考が重力に抗えない。

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浮遊できない思考はおのずと下へ下へと沈んでゆく。予想しているよりも事態はいっそう酷くなっているのに、とりあえずそれを脇に置いて、何事もなかった風を装いながら日々を生きている。

かつて、これほど惨い時代が過去にあっただろうか。いや、ない。少なくともぼくが生まれ育ってきた数十年の間で、今がいちばん悪い時代だということは間違いない。しかも、これから先の回復の兆しはない。すべての領域において暗い予測ばかりが立ってしまう。

 

先日、話題の映画を観た。『この世界の片隅に』というアニメーションである。

良質な作品である。映画としての出来映えに注文はない。そのことは上掲記事にも書いたが、観終ってちょうど一週間が経った今、「たんに手放しで誉めて良かったんだろうか?」という思いがふつふつと湧きあがってきた。

太平洋戦争の渦中にいきる「すず」と、嫁ぎ先の家族の日常を描いたこの作品に、含むところはなんらない。いや、むしろ問われるのは観客である私たちである。ぼくは、この映画を観ている間、呉に住む人びとの生き(死に)と同調し、他人事ではないような感覚に陥ったが、さて今、2016年11月の現在、私たちをとりまく社会は、日本と言う国ははたして平和だろうかと自問してみて、残念ながら平和ではないと認識するに及んで、ぼくは『この世界の片隅に』生きている今が、戦時中であることを自覚したのである。

なるほど映画のように、戦闘機や爆撃機は飛来しないし、食料は配給ではないし、青年の出征を送ることもない。威張りくさった憲兵はいないし、隣保間の助け合いも頻繁ではない。が、にもかかわらず、あれは遠い昔の出来事だと客観視できないでいる。

なぜだろう?

なぜ過去の、戦時中の生活に「私」はタイムスリップしてしまったのか?

ぼくは答えを弾きだせずにいた。それを認めるのが怖かった。だけど、思いきって言おう。今は「戦時中」なのである。日本は既に、戦争をはじめてしまった。「駆けつけ警護」という欺まんを弄し、自衛隊を「南スーダン」という戦闘地域に(あえて言う)派兵してしまった。 戦時下に観た映画であるからこそ、胸にズシリと重石が乗っかっているのだ。

戦争はもはや余所事ではない。

 

ぼくは半年前に震災を経験した。被災地では水や電気といったライフラインが途切れ、自衛隊の救助活動なしでは暮らしもままならない状況だった。が、以前の日常に復旧する道筋は見える。町や家屋は破壊されたけれども、手を施せばいずれは元の暮らしに戻る。大げさなようだが、そんな思いを励みに生きてきた。こんな風景を日常化させてしまってなるものかという意地が熊本の人びとに共通していた。

しかしそれは自分の手で、自分たちの手で日常をとり戻せるのが可能な範囲だったからこその思いだった。もしも自助努力の遠く及ばぬ範囲で、あるいは国家間の争いだとしたら、思いなど通じやしない。国が、国家権力を行使し、私たちの生活に探りを入れ、直接的な影響を及ぼし、制限を加えはじめたら、それはもう日中戦争を含めた15年間の再来だといっても過言ではないだろう。私たちはもう、取り返しのつかない時点にまで来てしまった。

さあ、そこでどうする?どうやって生きてゆく。

今問われるは、まさにそこだ。国家の決めた方針に大人しく従うか、権力の横暴に隷従するのか、飴玉のように差しだされたゴシップや空疎なエンタメにうつつを抜かすか?

それとも、徹底的に抗うか?

抗うとしたらどのような手段で?

答えはない。答えなど見つからない。ただ途方に暮れ、現実の劣化と崩壊をSNSにつぶやき、嘆くだけなのか?

抗う姿勢は徒労でしかないのか?

 

昨年ぼくは自分の中途半端な正義感を批判されたし、嘲りもされた。イワシのようなヤツはけっきょくいつまでも現状に不満を持っていて、しかも解決する手段を提示できないと指摘された。それは分かっている。ぼくは本当に無能である。だけど、ぼくを指弾したかれらは、はたして現状にたいしてなんら不満なく、安穏と暮らせているのだろうか。分からない。ただ、ぼくの発した警告なり行動なりが、かれらの安全圏内を脅かしたのかもしれない。だからこそ躍起になって批判していたのだろうと一年前を振り返ってみて思う。

でも、ひょっとしてキミたち、ガマンしてるんじゃないのか?

ぼくが指したい部分は、じつにそこだ。我慢して、大人しく体制に阿っていることで、生活が保守できると考えているんじゃないか。

たぶん、いや間違いなく、そのような安全保障は反故にされる。キミたちが自分たちを守ってくれていると信仰しているところの国家やら組織やら企業やらは、残念ながらキミたちを生涯守るつもりはないんだよ。

たぶん、いや間違いなく、キミたちの敵は、周辺諸国でもなければ、ぼくのような不満分子でもない。他でもない、キミが信じたいと願っている国家そのものだ。敵は外に在るのではなくキミの内にある。そこが視えないかぎり、キミはキミ自身の育んだ不可視の敵に絶え間なく怯え続けるだけだ。国の方針に従わない者をにくみ、疑義を唱えるものをうすぎたなく詰り、みずからが圧政に加担している可能性に目をつぶり、さも自分こそが被害者であるかのようにふるまう、その倒錯した姿を鏡に映してごらん。キミは今何を守っている?何を我慢している?耐えがたきを耐えたその先に、美しい国が到来することを夢みているのか?

ぼくが『この国の片隅に』を観て重苦しい気持ちになった理由は、おそらく「すず」が無抵抗に現状を受け容れている点だろう。異を唱えない、いや異を唱える手段を持たず、抗うという発想すらなく、ただひたすらに現実を映し、描く。それはともすれば、諦めに直結する。もちろん作者も「すず」自身も、そんなつもりは毛頭ないだろう。だが、その素朴な筆致が「美しく」解釈されてしまう危険性をはらんでいるという点は、指摘しておいたほうがよいかもしれない。

 

四月の震災のとき、ボランティアの話題が上った。野良ボラという侮蔑的な呼称に、ぼくは異を唱えた。自発的であるはずのボランティアには公認のみならずいろんな形態があってもいい筈、それを野良と十把一からげにするのはどうか?と。ぼくは実際にボランティア活動をなさっている方から厳しく糾された。被災地の現実はそんな甘いものではない、統制のとれない・連絡のつかないような組織はボランティアを名乗る資格がないと。そして、

「今は『有事』なのですから」

と、文末が締めくくられていた。

「有事」。確かにそうであるに違いない。火急の状況で怪しげな民間団体に慮る余裕はなかろう。混乱をきたすようであれば排除も止むなしなのかも知れない。その点において、ぼくは何の異議も唱えない。喫緊の事態の最中に機会の平等を唱えるほど、ぼくもおめでたくはない。

が、同時にぼくは懼れるのである。「有事」の名のもとに、いかに多くの細やかな思いやりのある相互信頼が壊されてきたことだろう。「有事」だから止むなしとして、いかに慎ましく穏やかな交流が遮断されたことだろう。「有事」なることばは戦車のキャタピラーのごとく「お花畑」を踏みにじってゆく。言語の、イメージの問題ではない。言葉狩りでもない。ただ「有事」ということばに白紙委任状を授けてはならない。「有事」は錦の御旗ではない。取り扱うには細心の注意を払う必要があることばだ。

だから、今を軽々に戦時中だと唱えるつもりはない。戦時だと認識したとしても、それを簡単に容認してしまってはならない。「有事」を常態化させないこと。それはただ平和を祈念するばかりではなく、戦争は嫌だね、絶対に悪だね、はやく平時に戻りたいねと莫迦みたいに喚くことである。それが武器を持たず、抵抗する術を知らぬ市井の一人の、唯一の抵抗手段だ。

厭戦の機運を醸しだすこと。いい加減やめようぜこんな醜い争いは、と戦闘モードの権力サイドに水を差すこと。ぼくはついさっき、『この世界の片隅に』は反戦映画ではなく、木下惠介の『陸軍』のような厭戦映画ではないか、と古道具上海リルさんに返信した。戦局の激化に伴い出征を余儀なくされる息子、それを見送る母親。最後の長回しでカメラは息子を追いかける田中絹代を執拗に捉える。そこには戦争の理不尽に対する抗議が確かに秘められている。が、表だって反戦を訴えはしない。もしもそういった場面が微塵でも発見されたら、たちまち検閲の対象となってしまうだろう。そういった暴力の支配する閉塞感と、今の空気は別種のものかもしれない。が、戦後70年を経て私たちが目前にする新たなる検閲は、なんと複雑怪奇で面妖なものか。抵抗しようにも抵抗できない、辺見庸のことばを借りれば「鵺のような全体主義」である。そこにささやかな一石を投ずるにはかなりな表現の工夫が必要である。たぶん『この世界の片隅に』がリーチすべきは、ぼくやリルさんのような今の世相に常々懸念を抱いている人ではなく、むしろ「いつもと変わらないんじゃない?日本はまだ平和なものよ」と思っている人にこそ届くべき作品なのである(ただし、クラウドファンディングの過程において『花は咲く』のプロモーション映像を手がける制作側の姿勢を、したたかとみるか節操がないとみるかは論の分かれるところであろう)。

ともあれ、今もっとも必要な表現とは、糜爛な空気に風穴を開け、人びとの意識を少しでも揺り動かし、刷新を促す種類のものである。けれどもその表現が万人向けであればあるほど、あべこべに利用される懸念も発生する。「すず」を迎え入れる呉の一家は、親切で心優しき人たちだけど(もちろん裏に潜む複雑な感情を作品はないがしろにはしていないが)、これを理想的な家族のありかたとして逆利用されかねない危うさがあることもまた確かなのだ。魅力的な軍艦の威容やロシュフォールと見まごうほどの華やかな街角の誘惑(もちろん抑制の効いた表現ゆえ致命傷には至らぬが)は、一歩間違えば「あの時代は良かった」式のノスタルジーへ容易にスライドしてしまうだろう。そう読み解かれないための予防線をぼくたちは張る必要がある。かれらは往々にして「文化」を一色に染めあげようと日夜画策しているのだから。

 

さて、自衛隊が派遣されてしまった以上、もちろん今は有事である。が、有事ですからというエクスキューズを使って、相手の口を封じ込めようという気配が横溢するようならば、ぼくは徹底的に抗うつもりだ。ぼくはただ黙って耐え忍ぶほどお人よしじゃないから、有事ですから我慢しましょうって風潮にはガマンならないんだ。

 

 

息がつまる

poetry

 

毒つきたい。思うさま毒つきたい。

あいつとうとうおかしくなったかと噂されるくらい毒つきたい。

綺麗事ばっか言ってるといつか破綻をきたす。

常識に囚われてると迂闊に口も開けない。

毒つきたい。あゝ毒つきたい。

それで世間から見放されても社会から放逐されてもかまわない。

この臆病な精神がうらめしい。

いったい誰に遠慮してるんだおれは?

善人ぶってる自分がホトホトいやになる。

この怯懦の果てになにがあるというんだ。

大人しくして居れば平穏無事に終わるのか?

毒つきたい。皆が呆れるほど毒つきたい。

古今東西の作家の名前を列挙していた何処ぞの阿呆のように上から目線でドヤ顔してみたい。

毒つきたい。信頼とやらを悉く裏切って、

毒つきたい。人の神経を逆なでしてみたい。

毒つきたい。無神経な発言して顰蹙を買ってみたい。

毒つきたい、毒つきたい、毒つきたい。

だけど嗚呼、人畜無害なイワシさんは、

毒をつこうにもまるで毒気がない。

悪態つこうにも悪態の姿勢を知らない。

せいぜい人がしぬほど苦しんでるときに、

今日は空がキレイだとか、

海はやっぱりいいねとか、

他愛ないことばを呑気に発するくらい、

である。

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支持率を支える人びと

 

阿蘇に行くと座はとうぜん交通の話題で持ちきりになる。

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幹線の国道57号線は大津~立野~赤水区間が不通のままである。熊本方面から阿蘇に入るには二重峠を跨がなければならない。交互二車線の県道で、勾配は急である。

先月ぼくはMediumにこのような記事を書いている。

各種申請のために本籍のある阿蘇市に行ってきた。熊本の震災後、2回目である。

大津町からミルクロードの蛇行する坂道を登り、二重峠を越え、外輪山をなぞりつつ、大観峰から阿蘇谷に降りる。

震災前は立野を通る国道57号線を利用していたが、震災以後、不通のままだ(JR豊肥線肥後大津駅で止まっている)。わが家から阿蘇市まで約45分で到着していたが、今はその倍の、片道1時間半はゆうにかかってしまう。

外輪山線を走るのは、この季節まさにサイコーなんだが、今日のように所用があって時間に余裕のない時には、風光明媚を楽しむ気持ちになれないものだ。それにミルクロードの坂道は急な上、見通し悪いヘアピンカーブの連続するワインディングロードである。道幅も狭いので10tクラスのトラックが登坂するには厳しく、すぐに先が詰まってしまう。エンストでもしたらさらなる渋滞は必至、積載量オーバーで横転したトラックもあるというし、これで冬ともなれば路面は凍結するので、いずれ阿蘇地方が再び陸の孤島と化すのは目に見えている。

もちろん立野(阿蘇大橋が崩落した辺りだ)の地質調査および無人の重機による地滑りした法面の整地も急ピッチで進められているので、来年初めには国道57号線の本格的な復旧作業に入れる見通しではあるとのこと。しかし阿蘇に住まう人たちの不便は当分、いや数年は続く。動脈の細まった阿蘇ライフラインを、国と自治体は、今以上の予算と情熱をかけて取り組んでもらいたいと切に願う。

外輪山線の草原は今、群生したススキの真っ盛りだ。銀色の穂がそよぐ風に波のように揺れる壮麗な風景を写真に収めたかったが、生憎そんな余裕がなかった。途中に休憩した北山展望所から望む、阿蘇五岳の一葉のみでご容赦願いたい。(10月6日)

そして今朝、上掲の熊日朝刊の記事を見て、このようなツイートを投稿した。

この件、昨日も阿蘇で話題に上った。「福岡市は一週間で陥没が復旧したのに、なんで半年経っても改善せんの?」と。「そりゃあアレたい、予算ば引っ張れる力を持つ政治家が居らんけん」と。そっちかい?と思ったけど口には出さなんだ。ともあれ道路の復旧は急務だよ。冬になったら深刻の度合いが増す。pic.twitter.com/n2agFN6n8B(写真)

もちろんぼくは、今回の博多駅前陥没事故における急ピッチの復旧は政治の力学によるものではない、と考えている。しかし阿蘇の人々の目には、復旧のスピードは政治家の力量の差によるものと映っているようだ。政治家が省庁に強い圧力をかけてくれれば、懸案事項は急ピッチで進むものだと信じている節がある。

その証拠に、こんな会話が飛び交う。「河津寅雄(元小国町町長。政界に強い影響力を持った阿蘇地域の実力者。河津寅雄 - Wikipedia を参照)が居らしたころは良かった。何でん話がスイスイ通りよった」だの、「(松岡)利勝さんは今思えば、多少強引だったかも知れんが、やっぱり力を持っておらしたけんね」だの、昔日の「強い」政治家のイメージを今なお追いかけている。ぼくは「なんだかなあ」と思いつつも黙って拝聴した。NHKRDD調査によれば〈安倍政権を支持する〉が50%強だという。にわかには信じられないが、ぼくは事実であろうと思う。地元に利益誘導のできない・しようとしない野党などかれらの眼中にはない。私たちの地域に益をもたらしてくれるだろうという期待は信仰心にも等しい。つけ加えるならば年配のかれらは善意の人びとである。「安倍さんもTPPやらに固執せんで、我々の生活の再建に目を向けてくれんですかなあ」と希望する「善人」ばかりである。安倍政権はドナルド・トランプと同様、地方の人びとの善意によって支えられている。そのことを思い知らされた昨日だった。

 

 昨日は急用があったため二重峠から赤水までは県道23号線を経て往復した。

:もちろんこれは阿蘇住民の総意ではないとお断りしておく。

 

ストーンドオヤジの嘆き Stoned Uncle's Lament

Music

 

レナード・コーエンが亡くなってしまった。

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ぼくには語るべき言葉がない。というのも、レナードはぼくにとって詩作の師であり、表現の指針であり、事象の度合いを測る物差しであった。 かれの歌からは多くを学んだが、創作への慎み深い態度、一つの詩曲をこしらえるのに数年を費やし、どの語句も揺るがせにできない頑丈な作品に結実する職人気質(かたぎ)は、ぼくの文章に決定的な影響を与えた。

だから別のアーティスト同様、軽々に語ることは不可能だ。あのアルバムが良いとか、あの歌詞の内容はどうだとか、論評する気持ちはまったく湧かない。よしんば語るにしても、かれの詩にこめられた哲学と宗教にかんする深い考察は、あまりにも高い塔のごとくであり、ぼくのような無学の徒が語るべきではないと感じる。ただ、ぼくに言えることは、レナードの歌は深淵な思想に基づくものではあるが、カントリーとフォークソングに根ざしたシンプルな音楽だよということだ。これだけハードルを高くしておいて、それはないだろうと自分でも思うけれども、本人のお経みたいな低音が苦手だという方は、ジェフ・バックリーの「ハレルヤ」なりジェニファ・ウォーンズの「ジャンヌダルク」なり、耳になじみの良いカヴァー曲から聴くことをお勧めする。

一つだけ指摘しておこうか。90年代前後にレナードが愛用していた灰色のキーボードはテクニクス製のポータブルキーボード(画像参照)だった。ぼくも何回か使ったことがあるけど、操作しやすく頑丈で、音色に芯があった。買っておけばよかったなあ。


Leonard Cohen - Dance Me To The End Of Love (Later with Jools Holland May '93)

 

語れないといいつつ、長くなってしまった。いつぞやも、

<斜に構えて「おめ〜ら政治とロックは別モノって馬鹿じゃねぇ?まぁ、俺は説明しないけどね」っていいながら長々と説明って……(後略)>

と当ブログ記事をdisられてしまったけれど(でも、ぼくは「馬鹿じゃねぇ?」なんて冷笑的な書きかたはしてないんだがな)、こと音楽について説明というか説教くさくなる傾向は、これはもう重症でして治る見こみがありません。それはとりわけロックに顕著で、自分の得意分野になると身を乗りだして力説しはじめるんですなあ。クラシックなど他のジャンルだと、もうちょい謙虚なんだけども。

例えば、レナード・コーエンが亡くなった数日前に、ハンガリーのピアニスト、コチシュ・ゾルダーンが死去した。

<コチシュは、ぼくがクラシックを聴きはじめたころ、ハンガリー出身の若手ピアニスト三羽烏としてシフ、ラーンキと並び称されていた。前のお二方(のツイート)が挙げたようにバルトークラフマニノフが印象的だった。「ヴォーカリーズ」が人口に膾炙したのは、かれの功績といっても過言ではない。カッコよかったよ。

とツイートしたんだけど、ずいぶん控えめでしょ?それはぼくがクラシック音楽を聴きはじめたのが20代半ばからで、しかも演奏家や指揮者やオケの差に無頓着だったからなのだけど、まあぶっちゃけ「クラシックロック」ほど詳しくない。なのであまり踏みこまない、いや踏みこめないんだな。

で、好きなジャンルのこととなると急に勢いづいてグイッと身を乗りだして、持論をまくしたて、異論・反論に神経質になる……ってこれはまったくオタク気質だよなあと自省していたところへ、例の「ポリコレ」談義がネット上に吹き荒れ、ぼくも一丁噛みした次第なんですが(詳細は語らない。書くなら稿をあらためる)、そこでモナーカさん(もとい)モーナカさんがリツイートしていたポンピィさんのこんなツイートに、胸をド衝かれたような思いがしたのである。

<だから、「ポリコレ」そのものが悪いんじゃないと思う。なんていうか、ローリングストーンズは好きだけど、ストーンズオヤジは嫌いみたいな感じ。>

そっか、だよなー、おれってことロックにかんしては思いっきりオヤジに成り下がるもんなあ。まるで森高千里の歌「臭いものにはフタをしろ!!」そのものじゃんか。あれがヒットしたころ、ぼくはそろそろ三十路へ突入するかしないかだったけど、あの歌詞にはカチンときたもんなあ。「ホント理屈は得意だね、おじさん」って箇所に腹の底からムカついた。だけど自分がそんな口の利き方をし始めていることに薄々気づいてはいたんだ。それカッコ悪いって強迫観念にとらわれて、そのころ流行りの「ロック」からは遠ざかっていた。

ぼくはこのブログを始めたとき、なるべく「ストーンズオヤジ」的な態度すなわち「この程度知ってなきゃ話になんねえよ」的な言いぐさだけはするまいと固く心に誓っていた。しかしぼくの記事を厭った(たぶん)若者は、ぼくの文章に漂う加齢臭を嗅ぎとったのだと思う。ぼくは好きな音楽を語るときに「情報を並べるばかりじゃ意味がない、なぜ自分が惹かれるのか夢中になれるのかを伝えなきゃ」と考える。それでその理由を詳細に書きすぎる。そこがウザいんだろうし、その臭みを消そうと努める身振りもまた痛々しいんだろうな。こういった自虐の心境が鬱屈すると、ぼくも「棍棒で殴られた」ような気持ちになるのかもしれない。いや分からない。とにかくぼくは「ストーンズオヤジ」に認定されたくない。自分の趣味を成立させている要件を普遍的なものとして他者に押しつける愚行をおかしたくはない。

と、さっきまでそう思っていたんだが……

ふう。気を鎮めなきゃ。ちょっとコチシュのアレンジしたラフマニノフの「ヴォーカリーズ」を聴いてみようか。


Zoltán Kocsis: Rachmaninoff - Vocalise, Op. 34 No. 14 [Arranged by Zoltán Kocsis]

 

たぶんぼくは、10代のころに培われた「ロック的な感性」で他ジャンルの良しあしを判断してしまうのだ。その悪癖をこじらせたまま50代に突入してしまったわけだが、どうせ治んないよと開き直っては(勝手に授かった)コーエンの名が廃るというものだ。厄介で頑迷なのは生来の性格だから仕方ないにせよ、せめて感情の高ぶるまま稿を起こすのは慎みたいと思ふ。

ところで、昨晩ひどい夢を見た。書くのが憚られるほど嫌な展開だった。終いには崖から飛び降りる破目になるが、海面がぐんぐん眼前に迫ってくるあたりで目が覚めた。気温は低いのに汗びっしょりだった。いま何時だ?と思ってiPhoneを掴んだまま、ツイッターのタイムラインをスクロールしていると、レオン・ラッセルの訃報が目に飛びこんできた。

《あー、やりきれないぜ親父どの》

ぼくの父は九月に亡くなったが、今夜ほど堪えた夜はない。母が入院しているせいもあるだろうけど、自分のヒーローたちが次々にあの世へ旅立っていく、自分の指針であり障壁でもある険しい存在が消失してしまう事実に酷く打ちのめされた。お悔やみツイートをいくつも目にしたが、肝心要のことが書かれていないのに歯がゆさを覚えた。テメーラ「ソング・フォー・ユー」ばっかりじゃんと無いものねだりをしながら、ぼくは最近ツイッターで自粛していたユーチューブ画像を二枚貼りつけた。「エルヴィス&マリリン」と「異星の客」。ぼくはピアノを弾く。中学生のころニッキ―・ホプキンスとエルトン・ジョン、そしてレオン・ラッセルの奏法に影響を受けた。中でもレオンは左ききだから低音の動きが機能的かつ雄弁で、コピーするにも手こずった。そういった個人的な経験を書くことは間違っているだろうか。なぜ誰も「タイト・ロープ」におけるピアノの多重録音に言及しないのだ。どうして『鬼火』における革新的な音響技術について語らないのだ。オノ・ヨーコはニュー・ミュージック・マガジン誌のインタビューで「レオン・ラッセルは今度のレコーディングで48チャンネルを使うそうよ。そんなに沢山のトラックが必要なのかどうか、私には分かりませんが」と内田裕也に語っていたし、遠藤賢司は「レオン・ラッセルの来日公演、観にいったけどつまらなかった。冷たい感じがした」と語っていた。手もとにないからどちらもうろ覚えだけど、そのくらいのウンチク書いたって問題ないだろう?その記憶を記録するのがインターネットの集合知ではないのか。出し惜しみするくらいなら、あやふやでも書いちまった方がいいんじゃないか。間違いならば指摘すればいいし、事実に反しているならば訂正すればいい。ぼくの貧弱な「知ってること」が一人でもいい、見知らぬ誰かに届けば幸いだと思いながら、ぼくは今このブログをしたためている。

終いになってどうしようもなくグダグダとストーンドしてしまったけれども、イワシだもんなしゃあねえやと笑ってくだされ皆の衆。“Roll Away The Stone!”


Leon Russell - Will O' The Wisp / Little Hideaway (1975)

 

 

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