鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

第3回配信 『21世紀のプロテストソング』 全曲解説

岩下啓亮 Sardine、配信第三弾は2002年に制作した作品集、『21世紀のプロテストソング』です。タイトルが示すように、この作品集には社会へのメッセージが表れています。それは今の時代にも通じる普遍的なものだと私は考えています。ぜひみなさんの耳で確かめてみてください。

今回の底本となったのは、数年前にここ「はてなブログ」に投稿した、この記事です。今回、ようやく架空ではない、現実のライナーノーツになりますね。

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

それをもとにTuneCoreに楽曲を申請する際に記した楽曲紹介文を作った(引用青文字で示している)。その紹介文がディストリビューターによってどのように使われているかは知るよしもありませんが。

linkco.re

リリースの前に、ボーナストラックを入れようかどうか迷いましたが、アルバム全体をつらぬくトーンを損いたくなかったので、制作当時のままの曲順としました。

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最後のライブより。歌っているのは「ワルツ・アメリカ Ⅰ」。

では、はじめましょう。

 

1. I believe

意表を突いたカントリー&ウェスタンスタイルのオープニングナンバー。

曲を書いたきっかけは、護憲集会に行ったら「明日があるさ」の替え歌で「憲法があるさ」と歌われていたので、それならオリジナルな新しい歌のほうがいいんじゃないか、との思いから(気後れして提供するにはいたらなかったけどね)。

日本国憲法の理念に、基本的人権の尊重がある。信じるに値する理由だね。だからぼくは、国力増強のための改憲論には乗れないんだ。

I believe

I believe

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ジョニー・キャッシュのサン時代のベストアルバムをみつけて、そればっかり聞いていた時期がある。(旋律やコードの運びかたについて)あゝそっちに行ってもいいのか、と道が拓けたように感じたものだ。

 

2. バンガロー

フォーキーなヒップホップ・フェイク。

漢気あふれる歌を書いてみたかった。現実の自分の非力さ、自信のなさにうんざりしていた。ラップの内容は当時よく読んでいた斎藤貴男のドキュメンタリーに影響を受けている。典型的「ワナビー」な歌詞だ。

アレンジもあまり企まず、シンセ等もあるがままに弾いた。

もちろん今日の視点からすれば、この歌の「男性讃歌」性が、無邪気かつ無自覚であることは否定できない。ひ弱なのはあくまでも男性が抱える問題なのであり、女コドモのせいにするものではない。この歌には、そうした根本的な間違いが内包されていることを、私は認めなければならない。

バンガロー

バンガロー

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あと、ラップのリリックを記しておこう。楽曲登録で歌詞を提出する際、ここはあえて記さずに送ったんだ(だからサブスクの歌詞に、この部分は表示されない)。

住民基本台帳 監視体制 盗聴法

個人情報保護だと? ウソつけ 市場に流れるキミの情報

お互い注意しような言動 キンタ〇握られてンだぜ相棒

いつしか治安維持法 国家総動員法

 

3. ワルツ・アメリカ Ⅰ

世紀を跨ぐ前後に、アコースティックギター一本で弾き語りできる歌をたくさん書いた。ボブ・ディラン気取りで。ミドルエイトが映像的で大好きなんだけど、今聴くとリズムパターンがちょっとうるさいね。ともあれアメリカの夢、理想と現実なんかをロードムービーふうに描いてみたんだ。

アコギ一本で録ったデモをレコード会社に勤めている友人に聞かせたことがある。彼は、エンディングがそっけないから「おやすみ・ぐっすり・今夜は」の部分は一気に歌わずに「ぐっすり(間をおいて)今夜は」とスペースを作った方がいい、とアドヴァイスしてくれた。彼の忠告にしたがって作り直したヴァージョンが、これさ。

ワルツ・アメリカ Ⅰ

ワルツ・アメリカ Ⅰ

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「真夜中のカウボーイ」が裏メロに流れていることは前々の記事に書いたが、もう一つ、ジェネシスの「シネマ・ショー」もこっそり弾いている。

 

4. 渚のハレーション

旋律にレナード・コーエンの影響がある。沖縄について書いたつもりだったが、むしろ今では本邦のことを歌っているように聞こえる。アレンジは遠近感や明暗のコントラストといった「対比」を意識している。コラージュを含めて映像を喚起する音響を狙ってつくった。

渚のハレーション

渚のハレーション

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間奏のナレーションが有名なグループのサンプリングだと気づく人は多いだろう。オッケー、だけどドン・ヴァン・ヴリートさんの声を挿入していることにはなかなか気づくまい。鱒のお面のだよ。

冒頭にタイプミス。「真っ昼間のサイレン 電話からのキャンペーン」と記されていますが、正しくは「電波からのキャンペーン」です。

 

5. あいにいかなくちゃ

ディラン、コーエンの次は、ポール・サイモンの影響下にある歌。でも、日本のポップスに顕著な歌う人=主人公の図式から解放された、客観的でコメディふうの歌詞が達成できたと思う。

ベースが効いているね。

あいにいかなくちゃ

あいにいかなくちゃ

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「僕とフリオと校庭で」クリソツな部分はさすがに「まんまじゃん」と自分でも思うが、「誰かに会うことがきっかけで運命がひらける場合もある」という設定こそが、ポール・サイモン的なのではないかとも思う。

前の曲でジョアン(・ジルベルト)、この曲でカエターノ(・ヴェローゾ)の名前を挙げたり、次の曲ではミルトン・ナシメントの影響が顕著だったりと、私はブラジル音楽から多くの恩恵を受けていることが分かる。

 

6. モノリス

記憶と記録についての歌だ。

ぼくの歌詞にはダブルミーニングが多いけど「野を駆ける子どもたち」を「脳」と空耳されたときは、さすがに深読みし過ぎだと思った。

もともとの曲調はボサノヴァ的な軽い雰囲気だったのが、ナシメントふうのスキャットとタイトなリズムを加えていったら、雄大なロックになってしまった。

「ああ壊してしまえ、役立たずの、モノリスなんて」という一節は、情報の一極集中化に対する警鐘である。

モノリス

モノリス

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白状すると、この作品集を作っているころは、ほぼ外界と隔絶した生活を送っていた。早い話が、引きこもっていた。パソコンも使用していたが、もっぱら文章を書くために特化しており、インターネット接続はしていなかった。そう、私はインターネットに恐れを抱いていた。とるに足らない私の情報も権力からすでに掌握されているのだ、と想像して。その認識は、ネットに棲息するようになってからも基本的には変わっていない。私たちの記録すべては監視され、管理されている。荒野に屹立する「モノリス」は、不安の・不可視の象徴であるといえよう。

 

7. あなたの影になりたい

演歌やムード歌謡に寄せてみた楽曲。テレサ・テン小林明子は意識したかもしれない。作った経緯は省くが、曲調や声域など、指定された条件に当てはめていったら、出来上がりが予想以上に面白くて、提供せず手元に置いておこうと決めたわけだ。後にこの曲をモチーフに『歌の塔』という題の小説を書いたこともあるほど、私的には重要作となった。

ミドルエイトの対位法は技巧を凝らしたと自負している。

あなたの影になりたい

あなたの影になりたい

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ファルセットで歌った曲を「気色わるい」といわれた経験が何度かある。裏声で歌った部分が女性のモノローグだと解釈されたことも。自分ではそれほど明確な役割分担はなく、ただ楽曲の求めるままに発声を使い分けているだけだ。まあ、この曲の場合は明らかに「待つ女」の気持ちを再現しようとしているけれど、最後で地声に戻るあたりが個人的には気に入っている。プリンスがそうでしょ? 歌声は性差を易々と飛び越え、その瞬間、男女どちらでもなくなる。

 

8. ひとりぼっち ともだち

別居や離婚の経験がないぼくだけど、独り身の心境、空疎な気楽さみたいなものを描いてみようと考えた。REMの「Pop song 89」とグラディス・ナイトの「Superwoman」に歌われたシチュエーションをインポーズしているが、基本的には素朴なフォークロック。あ、子ども用の木琴を使っていること、気づいたかい?

ひとりぼっち ともだち

ひとりぼっち ともだち

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これは歌詞が八割がたできた時点で、あえて退屈な曲調にしようと企てた。歌詞の倦んだ・自堕落な感じを出そうと思って、ありがちなリックをあえて挿みこんだ。上手くいったかどうかは分からない。分からないといえば、私は自分の歌が良いのかどうかがいまだに分からない。歌声に色気がない(から通用しない)とは何度もいわれたものだし、自分でも魅力に欠けるなあと感じることしばしばだ。けれどもこの歌は、声の冴えなさや艶のなさを逆手にとった歌い方ができていると思う。

 

9. ルサンチマン

ある方に、ロイ・ハーパーみたいだなと指摘されたが、ま、オープンチューニングで曲を作ると、どうしたってトラッドっぽくなる。通奏低音を敷くと音響に独特の広がりが発生するから、好きなんだ。

歌詞は、なるたけ呑みこみにくい語句を意識して選んだ。不平等で不条理な社会への強い憤りが表れている。

ルサンチマン

ルサンチマン

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この曲のヒントとなった対象は誰だろう? ジャック・ブルースではなかろうか。クリームのいくつかの曲や、最初のソロの『ソング・フォー・ア・テイラー』からの影響は大きいはずだ。

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ちなみにチューニングはレギュラーで第6弦のみEをDに落としている。

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使用ギターは1990年に3,000円で購入したスズキW-180。サドルを削って弦高をぎりぎりまで下げていた。

 

10. Rock me baby

この歌、没にしてもよかったんだけど、ここに置いたら意外と納まりがよかったんで。ぼくなりのR&Bを刻んでおこうと思った。

リズムマシンをBOSSのオーバードライブ(OD-1)につないで音を歪ませたら、奥行き感が増した。

ところで気がついた? この曲がアルバム冒頭の「I believe」の変奏曲だってことに。ぼくはずいぶん後になって気づいたよ。

Rock me Baby

Rock me Baby

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音楽について説明する歌の系譜だな、これは。私の中の評論家資質みたいなものが、解説しはじめるという。当時ジャミロクワイの類似を指摘されたけれども、それをいうならジャヴァンのサムライだろうと。まあ元をたどればスティーヴィー・ワンダーのパスタイム・パラダイスになるのかな。R&Bの体裁をとっているが、歌入れのときに念頭にあったのはボビー・ウーマックとザ・ステイフル・シンガーズだった。

 

11. スイート イマジネーション

これはぼくなりのグラムロックだね。ザ・フーキンクスからマーク・ボランまで、スティーリー・ダンからスージー・クワトロまでと、ラジオを聴きだしたころの感覚を思いだしながら作ったパスティーシュだけど、この後奏をリック・オケイセックが聞いたら苦笑するかもな。

スイート イマジネーション

スイート イマジネーション

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これは楽しんで作った。ぼくが十代のころ夢中になった曲ども(おもにB級の)へのオマージュが随所に散りばめられている。やんちゃでいなたいSGのギターソロは、ぼくのベストプレイかもしれない。

 

12. どれくらい

で、この楽想はピート・タウンゼンドへのオマージュ。ぼくは(本邦ポピュラー音楽の大半を占める)恋愛の初期衝動についての内容ばかりではなく、彼のように生と死、社会と個人、労働と生活についてのシリアスな歌をつくりたかったんだ。

ぼくはいろんなアーティストから、スタイルではなく、スピリットに影響を受けた。言い方はよくないけど、そろそろ落とし前をつけなきゃな、と思っていた。

どれくらい

どれくらい

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あと、つけ加えると、この曲名は「奴隷 cry」とも読める。数年前はまだ他人を「忙しいひと」だと笑っていられたけど、この頃はもう余裕がなく「明日をどう乗りきるか」まで追い詰められていた、その反映だ(だからこそ敢えての「ステイン・アライブ」的リフなんだ)。

 

13. いついつまでもいっしょ

では「日本ならではのポピュラー音楽とは?」と考えたときに、このヨナ抜き音階の旋律が降りてきた。高峰三枝子の「南の花嫁さん」みたいなメロディーだけど、ジャズ系のギタリストからは「(ウェザー・リポートの)ブラック・マーケットかい?」と訊かれたよ。違うって。どうせならフレンチポップスふうの発声を指摘してほしかったな。

この歌詞の世界観を一言であらわすなら、「戦争前夜」だね。明るいなかにも不穏な空気が漂っているという。

いついつまでもいっしょ

いついつまでもいっしょ

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戦争前夜とはつまり、世情が不穏な空気に支配されればされるほど、庶民は平穏な日常を維持しようとささやかな幸せに逃げこもうとする。カタストロフがそこまで来ているのに、そんなことは起こらないと思いこむ心理状態(今の日本がまさにそれだ)を描こうと考えたのだ。

 

14. ワルツ・アメリカ Ⅱ

3曲目の「ワルツ・アメリカ Ⅰ」では友情と愛に満ちあふれたアメリカの理想を歌った。しかし、これを作った当時のアメリカには、例えるならルーファス・ウェインライトの「ゴーイング・トゥ・ア・タウン」に似た幻滅を抱いていた(ぼくの方が先に作ったんだけど)。それで「I」と対をなす「Ⅱ」を書いた。幻聴かもしれないが、ぼくの耳にはエンディング近くで吹きこんだはずのない「アメリカー」というコーラスが聞こえる。

この曲には自分の持てる技術とアイディアのすべてを注ぎこんだ。だから岩下啓亮の最高傑作だと思っている。

ワルツ・アメリカ Ⅱ

ワルツ・アメリカ Ⅱ

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この曲にも「参加ミュージシャン」がいる。「I don't believe you」とつぶやくバンドリーダーと、背後でテレキャスターのコードをジャキーンとかき鳴らすギタリストだ。

 

15. 4000マイル

ぼくは終わりの予感を抱きながら、この歌を録音した。長年使っていたTEACの4trkレコーダー「234」は既に相当ガタがきていた。playボタンが壊れたとき、「あー終わったな」と呟いた。これは80年代のニューウェーブにアレンジの着想を得ている。つまり、惜別の歌だ。

4000マイル

4000マイル

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着想を得た「80年代のニューウェブ」とは、ずばりブルーナイルを指す。無機質ではない、心象を描くようなシンセサイザーの扱い方を彼らから学んだ。

ちなみに使用シンセサイザーはクラビア社のノードリード1である(パーカッションもほとんどコレ)。

 

16. Good morning, Good morning, Good morning

影響されたジャンルを一通りおさらいした前の曲で終わらせるつもりだった。が、それではあまりにも救いがないと思った。根が楽観的なぼくは、明朗な曲調でアルバムを締めくくりたかった。そこでぼくは、「愛の交歓」についての歌を用意した。ワグナーとハンターみたいなツインリードは新たな道へのファンファーレのようだ。「どんな苦境に直面しても、愛し合う二人には、やがて新しい朝がくる。」

Good morning, Good morning, Good morning

Good morning, Good morning, Good morning

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しかしどうだろう。「ありがとう、忘れられない朝になる」という男性のモノローグは、永遠の別れを予感しているようにも読めないか?

 

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さて、ここまで読んできた(もちろん音楽は聞いてくれているよね?)みなさんは、とうぜん疑問を抱いただろう。「これのどこがプロテストソングなんだ?」と。

その疑問は私自身にもあった。実際の行動がともなっていないじゃないか、ポーズに過ぎないんじゃないか、との思いがずっとつきまとっていた。たとえば「I believe」をつくっておきながら、この歌を歌ってみてほしいと関係団体に働きかけなかったことは怯懦に他ならないではないか、と。

行動がともなわない点をさっ引いても、歌詞の面で社会性が明確になった曲は、半分にも満たない。何か問題であるかを正確に描いている曲となれは、冒頭曲と2番めのワルツだけだろう。他に具体的な問題提起はなく、ただ印象を羅列したに過ぎない。私の裡の批評家が、このアルバムを糾弾している。この曲どもはプロテストソングの名に値しない、と。

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だが、それでも私は、ここに収めた16曲を「抗いの歌」だと思っている。私はついに商業音楽の世界に自分の作品を発表できなかった。いわば敗北者だけれども、敗れた者なればこその歌える歌がある。商業的に通用しなくとも、それで歌の価値が無であるとは思わない。私は世の中に流通する音楽とはべつの、社会への視点を提示したつもりだ。それはポピュラリティーとは無縁だが、民衆の暮らしに直結した普遍性を有していると思う。私は上手くいかないで悪戦苦闘している人たちを念頭に、これらの歌を書いた。成功や勝利とは無縁だが、毎日を懸命に生きている人たちに連帯を呼びかけたい、そういった思いを歌の詞や旋律や音響の端々にこめたのだ。

この『21世紀のプロテストソング』は、純然たる抵抗歌ではないのかもしれない。しかし、世にあふれる馴れあいの歌謡とは一線を画していると私は自負している。どこに「どれくらい貯えれば、幸せ獲得するだろう」みたいな身もふたもない歌詞をつくる莫迦なヤツがいるだろう?

私は「ポップスかくあるべし」という既成の概念に抵抗した。その意味でこれはたたかいの記録だ。そして今回、インターネットを使って私はアクションを起こした。配信して、世に問うた。ささやかだけど、行動がともなってきたんじゃないかな。とにかくこのまま作品を埋もれさせたんじゃ、死んでも死にきれんから。鰯 (Sardine)2024年4月27日

アンソロジー第二集『鰯の告白』全曲解説

2024年3月23日、アンソロジー第二集『鰯の告白 Sardine's confession』をお届けします。 今回のも20曲入り 1時間26分と盛りだくさんです(適当に休みやすみ聞いてください)。内容は前のほどキャッチーではなく、シブくてフォーキーなビタースイートで、音質が悪かったり音量が低かったりする曲も一部ありますが、全体に統一感があり、聞くたびにおもしろさが発見できるアルバムだと自負しております(Blueskyへの投稿より)

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ディストリビューターの)TuneCoreにアルバムを登録する際、楽曲の自己紹介文を記入したが、今回はそれをアレンジしてみた。やや硬めだけど、簡潔にまとまっている解説と思うから。できれば音楽を聞きながらナナメ読みしてください。

Sardine's Confession Anthology II

Sardine's Confession Anthology II

  • 岩下啓亮 Sardine
  • ロック
  • ¥1833


意外と地味じゃないんだよ、聞いているとワクワクするんだ。ホントさ。大きな音でかけてみて

 

1. 放蕩息子の生還 1995年
「放蕩息子の生還」は職を失って故郷へ帰った男の失意を描いたもので、寓話的な要素を含んでいる。楽曲の構造はブルース形式だが、アメリカっぽいコーラスを加えたことによって、楽観的な雰囲気も漂わせている。この曲を作った当時、私は仲間たちと路上ライブを敢行していたけど「放蕩息子」は重要なレパートリーだった。飛躍するメロディにジャズの要素がある、といって管楽器のプレイヤーたちが好んだんだ。

 

2. 藍を染めあげ 1999年
プログレッシブロックふうのアレンジと、工夫を凝らした転調。会心の出来だと自負していたものの、某ユニットの何々に似ているという評価にすっかり落胆し、私は以後この曲を長らく顧みなかった。

聞いたことがない歌でも、どこかで耳にして、知らず知らずのうちに影響を受けたかもしれない。この曲やっぱりいいじゃん、と見直したのはごく最近。

自分の書いた曲でコード進行が凝っているものの筆頭にあげられよう。二転三転する転調が「とりとめのない不安と届かぬものへの憧憬」を表した、スケールの大きな海洋音楽である。

以前、「藍を染めあげカヴァーしたいから」といわれたので、慌てて書いたコード譜を掲載します(結局カヴァーしてくれなかったけどさ)。

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3. 遠い渚 1991年

1983年、東京神田の楽器店でアルバイトしていたころに作った。高熱でうなされているのに看病してくれない恋人の薄情さを嘆いている友人をモデルにした。歌詞の一部に、ポール・ニザンの「アデン・アラビア」が反映している。

このヴァージョンは1991年に再録したもので、演奏した本人は、遠い渚の風景を描写したつもりだが、いかんせん後奏が長すぎる。 けれども、ブリリアントなピアノのリフレインと、印象派ふうの凝った和声構造は、当時としては気が利いているほうだと思う。

 

4. かりん 1992年

この曲を世間にさらすのは今回が初めてだ。

きわめてドメスティックな表現である。 かりんという、実際は生で食べられない果実を思い焦がれる女性に喩えるという歌詞は、男性側の視点のみで描かれた、完全に時代遅れなものだ。けれども私は選曲する際に、恋愛時における狂おしいまでの感情の起伏と透明な哀しみを捉えたドキュメントとして、この曲を外すわけにはいかなかった。

 

5. Baby it's so hard. but I don't mind 1992年

自己憐憫は私の得意分野だが、これも狂おしいまでの片想いソングだ。「私を好きになれないのなら恋敵のところへ行けばいい」という、男性特有のエゴイズムが如実に表れている。 だが、人は多かれ少なかれ、私生活での迷走をくり返しながら、経験を積んでいくのではなかろうか?

ゴドレイとクレームみたいなピアノのアルペジオが陰惨に陥りそうな歌のムードをかろうじて救っている。

ところで気がついたかい? ミドルエイトのコード進行が、「藍を染めあげ」に再利用されているってことに。

 

6. 三月の雨 1997年

頭脳警察3的なナンバー。使用機材のTEAC製4trkカセットテープレコーダーは、録音を重ねるごとに音質が劣化する。「三月の雨」がローファイなのは何度もピンポン録音したからだ。

だけど意外とポップなメロディー。子どもがまだ小さいころ、「♪三月の雨なら〜」と歌っていたっけ。そう、どこからともなく「入れといたほうがいいかも」という声が聞こえたんだ。前作のアンソロジーに収めた「フェアリーテイル」同様、ほとんど忘れかけていた歌だ。滑りこみセーフ。

 

7. はじめまして 1993年

恋愛の只中に作られた、多幸感に包まれた音楽。結婚式に配った「ひきでもの」のカセットテープに収録した。

ブギウギとビックビートのアマルガム。ぼくは偏狭な洋楽マニアだから、フィル・スペクターのセッションにボンゾがドラムで参加したらどうなるかな、なんてしょっちゅう夢想している。録音の最中がいっとう楽しい、ロイ・ウッドみたいなものさ。ま、コーダのプラントふう「ウーイェー」シャウトは蛇足だったな。
じつは、昔からぼくの歌、いわゆる洋楽マニアには大層うけが悪い。今回の配信でも「無視」の気配はひしひしと感じる。
それと、こういった底抜けに明るい曲調は、仕事で全国の幼稚園や保育園を訪問していて、童謡や子ども向きの歌にやたらと詳しくなったから、その反映だ。

 

8. えくぼ 1993年

ありのままを歌った曲。つき放したように感じる言葉の裏にも、優しさと思いやりがうかがえる。私も経験を積んで、少しは成長したのかもしれない。

音楽的にはアイディア一発勝負。アコギとスリットドラム。音がスッキリしているのは重ね録りしていないから。もちろんジョニ・ミッチェルは私のオールタイムお手本、だ。

じつはギター弦を張り替えたとき、適当に遊んでいるうちにできた即興曲だ。それで展開がなく構成も単純なんだ。

 

9. 午前3時 1993年

アルバム唯一のインストルメンタル

二声のコーラスは、カーツウェルK1200とローランドJD800のシンセサイザーに入っている「アー」という合成音を使った。

真夜中に精霊たちがささやいているように聞こえないか?

 

10. 新世紀行進曲 1993年

20世紀末に作られた、21世紀への希望と期待を託したマーチ。四半世紀を経た今日の惨状を鑑みれば、残念としか言いようがない。だが、それでも生きていくからには、よりよき明日に希望をつなぐしかないと思う。それはラストの英詞にも表れている。ピーター・ハミルのフューチャー・ナウを引用した。and make life worth more than dreams.

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11. スーパーマーケット 1998年

私もいちおうプロの作曲家になるべく、各方面にアプローチしてはみた(人一倍の努力は怠ったけれども)。その過程でさまざまな人間模様を垣間見た。詳細は省くが、「市場」の中の一商品であることに私は耐えられそうになかった。

晦渋や皮肉をふり払うように、陽気なアレンジをほどこした。初期のトーキング・ヘッズXTCみたいに知性と衝動がうまく噛みあったギターアンサンブルを参考にしたつもりだが、スケッチにとどめずにちゃんと録音しておけばよかったと後悔している。

 

12. 鐘の音が聞こえる 1995年

男は失意に囚われてはいるが、希望の道標がないかと模索している。すると突然、街の時計塔から鐘の音が鳴り響いた。鐘の音を聞いた男は、そこに光を見出した。女性との出会いかもしれないし、新たな職を得る手がかりを掴んだのかもしれない。

90年代中盤に、私はブルースロックの形式を何度か試みた。ハーモニカを学んでいる若者にブルースハープを手伝ってもらった。クレジットに加えたいが名前を忘れてしまった。この歌をどこかで聞いたら連絡してほしい。

 

13. 好きになってください 1999年

これは「みんなから認められようと躍起になったけど、誰からも認められなかった」歌だ。まあ、しかたない。楽曲の展開がA-B-Cで、あまりにも図式通りだし、細部まで注意深く作っていても、かんじんの歌と演奏に覇気がないもの。や、いい歌だから選んでいるんだけどさ。迷える鰯くんって感じだよね。でも、サブスクで流すぶんには悪くないな。楽曲のポピュラリティーだけが濾過されて聞こえてくる。

ところで気がついたかい? この曲の前奏がアンソロジー第一集に収録の「空の下のリベルテ」を再利用しているってこと。

 

14. シンパシー 1999年

架空のミュージカルナンバー。なぜメッセージソングは素朴でなければならないのか、もっとドラマチックに表現してもいいのではないか、と私は考えていた。結果、自作中いちばん技巧を凝らしたものになった。

この曲にはローラ・ニーロの影響が色濃く表れている。『鰯の告白』というアルバムタイトルからして『イーライと13番目の懺悔』のオマージュなのだから。

 

15. 裸足で踊って 1999年

まるで童謡みたいに素朴な旋律だ。しかし企図はある。私はこの「裸足で踊って」を自分が書いた小説の主人公が生まれて初めて作曲した歌だと構想している。その主人公は女性で、最終的に彼女はこの歌の著作権を放棄するという設定だ。素朴な意匠をまとっていても、成り立ちがややこしいことこの上ないのが、鰯の音楽なのである。

【参考記事】

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

 

16. マルガリータ 1998年

作曲家になるステップで、私はさまざまなデモ作品を制作した。「マルガリータ」は構想の段階で早々に没を食らった。出資者からパロディだと思われたのだ。J-POPの文脈でタンゴやハバネラやマリアッチのムードを導入するのは遊びが過ぎると判断されたのだろう。おかげさまで今日、誰にも憚らずこの音源は使えるわけだけど。

私はいつも、いたって真剣だったよ。

 

17.  街に響くは 2001年

このほろ苦い歌詞が生まれたきっかけは、商店街を歩いていたら、そのころヒットしていた三木道三の「一生一緒にいてくれや」って歌が流れてきて、ぼくは不覚にも泣いたんだ。あーオレもう無理して人に気に入られるような歌を書く必要ないな、だってもうそんなの星の数ほどあるんだし、もうこれ以上世の中にラブソングは必要ないよな、と思った経験から。つまり、諦念の歌だ。

もうこれ以上必要ないくらい
もうこれ以上なくたっていい
いまさら誰かが上書きしなくても
もうじゅうぶんさ筋書きは読める
街に響くは恋のうた……

ああ、確かにコーラスが「Killing Me Softly With His Song」で「So Sad About Us」だ。が、それがどうしたい?

 

18. もっと もっと もっと 2001年

仕事帰りに秋葉原を歩いていた私は、駅に向かう人並みを眺めていて、この人たち一人ひとりに愛する人がいるんだろうか、もしかしたらいない人のほうが圧倒的に多いんじゃないかと想像した。すると、駅へと急ぐ無表情な顔した人びとが、急に愛おしく感じられた。

人が思うほど、計画して曲づくりしているわけではないんだよ。たとえばこの歌はファルセットと地声が交互に現れるけども、シナリオのセリフよろしくヴァースごとに役割分担しているわけではなく、もっと自然にこうなった。
一回めに録音したときは、このテイクよりも重心が低く、フリーみたいなアレンジだった。あまり伝わらないなとパートナーにいわれたんで、もっと風通しのよい簡素な演奏に変えて、その過程で、絞りだす声から裏声に変えた。
うん、カーティス・メイフィールドは意識したかもしれないね。あと、ギターのオブリガートは、われながら巧く弾けたと思う。使用楽器はギブソンSG(72or73年)です。

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19. 好きなように 2001年

これもJ-POPの誰かを彷彿とさせるが、曲全体に漂う諦念が、執着からの解放を感じさせる。ミドルエイトで(私はミドルエイトづくりが得意だ)一瞬ウェットになりかけるが、すぐに持ち直し、後はドライなままだ。クルマを走らせながら聞くとなおさらさらりと聞き流せるし、ヤングマンみたいな(本人はBB5の「プリーズ・レット・ミー・ワンダー」のつもりで書いている)さびもゴキゲンだ。

アコギのストロークとベースの定型フレーズが完璧にかみ合っている。易々と弾いているけれども、同じことを今やれといわれてもできない。ヴォーカルのレベルを目盛り0.5 下げればより聞きやすくなったかもしれない。が、ミキシングもやり直せない。時間を遡及することは不可能だし、過去は眺めることしかできないのだ。

彼は失恋した。今度こそ徹底的に。何に失恋したのか? それは音楽に。だが、夢見ることを諦めたがゆえに、不思議と明るい歌になった。そしてこのアンソロジー第2集も、ようやく大団円を迎える。

 

20. ふわふわ 2002年

私もついに40代を迎えようとしていた。溢れんばかりの着想の泉も、もはや涸れはてて。ちょうどそのころ郷里クマモトで、高校の同窓会がイヴェントを開催した。私は旧友たちと一夜限りのバンドを再結成し、青春のグラフティ的な新曲を披露した。結局それが私のラストライブとなったが、同世代の仲間たちを励ます歌が出来たので、報われた気持ちだった。アルバムの最後を締めくくるにふさわしいナンバーだと思う。

キャプテン・ビーフハートはご存じ? 彼の「ブルージーンズとムーンビームス」を聞いてみてごらん(サブスクには見あたらないけどね)。

 

 

Mediumにて英文でも全曲解説しております。

medium.com

もちろん翻訳機能を使っているのです。

 

また、ツイッター等で交流のあるwalnutさんが、穏やかな中にも鋭い洞察を示した感想を連続投稿しておられたので、これもMediumにまとめて収録した。

iwashi-dokuhaku.medium.com

また、walnutさんは音楽の造詣深い方で、JTばりにギターも達者だ。

そのように、ネットで知り合った人たちが、自分の拙い音楽を聞いていてくれることは、めちゃくちゃ励みになる。できれば、どんな形でもいいから、メッセージを送ってほしい。辛らつな批判でもかまわない。反応のないのが、いちばん堪える。

 

さて、

21st Century Protest Songs

21st Century Protest Songs

  • 岩下啓亮 Sardine
  • ロック
  •  

4月27日に、第三弾『21世紀のプロテストソング』をリリースする。配信開始まで、YouTubeの1分間試聴をぜひ聞いてみてほしい。2002年制作の、岩下啓亮Sardineのラストアルバムをーー


www.youtube.com

鰯 (Sardine) 2024/04/10

 

 

【あわせて聴きたい、岩下啓亮 Sardineのアルバム】

Catchy 22 Anthology

Catchy 22 Anthology

  • 岩下啓亮 Sardine
  • ロック
  • ¥1833

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

アーカイヴ音源を配信するにあたっての課題

✳︎この記事は方々に書き散らしたものの拾遺集です。

岩下啓亮 Sardine

1996年、28年前のイワシ。これもジャケット写真候補。

 

あちこちに散逸している音源を探した。

熊本地震で本棚やなんかが崩壊してしまった。その後遺症で、まとめていた資料もバラバラになった。整理すりゃよかったんだろうけど、時間がとれなくて。ずいぶん探した。あのマスターはどこにあるんだろって。なにも書いていないCD-Rをぜんぶかけてみて、片っ端からパソコンにとりこんだ。

それまで音源をデータ化していなかったのかって?

していたけど。配信ストアに載せるためには、WAVかFLACのファイルにする必要があるんだ。それでまずはFLACで取りこんだ。ところがTuneCoreがWAV形式のみでしか受けつけないんだ。それで一からやり直し。万事そんな調子だよ。

それで約150曲もの楽曲から22曲を選んだ。どれにしようか、迷いに迷ったな。

 

判断材料は、まず歌詞の内容

とにかく要らない音源を省くことから始めた。楽曲のクオリティが水準に達していないもの、音質が劣化しているもの、などなど。でも、最大の判断基準は、歌詞だ。

今の時代にそぐわない内容の歌詞は出さないことに決めた。若いころの自分は、未熟で傲慢で、他者への配慮に欠けていた。それが歌詞にも表れている。アップデートされた今の自分が聞きたくないような内容の歌を、どうして公に発表できるだろう?

 ……泣くなく外した曲もあったよ。曲の出来からすると収録すべき曲が。

「立ってるだけ」とか。

でも、あれはダメだ。かりに提出したとしても、登録後の審査ではじかれるだろう。

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

 

『Catchy 22』というタイトルをつけたら、コンセプトが固まった。

まずは「名刺代わりの一枚」にしようと思った。自分が「いい」と思っている曲ではなく、過去に他の人から「いいね」と言われたことがある曲を中心に選ぼう、と。Rate Your Musicによれば、ぼくの音楽は「Contemporary Pop」に分類されるそうだ。コンテンポラリー・ポップ。まるでオリヴィア・ロドリゴやホリー・ハンバーストーンみたいじゃないか。そのカテゴリーに沿えば、おのずとキャッチーな楽曲が揃うだろう。

そこで「キャッチー」というテーマが浮かんだ。

音楽配信のコツみたいなWEB記事によると、一枚のアルバムは22曲が限度だと記してある。だったら22曲入りのアルバムにしよう。キャチーな22曲、すなわち『Catchy 22』だ。

 

年代順に並べるつもりは毛頭なかった。

今回のアルバムはアトランダムな印象を受ける。よく言えばバラエティに富んだ、悪く言うなら、とっ散らかっている。

そんな指摘を複数から受けた。年代順に並べるべきではなかったか、とも。でも、ぼくは直観にしたがった。次はこれ、この次はこれ、と、自分のフィーリングで繋いでいったんだ。「おもちゃ箱をひっくり返したような」って形容があるだろう? そんなふうにしたかったんだ。年代順に並べたらまとまるだろうけど退屈だな、とも思った。ぼくは街角でふいに誰かと出くわしたときのように、自分の歌に驚きたいんだ。

ただ、一つだけしくじった。それは22曲は多すぎたということさ。Apple Musicでは基本的に20曲までしか表示されない。2曲ぶん損した感じ。みんなも気をつけよう。

 

音楽は基本的に人の時間を奪うもの。

いよいよリリースされるという時、ぶじ配信されるんだろうか、聞いてくれる方がいるんだろうか、と心配になった。むろん自分の制作した音楽がパソコンやスマフォから流れることが楽しみではあるんだよ。
でも、過去作を発表することに不安を感じていた。誰も聞かなかったらどうしよう、「なんだつまらないな、鰯さん音楽について日ごろ偉そにコメントしてるけど、歌も曲もたいしたことないや」と思われたらツラいだろうな、と余計な想像をめぐらした。
だけど、出さないままだときっと後悔する。そう思ったから、出した。

音楽を聴いてもらうということは、聴く人に時間を割いてもらうってことだ(それをいうならSNSの投稿も同じだね)。聴いてもらえるだけでありがたい。そこは謙虚でいたい。さわりだけを聴いて、つまらないと判断されたとしても、それはしかたない。実力不足か、好みに合わなかったかのいずれかだからさ。

ただ、出すからには、一人でも多くの人の耳に届いてほしい。ひょっとしたら私の拙い歌が、誰かの気持ちを少しだけ揺り動かすかもしれないし。私の作った歌どもを聞いて、クスッと笑ったり、おやおやと呆れたり、ふむふむと頷いたり、しんみりしてしまったりと、とにかく何かしら感じてくれたならサイコーだ。そう考えると、やはりドキドキするよ。

 

収益化について

まったく気にしない。何度もいうけど、配信で稼ぐ心算はないんだ。でも、再生回数はむちゃくちゃ気になる。誰も聞いてくれないのが視覚化されるのはツラい。

で、あまり言いたくないセリフだけど、YouTubeのアカウントをお持ちの方はチャンネル登録をお願いします。それからSpotifyだったら[フォローする]を、Apple Musicだったらアーティストの右上にある赤い星マークを、クリックしていただくとありがたいです。

iTune storeでデータを購入してくれたら、なおありがたい(笑)。それが次作を配信する資金になるから。岩下啓亮 Sardineの活動を支えたい方は、ダウンロードしてください

もちろんYouTubeでもいい、まずは聞いてほしい。聞いた上で良し悪しを判断してほしい。YouTubeは収益の報告が早いからね。2月14日〜29日で¥90ぽっちだけど、金額じゃないんだ。聞いてくれた事実が嬉しい。励みになる。

 

Spotify for artist 問題について

SpotifyにしてもApple Musicにしても、最初アーティストページに写真のないのがさびしいから、アーティスト申請をして、画像を提供しようと行動した。Apple Musicは早急に対応してくれた。が、

2/27 Spotifyの表示をまともなものにするためにSpotify for artistにログインしたが、正直いってチョー面倒くさい。 本人確認のためにInstagramのアカウントを教えろというので、インスタのアカウントを急遽作ったよ。私はMeta関係がぜんぜん好きではないのに。

あと、私は収益化を図るために配信しているわけではないのだが、相手はその意思のあるかなしかを絶えず確認してくる。それもシンドい。 なんだか仕事よりも働いている感じがする

私はただ、自分の音源をインターネットの片隅に置いておきたいだけなんだ。「より多くの人たちにあなたの音楽を届けるためにはhype(宣伝の俗語)が必要です」的なことが記されているけど、私はそういう流れに加担したくないんだ。情報の網の目が張り巡らされ、それに絡めとられているようで、息苦しくなるんだよ。

とにかく、相手の要求にあまり振り回されないようにしたい。SNSで愚痴ってごめん。自分が始めたことだからディレンマはなんとか自分で解消します。

3/4 この問題、数日経っても解決しない。こちらとしては、情報は残らず記入したというのに、まだこんなメールがSpotify teamから送られてくる。

Hey,

We got your Spotify for Artists request, but we need a little more info from you. This won't take long!

なんだよ、その「ヘイ」って! なれなれしい。
プロフィール画像を変更するだけのことで何故こんなに手間をとらせる? AppleMusicは、まったく無問題でプロフィール変更できたぞ。レーベル所属の有無がそんなに大事か、Spotify

3/9 その後Spotifyチームからメールは来ない。どうやら向こうの望む情報を伝えない限り、プロフィールページは作成されないってことらしい。ならば、それでもいいや。放っとこう。私的には淡々と予定通りにアルバムを一枚ずつアップしていくだけだ。

備考;

InstagramFacebookはやっぱり怖いよ。 音楽配信のためにやむなく開設したけど、紐づけが半端ない。さっきみたら「自分の子どもの飼い犬のアカウント」がおすすめされていた。どういう仕組みなんだろう。気味が悪いんで、基本なにもアクションしない。動画とか撮らないし、リールとか観ないもんね。 あらためて私は「文字の人」だと思った。

 

「関連するアーチスト」問題

サブスクリプションのアーチストページには、聞く人の参考のために、下に似たようなタイプのアーチストが表示される。どういう仕組みなのかはわからないが、アルゴリズムが反映しているのだろう。

これもSpotifyは不可解だった。

はっひいえんどとフェアポート・コンベンションが表示されたが、すぐ消えた。数日後ふたたび表示されて、ウェブ上(パソコン)では「ファンの間で人気」と表示されていた。数日後、KIRINJI、大貫妙子ジョニ・ミッチェルが加わり、さらに数日後、ジョニの代わりに井上陽水が表示された。私との共通性、見出せるかな?

Apple Musicで、私と「同じタイプのアーチスト」として挙がっているのは以下の方々。左から順に、

・Belle Gonzalez・武部行正・YOKOO ADAM

杉山賢人・RJFox・SUBTROPICAL DADDY

・エブリシング・プレイ・なかおちさと

既知のアーチストはエブリシング・プレイだけだった(お互いさまだ。向こうはみんな、ぼくのことを知らないだろう)。ざっと聞いてみても共通項がよく分からない。
しいていえば、フォーキー?
幸いにして嫌いな音楽はひとつもなかった(とくに「なかおちさと」って方は、凄いな)。

しかし、これも数日後にメンツが入れ替わった。

音羽信・銀河鉄道・アニュウリズム

・ひがしの ひとし・friendly hearts of Japan

・Genki band・麻生レミ・friendly spoon

と、和製フォークと懐メロが増えた。

どうもApple Musicは、岩下啓亮 Sardineをどこにカテゴライズするのか、迷っているように思える。

配信してみて、だんだん分かってきたことがある。人は「⚪︎⚪︎と似ている」とよくいいたがるが、結局どれも正鵠を射ていない。つまり岩下啓亮 Sardineは、誰にも似ていないのだ。

 

『鰯の告白』の歌詞表示問題

これもSpotifyは表示されるまでにずいぶん時間がかかった。Apple Musicはリリースと同時に表示されていたのに。TuneCoreに問い合わせると「たいへん混み合っている」との説明だった。Spotifyに不信感が募るばかりだ。

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歌詞は、いち早くLinkCoreに掲載されていた。

 

「政治性」について

私は今でも自分のことを薄情な人間だと認識している。皮肉やで冷笑的だとも。それを包み隠そうと言葉を捻りだしている、そんな自意識に疾しさを覚える。私はソーシャルネットワークサービスで政治的な事柄をたびたび言及するが、じつはそれほど確信あって述べているわけではない。間違うことも多々ある。

「政治的な」ってどういう意味だろうね? 分からないよ、62年間生きてきたけど何も分からない。22年前の方がまだ分かっていた。今よりずっと情が深かった。寛容だったし親切だった。善意を行動に移せるだけの膂力があったよ。今はない。すぐにへこたれる。口先だけ。

よほどつまらないんだろうなあと思う。惹句にはふり向くが、その先にはアプローチしない。開いても「そっ閉じ」。知ってるさ、それくらい。私だってそうだもの。みんな忙しい。誰もかれも人の言葉にじっくり耳を傾ける余裕がないんだ。しかし要は、好みに合わないのさ。あるいは、水準に達してないんだ。

政治的であるかどうか、政治性を帯びているかどうかを尺度に置いてしまうと、「好みの政治的声明をしているアーチストはオッケー=そうでない連中はゴミ」になりかねない。SNSの一部で政治性の有無で値踏みする傾向があるのをみるたび、ちょっと間口狭すぎなんでは、と感じることがある。まあ、人それぞれ、なんだけど。

 

「自称ミュージシャン」問題について

ミュージシャンが「◯◯反対!!」とかSNSで啓蒙活動をしたり、外で街宣をしたりする。でも、はたしてそれで人気が出たり音が良くなったりするんですかね?

と投稿した人について「聞いてみたらたいしたことない音楽家だ」とのクスクス笑いを方々にみてね、私、そこはちょっと彼に同情したな。

自分の過去音源を配信することのおっかなさはじつにそこなんだよね。私だって「イワシさんいつも偉そーなことツイートしてるけど肝心の音楽つまんねーもんな」と言われるのが怖いもんな。だから件のミュージシャン氏についても言及するの躊躇しちゃう。たぶん私、(そして彼も)臆病なんだと思う。自信がないんだよ。

でも、私程度の音楽性でも世界中に配信できるんだから結構な時代だと思うよ。大量のデモにうんざりしている担当者から辛い批評を言われずにも済むしさ。みんなも押入れに眠っている自分の過去音源をアーカイヴして発表すればいいよ。私ができるんだもの、誰にだってできるさ! 

話を戻すと。

彼の考え方には多分に問題あるけど、年齢やら自撮りやらまでを揶揄う必要はないんじゃないか、と彼と同じ「自称ミュージシャン」の私は思っちゃいますね。

いや、実際の私はロートルの事務員なんだけど、グーグル検索すると、岩下啓亮 Sardineは「音楽家」と表示されているんだ。自称ではなく。ネット社会では、いとも簡単に「なろう」になれちゃう。

 

「自作の解説ほど退屈なものはない」問題

Xの鰯さんは政治や社会問題がもっぱらで、ポストすればそれなりに反響あるけど、音楽の話題となるとさっぱり無反応だ。ましてや配信しだしたら、そのことばかり宣伝しているように見えると思う。だから控えめに書いていた。そもそも自分の作品を解説することが、言い訳みたいで、潔くない気がしていた。

楽家と音楽評論との関係性が、最近よく話題に上っている。私はずっとツイッターで音楽の良し悪しを無責任に書いてきたけど、自分が発表する側に回ったら、他人の作品を批評する気持ちがすっかり失せた。それは保身かもしれない。自分の作品が痛烈に批判されることを用心しているからかもしれない。

批評は活発に行われるべきだし、作品に虚飾や不備不足や剽窃があれば容赦なく指摘するべきだと思う。ただ、その批評眼がナマクラで的外れな場合には、批評そのものが批判の対象になるだろう。アーチストが牙を剥くこともあるのだ。なぜならインターネット社会の建前は双方向性なのだから。

有名無名の垣根を飛び越えられるのがSNSの最もおもしろいところだと思っていたのだが、どうやら人間は、しばらく経てば自然とヒエラルキーを構築していく性質があるようだ。今のXは有名アカウントの意見を尊び、無名のそれをしりぞける風潮が形成されている。
あれっ? 私はいったい何を話そうとしてたんだっけ。

そうだ、「自作の解説ほど退屈なものはない」が長年培った価値観の一つだった、ということを書いていたんだった。
私は「音楽はそれ自体がすべてを語る」として、たとえ「自称」アーチストであろうと、いったん発表した自分の作品を過剰に説明するのはよくないことだと思いこんでいたんだ。

けれども事ここにいたって、よほどの一流以外は「自己宣伝を怠ることなかれ」がデフォルトとなっている。臆面もなく自分語りできることが今や必須となっている。誠実に、よい作品をコツコツと作るだけは、今や美徳ではなく怠慢とみなされる。自分を売りこむことができない者は、本気じゃないと判断される。自己宣伝に長けたヤツが勝利をつかむ。

そういう時代に生きている以上、私もためらっていられない。呆れられ、「そっ閉じ」されてもかまうもんか、誰かがふり向いてくれるまで、たとえ居た堪れなかろうと声をあげ続けるぞ。と、まあ、そんな気持ちをむりやり奮い立てつつ、ぼくは五月雨式に、自分(の音楽)語りに勤しむのでした。
だって私、むかしみたく歌も演奏もできないもん。ライブ活動だなんて、そんなムリムリ。おつきあいしている音楽家もほぼ皆無だし。「人と人とのつながりこそがミュージシャンである証だ」とか高らかに謳われたら、胸中穏やかでいられなくなるし。私は一人ぼっちで音楽を作り続けていたんだ。「オール・バイ・マイセルフ」だよ。

それがひとり多重録音をはじめた動機なんだ。作詞、作曲、編曲、歌唱、演奏、録音の以外にもう一つ、今後は「プロモーション」をクレジットしなくちゃな。

 

そして「アップデート」について

期せずして、今朝がた投稿した記事が「アップデート問題」を扱っていることに投稿したあとで気づいた。しかし、前世紀に書いた歌詞に横溢する「旧さ」をアップデートする手段は、具体的にない。選択肢は以下の2つ。
①時代にそぐわず、問題ありな内容を更新した新録音を出す。
②リリース自体を諦める。

①は物理的に不可能だ。もはやかつてのように歌えないし、録音機材も持っていないから。「おんぼろクルマ」の致命的なミスは、そこだけピー音で隠したいくらいなんだが。
②については記事冒頭にも書いたが、実際に「この歌詞は今だと物議をかもす可能性がある」と判断して、お蔵入りにした曲がいくつかある。

アップデートに抵抗している? しているのかもな。「Cut 'N' Paste」って、そういう曲だよね。

いや、もちろん個人としてはアップデートしてますよ。だから過去の歌詞の欠点も認識できるわけだし。人間として、年々まともになっているはず。少なくとも「アップデートが足りない」などと謗られるいわれはないね。

まぁ岩下啓亮の自作への拘泥など、SNSの住民にはどうでもいいことだ。この記事も読まれまい。分かっているんだよ。長々と失礼しました。アデュー。

鰯 (Sardine) 2024/03/31