鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

プリズムはカラフルなアルバム

えーと今から福岡史朗の昨年秋に出た今のところ最新アルバムを聴くんですけど『プリズム』。プリズムって名付けた理由わかるよね、サウンドがカラフルなんだ。さっそくタイトル曲「プリズム」のギターの音色が聞こえてきた。このアコースティックギターとピアノの共存っていうのは、簡単なようであんがい難しいもので。これも奇跡的な出会いというか、充実した音空間を作っていると思う。ほんとにいいわこの曲、十年後も絶対残っているはず。続く「加速度」。すごく寂しいが、その寂寥感っていうのは悪い意味じゃなくて。「喜びと同じ長さの影をひいて」って歌詞が示すように、これは今、嬉しいとか悲しいとか腹が立ってるとか、そうじゃない感情の揺れている、ちょうどあわいの部分をうまく表してるんじゃないかなと思いますね。にしてもすごいなぁ。余計な音が一切ないライオンメリィのピアノ。なかなか弾けないよこれは脱帽です。続いての「ざくろ」は春風が吹いてる感じだよね。スリムチャンス的なアンサンブルが、またもや視覚に訴えてくるんだけど、色彩が乱舞しているイメージがするなあ。最初の和音を聞いたらこんなメロディつくんだろうなぁってだいたい予測がつくけども、福岡氏はちょっとはずしてくるのねボール一個分くらい。とにかく全然無駄なところがないっていうのが今回の特徴です。次の「ケトル」。モノシンセサイザーテルミンみたいな不思議な音色がするけど、これはノコギリを弓で弾くミュージックソーってれっきとした楽器です(森田文哉:ノコギリってクレジットされている)。これもまた変調感にあふれたメロディーで、なおかつアグレッシヴなアレンジで、間違ってるでしょって一瞬思うんだけど、歌う側演奏する側がこれが正解なんだよって言ったら正解になるんです。な感じのメロディーだけど、どうしてこんな妙な(褒め言葉だよ念のため)旋律を思いつくんだろうね。ケトルが泣いてるまんじりとした時間に、湯気みたいにたちのぼってくるのかな。5曲め「友達」はご機嫌なナンバーです。友達だから〜をくり返すフックのメロディーはすぐに口ずさめる。これもまた福岡史朗の代表作になるだろうね。ライブハウスでこれが始まったらみんなニコニコするんじゃないかな。これぞラグタイムの真骨頂って快哉を上げたくなるライオンメリィのピアノに続いて、松平賢一と青山陽一が昨今話題の「ギターソロ」を展開する。松平賢一のギターの音色はリッチで艶やかまろやかで、青山陽一のフレーズはナックルみたいに不規則な軌道を描く。すばらしい。ぼくもいつかはこの友達の輪に加われるんだろうか。ちょっとその機会は失われてしまったような気がする。次を行こう「たがね」。小形ののみのような工具「鏨」のことかな。これも乾いた風音のようなマンドリンが印象的で、「ブラシを回すーー音」のところでガラッと風景が変わる。このフェーズが変わった・ページをめくるような場面転換がごく自然なんだ。あれ?いつの間にか戻っている。掴みどころがなさ過ぎだけども曖昧なところは特にない。シンプルで複雑な、書こうと意気ごんでも書けないもんですよこういう曲は。次は「ふたり」。Uターン禁止。サビがいいんですよ。「シーズン開始を告げるまで」のくだりが動かないようでいて実はかなり動いている時の移ろいを上手く表している。福田恭子のツクパトトンとすぐ傍で鳴ってるコンガのリズム、福岡の奥まった場所で叩くスネアの遠近感もいい。高橋健太郎のマスタリングが効いているよな。さて、お次は「ペテン師が歌う『この美しい日々』。数ある歌は同じものでバージョン違いさ」。何というニヒルな歌詞だろう。辛辣さはジョン・レノンに匹敵する。「パレードは続くとても長い列リズムに合わせ進むからさぁ聞かせておくれ。君の魔法と言葉をふりかけておくれ一緒に歌うから踊りだすかもよ」。ね、すんげえ皮肉な歌だよ、それでいて陽気なんだから。私は本邦社会への風刺を強く感じるけどそういう歌詞の読み解きは良くないのかな? さあ代表曲が3つになった。パールの海、違った「タールの海」。これはねーアコースティックギターで洒落たロックができるかどうかってチャレンジ。それを見事やってのけた感じ。て言うかこのアルバム、じつはエレキギターが一回も出てこないアコースティックアルバムなんです。次は、何かを受け取り放つその「瞬間のメロディー」。余計な装飾は一つもない簡素なアレンジ。多分こういうの誰もが思いつくんだけど実際に録音物としてここでオッケーにはできないというか、どうしてもいろいろ付け加えたくなっちゃうもんです。でも我慢してる感じじゃなくて、いや今くらいで丁度いいよっていう、抑制が効いてるってのとは違うんだよな、このこざっぱりな塩梅っていうのは誰にも真似ができない領域だと思います。で次の、「コロナド」ってどういう意味だ? 米サンディエゴのリゾート都市のことではなさそうだが。まぁ二年間におよぶコロナ禍の状況下で作られたっていうのは反映してるんだろうけど、半拍入れて強引にひっくり返して、「飢えた心が求めるのは」のセヴンスで展開するあたり、ほんとカッコいいとしか申せません。最後の「だって」のところもノリがすごいよねノリが。どんどん風景が変わっていくめくるめくな感じが。いいぞ、いいぞ転がるピアノ。とか言ってるうちにおゝもうラストナンバー「トリクモサルサ」か。自由、自由、自由とアジテーション。遊べ、遊べ、遊べのリフレイン。映画ブルース・ブラザースレイ・チャールズがモンキーとかバードとか唸ると、いつの間にか通りを満たした近隣の住民が動物の真似して踊るでしょ? あの圧巻がよみがえる感じで、これライブでラストに延々演るといいよね。きっとすげえ盛り上がるだろうな。早くライブが出来るようになるとよいね。人は人と会わないとだめだ、やっぱ友達だから。

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今回は万策つきて、CDかけながらスマフォに向かって喋った言葉を文字起こししました。そうでもしないと福岡史朗ソング最大の特徴である「はやさ」を表せないと思ったからです。いや、もう降参だよ。何十回聞いてもその魅力を文章で説明できない。

とにかく『プリズム』は現時点での最高傑作。これは聞いた人にしか分からないこと。が、この駄文を読んで、ほんのちょっとでも気になったら、ぜひともディスクを入手してほしい。内容は保証する。君は生涯つきあえる歌に出会える。

彼の音楽の風通しのよさは、自前のスタジオで録っていることが理由の一つだと思う。巷にあふれるポピュラー音楽のようにシステム化されていない。ビジネスの論理、スポンサーの思惑やタイトなスケジュールに縛られることなく、制作者自身の判断が行き届いているから、出来映えに多少のでこぼこはあっても、音楽に自由な空間が担保されている。聞いていて息苦しさを覚えないのは、世知辛い時代において、とても贅沢なことだ(ただし冒頭の「プリズム」は、素朴な手づくり感に留まらない、コマーシャルベースに乗っかっても通用する滑らかな雰囲気がある。近い将来、ニック・ドレイクの「ピンク・ムーン」みたいなスタンダードになるだろう)。

そしておそらく福岡史朗は、今夜もギンジンスタジオにこもって、新しい歌をこしらえている。鰯 (Sardine) 2022/05/08

 

 

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