2016年4月は、14日と16日たて続けに起った熊本地震によって、私にとっても、また九州に住む人びとにとっても、忘れられない月日となった。私は、地震が起こる前に、頻繁に投稿している。地震編は次のエントリーにまとめるが、それ以外をご覧ください。
あまりにも酷い日本語
朝メールをチェックしていたら、ヘンな⇧文章に出くわした。
こんなメールに釣られるわけがないが、あまりにも可笑しかったのでプリントアウトした。
おそらく日本語の読み書きを碌にできない者が翻訳ソフトを使って作成した文章だろう。
最も、日本語圏にいる邦人にもコレと同じくらい滅茶苦茶な日本語を書く御仁がいるからなぁ。一概に外国人の仕業だとは断定できないが。
それに、私の書く英文も、これくらい頓珍漢かもしれない。となると、笑ってばかりもいられなかった。
なぜかしら、これはTwitterよりもMedium向きだと思ったのだよね。
エイプリルフールだからか?(4月1日)
註:この時は、後にMediumで英文の記事を書くことになろうとは想像もしなかった。
妥協
だきょう。 対立している双方(または一方)が折れ合って一致点を見出し、事をまとめること。おりあい。「__の余地はない」「__案」(広辞苑による)
妥協する。結構な事ではないか。妥協の何が良くないのだろうか。
過去記事『適当』でも述べたから多くを述べるつもりはないが、妥協が否定語としての用法でしか使われない現状を私は憂うものである。このままだと日本語の枠がますます狭まってしまう。弾力性に欠けた、極めて硬直した言語になってしまう。
何事にも曖昧な領域がある。境界線を引くばかりが正しい行いとは言えまい。双方の主張や利害が複雑に縺れ、絡み合いながらも、妥結できる点を模索することは、社会を成立させるにおいての必定ではないのか。それを「容認できない、妥協の余地なし」として一切突っ撥ねる態度は、大人の対応とは到底呼べない。そういう稚気は若い時分に片をつけとくべきだ。
__君、妥協せよ。世は君の思うが侭にはならない。寧ろ思い通りに運ばぬのが世の慣いである。損得ばかりに拘泥せず、双方の共通点を速やかに探り当て、当初の目的に沿った路線に軌道を修正し給え。其れこそが明日に繋がる道となると心得よ。※
妥協は否定される行為ではない。ましてや罪でもない。大人の知恵である。あゝ我が儘な私が懇々と説明せねばならぬほど、非妥協を貫く頑固者の如何に多いことよ。
「相手のあの部分が嫌だ。そこの意見がどうしても一致しない。だから一緒に行動できない」……そんな事を膨れっ面で言っているようでは何時まで経っても勝利には近づけまい。一時的な留保すらできないようならば、敗北した状態が永遠に続くだろう。最初から話し合いを回避していては、纏まる話もまとまらない。徹底的に討論を重ね、互いの「妥協点」を探るべきである。
私は積極的に妥協を呼びかけたいと思う。妥協とは諦めを意味するのではない。目的を遂行し達成するために、協力関係を結んだ相手への苦手意識や忌避感という障害を乗り越えていくことでもある。(4月4日)
註※:__君にも想定するモデルが居たと思うのだが、もはや思いだせないや。
象徴
symbole(フランス)の訳語。中江兆民の訳書「維氏美学」(1883年刊)に初出。語源であるギリシア語シュンボロンは割符の意。①ある別のものを指示する目印・記号。②本来かかわりのない二つのもの(具体的なものと抽象的なもの)を何らかの類似性をもとに関連づける作用。例えば、白色が純潔を、黒色が悲しみを表すなど。シンボル。(広辞苑による)
いささか旧聞に属するが、東京で開催される予定のオリンピックで開会式・閉会式の会場となる新国立競技場に聖火台を設置する場所が定められていないという間の抜けた問題は発覚してから一ヶ月余が過ぎたのに未だ解決していない模様である。
【新国立の聖火台どこに 見えやすさ一長一短】2020年東京五輪・パラリンピックのメーン会場、新国立競技場内の設置場所をめぐって議論が始まった聖火台。世界の注目が最も集まる点火は場内で行う方向だが、開催期間中の設置場所は決まっていない。どこに、誰の負担で設置するのか。議論の行方次第では新たな火種となりかねない。政府は過去の開会式の例などを踏まえ、点火は場内で検討。/近年で唯一、14年のソチ冬季大会は屋外で点火したが、観客席からは見えず「生で・・・日本経済新聞2016/4/2
オリンピックの歴史を紐解けば、古代オリンピアの儀式を模して聖火を燈すようになったのは1928年に開催されたアムステルダム大会からだと記されている。聖火台を設けたのも、スタジアムを設計した建築家のアイディアだったとか。1936年のナチス政権下におけるベルリン大会で、聖火ランナーのリレーが執り行われたとなれば、聖火そのものの歴史はそれほど古くなく、2008年の北京大会以降は開催国以外での聖火リレーも行われなくなったのだから、聖火台を設置することがオリンピック開催の絶対的な条件ではない(と思われる、オリンピックの規約を読んだわけではないから想像である)。
だったら「今回の東京では聖火台を設置しません」という選択だって(モハメド)アリなのではないか。設置する場所を想定していませんでしたと説明したってよい。どのような反応が諸外国から返ってくるかはわからないが、東京がそう判断したのならいいんじゃないので済む話ではなかろうか。
そもそも私は東京でオリンピックを開催することに何ら意義を認めない者である。今からでも中止すればいいとさえ思っている。商業主義と国威発揚に塗れた昨今のオリンピックには殆ど興味がない。各競技に国際大会があれば十分ではないか。オリンピックにかかる莫大な費用を考えてみても、今後もオリンピックを存続させるのであれば、思い切ったスリム化、特にセレモニーの簡素化が必須になるだろう。
さて、係る問題から逸れてしまったが、私は、聖火台を設置する場所を確保していなかったという報を受け、如何にも今日の日本を象徴するような出来事だなあと嘆息をついた。大会関係者全員が聖火台の設置を忘却していたとは俄かに考え難い。かのザハ案が白紙となり、新案による設計が採択されてから直ぐに気づいた者がいた筈である。けれども誰も異を唱えられなかった。これは組織の致命的な欠陥であるが、もしも、もしも誰も気づいてなかったとしたら、さらに事態は深刻である。
忘却は「聖火台」なんて大した問題ではないという、暗黙の了解に基づく、消極的な意思の表れとも取れるではないか。
開催組織委員会諸氏の頭の中からオリンピック精神が、五輪の旗が示す理念とは何かが、スッポリと抜け落ちていたとしか考えられない。
さらに言えば日本人の「象徴」についての希薄な意識をも、この失態は露わにした。聖火を炬すという行い自体を軽く捉えていたことの証左である。火が何を意味するのか、灯し続ける理由とは何か、それを心の深い部分で捉えきれていないから、かような事態を巻き起こす。組織委の彼らに、象徴の概念はないのだ。過去の東京五輪音頭がいみじくも示したように、それは「お祭り」なのだ。お祭り騒ぎで踊ることが目的であり、オリンピック憲章に基づく理念の達成ではないということが、今回の一連のゴタゴタ(エンブレム問題を含む)は、図らずも証明してしまった。
国際オリンピック委員会(IOC)によって採択されたオリンピズムの根本原則などを成文化したオリンピック憲章は、オリンピックムーブメントの基準やオリンピック競技大会の開催条件を定めています。 日本オリンピック委員会(JOC)公式サイトwww.joc.or.jp
つまり、聖火台を、崇高な理念の象徴として捉えきれない限り、火を燈す儀式は、空疎な見世物と化す(尤もこれは日本に留まらない近年の大会を覆う問題ではあるけれども)。かつてロラン・バルトが『表徴の帝国、記号の国』で指摘した、「東京の中心に皇居という、空虚な、何もない森だけの空間が広がっている」日本だからこその、「意味を問わな」さ加減を如実に示した典型例として、聖火台忘却のニュースは、私の関心事となった。
オリンピックが近代西洋の精神を標榜したものである以上、オリンピック開催国は、聖火に込められた象徴の意味を常に問い続けねばならない。私は、それを今の日本に求めるのは少々酷ではないかと感じる。ゆえに今からでも遅くない、オリンピック開催を返上したほうがいいのではないかと思うのである。(4月5日)
註:上掲はてな過去記事と、それに続く2つの記事を併せて読まれたし。
政治
私が思うに政治というのは2種類あると思います。1つは、いわゆる政治です。権力闘争のあるような国際レベルの政治のことです。そしてもう1つの政治というのは、私が取り上げているようなことで、愛する人と仲良くできるかというような、身近な人間関係に関する個人レベルの政治です。/(国家間が)戦争しているときに大切なのは、そのような個人レベルにおける政治を忘れないことです。そこに音楽が関わってくるのではないでしょうか。/9.11についての曲を作るのが、事件への正しい対処法ではありません。他のことについての曲を作るべきです。幸い、この世界にはブッシュやビンラディン以外のことがたくさんあるのですから。(ビョーク:2002年)
『TBSニュース23』出演時、「9.11以降、音楽に何ができると思いますか?」という進藤晶子氏の質問に答えたものである。それまで俯き加減で、インタビューにあまり乗り気でなかった様子のビョークが、急に生き生きと語りだしたのが印象的だった。
この引用に付け加えるべき事柄は殆どない。時代背景は違えど、私が常日頃から思っていることと、ほぼ一緒であるから。
私は1つめの政治よりも、もう1つの政治についてを語りたいのだ。(4月11日)
註:この記事は確か「音楽に、ロックに政治を持ちこむな」というナンセンスな議論が再沸したころに書いた。
着想
着想を掴むには、移動中がよい。私の場合、クルマを運転中にアイディアの閃くことが多い。慌てて路肩に寄せ、メモを取ることも珍しくない。
電車の中やバスの中も考え事には向いている。多少の混雑はさほど気にならない。車窓に映る景色からヒントを得ることもある。が、あまり快適すぎると、あべこべに眠ってしまうけれども。
船旅は最高だろうが、経験したことがない。飛行機の移動は、考え事に向いていない。密閉された客席では、どうしても思考が圧迫されがちだ。身体のどこかを動かしていないと、着想を掴めない。落ち着きのない子どものようだが。
以前に読んだインタビューで、ポール・サイモンは、壁に向かって野球のボールを放っているようなときに、インスピレーションを得られやすいと語っていた。頷ける意見であり、見習いたいと思う。
単純で無意識な動作こそが、思考を促進するのだ。机の前に座ってじっくり考えると、私の場合、煮詰まってしまう。もちろん資料に当たったり編集や推敲したりといった具体的な作業をするには落ち着いた環境であることが必須ではあるけれども、思惟を進めるには屋内に限らない、寧ろ外の空気に触れている時に、錐の深くに達するような気がする。
私は歩きながら考えるのが一番よいように思う。ただひたすら歩きながら考え続けているうちに、思考もひとりでに歩きだしてゆく。角を曲がる毎に新しい風景が眼前に展開するように、思考も一か所に留まらないことで違った場所に着地する。部屋の中でジッとしている時よりも、思考は確実に促され、これでいいと暫定的に保存していたガラクタを捨て去る決心もつく。歩きながらの考え事は、百利あって一害なしだと私は思う。
流動的に様相を変化させる着想。そいつをヒョイと捕まえるには要領が必要だ。スポーツや瞑想や日曜大工や料理など、それぞれが独自の秘訣を持っているかもしれないが、私の場合は目的もなく散策することに尽きる。
第一リーズナブルでしょう?歩くのにお金はかからない。(4月14日)
註:この記事は最初の地震が起こる数時間前に書かれた。