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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

Article

 

文章は誰にでも書ける。巧い拙いはない。ただその文章が何を喚起し何を触発するかが大切なのだ。たくさんの文章に私たちは接する。誠実なものから謙虚なものまで。大げさなものから思わせぶりなものまで。表情が一人ひとり違うように文章の表情もまたさまざまで、同じものはない。不思議なものだ。同じ言語を使っていても、言の葉の選び方や並べ方だけで、こんなにも違ってしまうとは。

パッと目に飛びこむ文章がある。強烈な印象をあたえる文章が。それは、どれだけ巧みに文字を配置しようが、どれだけ企みを文脈に込めようが、邪な狙いがあるかぎり、達成できない種類のものだ。その文章を書いた人の個性が、そのまま表れた文章。人は素のままに惹きつけられる。そして、そういう文章を「文字が立っている」という。

私にはとうてい及ばない境地。真似できない領域である。それを分からぬ者、気づいてない者が多すぎる。自分よりも下だと見くびっている。笑止。文章を読んでその人物の<力量を推し量ることはできないものか>? (< >内は引用。名文句だね)

緊張と緩和。抑制と爆発。そういった表現に私は惹かれる。おのれが持ち合わせぬがゆえに。憧憬と嫉妬を同時に覚えるほどに。

比して、申しわけないが、あなたがたの文章には喚起させられることがない。自分からは惹起しない、判で押したような否定の言辞には。揶揄と冷笑が脂のように滲みでた醜い文章には。おもしろいものだ、あなたがたの口吻には同じ思考回路が窺える。しかも、その表情は一様に乏しい。まるで千と千尋の「カオナシ」のようだ。文章に顔がない。恐ろしいことだ。

焦がれるがいい、渇望するがいい。その鮮烈さは、すばやさは、よどみのなさは、あなたがたが、そして私が決して持ち得ないものだ。生きることばの速さが違うのだもの、文章ひとつとっても、とうてい太刀打ちできんよ、分を弁えるんだな兄弟。

 f:id:kp4323w3255b5t267:20150214124846j:plain 水面下の動き、見えてないでしょ?

 

 

 

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