鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

雨にけぶる町

 

東区に入ると街の風景が徐々に変わってくる。ブルーシートを被せた家屋や虎ロープを張りめぐらしたビルが目に見えて増えてゆく。昨日から降り続く雨は強かにフロントグラスを叩きつける。電停の終点から先に進むことを少しばかり躊躇う。大した用事ではない。個から個へ、無事を確認し少しばかりの物資を届けるだけだから。ただそれだけの理由で激甚被害地区へ見舞うのは果たして正しいことか?逡巡していても仕方がないからそのままアクセルを踏む。が、ちょっと気になって左にハンドルを切る。わが出身高校のピロティ式校舎は一見健在のように見える。しかし校門が倒壊していた。御船の出身大学(当時は短大)の惨状を思いだす。写真をアップした主は後にその投稿を削除していた。雨脚はますます激しさの度合を増す。再び県道に戻って沼山津を過ぎればもうそこは益城町。玄関に赤札を貼られた家屋が次々に目に飛びこむ。赤札には「危険」と印刷されている。「要注意」と書かれた黄色い札も多い。どの建物にもひびが割れ、壁が崩れている。益城町から通う同僚が言っていた、「同じ熊本でも凄く温度差を感じるんです」と。今その言葉の意味をようやく噛みしめる。益城町の被害は自分の住む地域とは比べものにならぬほど凄まじい。傾き、ひしゃげ、倒壊した家屋が目に見えて増えてくる。多くは古い家屋だが新しいものも少なくない。被害の多くは古い家屋だと震災の当初テレビが報じていたが、それは間違いだということが現実に見てとれる。震災は運命のひと捻りであり人智の及ばぬ領域での圧倒的な力の行使である。気まぐれに選ばれた倒壊家屋に震災のもたらした暴力の痕跡を認めたぼくは、がたがた震え吐き気すら催した。雨の叩きつける路面には水が溜まりうっかりしているとハンドルを取られかねないほど波打っている。渋滞したクルマの群れは20キロ程度でのろのろと進む。制服を着た男子生徒の一群が側道を雨に濡れるのも厭わず笑いながら走ってゆく。そうだ今日から県下すべての公立校は授業を再開したのだった。少年たちの屈託のない笑みに束の間だが救われた気持ちになり、しかし彼らの中にも家に帰れない子がいるのだと想像するとまたしてもやりきれなくなる。ふと『転がる石のように』と古い歌が脳裏を過る。「どんな気がする?どんな気がする?帰る家がないってことは?」残酷な歌だ。この町には一瞬にして家屋を奪われた住民が大勢いる。その現実を目の当たりにして慄然となったからか?さあ、ぼくは何をすべきか。木山にさしかかる前の、これも斜めに傾いた神社の角を左に折れ、目的地に近づきながら考える。自分自身すらまともに保てないやつが他の誰かを救えるものか。自嘲しつつも、いや、だけどなにかしら出来ること手を貸せることがあるはずだと思い悩み、その方法を探しあぐねる莫迦なぼくがいる。たどり着いた目的地は奇妙なほど明るい待合室。「倒壊は免れたけれどもイエローカード貼られましてね。入口が塞がったんです。だけど開業しました。だって来る人を拒むわけにはいかないもの。それに働いていた方がなにかと気が紛れるからね」。なんの足しにもなりやしない形ばかりの見舞いに疚しさを抱きつつも簡単な挨拶を済ませると裏口から辞した。白塗りの外壁には幾条ものひびが入り門柱に設えられた鉄扉は閂が捻じ曲がっている。その凶々しい地震の圧倒的な暴力の爪痕を認めながら激甚被害地区に住まう人々はそれでも今日を生きる他ない。家を追い出され寝る場所を奪われようと避難所で車中で心細さに震えながら激しい雨の降るさまを見つめるしかない。余震は収まらない。今日も揺れ続けている。大らかな性格であるはずの県民が日増しに神経質になってゆく。みな睡眠不足でみなくたびれている。気の休まる間のないまま被災地に住まう民は、それでもどっこい生きている。恐怖に怯え不安に耐え明日の糧を得るためには働くしか道はなく、いつまでも萎れているわけにはいかないと自らに言い聞かせつつ。

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あゝだけど、県立劇場前のハローワークにはおびただしい数のクルマが並び職を求める傘の列が長く続いていた。いずれぼくも近いうちに長蛇の列に加わることだろう。その日は決して遠くない。

さて、ぼくに何ができる?

雨にけぶる町から離れても自らにかけた問いは未だ保留したままだ。(5月10日)