鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

ぼくにとってのシンプル・ゲーム

 

 前回に引き続き、今回もMediumの記事を土台にブログ記事を構成する。手抜きだと思われるかもしれないが、どうかおつきあいのほどをよろしくお願いします。

 ゲームは殆どしたことがない私。

 という記事を未明に書いた。これは「ゲームは有益か無益か」がMediumの中で論点となっていて、ささやかながらぼくもそれに一石を投じてみたくなったから投稿したのだ。以下、本文に逐次解説を加える。

ゲームは殆どしたことがない私。

①なぜだろう子どもの頃から、ルールを覚えることが苦手でした。近所の子ども同士でトランプをしようという話になると「あー面倒くさいな」と内心思うような子でした。将棋、麻雀の類いもまったくダメ。私に囲碁を教えこんだ亡き父は、将棋くらい指せないと大人のつきあいができんぞ、と本気で心配しておりましたね。

 別にそんなことはなかったけど。

②10代の終わりにインベーダーゲームが流行しました。私は友人たちが興じているさまを見ながら退屈していました。何回か自分もやってみたけど、なんでみんなが夢中になるのかさっぱり分からない。一面もクリアーできませんでした(一面もクリアーできないと言えば、ルービックキューブもそうです。誰かから貰ったけれど、厄介そうなんで殆ど触らなかった)。

③そんな調子でしたから、ゲームセンターに足を運んだこともありませんでした。パチンコも学生時代のつきあいでしばらく通いましたが、やはりつまらないと感じてしまうのですね。何回か幸運を授かったものの、夢中にはならなかった。私は何か欠落しているのかなと不安になるほどでした。その疎外感が決定的になったのは、そう、ファミコンの登場からです。

いいからやってみなよ、面白いからさと友人たちから勧められて、スーパーマリオに挑戦したものの、やはり一面もクリアーできない。好きな方には誠に申し訳ないけど、莫迦ばかしく思ってしまうんです。

 ボタンを何回も押すことが。

⑤後々話題になったロールプレイングゲームの数々も、私はどんな内容だか知りません。小説を読むのは好きだからファンタジー系のゲームなら大丈夫かなと思ったのですが、やはりダメでした。強いられる感覚がどうも。場面をクリアーしなければ先に進むことができない、端折れないことで挫折してしまう。早々に諦めてしまうのですね。

 なので私は、名作と呼ばれるゲームの共通体験を持ちません。話題にしたくともできない。かといって非社交的ではありません。ゲームの話題に触れなくとも、幸い人間関係に差しさわりはないから。

⑥私はYouTubeを観るのが好きです。だけど好きな音楽の前に戦争シーンが写し出されるのは興ざめです。すぐさまスキップしますが、威圧するような音響が耳に残って不快です。バトルゲームやシューティングゲームはこの世から……以下省略。

⑦私はシネコンのドルビーサラウンドや、コンピュータグラフィックスで制作された3D的な映像も苦手ですが、これもゲームぎらいと関連があるのかもしれません。威圧感・切迫感がダメなんです。

⑧そう、急かされる感じがたまらないのです。明日までに宿題を済ませなければ、の切羽詰まった感じと、何分以内に何体をやっつけなければ次に進めないゲームは似ていると思うのです。っていうか、私にとっては等しく労苦です。現実にクリアーしなければならない事項が山ほどあるのに、なんでわざわざ、それと同じようなストレスを味あわなきゃならないの?と思ってしまうのです。

 要するに、私にとってゲームとは「忍耐」なんだ。

⑨ああそういえば、唯一やり遂げたゲームがあった。「ポケモン・クリスタル」。流行したときに、子どもからどうしても買ってとせがまれ、やむなくゲームボーイとソフトをガイドブックを購入したんだった。使い方を教えているうちに子ども以上にはまっていた(笑)。たぶん私がゲームを受け入れるためには理由とプロセスが必要なのかもしれません。だからか私は今夏の「ポケモンGO」の流行を、わりと好意的に眺めていられた。

⑩ご心配なく。私は多趣味な人間で、退屈とは無縁です。音楽、読書、絵画、写真。Mediumだってそのひとつ。ゲームに興じている余裕はないんだ。

♪人生はゲーム〜

f:id:kp4323w3255b5t267:20161025085036j:image

玄関先に現れたヘッセ(他所猫・上)と睨みあうチャイ(飼い猫・下)の図。(10月25日)

 では、振った番号にしたがって逐次解説を。

①遊びの前提としてルールの確認は必須条件である。それはインナーでもアウターでも変わらない。ゲームもスポーツでも、いや、ありとあらゆる相互間の競い合いには公平を期するためのルールが存在する。ぼくの意見としてつけ加えるならば、ルールはシンプルに越したことはない。誰にでも理解できる、そう、憲法のように。

②当時ぼくが喫茶店に入り浸った理由は、みんなとお喋りがしたかったからなんだ。でも、そこにインベーダーゲームがあると、誰もが画面上のたたかいに夢中で、ぼくが話しかけてもおざなりな返事しかよこさない。ずいぶん寂しい思いがしたね。

③ゲームセンターに行って楽しいと思ったことがない。さらにいうなら遊園地でも楽しめない。索漠とした思いだけがつのる。ぼくは本当に情緒的欠陥があるのではないかと疑ったことがある。パチンコ店にいたっては、入った途端に騒音に耳鳴りがし、電飾にめまいがする。

④ちなみに少しだけ面白いなと思ったのが、「ベースボール」かな。そのころはまだ野球観戦が好きだったからね。選手のキャラクターに感情移入できたんだ。

⑤とはいえ、酒席で各人が「懐かしのゲーム」話に盛り上がっているのを聞いていると羨ましいと感じる。ファイナルファンタジーが各メディアに与えた影響とか語られてもちんぷんかんぷんですから。アニメーションやヒップホップの先鋭的な動きについても疎いぼくは、1980年代の半ばから、なんだか時代に取り残されてしまったなあと感じたものです。

 小説といえば、たとえば『指輪物語』に接したのはずいぶん早かった。北欧系ファンタジーは本来ぼくの得意分野なんですが、ね。キャラクター化される風潮に抵抗があったのかもしれません。けれどもこれも面倒くさがりの言いわけかな。たとえばぼく、推理小説(いまはミステリと称すのだよね?)が大の苦手なんだ。“Who Done it? ”的な展開や謎解きを楽しめないんだよね。

⑥ノーブルなMedium読者向けに以下省略としたが、「この世から抹消してしまってもかまわないと思っている」といったん書いたんだ。少し刺激が強いかなと削除したが、思わせぶりをせず、ちゃんと文章に残せばよかったかな?まあぼくも、小学生時代にはプラモデル作りの参考資料に「丸」なんか買っていたクチだから、あまり強くは言えないんだけど。

⑦これは音響システムの問題というよりも、表現そのものに対する好悪がこう書かせたんだと思う。ぼくはSF大好き少年だったのに、ハリウッド製の・ジェットコースターみたいなスペクタクルシーンが大ッ嫌いなんだ。それが「ゲームぎらい」ということばに集約されている。

⑧ここに至ってはあまりつけ加えることがないな。読んで字のごとく、ぼくにとっての「ゲーム」は忍耐を要す作業だってことだ。いわば百マス計算だとか内田クレぺリン検査だとか月末ごとの棚卸しに等しい苦役なのである。なにが悲しゅうて兵隊でもないのに「敵の勢力を殲滅」せねばならんのか。徒労という他ないではありませんか。

⑨しかし、そういうホンネを直接ぶつけたら、ゲームの是非を議論している場所にふさわしくない。引く向きも多かろうと考えた。この温和なエピソードを挿入したのは、ぼくがネット上で培ったバランス感覚のようなものだ。

⑩ぼくはこの記事をおおよそ15分で書きあげました(Mediumに要す時間は30分以内だと決めている)。それから朝ごはんを食べながら、おかしいところを添削しつつ、投稿したのです。それと同時にTwitterに「個人の感想です」ってキャプションを添えて貼りつけた次第。Mediumでの決め事はもう一つあって、それは必ず「オチ」をつけること。巧くいくかいかないはともかく、そういうルールを自分で定めているんだ。

 ♪が南佳孝の「スローなブギにしてくれ」だなと察せる方は、ほぼ同世代だと思う。

 チャイ公とヘッセの写真も、いわばサービスだよ。

 

 さて、最後まで読んでもらえばもうお分りでしょう。この記事の主眼は「ゲーム」をくさすことではなく、ぼくにとっての「ゲーム」とは何か。を詳らかにするための作業だったんだ。ぼくにとってのゲームはSNSであるとの宣言みたいなもの。もう何年だ?約6年は続けているんだから立派なゲーム中毒だよね。そのことは以前この記事に心情を託したつもりだ。

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

 こないだぼくはMediumに自分は親切でないことを書いた。ブログ記事の上手な見せ方にかんする記事で、「はじめてアクセスしてきた人にも理解できるよう、丁寧な構成を考えること」との要旨が書いてあって、てやんでえオレぁそんなに親切には書かねえぞ絶対って反発心から以下の文章を5分で書いたのさ。

  さあ、これだけ材料を並べれば、ぼくがどのように3つのメディアを横断しながらブログ記事に結実させているかが分かるだろう。この記事、あまり意味がなさそうだから途中で放棄しようかなと思ったのだけど(だって、Mediumの元記事だけ読んだ方が説得力あるもんね)、ここまで書いてみて、いや、それなりに意義があるぞと思いなおした。

 というのはね、ぼくがインターネットのゲームにいつまでも興じてられる理由は、すなわち「サービス精神」の発露であることが判明したからなんだ。

 誰にサービス? それはいま読んでいるあなたにだ、よ。

 
Four Tops - A Simple Game (Motown 1972)

※サービスついでに音楽を貼っとく。モータウンを代表するグループ、フォー・トップス、72年のスマッシュヒット「シンプル・ゲーム」。これ、オリジナルは典型的な英国のグループともいえるムーディー・ブルースなんだ(初出は68年のシングル盤「ライド・マイ・シーソー」のB麺。作曲はキーボードのマイク・ビンダー。レコーディングにはギタリストのジャスティン・ヘイワードも参加している)。

 ムーディー・ブルースについては過去記事を参照してくれ。え、ついでにそいつもリンク貼っとけ、だって?(笑)やなこった! 

 

 

🔗 ムーディー・ブルース 7枚の旅路 - 鰯の独白 (親切イワシ)

 

 

ボブ・ディランへ、文学の側からの評価を求む

 

※この記事は10月17日にMediumに投稿した記事を再構成したものです。 

文学の側からの評価を求む

 なぜ、ボブ・ディランがノーヘル文学賞を授かるに至ったか、その意味を文学者や文芸評論家は真っ向から取り組んでもらいたい。

 ありていに言えば「歌詞の吟味」に尽きる。

「風に吹かれて」などの初期の代表作が公民権運動などの社会に与えた影響を語ることくらいでお茶を濁しているようでは、ボブ・ディランが受賞した理由、アーティストとしての真価には到底届かないだろう。

 ボブ・ディランは速書きで知られる。遅筆で有名なレナード・コーエンが「アイ・アンド・アイ」は書くのにどれくらいかかったかと質問したら、ボブは「15分」だと答えた。あの長大な歌詞をたったの15分で書き上げるというのだ。推敲を施すこともなかろう。異能という他ない。

【以下、Medium記事“Desire”より引用】

ボブが誉めてくれた、「君の“Hallelujah”は素晴らしい。作るのにどれくらいかかったか」と。そこで私は「10年だ」と答え、「私は“I And I”が好きだけど、どのくらい時間をかけたんだ」と逆に訊ねた。すると彼は、「15分だ」と答えた。15分!あの長い歌詞をだよ?レナード・コーエン

ボブ・ディランの歌詞はす早く書かれる。もちろん推敲も書き直しもするけれど、基本的には最初のインスピレーションをそのまま外に放り出す。言葉は時に意味が通じなかったり辻褄の合わなかったりする場合も多い。が、その粗削りな彫りあとが聞くものの耳に引っかかるのだ。彼は誰を指弾しているのか、敵か、彼自身か、それとも彼の恋人か。錯綜する意識を詮索しながら、聞き手はボブの紡いだ「物語」にいつしか没入していく。

レナード・コーエンは正反対だ。彼は戦車のように頑丈な詩を拵える。手造り靴の職人が皮をなめすようにコツコツと、誰が聞いても誤読不可能な語句を当てはめる。試行錯誤を繰り返した挙句、作詞は完成まで数年に及ぶ。一つのテキストに対するアプローチの相違は作風にも現れる。だからレナードの歌は、発表された瞬間から古典としての貫禄を備えている。

けれども、今朝がた私はボブ・ディランの『欲望』について、こんなことを呟いた。

洞窟の壁面に刻まれた古代人の文字が現代人の抱える問題や苦悩を偶然に照らしだすように。

彼が書きとばした言葉の羅列は、40年の隔たりを超えて、今ここにある苦悩を照射するに恰好の材料となっている。昨夜に書かれたものだと言われたらうっかり信じてしまいそうなほど生々しく、血の通った感じがする。それは“Isis”や“Joey”に今の混乱や葛藤を仮託した、引用者の心情とダイレクトに結びついたがゆえにであろうが、ボブ・ディランの警句もまた、経年の風化を免れた稀な詩として、ディラン・トマスやT.S.エリオットと並んで、後世まで語り継がれるに違いない(ということを本当は語りたかったのだと想像する)。 (以下略)

 反面、70年代の代表作としてあげられる「ブルーにこんがらがって」などは、ライブの度に歌詞が変化する。始終推敲を重ねる、永遠に未完成の作品。これもまた、ボブ・ディランという作家の稀有な資質であり、芸術のありようである。

 素人の私にだってこれくらいのエピソードは拾える。音楽評論家や現代芸術の批評家ならばもっと気の利いた指摘が可能だろう。ある評論家が、前掲していた記事(が、削除されている)に載ったアーヴィン・ウェルシュの発言を引用し、「批判するなら、これぐらいの表現力は欲しいよね」と軽口をのたまっていたけれど、では貴方は今回の受賞をどう思ったのか?いやしくもプロの書き手ならば手前のことばで批評してほしいものだ、と私は感じた。

 ボブ・ディランの歌詞=詩作の構造は決して奇抜なものではなく、むしろ古典的であり、修辞の飛躍も少ない。ボブは悪夢的な描写を好むが、わが国の総理大臣の答弁ほどシュールで奇怪な世界を語るわけではない。できれば英米文学の研究者による、詳細なアナリーゼを読んでみたいものだ。ポール・ウィリアムズ著『瞬間の轍』(下写真)みたいな歌詞の分析は試みる価値が大いにあり、だ。ディラン自身は『自伝』で、どのような古典文学に触発されたかを詳細に記している。ボブのホメロス的な叙事詩の源泉は専門家でなければ解けない種類の謎だ。それはディラン流のハッタリ、もしくは「煙に巻き」かもしれない。が、かれが詮索されたがっていることだけは確かである。私はボブの音楽を聴くたび「おれの書いたものをさまざまな角度から検証してみろ」と挑発されているように思えてならない。

f:id:kp4323w3255b5t267:20161018111655j:image 

 漫画家の浦沢直樹氏は「究極の『うまいこといい』だ」と翌朝の朝日新聞の記事にコメントした。氏のディランへのアプローチは独自なものであるがゆえ、やけに淡白な感想だなと戸惑ってしまった。けれども千葉日報での、地元で活躍するミュージシャンJAGUAR氏の、きわめてまともなコメントを読むに至って、あゝこれは記者から見て余分な枝葉の部分を編集した結果なのかなと考えなおした。識者やその道のオーソリティが語る談話が一様に似通ってしまう傾向は全国紙も地方紙も何処も同じ事情なのかもしれない。デヴィッド・ボウイ死去の際にも感じたことだが、私が読みたいのは一般論やおためごかしではない。しかしこれは電話取材等のコメント記事に卓見を求めてはならないとの教訓であろう。

 だけど、ボブ・ディラン文学賞受賞について、もう少し鋭いコメントを目にしたいものだ。前掲の記事でいうなら、ジョイス・キャロル・オーツのような。かの女はボブが最も影響を受けた詩人ディラン・トマスを引き合いにし、ロバート・フロスト=ディラン・トマス、ロバート・ジンマシン=ボブ・ディランという、表現者の本名と筆名の関係性についてを簡潔に述べている。これこそが真の「批評」だ。

 そのオーツ氏が教壇に立つプリンストン大学は、70年にボブ・ディランに文学名誉博士を授けている。その式典の模様をディランは『ニュー・モーニング(邦題:新しい夜明)』の「せみの鳴く日」に結実させている。ポップスに自意識を持ちこんだ張本人であるディランは、生きる=トピックであり、目の前の事象すべてを「詩」として捉えることが可能であると身をもって示した。それが20世紀のアメリカにおいてポピュラー文化の表現拡大をもたらした、ボブ・ディラン最大の功績だと思うのである。

 私?私自身の独自な感想は、せいぜいこの程度(下参照)のものだ。(10月17日)

イワシ タケ イスケ@cohen_kanrinin 10月14日

ボブ・ディランは『自伝』の「オー・マーシー」の章で、やたらと「3」の数字が秘訣なんだと音符とフレーズの関係に固執していたけど、さっき  でかかっていた、ヴァン・モリソンの朴訥なギターソロ(ずっと2拍3連で押し通す)が、まさにそんな感じだった。 

 

【追記】

ボブ・ディラン?良さが分からない」という方に私はこの時代の音源を勧めます。


Bob Dylan - Rolling Thunder Revue

 とりあえずこれを観てみてください。重層的なアンサンブルと張りのあるディランの歌声が魅力的な『激しい雨』を。ロブ・ストーナーの弾力性あるベースプレイだけでも一聴の価値があります。

 また、曲によっては日本語の訳詞がスーパーに流れます。(同日)

 

 

 以上、ノーベル文学賞受賞決定のニュース以降に投稿したツイートを元に構成したボブ・ディランについての記事をMediumにエントリーした。Mediumは「意識高い系」として敬遠される向きもあるけれど、過去記事にとらわれずサクサク書けるという点で重宝している(どのサービスにもさまざまな意見があるものだ。ぼくだって「はてな村」のおっかない評判を目にするたび、はてなブログに書くのを考えてしまうときがある)。

 閑話休題

 ぼくが融通のきかないディラン像をあえて書いた理由は、ツイッター特有の「おれじつはよく分かんないんだ」や「おまぬけなエピソードが好きです」の方がチョイスされがちだからだ。女たらしのろくでなしとかどうでもいいゴシップばかりが作品の評価よりも余計に取りざたされる風潮がイヤなんだ。雄弁で著名な音楽評論家が「ディランは正直得意じゃないんだよね」とつぶやいているのを見ると、情けなくなるし、がっかりもする。その上さらに、ノーベル賞の評議委員会かなんか知らんが、ディランと連絡が取れないことが7時のトップニュースにあがる始末。まぁこの倒錯した現実こそが、稀代のトリックスターボブ・ディランに相応しいのかもしれないが、ぼくはまことに不愉快だね。このご時世に「連絡がつかない」なんてありえないでしょ?莫迦ばかしい。現にディランは受賞発表直後ライブのステージに立っているじゃないか。上機嫌で「ライク・ア・ローリン・ストーン」と歌ったという。舞台袖に代理人かなんかをよこせば済む話だ。くだらん。もっと作品そのものを論じやがれと、ぼくの腹立ちは治まらん。

 さて今回、はてなブログを仕上げるにあたって、ぼくは自分が過去ディランについて言及したツイートを再検証してみた。

 イワシ タケ イスケ(@cohen_kanrinin)/「ディラン」の検索結果 - Twilog

 そこで最後にいちばん好きだった自分のコメントを載せて、この記事にケリをつけたい。これは「新生姜」で有名な食品会社社長の岩下和了さんに宛てたメンションです。

イワシ タケ イスケ@cohen_kanrinin

@shinshoga ディランの場合、歌がバンドのグルーヴを牽引している感じがします。ストーンズにおけるキースみたいな。また『愚かな風』など、うたのフレージングがトランペットやサックスのようにも聞こえます。自由に出入りするところがジャズの感覚にも共通しているように思えます。

posted at 21:40:44 

 

 

ニック・ドレイク 純粋培養された孤独

 

 社会派(笑)のぼくだけど、今は音楽のことしか書けない。

 それはまだ痛みを対象化できてないからに他ならない。痛みの正体を認識できるまでには、もう少し時間がかかりそうだ。

 だけど、こういうのんきな意見を目にすると、違う! と言いたくなる。

人や世の中を恨むのと自分の性格を反省するのと、どちらが簡単かと言えば前者だろう。他人に対して攻撃的になったり、社会のせいにするほうが楽だから。ある種の音楽や読書は僕の中にあったそういう部分を徐々に吹き飛ばしてくれた。自分の気の持ちようで世界はいつもと異なる風景を見せてくれるのです。

 なにを言っているんだ、おめでたいにもほどがあると激しく反発してしまった。

 ぼく自身どちらかといえば内向的な性格だし、自省はしょっちゅうで、こんな境遇に陥ってしまうのも自己責任、自業自得だとの思考に逃れがちだ。それは何が問題であるかの追求を怠った、思考停止の状態であるともいえる。何もかもすべてが自分のせいさと言ってしまえばいっそ気が楽で、社会を覆うさまざまな不正、悪徳、腐敗を見過ごして、自分の好きな事柄のみに耽溺してしまえば、確かに他人のせいにしなくても済む。

 だが、そんな心の持ちようで音楽や読書に没頭するのは、音楽や書籍にたいしても不誠実な態度なのではないか。芸術は確かに人の精神状態を慰撫する効用を有するが、気の持ちようで世界が好もしくみえたとしても、それはただの現実逃避であり、錯覚であるに過ぎない。

 ぼくは最近、60年代アメリカ西海岸の、サイケデリック・エラと呼ばれる潮流から生まれた一連の傑作アルバムを好んで聴いていた。アーサー・リー率いるラヴの『フォーエヴァー・チェンジズ』、モビー・グレイプの『ワウ』、イッツ・ア・ビューティフル・デイの同名アルバムなどを。それらは確かに美しく、柔らかく、優しく、静かな音楽で、聴いている間ぼくは天国にいるような夢見心地になるのだけれど、だからといって今この世界を覆う悲しみや怒りを和らげてはくれない。ドラッグの垣間見せてくれる万華鏡のような光景は人工的で、儚い。耽溺している間はいいが、現実に生還した途端、夢の世界は雲散霧消してしまう。音楽は束の間の解放をもたらしてはくれるが、痛みの原因を解消はしてくれないのだ。

 ぼくに言わせれば、自省や自虐は痛みを緩和するためのもっとも楽な方法だ。 けれどもほんとうにみずからを鋭く疑い、穿ち、削る表現に出くわしたら、そんな欺瞞は通用しない。前置きが長くなりすぎた。ニック・ドレイクを紹介しよう。かれの遺した三枚のアルバムに、耳を澄ませてほしい。 

f:id:kp4323w3255b5t267:20161007004005j:image

 かれは声高に訴えない。苛烈なことばで社会を糾弾しない。それどころか苦悩を苦悩と表すこともない。歌詞の格調はまるでヴェルレーヌのようだ。けれども音楽全体を覆う濃厚な「翳り」は、この青年が苦痛のただなかにいることを示している。世界への違和感は名状しがたいものであるがゆえ、かれは今ある状態をできるだけ客観視し、事象を正確にトレースしようと試みる。その素朴な筆致と端正な詩の形式が、聴く者に痛みをもたらすのだ。

 

①『ファイヴ・リーヴス・レフト』

 たとえば2曲目の「リヴァーマン」。この4分の5拍子が交錯し、ディーリアス的なオーケストレーションが増4度の響きを強調する稀な楽曲だけでも、さまざまな解釈が可能である。ぼくの見渡したところ、この記事〈 sundayflute | blahs 〉での考察が、もっともニックの表したかった世界を日本語に翻訳しているように思える。ニックについての詳細な記事は、ざっとインターネットをめぐっただけでもたくさん発見できるから、ぼくがあらためて余計な講釈を垂れる必要もあるまい。

 B面冒頭の「チェロ・ソング」が、最初に触れた歌だった。そのときの感想は「とても牧歌的な曲だな」といった軽いものだった。そう、ニック・ドレイクの歌はとりたてて小難しいものではない。ニックの穏やかな声と正確なフィンガーピッキング。ペンタングルのダニー・トンプソン(ダブルベース)以下の控えめなサポート。まずはあまり深刻にならず、このファーストアルバムに接してみてほしい。何回かくり返し聴いていれば、いずれ「ウェイ・トゥ・ブルー」や「フルーツ・ツリー」といった、級友ロバート・カービーによる室内楽的な弦の響きにコーティングされた、より重厚で深遠な楽曲のとりこになるだろう。

 

②『ブライター・レイター』

 このアルバムでチェレスタやオルガンを奏でた(元ヴェルベット・アンダーグラウンドの)ジョン・ケイルによると、ニックがギルド製の12弦ギターを弾くと、まるでオーケストラのような響きを醸しだしたのだそうだ。フェアポート・コンベンションの安定したリズムセクションや、サキソフォンやピアノのソロといった、ジャズマナーを取り入れたサウンドは、三作品中もっともカラフルで、親しみやすいアルバムだといえる。

 けれどもニック・ドレイクの個性はアレンジに埋没しない。かれの歌とギターは薄い膜一枚で周囲の音響と隔たっているように思える。音楽的にはかい離していないのに。

 かれが街の情景を活写した「アット・ザ・チャイム・オヴ・ア・シティ・クロック」に耳を傾けたまえ。アコースティックギターで、これほど弾力性のあるリズムを叩きだせるギタリストは滅多にいない。これほどの腕前があるならば、通常は他のミュージシャンとのセッションを思う存分に楽しめるはずだのに、かれはそうしなかった。

 周囲は期待する。ケンブリッジ大学を中退したとはいえ、育ちがよく、礼儀正しく、長身でハンサムで、穏やかな性格の青年が、文学的な修辞を備えた歌詞の自作曲を次々に生み出していく様子に。だけどニックはプロモーションに消極的だったし、ライブ演奏もほとんど行わなかった。かれは専ら自らの創作にのみ情熱を傾けたのである。

 

③『ピンク・ムーン』

 そしてニックはついにアレンジメントという夾雑物を一切排し、自身の歌声とギター(部分にピアノ)だけのアルバムを制作した。冒頭の「ピンク・ムーン」は、かれの死後99年にフォルクスワーゲンのコマーシャルに使用されるほどポピュラリティのある楽曲だったが〈 Volkswagen 4 Cabrio TV Ad Pink Moon (Nick Drake) Commercial (1999) - YouTube 〉、その他は歌い手と聴き手が対峙することを要求する、切実で重い内容のアルバムとなっている。

 たとえば「シングス・ビハインド・ザ・サン」などは、それなりに編曲を施せばシングルヒットが可能だったかもしれない。しかしニックは、そういった虚飾を潔しとしなかった。ぼくはありのままの自分を曝けだす、だからあなたも真剣に耳を凝らしてほしいと、リスナーに相対を直裁に迫ったのだ。

 だから、このアルバムを聴くときは多少なりとも心の準備が必要である。けれどもいったんニックのつぶやきに身を委ねたら、奇妙な安息を覚えることも約束しよう。ほとんど無音の状態に近いギター独奏曲「ホーン」を聴いてごらん。中世のリュートのような響きに、この寡黙な青年の提示した虚無の中に無限の豊穣を見出すのは不可能ではあるまい。

 

 ニック・ドレイクは1974年11月に26歳の短い生涯を閉じる。生前かれは一般的な成功を得ることはできなかった。が、その音楽の普遍性は年月を重ねるごとに熱烈な支持者を獲得していく。死後いくつかの編集盤が編まれ、未発表曲も幾つか発掘されたが、多くを述べることは控えたい。

 ただ一曲だけ、これだけはどうしても紹介しておきたい。かれのレパートリー中もっとも悲痛に聞こえる、ニック・ドレイク流のブルーズナンバー、「ブラック・アイド・ドッグ」を。

 自己認識の塊であるという一点において、この歌をブルースと称すのにためらいはない。が、本場アメリカのブルースマンたちが語るブルースの強靭さに比べれば、あまりにも自己完結に過ぎ、ひ弱であることも認めなければならない。かれの精神の繊細さは生き馬の目を抜くショービジネスの世界においては、あまりにも脆かった。

 ブリティッシュ・フォーク/ブルースの世界で、ニック・ドレイクと共通する要素を持った歌い手を思い起こしてみよう。たとえばロイ・ハーパー。あるいはジョン・マーティン。いずれも変則チューニングを操り、吟遊詩人のような態で世の不条理を嘆く。しかしかれらは「しぶとい」。ハーパーの諧謔味やマーティンの自虐的なふるまい〈 John Martyn - Solid Air (Germany 1978) - YouTube かれが如何にニック・ドレイクを意識しているかは言うまでもない〉は、一般には呑みこみ辛い厄介なものだけど、じつはそのしぶとさが、かれら自身のコンスタントな活動を護っているとも言えよう。比してニック・ドレイクはあまりにも無防備だった。酒にも女性にもドラッグにも溺れることなく、ひたすら自己に向きあい、己を欺く護身術を弁えず、剥きだしでありのままの精神を抽出しすぎた。

 それは誰にも真似できないし、また真似てはいけない表現のありようである。

 けれども、だからこそニック・ドレイクの表した孤独は、人種や地域や言語の違いを飛び越えて全世界的に波及したのだと思う。なぜならそれは純粋培養された孤独であるから。英語を生半可にしか解せない日本人のぼくたちにだって、かれの孤独や絶望は容易く理解できる。歌詞に苦悩や痛みがまったく書き表されていなくたって、ニック・ドレイクが孤独の極みにあったことは、音楽を聴いた誰もが了解できることだ。

 

 そしてぼくは今日もニック・ドレイクのアルバムに手を伸ばす。それは心地よさばかりを約束する音楽ではない。むしろ痛みを倍化させる作用がある。だけど、かれの痛みを共有することで、少なくともぼくは、もうしばらく世の中の不正や悪徳、あるいは腐敗を見とどけてやろうという気持ちが湧きおこる。それは決して不幸な間柄ではない。ニック・ドレイクに出会えたことは、ぼくの生涯の宝物だ。

ボブ・ディランノーベル文学賞を受賞した日に)