うさちゃん。
ぼくは小松さんと同世代なんだけどさ、読んだあとどちらかといえば年下の宇佐美さんに肩入れしたくなったんだよね。だから親しみをこめて、うさちゃんと呼ばせてもらうよ。
うさちゃん、がんばったね。なかなかできることじゃないよ。小松さんのことをたまに疎ましく思いながらも、助っ人したくなる、しなけりゃならんのだの心情が痛いほど伝わってきて、読んでて思わず、がんばれって声をかけちゃった。
きっとうさちゃんも小松さんに、がんばれって思ったんじゃないかな。うだつのあがらない五十を過ぎたおっさんの恋が成就するのを応援したくなったのだろう。大学の非常勤講師なんて、ぼくからすれば憧れの存在だけれども、小説に示される収入は大差ないもんね。蓄電メーカーに勤めるうさちゃんにすれば、それはヒンコンとしか思えないほどだろうけど、たぶん小松さんが備えている自由なたたずまいに、うさちゃんは惹かれたのだと勝手に想像してる。
うん、ぼくも小松さんがうらやましい。べつにみどりさんみたいな女性をモノにしたいなんて願望はないけれどさ、うまいことやりやがってコンチクショーって感じはあるよね。でも小松さんのイノセンスさは、リアルな現実じゃなかなか理解されがたい種類のものだから、これは一種のファンタジーだと解釈していいのかもしれないね。
そうだ、いま図らずもリアルだなんて口にしたけど、ぼくは小説を読んでいて、いつもリアルとの接点を考えられずにはいられないんだ。というのはね、ぼくの友だちがこんなことを言ってたんだ、「どうも今回の地震に遭ってからフィクションがだめでね、映画も観たくないし音楽も聴きたくないんだ。テレビドラマもだめだし、小説なんてなおさら。リアリティ感じられないんだよ」って。その気持ち、分からなくもない。ぼくだって本を手にするのは久しぶりだったし。だから慣れ親しんだ絲山秋子の作品でなければならなかった。読んで正解だったよ。ぼくはすこぶる楽しめた。
ねえ、リアリティってなんだろう?小説のリアリティってなんなのさ。
登場人物のうさちゃんにこんな意見をぶつけたってしょうがないけど、じつをいうとぼく、ゲームしないヒトなのね。うん、インベーダーゲームの昔から。もっといえばトランプも将棋もルールを覚えるのがめんどくさくて、好きじゃなかった。インターネット上のゲームなんてなおさら無縁だからさ、白状するとこの小説、とっつきにくいなって、最初はすんなり入りこめなかったんだ。
だけど、ゲームの描写があるじゃん。うさちゃんが会議の最中にトイレに入って、盟主として指示をとばすじゃない。あのあたりからなんとなく沁みてきたんだよね。あれ?こういうの、ぼくも日常的に経験してるじゃないかって、思い当たったんだよ。
今ここに書いてる「はてなブログ」もそうだけど、ぼくの主戦場は専らTwitterなんだよね。最近はMediumなんかにも出張してるけど、ネットの本拠地は未だにツイッターランドなの。
で、ぼくがツイッターに興じているときの感覚と、うさちゃんがネットゲームで戦っているときの描写に、とても共通するものを感じたんだ。ほら、少しずつ仲間が増えて、影響力もそれなりに増していくところなんか、領地拡大とすごく似てないか?そしてさらに、ぼくが一番似てるなあと思う部分は、うさちゃんがそのゲームに興じているというよりも、時々うんざりしているところなんだよ。ぼくもツイートしはじめてから既に5年半が過ぎた。いい加減飽きている。倦んでいるといってもいい。だけども、やめられない。半ば義務感のようなものが発生してしまって。うさちゃんが言ってたように、これは後退戦だなと感じるときもあるし、残務処理に勤しんでるみたいだと思うこともある。ぼくもいつの間にか、ある種の同盟に組みこまれているし、中立を旨とはしているけれど、時には旗色を鮮明にしなけりゃならないこともあるし。ああみえて厄介なんだよ、ツイッターって「ゲーム」は。やっているうちに人格を操縦されているような感覚に陥ることもある。これ、重症なネトゲ廃人と同じじゃね?なーんて。
そのことを、『小松とうさちゃん』読んでて、気づかされたっていうか。
だからだろうなあ、ゲームにのめり込んで人生の一部になっているうさちゃんにシンパシー感じるのは。だって、ぼくらはリアルに時間を割いているじゃん。トイレにこもってツイートを投稿したこともあるぼくにとって、とても他人事だとは思えないリアリティがあったのさ。
うさちゃん、現実とネットは地続きなんだよ。かい離しているようで、じつはちゃっかり繋がってる。それ、今回の一件で証明されたじゃないか。だからうさちゃんは今後も、誰にはばかることなくゲームを続けりゃいいんだよ。そうすりゃ新しい、優秀な参謀に、またきっとめぐり会えるさ。そしてお楽しみは、まだまだ続くんだ。もう来ないだろうとタカを括っていた頃に、向こうから軍勢が押し寄せてくる。そうすりゃ否応なく臨戦態勢だ。
戦おうぜ盟主うさぴょん。来期に向けて今から備えを充実させておこうぜ。
ぼくも投石器よろしく、記事にするいろんなネタを投入するからさ。
なんだか、とりとめもないお便りになっちゃってスミマセン。
小松さん、みどりさんにもよろしく(あっ、するってえと小松みどりになるのか!)。
今度、武蔵小山で一杯やりましょう。
では、また。
鰯
『小松とうさちゃん』河出書房新社・2016年1月30日発行
なお、この本には極上の短編が収められています。『ネクトンについて考えても意味がない』。ミズクラゲと南雲咲子の、穏やかで哀切な心の交流。こんな掌編をものにするなんて、絲山秋子という小説家を知ってほんとうによかった、としみじみ思います。