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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

ドラムス/ステッカー 森脇真末味

 

森脇真末味の「ドラムス」は1980年、小学館プチコミック3月号に掲載された。手元にある単行本、『緑茶夢(グリーンティードリーム)』第1巻(昭和55年8月20日初版)によると、シリーズ第2作と記されている。前作「緑茶夢」に漂っていた「少女マンガらしさ」はほとんど影を潜め、ロックバンドに情熱を燃やす関西圏の若者たちを力強いタッチで描いた傑作として同世代の読者を惹きつけた。

情熱を燃やすとの安っぽい表現をしたが、作品に描かれる錯綜した人間模様は単純ではなかったし、登場人物それぞれが不安や悩みを抱え、異なる個性が衝突するさまには、ヒリヒリするような剥きだしの感覚が横溢していた。「バンドをする」ということは、たんに音楽を演奏するという意味ではなく、おおげさに聞こえるだろうが、当時の若者にとっては生き方の選択に他ならなかった。そこをリアルに描ききったからこそ、女性のみならず男性読者からも圧倒的な支持を受けたのだ。

つまらない前置きはこれくらいにしよう。今日はぼくの所有する『緑茶夢』全3巻と『おんなのこ物語』全5巻の中から、この連作の実質的な主人公である八角(やすみ)京介がドラムを叩くシーンを、ここに訪問してくれた方々にご覧いただきたい。

 

ドラムス

人気インディーズバンド「スラン」に臨時ドラマーとして参加した八角京介。観客からのヤジにキレたヴォーカルの安部弘たちがステージを去るなか、スランが戻ってくるのを待ちながら「こんなけっこうな客の前で、なぜ演奏ができない?」と憤った八角は一人でドラムを叩きはじめる。f:id:kp4323w3255b5t267:20160910001520j:image

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見開きで2ページで繰り広げられるドラムソロのシーン。その迫力にぼくは圧倒された。

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『緑茶夢』の2~3巻で八角は端役となり、弘を中心とするスランの内情が丹念に描かれるが、「ドラムス」の衝撃には及ばないもどかしさがあった。

この八角を中心人物として仕切り直した新連載が、『おんなのこ物語』だった。

 

⑵『おんなのこ物語』第1部・「ステッカー

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ステッカー。左からベーシストの水野(『緑茶夢』ではスランのマネージャー役)、グループ最年少の八角、才能あるマルチプレーヤー仲尾仁、音楽ライター志向のギタリスト桑田。

仲尾の方針におとなしく従っていた八角だが、徐々に隠れた才能を発揮しはじめる。次の画は仲尾が「リードはおれなのに、背後から誰かに引っ張られている」ことに気づいた瞬間。

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仲尾はステッカーを休止。行くあてのない八角は「桃色軍団」を手伝う。が、八角の先鋭的なビートはコミックバンドの音楽をも新たな境地へ引っ張る。

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ステッカーは活動を再開するが、八角が自宅録音した「未完成のくせに、やたらと力を持っ」た曲を手際よく編曲できない仲尾は徐々に追いつめられる。

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そして問題は未解決のまま、本番のステージを迎える。

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このシーン、どのコマをとってもすばらしい。『おんなのこ物語』第2巻(昭和57年5月20日初版)のハイライトだ。

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読みながらぼくは、八角の作った曲はどんな音だったのだろうかと想像をめぐらした。それはまさに「理想が曲になっているようなもの」だった。それゆえ、この曲は最後まで演奏されずに寸断されてしまう。そして…… 

 

このライブでのトラブルによってステッカーは空中分解、八角は長い苦悩の日々を過ごすことになる。

コミックス第3巻から第5巻までのエピソードは『おんなのこ』である尚子の物語としてはじゅうぶんだけど、やはり後日談といった印象がある。桃色軍団の大城が、暗黒大陸じゃがたらの「でも、デモ、DEMO」を歌い、怪我を負った仲尾がバックステージから隠れてギターを弾くことによって、八角は疎外感からようやく解放される。が、その結末は前半の息詰まる展開から比較すると、ややボルテージの落ちた感は否めない。

だが、物語の構成上それは仕方ないことだ。アマチュアバンドの輝きが一瞬であるのと同様、マンガの山場は第2巻で既に到達していた。あれほど窮まった演奏描写を何度も期待する方が酷な話だ。人生のピークはあの時点だったと、過ぎてしまってから初めて気づくものである。

しかし『緑茶夢』から『おんなのこ物語』の単行本8冊に収められた青春群像は、いま読み返してみると正午の太陽にも似た眩しさを放っている。かれらはみな現状に抗いつつも、斜にかまえ、皮肉まじりの日々を過ごしていたが、21世紀の醒めた感覚から比べれば、よほど汗くさく、ひた向きで、クールに構えつつも、熱い。テクノロジーが世界を支配する以前の音楽活動において、人と人との協力は不可避であった。そこには口論があり、暴力があり、裏切りがあり、共感があった。人間同士のぶつかり合いがバンドという小さな組織=社会で炸裂していた。そういった80年代前半の時代の情況をこのマンガは如実に反映している。陰陽のコントラストが鮮明な絵柄で、激情がハレーションする様相を見事に描ききっている。

当時、森脇真末味ロックマンガを甘いとする論評を見た。現実のバンド周辺はこんなキレイなもんじゃない、もっとどろどろとした醜いものだという。けれどもどうだろう、少女マンガ雑誌の連載という制約の中で、これだけ切迫した内容を備えたマンガが果たしてどれくらいあっただろう。少なくともぼくは、少年/少女/青年マンガを問わず、森脇よりもロックの核心に迫った作品を読んだことがない。水野のセリフを借りるならば、「どいつもこいつも八角に比べたら、まったるいの一言」だ。

そう、ぼくは水野という脇役にも多大な影響を受けた。かれの冷淡な態度を真似して、「気にするな、気にしたら同次元までオチルぞ」だの「評論を書いてるプレーヤーは、おれにいわせりゃ三流ばっかりさ」だの、辛らつなセリフを吐いては周りからひんしゅくを買っていた。要するにあまりにも切実で、他人事だと思えなかったのだ。挙句の果てには当時の仲間と組んだバンドの曲に「ステッカー」というタイトルまでつけた。きっとあの曲は最終的にはこんな歌になったはずだとイメージして、テツローの作った基本トラックに、ぼくが歌詞をつけたのだった。そういやテツローのやつ、「おれは言葉を信用してないから」って、八角みたいなセリフをよく口にしてたっけ……

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勢いに任せて、恥ずかしい思い出を懲りもせず書き連ねてしまった。森脇真末味の描いた、八角京介の物語(本来の主人公・尚子ゴメン)を読んでいるうちに、過去の記憶が走馬灯のように迸って来るのだ。できれば記事の後半は飛ばし読みしてほしい。そして願わくは古本市場で単行本を見つけたら迷わず入手してほしい。内容は保証する。確か町山智浩氏も言っていたけど、ロックマンガの最高峰は、誰がなんと言おうと「ドラムス」と「ステッカー」にとどめを刺す。 

 

 

 

 【補足】

ステッカーのリーダー仲尾仁は「口の端で笑うようなうたいかた」をする。けれども「ボブ・ウェルチ(2012年死没)みたいな声」だとの指摘に、仲尾が「おれはハゲてないぞ」と否定するシーンもある。では、ボブ・ウェルチの率いたパリスのセカンド、『ビッグタウン2061』のB面2曲め「ハート・オヴ・ストーン」を聴いてみよう(「ハート・オヴ・ストーン」がみあたらなかったのでB面1曲めの「マネー・ラヴ」でクールな雰囲気を確かめてほしい)。冒頭の“yeah”(ヤー)からして仲尾の声にそっくりじゃないか。ステッカーのモデルは十中八九、パリスだ。