鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

まだ絶望しきっちゃいない


 つまり、なんだかぼくは胸にぽっかり孔があいたような状態で毎日を過ごしている。

 そこで、最初ぼくは今回の記事に「静かに絶望するぼく」というタイトルをつけた。最近の荒んだ心境を余すところなく書き尽くすことで、閉塞した現状を突破できるかもしれないと錯覚したのだ。

 思いとどまったのは、一方で「そんなことを書いて何になる?」と思ったからだ。

「自分のなかに溜まったストレスを発散することで弾みをつけたいとしても、その先にある希望の萌芽を踏み潰す結果になりやしないか」と。

 こう考えたのだ、きわめて抽象的で、曖昧な口ぶりで申しわけないが。

「こころのなかに育んだ『なにか尊いもの』を自分で毀損してしまうのは、やはりよくないんじゃないか」と。

 だから、うまくいくかどうかはわからないのだけれども、ぼくは今までのきまじめなアプローチを捨てないでおこうと思うし、それが、このブログに訪問してくださるみなさんへの、誠意ではないかとも思う。

 現実にさまざまな問題があるとしても、日々の暮らしや仕事の中で嫌なことや辛いことがあったにしても、それを露悪的に吐きだすことだけは避けようとつとめている。叫びだしたくなる気持ちをグッとこらえて、「なぜこんなに苦しいのか、なにが自分を生きづらくさせているのか、それをいったん自分自身から切り離し、冷静に省み、解釈を加えてみよう。明日につながるヒントを探りあててみよう。なぐさめのために文章を書くのではなく、生きていくうえの糧になるような文章を書いてみよう」と考えている。

 きれいごとかもしれない。

 うわべだけを飾っても、おのれの醜い部分が露呈してしまうだけなのかもしれない。

 けれども、書くことによって自分がより不幸になるくらいなら、また、それを読ませることによって自分以外の誰かを傷つけるくらいなら、書かないほうがまだましだ。

 ここまで読んできて、なにが言いたいのか、さっぱりわからないでしょう。ぼく自身も、なにが言いたいのかよくわかっていないんだから。

 ただ、これだけは言える。ぼくはまだ絶望しきっちゃいない。自分の人生にも、自分をとり巻く社会にも、自分の存在を許容する世界にも。

 今日はこれが精いっぱいだ。けど、また懲りずにトライしてみる。明日はもう少し、まともな文章が書けるだろう。

 f:id:kp4323w3255b5t267:20151102101639j:image ぐうぜん撮れたハレーション気味のバラ