鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

『ジョンの魂』 1980.12.8

ジョン・レノンのアルバムで、どれか一つを選べといわれたら、ぼくは迷わずこのアルバム『ジョン・レノン/プラスチック・オノ・バンド(邦題:ジョンの魂)』を差しだすだろう。『ジョンの魂』はすべてのロックを見渡してみても最も重要な作品のひとつであり、これを超えるアルバムは、発表後44年を経ても未だに見つからない。歌以外には、ジョンのギターかピアノ、クラウス・フォアマンのベース、リンゴ・スターのドラムスしか聞こえないが、この虚飾を排したアンサンブルに耳を傾けるだけでも、リスナーは多くを得るだろう。

好き嫌いを超えた次元に位置する、ぼくの表現の指標となる一枚だ。

 ジョン・レノンの訃報は、父親から知らされた。当時ぼくは福岡市中央区の予備校に通っており、近くの寮に寄宿していた。受付から呼びだされ、黒電話の受話器をとると、やや緊張した声色の、親父が教えてくれた。

「おまえの好きだったビートルズの、リーダーが凶弾にたおれたぞ」と。

 食堂のテレビに映るニュースでは、既にトップで報じられていた。なんのことだか、上手く理解できなかった。ぼくは自室に戻り、しばらくボーっとしていた。それからラジオのスイッチをひねった。どの局を選んでもビートルズがかかっている。が、たまに「イマジン」がかかる程度で、大半は「イエスタディ」か「レット・イット・ビー」だった。ぼくはうんざりしてスイッチを切った。それからダッフルコートをひっかけ、午後8時の門限をやぶって寮の外へ出た。

 博多湾から吹きすさぶ風は、身を切るように痛かった。ぼくは肩をすぼめながら歩き、親不孝通りの、舞鶴公園の真向かいにある喫茶店「ぷらいべえと」に入った。行きつけの店で、長居しても文句を言われない場所といえば、そこ以外に考えられなかった。

 発売されて間もなくの、『ダブル・ファンタジー』がかかっていた。ジョンとヨーコの歌が交互に流れた。キス・キス・キス……抱いてと、ヨーコがささやいている。そのとき小野洋子さんはどこに居たんだろう。(よりを戻した)ふたりのことだからきっと一緒に居たんだろうな。となると、その瞬間をかの女は目にしたのか。想像すればするほど、やりきれなくなった。

 その夜は不思議なことに、常連客の誰とも出会わなかった。コーイチもテツロウもフーコも現れなかった。カウンターの中のシュウゾーさんは帰ったあとで、つまりぼくはひとりだった。カウンター席に座っているのがなんだか億劫になった。ぼくは窓際の席に移動して、日ごろは見向きもしないインベーダーゲームをやってみた。時間の経つのが妙に遅かった。『ダブル・ファンタジー』は何度もくり返された。他にレコードはないのかなと心の中でボヤいた。すぐに聞き飽きてしまう自分の耳が嫌だった。へたくそなぼくは、ゲームに百円玉を使い切ってしまい、あとはただ冷めたコーヒーを飲みながら、煙草を吹かすばかりだった。

 そのときオジャマがやってきた。めったに話したことのないやつだった。クラシックのピアノを嗜み、アシュケナージの信奉者で、ロックカルチャーを軽蔑していた。かれはぼくの真向かいに座るなり、身を乗りだしてきた。

ジョン・レノンが亡くなりましたね」

 無言で頷くと、オジャマはさらにぼくに訊ねた。

「この、ロック界最大の悲劇を、イワシさんはどう捉えてらっしゃいますか?

 ぼくは率直に知りたいんですよ、あなたの感想を」

 オジャマは笑っていた。いや、笑っているように見えただけだ。が、ぼくは猛烈に腹が立った。衝動をかろうじて抑えつけながら、唸るような声をしぼり出した。

「ひとつの時代が終わったとでも言えば、満足でしょうか?」

 答えにオジャマは目を丸くした。なにも言い返さなかった。ぼくはおもむろに席を立ち、勘定を済ませると「ぷらいべえと」をあとにした。ドアに設えられた鈴の音が、「スターティング・オーヴァー」の冒頭のチャイムと重なって聞こえた。

 口の中に苦い味が広がった。こんなはずじゃなかった。できれば親しいひとと、しめやかにジョンの死を悼みかった。それをオジャマに台無しにされたみたいで、気色ばんでしまったが、じつは自分のこころが、かさかさに乾いていたことに、耐えられなかったのだ。

『おれはなんて薄情なやつなんだ。涙ひとつもこぼれやしない』

 そんなことを考えながら、フードをすっぽり被って、埠頭の先までやみくもに歩いていった。

 それが34年前の、12月8日の記憶のすべてである。

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楽譜『After The Beatles』の「Hold On」のページに添えられていた写真。

  あの日と同じような気持ちに陥ったことが、そののち二遍ある。2001年9月11日と2011年3月11日。いまではその感情を「喪失」だと言い表せるほど、ぼくもすれっからしになっちまったが、不意に喪失が訪れたときの圧倒的な虚無感は、いくたび経験しようと、慣れやしないものだ。

 ところで、覚えてる? 9.11の翌日のこと。

 ぼくらはさいたまスーパーアリーナに併設されていた、ジョン・レノンミュージアムに足を運んだ。ぼくのほうから行ってみないかと誘って、きみは無言で頷いた。そしてきみは展示物の、ジョンがディランの「ラモーナに」の楽譜の裏に乱暴な字でしたためた歌詞をみて、かすかに微笑んで、ぼくに言ったんだ、

「来て、よかったね」って。

 知ってると思うけど、あの歌詞のタイトル、もう一度伝えておきたくなったよ。

 “It's Only Love”