鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

潜伏キリシタンの集落を訪ねて

 

台風一過の7月31日、友人とパートナーとを連れ立って、天草下島へ足を運んだ。目的地は、先月6月20日世界遺産に認定された崎津集落である。

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熊本市からクルマで約3時間、午前8時に出て11時に到着した。と同時に、空を覆っていた雲が退き、強い陽光があたりを照らした。一気に汗が吹きでる。

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羊角湾の海水は澄んでいる。海底に手が届きそうだと錯覚するくらいに。アジの群れがスイスイと泳いでいる。クロダイが悠々と目の前を通過してゆく。

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崎津集落には、昭和の時代に建てられた旧い様式の家屋が残る。これは理髪店だろうか、クリーニング店だろうか。少年時代にタイムスリップした気分。

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町を見下ろす高台に諏訪神社が控える。キリシタン信仰は、神社仏閣を隠れみのに、この地域に脈々と受け継がれた。

this.kiji.is

階段の左手には元々あった教会がある。

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網元宅に入り、「カケ」と呼ばれる護岸から海に張り出した構造物を眺める。漁師の作業場として船の係留から干物づくりまで、さまざまに利用された。

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諏訪神社と崎津教会の間は岸壁に至る一本の小路で結ばれている。聖地巡礼だろうか、この日はカソリックの尼僧たちを多く見かけた。

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崎津教会。1934年、禁教の時代「踏み絵」が行われた土地に建てられた。絵踏みの場所に祭壇が設けられている。半分がコンクリート造で半分が木造だ。

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みなと屋。昭和初期の旅館を改装した資料館で、崎津地区における潜伏キリシタンの歴史をたどれる。ガイドの方の丁寧な説明を聞くことができた。
<特別展を観ることができた。世界遺産に認定された崎津集落には、弾圧と抵抗の歴史が静かな町並の各所に今なおひっそりと息づいていた。「みなとや」での展示は9/17まで。>

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みなと屋より崎津教会の尖塔を望む。

展示物には、代官所の役人に見つからないよう村びとが柱の中に隠していた信心具もあった。

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崎津港。対岸まで泳いで行けそうなほど狭い。この港町に来るには、昭和初期まで陸路はなく、海路のみで訪れるしかなかった。海運業も栄えたという。

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閉ざされており、開かれている。潜伏キリシタンが命脈を保ったのは、この独特な地形の利もあったに相違ない。その歴史的な意義あってこその世界遺産登録であることを、訪問者は胸に深く刻むだろう。

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崎津集落に来たことは私の生涯の思い出になった。

さらに5キロほど離れた大江教会にも足を伸ばした。崎津とは趣きの異なる、堂々とした天主堂である。

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大江教会は天草でもっとも早い1933年に、フランス人宣教師・ガルニエ神父と、地元信者の手によって建てられた。

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教会の丘の上から、半農半漁の大江地区を眺める。世界遺産の対象ではないけれど、ここにもぜひ訪問してもらいたい。

 

本渡(天草市の中心地)に戻り、名物のチャンポンを食べていた。食堂のテレビでは、アマチュアボクシング連盟の醜聞が延々と報じられている。たった今、潜伏キリシタンの歴史をたどってきたばかりだが、本当に報じるべき政治の腐敗の報道が塞がれる現在も、過去と何ら変わりないではないかと思えてならなかった。私たちはいつまで忍従に屈しなければならないのだろう。圧政には抵抗を。自由と人権を奪われないためにも、断じて屈してはならぬ。

私はキリスト者ではないが、そう神に誓った。

 

 

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80年代の精粋

 

ぼくが青年期に聴いた80年代の音楽の中から、いまだに好きでたまらない曲をいくつかあげてみよう。

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①Durutti Column “Sketch for Summer” 1980

ヴィニ・ライリーのワンマンユニット、ドゥルッティ・コラム。ファーストアルバムの1曲め。イントロの鳥の囀りとリヴァーブが聞こえてきたら、いつでもぼくはあの永遠に続くような夏の午後に回帰(Return of)する。

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②The Sound “I Can't Escape Myself” 1980

典型的な英国産ポストパンクだが、いま聴いてもソリッドでクールだ。ワイヤー、スウェル・マップス等々こういうタイプのバンドは星の数ほどあったけど、その中でもひと際カッコよかった。

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U2 “October” 1981

大御所U2にもルーキーの時代があったのだ。大物の片鱗はうかがえるが、まだ未完成のセカンドアルバムよりタイトル曲を。後のベスト盤には隠しトラックでラストに収録されていた。

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④The Gist “Love At First Sight” 1982

ヤング・マーブル・ジャイアンツ関係だったかな。自主制作の7インチシングルはこういうヘタウマな(?)絵が多かった。内容も手作りの粗い感じ。でもシロウトくささが、切実さにつながっていた。

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Scritti Politti “Faithless” 1982

85年のデジタル仕様になる前のスクリティ・ポリティ。グリーンの書く変化にとんだメロディーと哲学的な歌詞は一筋縄ではいかないが、この3連のソウルバラードは比較的わかりやすい。後の「ウッドビーズ」につながる路線。

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⑥Ben Watt “You're Gonna Make Me Lonesome When You Go” 1983

のちにトレイシー・ソーンとエヴリシング・バット・ザ・ガールのコンビを組むベン・ワットの、駄作が皆無の傑作『ノース・マリン・ドライヴ』より最終曲の、ボブ・ディランボサノヴァ仕立てにした秀逸なカヴァーを。

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Tears for Fears “Pale Shelter” 1983

これも後にビッグネームに成長するローランド・オーザバルとカート・スミスのコンビだが、出たての頃は繊細さを売りにした素朴なエレポップだった。青空に吸いこまれるようなサビの処理が既に巧い。

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⑧Thomas Dolby “Screen Kiss” 1984

シンセポップの雄として一般に認識されているが、実際は過去の音楽に詳しいS.S.W.的な側面もあった。視覚に訴える映画のような音作りを認められ、翌年トーマスは(彼の尊敬する)ジョニ・ミッチェルをプロデュースする。

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⑨The Blue Nile “Heatwave1984

スクポリ⑤、プリファブ・スプラウトと並んで、私的に80年代を代表する三大グループの一つ、ブルー・ナイルのデビューアルバム。ポール・ブキャナンの渋い喉は(先日ようやく苦手意識を克服した)トム・ウェイツをほうふつとさせる。夜の街の灯を描写する手腕が、とくに。

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⑩Julian Cope “Me Singing” 1984

近年はしたたかな親父ライダーと化したジュリアン・コープも若い頃はポキンと折れてしまいそうなか細い青年だった。大亀の甲羅に身を隠すの図はシド・バレットを連想させる。転調をくり返すとりとめもない曲展開も、また。

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はて、ぼくは1985年に何を聴いていただろう。ZTT?

 

David sylvian “Silver moon” 1986

言わずと知れた元ジャパンのリーダー、デヴィッド・シルヴィアンの二枚組『ゴーン・トゥ・アース』から、とりわけカラフルな楽想の「シルヴァー・ムーン」を。R.フリップ、H.シューカイなど大勢の大御所らが彼との共演を望んだ。

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⑫It's Immaterial “Driving Away From Home” 1986

リバプール産のしぶとい(昨年も新譜をリリースしている現役)ユニット、イッツ・イマテリアル。彼らの描くシュールな世界はシャガール的だと評されるが、ぼくはむしろケルアック的なビートニク志向ではないかと思っている。

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⑬The Lilac Time “Trumpets From Montparnasse” 1987

ティーブン・ダフィ率いるライラック・タイムはオーガニックなアンサンブルが魅力。ぼくはこのインスト「モンパルナスのトランペット」が好きで。Twitterに投稿したら、弟のニック・ダフィが「いいね」をくれた。

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The Style Council “Changing Of The Guard” 1988

ポール・ウェラー、じつは好みではない。聴いていて面白く思えないのだ。が、この『コンフェッション・オヴ・ア・ポップ・グループ』は別。世評はどうだか知らないが、青春期に惜別を告げる、大人のための音楽である。

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⑮The Christians “Words” 1989

クリスチャンズはR&Bマナーを備えた英国のコーラスグループ。マヌ・カッシェとピノ・パラディーノのリズム隊が、トラディショナルな楽曲に複雑な印影を与えている。80年代を締めくくるにふさわしい曲だった。

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お気づきだろうか? 今回ぼくは英国勢に絞った。米国産を加えたら、トーキング・ヘッズからR.E.M.まで、この倍の数を紹介しなければならない。XTCエルヴィス・コステロみたいな大物も割愛した。また、最近デュラン・デュランカルチャー・クラブワム!などは、やはり凄かったのだなぁと再認識したこともお伝えしておきたい。

なお、「マッドチェスター・ムーヴメント」も視野に入っていたが、ザ・ストーン・ローゼズ等をぼくが聴いたのは、ずいぶん遅れて90年代に入ってからだった(当時はロックに飽いていた)。

 

最後に。4月27日に日本公開された映画『Call Me by Your Name(邦題:君の名前で僕を呼んで)』の音楽は、80年代の時代設定を強く意識させるものだ。あの頃に特有の空気や色彩が真空パックされているようで、観ていて眩しく、やたらと息苦しくなるのだ。


Call Me By Your Name | Official Trailer HD (2017)

蛇足。ピーター・キャメロン 著『ウイークエンド』(訳:山際淳司、装画:山本容子筑摩書房1996年)に描かれた、清潔で空虚な週末の終末と静謐を思い起こさざるをえない。

 

【追記】この映画もそうだな。

summerfeeling.net-broadway.com

 

 

 【関連記事】

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プリファブ・スクポリ・ブルーナイルは三題噺のようなもの。

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スクイーズやマッドネス、パブロック周辺にも言及したかったな。

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

SAW系は大の苦手だった。ブロンスキ・ビートは例外。

 

楽しいときも


ぼくは『「少年の心をもった音楽家」エルメート・パスコアール in やつしろハーモニーホール(5月10日)』というタイトルで、このブログに記事を書こうと試みた。

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が、書けなかった。

エルメートの音楽はまさに「翁にして童」と喩うべきものだった。ぼくはそれを「少年の心をもった」という視点で語りたくなった。というのも、こんな記事を発見して、ぼくは激しく動揺し、かつ憤ったからである。

koinomikata.com

この記事は、いわゆるSNS上のフェミニストたちによって槍玉にあがった。そうやって甘やかすから日本の男性は成熟しないのだという批判である。もっともだ、とぼくは思う。昨今の社会問題で、政治家や官僚やスポーツ指導者に顕著な「小児性」の発露を、この記事が指摘する「少年の心」に置き換えるのも、当然の帰結だと思う。

けれども、それはそれとして「少年の心」は、それほど否定されるものだろうか? と、ぼくは疑問に感じるのだった。

言葉を控えろ、もっと優しくしろと言っているんじゃない。その逆だ、もっと正面から「大人げない、子どもじみた中高年男性」をストレートに批判していいんだよ。そのほうが腑に落ちる。揚げ足取りのようだけど、「少年の心」を軸にするのは、違うんじゃないかと思うんだ。

エルメートのコンサートは、子ども連れで観るのも自由だった。会場内には6人のメンバーが繰り出す(ヴィラ・ロボスではないけども)ブラジル風バッハと呼びたくなる強烈なパルスに、喚声をあげる子どもたちが何人もいた。少年の心を持った大人が子どもの心を揺さぶっている。そのさまを〈すてきな光景だ〉と感じながらも、ぼくは頭の片隅に貼りついた、朝がた読んだ記事の内容を、ついぞ剥がすことができなかった。

どうして楽しめないのだろう。目の前に繰り広げられるすばらしいアンサンブルに没頭できないんだろう。なぜ、エルメートが未だにヤマハDX-7を使っていることに意識を奪われてしまうのだ。理由は使い勝手がよくて音色が気に入っているからに他ならない。どうでもいいじゃんか使用機材が何だって。そんな些事にこだわるから思考が肥大化して、本質を見失ってしまうのだよケイスケ。

いつも、ぼくは、そんな感じだ。

心の底から楽しめない。

エルメート・パスコアールの音楽は精神を解放する類いのものだった。けれどもぼくは(このブログのため)どんなレヴューをものにしようかと、思考をいちいち文字に置き換えていた。その邪まな、身についた習性が恨めしくてならない。

 

5月23日に、

福岡ヤフオクドームで、埼玉西武ライオンズ福岡ソフトバンクホークスの試合をみた。結果は2対1でライオンズの勝利という、元所沢市民の夫婦にとっては喜ばしい結果だったが、そんな楽しい時においても、野球観戦とはまったく別の思念が、再び頭をもたげてくるのだ。

《あゝここにいる四万人余の、はたしてどれくらいの人数が、政治に関心を持っているのだろう? やっぱり現政権を支持する層が多いのだろうか。このうち、選挙に必ず行くという有権者はどのくらいの割合だ? そして安倍内閣を批判している人は何人ぐらいいるのか.....》

と、圧倒的な大多数を前に、途方にくれている。

ぼくは野党支持で・体制に批判的で・やや左寄りな自分の属性を、特権的に位置づけていた。そして野球観戦に夢中な庶民は政治に関心がないものだと勝手に決めつけていた。さらに彼らにどう〈働き方改革〉の危うさを伝えればいいのか、なーんてエリートでもインテリでもないくせに教え導きたい気持ちを膨らませていた。なんて思い上がったやつだケイスケ!

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ネトウヨになってしまったお父さんの話を知っているだろうか? 実の子に向かって「オマエは○○人か!? 」とヘイトスピーチしたという、愚かな父親の話を。指さされ、罵られた子どもの心中察するにあまりある。たまらない気持ちになっただろうなぁ。

ぼくはネトウヨの正反対で、かなり反体制の立ち位置だけど、ひょっとしたら極端な思考に傾いてはいないかと、しょっちゅう自問している。この日本で暮らすのに、思想信条をさらすことはあまりにも危険で、変わり者の烙印を捺され、いつ社会からはじかれるか分からないから。穏便に、悟られないように、喋らずに、騒がずに、本音を隠して暮らさなきゃならない......

《あゝ、そうやって萎縮して、自粛することこそ、まさに体制側の思うつぼだのに!》

ぼくは楽しいときも陰険なことばかり考えているから、心の底から楽しめない厄介な性分なのだ。

と、ぶざまな終わり方だけども、このへんでタッチペンを置くことにする。

 

 

1997年発表のベスト盤、入門編に最適だ、聴くべし。

Grandes Mestres da MPB by Hermeto Pascoal on Spotify