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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

藍より青くのふるさとを訪ねて

 遠出をしたかった。日帰りできる場所で。なるべく遠く。行ったことのない町へ。牛深にしようと思った。途中休憩をはさまず、ひたすらクルマを走らせた。三角半島を越え、天草五橋を渡り、大矢野島天草上島を抜け、本渡の街を横目にし、天草下島の山あいを縫うようにして、ちょうど正午ごろ牛深に着いた。

 市の中心の「うしぶか海彩館」に寄り、観光案内所で遠見山公園の在所を訊いた。遠見山へは十分程度で着いた。標高217メートルの小高い山の中腹に、水仙公園があると知ったのは、つい先日のことである。

 それはお客さまからの問い合わせの電話だった。スイセンの花は咲いているかの問いに、花壇にいくらかは植えてありますがと答えたら、「なんやつまらんね、牛深の水仙公園ば知らんかい、あそこには何万株も植わっちょるぞ」と初老の男性から教わった。ならば見てやろう、実際に行ってみようと思いたった。これが今回の牛深行の動機にして目的だった。

 山頂近くの駐車場にはクルマが一台も停まっていなかった。風は穏やかだったが、曇り気味で陽ざしがなく、海は鈍色だった。ぼくはフードをかぶって遊歩道を登っていった。その小径の左右には段々畑。スイセンがところ狭しと植えられていた。花はやや小ぶりで、全体の一割二割ほどが咲いている。潮風にまじって、かすかだが花の香りがした。頭上には鳶が二三羽、ピーヨロロと啼きながら悠々と旋回していた。けっこうな斜面を登り詰めると、電波塔が立ち並ぶ山頂に至った。そこから牛深港と、牛深の街並みが一望できた。

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 粗雑なパノラマだ。ま、展望の雰囲気を味わってください

 しばらく海の景色を味わったのち、スイセン畑の間をゆっくりと降りて行った。看板にはラッパ水仙科5,300球、大カップ水仙科4,000球、中カップ水仙科24,200球、地場水仙(牛深周辺採取)120,000球が植えられている、と記されている。たしかにそのくらいの数はあるだろう。だが、生憎とスイセンに詳しくない。いま開いているスイセンが18種類のうちのどれだかも知らない。わからないままiphoneで写真に収めた。

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 冬の寒空の下、清楚で可憐な花弁の風情は、しかし見ていて穏やかな気持ちになった。展望台には遠見山という山名の由来が示してあり、徳川時代に天草を治めていた代官が、異国船を監視するための台場を作ったのが起こりだという。なるほど海上保安は為政者の常かと思っていたところへ、男性が二人、軽トラから降りてきた。作業着姿のかれらに声をかけてみる。

「こんにちは。スイセンの管理をなさっているんですか?」

「ええ、そうです。こんな天候の悪いなか、ようこそお越しを」

「この急斜面で栽培するのは、さぞやご苦労がおありでしょうね」

「まあ、スイセンそのものは強い草花ですからね、さほど育成に苦労はしませんが、除草がね。とくに夏場は往生しますよ。まわりの草木に影響するから、除草剤を撒くわけにもいかんしね」

「そうですか。ご苦労さまです。ちなみに――あまり使いたくないことばなんですが――花の見ごろはいつごろになりますか」

「やはり二月に入ってからでしょうな。すこし暖かくならんと、満開になりませんから」

「今日はかわいい花を拝見できて嬉しいです。ありがとうございました」

 話に応じてくれた初老の男性は、シルバー人材から派遣されていた。もうひとりの寡黙な人は、天草市の職員のようだった。ぼくが勤め先を明かすと、これはこれはと改まっていた。ともあれ礼を述べ、山道を下った。

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 ふたたび海彩館に戻って遅い昼を食べていると、雲行がにわかに変わり、大粒の雨が降ってきた。港の寂景を眺めているうち、昨日のことを思いだした。<日本人はいまだにフランス映画を語る際に『シェルブールの雨傘』をひきあいに出すけれど、それって世界的にはそうとう田舎者の感性だども>という意見を。だけど目の前に映る風景は、まさしくシェルブールの雨傘的なイメージを惹起させるのだ。

 ぼくは返信を書いた、こんな具合にね。

__さん、牛深は雨が降ってきた。まるでシェルブールのようだよ(爆笑)。おや、フェリーが港に入ってきた、こいつはまた御誂え向きだね。

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実際には、左下の傘さした男性はくたびれたおじさんだったし、接岸したフェリーには人もクルマもほとんど乗っていないという、しょっぱい風景だったのだけど。港って何故か不思議と絵になるんだよね。

 

 牛深を去る前にもう一か所、行ってみたいところがあった。港を跨ぐハイヤ大橋を渡って対岸の下須島に行ってみた。そこには「藍より青く」所縁の記念碑が建っている。

 記念碑などには、とんと縁のない者だが、昭和47年N H K朝の連続テレビドラマのシナリオを書いたのは、ぼくのもっとも敬愛する脚本家である。碑文になんとしたためられているかが、ちょっと気になった。東シナ海に通じる外海を望める小ぢんまりとした公園に、その記念碑はあった。

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 雨が上がると、記念碑からみた外海に、一瞬だが陽が射した。 

 知らない土地にひとりでいると、不安に駆られるような気もするが、最近の研究によると、旅先では逆に精神状態が安定するものだという。今回はその「離」が、いい具合に作用したようだ。

 午後三時。三時間の滞在に満足したぼくは、牛深の町をあとにした。

この港のなにが私をとらえたかを一口に言うのは難しい。 それは青い海であり、舟群、家並、路地、裏山であり、人々であり、そのいちにちであり、歴史であり、四季でもあった。 私の物語に他の舞台を考えることは出来なかった。〈山田太一

 

 

 

 

 

 

 【参考】

遠見山公園(すいせんこうえん) | 熊本県天草観光ガイド「島旅」

 熊本市から天草市牛深までは約130㎞、3時間はゆうにかかります。

牛深のイワシ漁(うしぶかのいわしりょう) 天草市 - 熊本県庁

 牛深といえばイワシ。おみやげにはイワシのかまぼこを買いました。

藍より青く、そして秋でもないのに… ( 邦楽 ) - “わが谷は緑なりき”〜私の映画ノート - Yahoo!ブログ

 同県の方だと思われる、秀れたブログ。本田路津子の歌った『耳をすましてごらん』(作詞:山田太一 作曲:湯浅譲二のことも書かれている。

 一瞬だけ短調から長調に転ずるところにハッとさせられる。