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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

万田坑と宮崎兄弟資料館 県北紀行⑵

 
前の記事と前後するが、9月16日に福岡との県境の町、荒尾市にある万田坑に行った。
世界遺産登録のすったもんだで、ケチのついた感があるけれど(以下記事参照)、

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

一度は観てみたいと思っていたのだ。

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しばらく前までは真っ赤に錆びついていた鉄塔も、塗装し直され、シンボルタワーとして生まれ変わった。ちなみにこの塔は、塗り替え時に英国グラスゴーで製造されたものだと判明した、そうだ。

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建物と建物のあいだを、無数の鉄管が走る。もっと朽ち果てた情景を想像していたが、その思惑はみごとに外れた。世界遺産に向けて多額の予算が費やされたのだろう、意外なほど整然としている。インカムをつけたボランティアの人たちが、丁寧でユーモラスな説明をしてくれる。たとえば、こんなふうに。
「坑内で働く人たちは、少しばかり気性が荒かったものですから、風呂場の桶などは、投げ飛ばされてすぐに割れてしまう。だので、木製やらプラスチック製やらではなくて、ゴム製の風呂桶になったのですね」
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地上から採掘場へたどり着くだけでも、二時間はゆうにかかったという。ぼくは観光バスで訪れた集団にまぎれて、そのような説明を聞いていた。そこでかつて働いていた労働者たちの姿を思い浮かべながら。が、おぼろげな想像はなかなか立ちあがってこなかった。
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ただ、かれらを乗せたエレベーターの空間を虚しく眺めていた。
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観光客は日本人が大半だったが、中国から来たと思しき方々が数名いた。かれらはボランティアの説明に、熱心に聞きいっていた。ことばの意味がどのくらい伝わっているのかはわからないけれど。
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ひとしきり説明が終わったので、遅れてきたぼくは、前半に見逃した起重機の設置されている、鉄塔に隣接した赤煉瓦の建物に、ひとり赴いた。
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建物の入口でヘルメットを手渡され、天井に頭をぶつけないようにねと念を押される。狭いコンクリートの階段を上っていくと、機械油のにおいが屋内に充満している。
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ぼくの要領を得ない説明よりも、下の写真を拡大して、起重機のスペックをお確かめいただきたい。
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とにかく、その巨大さに吃驚する。この歯車が、ワイヤーが、途中で仕様は変更されたにせよ、百年余、休むことなく巻かれ続けていたのだ。
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軽薄なたとえを許してもらえるなら、それはチャップリンの映画『モダンタイムズ』のようだ。あるいは『ルパン三世カリオストロの城』の、時計台の場面を彷彿とさせる。
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不思議なものだ。なにも語りかけてこない機械のほうが、往時の人の営みの像を鮮明に浮かびあがらせてくれる。
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この旧い機械を観るだけでも、万田坑を訪れる価値はあると断言できる。
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実際に目の当りにすると、ただただ圧倒されること必至だ。
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XTC「ザ・ビッグ・エキスプレス」のレコードが頭の中でゆっくりと回りはじめた。
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どう?行ってみたくなったでしょう。
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こうなると、余計なキャプションは不要だね。
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駐車場の近くには、建てられたばかりのステーション(チケット売り場とお土産店)がある。ちなみに入場料は大人410円。その館内に、万田坑の全体を捉えたジオラマと、写真パネルで歴史をたどる資料館があり、こちらは若いスタッフが説明にあたっている。また、紹介ビデオも随時放映されている。これで万田坑の概観はおおむね押さえられるのだが、しかし。
ぼくの悪いくせだ、水俣の資料館で感じたディレンマ kp4323w3255b5t267.hatenablog.com を、ここでふたたび味わってしまった。

 <①自力によって近代化を果たし、②積極的に技術導入を行い、③国内外の石炭需要にこたえ、④重工業へ転換を果たしていった、という過程を物語っています。(パンフレットより)

この「物語」よりこぼれ落ちたものが、多くあるのではないか?
 
さいわい、ぼくの懸念は、駐車場より道路を挟んだ「万田炭坑館」に寄ることで解消された。
展示された資料の記述もそうだが、無造作に置かれた本棚に、往時をしのばせる記事や写真が残されている。できればこちらにも立ち寄って、労働者の視点から見た、炭坑の歴史をひも解いたほうがいいだろう。
どんな書籍が並んでいるか、玉石混交の感もあるけれど、拡大して確めてもらいたい。
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おりしも9月16日、安保関連法案が与党の卑劣な「手口」(by麻生太郎)で可決される一日前である。ぼくは炭坑館の書棚の前から、ツイッターに投稿した。
イワシ タケ イスケ@cohen_kanrinin 9月16日

万田坑を見学したおりには、隣接する万田炭鉱館に寄ることをお勧めする。炭鉱の歴史をたどった展示物と、さまざまな資料が常設されている(入館無料)。 写真は『三池闘争の記録』(三池炭鉱労働組合)より、昭和35年6月5日付「みいけ」の記事。 

 

 

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 こぼれ落ちたものの欠片が、そこに転がっていたのだ。
 
 
 
さて。 
万田坑から、JR荒尾駅を挟んで南へ下りると、宮崎兄弟の生家があり、そこに資料館が併設されている。かの辺見庸は、熊本は横井小楠と神風連、徳富蘇峰宮崎滔天の両極端を輩出した不思議な土地柄であると何かに書いていたが、その宮崎滔天については、前々から興味があった。

孫文と交流があり、中華民国建国に一役買った男として。

――しかし何故、宮崎滔天資料館ではなく、宮崎兄弟資料館なのか?
受付で入場料200円を支払うと、まずはDVDを観てくださいと促された。約30分で宮崎兄弟のおおよそがわかるのだという。資料館のかたは親切に、ぼく一人のために映像をセットしてくれた。
地方局の製作したその番組で、なるほど宮崎兄弟の概要はつかめた。有力な郷士であった父・長蔵に育てられた兄弟たち。とりわけ次男である八郎は、中江兆民に共鳴し、自由民権を唱え植木学校を開くが、県から閉校を命じられ、征韓論を唱えた西郷隆盛率いる薩軍に加わり、西南戦争にて戦没する。兄弟の精神的支柱となった、男気あふれる魅力的な人物だ。
その八郎と、八男である寅蔵(のちの滔天)の間に、二人の興味深いパーソンがいる。六男の民蔵は土地制度に疑問を持ち、土地の再分配を唱える。また、七男の彌蔵は自ら辮髪にするほどの熱意で中国の国家建設を理想とした。これら二人の兄弟が外遊し、持ち帰った思想を吹きこまれた寅蔵は、のちに辛亥革命を指導する孫文とめぐり合うのである。
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宮崎寅蔵は、じつは人見知りする性格であったらしい。それを克服する手段だったのかは知らぬが、浪曲師に弟子入りし、名を滔天とあらためる。そのシャイな男が、孫文を説得し、ライバル黄興との中国同盟会を結成させるのだから歴史はおもしろい。f:id:kp4323w3255b5t267:20150929175140j:image
滔天の書である。人物であることが伺える豪胆な字であるが、熊本での評価はさほど高いとは言えない(控えめに書いています)。それは横井小楠なども同様である。
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滔天と孫文は、ことばを交わす代わりに、このように対面で筆談した。ソーシャル・ネットワーク・サービスのはしりと言えるかもしれない。
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生家はあいにく改築中であったが、資料館の充実ぶりは納得できるものであった。一度では観きれないから、ふたたび足を運ぼうとも思う。
が、気になった点が一つあり、それはかれら宮崎兄弟の掲げた夢、つまり中国の革命を足がかりとし、西欧諸国と対抗する勢力図を描く、いわゆる大アジア主義が、のちに日本が大陸進出する口実として利用された側面もあると思うのだが、革命成就から中華民国建国までのプロセスは詳細に記されているけれども、その後の記載がしごく淡白なのである。それは宮崎滔天とは直接関係のないことであるかもしれないが、建国のその後、中国大陸の情勢がどう変わっていったかを、もう少し展示物に反映してもよいのではないかと感じたのである。
帰りしな、先ほど万田坑で見かけた、中国人と思しきグループを見かけた。かれらは展示物を真剣なまなざしで見学していた。壁にかかっていた福田康夫元総理大臣のサイン色紙を認めるほどに。
9月17日。翌日ぼくは、こんなツイートを投稿した。
 イワシ タケ イスケ@cohen_kanrinin 9月17日
昨日、荒尾市万田坑宮崎滔天(兄弟)の資料館を観にいったとき、どちらにも中国からの方が見学しに来ていた。たんなる物見遊山とは思えない、真剣な面持ちで展示物をみていた。彼らは歴史的遺産から学ぼうとしているように感じた。世界遺産に浮かれる日本人観光客たちよりも。
かれらの目に滔天は、宮崎兄弟はどのように映っただろうか。そして現在の日本は、日本人は……。
 
あ、こんなツイートもしたんだ。これは山口泉さんがリツイートしてくださった。
イワシ タケ イスケ@cohen_kanrinin 9月16日

宮崎滔天は、大正四年に衆議院選挙に立候補したことがあるんだ(知らなかったな)。結果は300票程度で、最下位落選。しかし彼の果たした活動(孫文との交流から中国同盟会を結成、辛亥革命を支援)は後世に語り継がれている。そのときに当選した代議士の誰よりも。

 
余談:宮崎彌蔵ではないけれど、ぼくは辮髪の似合う顔立ちであるらしい。