鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

70年代の巫女たち(金延幸子、カルメン・マキ、佐井好子)

 

洋楽ばかり聴いてるけど、では、日本の歌に興味がないんですか?

 

たびたび訊かれた質問だ。そんなことはないよとぼくは面倒くさげに答えていた。

日本語の歌も聴くよ。男性よりも女性歌手が好きだな。若いころは矢野顕子とか大貫妙子(いずれ書きます)をよく聴いていた。鈴木さえ子小川美潮も好きだった。わりとふつうの趣味だろ?

だけどこの年齢になると、自分が音楽を聴きはじめたよりもちょっと以前の、ロックやフォークやジャズに興味が向いてきた。話は逸れるけど、たとえば「外道」なんて、当時それほど好きじゃなかったのに、今の耳で聴くと「わーサイコー、こんなにカッコいいロックをどうして見過ごしてたんだろ?」と思っちゃう。

香り - ライブ, a song by 外道 on Spotify

今日はさらっと流したいから、脱線はこれくらいにして。

最近よく脳裏を過るのが、以下に挙げる三人の女性歌手だ。いずれもかの女たちが活動していた70年代には耳にしなかった。カルメン・マキは有名だったけど、OZをまともに聴いたのはずいぶん後だし、他の二人に至っては、認識したのは21世紀に入ってからだよ。

だけどなぜだろう。懐かしい感じがする。聴いていなかったくせに郷愁を掻きたてられる。でも、今日は惹かれる理由を深く掘り下げないでいたい。詳しく知りたければ他を当たったほうがいい。

 

金延幸子

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金延幸子の「み空」は衝撃的だった。かの女はフォークの黎明期から関西で活動していたシンガー・ソングライターで、72年に同名のアルバムを発表している。これがまたなんとも不思議な曲で、調性がよく分からない。長調短調を行ったり来たりするんだ。説明するのが難しいな、聴いてみようか?

み空, a song by 金延 幸子 on Spotifyopen.spotify.com

いちばん近いのはジョニ・ミッチェルか。ファーストアルバムの感触に近い。他の曲を聴くとジュディ・シルみたいな雰囲気もある。サウンドの色彩感はプロデュースした細野晴臣の手腕かもしれないが、しばらく聴いているうちに、〇〇に似ていると考えることが莫迦らしくなってしまう。金延幸子のクセのない歌唱ときれいな日本語の響きに耳を傾けているだけで、ぼくは充足するんだ。

鳩の飛び立つ中を 犬がかけていく

空は どこまでも 青い空

私の腕が 太陽に届いたのは その時

流れる雲に抱かれ 魔法の海へ

過剰に印象づける愚は避けたいが、村上春樹の小説『海辺のカフカ』で、19歳だった佐伯さんが作った「海辺のカフカ」は(二つの不思議な響きのコードを持つという共通点があることを考えたら)こんな歌だったのかもしれないなと想像する。 

【追記】Spotifyに、金延幸子さんが1999年に発表したアルバム『SACHIKO』がアップされている。これまた時間をピンで留めたようなタイムレスな仕上がりで、「み空」を聴いたときと同じような浮遊感を味わえる。

open.spotify.com

ぜひ聴いてみてほしい。

 

カルメン・マキ(&OZ)

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あまりくどくどと説明したくないな。OZが活躍していたころ耳にはしていたけど、それほど好きではなかった。すでにパンクロックの時代に入っていたからか、OZ(の音楽をけん引したギタリスト・春日博文)のアプローチはなんだか古くさく思えた。けれども今ふたたび聴いてみれば、陳腐な言いぐさだけど「時代を超越した音楽」の底知れぬパワーを感じる。

どちらも重要なので一本に絞りきれなかったんだ。両方とも聴いて!

あの空を、と指さすその手に微笑めば
何事もなくあなたの家は沈みこむ
いつのまにか私の体も夕焼け色に
地平線に悲しいしぐさ少し動いて

加治木剛(またの名をダディ竹千代)の書いた歌詞は抽象的だけど、マキの圧倒的な歌唱によって生命を吹き込まれた瞬間、リアルな映像となって眼前に迫ってくる。「私は風」(マキ本人の作詞)の「どうせ私は気ままな女、気ままな風よ」前後の、演歌チックに感じられる箇所ですら、マキが歌えばあたかも聖書の一節、マグダラのマリアのごとく啓示的に聴こえてしまう。 

 

佐井好子

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佐井好子について語るのは気が引ける。アルケミーレコード主宰で非常階段のリーダーであるJOJO広重氏が詳細なデータ&解説を施してしまっているから。「にわか」のぼくが語るよりもそっちを読んでもらったほうがよいね。

Alchemy Records - Culmn - こころの歌・最後の歌⑴

Alchemy Records - Culmn - こころの歌・最後の歌⑵

Alchemy Records - Culmn - こころの歌・最後の歌⑶

『密航』もすぐれたアルバムだが、私的には『胎児の夢』がもっとも好きな作品だ。

大野雄二(『ルパンⅢ世でおなじみ』)による編曲がすばらしい。杉本喜代志(ガットギター)、佐藤允彦(ピアノ)以下の演奏も文句なし。佐井本人のスキャット・歌唱・詩の朗読を含め、国産最高のジャズアルバムと呼ぶにふさわしい、プログレッシヴな出来映えの作品である。

夢野久作の小説をライトモチーフにした、かなりディープな世界観だのに、あまりおどろおどろしくならず、むしろ涼やかで、さらりとした触感がある。ぼくが佐井作品を飽きずに聴ける理由は、情念に溺れない怜悧なアプローチにあるのかもしれない。

 

 

今回、三者の音楽を並べてみて、いずれも歌詞の抽象度が高いと感じた。しみったれた感じがしない、いわゆる世間一般が歌う「恋愛」とは隔たった場所にある。裏を返せば浮世離れしているとも言えるだろうが、こういった、ことばそのものの浮遊した感覚が、昨今めっきり少なくなっているのではないかしら。

金延幸子はフォーク、カルメン・マキはロックとジャンル分けされるが、佐井好子は、はて何だろう?カテゴライズしにくい音楽だ。いや、前の二人にしてもジャンルの枠内には収まりきれない音楽的裾野の広がりがある。一概にフォークだロックだと断定できない独立性がある。

むしろ三者に共通する要素は、シャーマニスティックなたたずまいである。本人の与り知らぬ領域で歌われる楽曲の数々。憂き世の桎梏から離脱する感覚。ぼくは今回の記事に「70年代の巫女たち」というベタなタイトルを冠したが、それは直感に依るもので理屈はあとづけ、説明は不可能だ。ともあれ三人の歌う詞(コトバ)が音楽という媒体を通じて純度を高め、結晶化していく過程が、ぼくにとってはいちばんスリリングに感じるところである。

んー上手く説明できないや。でも、この中途半端な文章を載せることで、今回紹介した三人の歌が一人でも多くの耳に届けば、目的の大半は達成したことになる。それでいい、それだけでぼくは満足だ。

 

「肥後しぐさ」の招待

 

【はじめに】

江戸しぐさ」なる身振りがあるという。どんなものだか知らないが、一部の道徳の教科書にも載っているそうだ。文献がないので、実際にそんなしぐさがあったかどうかも怪しいらしい。だからぼくは江戸しぐさがどんなものか知らないし、知ろうとも思わない。

が、

熊本に帰郷して三年。熊本県人に特有の身振り手振りがあることに気がついた。その多くは中高年男性によるものだが、ぼくはこれを「肥後しぐさ」と呼ぼう。肥後しぐさは人間観察していると誰にでも発見できる独特のジェスチャーなのである。

 

【考察】 

 

例①「ピラフば(はいよ)

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これは上京した熊本の男性が、喫茶店でピラフを注文するが、「ピラフば」と言ったため、給仕の方から「お客さま当店にはピラフバはございませんが」と返されるという、80年代ごろにはすでに知られていたエピソードである。

これは「ピラフば」と体言止めした男性に問題がある。

正確に、熊本弁で「ピラフばはいよ」というべきである。省略しなかったら〈いくらなんでも「ピラフばはいよ」は標準語に聞こえないだろうな〉と意識して「ピラフをください」と頼めたはずである。その配慮を怠り、いつもの調子で横着したゆえに理解されなかったのだ。

そう、肥後もっこす(熊本男性の、寡黙で頑固な態度を指す代名詞)は基本的に横柄なのである。必要最小限のことばしか発さない。先日も或るラーメン店で、中年男が「水!」とコップを振りかざして怒鳴っているのを見たが、どうして「水をください」と言えないのだろうか。あのように粗野なふるまいを、ぼくは「肥後しぐさ」だと指摘したい。

 

肥後しぐさの特徴として以下の四つがあげられる。

  1. 必要以上にふんぞり返る。
  2. 面倒くさげに喋る。
  3. 指を突きたてる。
  4. なれなれしい。

1)は自分を必要以上に大きく見せようとする意識の表れである。空威張りと言い換えてもいい。熊本では中年男性の約6割がこのしぐさを身につけている。肩を大きく揺すり脚は開き気味(ガニ股)で歩く。下唇を突きだしていれば、なお完璧である。

2)は「寡黙さこそ美徳」と錯覚しているゆえの態度である。男たるもの、お喋りは慎むべしだとして余計に話さない(野球選手に顕著である。古くは巨人の川上、元ロッテ監督の伊東、カープの好打者だった前田など)。しかし男性同士になればそりゃもう喋るしゃべる。お喋りの内容はたいていが「そこに居ない者の悪口」である。他人を褒めることは滅多にない。これは隣県の福岡や大分のように同郷人を応援しあう互助の精神の対極にある。熊本から傑物がなかなか輩出しない理由も、ひとえにその排他性、足の引っ張りあいが常態化しているがゆえにであろう。

3)何かというと指を突きたてる。ぼくがむかし渋谷の道玄坂を歩いているとき、高校時代の同級生にぐうぜん出くわしたが、彼はつかつかと駆け寄ると、握手するかと思いきや、「あーただろ、あーた、ここで何ばしよっとね?(訳:あんただろ、あんた、ここで何をしてるんだ?)」とぼくの眉間に指を突きたてて喚きちらすので、周りの友人がドン引きしていた経験がある。たぶんぼくの苗字を忘れていたんだろうが、他人に向かって指さすのは失礼だと習わなかったのだろうか?

4)尊大なくせになれなれしい。いきなり旧知のごとく話しかける。「で、ここで何ばするとや?(で、ここで何をするのかね?)」「これに何の意味があるとね?」「これは次ン来るまでの宿題にしとく(しておく)」など、初対面にしてはずけずけと意見をもの申す御仁が多い。友好的とも言えようが、ぼくからしてみれば他者との距離感を測れていないとしか思えない。

これら①~④までをミックスして凝縮させれば、「肥後しぐさ」はどこのどなたにも、いとも容易くふるまえる。典型的な例を挙げよう。

 

例②「ボスち言うてやった」

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これは、「ズバッと指摘した」という意味である。どんな内容を指摘したかと問えば、「しぇからしかニョウボの居ったけん、おなごは口応えすんなち、ボスち~(訳:小うるさい奥方が居たので、女は口だし無用と言ってやった)」とか、「コンビニの前で中学生のたむろしとったけん、ヌシどみゃ早よ帰れち(お前たち早く帰れと)ボスち~」とか、まあ自慢するほどのことでもなかったりする。

なお、ボスと発声する際にはアッパーカット気味に下から人差し指を素早く突きだす。できればニヤリと口の端を歪めてみせれば、あなたも一端の「肥後しぐさマスター」である。

 

さて、前述「ボス」でもお分りかと思うが、熊本県民の心性には「男尊女卑」の価値観が抜きがたく根を張っている。思想の根幹をなすと断定してもよい。熊本の中高年男性は、自分よりも年下の女性を「おなご【女子】」と呼ぶが、それが蔑みであることの自覚がない。だから下の絵に示すように、「おなごなら酌して当然」と思いこんでいるのである。「早よついでやらんや」は「早く注いでやりなさい」と訳せるが、この「~してやれ」という己の願望を“do something for”と一般化してしまうところが熊本弁のもっとも厄介な部分であり、これも肥後しぐさの典型と言えるだろう。

この男性の小児的なしぐさに、熊本の女性は如何に対応しているだろうか?

 

例③「なんば言いよらすですか、課長さんな、すかーん」

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芸能界で活躍する熊本県出身者はたいてい女性である。水前寺清子八代亜紀石川さゆりの三大女性演歌歌手、あるいは森高千里橋本愛にいたるまで、男性に依存しない芯の強さが共通する要素であるが、この「火の国の女」というステロタイプ熊本県内で発見するのはたいへん難しい。ぼくの独断と偏見によるが、一般的なイメージとは裏腹に、熊本の女性はきわめて「あしらい上手」である。上の絵に示したように、肥後の女性は男性の自尊心を適当にくすぐり、パワーハラスメントを無効化する術に長けている。その防衛術を会得しないまま酒席等に臨むと、女性は男性の横暴を真っ向から食らう破目になる。在熊女性の肥後しぐさは指先の撓りや二の腕の突っ張りに顕著だが、これは媚態というよりも拒絶に等しいことを在熊男性諸君はやはり知っておくべきだろう。

 

【まとめ】

老夫婦が改札口に入るとき、駅員が咎める間もなく、主人は黙って通過する。それに追随した奥様が「旦那の分も二枚ね」と微笑みながら切符をさしだす。自動改札の発達した今ではあまり見かけない風景だが、過去それらを日常的に目の当たりにしていた熊本人は、男尊女卑のしぐさを内面化してしまっている。

何故か?理由は「そのほうがラクだから」だ。御亭どんば(ご亭主を)立てておいたほうが万事うまく納まるとの知恵から、女性は一歩も二歩も身を引いてきた。しかし現代社会、その身の処し方は必ずしも有効ではないし、肥後しぐさを上手く振る舞えない女性にとって熊本は地獄にも等しい、居心地の悪い土地なのである。

熊本に半年も住んでいれば、肥後しぐさの一つや二つは簡単に真似られるだろう。だがそれはあくまでもローカルなものであり、スタンダードではないことを使用者は肝に銘ずる必要がある。肥後しぐさの滑稽さを知るには、余所の地域の風土や文化に触れ、常に比較し、批評的なまなざしを持つことである。安易に同調してしまったら最後、あなたは愚鈍の道をまっしぐらに進んでしまうだろう。

とはいえ悪いことばかりではない。なれなれしさは親睦と紙一重であるし、余計なお喋りをよしとせぬ寡黙の態度は慎重さにもつながる。何ごとも程度が肝要なのだ。肥後もっこす(黙鼓子)の矜持を世に知らしめたいのなら、先ずは自分が男尊女卑などの旧弊な価値観に縛られていないかを検証し、その悪習から脱却する気概を示すこと。それが21世紀の県民男児に求められる、しぐさならぬ姿勢ではなかろうか。

 

もちろん、これはほとんど自分を戒めているのである。最近Twitterで、フェミニズムを標榜するアカウントから相次いでリムーヴされた。さらに、直接関わったことのない何人かのアカウントからブロックまでされている。無意識かつ無自覚に、ぼくのツイートに肥後しぐさがにじみ出ているのではないかと思われる。この記事をご覧のみなさま、もしお気づきの点があれば、イワシそこだよと教えてください。あらためます。

 

 

 【関連記事】 

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 【追記】

#九州で女性として生きること hashtag on Twitter

上のハッシュタグがタイムラインを賑わせている。#に絡めて取りあげられたわけではないが、拙記事に注目してくれたアカウントの少なからずがこの件について言及している。ほとんどは「九州の男性優位性」を訴えているわけだが、とうぜん男性側からの反発もある。<各家庭に意識差が大きすぎる中、「九州の」問題にしてしまうと他地域でそういう事例がある場合に発見、改善する機会を逃すし、「全体的傾向」を軽く決めてしまうのは差別につながりやすいので>あまり好ましくないのでは?とする控えめな意見から、<おまえらの家庭環境が単にクズってだけだろ?そーゆーのと一緒くたにすんなよ(大意・実際はもっと酷い)>といった罵倒まで、上のハッシュタグはさまざまな波紋を呼んでいるようだ。

ようだ、というのは今個人的にTwitterから距離を置いている時期だからである。いずれまたあの泥沼に飛びこむ破目になるのだけれど、一つだけ言っておこう。ぼくは、熊本いや九州の女性たちが、いかに生きづらいかを訴えることは正当な権利であり、どしどし発言すればいいと思う。それくらい言わないと九州男児は無自覚なのだから、男尊女卑の風土に胡坐をかいたまま一生を終えるだろう。この記事なんて甘いあまい。ほんの一断面を面白おかしく風刺したにすぎない。もっと真剣に、具体的な例を挙げて糾弾していい。どれほど「九州で女性として生きること」が困難であるか、を。

最後に、同郷のアカウント「棚」さんの、胸のすくようなツイートをご紹介しておく。

自分が辛いなら、そのつらさをきちんと言語化して、表現すればいいんです。そのつらさをなんでだか、つらさを表明している女性にぶつけ、あまつさえ女性の抑圧にかかるから迷惑。男性学でもぶちあげて、なぜ、男性は他者を踏み付けないと辛さを表現できないのか、その構造は何か考えたほうが良い。その過程で結局家父長制(権力を持つものが弱いものを支配する)の問題にぶちあたるだろうし、そこから利益を受けてきた男性たちと対峙しなくてはならないから面倒なんでしょ。あわよくばその構造に自分ものっかって楽したいんでしょ。それができないから女に怒りが向くんでしょ。

 このツイートにつけ加えるべきは何もない。男性諸君、胸に手をあてて考えてみたまえ。

 

【追記】

‪熊本は水前寺の電車通りに面した畳屋さんに、かれこれ数十年、こんな看板がかかっている。‬
‪<新畳 嬶(かかあ)も負けんで 化粧する>‬
‪この肥後狂句を読んで、なんの疑問も感じないようなら、あなたは肥後しぐさを既に内面化していると思ってよいだろう。(2019/11/22)

 

年始に見た光景ふたつ。
①カウンターに小銭をぶちまけ、この中から必要な分だけ取れ、と店員に命令する年配の男性。
②セルフレジの仕組みが理解できず、何や何てやどぎゃんすりゃよかとか分からん、と店員に当たり散らす年配の男性。
どちらも典型的な“肥後しぐさ”で見苦しいこと甚だしい、が。

ぼくにも(肥後黙鼓子に特有の)頑迷な面がときどき現れる。理不尽な目に遭ったときや、誰かから蔑ろにされたときや、社会から疎外されたように感じたとき、かなり不機嫌を露わに出す(らしい)。そうならないよう努めてはいるけれど、老い先どうなるかは分からない。なるだけ穏やかに暮らしたいものだ。(2020/01/12)

 

個人が編んだ言の葉

 

昨日(8月8日)、天皇が「お気持ち」を表明した。

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)

私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この(かん)私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。

始めにも述べましたように,憲法(もと)天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。

国民の理解を得られることを,切に願っています。

この表明は当然、大きな波紋を呼んでいる。けれども、自身のメッセージがどのように波及するかを見定めた上での発言だったと思う。ぼくは上の記事を再読した上で、このような感想をTwitterに投稿した。

天皇制の是非についてはひとまず措く。ぼくが唸ったのは天皇の使う「お言葉」の巧妙さだ。あれほど考え抜かれた、切り貼りや編集や抜粋を許さぬ精緻な文は滅多にない。一言一句揺るがせにできないとはまさにこのことだと全文を読んで感じた。

読みあげられた「お言葉」を文字として再読すると、そこには周到に選び尽くされた推敲の跡を発見する。自身の立場と個人を正確に見極めた上でのぎりぎりの踏みこみ。安直な切り貼りを許さない丁寧に張りめぐらされた「係り」と「結び」。どの一行も蔑ろにできない。これではマスメディアも容易に侵害できまいと思ったものである。

ところが、さっそく産経新聞などは、この発言を奇貨として改憲の議論が加速化するよう誘導している。まったく呆れてしまうが、改憲論者の歯軋りが聞こえるようで面白くも思える。ともあれ天皇は一石を投じた。個人として発信をすることによって現政権が、マスメディアが、日本社会がどのように動くかを綿密にシミュレーションした上で。

 

ぼくは、SNSを交差する意見の数々を眺めた。そこには冷笑という見慣れた景色がなりを潜めている印象があった。それは天皇について語るという禁忌(タブー)の意識が反映しているのかもしれないが、あの渾身こめた真摯な個人の発言には、たしかに襟を正さぬには居れない佇まいがある。それを軽薄に混ぜっ返す振る舞いはさすがに憚られるといったところだろうか。

それでいいんじゃないかと思うと同時に、よりフランクに、自由闊達に語り合う土壌が形成されつつあるとの印象も受けた。たとえば天皇が言及した「殯(もがり)の行事」について。この前近代的な儀式を私たち市井の人間はどう受け止めるか。非人道的であるとぼくなどは感じるが、そういった重く、度重なる行事の是非についても、私たちは関心を持ってかまわない。天皇の公務が諸儀礼の継承によって成立している現状を、簾の奥の霞がかった幻影にとどめておく理由はなにもない。天皇が「私」という主語を用いた意味を考えたとき、現代における天皇制のありようと、天皇自身の人権についてを見つめ直すきっかけとするのは、悪いことではないように思う。

翌朝ぼくは、このような感想を追加した。

ぼくはどの角度から見ても隙のない文だとの感想を抱いた。役人が書いたのでは?と疑う意見をみたが、そうは思わない。思考展開と平明な表現は独特のもので、他が慮って代筆できるものではない。一言一句揺るがせにできないと書いたが、神聖にして侵すべからずとは思わない。各自が好きに解釈していい。

読みあげた本人(天皇)もきっとそう思っているはずだ。みんなで考えてみてくれ、と。でなけりゃ発信した意味がない。

利用しようとすれば、なんだって利用の対象となる。すぐにプロジェクトチームが組まれ、対策案が講じられるだろう。しかし、あの文言を改憲の口実として手前勝手に解釈するのは容易ではないぞ。誰にでも理解可能の平易な文章だけに、いたずらに弄りがたい。と、ぼくは「フラット」に読みましたけれどね。

ぼくの見通しは甘いかもしれない。多くの人が指摘し、憂慮するように、現政権および憲法改正論者の具体的な目論見は、時限立法としての「緊急事態要項」を半永久的に継続することであり、最終的には憲法の条文に固定化することである。そのためなら皇室典範の一部改正をも憲法改正に利用するとの見方が正解だろう。だが、もう一度、天皇の発言そのものに目を通してみよう。そんな企みの入りこむ余地はない怜悧な文章だ。もし、この発言を盾に憲法改正の機運を醸成しようとする怪しげな動きがあれば(それは既に始まっているが)、私たちは「そんなこと、どこにも書いてないぞ。天皇の発言と憲法改正は別問題だ。それこそ天皇の政治利用じゃないか」と言い返せばいい。天皇を右傾化の防波堤として利用することには賛同しかねるが、そう主張することは可能である。だから、発言の趣旨を読み解くことで、主権者としての国民が、日本という国土に、今後どのような社会を構築していくかを考える契機になるのではないかと思います。その意味で、天皇の言葉の真意を探る試みは、ここ(日本)で生活する者にとって、決して無意味ではないことだと思いました。とメンションに返答したのである。

もちろん象徴天皇制の継続を求める天皇の希望が「千代に八千代に」となる危険を懸念する声は当然であるし、煎じ詰めれば「やってられっか」が大意だとする意見も理解できる。が、私たちは、とにかく構えすぎる。現にこうやって書いている間はまだしも、公開する瞬間やはり緊張するだろう。ぼくは少し前にTwitterにこのようなことを書いた。

天皇という文字を打つ際、僅かにためらう気持ちがぼくの内にあります。神聖にして侵すべからずの戦前よりかはマシにしても、日本人は天皇について語ることを未だにタブーとしている。象徴天皇制の是非をふくめて、自由闊達な意見が交わされる社会になればいいですね。

でもさ凛さん、やっぱりちょっぴり心拍数があがっちゃうよ。

f:id:kp4323w3255b5t267:20160808114547j:image Dragonfly

 

だから<天皇の発言について反応し、言及すること自体が反動であり、結局それは天皇制を強化するだけの働きにしかならない>とする一部の反天皇制論者の意見には首肯しかねる。ぼくの・私たちの住む日本において、天皇とは何かと問い続けることは決して無意味なことではない。天皇を、外交における有力なカードとする合理的なものの見方から、日本社会を覆いつくす空気のように偏在する情緒=ムードと捉えるかまで人の数だけ意見があるだろうが、真摯な意見の交流を重ねあうことで、象徴のおぼろげな像が実線を結び、はっきりとした輪郭線を持った等身大の人格となるだろう。そうやって天皇を自分たちの側に引き寄せてみようじゃないか。ひいてはそれが、旧弊な制度から天皇を解放に導く手立てとなるかもしれない。今回の発言が本人の毛筆によるものかパソコンによるものか、皇后・美智子さんのサジェスチョンによるものか法学者の手引きによるものか、いずれも定かではないけれども、日本の先行きを考えるには格好の材料だと思うんだ。

 

ぼくは、今回の天皇の文章を読んで、人のいのちの儚さに思いを馳せていた。

とにかく、いっぺんでいいから熟読してみるがいい、個人が編んだ言の葉を。

かれは明らかに、“Come on, come talk to me! ”と、ぼくたちに訴えている。

 

 

 

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【追伸】

『表徴の帝国』に示された「空虚な中心」“のみ”で、天皇制の考察を回収するって、知的怠慢だと思うな。生身の人間がそこに存在しているという想像力を持たない言説は、それこそ空虚でしかない(過度に情緒的なのも困るけれどね)。これ、べつに天皇制に限った話じゃないよ。ほとんどにあてはまる。