鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

「肥後しぐさ」の招待

 

【はじめに】

江戸しぐさ」なる身振りがあるという。どんなものだか知らないが、一部の道徳の教科書にも載っているそうだ。文献がないので、実際にそんなしぐさがあったかどうかも怪しいらしい。だからぼくは江戸しぐさがどんなものか知らないし、知ろうとも思わない。

が、

熊本に帰郷して三年。熊本県人に特有の身振り手振りがあることに気がついた。その多くは中高年男性によるものだが、ぼくはこれを「肥後しぐさ」と呼ぼう。肥後しぐさは人間観察していると誰にでも発見できる独特のジェスチャーなのである。

 

【考察】 

 

例①「ピラフば(はいよ)

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これは上京した熊本の男性が、喫茶店でピラフを注文するが、「ピラフば」と言ったため、給仕の方から「お客さま当店にはピラフバはございませんが」と返されるという、80年代ごろにはすでに知られていたエピソードである。

これは「ピラフば」と体言止めした男性に問題がある。

正確に、熊本弁で「ピラフばはいよ」というべきである。省略しなかったら〈いくらなんでも「ピラフばはいよ」は標準語に聞こえないだろうな〉と意識して「ピラフをください」と頼めたはずである。その配慮を怠り、いつもの調子で横着したゆえに理解されなかったのだ。

そう、肥後もっこす(熊本男性の、寡黙で頑固な態度を指す代名詞)は基本的に横柄なのである。必要最小限のことばしか発さない。先日も或るラーメン店で、中年男が「水!」とコップを振りかざして怒鳴っているのを見たが、どうして「水をください」と言えないのだろうか。あのように粗野なふるまいを、ぼくは「肥後しぐさ」だと指摘したい。

 

肥後しぐさの特徴として以下の四つがあげられる。

  1. 必要以上にふんぞり返る。
  2. 面倒くさげに喋る。
  3. 指を突きたてる。
  4. なれなれしい。

1)は自分を必要以上に大きく見せようとする意識の表れである。空威張りと言い換えてもいい。熊本では中年男性の約6割がこのしぐさを身につけている。肩を大きく揺すり脚は開き気味(ガニ股)で歩く。下唇を突きだしていれば、なお完璧である。

2)は「寡黙さこそ美徳」と錯覚しているゆえの態度である。男たるもの、お喋りは慎むべしだとして余計に話さない(野球選手に顕著である。古くは巨人の川上、元ロッテ監督の伊東、カープの好打者だった前田など)。しかし男性同士になればそりゃもう喋るしゃべる。お喋りの内容はたいていが「そこに居ない者の悪口」である。他人を褒めることは滅多にない。これは隣県の福岡や大分のように同郷人を応援しあう互助の精神の対極にある。熊本から傑物がなかなか輩出しない理由も、ひとえにその排他性、足の引っ張りあいが常態化しているがゆえにであろう。

3)何かというと指を突きたてる。ぼくがむかし渋谷の道玄坂を歩いているとき、高校時代の同級生にぐうぜん出くわしたが、彼はつかつかと駆け寄ると、握手するかと思いきや、「あーただろ、あーた、ここで何ばしよっとね?(訳:あんただろ、あんた、ここで何をしてるんだ?)」とぼくの眉間に指を突きたてて喚きちらすので、周りの友人がドン引きしていた経験がある。たぶんぼくの苗字を忘れていたんだろうが、他人に向かって指さすのは失礼だと習わなかったのだろうか?

4)尊大なくせになれなれしい。いきなり旧知のごとく話しかける。「で、ここで何ばするとや?(で、ここで何をするのかね?)」「これに何の意味があるとね?」「これは次ン来るまでの宿題にしとく(しておく)」など、初対面にしてはずけずけと意見をもの申す御仁が多い。友好的とも言えようが、ぼくからしてみれば他者との距離感を測れていないとしか思えない。

これら①~④までをミックスして凝縮させれば、「肥後しぐさ」はどこのどなたにも、いとも容易くふるまえる。典型的な例を挙げよう。

 

例②「ボスち言うてやった」

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これは、「ズバッと指摘した」という意味である。どんな内容を指摘したかと問えば、「しぇからしかニョウボの居ったけん、おなごは口応えすんなち、ボスち~(訳:小うるさい奥方が居たので、女は口だし無用と言ってやった)」とか、「コンビニの前で中学生のたむろしとったけん、ヌシどみゃ早よ帰れち(お前たち早く帰れと)ボスち~」とか、まあ自慢するほどのことでもなかったりする。

なお、ボスと発声する際にはアッパーカット気味に下から人差し指を素早く突きだす。できればニヤリと口の端を歪めてみせれば、あなたも一端の「肥後しぐさマスター」である。

 

さて、前述「ボス」でもお分りかと思うが、熊本県民の心性には「男尊女卑」の価値観が抜きがたく根を張っている。思想の根幹をなすと断定してもよい。熊本の中高年男性は、自分よりも年下の女性を「おなご【女子】」と呼ぶが、それが蔑みであることの自覚がない。だから下の絵に示すように、「おなごなら酌して当然」と思いこんでいるのである。「早よついでやらんや」は「早く注いでやりなさい」と訳せるが、この「~してやれ」という己の願望を“do something for”と一般化してしまうところが熊本弁のもっとも厄介な部分であり、これも肥後しぐさの典型と言えるだろう。

この男性の小児的なしぐさに、熊本の女性は如何に対応しているだろうか?

 

例③「なんば言いよらすですか、課長さんな、すかーん」

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芸能界で活躍する熊本県出身者はたいてい女性である。水前寺清子八代亜紀石川さゆりの三大女性演歌歌手、あるいは森高千里橋本愛にいたるまで、男性に依存しない芯の強さが共通する要素であるが、この「火の国の女」というステロタイプ熊本県内で発見するのはたいへん難しい。ぼくの独断と偏見によるが、一般的なイメージとは裏腹に、熊本の女性はきわめて「あしらい上手」である。上の絵に示したように、肥後の女性は男性の自尊心を適当にくすぐり、パワーハラスメントを無効化する術に長けている。その防衛術を会得しないまま酒席等に臨むと、女性は男性の横暴を真っ向から食らう破目になる。在熊女性の肥後しぐさは指先の撓りや二の腕の突っ張りに顕著だが、これは媚態というよりも拒絶に等しいことを在熊男性諸君はやはり知っておくべきだろう。

 

【まとめ】

老夫婦が改札口に入るとき、駅員が咎める間もなく、主人は黙って通過する。それに追随した奥様が「旦那の分も二枚ね」と微笑みながら切符をさしだす。自動改札の発達した今ではあまり見かけない風景だが、過去それらを日常的に目の当たりにしていた熊本人は、男尊女卑のしぐさを内面化してしまっている。

何故か?理由は「そのほうがラクだから」だ。御亭どんば(ご亭主を)立てておいたほうが万事うまく納まるとの知恵から、女性は一歩も二歩も身を引いてきた。しかし現代社会、その身の処し方は必ずしも有効ではないし、肥後しぐさを上手く振る舞えない女性にとって熊本は地獄にも等しい、居心地の悪い土地なのである。

熊本に半年も住んでいれば、肥後しぐさの一つや二つは簡単に真似られるだろう。だがそれはあくまでもローカルなものであり、スタンダードではないことを使用者は肝に銘ずる必要がある。肥後しぐさの滑稽さを知るには、余所の地域の風土や文化に触れ、常に比較し、批評的なまなざしを持つことである。安易に同調してしまったら最後、あなたは愚鈍の道をまっしぐらに進んでしまうだろう。

とはいえ悪いことばかりではない。なれなれしさは親睦と紙一重であるし、余計なお喋りをよしとせぬ寡黙の態度は慎重さにもつながる。何ごとも程度が肝要なのだ。肥後もっこす(黙鼓子)の矜持を世に知らしめたいのなら、先ずは自分が男尊女卑などの旧弊な価値観に縛られていないかを検証し、その悪習から脱却する気概を示すこと。それが21世紀の県民男児に求められる、しぐさならぬ姿勢ではなかろうか。

 

もちろん、これはほとんど自分を戒めているのである。最近Twitterで、フェミニズムを標榜するアカウントから相次いでリムーヴされた。さらに、直接関わったことのない何人かのアカウントからブロックまでされている。無意識かつ無自覚に、ぼくのツイートに肥後しぐさがにじみ出ているのではないかと思われる。この記事をご覧のみなさま、もしお気づきの点があれば、イワシそこだよと教えてください。あらためます。

 

 

 【関連記事】 

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

 

 

 【追記】

#九州で女性として生きること hashtag on Twitter

上のハッシュタグがタイムラインを賑わせている。#に絡めて取りあげられたわけではないが、拙記事に注目してくれたアカウントの少なからずがこの件について言及している。ほとんどは「九州の男性優位性」を訴えているわけだが、とうぜん男性側からの反発もある。<各家庭に意識差が大きすぎる中、「九州の」問題にしてしまうと他地域でそういう事例がある場合に発見、改善する機会を逃すし、「全体的傾向」を軽く決めてしまうのは差別につながりやすいので>あまり好ましくないのでは?とする控えめな意見から、<おまえらの家庭環境が単にクズってだけだろ?そーゆーのと一緒くたにすんなよ(大意・実際はもっと酷い)>といった罵倒まで、上のハッシュタグはさまざまな波紋を呼んでいるようだ。

ようだ、というのは今個人的にTwitterから距離を置いている時期だからである。いずれまたあの泥沼に飛びこむ破目になるのだけれど、一つだけ言っておこう。ぼくは、熊本いや九州の女性たちが、いかに生きづらいかを訴えることは正当な権利であり、どしどし発言すればいいと思う。それくらい言わないと九州男児は無自覚なのだから、男尊女卑の風土に胡坐をかいたまま一生を終えるだろう。この記事なんて甘いあまい。ほんの一断面を面白おかしく風刺したにすぎない。もっと真剣に、具体的な例を挙げて糾弾していい。どれほど「九州で女性として生きること」が困難であるか、を。

最後に、同郷のアカウント「棚」さんの、胸のすくようなツイートをご紹介しておく。

自分が辛いなら、そのつらさをきちんと言語化して、表現すればいいんです。そのつらさをなんでだか、つらさを表明している女性にぶつけ、あまつさえ女性の抑圧にかかるから迷惑。男性学でもぶちあげて、なぜ、男性は他者を踏み付けないと辛さを表現できないのか、その構造は何か考えたほうが良い。その過程で結局家父長制(権力を持つものが弱いものを支配する)の問題にぶちあたるだろうし、そこから利益を受けてきた男性たちと対峙しなくてはならないから面倒なんでしょ。あわよくばその構造に自分ものっかって楽したいんでしょ。それができないから女に怒りが向くんでしょ。

 このツイートにつけ加えるべきは何もない。男性諸君、胸に手をあてて考えてみたまえ。

 

【追記】

‪熊本は水前寺の電車通りに面した畳屋さんに、かれこれ数十年、こんな看板がかかっている。‬
‪<新畳 嬶(かかあ)も負けんで 化粧する>‬
‪この肥後狂句を読んで、なんの疑問も感じないようなら、あなたは肥後しぐさを既に内面化していると思ってよいだろう。(2019/11/22)

 

年始に見た光景ふたつ。
①カウンターに小銭をぶちまけ、この中から必要な分だけ取れ、と店員に命令する年配の男性。
②セルフレジの仕組みが理解できず、何や何てやどぎゃんすりゃよかとか分からん、と店員に当たり散らす年配の男性。
どちらも典型的な“肥後しぐさ”で見苦しいこと甚だしい、が。

ぼくにも(肥後黙鼓子に特有の)頑迷な面がときどき現れる。理不尽な目に遭ったときや、誰かから蔑ろにされたときや、社会から疎外されたように感じたとき、かなり不機嫌を露わに出す(らしい)。そうならないよう努めてはいるけれど、老い先どうなるかは分からない。なるだけ穏やかに暮らしたいものだ。(2020/01/12)