鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

『かぐや姫の物語』2013年11〜12月のツイートから

 

2013年11月23日、ぼくは足の指を骨折した。仕事を休んでいたが、家に居てもつまらないので、映画でも観ようと思い、近くのシネコンに行ってみた。

【11月25日】

①今から『かぐや姫の物語』を観ますね。では、しばし失礼。

posted at 12:58:34

②『かぐや姫の物語』、いま見終わった。
観客は30人くらいか。つまりガラガラだった。

感想は、書かないでおこう。

観たほうがいいと思うよ絶対。

posted at 15:44:26

③昨日ある方のツイートに貼られたリンク先の文章を読んで、俄然『かぐや姫の物語』を観たくなったわけで。前言撤回、やはり観たあとの感想を書いておこうと思う。

posted at 17:05:30

④『かぐや姫の物語』。謳い文句にあるジブリ史上最高の絶世の美女だとは思わんが、むちゃくちゃかわいい。

posted at 17:11:50

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高畑勲監督の作品は、説話的→説明しすぎ→説教くさい傾向があったが、今回の『かぐや姫の物語』は、雲をつかむようなお話になりかねないので、理詰めの演出が功を奏した、というかちょうどよかった。観客は物語を読み誤らずにしっかりと把握できる。

posted at 17:26:15

⑥従来ならばクサいと感じてしまう場面も、画の説得力で押し通してしまう。アハハと笑いながら山野を駆けめぐるふたり。放たれた矢が花束に変質してしまうくだり。さんざん使い古され、もはやパロディもされなくなった話法を、『かぐや姫の物語』は、これでもかと見せつける。

posted at 17:35:52

⑦観ているうちに誰しもが気づくメッセージ性の強さ。お約束ですからの言いわけなんか一切しない潔さ。ぼくは『かぐや姫の物語』を観ていて、絶対的権力(例えばそれは天皇制だ)に対する抵抗の意志と、GPSに代表される汎地球規模の監視システムへの絶望の、二つを感じとった。

posted at 17:54:05

⑧このくらいでとどめておこう。感想は人それぞれだから、ぼくとは違った見方でお楽しみください。
あ、音楽がよかった。久石譲の劇伴でもなく、エンディングの歌でもない、高畑勲監督が自ら作った「わらべ唄」と「天女の唄」が。旋法を識ってなければ書けない、優れた仕事だ。

posted at 18:01:37

【11月28日】

映画『かぐや姫の物語』の冒頭では「制作・氏家齊一郎」とクレジットされるが、なぜ、日テレの故・氏家氏が、「赤字でも構わない、金はすべて俺が出す」からと、高畑勲の映画にこだわり、支援し続けていたのかも、思想的背景を抜きにしては語れないだろう。

posted at 21:21:08

【12月5日】

午後3時か。
さて、宿題にとりかかろう。

posted at 15:04:11

①今年(2013年)の夏に『はだしのゲン』問題がありました。あの時少なからず散見したのが、「表現の弾圧はけしからんと思う。でも、それ以前に、あの絵柄がどうも受けつけない」という意見です。たしかに中沢啓治氏の太い描線と悪漢の形相は、発表当時の少年ジャンプの中でも、かなり古くさく感じました。a

posted at 15:11:22

②同様のことを、ぼくは高畑氏のアニメーション作品にも感じておりました。絵柄が苦手。表情のつけ方やキャラクターの動作が、現在進行形の「かっこいい」や「かわいい」とかなり異なってい、古くさく見える。アニメのモード=コードを逸脱した「感じ」に、なんとも居心地の悪い思いを抱いていました。

posted at 15:17:54

③古くささなら、盟友・宮崎氏のアニメにも見出せます。やーいやーいと囃したてる子どもら、いただきまーすと唱和する男たち。そういったステロタイプを、しかし宮崎氏は画力で場面を展開、つまり突破してしまう。ところが、高畑作品はそうはいかない。そこで立ち止まる。じっくり見せつける。

posted at 15:23:25

④高畑氏は丁寧に、それこそ子どもにもわかるように絵解きをする。ここは悲しい場面なんだと、キャラクターの表情と動作と背景の絵とせりふと、総動員で説明する。早い話が、お説教くさい。そこを宮崎駿は揶揄もしている「共産党みたいなことを」と(河出ムック『宮崎駿の世界』より)。

posted at 15:28:41

⑤さあ、第一のポイントです。ぼくが「感じた」ものの正体。それは作品全体を覆う隠しようのないメッセージの色。主張を正しく伝えることが第一義にあり、エンターテインメントとしてのアニメーションとして受けとるには重すぎる命題を、避けて通らせてはくれない。だからやっかいだなあと思いました。

posted at 15:35:28

⑥『ぽんぽこ』では自然・環境破壊を。『火垂るの墓』では戦争反対を、堂々と掲げている。娯楽のオブラートに包まない。それだけが高畑氏の作品ではないことは百も承知ですが、道徳の授業みたいなムードをぼくは敬遠していました。絵柄、とくに彼の指示による表情のつけ方は、まさにその象徴に思えたのです。

posted at 15:41:16

⑦いい訳めくのですが、ぼくは『山田くん』を観ていません。そこがミッシングリンクかなと思いますので機会を見繕って観ようとは思いますが……先を急ぎます。今回11/23に封切られた『かぐや姫の話』について。ぼくは足を怪我して、時間をもてあまして、たまさか観たのです。

posted at 15:45:18

⑧だから白状しますと、たいして期待もしてなかった。ジプリ・日テレ・電通等の広告代理店各社のメディアスクラムに反発もしてましたし。ただ、どうしてでしょう、なにか引っかかったのです。前日にみたツイートのせいかもしれません。画期的であると、アニメーションの概念をくつがえす作品である、と。

posted at 15:48:32

⑨最初の数分間は、やはり違和感を感じました。翁の、さも善良そうな表情やら、竹の子やーいと囃したてる童やら。子ども時代の体型やら、脚の描き方など、むかしの「サスケ」みたいじゃんと内心ケチつけながら観てましたが、そのうち、そんなことはどうでもよくなっていた。徐々にのめりこんでいった。

posted at 15:53:22

⑩その日(11月25日)に書いた感想が、いちばん正直な心に近いと思いますが、ともかく観おわった後は、絶賛する側に回っていた。では、その逆転した場面とはどこか?

posted at 15:59:25

⑪その場面こそ、あの予告編に垣間見れる1分間なのである。ぼくは、アニメーションであれほど「速度」を感じたことはない。なんだなんだこれはいったいと息を呑み、手に汗握った。こういう喩えを許してもらえるなら、あれはまさに「序・破・急」だった。そしてアニメがもっとも苦手にしていた「抽象性」を獲得していた。

posted at 16:04:26

⑫あとは、誰がなにを演じようが、物語がどう進行しようが、ぼくにとってはたいした問題ではなかった。月よりの使者の奏でる「天上の調べ」が、やや類型的かなと感じた程度である。ともあれ『かぐや姫の物語』は、ぼくが勝手に作り上げていた高畑勲像をこなごなに粉砕したのである。

posted at 16:10:00

⑬最後に。『かぐや姫』にまつわるもうひとつの大きなテーマは、「女性」。〈月〉そのものが女性の生理の暗喩である以上、避けては通れない。もちろん高畑作品は問題を回避せず、物語の中にしっかと刻みつける。ちゃんとせりふで説明するし、絵解きもする。が、嫌味にはならない。

posted at 16:19:12

⑭もしかしたらそれは「男性からみた女性」なのかもしれないから、女性から観た『かぐや姫』の感想を聞きたいところです。ただ、描写は最大限デリケートに扱われているし、典型的メタファーも巧い具合に機能している。教条的にもならないし、さりとてうやむやにもされていないと申し添えておきます(了)。

posted at 16:27:53

togetter.com

なお、この日の連続投稿は、<『かぐや姫』と特定秘密保護法強行採決>というタイトルで、togetterにまとめられている。騒然とした中の呑気な感想。

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今日(2018年5月18日)高畑勲氏の追悼番組として、『かぐや姫の物語』が地上波(日テレ系)で放映された。

ぼくは下掲の感想をツイートしようとして、

高畑勲氏の演出は、物語の全体から各場面の細部にいたるまで、どのような意図で描かれ・セリフが交わされているかが明確に示される。曖昧さは排除され、すこぶる論理的で誤解の余地は少ない。類型はともすれば説教に陥る危険はあるけども「観客が理解できること」が先ずは最優先される。すなわち解題……

途中でやめた。これとほぼ同じ感想なら5年前の初公開時に書いていたぞと思いだして。それでここに再掲し、再構成を試みた次第である。

ただ今回は後半の展開が5年前よりも心に残った。#MeToo 運動の興隆が、今年に入って世界中を揺さぶり続けている。性的被害を受けた人々が勇気を奮って沈黙を破る一方で、それに慄き、認識をアップトゥデイトできない(主に中高年男性)人々もいる。そうした今の社会情勢と『かぐや姫の物語』はリアルに連動し、共振していた。とくに御門(帝・ミカド)に後ろから抱きすくめられたときのかぐや姫の恐怖の表情 b たるや、凡百のアニメ映画の追随を許さぬ迫真の描写だった。この高畑勲の非妥協的な社会批評の姿勢は、たとえ氏が(2018年4月5日)彼岸へ旅立とうとも、今後ますます地上の現在を反映する鏡になるだろう、とぼくは痛感したのである。

 

 

 

【追記】

a: 記事中、「はだしのゲン」の絵柄について「古くさく感じて苦手だ」と触れているけれど、スマフォが主流になった今、あの太い描線と白黒のコントラストは、あべこべに訴求力のあるビジュアルとして、世代を超えて好まれているように思える。何がタイムリーで何がタイムレスかは次の時代が答えてくれる。

b: 引用ツイートの画像を参照のこと。

c参照記事2点。対照的だが、優れた論考。

d: ぼくは、自分の中にわだかまるモヤモヤとした感覚を、わかる形で明確に示してくれる作品だという、雪原 @ykhre さんが2015年に投稿した意見を見て共感する反面、新規の稿を起こせずにいるスランプ状態に苛立ち、拗ねていた。

自分の以前に書いた記事を読んで、ぼくは5年前より確実に文の切れが鈍くなり、思い切った意見を発せなくなっていることに気づいて、意気消沈している。人間は進化するばかりではなく、退化するものなのだ。

と、このネガティヴな投稿に呼応したようなツイートが目にとびこんだ。以下、@Ogi_Hong0504 さんの投稿。

かぐや姫の物語」録画しておいて今夜観ました。5年前の作品だけど初見。
衝撃的。愛おしい美しい温かい力強い荒々しい憎らしいばかばかしい愚かしい切ない狂おしい。こんなに素晴らしい映画だったとは。そして公開時の5年前より今、社会により大きな問題を提起しているのでは。

5年間に社会が後退したのか、それとも5年前には気づけなかった問題に気付けるようになったという意味で前進したのか。前進と後退はそう考えたらとても連続的な概念だな。後退したがゆえに「気付き」と言う前進がもたらされ、その前進が大きなうねりとなってやがて後退した考えをひっくり返すだろう。

高畑勲監督のご冥福をお祈り申し上げます。

それで、救われた、気持ち。