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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

選挙、いくぜよ‼︎

 

選挙期間中になったら、Twitterでの発言が主になり、どうしてもブログの記事を更新できなくなった。まあ仕方ないや、二兎は追えない。今日は衆院選前日、こっそりまとめて投稿しよう。

 
ぼくは今回、Twitterで意図的に「選挙」を口にした。危機感と焦燥感がそうさせたのだ。安倍内閣は危険である。今回の選挙で一人でも多くの野党議員を送りこみ、自民公明の与党勢力を削ぎ、安倍の野望を挫かなくてはならない。その思いを強くしてツイートをくり返した。
だが気になったことは、選挙への関心があまりにも薄いのではないかということだった。喚起したかった。それでしつこいほど選挙の重要性を訴えた。そこで自分のアカウントのヘッダーをこんなふうに変えてみた。
 
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Rolling Stonesのライブ映像『Bridges to Babylon』より拝借
 
みんな挙って選挙にいくぜよ。思わず(笑)ってしまうが、まずはそこがスタートだと意思表明したつもりだ。当然それを不快に思った方も多いだろう。押しつけがましいなと自分でも感じるけど、立場を明確にしておきたかった。
立場を明確にという部分ではもう一つ、「生活の党」支持を公然とした。ぼくの政治への関心は、小沢一郎の街頭演説を聞いたときから始まっている。その原点を見失わないように、かれの唱える「国民の生活が第一」という視点を尊重したかった。
小沢一郎は野党共闘を呼びかけた。そのビジョンはすこぶる明快である。すなわち自民に拮抗する勢力を構成しないかぎり日本の政治風土は変わっていかないという、現状認識の上に立った視点だ。ポジショントークだと揶揄されようが、ぼくはその真意を自分なりに受けとめて発言したつもりだ。そして、自分の役割とは選挙に対して距離を置きがちな、どちらかというと文化・芸術畑の人たちに選挙への興味と関心を促すことだと勝手に決意した。その戦略が功を奏したかどうかはわからないが、やるだけはやってみた。かれ・かの女らに伝わるような工夫、いうなれば「符丁」や「コード」を敢えて使ってもみた。
 
そこで留意した点が二つある。
一つは、野党共闘である以上、生活の党以外の野党を批判しないこと。とくに共産党への不満は一切口にしないこと。共産党を悪くいうことはなんの得にもならない。とくにクマモトのような自/共が一騎打ちだという区が殆どの地域で、共産党を否定するほど莫迦ばかしいことはない。自民に票を入れたくなければ(小選挙区では)共産に一票を投じる以外にない。その大事な候補者を送りだした党をなにゆえ非難できよう。共産党にたいして思うところは多々あるが、少なくとも選挙期間中は共産党への批判はするまいと自戒した。
さらに、オリジナル民主と言われる、小沢一郎を石もて追うた民主党の「六人衆+α」への批判も控えた。じつにはらわたが煮えくりかえるが、自重するほかなかった(それでもつい枝野幸男氏には辛辣なことを口走ってしまったが → 2016年1月追記:その後、国会での奮闘ぶりを見るにつけ、ぼくは枝野氏を居なくてはならない、大事な政治家だと考え直している)。だから大キライな維新にしたって今回は批判をグッと堪えた。ちなみにぼくは今回の期日前投票で、比例区には迷うことなく「生活の党」と大書したが、選挙区では忸怩たる思いを抱えつつも、維新の候補者に一票を投じた。
 
さて、もう一つ心がけたのは、選挙そのものへの疑念をできるだけ避けることだった。
具体的にはさらに二点、一つ目は選挙システムそのものへの不信、より分かりやすくいうと「不正選挙」のキャンペーンに乗っからないことだった。確かに不正の芽はそこかしこに見え隠れしている。巷間言われる「ムサシ」製集計マシンへの疑惑、投票箱の差し替え、投票用紙の改ざん、さらには選挙管理委員会そのものへの不信…etc…それらの言説を排除はしないが、今回は取り沙汰しないように努めた。選挙システムの根幹そのものを疑いはじめたらきりがないし、畢竟それが投票率低迷にも繋がりかねないと考えたからだ。
(蛇足だが、この件にかんしては武富健治作のマンガ「鈴木先生」に鋭い考察がなされている。ご一読をお勧めする。)
そして二つ目は前の留意点とも繋がるが、選挙そのものへのアパシー、無力感を払拭する・させることだった。
ぼくと相互フォローの関係を結んでいる若い人たちには、選挙そのものに疑問を抱くものが少なくない。代表的な言説としては、 選挙は壮大なプロレスである。と、 自己に拘泥することを選挙よりも優先する。の二つである。これを「なに甘ったれてんだ」と一喝するのはたやすい。しかしぼくは、そう強く言えない。語りだすと長くなるので別の機会に譲るが、要するにぼくもまた、選挙をプロレスだと思い、公の儀式を忌避する、個人的な事柄を最優先する若者だったからだ。その証拠に白状すると、二十代前半に投票所に足を運んだ経験はない。選挙に赴くようになったのは社会人になってからで、それまでは新聞やニュースで投票率の低下が報じられていても、そりゃ当然だ、政治家なんて全員汚ねえもんさと鼻で笑っていたくらいだから。だからぼくには、選挙には行かねーよと言ってる若いやつらに説教を垂れる資格なんかない。
いまの若者と過去の自分を同一視してはいけない。当時と今とではあまりにも状況が違いすぎる。それは承知している。しかしこんなダメなぼくだからこそ、言えることもあるんじゃないかと思う。それゆえ恥も外聞も捨てて生真面目な発言を投稿し続けた。とりわけ言いたかったことは、次に掲げるこんなことだ。

ぼくは選挙に出かけ、投票用紙に候補者の名前を書く瞬間、そのことをいつも感じる。この、選挙制度に縛られ、義務を果たさねばならぬ時間が、逆説的に、もっとも個人的な行為であることに、いつもハッとさせられる。それは「引き裂かれた自己」ではなく、意思と行動が合致したところの、到達点なのだ。自己は社会によって分断されるものじゃない。その鉛筆の先と投票用紙の接点に、自己を統合する線が、結ばれるんじゃないか?

センシティヴな人には耐えられないかもしれないが、ぼくはとことん経験主義なんだ。だから気安く、いともたやすく、軽々しく口にする。

選挙に、いくぜよ!」と。

それから先どうするか、誰を・何を選ぶのかは、きみ次第さ、任せるよ。

《2014/12/13  iPhoneより投稿》

 

 

【追記】

選挙制度じたいに疑問を抱くことは、とても大切なことだと思う。現行のシステムは不完全だし、そも議会民主制じたいに欠陥があるのかもしれない。日本の社会を外から俯瞰する必要があるのと同様、選挙そのものから身をひいて思考をとことんめぐらしてみてもいいのかもしれない。

ただ、今はそんな悠長なことを言っていられない。じたばたしつつ、俗世間の海を泳ぎきってゆくしかない。どうあがいたって、ぼくもあなたも、この社会から、政治から、そして日本から、そう簡単には逃げおおせやしないんだから。

 

【参考までに】

12月1日から13日の間に千件以上のインプレッションユーザーがTwitterでツイートを見た回数。文章末尾の数字を獲得したツイートを掲載しておく(政治・選挙関係のツイートに限定)

一言だけ。 おれは生活支持だけど、共産党を排斥するツイートをすごく残念に思う。情けないなあと感じる。敵はそっちじゃないだろ? だったら熊本はどうなる? 一区以外は事実上、自民と共産の一騎打ちだぜ? 自民に勝たせていいのか? 安倍政権を倒すためなら共産を応援するしかないじゃないか!4,516 

 

政治家は汚い、だから信用できないといって、選挙に行かない言い訳をする人がたまにいるけど、その「汚い」をぜんぶ政治家におっ被せてやいませんか、と言いたくなるね。7,506 

 

ビッグデータの御託宣を鵜呑みにして「日本人は自民党が好きな国民だ」という安直な結論を導きだす言論人。そこには確たる思想もなく、思惟を掘り下げた形跡もない。ただの気分。雰囲気。現状追認ここに極まれり。無惨。3,200 

これが秘密保護法施行後に政府が画策していることだ。人心を萎縮させ、若者の志向を挫けさす。なんという内向きな国家のありようか。美しい国の正体が斯くも陰険で狡猾なものだという実例だ。こんな調査が許されていいものかどうか考えてみるがいいhttp://www.47news.jp/smp/CN/201412/CN2014120701001439.html  2,306 

 

日本社会に蔓延る隠蔽体質。それを反映しているというよりも、自ら体現しているのが情報開示を率先して行うべき新聞社であるという、倒錯。7,137 

 

農家の人や県議会の自民党への忠誠は信仰心のようなものだと思う。あとは縁(えにし)。2,563 

 

自民党員の)親父はいう。顧問についている以上、今回の衆院選を無視はできんと。それともう一つ。先日の市長選で、大西が石原に予想以上の追い上げをくらったので、うかうかしていると、木原は松野の後塵を拝するとの危機感から。 ぼくは生活の党の支持者であり、親父とは関係ないが、いちおう参考までに。1,049 

 

いまの自民党にはハト派がいない。たとえば三木武夫宇都宮徳馬、それに河野洋平が。安全弁が壊れてしまっているではないかと。派閥間の争いはあっただろうが、その幅の広さが自民の強みではなかったかと。いまの自民は昔と違う、変質してしまったんだと。1,263 

 

それほど自分に自信があるのだろうか。どの党が政権をとろうと、そんなものに自分は左右されないと信じているのだろうか。それとも暮らしぶりが多少悪くなろうが仕方ないと達観しているのだろうか。選挙であたふたするのはみっともないと思っているのだろうか。わからないけど、おれはじたばたするよ。13,722 

 

どうせ自分の選んだ候補者は負けるだろう → 自分の一票では政治は変わらないと打ちひしがれるのは嫌だな → そうならないよう今のうちに予防線を張っておこう → だから投票には行かない この思考サイクルに嵌っている人は多い。内面の合理化。失望するのが怖いフォビア。臆病風に吹かれて。3,475 

 

比例区は「生活の党」とマスいっぱいに大きな字で書いてきたぜ。2,176 

 

フランク・ザッパは自分のコンサート会場に選挙登録のコーナーを設けて、観客に向かって申請用紙に記入して投票に行こうと呼びかけていた。さもなくばきみたちは、大統領の命令で戦争に駆り出される羽目になるんだぜ、断乎としてNO! だと思うんなら選挙権を手に入れろと。偉大なアーチストだった。6,338 

 

政治家なんて誰がなっても一緒、なんて言ってる人は、自分は何も見ていないんですと公言しているようなもの。人を十把一からげにしなさんな。4,502 

 

 

 

 

 

 【2016年1月の追記】

ぼくの敬愛するイラストレーターぼうごなすこさんが、#私が投票に行ったワケ というハッシュタグを作り、それを「NAVERまとめ」に収め、随時更新している。

matome.naver.jp

なすこさんの趣旨はこうだ。

なかなか投票率が上がらない昨今、逆に既に投票に行っている人の行き始めたきっかけをお聞きしてそれらをシェアしたら、投票率を上げる呼びかけの糸口が見つかるのではと思いました。よろしければ"#私が投票に行ったワケ"でツイートして頂ければ、まとめに加えさせていただきます。

この記事も、その中でこのように触れられている。

イワシさんご自身も20代前半の頃は「選挙をプロレスだと思い、公の儀式を忌避する、個人的な事柄を最優先する若者」だったそう。これ思い当たる方きっとたくさんいらっしゃいますよね(私もそうでした)そんなイワシさんがなぜ選挙に出かけるようになり、投票に意味を見出すようになったのか。下記のイワシさんのブログ「選挙、いくぜよ‼︎ - 鰯の独白」にもしっかり書かれています。素晴らしい考察です。

ぼくの考察なんかどうでもいいが、この「まとめ」に収められているさまざまな個人的なきっかけを、ぜひひとりでも多くの人に読んでもらいたい。こんにちに生きる私たち有権者の貴重な証言であり、記録である。