鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

“ラスパルマスのキリスト” 松本隆『微熱少年』より

 

 たとえば、カエターノ・ヴェローソ71年の作品「ロンドン・ロンドン」を聴いていると、ふと松本隆の詩作を想起してしまう。(亡命先である)英国の曇天の空の下で陽光のふりそそぐ故郷ブラジルのクリスマスを想う、みたいな対比の拵えが。

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 あるいは、先日ぐうぜん耳にした<ザンビア出身のアマナズ、1973年の唯一のアルバム『アフリカ』。どの曲もびっくりするくらいフツーのロックで、聴いてて心穏やかになる。この歌なんかホラ、『ゆでめん』ぽいでしょ? でもね、こういう誤魔化しのない録音は時代を超えて尊いの。>なるほど、各楽器の音程こそ怪しげだけど、こいつは確かに「しんしんしん」そっくりだ。

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 こんなふうに、ぼくは半世紀も前に勃興したムーヴメントと、そののち派生した数多のグループに、未だにとらわれている。国や地域が違っても、共通項をたくさん見出してしまうのだ。

 はっぴいえんどに。

 

 ご多分に漏れず、ぼくもはっぴいえんどにかぶれた。彼らの作った3枚のレコードは、好む好まざるにかかわらずロック少年たちの必修科目だった。メンバー4人の活動は欠かさずチェックしていた。とりわけぼくは歌謡曲の作詞家に転じた松本隆のことが気になった。彼はなぜドラムセットから離れたのだろう。彼はなぜ太田裕美アグネス・チャンの作詞に手を染めた(失礼)んだろう? 不可解の理由を知りたくて、2冊の本を買い求めた。その謎が解き明かされるかもしれないと思って。

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左:『風のくわるてっと』発行 ブロンズ社 昭和47年11月10日

右:『微熱少年』発行 ブロンズ社 昭和50年6月30日

 謎は謎のまま深まるばかりだったが、ぼくはよりいっそう松本隆に惹かれた。この2冊は音楽の水先案内人のようだった。『風のくわるてっと』でプロコル・ハルムグレイトフル・デッドを知り、『微熱少年』で“ニュー”ソウルの潮流を知った。ぼくはリズム&ブルースになかなかうまく接近できずにいたが、松本隆の熱っぽく語るダニー・ハザウェイカーティス・メイフィールドのアルバムを通じてソウルミュージックの豊穣に開眼することができた。そのこと一つをとっても感謝している。

 さらにぼくは、彼の文体にも決定的な影響を受けた。少し身構えたような、硬質な筆づかいを無意識に模倣していた。たとえば、こんな箇所に。

昨日、ぼくは春の海という奴を見た。あわただしい演奏旅行の最中だった。屹立する工場の高い煙突や、テレビ・アンテナが帆船の帆檣(マスト)のように乱立している街並の隙間から覗いた海はひねもすのたり、といったイメージからはおよそかけ離れていた。(『風のくわるてっと』60ページ「失われた海を求めて」より)

  カッコいい! ぼくは痺れた。情景を描写しつつも感情に溺れすぎない。ハードボイルド。探偵小説みたい。

 村上春樹が『風の歌を聴け』でデビューしたとき、ぼくは〈松本隆みたいな文体の小説〉だと友だちに説明したけれど、これも距離感が似ていた。自分が日ごろ感じている「曖昧な領域」をみごとに抽出してくれているように思えた。つまり松本隆は、十代のぼくの物差しだったのです。

 ここでひとやすみ。

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 さて、今回ぼくがこの稿を起こしたきっかけは、下の拙いツイートが松本隆さんご本人の目に触れ、リツイートされたからであるが、

 それともう一つ、『微熱少年』の中に、ぜひとも紹介したいエッセイがあったからだ。全部を書き写す愚は控えるが、ここに記されたいくつかの問題提起は、今この時代にこそ読まれるべきではないかと、ふと思ったからである。テキストからいくつかを抜粋してみよう。

 なお、文中は初版の表記に従った(「黒人」等)。

 ジェリーとぼくはアパートメントの入口をふさぐ鉄柵の前に立つと、壁に取りつけられているテレビ・カメラに向かってトムというその詩人の名を告げた。すると鉄柵は自動的に開き、ぼくらをアパートメントに導いた。まるでスパイ映画のような仕組みにぼくは、このビルの何処かで機械を操作した管理人の姿を思い描いていた。(80ページ)

  自分の詞が英訳されることになった「ぼく」だが、翻訳するトム氏とはどうも話が噛み合わない。言葉の微妙なニュアンスやバックボーンの差異ばかりが取りざたされる。たとえば〈歌詞の一節に「十二色入りの色鉛筆」と書かれているが、アメリカに色鉛筆はなく、十二色も伝わりにくい。七色なら虹色として表現されるが〉と諭される。

 ぼくは答えにつまってしまった。日本語の色鉛筆と言う単語から派生しているイメージ群を考えた。というよりも先に表現主体として存在するそれらのイメージ群が、それぞれ志向し、それらが交わり集約したから、この単語自身も存在するのだ。このイギリスの詩人は言葉の目に見える部分だけを読みとっているにすぎなかった。ぼくは既に奇妙なナショナリズムの虜となっていた。

 ーー日本語というのは、余白を大事にするんです。つまり書かない部分があるわけです。とりわけ俳句なんかは、書きたいことが十あるうちで、文字となるのは一か二でしょう。

 ぼくはこんな風にいいながらも、アメリカに来て俳句談義をしようとする自分にうんざりしてしまった。(83~84ページ)

 「ぼく」はアメリカに滞在中、〈奇妙なナショナリズムを感じ続けていた〉が、帰国後には〈想い出す記憶の殆んどが、「何通りの何という店で何を食った」〉であり、日本より味覚が劣ると感じていたアメリカの〈あの店でもう一度あの料理が食べてみたい〉と印象が変化している。

 アメリカでは「ブラック・イズ・ビューティフル」の機運が勃興し、通りの風景は〈日本のそれとは全く別な色素で構成されている〉ように際立った色彩にあふれていた。街を歩く黒人は魅力的で、白人は沈んでみえる。

 ニューソウルの旗手たちのポスターが店頭を飾るハリウッド通りのレコード店で、「ぼく」は中年の白人に声かけられる。

 ーーあんたはアメリカのレコードを買うのかい、私を見てごらんよ、日本のを買うんだぜ。

 (略)「春の海」とか「能楽」とかに英語で解説してあるレコードを、その男は八枚も手にしていた。

 ーーあんた方は聞かんのかね

 ーーこういうのをですか

 ーーそうだ

 ーー学校で聞かされましたね

 ーーふうん、好きじゃないのか

 ーーあまり聞きませんね

 ーーアメリカの音楽がいいかね

 ーーええ

 気恥ずかしくあいづちを打ったぼくは、ここでも奇妙なナショナリズムを感じていた。伝統のないアメリカ。そして伝統のある日本。何故ぼくは日本の伝統を誇れないのだろう。この異邦の街角で、今まで抱いていた〈日本〉が、急にぼやけはじめる。確固としてあるのは日本人という肉体の器を持つ自分だけ。(88~89ページ)

  この、自分が確かに抱いていたはずの「日本人しての意識」が、急速に不確かなるものに変容する感覚は、ぼく(岩下)自身も何度か海外で経験している。そして帰国後に、自分の生まれ育ったはずの国が、まったく違った容貌を見せることも。それを松本隆は〈奇怪な入れ替り〉だと記している。 

 ぼくは初めて日本を訪れた異邦人のように日本を見つめている自分を発見した。

 そしてエッセイは最後のコーナーにさしかかる。「ぼく」はラス・パルマス通りの交差点の角にあるバーガー・インに入った。そこで〈買ったばかりのソウルのレコードを広げていると、隣の席の若い黒人が声をかけてきた〉。

 ーーきみは日本人かい

 ーーそうだよ

 黒人は自分をベンと紹介した。

 ーーレコードを見せてくれないか、やあ、いいもん聞いてるじゃないか

 ーー好きだからね

 ーーいいね

 ぼくは黒人と喋りたかったので愉快だった。ふと言葉が唐突に口から出てしまった。

 ーーアメリカにキリストはいるかい

 ーーえっ、どういう意味だ

 ーーぼくはこの二週間ばかりアメリカを歩いたけど、キリストはいなかったぜ

 ーーそうさ、彼に出会うのはちょっと難しいな

 とベンは笑いながら言った。

 ーーすごく単純な質問をするから、気を悪くしないでくれよ、アメリカはキリスト教の国家だろ、それがどうして戦争して人を殺せるんだい

 ベンは今度は笑わなかった。彼は言葉を続けた。

 ーー日本にもキリストを信じている人はいるかい

 ーー少しね、ぼくは教会に行かないけど、あの人が好きなんだ、最近どうしようもなくね

 ーーいいね、すごくいいね、ぼくもあの人が好きだよ

 ーーぼくがもっとうまく話せたらなあ、もうちょっと学校で勉強しときゃよかったよ

 ーー言葉なんていいさ、来週の日曜日に黒人街の教会に連れてってあげよう、きっと楽しいよ

 ーーああ、とっても嬉しいけど、来週はシスコに行くんだ

 ーーそうか、あそこはいいとこだ

 ーー何かいいコンサートがあるといいけど、ぼくはソウルが見たいんだよ、カーティスなんかがね

 ーーあいつは最高だよ

 ぼくはレコードをまた紙袋のなかにしまった。ぼくはこれだけ喋っただけですっかり疲れてしまった。

 ベンは何か考えているようにうつ向いていたが、ふいに顔をあげて、白い綺麗な歯を出して笑いながら、(以下略。90~92ページ)

 やりとりのほとんど丸ごとを引用してしまったが、途中どうしても省略することができなかった。なお、ベンが何と言ったかは、この記事の末尾にリンク先を記しておくから、各自『微熱少年』文庫版を購入したまえ。

f:id:kp4323w3255b5t267:20180826132732j:plain 挿画:ますむらひろし

 今回、「ラスパルマスのキリスト」のテキストを読み返していて、いかに自分が松本隆の文体に影響を受けているかをあらためて思い知った。ことばの選択、たどる道筋、抽出と省略、その何れもが絶妙な均衡の上に成り立っている。ぼくは書きながら何度もため息をついた、こんなの真似したくっても真似られないや、と。

 そして、常日ごろ忘れていても、ふとしたことで記憶は唐突によみがえる。そうだな、絲山秋子の小説を読んでいたときなんかに、

 河野が、ダッシュボードの中を探してカーティス・メイフィールドのCDをかけた。ファンタジーはしばらく黙っていたが、やがて厳かな声で、

「この人は、俺様より偉い」

 と言って手をこすりあわせ、はなを啜った。やはり大した神ではないらしいと河野は思った。(『海の仙人』文庫版58~59ページ)

  ベンと「ぼく」のやりとりを連想するのである。

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 ぼくは寓話が大好きだ。現代にもおとぎ話は有効だと考えている。それは意外な箇所に穴を穿ち、時を越えて共振することがある。今回この稿をしたためながら、いろんな想念がぼくの脳裏を過った。日本人の意識に潜む人種や男女への差別が、また、美しい国・スゴいよ日本のキャンペーンが内包する空虚な慢心が、さらには沖縄の故・翁長知事の提唱した「イデオロギーよりもアイデンティティを」という呼びかけが。それらの是非をここでは問うまい。ただ、優れたテキストは現在進行形の事象に違った角度から光を照らし、影を生む。まるで十二色の色鉛筆で描いたように、さまざまなイメージ群を与えてくれる。

 ......そういえば、こんなこともあった。

 そのころ受験生だったぼくは、参考書や赤本には目もくれなかった。ある日ついに、父が「くだらん本ばかり読みおって!」と憤慨し、勉強に関係ない本を没収した。とうぶん返ってこないものと諦めていたところ、二時間ほど経って、渋い顔しながら2冊だけ返してくれた。

 ーーいかにもお前の好きそうな本だな

 と呟いて。

 亡き父は、父親なりに、できの悪い息子を理解しようと努めたのだと思う。

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課題図書

エッセイ集 微熱少年 (立東舎文庫)

エッセイ集 微熱少年 (立東舎文庫)

 
風のくわるてつと (立東舎文庫)

風のくわるてつと (立東舎文庫)

 

 

潜伏キリシタンの集落を訪ねて

 

台風一過の7月31日、友人とパートナーとを連れ立って、天草下島へ足を運んだ。目的地は、先月6月20日世界遺産に認定された崎津集落である。

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熊本市からクルマで約3時間、午前8時に出て11時に到着した。と同時に、空を覆っていた雲が退き、強い陽光があたりを照らした。一気に汗が吹きでる。

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羊角湾の海水は澄んでいる。海底に手が届きそうだと錯覚するくらいに。アジの群れがスイスイと泳いでいる。クロダイが悠々と目の前を通過してゆく。

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崎津集落には、昭和の時代に建てられた旧い様式の家屋が残る。これは理髪店だろうか、クリーニング店だろうか。少年時代にタイムスリップした気分。

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町を見下ろす高台に諏訪神社が控える。キリシタン信仰は、神社仏閣を隠れみのに、この地域に脈々と受け継がれた。

this.kiji.is

階段の左手には元々あった教会がある。

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網元宅に入り、「カケ」と呼ばれる護岸から海に張り出した構造物を眺める。漁師の作業場として船の係留から干物づくりまで、さまざまに利用された。

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諏訪神社と崎津教会の間は岸壁に至る一本の小路で結ばれている。聖地巡礼だろうか、この日はカソリックの尼僧たちを多く見かけた。

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崎津教会。1934年、禁教の時代「踏み絵」が行われた土地に建てられた。絵踏みの場所に祭壇が設けられている。半分がコンクリート造で半分が木造だ。

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みなと屋。昭和初期の旅館を改装した資料館で、崎津地区における潜伏キリシタンの歴史をたどれる。ガイドの方の丁寧な説明を聞くことができた。
<特別展を観ることができた。世界遺産に認定された崎津集落には、弾圧と抵抗の歴史が静かな町並の各所に今なおひっそりと息づいていた。「みなとや」での展示は9/17まで。>

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みなと屋より崎津教会の尖塔を望む。

展示物には、代官所の役人に見つからないよう村びとが柱の中に隠していた信心具もあった。

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崎津港。対岸まで泳いで行けそうなほど狭い。この港町に来るには、昭和初期まで陸路はなく、海路のみで訪れるしかなかった。海運業も栄えたという。

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閉ざされており、開かれている。潜伏キリシタンが命脈を保ったのは、この独特な地形の利もあったに相違ない。その歴史的な意義あってこその世界遺産登録であることを、訪問者は胸に深く刻むだろう。

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崎津集落に来たことは私の生涯の思い出になった。

さらに5キロほど離れた大江教会にも足を伸ばした。崎津とは趣きの異なる、堂々とした天主堂である。

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大江教会は天草でもっとも早い1933年に、フランス人宣教師・ガルニエ神父と、地元信者の手によって建てられた。

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教会の丘の上から、半農半漁の大江地区を眺める。世界遺産の対象ではないけれど、ここにもぜひ訪問してもらいたい。

 

本渡(天草市の中心地)に戻り、名物のチャンポンを食べていた。食堂のテレビでは、アマチュアボクシング連盟の醜聞が延々と報じられている。たった今、潜伏キリシタンの歴史をたどってきたばかりだが、本当に報じるべき政治の腐敗の報道が塞がれる現在も、過去と何ら変わりないではないかと思えてならなかった。私たちはいつまで忍従に屈しなければならないのだろう。圧政には抵抗を。自由と人権を奪われないためにも、断じて屈してはならぬ。

私はキリスト者ではないが、そう神に誓った。

 

 

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80年代の精粋

 

ぼくが青年期に聴いた80年代の音楽の中から、いまだに好きでたまらない曲をいくつかあげてみよう。

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①Durutti Column “Sketch for Summer” 1980

ヴィニ・ライリーのワンマンユニット、ドゥルッティ・コラム。ファーストアルバムの1曲め。イントロの鳥の囀りとリヴァーブが聞こえてきたら、いつでもぼくはあの永遠に続くような夏の午後に回帰(Return of)する。

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②The Sound “I Can't Escape Myself” 1980

典型的な英国産ポストパンクだが、いま聴いてもソリッドでクールだ。ワイヤー、スウェル・マップス等々こういうタイプのバンドは星の数ほどあったけど、その中でもひと際カッコよかった。

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U2 “October” 1981

大御所U2にもルーキーの時代があったのだ。大物の片鱗はうかがえるが、まだ未完成のセカンドアルバムよりタイトル曲を。後のベスト盤には隠しトラックでラストに収録されていた。

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④The Gist “Love At First Sight” 1982

ヤング・マーブル・ジャイアンツ関係だったかな。自主制作の7インチシングルはこういうヘタウマな(?)絵が多かった。内容も手作りの粗い感じ。でもシロウトくささが、切実さにつながっていた。

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Scritti Politti “Faithless” 1982

85年のデジタル仕様になる前のスクリティ・ポリティ。グリーンの書く変化にとんだメロディーと哲学的な歌詞は一筋縄ではいかないが、この3連のソウルバラードは比較的わかりやすい。後の「ウッドビーズ」につながる路線。

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⑥Ben Watt “You're Gonna Make Me Lonesome When You Go” 1983

のちにトレイシー・ソーンとエヴリシング・バット・ザ・ガールのコンビを組むベン・ワットの、駄作が皆無の傑作『ノース・マリン・ドライヴ』より最終曲の、ボブ・ディランボサノヴァ仕立てにした秀逸なカヴァーを。

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Tears for Fears “Pale Shelter” 1983

これも後にビッグネームに成長するローランド・オーザバルとカート・スミスのコンビだが、出たての頃は繊細さを売りにした素朴なエレポップだった。青空に吸いこまれるようなサビの処理が既に巧い。

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⑧Thomas Dolby “Screen Kiss” 1984

シンセポップの雄として一般に認識されているが、実際は過去の音楽に詳しいS.S.W.的な側面もあった。視覚に訴える映画のような音作りを認められ、翌年トーマスは(彼の尊敬する)ジョニ・ミッチェルをプロデュースする。

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⑨The Blue Nile “Heatwave1984

スクポリ⑤、プリファブ・スプラウトと並んで、私的に80年代を代表する三大グループの一つ、ブルー・ナイルのデビューアルバム。ポール・ブキャナンの渋い喉は(先日ようやく苦手意識を克服した)トム・ウェイツをほうふつとさせる。夜の街の灯を描写する手腕が、とくに。

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⑩Julian Cope “Me Singing” 1984

近年はしたたかな親父ライダーと化したジュリアン・コープも若い頃はポキンと折れてしまいそうなか細い青年だった。大亀の甲羅に身を隠すの図はシド・バレットを連想させる。転調をくり返すとりとめもない曲展開も、また。

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はて、ぼくは1985年に何を聴いていただろう。ZTT?

 

David sylvian “Silver moon” 1986

言わずと知れた元ジャパンのリーダー、デヴィッド・シルヴィアンの二枚組『ゴーン・トゥ・アース』から、とりわけカラフルな楽想の「シルヴァー・ムーン」を。R.フリップ、H.シューカイなど大勢の大御所らが彼との共演を望んだ。

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⑫It's Immaterial “Driving Away From Home” 1986

リバプール産のしぶとい(昨年も新譜をリリースしている現役)ユニット、イッツ・イマテリアル。彼らの描くシュールな世界はシャガール的だと評されるが、ぼくはむしろケルアック的なビートニク志向ではないかと思っている。

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⑬The Lilac Time “Trumpets From Montparnasse” 1987

ティーブン・ダフィ率いるライラック・タイムはオーガニックなアンサンブルが魅力。ぼくはこのインスト「モンパルナスのトランペット」が好きで。Twitterに投稿したら、弟のニック・ダフィが「いいね」をくれた。

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The Style Council “Changing Of The Guard” 1988

ポール・ウェラー、じつは好みではない。聴いていて面白く思えないのだ。が、この『コンフェッション・オヴ・ア・ポップ・グループ』は別。世評はどうだか知らないが、青春期に惜別を告げる、大人のための音楽である。

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⑮The Christians “Words” 1989

クリスチャンズはR&Bマナーを備えた英国のコーラスグループ。マヌ・カッシェとピノ・パラディーノのリズム隊が、トラディショナルな楽曲に複雑な印影を与えている。80年代を締めくくるにふさわしい曲だった。

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お気づきだろうか? 今回ぼくは英国勢に絞った。米国産を加えたら、トーキング・ヘッズからR.E.M.まで、この倍の数を紹介しなければならない。XTCエルヴィス・コステロみたいな大物も割愛した。また、最近デュラン・デュランカルチャー・クラブワム!などは、やはり凄かったのだなぁと再認識したこともお伝えしておきたい。

なお、「マッドチェスター・ムーヴメント」も視野に入っていたが、ザ・ストーン・ローゼズ等をぼくが聴いたのは、ずいぶん遅れて90年代に入ってからだった(当時はロックに飽いていた)。

 

最後に。4月27日に日本公開された映画『Call Me by Your Name(邦題:君の名前で僕を呼んで)』の音楽は、80年代の時代設定を強く意識させるものだ。あの頃に特有の空気や色彩が真空パックされているようで、観ていて眩しく、やたらと息苦しくなるのだ。


Call Me By Your Name | Official Trailer HD (2017)

蛇足。ピーター・キャメロン 著『ウイークエンド』(訳:山際淳司、装画:山本容子筑摩書房1996年)に描かれた、清潔で空虚な週末の終末と静謐を思い起こさざるをえない。

 

【追記】この映画もそうだな。

summerfeeling.net-broadway.com

 

 

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