鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

SNSの囚われ人達に読ませたい一冊、『悪童日記』

 思うところあって『悪童日記』を新たに買い求めた。

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悪童日記』はハンガリー出身の女性作家アゴタ・クリストフが1986年に発表した中編小説である。以来、世界の20ヶ国で翻訳・出版されており、日本では1991年、堀茂樹の翻訳により早川書房より発行された。2001年には文庫化され、昨年に21刷を数えている。

 海外の小説だからといって、かまえる必要はない。東欧らしき国境付近の小さな町が舞台であるが、覚えにくい人名や地名は出てこない。最初のページこそマンガレリ『おわりの雪』みたいな少年の微妙な内面を描いた心象小説か? と思わせるけれども、ページをめくるとその予想は大きく裏切られる。

 読者はたちまち、文章の「速さ」に身を委ねることになる。双子の少年が戦時下の窮乏を凌ぎ、生き抜くために知恵を絞りだすさまに魅了される。みずからに課した一つひとつの試練を遂行していくことで、彼らは強く、逞しく成長する(ただし、かなりいびつに)。そして読者は、次はどんな出来事が起きるのだろう? 彼らはどう対処するだろう? とワクワクし、ページを繰る手も速くなる(本好きならば小学生高学年でも読みおおせると思う)。

 贅肉のない簡素な文体は、この小説が悪童二人が互いに記した日記という体裁をとっているからだが、作品中に、その簡潔明瞭な理由を、悪童みずからが説明している箇所がある。解説で訳者の堀氏が引用しているので、少し長くはなるが、私も倣って書き写してみよう。

 

〔作文が〕「良」か「不可」かを判断する基準として、ぼくらには、きわめて単純なルールがある。作文の内容は真実でなければならない、というルールだ。ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない。

 たとえば、「おばあちゃんは魔女に似ている」と書くことは禁じられている。しかし、「おばあちゃんは『魔女』と呼ばれている」と書くことは許されている。

「〈小さな町〉は美しい」と書くことは禁じられている。なぜなら、〈小さな町〉は、ぼくらの眼に美しく映り、それでいて他の誰かの眼には醜く映るかも知れないから。

 同じように、もしぼくらが「従卒は親切だ」と書けば、それは一個の真実ではない。というのは、もしかすると従卒に、ぼくらの知らない意地悪な面があるのかも知れないからだ。だから、ぼくらは単に、「従卒はぼくらに毛布をくれる」と書く。

 ぼくらは、「ぼくらはクルミの実をたくさん食べる」とは書くだろうが、「ぼくらはクルミの実が好きだ」とは書くまい。「好き」という語は精確さと客観性に欠けていて、確かな語ではないからだ。「クルミの実が好きだ」という場合と、「お母さんが好きだ」という場合では、「好き」の意味が異なる。前者の句では、口の中にひろがる美味しさを「好き」と言っているのに対し、後者の句では、「好き」は、ひとつの感情を指している。

 感情を定義する言葉は、非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。(文庫294~295p 解説より)

 

 主人公の双子「ぼくら」は戦時下であるがゆえ、まっとうな公教育を受けられない。しかし、自堕落にならないように、あえてみずからを律し、お互いを教育し合い、採点し合うのである。そんなディシプリンの果てに、文体は鍛えられ、余情や曖昧さは排除される。

 皮相な見方をすれば、これもまたジョージ・オーウェル1984年』に描かれた「ニュースピーク」の変種かも知れない。悪童たちが用いる言葉の隙のなさは、情操の欠落であるとも言えそうだ、が。

 私は今回『悪童日記』のソリッドな書法にひどく惹かれる。見習いたいとも思う。それは、このところSNSを利用していて感じることだが、情報を正確に記さず、自らの印象を混ぜこむような「意見」が、目に余るからである。

 ある者は「誰が」の主語を省略し、ある者は在りもせぬ仮想の敵を設定し、またある者は「思うのですが〜」と明言を避けつつも、結尾は必ず「〜なのです」と断定するという、仄めかしや焚きつけが横行している。影響力のあるアカウントやら政治/社会学者やらジャーナリストやら、果ては政治家にいたるまでが、いい加減な言説を振り撒いたあげく、誤謬を指摘されても訂正も詫びもせず、反省の色はまったくなく、毎日いけしゃあしゃあと嘘をつきまくる。そういう意味で、SNSとくにツイッターは戦場と大差ない。死骸のかわりに屍体のような言説が其処彼処に転がっている。反吐が出そうな風景だ。私は、連中と同類に堕したくない。

 ならば私も、SNSの戦火を潜り抜けるために、自分自身が操る言葉を鍛えなくてはならない。もちろん、間違いを指摘されまいと守りを固めた文章に魅力はないけれども、こと政治や社会など公に広く問う種類の題材を扱う場合に曖昧さは禁物である。己の中に一人の批評者を設定して、表明すべきかどうかの可否を診断してみようと思う。

 そのための具体的なメソッドが『悪童日記』には山ほど記されている。中には猥褻や殺害といった目を背けたくなる場面もあるけれども、〈感情を定義する漠然とした言葉〉を回避することにより、事実を事実として描写することができるし、さらに、率直に徹した言葉だからこそ、欺まんや言い逃れにトドメを刺すこともできる。

 最後に「“牽かれていく”人間たちの群れ」の章から一部を抜粋してみよう。

 

ぼくらは司祭の部屋に行く。司祭が振り向く。

「おまえたち、私といっしょに祈りたいのかね?」

「ぼくたちがけっしてお祈りをしないことは、ご存じのはずです。そうじゃなくて、ぼくたちは理解したいんです」

「こういうことは、おまえたちには理解できないよ。もう少し大人にならないと……」

「でも司祭さん、ぼくたちはともかく、あなたは立派な大人でしょう。だからこそ、お伺いするんです。あの人たちは誰なんですか? どこへ連れて行かれるんですか? なぜ、連行されるんですか?」(文庫 162p)

 

 司祭は悪童たちに「彼らはユダヤ人でナチスドイツ軍が収容所に連行しているのだ」と、本当のことが言えない。ただ「神の御心は計り知れぬ」と嘆きながら、両手を少年たちの頭上に載せるのみだ。

 一切を曖昧にせず何もかもを伝えることは不可能だ。知らないこともあれば、知らせられないこともある。けれども私たちは「いい大人」なんだから、せめて自分が口にした言葉には責任を持ちたいものだ。

悪童日記』を読みながら、私はそういう卑近なことを考えていた。 鰯 (Sardine) 2019/02/22

 

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最左翼の“オザシン”イワシ、ヘイトデモ・カウンターの頭数になる

最左翼の“オザシン”イワシ、ヘイトデモ・カウンターの頭数になる(初出:Medium 2月10日)

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2月3日(日)、熊本市日本第一党の主催によるデモが行われた。俗に言う「ヘイトデモ」である。連中の旗印は「日韓断交」。こいつは許せん、看過せないな、とおっとり刀で駆けつけた。

しかし、デモ隊の集合場所が特定できない。私はTwitterを開きっぱなしにして、

[ #0203熊本ヘイトデモを許すな ]

というハッシュタグを見た。すると、鶴屋デパート裏・旧小泉八雲邸横の公園にデモ隊が集結しているという情報を得た。

曇天の空の下、日章旗旭日旗の朱色が見えた。

ただ今到着。#0203熊本ヘイトデモを許すな
鶴屋裏、小泉八雲旧家横の公園。
頭数になりに来ました。
今日は警察官が多数。

— 岩下 啓亮 (@iwashi_dokuhaku) February 3, 2019

駆けつけると、既に数名のデモ隊が集まっていた。そして、これも数名のカウンターが集まっていた。カウンターとは、ヘイトスピーチを許さないという意思のもと、排外主義の団体に対抗する者たちの呼称である。私が公園の中に入ると、カウンターの一人が、あのーと声をかけてきた。ぼくは、

「頭数になりに来ました」

と符丁を告げた。それで緊張した面持ちがやや緩んだ。彼は「プラカード、持っていますか? お貸ししますよ」と言った。私は好意に甘え、ありがたく受け取った。なにせ、カウンターに行こうと決心したのは、数時間前のことだったから、準備していなかったのだ。

「警官、多いね。去年はいなかったのに」

「あー、10月14日の熊本駅前ですね。わずか10分で解散したという。いらっしゃったんですか?」

「うん。カウンターは2度目です」

福岡から来たらしい彼と話している間にも、県警の青いジャンパーを着た方が、ぴたっと近づいてくる。何だなんだ、なんでボクらを警戒するんだ? と私は不愉快になった。

「降ってきたわねー」

昨年秋に見かけた方が駆け寄ってきた。軽く会釈して、相手の様子を窺っていると、通町の方角からデモ本隊らしきが合流してきた。

「いよいよ、始まりますよ」

カウンターの一人が注意を促した。彼は簡易スピーカーを肩から下げ、あらかじめ録音した音声を流している。「沿道の市民のみなさま、お騒がせしています。このデモ隊は差別と偏見に満ちた、ヘイトスピーチをする団体です。私たちは人権を侵害するヘイトデモに対して抗議します。しばらくご迷惑をおかけしますが、ご容赦ください……」。

午後2時すぎ。

デモ隊が列をなして行進し始めた。人数は20名前後だが、それと同じくらいの警察官が、デモの周りを取り囲んでいる。警察に護衛されたヘイトデモ。なんという倒錯だろう?

昨年10月にお世話になった見覚えある男性が合流した。けれどもカウンターの人数がやや少ない気がする。やがてデモ隊と警察、それにカウンターは、熊本の繁華街、下通パルコ前に移動した。そこにはさらに大勢が集結していた。前回のデモ隊は10数名だったが、今回はその3倍ほどに膨れ上がった。さらにデモを警護する警官の数が、デモ隊よりもさらに増えていた。

ただいま下通入口パルコ前です。#0203熊本ヘイトデモを許すな

— 岩下 啓亮 (@iwashi_dokuhaku) February 3, 2019

だけど、カウンターは怯まなかった。のそのそと進みだすデモ隊に負けないように、鋭い抗議の声を上げる。

差別をするな! 仲良くしようぜ! ヘイトをやめれ! お家へ帰れ!

デモ隊に接近しようとすると、警官に静止される。2, 3人がかりで、押さえつけられるのだ。私は割とヘタレで、少しデモ隊と離れていたから、警官と揉めることはなかったが、それでも離れてください、通行の邪魔をしないでください、と女性警察官に再三注意れた。私は反論しなかったが、しばらく睨みあった。そしてデモ隊に聞こえるように「差別を、するなー!」と大声で怒鳴った。彼女は、目を逸らした。

デモ隊は下通アーケード街を進む。何ごとか良からぬことを言っているようだが、カウンターの抗う声に遮られ、沿道まで届かない。銀座通りの交差点で、周りを見渡してみた。奇異な目を向ける市民。その蔑んだ目は旭日旗を掲げる団体に向けられたものか、それとも声を荒げるカウンターに向けられたものか。中高生の男子が奇声をあげていた。二十歳前後の娘さんたちが眉を顰めていた。中高年のおじさんたちが「迷惑」そうな顔をしていた。私と同じくらいの年齢のオッさんたちは、排外主義を唱えるエセ右翼と、私たちカウンターの、どちらを嫌っているのだろう? 今の日本社会をみれば、敵意はむしろ、私たち「サヨク」に向けられているのかもしれないと感じる。

ぼくは #0203熊本ヘイトデモを許すな のカウンター側にいて、切れぎれに聞こえる日本第一党側の主張に、首を傾げていた。彼らの主張の要である「日韓断交」が、あまりにも御国のためにならぬ、経済を停滞させるだけの、合理性に欠けたものだからである。愛国心があるのかさえ疑わしい。彼奴ら莫迦だ。

— 岩下 啓亮 (@iwashi_dokuhaku) February 3, 2019

新市街に入って、デモ隊が止まり、カウンターと対峙する形になった。私は彼らに問うてみた、

「君たち、それでも“愛国者”か? おれにはそうは思えない。韓国と国交を断絶して、交易がなくなったら、日本の経済は沈んでしまうぞ。それでも、いいのか?」

返事はなく、連中はせせら笑うばかりだった。その代わり、辛島町電停の交差点を渡るときに、こんな罵声が投げかけられた。

「この、共産党員奴(め)が!」

ぼくは反射的に言い返した。

「生憎だな、おれは自由党だ!」

何人かがギョッとした。自由党が「自民党」に聞こえたのかもしれない。

見てはいよ、こん人たちの凶々しさば。お巡りさん、二重に取り囲んどらすけん、のさん。なんさま大げさか。#0203熊本ヘイトデモを許すな https://t.co/YgeJGrZBGo

— 岩下 啓亮 (@iwashi_dokuhaku) February 3, 2019

辛島公園に陣取ったデモ隊は、何人かの弁士が入れ替わり立ち替わりで、覇気のない声で莫迦げた主張を繰り返していた。「朝鮮人の侵略を許すな、万世一系の日本を守れ」。すぐさまカウンターから「天皇を利用するなよな」と茶々が入る。悔しげな顔をするヘイトスピーカー。しばらくすると奴はカウンターの一人を指して、

障害者を、利用するなぁ

と叫んだ。車椅子に座った彼は、前回10月にも来ていた。利用? とんでもない、彼自身の意思でカウンターに臨んでいるのだ。何てこと言いやがる!

弁士の暴言に、カウンター勢は一斉に憤った。どういうことだ⁉︎ と詰め寄ろうとした。しかし、ヘイトデモ隊を二重に取り囲んだ警官が詰め寄るを阻止する。どうして止めるんだ、とカウンターが叫ぶ。

「あいつら、明らかに差別してるだろうが。ねぇお巡りさん、差別を撒き散らすヤツらをなぜ護る?守られるべきは、弱者の、市民の側だろうよ!」

ヘイトスピーチはなおも続く。日本政府は弱腰だ、いざとなれば我々は戦争も辞さない覚悟があると。ハッ、何が「覚悟」だ、軽くなったもんだ、覚悟とやらも。

そして宮崎から来たという青年が、ついに「戦争反対」を連呼した。

戦争反対! 戦争反対! 戦争反対!

カウンターの声が一つになって、辛島公園じゅうに鳴り響いた。雨は激しさを増し、身体の芯まで凍えそうだったが、心は熱かった。ヘイトデモの一人がカウンターに向かって「くるくるパァ」の仕草をしていた。立派な仕立てのスーツを着ていたが、その初老の男の姿は見すぼらしかった。警察官が困惑した表情で、静かにしなさい、と我々を諌めた。私はさすがに文句を言った。静かにさせるべきはあっちでしょう? と。警察官は「もうすぐ終わりますから」と苦笑いした。

ヘイト団体デモ、解散。#0203熊本ヘイトデモを許すな
今から気をつけて帰りますが。
許せないスピーチがあった。カウンターに車いすに座っている方がいたのだが、弁士の一人が指をさし「障害者をダシに使ってる」と嘲笑したのである。追いつめられてホンネが露呈したのだ。醜く最低のヘイトスピーチ

— 岩下 啓亮 (@iwashi_dokuhaku) February 3, 2019

3時45分、警察の説得もありデモ隊は解散した。その様子を見届けたカウンターも、辛島公園から一人ひとり去っていく。

顔見知りの男性にあった。忙しいさなか、途中から急きょ駆けつけたのだ。喉が涸れたでしょうと言って、のど飴をくれた女性もいた。イワシさんのツイッター見ていますよとおっしゃったので、照れた。そういや私のすぐそばにはツイッターで相互フォローの青年もいた(あとで分かった)。私たちは軽く会釈を交わしながら、方々に散っていったが、そのとき、私は警察官に「ちょっと」と呼びとめられた。

「みなさん、前からのお知り合いなんですか?」

私は、いいえ、と首を横に振った。

「誰とも交流ありません。SNSでヘイトデモの報せがあったから、それぞれが自由意志でカウンターに参加している。……と思いますよ、知らんけど」

それから私は踵を返し、下通アーケード街の人混みに紛れた。

今回またも急遽のため手ぶらで赴き、いろんな方々から助けてもらった。福岡から来熊した方や前回の熊本駅前で会った方からプラカードを貸してもらった。宮崎から駆けつけた方もいたし、喉が涸れたでしょうとのど飴くれた方もいた。#0203熊本ヘイトデモを許すな カウンターの皆さん、どうもありがとう。

— 岩下 啓亮 (@iwashi_dokuhaku) February 3, 2019

それにしても、と思う。もう少しカウンターの人数が必要だと。30人程度のヘイトデモ隊よりも、カウンターは僅かに少なかったし、それより警察官の動員が半端なかった。おそらく50名は下るまい。警察は、ヘイトデモを護衛し、私たちカウンターを退けた。この圧倒的な不均衡に対抗するには、もっと「頭数」が必要だ……

守られないカウンターは、守られるデモよりもはるかに辛い。私は数年前に熊本で初めて参加した、秘密保護法反対のデモを思い出していた。

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

それから「梯団」の先頭を仕切っていた若者たちのことをふと考えた。彼・彼女らは今どこにいるのだろうと。例え党派や思想の隔たりがあっても、ヘイトスピーチの邪悪に対抗する意志は、君たちにも分かってもらえると思うんだけどな。

もうすぐ57歳を迎える初老のおっさんは帰りしなそんなことを考えていた。鰯 (Sardine) 2019/02/10

 

はてなブログ転載にあたっての注釈】

①オザシンとは(自由党代表・小沢一郎を盲信する)小沢信者のこと。ぼくがインターネット上で初めて「オザシン」の文字面をみたのは、野間易通氏のツイートだった。あれからずっと、ぼくは小沢の支持者であって、信者呼ばわりされる筋合いはないと思っていたのだが、晴れて昨日2/10、存じあげぬ方から小沢信者の称号をちょうだいしたので、タイトルに使うこととした。

②今回の記録は、できるだけ個人的な視点で描くことにした。いろんな方の視点を持ちこめば(たとえば〈基本的人権表現の自由との衝突について〉など)資料としてより充実したものになるだろうが、それは他の、これらの事情に精通した方々の手に委ねたい。

③インターネットにおいては右傾化をささやかれ、現実社会では左傾化を心配されている。が、ぼくはただの、自由人に過ぎない。

 

ザ・ベスト・オヴ “鰯の聴いた音楽” 2018年2月~10月

 

Twitterにモーメントという機能がある。使い勝手は良くなかったが、公式仕様だったこともあり、重宝していた。ところが先日(10/23)より、スマフォのアプリで作成できなくなった。タブレットでもダメだった。自分の投稿したツイートを手軽に編集できないのなら使っている意味がない。ぼくは『鰯の聴いた音楽』と銘打って、日々Spotifyで“発見”した音楽をツイートし、半月ごとモーメントにまとめていたが、ここらが潮時だ、やめようと決意した。

では、この半年ぼくがどのような音楽を聴いていたか、ブログに訪問してくれたみなさんにも、お伝えしようと思う。

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いちおう前から言っていますがぼくは政治と社会問題に特化したアカウントではありません。そればっかり考えてたらちっ息してしまうよ。今後は音楽の話題をもう少し増やそうと思います。YouTubeではなく、Spotifyでね。

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2018年2月のベストトラックは、3年前のアルバムですがリアン・ラ・ハヴァスの『ブラッド』より「グリーン・アンド・ゴールド」。これ以外にも佳曲が多い。なによりこの手の音楽にはめずらしく質感が柔らかで温もりを感じる。ギター一本で弾き語れる地力がある歌手だ。

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I listened to the music in March but I still can't find common points. Please let me point out if you think there is a cord or theme that will pass through these.

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2018年3月前半のベストトラックは、狭間美帆のザ・モンク『ライヴ・アット・ビムハウス』より、「13日の金曜日」。うねる木管のアンサンブルはギル・エヴァンスマリア・シュナイダーをほうふつとさせるが、気難しくなく、人なつこい。音楽が各パートのソロ回しの道具とならないよう設計された新手の「ジャズ」。

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2018年3月後半のベストトラックは、エグベルト・デスモンチ1980年のアルバム『シルセルチ(サーカスの意)』より“Equilibrista”。グーグル翻訳だと平衡者、すなわち「綱渡り芸人」。ありとあらゆる要素が一曲になだれこみ、しかも混沌とせず統合し、相互が干渉せず均衡を保ったままの状態を極彩色に描きだしている。

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2018年4月前半のベストトラックは、チカーノ・バットマン17年の力作『フリーダム・イズ・フリー』に収録の「エンジェル・チャイルド」。LAを拠点に活動するラテンソウル系バンドで、演奏能力は高いがどこかとぼけた味がある。MPBからザッパまで、さまざまな影響を消化し、自分たち流の音楽を拵えている。

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2018年4月後半のベストトラックは、渡辺亨さんの編んだCD-Rに収められていた、“It's Been A Long Long Day” 。誰の曲だったか、確かに知ってるんだけど、コステロ? いや違う、調べたらポール・サイモンだった。原曲をはるかに凌ぐ、ノルウェーの歌手ラドカ・トネフ(1952~1982)のカヴァー。録音はノラ・ジョーンズが登場する20年前。

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2018年5月前半のベストトラックは、晴れた朝にぴったり。VENTO EM MADEIRA(ヴェント・エン・マデイラ)の“BRASILIANA”。プーランク室内楽みたいな木管の、繊細で、スリリングなアンサンブル。チアゴ・コスタが弾く精緻なタッチのピアノ。モニカ・サルマーゾのスキャットも美しい、2013年の傑作。

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2018年5月後半のベストトラックは、「あなたもロボットになれる」2014年、坂本慎太郎。<不安や虚無から解放される素晴らしいロボットになろうよ、日本の○割が賛成している~>というアイロニカルな内容の歌詞を子ども合唱団が歌う。より出来のよいカップリング曲「グッド・ラック」は野口五郎のカヴァーだった。

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下の写真は某書店のコーナーに描かれたE画伯とY画伯の直筆壁画です。

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2018年6月前半のベストトラックは、Tierra Whackの

“Whack World”。1曲1分、全15曲15分。いずれのトラックにもアイディアと閃きがあり、退屈とは無縁だ。ポップ音楽が更新を怠らず、今を映しだす鏡であるかぎり、古びることはない。

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2018年6月後半のベストトラックは、カマシ・ワシントンTsの新譜。一度しにかけたジャンルのジャズが今また最前線に躍り出たことを実感。どのトラックもすばらしいが、とくにこの「スペース・トラベラーズ・ララバイ」の大風呂敷にはたまげた。まさにプログレッシヴ。ロック、完ぺきに負けてる。

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2018年7月前半のベストトラックは、ロバート・グラスパーのスーパーグループR+R=NOWの、“Resting Warrior”。10分近くの長尺曲だが、その間ずっとジャスティン・タイソンのドラムが自由奔放・変幻自在に鳴っている。FM番組「ウィークエンドサンシャイン」でかかったときに、ピーター・バラカンも驚嘆していた。

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もう一曲。ボビー・ライト74年の「ブラッド・オヴ・アン・アメリカン」。今朝、知った歌だ。

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Spotifyはある意味こわい。だって毎週カードを切ってくる。「ホラ、きみの好みはこんなんだろ?」「こういうのもあるけど?」「むかしの馴染みばかりじゃなくてさ、最近の流行も聴いてごらんよ」と “Discover Weekly”と “Release Radar”を送ってくるんだから。ぼくの聴く傾向はお見通しってわけだ。ときどき「これは虜になってるってことかな」と訝しむことがある。個人の好みが集約され、数量化されたところの。でも、まあ、どうだっていいや、こんなすばらしい歌にめぐり合えるのならば。

 

 

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2018年7月後半のベストトラックは、ジョーダン・ラカイ(豪)17年のライブ。Spotifyは有望株に小規模のライブを企画するが、これはジェフ・バックリーの"Sin-e"を思わす清冽さがある。今ふうのサウンドメイクが得意なSSWだけど、ギミックなしの直球アレンジが楽想に相応しいんじゃなかろうか。今後の活躍に期待。

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2018年8月前半のベストトラックは、朝のマリンバと呼びたくなるチェンバーミュージック。ダリウス・ミヨー(仏・1892〜1974)の異国情緒あふれる音楽は五感を快くマッサージしてくれる。パーカーションを多用したアンサンブルは小難しくなく何れもおもしろいが、とりわけこの小編成の録音は編曲と演奏技術が巧みで聴き惚れる。

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では、鰯の聴いた音楽(8月後半)をお届けします。今回は暑気払いの選曲ゆえ、あまり冒険してません。限りなくイージーリスニングに近い内容です。イージ好かん、なんちて。

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2018年8月後半のベストトラックは、クラレンス・ヘンリーの「エイント・ガット・ノー・ホーム」。

「こないだ、FMでクラレンス・フロッグマン・ヘンリーって、ニューオリンズの歌手がかかったんだけど」

「あー、あるよ。これでしょ」

打てば響く、ぼくのR&Bスクール。

「ジャケット、最高だろ?」

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ちなみにこの「寝取られ男」ジャケはPヴァインの編集した日本盤。同じデザインの米盤に、例のカエル声が聞こえる「エイント・ガット・ノー・ホーム」は収められていない。地声 → 裏声 → カエル声の三変幻をベスト盤よりどーぞ。

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2018年9月前半のベストトラックは、ブラジルのシンガーソングライターでマルチプレーヤーのアントニオ・ロウレイロ。今もっとも手ごたえある作品を生みだせるアーティスト。例えばピーター・ガブリエル等を好きな方にお勧めしたい。これは今年5月にリリースされたアルバム“Só”の収録曲だが、アントニオ・ロウレイロにいちばん近い感性のアーティストは(アルメニア出身のピアニスト)ティグラン・ハマシアンだと思う。鋭角的なエッジに共通性がある。

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2018年9月後半のベストトラックは、アンソニー・ウィルソン2016年のアルバム“Frogtown”より、チャールズ・ロイドの自由闊達なサックスが耳を惹く“Your Footprints”を。しかし、この歌の最大の魅力はアンソニー自身の内省的なヴォーカルと、歌詞と旋律との調和にある。他にも優れた楽曲がいくつもある、傑作。

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2018年10月前半のベストトラックは、アマーロ・フレイタス。ブラジリアン・ジャズの新鋭だそうだ。タッチの精確さ、使う和声の洗練など聞きどころは多い。9/21リリースの“Rasif”は、スペースを生かしたリズム構造が斬新で、ピアノとシンバルがつかず離れずで並走する感じがたまらなく、いい。

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と、モーメントにまとめたのはここまで。ブラジルに傾倒したのは、やはりエルメート・パスコアールを八代で観た影響が大であろう。

 

【過去記事】

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

ぼくがSpotifyというサブスクリプションを利用している最大の理由は、少しでもアーティストへ還元されればの思いなんだけど、それともう一つは「消費者」としての立場を明確にしておきたいからです。「楽しむ=消費」とは思いませんが、録音されたモノを消費しているんだという自覚は必要だとも思うのです。

 

 

さて、モーメント毎に一曲という基準でベストトラックを選んできたが、あと10曲、泣くなく外したボートラを貼っておこう。

 

①デヴィッド・クロスビーには、まったく頭が下がる。だってこの『スカイ・トレイル』は昨年の作品だよ。つまり75歳の爺さまが、スティーリー・ダンなみに緻密なアレンジで、しかもフレッシュな音楽を拵えたんだ。声もリズムも感性も衰えしらずとは、すごいじゃないですか。

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エバーハルト・ウェーバー75年『イエロー・フィールズ』の冒頭「タッチ」。典型的なECM録音だけど、これほど玄妙な音響はなかなか見あたらない。ウェーバーのうごめくベースと相まって、ここにあらざるどこかを想わせる。ジャズ? 現代音楽? いいやプログレ

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スコット・ウォーカーを聴いて眠ろう。78年、ウォーカー・ブラザース名義でのアルバム『ナイト・フライツ』の表題曲。ブライアン・イーノが「これを聴くのは屈辱的だ。今でも超えられない」と語っているが、ホント、どうしてこんな弦アレンジを思いつくんだろ?ちなみにクレジットは、

John and Scott Walker – vocals

Les Davidson – guitar solo

Jim Sullivan – rhythm guitar

Peter Van Hooke – drums

Mo Foster – bass

ギターソロ、鋭い。

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④それにしても、ロバート・ワイアットの音楽は何故こんなにもせつなくも気高いんだろう。在英ブラジル人歌手モニカ・ヴァスセンコロスとの「スティル・イン・ザ・ダーク」では、カンタベリー特有の浮遊感とサウダージの陰翳が複雑に絡みあう。聴くたびに胸が締めつけられる。

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Spotifyは週の始めに<フレッシュな音楽を盛り込んだ今週のMIXテープをお届けします。新しい音楽との出会いをお楽しみください。毎週月曜日に更新されますので、気に入った曲はその前に保存してください>と連絡が入る。嬉しいけれど、好みを見透かされているようで怖いね。最近だと、こんな珍品を送りつけてきた。ヤマスキ・シンガーズ。何度聞いても爆笑、嬉しいッ!

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⑥長閑な昏さがたまらない。スウェーデンダブルベース奏者オスカル・シェニング率いるグループの2010年の作品『ベオグラード・テープ』よりヴェルヴェット・アンダーグラウンド的な8分音符の連打がロックしているジャズ、「私は私の記憶を交換したい」を。

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⑦“Blue Moon” 2017 album ver.

Engine-EarZ Experiment; are a UK based live dubstep collective formed in 2009 by multi-instrumentalist/DJ/producer Prashant Mistry.

ジャケットに惹かれて聴いたら刺激的な音響デザインだった。歌はノルウェーのケイト・ハヴネヴィク。でも、菅野よう子の作るアニメソングみたい。

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⑧今年の夏はゴージャスなジャズヴォーカルを好んで聴いた。とりわけジュリー・ロンドン版の「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」を。これほど洒落た弦アレンジは滅多にない。アーニー・フリードマンの編曲。1963年の“The End of the World ”に収録。

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⑨テリー・キャリアー1972年の“Occasional Rain”より“Ordinary Joe”を。歌詞がすばらしい。

“Now I'd be the last to deny

 that I'm just an average guy

 and don't you know each little bird in the sky

 Is just a little bit freer than I”

「時おり雨」の日に。

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⑩9月30日。台風、やはりかなり激しいです。ぼくは家でおとなしくしています。瓦はふきかえましたが、雨漏りは相変わらず。ところでライリー・ウォーカーのこの曲、快速エイトビートがご機嫌ですが、後半の展開におけるしなやかなドラムスの揺らし、かっこよすぎだとは思いませんか?

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まだまだ紹介しきれないけど、きりがない。このへんでお終いにします。モーメントは瞬間、なればこそ長期保存は不可能。インターネットに永遠の二文字はない。聞けば「はてなダイアリー」もサービス終了だとか。困った、ぼくは没記事を非公開であそこに収めていたのだが移動先を考えなくては。もう一個、はてなブログのアカウントを作るか。あー、でも面倒くさいや!

あ、もちろんTwitterやブログでの音楽紹介はやめませんよ。たぶん命つきるまで続けることだろう。こうやって毎日音楽に接していれば、また新しい驚きにめぐり合える可能性があるから。

♪ モーメン、モーメン、モーメン、モーメーント!

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【追記】

今年(2018)の“Myトップソング”をSpotifyが自動的に編集してくれた。この記事と被る部分がずいぶんあるけど、日ごろぼくがどんな音楽を好んで聴いているかがよく分かるラインナップだ。時間に余裕のある方はぜひ聴いてみてほしい。

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しかし、スコット・ウォーカーがやたらと多いなあ。