鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

ぼくがいちばん好きなブログ、narajin.net

 

 前の記事でブログについてあれこれ書いたので、今日はぼくのいちばん好きなブログをご紹介しようと思う。

🔗 narajin.net

 奈良 仁さんが約10年間かけて育てた、ブログのお手本ともいうべきブログである。

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 ぼくがnarajin.net を知ったのは2008年4月のことだった。きっかけは、XTCの焚書に関する歌、“Books are Burning”の訳詞を探していたので、検索してみたところ、(茶色の文字で示した)リンク先のページに出くわしたのだ。抄訳だったけれども、

※「Mummer」〜「Nonsuch」あたりまでのアンディ・パートリッジは、かなりグノーシス主義に影響されていたのではないかと思う。

シモーヌ・ヴェイユが聴いたら嬉々としそうな歌詞ばかりだ。

🔗 XTC - "Books are Burning" - narajin.net 

 という注釈がやたらと印象に残った。

 日付をみると「2006年」と記してあるので、この人は最近どんな記事を書いているのかなと俄かに興味がわいた。そこで2008年4月現在の記事に飛んでみると「小屋」というタイトルが現れた。

 

小屋

自転車上からチラ見するものが二つある。ひとつはカワイイ女の子、ひとつは小屋である。それも掘っ立て小屋といったらいいような、朽ち果てたものが好きだ。

こんな小屋を見つけたときはチラ見どころか、胸が苦しくなってしまい、恋心にも似たきもちになってしまう。

庭のはずれにポツンとたたずむ小屋の凛としたすがたには、どこか修道的な、独居の美があるようにおもう。ディオゲネスの樽サイズまで小さくなると厭世もすぎるというか、かえって俗物に転じてしまう。屋根もあり、いちおうの生活のたたずまいが感じられるような、しかし哀しいほどこじんまりした小屋というものがいとおしい。

持ち主からも忘却されたような朽ちた小屋には、Artempoな、時の造形がある。しかし古ければよいというものではない。門前に「国指定重要文化財」などとたいそうな看板をこれみよがしにかかげる酒店のごときはいけない。古さを誇るのはいやらしい。

むしろ世間で価値なしといわれるものにこそ、美が棲みつくものではないだろうか。錬金術がもっとも重んじたのも路傍の石(プリマ・マテリア)である。名もなきただの小屋にこそ、輝きをみつける楽しさがある。

🔗 小屋 - narajin.net

 

 その素朴な文章と添えられた写真に、頬が思わず緩んだ。「こういうのイイなあ」と呟いた。さらに他の記事を読んでみても、文章の端々に教養と知性があふれており、しかもセンスがいい。音楽の趣味もいい。ブログ主ははどうやら大病を患っていて、最近ようやく退院したばかりのようだ、ということは窺い知れたけれども、読み手に負担がかからないような文章の工夫が随所に感じられた。ぼくは奈良さんがどう病と向きあっていたかということに、あまり注意を払わなかった。それよりも青森県津軽に、このような瑞々しい文章を綴る才人がいることばかりに目が向いた。

 

自転者

新聞紙だの、段ボール箱だの、冬じゅうたまった資源ゴミをだした。さっぱりした納屋のなかから、自転車が顔をだした。

去年の春もこれを見て乗りたいと思った。あのころはまだ歩くのもやっとであったから、サドルに座っただけで転倒、さすがに断念したのであった。

「転んだら骨折」と主治医から退院時に釘をさされていただけに、ヒヤヒヤの体験ではあったが、それでも自転車に乗りたいという気持ちはおさえられなかった。

あれから一年である。春の空がふたたびぼくを誘惑する。いけるだろうか。転ばないだろうか。リハビリは重ねたつもりだが。

ゴミ出しで汚れた身なりのまま自転車をまたいだ。

我、自ら転がる者となれり
体は覚えていた。自転車シナプスは消失していなかったのだ。病気する前の、あの感覚で、ぼくは風を切りまくった。1兆個の細胞から歓喜の合唱が聞こえるようだった。

やっと取り戻した。いちど失ったものをもういちど取り戻したのだ。時間はずいぶんとかかってしまったが。

ダマヤンティー(註:歩行者のこと)よ、キミにはそろそろお別れをいわねばなるまい。しかし喜んでほしい。キミの主人はいま、自分の足だけで走ることができるのだから。

自分の足でみる
あれから毎日ちょっとずつ走行距離をのばして練習をつづけている。誓願寺の門前では黒い犬に吠えられてUターンしようとしたら転倒した。走っているときはいいのだが、停止すると体を支えるのがうまくいかない。筋肉痛で歩くのもしんどいけれど、顔は輝いている。

弘前ではいまやっと桜が芽吹きはじめたところ。公園はさくらまつりの準備でけっこう人がでている。そば屋のカンバンは昔と変わらない。

去年は介護タクシーの窓から眺めるだけだったが、今年は自分の足でちゃんとみる。

🔗 自転者 - narajin.net 

 

 あゝこんなふうに日々の生活と自分の興味対象を結びつけたらいいんだな、と深く頷いた。ぼくがこのブログ『鰯の独白』を始めたときも、narajin.net を見たときの印象が意識の片隅に残っていたと思う。

 でも、打ち明けると、ずっと長いこと忘れていたんだ。

 

 

 先日、真冬にしては穏やかな日和の1月20日に、最近はどんな記事を書いているのだろうと、ふと思いだし、〈XTCグノーシス主義〉と検索をかけてみた。narajin.net という名前を覚えていなかったのだ。けど、すぐさま検索の上位にひっかかったので、さっそくホームページを開いてみた。

 そしてぼくは奈良仁さんが2013年1月12日に亡くなっていたことを知る。

さっきふと、あるブログ記事を思いだして、それが奈良仁さん @narajin という方が書いたものだと知った。青森の、冬の季節を丹念に描いた記録が、ぼくの記憶に引っかかっていたので、今日ふたたび訪問してみた。
2013年に永眠なされていた。
けれどもブログはそのまま残されている。

奈良仁さんの「narajin.net」には、芸術や文明についての深い考察と、鋭い観察眼のそなわった闘病記が、素朴な筆致で描かれている。語句の選びかたの端々に、優しさと慈しみが宿っているブログだ。

posted at 11:44:59

  Twitterにはこんなふうにさらりと書いたけど、衝撃は思いのほか大きく、画面を見ながら「え、なんで?」としばらく狼狽えた。ぼくはてっきりブログ主が存命中だとばかり思いこんでいたから。

 が、それからぼくは時間があれば、一冊の本を読むような気持ちで、奈良さんの残した凡そ10年間の記録を丹念に追っている。詳しくは<🔗 職歴および制作実績 - narajin.net >を見ていただくと分かるが、そのディケイド、かれの後半生はまさに「闘病生活」である。ただ、読んでいて湿っぽくはならない。自己を見つめながらも冷静に文字を刻む態度は、嘆き節とは無縁だ。もちろん苦悩や恐怖にもだえる記事もあるが、それでも文章には諧謔まじりのユーモアを忘れない。加えて、くり返す入院生活の中で培った情報を惜しみなく開示し、その情報が「生きる」ように分かりやすく説明することも忘れない。「介護認定」と検索をかけた人にも「骨髄移植」と検索をかけた人にも、得た情報が生かされるように書き方・見せ方を工夫している。この優れた編集感覚に、ぼくは思わず舌を巻いた。

「ブログというよりも、これはまさに奈良仁 エンサイクロペディアじゃないか」

 ぼくは読みながら奈良さんから沢山の叡智を授かる。文章はかれが絶えず生きることの意味を問い続けたことの反映である。奈良さんは驚くほど多くの本を読み、その抜粋と感想を記録しているが、かれの思考をたどっているようで、軽い知的興奮を覚える。そしてこうも思う。「あゝ一度お会いしたかった、音楽談義に花を咲かせ、色やデザインについて教えを乞うたかった」と。あてどない思いではあるが、ぼくはそれほど寂しくはならない。なぜならnarajin.net に訪問すれば、いつでも旧知の友人みたいな奈良仁さんの、ストーブに手をかざしたときのような温かい言の葉に会えるのだから。

 

 最後に、2011年4月8日(3月11日のあと)に書かれた記事を引用しよう。

 

自分は何の虫であるか

地震があってからどうも心の置き所がないというか、いつも何かに追い立てられているような焦燥感みたいなものがとれない。食べていても寝ていても、なにか罪悪でもしているかのような気兼ねがついてまわる。心から楽しめないのだ。

だからといって部屋で横になってばかりもいられずと新たに講師の仕事に手を染めてはみたが、人に会う機会が増える→感染→サイニューインと、去年と同じ轍をたった一週間でふんずけてしまった。

インフルエンザ+GVHDということで県病から弘前病院に移され、個室で高熱にうなされながら考えた。「やっぱ人の多い場所はまだ無理だった」と。「これが現実なんだ」と。水を一口飲むにも顔を歪めているヤツが、人前で話す仕事など最初から無理なことなど推して知るべしであった。

でもこれでキッパリあきらめがついたというか、やはり家でできる仕事一本に絞ろうと腹をくくった。講師の仕事でお世話になった方には、身の上を話して正直に詫びた。

それから昔のツテを頼って「自分にもできる仕事ないか」と打診してみた。よく考えてみたら最初からこうするべきだったのだ。

今の自分にできること。それはデザインだ。やはり今までずっとやってきたことだけだ。それしかできないのだ。今年はもう骨髄バンクのボランティアやらボサノバやらもバッサリとあきらめて、仕事一本でいこう。とにかくデザインをたくさんやったといえる年になればそれでいい。それが儲かるかどうかなんでどうでもいいのだ。自分がいちばん生き生きしてる瞬間、それはたこ焼きを焼いているときかデザインしているときなんだから。

ちょうどこのブログを作っていた2年前を考えてみる。朝起きて、玄米パンをストーブで焼いて、コーヒー入れて、2階にあがって黙々とデザインして、昼になったら庭からパセリとってきてパスタつくって、眠くなってきたところで小屋から自転車をだして西へ走る。お金があるときは野市里で岩木山を眺望しつつ嶽きみアイスとコーヒーをオーダーする。晩ご飯は黒米飯、タラの味噌焼、納豆、卵焼き、味海苔、しじみ汁など。旅館の朝食のような献立にして洗い物を減らす。

母と天気予報を見ながらどうでもいい話をし、話題が切れたところで二階にあがってジョアン・ジルベルトを練習する。Twitterをチェックして寝しなにヒルティを読む。Ash Ra Templeの「Join Inn」B面が終わるころには口をぱっかりと開けて動かなくなっているだろう。

飲みに行ったり、イベントやお茶会などもいっさいナシだ。宮澤賢治のいう「デクノボウ」のような一年をデザインしてみる。

なまじ人並みの暮らしだとか、お金にこだわるからダメなのだ。今の自分にできることではないのだ。今はただ虫のようにただひたすら自分にもできる単機能な生を求めることだ。

自分はどんな習性の虫であるのか。感染しやすく、口の痛い虫であることはよくわかった。この小さな虫の本能は何を欲してるのか。まずは触覚を動かしてみようとおもう。

🔗 自分は何の虫であるか - narajin.net

 

 narajin.net の管理をなさっている方に感謝を申しあげると同時に、この美しい装丁の「」を一人でも多くの方に知ってもらいたいと心から祈る。