鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

ロベルトの金曜日

 
 ロベルトは作曲家であり、演奏家である。ぼくから連絡を取ることは滅多にない。が、昨夜ひさしぶりに電話がかかってきた。以下、ぼくの部分をなるべく割愛し、かれの語った部分を忠実に書き記しておく(本人承諾済み)。
 
「やあロベルト。めずらしいね、きみのほうから連絡してくるなんて」
「昨日ツイッターでイワシさんのアカウントをのぞいたら。なつかしくなったんだ」
「え、それはどんな?」
ムラヴィンスキーのジャケットを載せていたでしょう? チャイコの4番から悲愴まで入っている二枚組の。あれをみてさ。
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 おやっと思ったんだよね。なぜってイワシさん、以前に『指揮者やオケの違いに頓着しない』みたいなことを言ってたじゃない? 作曲家と作品に興味があるのであって、演奏家にはあまり意識が向かわないって」
「あー確かに言ってた。典型的なやつだと、コレだね。

ぼくはどうしてもプレーヤーよりもコンポーザーに意識が向かうんだ。だれが弾いたか吹いたかというのは、たいして問題にしない。兼常清佐(かねつね きよすけ)の「ピアノは機械だ。とすれば、ピアニストはタイピストとおなじではないか」ほど苛烈なことは言わないけれども、感覚としてはそれに近い。2012年01月26日(木) posted at 03:55:25

  なんかさ、ロベルトとリヒャルトくんが、オケがどうの指揮者がどうのと話してるのをきいてて、心中穏やかじゃなかったんだよね。誰が振ろうが誰が弾こうが、楽曲=テキストがすべてじゃないかって。解釈の相違に面白みを見出すのが衒学趣味みたいに、ぼくには映ったんだ」

「うん覚えてる。ツイート読んでちょっとムッとしたもん。あのころブルックナーの聞き比べに熱心だったおれへの当てつけかよって。でもまぁ、それもひとつの考え方だよなって納得はしてたのさ。

 ところが、そのイワシさんがムラヴィンスキーを『偉大だ』って讃えている。その心境の変化を知りたいって思ったんだ」

「心境もなにも、思ったとおりのことだよ。ムラヴィンスキーチャイコフスキーを聴いてたら、そのうち他のが楽しめなくなった。なんかどれもかったるく感じて。率直な気持ちですよ」

「うん。つまり指揮者やオケの質によって、交響曲は聞いた印象がガラッと変わるって話だよね。ムラヴィンスキーレニングラード響って、極北じゃない。あれを好きだと思えるようになるまでに、いろんなプロセスがあったんだね」

「たぶん、ゲルギエフとマイリンスキーの『悲愴』を県劇で観てからだと思う。

 kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

 とてもよかったんだけど、事前に予習したCDの強烈な印象が抜きがたくあって。比較しちゃったんだよね。それからかな、誰が振っているかを、ずいぶん気にしだした」

「なるほどね。

 おれ的にはムラヴィンスキーのアプローチはトゥ・マッチなのね。劇的を演出しすぎるきらいがあって、楽曲の自然な趣を削いじゃっている気がするんだ。弦のふくよかな響きが損なわれているというか。あと金管の音色が苦手だな。ぜんぶ進軍ラッパに聞こえてしまう。

 よく言われる、一糸乱れぬ超絶的なアーテュキレーションも、いまの水準でみれば果たしてどうだろう? もっとメカニカルなオケは今現在たくさんあるもんね。冷戦時代のソヴィエトで、あれだけ粒の揃ったアンサンブルをこしらえるには、そうとう楽団員を鍛えあげたんだろうけど、それを想像すると逆に萎えちゃうんだな。歴史的背景とか、そういう部分にロマンを感じないんだよ、おれは」

「まさか、それを言いたくて?」

「いや、むしろイワシさんもずいぶん本格的にクラシックを聴くようになったんだなあと愉快な気持ちになったよ。べつに批判したいわけじゃないんだ」

「批判もなにも。音楽のことで絡んでくるヤカラはもはや皆無だよ。ぼくも前みたく過激なことは言わなくなったし、それにクラオタ的クラスタからは見向きもされないし」

「なに、そのクラスタって。房状和音のこと?」

「かたまり。集団。ある一定の傾向を持つ。まあ、ツイッター特有のジャーゴン(隠語)だろうね」

「だからおれ、ツイッター苦手なんだよ。閉鎖的だし、なんか不毛なやりとりばっかしてるし。いちおうアカウントは持ってるけど、投稿する気にならない」

「ロベルトは、顔本派だもんな」

フェイスブックはいいぜ。カラッとしてるから。ツイッターみたいに陰湿なところがない」

「いずれにせよ、ぼくの趣味なんて、誰もかえりみてないって」

「案外みてるって。現におれは見ていた。で、それに反応した。だから電話してる。

 ねえ、いい機会だから、そのことについてもう少し喋ってもいいかな?」

「どうぞ」

 

ツイッターをのぞいた理由は、カルメン・マキさんさ。マキさんがツイッター上であれこれ言われているって知って、いてもたってもいられなくなってね。おれ、OZでロックに目覚めたクチだから。無条件でリスペクトしてんだよ。

 で、高橋健太郎氏との一連のやりとりを読んでみた。なんだか、読むのが辛いっていうのが正直な感想だな。それぞれの言い分もあるだろうけど、そこまで言い争う必要があるのか? っていう。

 心情的には、圧倒的にマキさんなのよ。だけど、高橋氏のコメントは現実を正確に反映していると思った。だいたいおれ、クリティックの言うことはあてにしてないんだけど、かれは朝日美穂をプロデュースした人だから、クリエーターとして信頼している」

「ロベルトは、中村とうようを、知らなかったもんね」

「新聞の訃報記事をみて初めて知ったくらいで。ま、それくらい音楽評論家って類を視界から外してたんだ。

 話を進めるよ。

 イワシさんは以前、どうしてミュージシャンは社会に対しての考え方を主張しないのかって疑問を呈していたよね? なにも政治的な立場を表明しなくてもいいが、もう少し発言するべきじゃないのか、って」

「うん。確かに言ってた。たとえばコレだろ?

ミュージシャンなら、いろいろと考えていることがあるはずだ。意見の表明はアーチストの価値を高めこそすれ、損ねるものではないはず。「おれは社会的な発言はしないよ、興味もないし」的なスタイルは、たんなるポーズにしか映らない。あるいは表現者の自主規制としか思えない(少なくともぼくには)。2014年04月20日(日) posted at 05:57:38

 似たようなニュアンスの投稿を、再三している」

「その気持ちに、いまも変わりはないかな?」

「んー変わらないね。ぼくはクリエーター諸兄が、社会問題になると途端に口を噤む傾向に不満を感じてる。もっと率直にいえないものなのかなって、しばしば思う」

「それって、でも当事者にはそうとうキツい問いかけなんだよね」

「そうかな?」

「そうだよ。もちろんいろいろと思うところはある。社会にも政治にも、音楽業界のあり方にも。だけど、それをインターネットの場にさらすつもりは、さらさらないね。

 それはもう、こういうこと言うと軽蔑されるかもしれないけれどさ、ぶっちゃけ保身だよ。おれは作曲をしているけど、主な飯の種は楽器を演奏することだ。演奏する機会があれば何処にでも、自前の楽器をぶら提げて駆けつける。そうしてプロとしての演奏をお聞かせして、ギャランティーつまり報酬をいただく。

 呼ばれたら、どこだって行くさ。それがたとえ自分の意にそぐわぬ団体の主催だとしても。内心じゃ『コンチクショー』と思ってても、表情には出さないで、弾くべき音を奏でるんだ。

 もし、SNSの発言なんかで政治的に偏りがあると判断されたら、想像するだけでおっかねえな。仕事、激減するよ。だから隠すのさ。他の人は知らないけど、少なくともおれは、政治的主張を、隠す」

「でも、はっきり打ち出しているミュージシャンだっているだろう? たとえばアジカン後藤正文だとか、ソウル・フラワー・ユニオン中川敬とか……」

「うん、かれらは自前の楽曲で歌っている内容と近いことを首尾一貫して主張している。そこに裏切りはないよね? けど、にしてもリスクを背負っている。

 おれみたいな演奏家は歌詞でなんらかを表明しているわけではない。そこに色を添えるような解説をしだすと、誤解を招く。それが怖いんだよ」

「だけどロベルト。きみの作曲した音楽を聞かせてもらったけど、その発想と音響にぼくは自由への希求を見出した。それ、間違っているかな?」

「そう感じてくれて、嬉しいよ。でも、その捉えかたも、聴く人によって千差万別であってほしいんだ。極端な話、好戦的な音楽だと解釈されてもかまわないと思っている。右も左もなく、聴いてほしいんだ。間口を狭めたくない。

 菅直人が首相になったときに、おれが期待していると言ったの、覚えてる? 小沢びいきのイワシさんにゃ申しわけないと思ったけど、それが当時の日本にはよかったと今でも思ってる。でも、その意見をフェイスブックに載せたとき、がっかりした人が少なからずいたよ。なんだ見損ないましたと書いてきた人もいた。たったそれだけのことで。そういう人は、おれの音楽活動にとくべつ関心あるわけではないのさ。音楽家の『友達』に興味があるだけ。おれの音楽を聴こうなんて考えは端っからないわけ」

「まあ実際、SNSでは、作品よりも作家そのものに興味が向かうね」

「うん。『こんにち批評はあまりに作者の方を眺めすぎる』だもんね。どこを向いても批評家だらけ。で、それに対抗して踏みこんだ発言をしてしまうと、聞き手の数が限定されてしまうじゃない。それ、つまんないよね。だからミュージシャンは、いやミュージシャンに限らずアクターや作家は黙るんだと思う。それはべつに、圧力やしがらみだけじゃない。もっと個人的な、沈黙は意思の表れだと知ってほしい。

 いまの時代、無色透明であることはむずかしい。思想にはかならず何らかのバイアスがかかってしまう。明確なスタンスを余儀なくされる。だけど作品は、自分の携わった作品は、ニュートラルに判断してほしい。それが送る側の願いなんだよ。

 作品を楯にするつもりはない。むしろその反対で、作品を守りたいために、口を噤んでいるといったほうが正解なんじゃないかな。作品に先入観を持ってもらわないためには、作家自身が、あるいは演奏家自身が匿名性を貫くしかないんだよ。

 おれはマキさんの歌が大好きだけど、あの一連のツイートをみた人たちが、新たにカルメン・マキの音楽に興味をもつだろうか。持つとしても、持説を曲げない頑固な人だという先入観をもって接するんじゃないか。まぁマキさんの場合、それでかまわないと考えてるんだろうけどさ、おれみたいな立場からすれば、もったいねえなと思うわけだよ。

 とにかく、おれは社会意識をインターネットで発露しようとは思わない。それよか音楽を聴いてくださいと。おれはプロモーションとはいかないまでも、フェイスブックをインフォメーションと割りきって使ってます」

「よく、わかったよ。

 ぼくも、辟易してしまうことがあるんだ。シロウトながらにブログを書いていても、イワシは肝心な部分を書ききれていないだの、まだ隠している部分があるだの言われた日にゃ、ずいぶん落ちこむし、そう簡単にホンネを曝けだせるもんかってボヤきたくもなる」

「消耗するよね。

 無責任に感想を抛りこんでくるやつ。そんな意見は無視すりゃいいんだろうけど、そういうわけにもいかないもんな。ならば自衛のために、厄介なコメントが来ないような策を講じなけりゃならない。面倒くさいけれど、SNSやブログで発信し続ける以上、身を守る手立てはテメエで考えなくちゃね。

 や、長くなってしまった。なんかスミマセン、自分の考えばっかぶつけちゃって」

「かまわないよ、楽しかった。明日も、どこかで仕事?」

「うん、じつは某宗教団体のイベントのトラが入ってて」

「なるほど。それが憂鬱だったんだね」

「まあね。だけど、スターリンの前で指揮しなくちゃならなかったムラヴィンスキーよりかは、まだマシかなと思うよ」

「偉大だ、はちと迂闊だったか」

「ハハ。そりゃ気にしすぎだよ」

「ロベルト。気をつけてな」

「イワシさんも。おやすみ」