ども。二日前ツイッターに復帰したイワシでございます。あそこはやっぱりおもしろい広場で、なにごとか発信していると、なんらかの反応が返ってくる。ま、ブログの下にも表示されているツイートボタンから、数値表示が廃止されたのは寂しいけど。
で、たぶん昨日(11/22)の大阪府知事・市長選のからみだと思うんだけど、一年前に投稿したツイートが掘り起こされて、何人かにリツイートされていたんだ。
イワシ タケ イスケ
@cohen_kanrininフランク・ザッパは自分のコンサート会場に選挙登録のコーナーを設けて、観客に向かって申請用紙に記入して投票に行こうと呼びかけていた。さもなくばきみたちは、大統領の命令で戦争に駆り出される羽目になるんだぜ、断乎としてNO! だと思うんなら選挙権を手に入れろと。偉大なアーチストだった。
や、でたらめな内容ではないから別にかまわないんだけど、でもなんだか、んー違うんだよなあと内心漏らしてしまった。没後聖人にされるのは有名人の宿命だとはいえ、当のザッパがこのツイートを見たら、オイそいつは美化しすぎだろと注文をつけるかもしれない。
今はともかく、かつて日本のロックファンのあいだでは、フランク・ザッパの一般的な評価は「奇人・変人」だった。ザッパが好きだというと、えーっ?と眉をひそめられるような、イロモノ扱いだった。アーティストとしての評価が定まってきたのは80年代も半ばを過ぎてから。そのへんの事情はザ・フーにも共通するけれど、一つは流通の問題、もう一つはクリティック不在の問題だったと思う(深入りはしませんが)。
でもね、奇人・変人って評価はあながち間違いではない気がする。なぜならフランク・ザッパは、その全キャリアを通じて、「奇抜な演奏と演出で観る者を笑わせ、楽しませながら、アメリカの文明社会を風刺する」ことに傾注した人だから。ステージでバカバカしいことをやってみせ、良識ある方々からの顰しゅくを買いながら、アメリカという国家を痛烈に批判し続けた。先に述べた選挙登録運動も、PMRCなどの検閲政策や、共和党らアメリカ右派、さらにそれらの勢力の精神的支柱であるキリスト教原理主義に強く反対し( フランク・ザッパ - Wikipedia )たことも、自由な創作の延長線上にあり、表現の規制に抵抗する弛まぬ意思の表れなのである。
やれやれ、冷静に語るつもりがつい熱くなっちまった。では論より証拠、フランク・ザッパの「表現の自由」を知るにはライブ映像を観るのがいちばん手っとり早い。心ゆくまでご堪能ください、とっぷり日が暮れて、疲れ果てるまで。
①「モンタナ」
Frank Zappa - Montana - From "A Token Of His ...
まずは小手調べ。「モンタナ州にはデンタルフロスの畑があってだな」というナンセンスな歌詞がサイコーだ。ザッパには、「なぜあなたはビートルズのように愛と平和を歌わないのですか?」というインタビューアの問いに、「おれはさっきデンタルフロスについての歌をうたったが、それでおまえの歯がきれいになったか?」と返す傑作なエピソードがある。
メンツも演奏もいい。とくに女性パーカッショニストのルース・アンダーウッドが魅せる。『A Token Of His Extreme』と題されたTV放送からの映像を、続いてもう一丁。
②「インカ・ローズ」
数多の軟弱フュージョン野郎共を黙らせるには、こいつを聞かせるがいちばんだった。チェスター・トンプソンDr、ジョージ・デュークKb以下の腕っこきが、これだけ高難度なユニゾンを連発しながらも嬉しそうに演奏している。途中に挿まれる粘土を使った特撮は、のちにピーター・ガブリエルが「スレッジハンマー」のPVで真似していたっけ(かれはジェネシス脱退後に、フランク・ザッパの前座を経験している)。
さて、そろそろ全編通しでゆくぞ、覚悟はよろしいか?
③『音楽にユーモアは必要か?』www.youtube.com
84年のライブ、約60分。映像も音質もクリアーで、演奏も歯切れよい。ぼくはこれを観てから、本格的にザッパにのめりこんだ。中盤のくだらない歌が矢継ぎ早に放たれるあたりで、笑いが止まらなくなる。ここでの主役はなんといっても変態ベーシスト、スコット・チュニスだろう。まったくイカれてる。
「ぼくの名前はボビー・ブラウン。職業はラジオ・プロモ、フレッドのおかげで今じゃホモ」Frank Zappa-Bobby Brown with lyrics - YouTube
「ハニ・ハニ・ヘイ、おれみたいな男はどうだい? かの女の名前はベティ、好きな歌手はヘレン・レディー」Frank Zappa Honey Don't You Want A Man Like Me - YouTube
おっと、誤解しちゃいけない。フランク・ザッパの歌詞は対象を「バカにする」んじゃなくて、自ら「バカになる」という構造なんだ。そこ、読み間違えないでね。聞き手の知性(笑)が問われるトコなんだから。
④「キング・コング」
フランク・ザッパは「マザーズ・オブ・インベーション」というバンドの一員だったのです、と一応断っておこうか。しかし68年の時点で、こういうアンサンブルを見せつけられたら、やっぱ衝撃だろうな。2分30秒あたりから、しばらく観てごらん。気合と根性があれば、下の全編をご覧あれ(後半のゲップ合戦あたりで少し辟易するかもしれないが)。
The Mothers Of Invention - Live In London 1968 - YouTube
ついでにコレも。
Frank Zappa (VIDEO) 1968 The European Tour - YouTube
⑤『1970年12月15日・パリ』
Frank Zappa: Dog Breath + Mother People
ザッパは④のメンバーと袂を分かち、腕っこきのメンバーを集めてマザーズの再興を目論んだ。これはツインヴォーカルにフロ&エディ(元タートルズ)の二人と、ドラムにエインズレー・ダンバーを迎えたころの映像。過渡期といえるかもしれないが、この時期にオーケストラと共演(『200Motels』はズービン・メータ指揮!)したり、フィルモアのステージにジョンとヨーコをステージに招いたりと、いろんな試みをしている。
John Lennon & Frank Zappa - Baby Please Dont Go (Live at Fillmore 1971).mp4 - YouTube
(ちなみに、ぼくが初めてザッパの名前を知ったのは、『ビートルズ事典』という本を読んでからである。それにはフランク・ザパと記されていた。)
⑥「桃の勲章」(視聴不可、残念。)
ちょっとしんどくなってきた? では、ここでみんなの好きな代表曲を。貴公子エディ・ジョプソンVnが短期間在籍した76年のTV番組(サタデー・ナイト・ライブ)から。
私見だけど、この曲は『Hot Rats』収録の、オリジナルテイクのデリケートさを凌ぐライブ演奏がないように思う。
⑦『ベイビー・スネイクス』(全編)
Baby Snakes (A Frank Zappa Movie, NYC Palladium 1977) Full
2時間44分10秒、ぜんぶを観ろとは申しません。見所だけお教えします。
冒頭「ベイビー・スネイクス」の各パートを指導するところ。
39分ごろのリハーサル。テリー・ボジオDr、パトリック・オハーンB、トニー・マーズKbの三人が遊びまくるフリーセッション。
44分半より、ピーター・フランプトンの「アイム・イン・ユー」を貶しながら、パロディーの「アイ・ハヴ・ビーン・イン・ユー」をステージで作り上げていくところ。
1時間42分より観客をステージにあげて、鞭打ち合戦に興じながらの変拍子超絶技巧難曲、「ブラック・ページ」。女性兵士に扮したエイドリアン・ブリューGのブチ切れッぷり(ぼくはこの場面あたりから先を、85年ごろに下北沢・本多劇場の2階にあったビデオショップでたまたま目にして、モニターの前から離れられなくなった経験がある)。
そして1時間57分40秒、テリー・ボジオの千手観音的撥捌きが炸裂しまくる「パンキーズ・ウィップス」。Frank Zappa/Terry Bozzio - Punky's Whips - YouTube
ここにフランク・ザッパ・ショーの構成は完成の域に達したといえよう。すべてのザッパフリークが通過してきた傑作フィルムである。
⑧『We Don't Mess Around』
78年、独ミュンヘンのTV。ザッパはアメリカよりもむしろヨーロッパで人気があったように感じる。ドラマーがテリーからヴィニ・カリウタに交代し、アレンジも大幅に変更された。ザッパはそれぞれの奏者の持ち味をじゅうぶんに発揮できるよう、いちいちスコアを書き換える。そして反射神経と即応力(&道化できる能力)を重視した結果、ザッパバンドは人種や属性を問わない特異な集団と化すのである。
⑨『拷問は果てしなく』
Frank Zappa - The Torture Never Stops (From the DVD)
ギターキッズお待ちどうさま、スティーヴ・ヴァイ師匠ですぜ。
けれどもこの時期のショーでいちばん感心するのは、ザッパ本人の歌唱力である。巧いではないか、バンド全体を歌で引っ張っている。シューベルトの「さすらい人幻想曲」みたいな和音の「イージー・ミート」もすばらしいが、なんといっても表題曲のブルージーな感覚がたまんないっす。
さて、このページもかなり重たくなってきた(はてなブログに限らないことだろうけれども、何枚も動画を貼りつけると、そのぶん動作が鈍くなる)。ちょうどいい機会だから(“It’s none of your business”)、⑩でお終いにしよう。
終いは何で締めくくるか迷った。順当にいけば1988年のバルセロナ公演だろう、
Frank Zappa - Barcelona 1988 (Full Show) - YouTube
が、ぼくはこの「ベストバンド」(とザッパみずからが称えた)をあまり好きになれない。マイク・ケネリーG以下のアンサンブルが鉄壁すぎてスリルがないのと、ザッパ本人のパフォーマンスに精細のない感じがする。というわけで、それをパスして、最後はザッパの宿願だった、チェンバーミュージック/オーケストラ作品をご紹介したい。
⑩『イエロー・シャーク』
Frank Zappa - Dog Breath Variations + Uncle Meat
全編版が削除されたのでハイライトにとどめますが、タクトを振るうザッパのなんと嬉しそうなことよ。
もともとフランク少年は、エドガー・ヴァレーズに直接電話をかけて「あなたのファンです」と言いつのるほどの現代音楽おたくであり、ストラヴィンスキーやウェーベルンの影響も顕著な作品を多く残している。フルスコアを書くことが趣味であり、かれの書いた楽譜は、それはそれは見事なものだ。このアンサンブル・モデルンを率いた92年の『イエロー・シャーク』はキャリアの集大成であり、死期を悟ったザッパが全精力を傾けて取りくんだ、いわば遺作なのである。
フランク・ザッパは、1993年に前立腺がんでこの世を去る。ぼくはこの稿の最初に、ザッパの業績を深刻に捉えすぎないよう注意を促したが、こうやって軌跡を辿っていくと、やはり偉大なアーティストだというほかない。
最後に、この記事に訪問してくれた方のひとりでも多くが、フランク・ザッパを好きになってくれたらいいなと思う。
ザッパは生涯タバコを手放さなかった
長いことおれは この嘘くさいくそったれな部屋に閉じこもっていた
ギターを弾くことだけが ここから逃れる唯一の手段だった
だけど ああそうとも おれはもうすぐここを離れる
溢れるイメージに 指先が勝手に動きだすんだ
もう待てない 外に出るんなら今しかない
もう待てない 外に出るんなら今しかない
註1:記事タイトルは野中柊さんの小説『フランクザッパ・ア・ラ・モード』をもじったものですが、内容はとくに関係ありません(でも、おもしろい本ですよ)。
註2:フランク・ザッパについて詳しく知りたい方はオフィシャルページをご覧ください。Zappa.com