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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

イワシと呼ばれて

 
 先日、職場を退職なされる方が挨拶をしにきた。そのとき、こんな話をされた。
「イワシ タさん、ブログ、読みましたよ。いろんなことを書かれていらっしゃるので、びっくりしました」
 こっちこそびっくりした。ぼくは、いやぁお恥ずかしいと答えつつ、「どうして知ったんですか? ぼくがブログを書いているって」と尋ねた。
「そりゃ、あの電話ですよ。先月だか、総務のほうにヘンな電話があったでしょ、あれでわかったのさ」その方は屈託なく笑った。「みんな、もう知ってるよ」
 ぼくは(比喩じゃなく)天を仰いだ。
《あーあ、ついにバレちまったか……》
  ぼくはとっさに、当ブログ『鰯の独白』およびTwitterアカウント〈cohen_kanrinin〉を閉鎖しようかと考えた。
 だが、しばらく考えて、やっぱり閉鎖はよそうと思った。こんなことで発言を自ら封じてしまうのも莫迦らしい。もちろん、職場に知れてしまったからには、慎重な言動を心がけるつもりだけれども、一般的な話題にかんして、筆を鈍らせることは避けたい。社会的なスタンスを変えることはないと思う、これからも。
〈cohen_kanrinin〉を変更しようかとも考えたが、これも継続する。みだりにアカウントを変更しないほうがいいというのが、4年間Twitterをやってきた経験則である。じっさいの仕事は、管理人という名称にはふさわしくないけれども、そこは平野啓一郎さんが唱えるところの「分人」として、承認していただきたいとお願いする次第である。
 
 また、ぼくはこれを機会に開き直って本名を名乗ろうかとも考えた。本名を公表する誘惑は、なかなか抗いがたいものがある。〈イワシ タケ イスケ〉と記せば、ほとんど本名を名乗っているも同然だけれども、漢字四文字で表せる自分の名前を堂々と人目にさらしたい思いがどうしてもつきまとう。
 でも、しばし考え、やはりそれはムリだとも思った。自分に迷惑がかかるだけならいいが、周囲の人間を巻きこむわけにはいかない。カタカナによる名前の分割は、検索されてもひっかからないようにしておこうという措置だった。それともうひとつ、理由がある。

 ぼくは、いままでの人生で、あだ名で呼ばれたことがほとんどない。
 せいぜい思いつくのが、20代のころ前髪にパーマをあてたとき、「砂」のオクヤマさんから「ワカメ」と呼ばれたくらいか。それ以外は、たいてい姓で呼ばれた。あだ名をつけてもらうほど、親しげに呼んではもらえなかったのだ。
 苦しまぎれに、あるいは思いつきでつけた〈イワシ タケ イスケ〉は、インターネットの世界では、この二年間ですっかり定着してしまった。いまでは大部分の方々が「イワシさん」と呼んでくれる。たまに「イワシ」と呼び捨てにされているようだけど、それもまた嬉しい。この年齢になって初めてあだ名をつけられたような、こそばゆさを感じる。
 これもまた「分人」の一形態だとは思うが、ぼくは「イワシ」と呼ばれる自分を手放したくはない。本名を名乗ったとたん、「イワシ」という人格が損なわれるような感じがしてならない。だから、これからも「イワシ」を継続しようと思う。それは現実の〈イワシタケイスケ〉と大部分は被るけれども、ちょっぴり違う人格なのだ。
 もう少し人懐っこくて、喜怒哀楽を露わにする、素直でぜいたくな感情家。
 それが「鰯」こと、「イワシ タケ イスケ」なんだ。 
 f:id:kp4323w3255b5t267:20150327163900j:plain コーエンのユキヤナギ。凄かろ?
 こないだね、福岡から帰ってきて、『綿の国星』の見開きページをまるごと引用したツイートを投稿したんだ。

 字を打ってみてびっくりしたよ。改行を含めてぴったり140文字なんだもの。さすが大島弓子、あの時代に、はるか未来を先取りしていたんだなあと恐れいったね。

 

 まあ、そういった他愛ないことどもを今後も書き散らしたいんだぼくは。

 だからお願いします。イワシのお喋りを、大目に見てくださいませんか?