鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

「うれしい」の集積

 
 毎日、訪問していただき、ありがとうございます。まとまった時間がなかなか取れずに、新しいエントリを投稿できずにいます。書く材料はそれなりに貯まってはいるんですけどね、なにせ年度の変わり目はやたらと忙しいんで。
 今日は、肩の凝らない話題でお茶を濁したいと思います。
 
 春は衣替えの季節ですね。昨日冬物を奥に仕舞ったんですが、今朝は肌寒かったので、ちょっぴり後悔しました。でも、いまさらネル地のシャツやセーターを引っぱり出す気にもならなくて。
 けれども、春物を箪笥の奥から出してみると、なんとなくウキウキしませんか?
 このあいだ、「断・捨・離」って数年前に流行ったよね、最近あんまり聞かなくなったけど、という話題で盛り上がり(?)ました。断・捨・離することで、暮らしを一新、気分をリフレッシュというスローガンでしたが、あれはけっきょく、市場の購買意欲を活性化させようとする経済界の動きであったことは、あらためて説明するまでもないでしょう。ただ、賢明な消費者は、あまりそれに乗らなかった。だって、まだ使えるもの、もったいないじゃないといって。
(「断・捨・離」を、過去の歴史を書き換えようとする陰謀であるとの見方もありますが、そういう側面があるのかもしれません。過去の資料や文献を「なかったこと」にするのは、ニッポン人の最も得意とするところですから。……おっと、今日はあまり深入りしないでおきますか。)
 自分の話をしますと。
 ぼくは滅多に捨てない性質ですね。使い倒すというより、捨てる気があまりない。服にかんしてはとくにそうです。小学六年生の時分に買ってもらったJUNのとっくりセーターをいまだに着ている。脇の下は穴が開き、背中のあたりが薄くなってきているけど、色がなんともいえないくすんだ水色で、気に入っているんです。さすがに外には着て歩けないけど、部屋の中では重宝しています。

f:id:kp4323w3255b5t267:20150409092121j:plain とっくりじゃないね、ハイネックというのかな?

 これはとくべつな例だけど、概して物持ちがいいんです。二、三十年たっても現役でがんばっている服たちが他にもたくさんおりますね。襟や袖の部分が擦りきれていたり、ボタンが解れていたりしますが、あまり気にならないし、みっともないとも思わない(繕うのが面倒くさいという事情もありますが)。
 高校生のときに、『Men's Club』という雑誌が流行りましてね、ぼくも例外なくかぶれました。あれで、服飾の基礎基本を学んだな、トラッドの着こなし術みたいなことを。いま思えばコンサバティブな雑誌でしたが、小林泰彦のイラストや、ウディ・アレンの特集みたいな記事があって、それなりに読みごたえがあったんです。
 それと、『メンクラ』には、街のこじゃれた若者たちのスナップ写真を載せるコーナーがありまして、来月号はクマモトに撮影しに来るぞとなった日にゃクラス中そりゃもう大さわぎ(ぼくは三年間ずっと男子クラスだったんです)。取材当日にはにわかアイビー調で決めたクラスメイトたちが、下通から新市街までを何度も往復するという、いま思えば、まことに滑稽な光景が繰りひろげられていたわけであります、70年代後半の地方都市では。
 あ、ぼくも『メンクラ』のグラビアには収まりましたよ。ただし、くろすとしゆき氏にほめられたのは、となりに写っていた友人でしたね。
 
 福岡から東京へ。十代の終盤はパンク・ニューウェーブ小僧でしたから、メンズクラブじこみのニート(こ綺麗)な恰好をしているわけにはいかない。もっと尖って、ソリッドなスタイルを目指していました。コンサバティブとアグレッシブの双方を満たすファッションといえば、英国産のモッズ。おりしもザ・フーの『四重人格』を原作とした映画、『さらば青春の光』が上映され、「モッズリバイバル」がちょっとしたブームでした。ぼくは古着屋で調達した細身のスーツに放出品のジャンパーといういでたちで、意気揚々と街を闊歩していました。ネクタイを締めるのもそれほど苦痛ではなく、むしろ気が引き締まるというか、快感でした。
 二十代後半になって、ぼくもようやく就職し、一般的なスーツを着るようになりましたが、ベースとなったのはやはりトラディショナルな服装でした。奇抜な格好というのが、あまり性に合わないぼくは、わりと抵抗なくスーツを着用したものです。そのころにあつらえた背広は、いまも衣桁にかかっています。そして最近も、機会があると袖を通します。縫製がしっかりしているから、フォルムが崩れていないのですね。
 ぼくのいちばんのお気に入りデザイナーは、当時もいまもポール・スミス。かれのタグのついた服で、気に入らないものはありません。素材といい意匠といい色合いといい、まったくぼくの好みです。ロンドンに渡ったときには、もちろん本店まで足を運びましたよ。総本山ですもん、詣でるのはあたりまえ。するとカウンターに、見覚えのある顔が! そう、ポール・スミス本人が、ニコニコしながらこう言ったのです。
「イラッシャイマセ」
 ぼくは気恥ずかしさと満足の入れ混じった、複雑な気持ちになりましたね。かれはすぐさま店の奥へ引っこみましたが、多幸感に酔いしれたままに、ぼくは薄茶色のツイードジャケットと、鮮やかな萌黄色した格子柄のシャツを買っちゃいました。バブルに浮かれたニホンジン、マイドアリー♪ の典型ですね、いま思えば。
 でも、その二着は今年の冬もへヴィーローテーションで着ていましたから、じゅうぶん元はとったんじゃないかな。
 
 お気に入りの服はたくさんありますが、ぼくは普段着にできないような服はあまり選ばない。さらにいえば、どこで買ったかはさほど気にしない。サラリーマンをやめてからは、もっぱらジーンズにTシャツ、あるいはトレーナーにジャンパーといった、カジュアルな格好で過ごしましたが、それらのほとんどは、バザーで手に入れたものです。
 彩の国の野老に住んでいたころは、近場でバザーがあれば、家族そろってそぞろ歩いては、日ごろ着るものを揃えていました。さいわい物の良し悪しは心得ていましたから、出展された雑多のなかから、すてきな一着を目ざとくみつけることができました。当時はまだ、時代遅れのデザインだとして、数回しか袖を通してなさそうな洋服を売っぱらってしまう奇特な方がおおぜい居たのです。街場の若者たちにもてはやされたAPEのTシャツなんかも安価で手に入れました。単に黒地に黄色い丸のデザインを気に入ったから手にしたのですが、のちにそれはプレミアものですよと教わりました。ぼくはべつにニセモノでもかまわなかったのだけど。
 そう、最早ぼくにブランド志向はありません。最近ではスーパーの衣料品コーナーでズボン(パンツと呼ぶのは趣味じゃない)を買っています。ある程度安くて、かっちりしたデザインの服が容易に手に入りますし、どれを選べば自分の体型にフィットしているか、ワードローブと合致しているかは、ぼく自身がいちばん承知していますから。
 ただし、ユニクロでは買わないことにしています。理由は言わずもがなですよ、ね。
 
 さて、今朝タンスから取りだしてみたのは、バナナ・リパブリックの綿シャツです(写真)。紺に黒や赤のチェックが粋な逸品。メイド・イン・ポルトガルというタグがついている。これはたしか、鎌倉の雑貨屋の軒先にぶら下がってたんじゃないかな。千円かそこらだったと思う。寝巻じゃないかという疑惑もありますがね、ここ十五年くらい、好んで着ているシャツです。
 これに細身の黒いジーパン穿いて、やはり紺色の作業ジャンパーを羽織って、さあ颯爽と出勤です。
 え、誰も見てやしないよですって?
 いいんですよ、着るものなんて、しょせんは自己満足なんだからさ。 
 
f:id:kp4323w3255b5t267:20150408091656j:plain 裏地のデニムがいいんだよ、コレ。
 
 そうそう。
 先日、誕生日に彩の国からすてきなプレゼントが贈られてきました。 
 INTERMEZZOの、ほとんど黒に近い濃紺の、メッシュ地のドレスシャツです。
 これには思わず、へへっと口もとがほころびましたね。
 むかし浜松に住んでいたころ、ぼくが「バンドネオン奏者が着てるみたいな、真っ黒な艶っぽいシャツが欲しいな」と言っていたのを、覚えていてくれたのだな。
 そういう「うれしい」の集積があるから、なんとか生き延びていけるのだよね。
 
 だから、そうカンタンに断・捨られるわけないじゃないですか。
 ましてや、離だなんて。
 
 
【つけたし】
 ぼくの服飾にかんする基本的態度は、以下によって形成されました。
伊丹十三の著作。『ヨーロッパ退屈日記』『女たちよ』など。
 あるいは映画『鬼火』でモーリス・ロネ演ずる男が開いた洋箪笥。
③ブライアン・フェリーのインタビュー。「靴下や下着は英陸軍製」