鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

若いこだま

 

「オレタチ、どこよりも結束することがカンジンなんだ」

 結束、団結、一丸となって。それが彼の口ぐせだった。

 了解のうえで加入したのだから、異存はない。育った環境も、考えかたも、趣味嗜好も違う、同じくらいの年齢の若者を束ねるには、ある種の規律が、どうしたって必要になるものだ。そのくらいは、いくら世間知らずで田舎もののぼくにだって、理解できることだった。

「 オレタチに、時間の余裕はないんだ。よその連中みたいに、機が熟すのを待っているわけにはいかないんだ。時間をイタズラに持て余しているヤカラは、往々にして機会を逸してしまう。グズグズしているイトマはない。オレタチは一致団結して、素早く目標を達成する。そのためには、多少即席であっても構わないと考えている。いや現代は、熟成した考え方や、入念に技術を施されたものよりも、インスタントで、表層的なものがウケるんだよ。記号的と言い換えてもいいかな。とにかく、手間暇かけずに、チャチャッとやっつけるんだ。ただし抜かりなく、な」

 いったん喋りだすと、彼の口吻はとどまるところを知らなかった。彼以外のぼくを含めた四人は、ただ俯いて彼の弁舌を聞いていた。口をはさむ余地はまったくなかった。彼の使うことばは、単純で直情的だったが、それだけにわかりやすく、抗えない勢いがあった。

 そうやってぼくらは、彼の思考に、だんだん馴らされていった。バンドという運命共同体の一員として、リーダーである彼に逆らうことは許されなかった。

 

 初めて出会った日のことを、よく覚えている。彼はぼくに面と向かって、こう言い放った。

「やあ、はじめまして。キミってカッコいいね。ぼく、カッコいいヤツが大好きなんだ」

 そう言われて、嬉しくないはずがない。続いて出たことば、ぼくらのバンドに入らないかという誘いに、ぼくは一も二もなく乗っていた。

「ただし条件がある。キミはプロになりたい? もしプロになりたいんだったら、しばらく修行のつもりで、自分の音楽性をある程度抑えてほしいんだ。

 キミのデモテープを聴いたよ。個人的には悪くないと思う。でも、いま結成しているオレタチのバンドのカラーにはそぐわない。作詞・作曲はヴォーカルのぼくがする。キミはキーボードとコーラスに専念してくれ。1曲2曲くらい、リードヴォーカルとらせてあげる。それで、いいね?」

 ぼくは頷いた。上京してすぐに、セミプロのバンドに加入できる僥倖に飛びついた。

 けれども、それが賢明な選択だったかどうかは、いまとなってはわからない。

 

 彼はことばを操る、ある種の天才だった。傍から聞いていると、ときどき気恥ずかしくなるほど、「幼稚な」もの言いをするのだが、それでなんか文句あるかの迫力に呑まれ、相手は沈黙してしまうのだった。

「そうかケイスケは、ブルートレイン、つまり夜汽車に揺られてきたワケだ。クマモトの田舎から、オレを頼ってはるばると」

 いやべつにあなたを頼ってきたわけじゃないし、と思ったけれども黙っていた。

「寝台車で目を瞑っていると、オレは工場を想像するんだよ」

「え、工場を、ですか?」

「うん。時計を作っている巨大な工場を。大きな歯車が無数にあって、それが一斉に動いていて。ひと気のない工場の腹のなかに、自分が紛れこんだような気がするんだよ」

 それは、あまりにもわかりやすい比喩ではあった。しかし、そういった「文学的」なことばを、日常でてらうことなく使えるのが、彼の魅力でもあった。

 事実ばくは、彼のそういった側面に、強く惹かれていた。

 

 バンドに入ってしばらくは、無我夢中だった。KORGのpoly6というシンセサイザーを買い求め、地下鉄に揺られ、代々木八幡の練習スタジオに通い、ぜんぶの曲を覚えこなさないうちに新宿や原宿のライブハウスのステージに上った。目まぐるしい毎日に、しかしそれほど疲れは感じなかった。あゝオレはようやくやりたいことをやっているという歓びと、東京の・華やかしいスポットを闊歩している高揚感とで、他のことがらはほとんど目に入っていなかった。ただ、早くプロになりたい、プロになって名声を獲得したい、その思いに支配されていた。もちろんそれもまた、彼から吹きこまれた思想の変奏曲だったのだが。

「なあケイスケ、オレタチは常にカッコよくなけりゃいけないんだ。ファッションには気を配れ。そんなダサいセーター、着てくるんじゃないよ」

 ぼくは彼の指定した店で服を買い、彼の行きつけの美容室で髪をカットした。

 

 ある日、シンセサイザーが故障した。購入した楽器店に預けたが、一週間しても連絡がない。練習に支障が出るので、彼はイライラし、一体どうなってるんだとぼくを詰った。

「問い合わせてみたんですが、まだ修理から上がってこないと……」

「なに、悠長なこと言ってンだよ!」

 彼は楽器店に電話した。電話口で彼は、社長を出せと凄んだ。

「あんたが社長ですか? 三日後にステージが控えてんだ。早く修理を済ませるようメーカーに伝えろ、今すぐだよいま、早く!」

 一時間後に、明日あがりますという返事がかえってきた。彼は得意気に自慢した。

「な、ケイスケ。悠長に待ってちゃダメなんだよ。相手を、動かさなきゃ」

 ぼくは、この人スゲえなと感心しつつも、オレにはとても真似できないやと思った。

f:id:kp4323w3255b5t267:20140613123949j:plain 在籍時の写真

 そうして、少しずつすこしずつ、気持ちが萎縮していった。

 彼に逆らえなくなっていった。

 バンドに慣れてくると、ぼくは調子に乗りだした。キーボードの弾く余地があまりない曲などでは、ステージの最前列に踊りだし、派手なアクションをきめて、観客を挑発した。ロキシーミュージックの、ブライアン・イーノのように。じっさいは、テクニックのない分を誤魔化していただけだったのだが、お客が喜ぶといい気になって、持ち前のサービス精神を発揮したというわけである。

 しかし、そうしたスタンドプレイは、彼のもっとも嫌うところだった。

「ケイスケ。オマエちょっと目立ち過ぎだぞ。リードヴォーカルのオレより目立つな!」

 そういって行動を規制した。いま思えば、とうぜんの措置なのだけど、若造だったぼくは、とうぜん反撥した。

 そのうえ彼は、ことあるごとに、ぼくに注文を出した。

 演奏の仕方、音色の作り方といった音楽に関してはもちろんのこと、喋り方、歩く姿勢、食べ方などを、こと細かにチェックした。オマエは目立ちすぎる、オマエは呑気すぎる、オマエは注意を払わなすぎる、etc……

 音楽の趣味に関しても、束縛しはじめた。例えば、ぼくがタワーに寄った帰り、彼は何を買ったのだと詮索した。

XTCの『イングリッシュ・セトルメント』と、ルー・リードの『ブルー・マスク』か」

 神山町の、彼の棲むアパートで一緒に聴いた。彼はXTCの先進性を高く評価した。

「こういうのを参考にしろよケイスケ。これはいいぞ。アレンジを見習え。サイコーのセンスだ」

 しかしルー・リードには手厳しい意見を下した。

「いつまでも同じようなことをやってるな。一か所に留まりだしたらアーティストはオシマイだよ。オマエこんな古臭いものはもう聞くな」

 しかし数年後かれは、雑誌のインタビューで、影響を受けたアーティストのひとりに、ルー・リードをあげていた。

 

 少しずつ、不協和音が顕著になっていった。

 周りの人は、リーダーはキミのことを買ってる、いちばん可愛がってるよと言っていたが、ぼくはそんな忠告に耳を貸さなかった。彼の専制君主に、我慢がならなかった。

 おそらくぼくに対しての直截な注意の数々は、状況への焦りから発生したものだったのだろうと、いまだったら推測できる。

 もう一歩でプロに手が届く微妙な時期だった。大手レコード会社のオーディションに合格し、あるプロダクションから支援を受け始めたところだった。傍から見れば順中満帆なはずだったが、彼は油断していなかった。より一層の引き締めをはかり、そのせいでバンドのなかには不服が充満していた。彼以外のメンバーとは、よくそのことで愚痴っていた。ヤツはあんまりにも横暴だよと。

 いま思えば、彼も若かったのだ。年齢は、ぼくと二つ三つしかかわらなかった。しかし、その二つ三つの差は、絶対的だった。

 

 学園祭のシーズンに、方々の大学に呼ばれた。ノリのいい学生たちの歓声に、演奏する側も勢いがつき、調子は上々だった。

 その日は彼の出身校でのライブだった。観客は千人を下らなかっただろう。プロのバンドと同等扱いで、バンドとしても期することの大きいステージだった。

 屋外に設えられた、いいステージだった。上空を見あげれば、月影はさやかだった。学園祭最終日ということで、会場は湧いていた。アルコールのにおいが漂うなか、演奏が始まった。

 音響がよく、モニターがきれいに聞きとれて歌いやすかった。バンドはいつになく、つややかな音を発した。歓声はますます高まった。メンバーもまた高揚していた。とくにぼくは、ひさしぶりに舞い上がっていた。

 ハイライトになるその曲には、8小節のシンセサイザーソロがあった。

 ぼくは、キマリを破った。

 アドリブのない、構成のきまったバンドサウンドに倦んでいた。遊びがないからツマラナイんだと常日ごろ思っていた。だからぼくは、8小節がすぎても、ソロをやめなかった。ロキシーミュージックのブライアン・イーノのように、音程を無視し、レゾナンスを利かせ、思う存分アドリブを展開した。とはいっても、まあ1分程度だったけど。

 学生たちは大盛り上がり、ヤンヤの喝采をもらったけれど、その後の楽屋裏で、彼はぼくに詰め寄った。

「なんでルールを破る? そのせいでオレが歌に入れなかったじゃないか。オレの顔をつぶしやがって。ヘタクソのくせにアドリブなんかするなよ。迷惑なんだよ。ちゃんと練習通りにやれ。いい気になるなよケイスケ!」

 矢継ぎ早に、捲し立てられた。

 人が見ている前で。大声で。眉間に指を突きつけられて。

《もう居られない、こんなバンドには居たくない!》

 

 一ヶ月後、ぼくはバンドを去ることを彼に伝える。

「そうか……」と彼は答えた。めずらしくことば少なで、萎れた態度にも映った。

「やめて、どうするんだ」と彼は訊ねた。

「自分で、バンドを組むつもりです。自分の音楽をやりたいんだ」

 喉がカラカラになりつつも、ぼくは思いの丈を語った。もっと自由なスペースをもった音楽を。ぼくの理想が実現するかはわからないけれど、何年かかってもいいから、自分のペースで、やってゆきたい……。

 そこまで喋った途端、彼は急にせせら笑った。

ケイスケ、オマエにはムリだよ」と。

「オマエは意思が弱い。自分の非力を自覚していない。努力もしない。そんなヤツに人を統率するチカラはないよ」

「統率するつもりは、ないです」

「いずれにせよ、」

 彼は、話はじゅうぶん聞いてやったといわんばかりに席を立った。

「忠告しておくよケイスケ。オレから離れていった者は、みなダメになってゆくんだ。なぜだか知らないけどさ、ことごとく失敗するんだよ。

 オマエも、きっと、しくじるさ」

《しくじるもんか!》

 とぼくは内心で唸った。オレは失敗しない。やり遂げてみせる。

 

 しかし、彼の発したことばの呪縛に、ぼくは後々まで悩まされることになる。

 うまくいかなかったり、しくじったりするたびに、彼のせせら笑いが、脳裏を過るのである。

《ケイスケ、オマエにはムリだよ》

 あの断言に、支配され続けてきた。音楽を、バンド活動を諦めるまで、ずっとつきまとい続けた。

 それこそ、こだまのように。

 

 あの日踵を返して以来、彼には会っていない。

 だが、ときおり彼の名前に出くわすたび、ぼくはいまでも少しだけ動揺する。

 思えば彼も若かったのだ、と結論づけようと試みるが、人はそんな簡単に、自分の過去と折り合いをつけることはできない。

 たくさんのことがあった。ここに書かれていない、忘れられない出来事が沢山あった。

 だけど、これくらいにとどめておこうと思う。

 30年が過ぎた今でも、この時期の自分を思い起こすたびに、かさぶたをひっ剥がすような痛みを覚える。

 その傷は永遠に癒えない。