鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

支持率を支える人びと

 

阿蘇に行くと座はとうぜん交通の話題で持ちきりになる。

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幹線の国道57号線は大津~立野~赤水区間が不通のままである。熊本方面から阿蘇に入るには二重峠を跨がなければならない。交互二車線の県道で、勾配は急である。

先月ぼくはMediumにこのような記事を書いている。

各種申請のために本籍のある阿蘇市に行ってきた。熊本の震災後、2回目である。

大津町からミルクロードの蛇行する坂道を登り、二重峠を越え、外輪山をなぞりつつ、大観峰から阿蘇谷に降りる。

震災前は立野を通る国道57号線を利用していたが、震災以後、不通のままだ(JR豊肥線肥後大津駅で止まっている)。わが家から阿蘇市まで約45分で到着していたが、今はその倍の、片道1時間半はゆうにかかってしまう。

外輪山線を走るのは、この季節まさにサイコーなんだが、今日のように所用があって時間に余裕のない時には、風光明媚を楽しむ気持ちになれないものだ。それにミルクロードの坂道は急な上、見通し悪いヘアピンカーブの連続するワインディングロードである。道幅も狭いので10tクラスのトラックが登坂するには厳しく、すぐに先が詰まってしまう。エンストでもしたらさらなる渋滞は必至、積載量オーバーで横転したトラックもあるというし、これで冬ともなれば路面は凍結するので、いずれ阿蘇地方が再び陸の孤島と化すのは目に見えている。

もちろん立野(阿蘇大橋が崩落した辺りだ)の地質調査および無人の重機による地滑りした法面の整地も急ピッチで進められているので、来年初めには国道57号線の本格的な復旧作業に入れる見通しではあるとのこと。しかし阿蘇に住まう人たちの不便は当分、いや数年は続く。動脈の細まった阿蘇ライフラインを、国と自治体は、今以上の予算と情熱をかけて取り組んでもらいたいと切に願う。

外輪山線の草原は今、群生したススキの真っ盛りだ。銀色の穂がそよぐ風に波のように揺れる壮麗な風景を写真に収めたかったが、生憎そんな余裕がなかった。途中に休憩した北山展望所から望む、阿蘇五岳の一葉のみでご容赦願いたい。(10月6日)

そして今朝、上掲の熊日朝刊の記事を見て、このようなツイートを投稿した。

この件、昨日も阿蘇で話題に上った。「福岡市は一週間で陥没が復旧したのに、なんで半年経っても改善せんの?」と。「そりゃあアレたい、予算ば引っ張れる力を持つ政治家が居らんけん」と。そっちかい?と思ったけど口には出さなんだ。ともあれ道路の復旧は急務だよ。冬になったら深刻の度合いが増す。pic.twitter.com/n2agFN6n8B(写真)

もちろんぼくは、今回の博多駅前陥没事故における急ピッチの復旧は政治の力学によるものではない、と考えている。しかし阿蘇の人々の目には、復旧のスピードは政治家の力量の差によるものと映っているようだ。政治家が省庁に強い圧力をかけてくれれば、懸案事項は急ピッチで進むものだと信じている節がある。

その証拠に、こんな会話が飛び交う。「河津寅雄(元小国町町長。政界に強い影響力を持った阿蘇地域の実力者。河津寅雄 - Wikipedia を参照)が居らしたころは良かった。何でん話がスイスイ通りよった」だの、「(松岡)利勝さんは今思えば、多少強引だったかも知れんが、やっぱり力を持っておらしたけんね」だの、昔日の「強い」政治家のイメージを今なお追いかけている。ぼくは「なんだかなあ」と思いつつも黙って拝聴した。NHKRDD調査によれば〈安倍政権を支持する〉が50%強だという。にわかには信じられないが、ぼくは事実であろうと思う。地元に利益誘導のできない・しようとしない野党などかれらの眼中にはない。私たちの地域に益をもたらしてくれるだろうという期待は信仰心にも等しい。つけ加えるならば年配のかれらは善意の人びとである。「安倍さんもTPPやらに固執せんで、我々の生活の再建に目を向けてくれんですかなあ」と希望する「善人」ばかりである。安倍政権はドナルド・トランプと同様、地方の人びとの善意によって支えられている。そのことを思い知らされた昨日だった。

 

 昨日は急用があったため二重峠から赤水までは県道23号線を経て往復した。

:もちろんこれは阿蘇住民の総意ではないとお断りしておく。

 

ストーンドオヤジの嘆き Stoned Uncle's Lament

 

レナード・コーエンが亡くなってしまった。

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ぼくには語るべき言葉がない。というのも、レナードはぼくにとって詩作の師であり、表現の指針であり、事象の度合いを測る物差しであった。 かれの歌からは多くを学んだが、創作への慎み深い態度、一つの詩曲をこしらえるのに数年を費やし、どの語句も揺るがせにできない頑丈な作品に結実する職人気質(かたぎ)は、ぼくの文章に決定的な影響を与えた。

だから別のアーティスト同様、軽々に語ることは不可能だ。あのアルバムが良いとか、あの歌詞の内容はどうだとか、論評する気持ちはまったく湧かない。よしんば語るにしても、かれの詩にこめられた哲学と宗教にかんする深い考察は、あまりにも高い塔のごとくであり、ぼくのような無学の徒が語るべきではないと感じる。ただ、ぼくに言えることは、レナードの歌は深淵な思想に基づくものではあるが、カントリーとフォークソングに根ざしたシンプルな音楽だよということだ。これだけハードルを高くしておいて、それはないだろうと自分でも思うけれども、本人のお経みたいな低音が苦手だという方は、ジェフ・バックリーの「ハレルヤ」なりジェニファ・ウォーンズの「ジャンヌダルク」なり、耳になじみの良いカヴァー曲から聴くことをお勧めする。

ひとつだけ指摘しておこうか。1990年前後にレナードが愛用していた灰色のキーボードはテクニクス製のポータブルキーボード(画像参照。機種名Technics KN1000)だった。ぼくも何回か使ったことがあるけど、操作しやすく頑丈で、音色に芯があった。レナードの傑作「歌の塔」のバックトラックは、ほとんどこれだけで制作されている。買っておけばよかったなあ。


Leonard Cohen - Dance Me To The End Of Love (Later with Jools Holland May '93)

 

語れないといいつつ、長くなってしまった。いつぞやも、

<斜に構えて「おめ〜ら政治とロックは別モノって馬鹿じゃねぇ?まぁ、俺は説明しないけどね」っていいながら長々と説明って……(後略)>

と当ブログ記事をdisられてしまったけれど(でも、ぼくは「馬鹿じゃねぇ?」なんて冷笑的な書きかたはしてないんだがな)、こと音楽について説明というか説教くさくなる傾向は、これはもう重症でして治る見こみがありません。それはとりわけロックに顕著で、自分の得意分野になると身を乗りだして力説しはじめるんですなあ。クラシックなど他のジャンルだと、もうちょい謙虚なんだけども。

例えば、レナード・コーエンが亡くなった数日前に、ハンガリーのピアニスト、コチシュ・ゾルダーンが死去した。

<コチシュは、ぼくがクラシックを聴きはじめたころ、ハンガリー出身の若手ピアニスト三羽烏としてシフ、ラーンキと並び称されていた。前のお二方(のツイート)が挙げたようにバルトークラフマニノフが印象的だった。「ヴォーカリーズ」が人口に膾炙したのは、かれの功績といっても過言ではない。カッコよかったよ。

とツイートしたんだけど、ずいぶん控えめでしょ?それはぼくがクラシック音楽を聴きはじめたのが20代半ばからで、しかも演奏家や指揮者やオケの差に無頓着だったからなのだけど、まあぶっちゃけ「クラシックロック」ほど詳しくない。なのであまり踏みこまない、いや踏みこめないんだな。

で、好きなジャンルのこととなると急に勢いづいてグイッと身を乗りだして、持論をまくしたて、異論・反論に神経質になる……ってこれはまったくオタク気質だよなあと自省していたところへ、例の「ポリコレ」談義がネット上に吹き荒れ、ぼくも一丁噛みした次第なんですが(詳細は語らない。書くなら稿をあらためる)、そこでモナーカさん(もとい)モーナカさんがリツイートしていたポンピィさんのこんなツイートに、胸をド衝かれたような思いがしたのである。

<だから、「ポリコレ」そのものが悪いんじゃないと思う。なんていうか、ローリングストーンズは好きだけど、ストーンズオヤジは嫌いみたいな感じ。>

そっか、だよなー、おれってことロックにかんしては思いっきりオヤジに成り下がるもんなあ。まるで森高千里の歌「臭いものにはフタをしろ!!」そのものじゃんか。あれがヒットしたころ、ぼくはそろそろ三十路へ突入するかしないかだったけど、あの歌詞にはカチンときたもんなあ。「ホント理屈は得意だね、おじさん」って箇所に腹の底からムカついた。だけど自分がそんな口の利き方をし始めていることに薄々気づいてはいたんだ。それカッコ悪いって強迫観念にとらわれて、そのころ流行りの「ロック」からは遠ざかっていた。

ぼくはこのブログを始めたとき、なるべく「ストーンズオヤジ」的な態度すなわち「この程度知ってなきゃ話になんねえよ」的な言いぐさだけはするまいと固く心に誓っていた。しかしぼくの記事を厭った(たぶん)若者は、ぼくの文章に漂う加齢臭を嗅ぎとったのだと思う。ぼくは好きな音楽を語るときに「情報を並べるばかりじゃ意味がない、なぜ自分が惹かれるのか夢中になれるのかを伝えなきゃ」と考える。それでその理由を詳細に書きすぎる。そこがウザいんだろうし、その臭みを消そうと努める身振りもまた痛々しいんだろうな。こういった自虐の心境が鬱屈すると、ぼくも「棍棒で殴られた」ような気持ちになるのかもしれない。いや分からない。とにかくぼくは「ストーンズオヤジ」に認定されたくない。自分の趣味を成立させている要件を普遍的なものとして他者に押しつける愚行をおかしたくはない。

と、さっきまでそう思っていたんだが……

ふう。気を鎮めなきゃ。ちょっとコチシュのアレンジしたラフマニノフの「ヴォーカリーズ」を聴いてみようか。


Zoltán Kocsis: Rachmaninoff - Vocalise, Op. 34 No. 14 [Arranged by Zoltán Kocsis]

 

たぶんぼくは、10代のころに培われた「ロック的な感性」で他ジャンルの良しあしを判断してしまうのだ。その悪癖をこじらせたまま50代に突入してしまったわけだが、どうせ治んないよと開き直っては(勝手に授かった)コーエンの名が廃るというものだ。厄介で頑迷なのは生来の性格だから仕方ないにせよ、せめて感情の高ぶるまま稿を起こすのは慎みたいと思ふ。

ところで、昨晩ひどい夢を見た。書くのが憚られるほど嫌な展開だった。終いには崖から飛び降りる破目になるが、海面がぐんぐん眼前に迫ってくるあたりで目が覚めた。気温は低いのに汗びっしょりだった。いま何時だ?と思ってiPhoneを掴んだまま、ツイッターのタイムラインをスクロールしていると、レオン・ラッセルの訃報が目に飛びこんできた。

《あー、やりきれないぜ親父どの》

ぼくの父は九月に亡くなったが、今夜ほど堪えた夜はない。母が入院しているせいもあるだろうけど、自分のヒーローたちが次々にあの世へ旅立っていく、自分の指針であり障壁でもある険しい存在が消失してしまう事実に酷く打ちのめされた。お悔やみツイートをいくつも目にしたが、肝心要のことが書かれていないのに歯がゆさを覚えた。テメーラ「ソング・フォー・ユー」ばっかりじゃんと無いものねだりをしながら、ぼくは最近ツイッターで自粛していたユーチューブ画像を二枚貼りつけた。「エルヴィス&マリリン」と「異星の客」。ぼくはピアノを弾く。中学生のころニッキ―・ホプキンスとエルトン・ジョン、そしてレオン・ラッセルの奏法に影響を受けた。中でもレオンは左ききだから低音の動きが機能的かつ雄弁で、コピーするにも手こずった。そういった個人的な経験を書くことは間違っているだろうか。なぜ誰も「タイト・ロープ」におけるピアノの多重録音に言及しないのだ。どうして『鬼火』における革新的な音響技術について語らないのだ。オノ・ヨーコはニュー・ミュージック・マガジン誌のインタビューで「レオン・ラッセルは今度のレコーディングで48チャンネルを使うそうよ。そんなに沢山のトラックが必要なのかどうか、私には分かりませんが」と内田裕也に語っていたし、遠藤賢司は「レオン・ラッセルの来日公演、観にいったけどつまらなかった。冷たい感じがした」と語っていた。手もとにないからどちらもうろ覚えだけど、そのくらいのウンチク書いたって問題ないだろう?その記憶を記録するのがインターネットの集合知ではないのか。出し惜しみするくらいなら、あやふやでも書いちまった方がいいんじゃないか。間違いならば指摘すればいいし、事実に反しているならば訂正すればいい。ぼくの貧弱な「知ってること」が一人でもいい、見知らぬ誰かに届けば幸いだと思いながら、ぼくは今このブログをしたためている。

終いになってどうしようもなくグダグダとストーンドしてしまったけれども、イワシだもんなしゃあねえやと笑ってくだされ皆の衆。“Roll Away The Stone!”


Leon Russell - Will O' The Wisp / Little Hideaway (1975)

 

 

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秋刀魚の味

 

秋日和の空の下、小津安二郎最後の監督作品、『秋刀魚の味』のことを想う。

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平山周平(笠智衆)は、ひとり娘の路子(岩下志麻)を嫁に出さなければならないと決心する。なぜ嫁に出さないとならないかというと、同窓会で会った恩師(東野英治郎)が、娘(杉村春子)を「便利に使ってしまった」と悔恨している様子をみたからである。周囲は適齢期なのだからそろそろ結婚をと促していたが、周平は「まだ急がなくてもいいだろう」と思っていたし、路子自身も「このままでいいの」と言っていたので、結論を先延ばしにしていた。が、密かに想っていた兄(佐田啓二)の同僚の三浦(吉田輝雄)が他の女性と婚約したのを知るに及んで、路子は勧められていた縁談相手との結婚を決心する。

結婚するにいたる事情は様々だけど、このような「運命のひとひねり」が要因であることを『秋刀魚の味』は見事に捉えているのだが、葛藤は最小限に抑えられ、台詞としての抗いもなく、周平と路子は事実を淡々と受けいれる。それが予め定められていた既定路線であるかのように。だけど娘が嫁いだあとの自宅の玄関には今まで同居していた者の気配がなく、周平はその空間に、虚無を痛切に感じる。

秋刀魚の味』のあらすじをざっと記してみたが、これを書いたからといって、観る際の妨げにはなるまい。小津映画を観るということは、観ている時間そのまま映画の世界で過ごすことであり、映画の裡に暮らすことだ。私たちは身内となって路子の行く末を案ずる。あるときは(今の観点からするとハラスメントを連発する路子の上司である)中村伸郎となり、またあるときはウィルソンのドライバーを欲しがって妻(岡田茉莉子)に咎められる佐田啓二となり、路子の幸福に関与しようとする。しかし笠智衆の周平だけは、その「幸」のありかたに疑いを抱く。声明こそしないけれども〈それが本当に娘の幸福であろうか〉と。かの女の自由意志を蔑ろにしているのではないかと煩悶する。けれども当時の大人は身をよじって訴えはしない。それでいいのかと思い悩むが、結局それが娘のためには幸せなのだ、自分の許にいつまでも置いていては婚期を逃してしまうからと無理やり自分に納得させてしまう。戦後17年を経て、巡洋艦の艦長だった周平は、比較的に開明な思想を持つに至ったが、それでも世間の風潮、時代の標準に逆らいはしなかった。いや、異議を申し立てる気持ちすらなかっただろう。それでも〈これで本当によかったのか?〉という密かな思いが、寄せては返す波のように周平の胸を去来するだろう。映画のラストシーンは感情の喪失と空漠を暗示させる。

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なんと麗しい路子

2016年の現在に、この映画に示された時代背景をそのまま当てはめるわけにはいかない。が、『秋刀魚の味』に漂う、名状しがたい哀しみのようなものは、今の時代にも通底する問題をはらんでいる気がしてならない。私たちはいかに多くの約束事をお互いに交わしあい、制度を課しているだろうか。世間の枠組から逸れることをおそれ、自由意志をみずから抑制してしまうことがないと言い切れるか。周りはみな善人なのである。善人が善意を持って習慣の維持に努める。習俗、その不可視の柵が私たちを囲っているのだと示したこの映画は、腑を噛みしめるとほろ苦い『秋刀魚の味』がする。 

 

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2018年に名監督・小津安二郎の“狂気”がバズった理由

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