鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

Nの結婚(プレハブの新芽 その3)

 
 発掘現場には、さまざまな人間がいた。それぞれが個性的で、その個性を隠そうとはしなかった。自己主張というのとは、少し違う。ただ、個性が自然とあらわになっていたというのが、ぼくの印象だ。
 ただ言えることは、かれら・かの女らは、じつに不器用な生き方をしていた。如才なく、人を出し抜くを知らないといったふうな。これをいうと語弊があるかもしれないが、一般社会からドロップアウトした人種の集団だった。頭は悪くない、いや、水準よりも教養は高い。仕事の呑みこみは早く、テキパキと与えられた業務をこなす。勤勉であり、文句ひとつ言わず、怠けることもない。
 だけど敢えて言うなら、埋蔵文化財発掘の作業員は、社会のレールから脱線した、いわば負け組であった。かくいうぼくもそのひとりである。他に採用されるみこみがなかったから、発掘の作業員になったのだった。
 
 ナカシはそのなかでも、とりわけユニークな個性の持ち主だった。ぼくは現場に入ってからすぐに、かれの存在を強く意識した。と同時に、ちょっと厄介だなとも感じた。うまくいえないが、面倒くさそうだなとも感じた。
 ナカシは寡黙な男だった。喋るのが苦手のようだった。その代わり、イタズラが得意だった。往時のサイレント映画に出てくるコメディアンのような動作で、同僚の笑いを誘っていた。そのユーモアには、どこか毒気というか、批評精神みたいなものが含まれており、そこでぼくは、ああかれは喋る代わりにイタズラでコミュニケートしてるんだろうなと、勝手に解釈していた。しかしぼくは笑いのダシにされまいと、かれとは距離をとっていた。だから最初の一年くらいは、話かけもしなかった。
 ナカシは音楽を作っていると知った。レディオヘッドをはじめとする英米ロックに影響を受けた音楽を、多重録音で制作していると。誰かがかれの作ったCDをくれた。聴いてみるとそれは、奇妙な音楽だった。音楽の体裁という点から見れば、まだ形をなしていない感じだった。リズムの選択は適切でなく、コードの選択はあやふやだった。
 しかし、そこには紛れもない表現があった。純粋な表現欲求の発露とでもいおうか。聴いていて照れくさくなるくらいにナイーブだった。ユニークさはとりわけ歌詞に顕著だった。ぼくは、仕事がはけて着替えている最中にボソッとかれに告げた。聴いたよ、と。
 ナカシは、ビクッと反応し、それから「ああ……」と何気ないふうを装った。ぼくは二の句を告げられる前に、自分のほうから二の矢を放った。
「歌詞が面白かった。煮えた鍋をみんなが囲んでいて、だけど、だれも手をつけようとしない、って内容の歌詞があっただろう? ああいうのが、おれ好みだな。じゃ、お疲れ!」
 なにかいいたげなナカシを後目に、ぼくは詰所を後にした。
 
 それから半年くらい経って、また同じ現場になった。浮間舟渡の、泥水が溢れる現場で、ドブの匂いに辟易した泥だらけの作業員たちは、昼休みになると、泥のように眠っていた。
 ぼくもまたダンボールを敷いて、MP3プレーヤーで音楽を聴きながら午後の始業時間まで眠っていた。たしかムーディー・ブルースの「子どもたちの子どもたちの子どもたちへ」を聴いていたときだ。ロケットが発射される音と同時に、ぼくは深い眠りの徒についた。
 目覚めたとき、吃驚した。ナカシがぼくを覗きこんでいたのだ。何も言わず、ジッとぼくの寝顔を見ていた。まるで猫のようなやつだなと思った。おい勘弁してくれよ寝覚めが悪いぜといいながら、ぼくの気分は、しかしそんなに悪くなかった。
 それからか、少しずつ会話をするようになった。途切れとぎれのことばをかわしながら、駅までの道のりを一緒に帰るようになった。ナカシは断片的なことばを放りやる。それをぼくは、いちいち確認しながら、会話をつなげていく。たとえば、こんなふうに。
「ん、レディオヘッドは、いいね」
「新しいの、聴いた」
「いや、聴いてない」
「いや、昨日買った」
「ああそうか、よかった?」
「まだよくは、わからない」
「影響を受けてるよね?」
トム・ヨークしか、信じない」
「それはどうして?」
「どうしてか……とにかく」
 かれの口調がなめらかになってゆくのは、もうしばらく経ってからだった。
 
    本人の口から直接、あるいは同僚の口から少しずつ、ナカシの人となりが浮き彫りになっていった。
 一年ほど前に、両親が相次いでお亡くなりになったこと。
 ぼくと同じ、九州の出身であること。
 絵の勉強をしに、美術系の専門学校に学んだこと。
(かれは、それはみごとに絵を描いた。昼休み中に、鉛筆がきで、鷲の絵をササッと描きあげていくのをみたときには、ほほうと感心したものだ)
 風呂のないアパートに住んでいて、風呂は、通いのスポーツジムでシャワーを浴びて済ませていること、などなど。
 ナカシは、きれいな顔立ちをしていたし、ジムで鍛えた体は、惚れぼれとするほどだったから、女性にはモテるだろうと思っていたが、さほどでもなかったようだ。
「もう何年も」
 とかれはつぶやいた。
「セックスしていない」
「おれだって、そうだよ」
「だけど、奥さんいるでしょ」
「それだけのために、一緒に暮らしているわけじゃないからな」
「どうしても続かない」
「女と?」
「うん。相手のエゴに」
 傷つきやすいのかなと感じた。わがままなのかなとも。わからないが、ナカシとつきあう女性はたいへんだろうと思った。持て余してしまうだろう、たいていの女のこは。
「来週また、ライブをやる」
「ふうん」
「梅島の、ゆーことぴあで」
「またあそこか。もっと近場でやれよ」
「あそこは自由だから」
「おれは行かないよ、遠すぎるもん」
 とはいったものの、ナカシのパフォーマンスはどれほどのものかと、興味が湧いたので観てみることにした。
 客は少なかった。ぼくともうひとりしかいなかった。そのふたりを相手に、ナカシは歌いはじめた。
 驚いた。
 自主制作のCDよりか、よほどいいじゃないか。声にヘンなくせがなく、しかも伸びやかだ。ギターは巧くないけど、チューニングもリズムも正確だ。それよりもなによりも、立ち振る舞いが堂々としている。尊大でもなければ、卑屈でもない。自然体であるのに、好感を持った。そしてぼくは初めて、ナカシの本質をみたような気がした。
《ああこんなふうに、自分を素直に表出すればいいのに、構えずに防禦せずに、さらけ出して生きていけば、もっと楽になれるのに》
 もちろんそんなことは、面と向かって言えない。だけど、その晩を境に、ナカシをもっと理解しようと思ったのは確かだ。かれが生き辛そうにしているのは、ぼくも感じてはいた。しかしなにか手助けができるほど親切ではなかった。ぼくにできることは、ただ見守るだけだった。かれがどんなふうに変わってゆくかを。
 
 そのころぼくは同僚のNさんからmixiを勧められた。インターネットの世界に飛びこむには勇気が要ったが、これを機会にとSNSをはじめた。mixiにはナカシも参加していた。そこでぼくは、かれの饒舌ぶりを目の当たりにする。
 喋るのを苦手とするナカシが、他の人の何倍も語りかけていた。選ぶことばは剥きだしで、鋭く、容赦がなかった。べつに、やみくもに世の中を批判しているわけではなかったが、存在することの意味を、厳しく自分に問いかけていた。そのことばの切っ先は、自然と他者にも向けられていた。ぼくはその向こう見ずな態度に、あきらかに影響を受けた。
 かれは村上春樹河合隼雄などの熱心な読者だったが、ここにきて、内田樹中沢新一の本を積極的に読むようになっていた(そういえば、平川克美の『俺に似たひと』を、ぼくが帰郷するときに呉れたのだった)。社会的意識が、かれの中で育まれてきていた。そして、そんな折に、3.11が到来したのだ。
 ぼくは即時性を求めて、インターネットの軸足をTwitterに向けた。mixiとは疎遠になった。そのことでナカシと真剣に語りあったことはない。だけどあれを期に、呑気だった発掘作業員らの意識は確実に変わった。あるものは寡黙になり、またあるものは饒舌になった。あの日からの半年くらいを、ぼくらはどう過ごしたのだろう?
 発掘の会社で、ライブを開催しようとする動きが見られたのも、そのころだった。ナカシ以外にも、歌を作り、歌をうたうものが何人もいた。それらを一同に介したライブをしようじゃないか、という。その企画に、ぼくは加わらなかった。音楽からはリタイアしていたし、人前で演奏する勇気もなかった。しかしナカシは、その輪の中にいた。中心人物のひとりとして、積極的にかかわっていた。
 下北沢ロフトでのライブを、ぼくは観にいった。それぞれが持ち歌を披露し、愉快なひと時を過ごした。しかしナカシのステージは、他の誰とも違った。隔絶している、そんな印象を受けた。ループエフェクターを多用したスタイルは、ぼくの目には独りよがりのようにも映った。そう指摘すると、かれはこうつぶやいた。
「ぼくは社会と、とりあえず和解したつもりでいたけれど、社会、いや世間はけっしてぼくを、許容したわけではないんです」
 
 冬になった。
 ぼくとナカシは、虎ノ門の現場で働いていた。帰る方向が同じだったから、いつも一緒に歩いた。せっかくだから霞が関まで歩いてみようよとぼくは提案した。経産省前の様子を見てみたかったのだ。
 経産省前では、連日デモが行われていた。交差点の前にはテントが張られていたし、ジャンベカウベルを鳴らしながら、若者が原発反対を訴えていた。ぼくらはそれらを目のあたりにしながら、かれらの前を横切って、地下鉄の駅に潜った。
 どう思う、とぼくは訊いた。ナカシの考えはある程度了解していたが、かれの口調は意外なほど明瞭で、しかも落ち着いていた。
「リアルに生きなくちゃならない」
「リアルに、とは?」
「お仕着せの、ありあわせのことばには頼らずに、生きていくということです」
「なんか言いかたまで内田樹っぽいぜ」
 ぼくが皮肉を言うと、それにはとりあわず、池袋で本屋に寄るつもりだと、かれはいった。「今日が発売なんですよ、内田さんの新刊」
 やれやれと思いながら西武のビブロにつきあった。新刊がたくさん平積みになっているのを、ぼくはもの欲しげに眺めた。子どもの受験を前に、本を買う余裕など一銭もなかった。
「ああ、これ。トールちゃんが絶賛していた、古市ナントカの本だよ」
イワシさん、読みたいですか?」
「ま、読みたいけど、金ないもん」
「じゃあ、おれ買いますよ。内田さんの買うついでに」
 そうしてナカシは、ぼくに古市憲寿の新刊を貸してくれた。そして池袋駅での別れ際に、こう言い添えた。
「返すのは、いつでもいいですよ」
 いつの間にか、ナカシは優しくなっていた。ぼくにこころを開いてくれていた。いや違う。構えて防禦して、こころを閉ざしていたのは、じつはぼくのほうではなかったか?
 そういえば小平での試掘が終わったあと、花小金井の駅まで40分ほどテレテレ歩いていたとき、ナカシは途中で缶ビールを二本買ってき、そのうちの一本を黙ってぼくにさしだした。ぼくらは歩きながら、夕暮れの小金井の街道を、ビールをグビグビ飲みつつ、莫迦話しながら歩いた。
《そうだ、ナカシはいつも親切だった。それに優しかった。作業中もあれこれ指示せず、けれど身を以て示してくれていた。それに気がつかないで、おれはなんて愚かなヤツだろう。年長者よろしく教訓めいたことを説いていたが、じつのところ、人としてのありようを教えられていたのは、おれの側だったじゃないのか》
 ぼくは不明を恥じた。
 それと同時に、かれの志向するリアルが、おぼろげに姿を現しつつあるように感じていた。
 
 リアルがより具体的になったのは、年が明けてからのこと。ナカシが最近、SNSで女性と親密にやり取りを交わしているという報告を、同僚から聞いたのは。
「それは何? mixi
「いや、イワシさんが熱心にやってるほうだよ」
「まさか!」
 翌週、次の現場でナカシと鉢合わせた。ぼくは急いて詰め寄った。聞いたよ、どうなっているんだと。ナカシは照れもせず、淡々と問いに答えた。
「どんなひと?」
「ちゃんと仕事を持った、リアルな女性です」
「 住まいは? 年齢は?」
「千葉の外れのほう。おれより、年上です」
「きっかけは?」
「おれと同じように、坂口恭平をフォローしていて、そこから、話が弾んで……」
「そんなのって、ありかよー」
「でも、事実です」
「へえ、で、もう会ったのか?」
「いえ、じつはそれがまだ……」
 会ってないんです、とナカシは言いよどんだ。
「なあんだ、それじゃぜんぜんリアルじゃないじゃん。たんにネット上で意気投合した、ただそれだけじゃん」
 ぼくはイヤミをいった。するとかれは、深刻な顔をして、かの女と会うのが怖いと、ぼくに告白した。
「だって。おれの実際をみて、がっかりするかもしれない」
「ああ。あるいはな、ナカシが失望するかもしれないね」
「それはないと思うけど。会ったら、親密な関係が壊れてしまいそうで」
「でも、会うしかないだろ。
 ナカシ、今度のライブはいつだ?」
「10日後です」
「場所は?」
「ゆーことぴあ」
「またかよ。でも千葉から近い。おあつらえ向きじゃないか。呼んじゃえよ。そこで、おまえの歌を聴かせるんだ。それしか道がないだろ? かの女は、ナカシが歌っているのを、どう思ってるんだ」
「興味あるとは思う。YouTubeにアップした映像をみて、感想などを書いてきますし」
「なら問題ないよ。歌えナカシ、そうすりゃバーチャルは現実になる。だろ?」
 あれは下井草だか、上井草だかの踏切の前だった。覚えているかナカシ。ぼくは、きみの背中を押した。忘れっぽいきみは、覚えちゃいないだろうけど。
 ぼくは、おぼろげにしか見えてなかった像が、はっきりと結ばれていく瞬間を察知した。この期を逃したら二度とチャンスは訪れないだろうと。ナカシ、リアルに生きたいと思うんなら、傷つくことを恐れちゃダメだ。ぼくはそう思った。だから、ガラにもなく先輩口調で励ましたんだ。
「会ってみようかな」
「みようかな、じゃなくて、会え!」
 警報機が鳴り止み、踏切が、開いた。ぼくは、せいぜいガンバんな! とさけんで、線路の向こう側に渡った。
 
 
 それからあとの展開を、ぼくは詳しくない。ナカシは、くだんの女性と会った。初めて会った場所がどこかも知らない。「ゆーことぴあ」ではなかったのかもしれない。
 ただ、とにかくかれはかの女と出会い、そしてつきあい始めた。それぞれの側に、それぞれの事情があった。距離も近くなく、仕事の都合だってあった。おそらく、さまざまな困難が、ふたりに降りかかってきただろう。ぼくはその経緯をほとんど知らない。ただ、知っているのは、かの女が素晴らしいひとだということだけ。ナカシの口からだけではなく、あくまでもバーチャルな空間で何度か会話しただけの「知り合い」なんだけど、かの女が聡明で、しっかりした方だということは、インターネット越しにでも、はっきりとわかることだった。 
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 この写真、好きなんだよ。視線のありようが優しい。
 
 ナカシは半年前に発掘の仕事を辞め、千葉に引っ越し、農場に働き口を見つけた。
 そして先日の5月吉日、かれらはついに結婚したのだ。
 信じられるかい? 結婚までこぎつけたんだぜ。これは現代の奇跡だよ。いや、奇跡じゃないな。現実だ。紛うことなき、リアルな出来事だ。
 ぼくは嬉しい。嬉しくってたまらない。あのナカシが、人づきあいの得意じゃないナカシが、すてきな女性とめぐりあって結婚したんだから、そりゃ冷静ではいられないよ(だからぼくは興奮ぎみに、これを書いている)。
 こころから祝福しよう。おめでとうと言おう。ナカシの話は、これで(ひとまず)おしまい。
 末長く、お幸せに。
 
 
【追記】

その後ナカシは一念発起、農場をやめると看護師の資格をとるため専門学校に入学した。つまり結婚したパートナーと同業になる決心をしたのだ。かの女の知らせには戴帽式の写真が添えられていたが、いや笑ったね。ヤツはまるで生まれ変わったかのように晴れやかな表情をしている。この二人ほんとうに好きだ。既存の夫婦関係から自然と脱却して、新しいパートナーシップの在り方を着実に育んでいる。知り合えてほんとうによかった。じつは奥さんとはリアルで会ったことないんだけど、まるで旧知の友のようだ。ぼくはこれからもナカシ、いやリョータの一家に遠い町からエールを送り続けたい。(2016年5月25日)

それから2年後、リョータは晴れて国家試験を合格し、看護師の資格を得た。パートナーから届いたメールには、前回と同じく看護学校の卒業式の写真が添えられていた。羽織袴に身を包んだリョータの姿は凛々しく、一つの目標を達成した者が持つ清しい表情を浮かべていた。(2019年3月8日)