鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

ジャッジメント

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  エニド「夏天空の伝説」(1976)

 

    先日、ふと思った。

    話題のネタというか、お題のようなものは、いったい誰が、提供しているのだろうかって。
    ぼくらは口を開けて、喚いている。早く次のをよこせと。食らいつく値打ちのある、面白い情報を提供しろと。
    すると、どこからともなく、ほうれお前さんたちが望んでいるのはこれだろと、新しい話題が放りこまれる。まるで池の鯉にエサを投げやるように。ぼくらは頭を突きあって、ああでもないこうでもない、侃々諤々と意見をたたかわす。エサを放ったその主は、その様を眺めながら、ほくそ笑んでいる。あいつら、性懲りもなく、また喚いてやがると。
    そのように、最近は、時事の切り取りかたが、ひじょうに恣意的だと感じる。あらかじめ意見が割れそうなもの、分断されがちなものが、意図して選ばれている感じがする。それに食らいつくのは愚の骨頂なのかもしれないし、一歩身をひいて、遠巻きに眺めるのが得策なのかもしれない。話題の渦中に巻きこまれないようにするのが、身を護る方策でもあるなら。
 
    だが悲しいかな、ぼくは無視できない。彼岸の火事だと、傍観できない。野次馬根性、それもある。見過ごすことができないのは、性分でもある。最近でいえば、土佐電鉄の件。あるいは産業競争力会議の「残業代ゼロ」の件。いずれも吠えた。ある程度の賛同も得られた。その都度、所謂「ネトウヨ」からの誹謗中傷も受けた。それはいい。ある程度の予測もできた。しかし、いま不気味な一派が、台頭しつつある。それは市民派を装いながら、護憲を標榜しながら、反原発を旗印としながら、それはそれとしてと担保しつつ、相対する敵であるべきの、政府側の見解や、体制側の秩序統制などと、じつはまったく変わらない論陣を張る、一群のことである。
    ぼくは陰謀論に加担したくない。見も知らぬ大きな力が存在し、そこで意思決定しているとは思いたくない。しかし、最近の社会の動きをみていると、反対の意思を表明しようとすると、そこにかならずブレーキをかけ、勢いを減速させるような言論の主体が、存在していることに気づく。それは社会を成立せしめる総体的な意思であろうか。
    違う。確実に、なにものかが、自由な言論を妨げようとしている。きわめて意図的に。組織的に。その正体とはなんなのかを、ぼくは見極めたいが、彼らは容易に姿を現さない。
    あるものはそれを「優秀なコピーライター」だといい、あるものは「工作員」だという。またあるものは「プロデューサー的な司令所」だと指摘する。どれもが当たっているような気がするし、とんと的外れのような気もする。
    いずれにせよ、エサを放りやるものは、事態の推移を冷静に分析している。池の鯉が、ヒートアップしそうな話題を意識的に選択している。どのクラスタが、どのように反応を起こすかを、ありとあらゆる角度からシミュレートしている。そのアナリーゼはかなり的確で、池の中の鯉は、かれの思ったように、エサに殺到し、意見をたたかわす。
美味しんぼ』の「鼻血」の問題に、それは顕著である。同じ反原発原発廃止の意思を持つものが、みごとに分断されている。単純に二分化とも言いきれないが、反原発の歩調は、乱れに乱れている。それこそが、かれらの意図だ。撹乱こそが、かれらの目的だ。それにまんまと嵌ることまで、かれらは予測している。どの時点で飽和状態に達し、収束に向かうかまでのルートも、また。
    冷静に、と訴えるものが、冷静さを欠くまでを、饒舌だったものが、沈黙するに至るまでを、かれらの蓄積したデータベースは、知っている、分析している。その傾向に抗うすべは、ほとんどないに等しい。イワシというアカウントが、どの時点で妥協し、挫けるかは、かれらの掌中にあり、その予測は、ほとんど外れない。
    だが、いいのか? このままで。ぼくらは池の鯉よろしく、口をパクパクあけて待っているだけでいいのか? 為政者は、支配層は、権力は、ぼくらが力尽きるのを待っている。ただ黙って監視し、自滅するのを眺めている。ほくそ笑みながら。
 
    ジャッジメント。
    ぼくらはジャッジメントのゲームに夢中になりがちだ。論が分かれる案件に、興味を抱きがちな人種なのである。意見の相違、熱いか冷たいか、それぞれの立脚点、さまざまな観点。そういったもろもろが、一極に集約される。その興味のなかで、わたしはこう思う、ぼくはこう選択すると、ジャッジメントしながら、次のステージへ進もうとする。だが、待て。そこで峻別し、事足れりとしてはいないか。ここで自分なりの裁定を下したとして、問題を解決したように錯覚してはいないか?
    ぼくには分からない。単純に割りきれない。ただ、かれらの思惑どおりに動いてゆくのはゴメンだ。ぼくは将棋のコマではない。ふだんは歩だが、角にも飛車にもなるさ。予測不可能な動きをするだろう。かれらの設定したアルゴリズムから、完全に逸脱する動きを。
    自由にもの申したい。あらゆる自己規制をとっぱらって。とにかく、いまのままだと、見えざる「情報提供者」の思う壺だから。
 
 
 テーマからは逸れるが、このアルバムの白眉も併せてお聴きください。


The Enid - Under the Summer Stars - Adieu - YouTube

 しかしエニドはホントに面白い。保守にして革新、シンフォニックでパンキッシュ、国粋主義なのにインターナショナリスト。しかも反核。閉鎖的なようで開けっぴろげ。二律背反を常に併せ持つ、孤高のスタンス。