鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

わしまで信用できんようなっちょるんか

 
既にお気づきになった方もいらっしゃると思うが、当ブログ『鰯の独白』にアップした裁判関連(俗にいう日向産廃問題)の記事をぜんぶ引きあげた。半永久的に非公開とする。
公開を閉じるに至った理由は、①係る裁判が結審したこと、②該当裁判に興味のある方のたいていは記事を読まれていると判断したこと、③計6回にわたる傍聴記録の信ぴょう性を疑う言説が流布していること、の③点である。
①については説明不要であろう。ぼくは結審までは見届けると書いた。約束は履行したので以後を語る義務はない。②については、ぼくが記事を引きあげたとしても、傍聴記は形をかえ、あるいは一部を切りとられ、インターネットの海の中を漂流している現状だからである。コピーを取った方もいるだろうし、いわゆる「魚拓」を取った方もいるだろう。何れにせよそれを止める手立てはない。
問題は③である。ぼくは計7回傍聴席でメモを取り、裁判所の事務室で訴状および判決文を閲覧した。ぼくの法的視点あるいは科学的知見の欠如によって内容的に不備や書きもらしがあったかもしれないが、嘘を書いた覚えはないし、分からなかった部分は「不明」とした。それを、「なにか理由があって肝心な部分を隠している」と詮索されるのは甚だ心外である。ぼくは被告側に与する形で記事を構成してはきたが、裁判中の発言内容や閲覧した文書の記載にバイアスがかからないよう、細心の注意を払ったつもりである。一部を「略」としたことから、そこに謎が潜んでいるのではないか?と想像するのは各個の自由だ。が、己が仮説を補強せしめんと「略」以下の部分を公開せよとぼくに迫り、メモしていないのだから書けない、と返答したのにもかかわらず、なおも納得せず、さもぼくの傍聴そのものを怪しいといわんばかりの言説を垂れ流す輩がいる。ぼくはこういう状況に心底辟易している。周囲で様子見している者もいれば、せせら笑っている者もいる。相手の心情を理解してあげてとおっしゃる方もいたが、理解できるかンなもん。これだけぼくの記事を毀損しておいて、そいつの何をどう理解しろというのだ。
ぼくが「表現の自由」を標榜している以上は、どこかの企業みたいに記事やツイートを訂正・削除せよとはいわない。よろしい、書くのは勝手だ、アームチェア・ディテクティヴよ、推理も憶測も妄想も好きにやってくれ。ただしぼくも生活を自衛する権利がある。これ以上自分が心血そそいで記録したものを虚仮にされてはたまらない。ぼくは延岡での裁判の傍聴記いっさいを封印する。前提となる事実が確認できないとすれば仮説は成立しなくなる。もし自説の正しさを証明したければ現地に飛んで資料にあたる他あるまい?ぼくの記事を根拠にさせてたまるものか。これは今のぼくにできる唯一の抵抗であり、抗議である。
f:id:kp4323w3255b5t267:20151212071805j:image 仁義なき戦い』広能(菅原文太
 
現実とフィクションを混同してはならない。
ぼくは夢想家の仄めかし野郎だが、傍聴記にかんしては現実を面白おかしく脚色してはならないと固く戒めてきた。
そんなことも分からんようになったんか?
今、ぼくの心境を一言で表すとすれば、日本語に翻訳できない、このことばに尽きる。
Disappointment.