鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

寄る辺ない感じ(プレハブの新芽 2)

 
 
 ローリング・ストーンズが来日中である。
 ぼくは、ストーンズのナンバーを耳にするたび、太郎ちゃんのことを思いだす。
 
 太郎ちゃんは、ぼくの盟友だった。いや、ぼくが勝手に、盟友だと思っていただけなのかもしれない。
 遺跡発掘の現場で、彼と出会った。その会社では、ぼくが先輩だったが、キャリアという点では、彼の方がずっと経験豊富だった。いつもサングラスをかけ、アロハシャツの前をはだけており、見るからに怪しげだったが、もの腰が低く、言葉づかいが丁寧だった。見てくれとは裏腹に、おとなしい人だなと思ったのが、最初の印象だった。
 が、最初のうちこそおとなしくしていたものの、そのうち彼の発掘センスと現場での即応力は誰の目にも明らかになり、半年もしないうちに代理人に抜擢されていた。
 
 荻窪の現場で、太郎ちゃんと顔を合わせた。昼休みになると彼は、バッティングセンターへ行こうという。バッティングセンター? 長らく行ってないなあ。気が進まないふうをぼくが装うと、イワシさんぜひ行きましょうよと強引に誘うのだった。
 5、6人連れで、荻窪の駅前ビルの屋上にあるバッティングセンターに向かった。土にまみれた作業員がゾロゾロと入ってきたから、店番もビックリしていた。みんなは120kmのレーンに入ったが、ぼくは90kmのにした。速球をみんなが打ち損じるなか、緩い球のぼくだけいい当たりを放った。太郎ちゃんは上手いうまいとほめながら、ゲージの外で何かを飲みながら寛いでいた。人を乗せるのが上手な人だった。いや、たんにぼくだけが、おだてに弱かっただけなのかもしれないが。いずれにせよぼくは、久しぶりのバッティングセンターを、存分に楽しんだのだった。
 
 渋谷の現場でまた会った。ふたりでトレンチを掘りながら話した。
「イワシさんバンド結成しましょうよ」
「いや、おれは音楽とうにやめてるから」
 断ると太郎ちゃんは、いや架空のバンドですよと笑った。
「脳内バンドです。実際に活動はしないで。ねえ結成しましょうよ。名前はそうだな、『カークランズ』」
「撹乱ズ?」
「そうです。撹乱をもじって。現場を撹乱するカークランズ、遺跡発掘の悩みのタネ、カークランズ」
 ゴミ捨て穴などの、近年掘りかえした箇所のことを、遺跡発掘の世界では「撹乱」と総称する。地層が撹乱されていると時代が特定できないからだ。
 面白そうじゃないか。ぼくは彼の提案に乗った。よしやろう、どんなバンドにする?
「女子にもてるロックンロールバンド、ですかね」と彼は真面目な顔していった。「だけど、作業員の憂鬱やら苦しみを歌詞に反映させたいですね。ブルース的に」
 ぼくらは休憩中、プレハブ小屋に戻って、歌詞作りに熱中した。彼は特徴のあるカクカクした文字で、タイトルを書き連ねていった。
「カークランズのテーマ」
「谷やんからの指令」
「ジェットスコップ」
「二人の水糸ライン」
「土曜日は出ないぜ」
 などなど。遺跡発掘業界の人間しかわからない、内輪受けも甚だしい内容だったが。彼はギターウルフが好きだったし、いろんなバンドに客演していたそうだから、アイディアは豊富だった。たちまち、12曲くらいをでっち上げてしまった。
「ファーストアルバムは、ざっとこんな感じですかね」
「いいんじゃない。で、曲のほうはどうするの」
「作業中に、イワシさんとあーでもないこーでもないと練りあげましょう。意見の相違があってもいいし。どうせすぐに解散するんだし」
「え、解散しちゃうの?」
「ロックンロールバンドは、デビューしてすぐに空中分解するか、永遠にダラダラと続けるかのどちらかですよ。
  カークランズは、前者です」
 そういって、太郎ちゃんはニヤリと笑った。
 その現場では記念撮影もした。重機を操るTさんに「ユンボマスター」、人形劇で全国をまわっているNくんに「ドールN」とステージネームをつけて。
ユンボマスターはドラムです。そこにかけて、あ、太鼓はそこらへんのバケツで。ドールはベース、イワシさんはギターです。円匙(えんぴ。スコップのこと)持ってそれらしく構えてください。あ、おれはリードボーカル
 と仕切ったのち、めいめいにヘルメットをかぶらせた。
 そのときの写真が手元にある。太郎ちゃんはミック・ジャガーよろしく腰振りポーズを決め、ぼくはぼくでピート・タウンゼンドばりに腕をふるっている。これをみた子どもから、オトーサン楽しそうだね、とからかわれたけれど。
 ともあれ太郎ちゃんは几帳面なやつだった。なんでも記録し、なんでも写真に残した。ぼくが持っている発掘現場で撮られた写真は、ぜんぶ太郎ちゃんが自腹でプリントしたものだ。 
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カークランズ ファーストアルバムのジャケット(笑)
左よりイワシ、太郎ちゃん、ドールN、ユンボマスター。
 
 記録といえば、雑記帳がある。
 太郎ちゃんは小学生が使うようなノートを買ってきて、それに思いつくままなんでも書きつけていた。のんきに昼寝している馬の写真が表紙で、それに太郎ちゃんは「だり〜ィ」とふきだしをつけていた。まったくだるそうな面構えの馬だった。みなそのノートを「だりーノート」と呼んで、昼休みに回し読みしていた。
 太郎ちゃんがくだらないお題を出す。それにめいめいが好き勝手を書き込んでいくスタイルだった。
「女子からみたダメな男のタイプは?」
「女子が喜ぶ・グッとくるセリフは?」
「女子を落とすための秘策を考えろ!」
 どうして女子にこだわるのさと訊いたら、彼はこう答えた。
「だって遺跡の男子は『言えない君』が多すぎるじゃないですか。彼らに有益なアドヴァイスをほどこさないと、一生彼女なんて、できやしませんぜ」
 あるいはまた、架空の2時間サスペンススペシャルと銘打って、職場の人間に役柄を振り当てていったり、職場の人間の年齢と交際相関図を作成したり(これはさすがに女性陣から顰蹙を買うので「非公開ページ」に認定されたが)、まあ、書きたい放題だった。
「町角美人発見コーナー」というページもあった。町のどこかで美人を発見したら、忘れないうちにメモしておきましょうという。ぼくも書くように促された。
「イワシさんも情報提供をお願いします。もちろん、さし絵つきで」
 ぼくは、西国分寺の駅ビルのパン屋さんで見かけた可愛い女の子と、甲州街道沿いの郵便局で見かけた井川遥似の窓口の女性の、イラストというか似顔絵を描いた。その情報をもとに何人かが御本尊を拝みに行った。郵便局員は確かに居たけれど、パン屋のほうは誰も確認できなかった。だから西国のパン屋の娘は「イワシさんの脳内イメージ」ということになっている。
 ともあれ、そういう「くだらないこと」をプロデュースしながら、太郎ちゃんは納期までに作業を終えるためにとかくギスギスしがちな発掘現場を、なごみの場へと変えていった。少なくともぼくは、それでずいぶん救われていたと思う。
 
 太郎ちゃんは、酒呑みだった。ゆうべはどこで飲み、どんなことを喋ったか、ぼくにこと細かに報告した。彼の縄張りは阿佐ヶ谷で、西荻は地元なんで避けている、そうだった。
 現場でも飲んでいた。いまはどうだかしらないが、昼の休憩中に缶チューハイを傾けていた。それでも仕事ができたから、誰からも文句は出なかった。
 そういえば太郎ちゃんとは二度ほど飲んだ。一度目は大雪の降った日だった。午前中いっぱいかけて、現場のまわりの道路の雪かきをし、こんな日は作業ができないねと言って、午後から飲みに突入したのだ。甲州街道ぞいのとんかつ屋にいって、昼間っから終業時間までビールを飲んだ。いいあんばいに酔っ払って、ふらふらと歩いた。街道を渋滞中のクルマを眺めながら、太郎ちゃんがボソッとつぶやいた。
「シルバー塗装のクルマばっかりっすねー」
 その言いぐさが、なぜだかおかしかったので、ぼくは笑い転げた。
 もう一回は早くに作業が終わった帰り、太郎ちゃんの自転車の荷台に乗せてもらい、二人乗りで、武蔵野崖線を巡ったときだ。国分尼寺あとの、公園を分け入りながら、太郎ちゃんは「おれの好きな場所です」と、ぼくを案内してくれた。
 そこは武蔵野線を見下ろせる、なだらかな傾斜の上だった。10分ごとに行き交うオレンジ色の電車のすぐそばで、ぼくらは発泡酒をあけて、くだらない話に興じた。
 太郎ちゃんは「つかず離れずの女の話」をしていた。女とつきあうのってとても面倒くさいと白状していた。ぼくはそうだねぇと相槌をうちながら、多摩丘陵に沈む夕日をぼんやりと眺めていた。
「イワシさんは……」
 なにか言いたげだった。何事かを打ち明けたかったのかもしれない。が、いまとなっては定かではない。
 
 
 太郎ちゃんが代理人の任についてからは、必ずぼくを指名した。ずいぶん同じ現場を回った。練馬のときは三宝寺池の茶屋で昼食を食った。国立の谷保では古民家に足を運んで野良猫と戯れた。
 しかし圧倒的に多かったのは、府中の現場である。彼は府中市の調査会から信頼されていた。そのおかげでぼくは、府中市をくまなく知ることができた。
 3.11のとき、ぼくは休みを取って自宅にいた。それから一週間後、六本木の整理作業をし、それから是政にある、府中市の整理作業所に赴いた。
 ひさしぶりに会った太郎ちゃんは、少しだけシリアスな印象だった。いつものように下河原線あとの遊歩道を二人乗りで走ったり、多摩川の河岸にいって桜の花のしたで弁当を食べたりしたが、以前の軽いノリに戻ることはなかった。
「おれね、最近ロックがつまんないんですよ。聴いてて、なんかノレない。イワシさんはどうですか」
「おれも。なんか今回の地震で、ものすごく音楽がつまんなくなって。なんか聴く気になんない」
 春の霞が、うっすらとかかっていた。桜の花びらのちらほら舞う、花曇りの河川敷は、なにもかもが曖昧に映った。遠くの鉄橋を、おびただしい数の貨物列車が、ゆっくりと渡っていた。
「ロックがね、リアルに響かないんですよ。圧倒的な無力感というか。
 寄る辺ない感じがしてね……」
 その、寄る辺ないということばに、ぼくは感応した。
 太郎ちゃんの、ほんとうは繊細な感受性を、たちどころに理解できた。酒が女子が、といつもおどけているのは、その繊細さを隠すための方便だったのだと。サングラスで視線を覆うのも、彼なりのエクスキューズだったのかもしれない。
「……カークランズ、演りたいっすね」
「うん」
 いつか鎌倉街道ぞいの、ハードオフを覗いたときに、太郎ちゃんは備えつけのギターを、それはみごとに弾いてみせた。彼の身上はロックンロールで、豪快なリフに気の利いたリックを織り交ぜていた。そのトワンギーなトーンとバッキングスタイルを、ぼくは認めていた。だから本気でバンドを結成するなら太郎ちゃんとだな、と思っていた。
「でもやんないでしょイワシさんは。カークランズとか、しょせん空想の遊びだから」
「いや、いつかは実現したいね」
   ーー「いつか」っていつだろう?
 ぼくは自分の嘘に辟易していた。確かにぼくにとって、それは空想にすぎなかった。それは決して実現しない、されない架空のものだからこそ、脳内で賑やかしく響き続けるのだ。彼は手応えある実感を求めていたのだろう。そこも理解できた。が、実際にスタジオに入って、音を出した途端、空想はみじめな現実となって、雲散霧消してしまうだろう。
「太郎ちゃんのスタイルは、ほんもののロックだよ。相棒をみつけて、本格的にバンドを組んだら、そこそこいけるかもしれない。きみの腕前だったら」
「ダラダラと」
「そう、ダラダラと。永遠に続くほうに、だよ」
 ぼくは気休めをいった。実現しそうにもない気休めを。それを悟ったかどうか、太郎ちゃんは頷いた。
「いいです。ならばカークランズを、永遠のダラダラバンドにしましょう。ローリング・ストーンズみたいに、まだやってんのと言われるような、往生際の悪いバンドに」
 彼は立ち上がって、尻に敷いたシートを畳みはじめた。几帳面な太郎ちゃんは、いつでも準備万端だった。 
 
 
 それから2年後、ぼくは発掘作業員の仕事を辞めることにした。辞める間際になって、違う現場の太郎ちゃんに電話した。クマモトに帰るんだと告げると、彼は驚いてはいたが、寂しくなるけどしかたないですねと、妙にさばさばした調子で返した。
「それでこないだ借りてた、『コックサッカー・ブルース』のDVDなんだけど、あれ、返さなくちゃいけないな。どうする、いっぺん逢わないか?」
「ああ、いいです」と太郎ちゃんは事もなげに言った。
「返さなくてもいいです。あれはイワシさんにあげたんだから。ずっと持っていて、たまにご覧になってください」
 
 太郎ちゃん。
 おれは持っていたレコードやらCDを、帰郷する時にぜんぶ売っぱらっちゃったけど、きみの呉れたDVDだけは、未だに持っている。
 ローリング・ストーンズの『コックサッカー・ブルース』。
 カークランズ、いつか一緒に演ろうぜ!
  “Till the next time we say goodbye 
    I'll be thinking of you.”