2023/01/30
しかし、先ほどNHKBS1で放送されていた『誰が島を守るのか ~沖縄 若き自衛隊員の葛藤』、自衛隊配備に反対する側の意見もとりあげ、中立的なように見せかけてはいるが、優しい若者たちに「銃の向こう側にいる相手をころすことを念頭に置いて訓練に臨め」と指導する上官の様子を映すあたり、これはやはり紛れもなく防衛省の広報活動の一環だと感じた。
「沖縄を守るのは君たちの使命だ」と覚悟を求められる若き自衛官たち。いくら戦争体験者の危ぶむ声を挿みこもうと、国防に命をかける若者の葛藤を尊きもののように映しだすかぎり、番組は結果的にプロパガンダの役割を担ってしまう。
戦争が命のやり取りであり、国家間の衝突は不可避であるとの前提に立った番組が今後ますます増えていき、大メディアは本邦を国防一色に塗りつぶしてしまうだろう。自衛隊の訓練や演習のもようが連日放送され、日常として慣らされてゆくだろう。批判精神を失った市民は、やがて否応なく臨戦体制に協力させられるはずだ。
私は悲観的すぎるだろうか。そうは思わない。ほんの少し前までテレビは、射撃訓練やら砲弾の手入れやら匍匐前進やらを、あれほど至近距離からは撮らなかった。
自衛隊のそういった活動や装備に詳しいとされる芸人を取り上げる番組も、ここ数年で増えている気がします。それは他国の脅威を煽ると共に、国家防衛も一般市民の義務だという政府の刷り込みがあるように感じます。(LightBlueさんの返信)
ひな壇芸人たちが家電を紹介するみたいに「自衛隊この兵器がスゴい」と競い合う様子が目に浮かびます。ひょっとしたら私が知らないだけで、そういう番組が既に存在しているのかもしれませんね。
【昨日ちょっと怖い思いをした】
帰宅すると、ピピピという電子音が部屋のどこからか聞こえてきた。何の音だ、警報みたいだ、しかし心当たりがない。音のありかを突きとめようと、私は耳をそばだてながら、緊張していた。
しばらくすると、妻が旧い箪笥の引出しをあけて、「これじゃない?」と小ぶりの目覚まし時計を手に取ってみせた。それは母が生前、枕元に使っていたものだ。「お義母さん、何か伝えたいことあるのかも」というものだから、私の背筋に冷たいものが走った。
仏壇に手をあわせたのち、目覚まし時計の中を開けて、とうに寿命をまっとうしたはずの、十円玉大のリチウム電池を取り出した。これでアラーム音は鳴らなくなるはずである。やれやれと胸を撫でおろした。
目覚まし時計本体は、そのまま箪笥の中に納めているが、あれはやはり母からの、何かの警告だったように思えてならない。
"Superstition ain’t the way”を聞いてきた私だ、信心深い方じゃない。超常現象なぞあってたまるかと思っている。けど鳴らないはずの目覚まし時計が不在の部屋で鳴り続けていたんだ。さすがに昨晩は魂消たよ。
今度は鮎川誠が……
どうなってるんだよ2023年……(Andyさん)
鮎川誠のファンの皆様、関係者の皆様へ
— シーナ&ロケッツ (@rokketduction) 2023年1月30日
1月29日5時47分、鮎川誠が永眠いたしました。
膵臓がんでした。
これまで鮎川誠とシーナ&ロケッツを長年に渡って応援し、愛してくださり、本当に有難うございました。
鮎川誠の通夜並びに葬儀告別式は下記の通り執り行います。
https://t.co/Fqj6LPGphd pic.twitter.com/8hj8ZjhY78
誠ちゃん。
初めて観たロックバンドがサンハウス。中央プールセンターの屋外ステージ。菊とのコンビはおっかなかったけど、憧れた。南阿蘇で、日比谷野音で、サンハウスの無愛想なステージに触れた。
そしてロケッツ。最初は天神のスケート場。お次は大博ホールでラモーンズの前座。ドライブ感で優っていると感じた。最前列で誠ちゃんのローカットのコンバースに触れようと懸命に手を伸ばしていたのはオレだ。
下北沢に住んでいた頃、シーナと娘さんたちと一緒に歩いている姿をよくお見かけした。面識はなかったけど、なんだか知り合いみたいに錯覚していた。
あー、いろいろ思いだしてしまうよ。
鮎川誠が最高なのは、その時どきだ。今まさに聞いている瞬間が一番なんだ。最高の瞬間はレコードに収録されていない。それはサンハウスやロケッツを聞いた者たちの記憶に刻まれている。
なんだか、もう、言葉にならんよ。
2023/01/31
昨夜は鮎川誠の死去で落ちこみが半端じゃなかったけれど、『幸せへのまわり道(A Beautiful Day in the Neighborhood)』という映画を観て、気持ちがずいぶん和らいだ。
どういうお話だったかを説明するのはむずかしいけれど、自分の経験に照らしあわせて(とくに両親の死去について)いろいろと考えさせられた。
冒頭のミニチュアセットと、ニック・ドレイクの「ノーザン・スカイ」で一挙に惹きこまれたんだ。これは観たほうがよさそうだ、と。
くたびれたトラのパペット、ダニエルが愛おしかった。うちのチャイ(猫)にちょっと似ていて。
Daniel Striped Tiger
This shy, gentle tiger is equal parts timid and brave.
「雑誌ってどうやってできるのかな。 見てみよう」
(製版工場のようすが映しだされる。黄色いインクを注入したり、巨大なロール紙をセッティングしたりする工員の姿)
「こんなに広い紙から、何冊の雑誌ができあがるんだろうね?」
(次、オフィスの風景に変わる)
「この人たちは何をしているの」
「どんな文章を雑誌のどこに載せるのか、相談して決めているんだよ」
「こっちは?」
「その文章を考えて、書いている人さ」
主人公の職種が一目でわかる、見事な導入部。だけど、この場面で観る側は気づかされる。雑誌を作っているのは、ライターやエディターだけではないということを。
今日は良い天気だ。とても暖かい。
2023/02/01
【content warningの賢い使い方】
①
マストドンに来て最初に戸惑ったのはCWという機能だった。content warningの略で、センシティヴな内容だから隠しますよという告知である。が、使っているうちに、これは読むかスルーするかを判断できる良い工夫だと思いなおした。
Twitterに代表される短文形式のSNSは、どんな内容であれ、テキスト=人格として認識される。書かれた文と書いた本人の考えが同一であるとの前提で読む側は認識する。その短絡を書く側が意識して投稿しないと痛い目にあう。嘘・偽り・でたらめは基本的に御法度だ。 わかりやすく言えば、いい加減なことを書けば、いい加減な人間だと思われる。野党第一党代表が「息苦しいですね」と愚痴っていたが、さよう、それがSNSだ。
が、一方でひどくナローな表現手段だともいえる。書き手とテキストとの距離が近すぎて、客観性が保てない。何かに、とくに社会問題について言及する際、それについて私はこう考えると基本姿勢を示さなければならない。誠実に説こうとすればするほど逐条解説みたいになるし、暗示や仄めかしは、ときに曖昧な態度だと誤解される原因ともなる。
それゆえSNSはフィクションを書くのに向いていない。
②
だが、「これは架空の話です」とあらかじめ断りを入れることで、人は書き手と書かれた内容とを切り離して読むことが初めて可能となる。
マストドンは、CWであらかじめタイトルをつけておけば、ある程度は説明責任から逃れられる。これから与太話を始めますと告知すれば、与太話を書くのも自由だ。与太話ばかりじゃないかアイツは、と呆れられるかもしれないが、それでも枠組があるとないとでは大違いだ。「昔々あるところにお爺さんとお婆さんがいました」と語りだせば、子どもは安心して物語に没入できる。それと一緒だ。
いや、むりに物語の構造にあてはめなくてもかまわない。たとえ話程度でもいい。きみが熟考を経ずに思いついた突拍子もない言説にも、CWを間に挟んでおけば、読み手が、こいつ唐突に何いいだしたんだと訝しむこともなく、剥きだしの感性に痛めつけられることもなく、安心して観察することができる。つまり、書く側と読む側の適切な距離が保たれるわけだ。
CWはいわば安全弁。表現領域を広げる可能性を秘めている。活用しない手はない。
③
誠実であろうとするがあまり、言動一致を貫徹してしまう。立派な態度だと感心する一方で、それでは折れてしまうぞと危惧する。ハンドル同様、言葉を伝えるにも、遊びが要るんだと思う。性急かつ逃れようのない言葉で、相手と、自分を追い詰めないこと。相互理解の道を簡単に断ち切らないで、一筋どこかに残しておくこと。
自分をよく見せようと言葉を飾ることに後ろめたさを覚えなくてもいい。誰もが多かれ少なかれ、自分をよく見せようと努めているのだから。「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」の名の通り、ここはまぎれもなく社会なのだから、素の自分をありのまま曝けだすのは、控えたほうが賢明だ。
ざっくばらんな語り口も、自己演出の一形態だ。格好つけていいんだぜ。日ごろ使わないような言葉づかいでも。
それでも人柄は表れるものだって?
そりゃまあそうだけど、よい人だと思われようと努めることに、罪意識を持つ必要はないでしょ。饒舌も寡黙も、お喋りも理屈捏ねまくりも、好きなように装えばいいんじゃないかな。剥きだしの言葉だと風邪をひいてしまうから、何か着たほうがいい。
①自分が良い人に見えるか見えないかについては自分は興味がないな。後世の歴史家に任せよう。 #大物気取り (HyoYoshikawaさん = toot.blue のサーバー管理人)
②「仮面」=ペルソナをつけない素の自分、なんて概念自体インチキだもんね。(森哲平さん)
③匿名にせよ実名にせよ、ロールプレイというか自己演出というか、それが他者との距離調節になるのはあるよね。ペルソナとかヤマアラシのジレンマというやつ。オンラインゲームのキャラとかでも、どっかのコメ欄でもそうだし、実生活だっていきなり素を見せることって無いし、同じだよなあ。
パジャマの方が楽だろうけど、そこはプライベートな場という認識? 実際はパブリックで? そういう錯覚によるエラーってのはあるか。(Yahgatnaaさん)
上の3つが「エアリプ」である。
おそらく今朝がた投稿した私のトゥートに反応しての感想だと判断してブーストした。違っているかもしれないし、他にもあるかもしれない(違っていたらごめんなさい)。
私は、自説を強化するために返信やエアリプをブーストするのはしない性質だが、今回は説明のために紹介させていただいた。
あ、そういや、こないだ嬉しいエアリプを見かけたな。そんな時、マストドンに来てよかったなと思うよ。
むかしmixiを始めた頃に、やってみてはいかがと勧めてくれた人から、「ずいぶん赤裸々ですね」と指摘されたことがある。
過去に経験したある出来事を、包み隠さず書いたからだと思うが、今ふり返ると過剰だったかなと反省している。
以来、すっ裸にならず、パンツくらいは穿いておこうと決めている。私の場合、他人によく見られたいという思いは、その程度のことです。
いま眠狂四郎を放送している。全十二作を何度も観たが、やはり見入ってしまう。市川雷蔵、最高だ。
2023/02/02
法面にスイセンが咲いておりましたよ。
うつむき加減だから撮るのがむずかしい。
久々にThe Corrsを聴いている。M2「Forgiven, Not Forgotten」からM3の「Heaven Knows」の展開が素晴らしい。(高橋ミレイさん)
コアーズには恩がある。(シン・リジィのフロントマンだった)フィル・ライノットの「オールド・タウン」のカヴァーをしていたから。なんていい曲だと思って、フィルのオリジナルを聞いたら、泣いたよ。できれば、プロモーション動画を見てみて。
こちらですね。ドンピシャで好みです。今日何度もリピートして聴いていました。素晴らしい曲を教えていただき本当にありがとうございます!
いえいえ、この曲を知っていただいて私も嬉しいです。ロマンスは壊れてしまったとフィルは歌っていますが、これは故郷への慕情が素直に表れた、きわめてロマンチックな歌だと思います。
kp4323w3255b5t267.hatenablog.com
【今週の新譜】
1983年西独ブレーメンでのライブ。 どうしても英フォーク・トラッド出身の文脈で語られてしまう人だけど、私は80年代半ばのエレクトリック・ジョン・マーティンも大好きなんだ。とくにこの時期トリオ編成のバンドが最強で、ジョンの空間を活かしたイマジナリーなギタープレイが存分に味わえる。とりあえず「サンデーズ・チャイルド」を貼るけど、前と後の「ソリッド・エア」と「クドント・ラブ・ユー・モア」も併せて聞いてみてほしい。 すごいことやってたんだな、と思うよ。
私は最近こういう一筋縄ではいかない、気難しそうな雰囲気のミュージシャンがとみに好きでさ。理解ったときの喜びが、ひとしおなんだよね。
未知の街を独りで歩くときの寄るべない感覚を、もっともリアルに描いているなと私が思ったのは、須賀敦子だった。読んでいて、アドリア海に面した町を探索しているようで、ドキドキしたな。(01/28の拙トゥート)
手元になかったので注文し、今日ポストに入っていた『トリエステの坂道(みすず書房)』。さっそく表題作を読んで、あらためて須賀敦子の文の冴えに唸った。他の短編は来週に読む。旅のお供に連れてゆく。
商品小計¥ 81(中古)配送料および手数料¥ 257 。ありがたいが、ありえない価格だと思う。初版だよ?
The Durutti Column - Another Setting, 淡いなりに元気なアルバムでそういうところがとても好き。リリースされた当時どういう受け止められ方だったのかは気になります。(15mim recordsさん)
好きでしたよ。
リリース時に渋谷公会堂で観たライブは、時間が押して、四曲くらいで終わったけれど、この中の「The Beggar」を演奏してくれました。
The Beggar - song and lyrics by The Durutti Column | Spotify
1983年に来日していたんですね! 電子音楽が一般的になる前にこのアプローチはあまりに隔絶していて(E2-E4のように?)当初は呆気に取られた感じかなぁと想像していましたが。貴重なお話ありがとうございます
ファクトリーレコード発ということもあり、私はポストパンクの文脈で捉えていました。でも、夏のスケッチなんかは、ジャズ・フュージョンを好む人たちにも受け入れられていたように記憶しています。
(S.やすい.くりやまさんのジャコ・パストリアスの思い出を語ったトゥートを読んで)
JACO PASTORIUS - LIVE JAPAN.mp4 - YouTube
1980年福岡の九電記念体育館でウェザーリポートを観ました。ジャコ・パストリアスはタウンゼンドみたいに飛び跳ねて弾いてました。カッコよかったなあ。すんでのところで握手し損なったのが心残りだったけど。
ちなみに歴代のベーシストで私がいちばん好みなのは、アルフォンソ・ジョンソンです。
自分は新宿の厚生年金会館でウェザーリポート観ました! カッコよかったです。やっぱ最後の演奏の後でステージに走っていっちゃいますよね!(中略)ジャコが自分のビッグバンドで来日した時の写真で地下鉄のホームでベースを裸で持って立ってるのが妙にカッコよく感じられて、練習スタジオに電車で行く時は楽器をケースに入れずに裸で持ち歩いてました。今思えばバカでした。(S.やすい.くりやま さん)
今日は鬼にならねばならぬ。いや、比喩ではなく。
……数時間後……
いやー、豆まき午前3回公演はさすがにハードだわ(何やってんだか)。
政府が卒業式や入学式でのマスク着用を推奨しないことを検討しているとの報道
若いころ私は、全ての行事とか式典とかがなくなればいいと思っていた。慣わしを踏襲することが、本邦の家父長制の温床にもつながっていると考えていたのだ。今でもその考えは基本的に変わっていないが、ある時期から、まったく無意味だとも思わなくなった。
そういえば。
私の子は低学年のとき、「ことばきこえの教室」に半年ほど通っていたのだが、そこを「卒業」するときに、先生がおっしゃっていたことばが、つよく印象に残っている。
「日本は、日本人はなにかと区切りをつけたがります。だけど人が区切ろうとしても、時間はとどまらず、淡々と進んでいきます。卒業式とか入学式とか、ほんらいあってもなくてもかまわないものだと思います。でも、あなたがここに来ていたことを思いだすために、少しは役立つことかもしれないね。 卒業おめでとう。ぼくは当分ここにいるから、いつでも遊びにいらっしゃい」
一言一句覚えている。
子が大人になったとき、三人だけの卒業式を覚えているかと訊いたら、覚えていないと答えた。
「けど楽しかったな。私その先生好きだったし。授業中に、ちょっと行ってくるねって、みんなに自慢してたよ」
小沢一郎みたいな腕力と根性のある政治家がいないと自民党政権はひっくり返せない。だから、自民党があの手この手で彼を叩いたのに、国民はまんまとそれに乗り、日本政治改革に尽力した小沢は隅に追いやられた。(JapanProfさん)
(上のトゥートを読んだのと、Twitterで凍結騒ぎが起こっていると聞きつけた私は、)
Twitterのことが無性に気になったので、さっき幾人かのアカウントの消息を訪ねてきた。
大阪知事選について、ひそかに私淑しているポンピィさんが、私とまったく同じことを考えていて、ちょっぴりホッとした。マサ・ダ・オールドスクーラーさんや本件の特殊性に鑑みさんやペア・オヴ・グラシスさんなども概ね同意見だった。
党派性で一括りにできない、彼らのような見方をする人が、Twitterには何人かいるけれど、どういうわけだかマストドンではとんとお見かけしない。なぜだろうね。
正直、いまの維新大阪を一回の選挙でひっくり返すのは無理やと思う。一発逆転とかない。ただ少しずつでも崩して行かな。てゆうか維新で大阪は何もよくなってないのは事実やから、本来はこちらに分があるはず。何をどう言い繕ったところで詐欺師は詐欺師や。正義になるはずがない。
共産党も市長候補擁立したらええねん。れいわも誰がだしたらええねん。とにかく選挙に注目を集めて、知事選・市長選そのものを、維新の詐欺行政告発キャンペーンにすべき。
候補者一本化や!と知事選たつみコータロー、市長選北野妙子やったら、どうせ結果はわかってるし、在阪テレビは都構想等の明確な争点がない、盛り上がりにかける選挙でしたとまとめるやろ。
(ポンピィ @pom_pom_pee さんのツイート)
【今週の新譜】 (mstdn.jpの鰯からの投稿)
近年のトッド・ラングレンがリリースした凡作には失望しっぱなしの私だが、さすがにこのライブを聞くと、長年のつきあいからか胸が熱くなる。なぜかというと(山ほど注文つけたくなる歌唱・演奏・録音であるにもかかわらず)たぶんほとんどのトッド支持者が納得する選曲だからだ。この曲順でオリジナル音源を並べたプレイリストを作成したら、それがすなわちベスト・オヴ・トッドだよ。
The Individualist, a True Star Live - Album by Todd Rundgren | Spotify
2023/03/04
マストドンを社員みんなが使っているというオフィスに勤めて、しかもみんな自前のサーバーを運営していて、ねえ岩下さんアカウント教えてよとにこやかに迫られて、どうしようと戸惑っている夢を見ました。 おはようございます。
(タイムラインが映画の話題で賑わっていたので私も一丁噛みしようと思って)
①
映画館に通うこともめっきり減ったし、観ていない名画もたくさんあるんで、映画の知識はほとんどないに等しいけれど、先日BSでたまたま観た『A Beautiful Day in the Neighborhood』はほんとうによかった。
今週はあれを観たから乗り切れたと思う。
②
いちばん金に困っていたころ、私は毎週近くの図書館に通って、開館と同時に視聴覚室に直行し、レザーディスクを2枚、視聴していたものでした。
そこで昭和の邦画は一通り履修した。市川雷蔵の眠狂四郎シリーズを知ったのもその頃だ。けども最後になると観るものがなくなって、旧い記録映画や子ども向けの学習映画にも手を出していた。ま、それはそれで、なかなかおもしろかったよ。
前の週に、次はあれとこれを観ようと目星をつけて借りるんだけど、ちょうど今の私くらいの歳の男性が二、三人いてさ、いちばんデカいモニターの席を先取りしようと競いあっていた。ああいう陰険な爺さんにはなりたかないなと思っていたけど、向こうも、なんだあの若造こ生意気なと思っていただろうな。
③
自動車教習所で学科を受けるとき、15分程度の短編映画を観せられるでしょ。私が免許を取ったころは、それがまだフィルムでさ、モノクロに白い雨が降っているような劣化した画質の代物だった。
けど私、あれが愉しみでね。ちっとも退屈しなかった。穴ポコだらけの未舗装の道を三輪トラックがうねうねと揺れながら徐行する様子とか、半ズボンの小学生がボールを追っかけて道路にとび出して運転手にコラーっと叱られる場面とか、おもしろいじゃないの。
昔の映画を好んで観るようになったのは、たぶんそれからだな。
(ところが私が映画の話をしはじめた途端、さーっと潮が引くように映画の話題がされなくなって)
④
私はどうも自分語りを優先させてしまいがちで、いま話しているのはこっちでしょ、と注意されることもしばしばだ。聞かないし、読めない人だと判断されてもしかたないけども、ひとつだけ言い訳させてほしい。
私は感想を述べないだけです。 (みなさんのトゥートを、楽しく)聞いているし、読んでいます。
(さらに、昨夜ポンピィさんのツイートに共感したことが、共産支持の方々の不興を買ったようで、ならば、と下の説明を記すに至った)
【大阪府知事選について私のスタンスを表明】
①
私は、大阪府知事選は辰巳候補に一本化せよとの意見には首肯できないという立場です。
そこ、はっきりさせておきましょう。
たとえば、 「辰巳さんは、れいわ共同代表二人の質問を、学芸会呼ばわりしたじゃない。失敬だろ、なんで応援せにゃならんの?」 と反論すればいいのかな?
ええ黙りますよ、これっきりで。
余所もんは口にテープ貼っときますわ。
いちおう断っとくけど、私は何度も共産に投票しています。前回の熊本市長選は(現市長大西一史にはとうてい及ばないと思いつつも)益田さんに入れたし、次回の統一地方選も、市議は共産の候補に入れるとすでに決めている。基本的に「野党は共闘するべし」と考えている者です。
反共? 冗談いうなよって話です。
でもね、いちばん「好きな」政治家は、れいわ新選組の山本太郎。ポエムな鰯と嘲笑われようが、そこは譲れません。マストドンにも、「れいわが政党としてダメな理由」を教えてくださる奇特な御方が大勢いらっしゃいますが、大きなお世話だと思うだけです。
つまり私は、そういう偏狭な理由で、辰巳孝太郎氏を推せません。ごめんなさい。
②
大阪の事情に疎いわけではありません。
辰巳さんを支持するみなさんが、谷口(真由美・法学者)さんが候補にあがった経緯を知って、忸怩たる思いを抱くのも無理はないと思います。
また、こんなことあらためていうまでもないことだけど、維新の会の一党支配は一刻も早く終わらせるべきだ、とも思います。
だけど、維新を打破する唯一の方法が辰巳候補への一本化というのは、違うんじゃないかといわざるをえません。
昨晩のポンピィさんのツイートは、(維新以外が圧倒的に不利な)大阪の現状を知る方からの貴重な提言でした。複数の候補者が立候補することで輿論が喚起される、という主旨の意見は、悠長に聞こえたかもしれませんが、冷静なものであり、冷笑ではない、と私は思います。
(ディペッシュ・モードの歌詞にみられる社会性はもっと評価されていい、というトゥートをみて)
ディペッシュ・モードはかなり左派ですね。もっといえば、ブロンスキ・ビートはさらに。
kp4323w3255b5t267.hatenablog.com
mstdn.jpの鰯からの返信:コミュナーズ時代のスタジオライブが、ジミー・ソマーヴィルのオフィシャルにいくつか紹介されているけど、パフォーマンスがどれも半端ないね。すばらしい。
マストドンは空気読みが必要だ、とつねづね感じているが、どうも私は、その能力が欠如している。
(「空気読みが必要でしょうか?」との問いに)
誰かに空気を読みなさいと指図したいわけではありません。実際、空気読みなんて必要ないよとおっしゃられる方がほとんどでしょう。が、私は必要だと思っています。少しは人の顔色をうかがうべきではないかと自分に言い聞かせているのです。
(タイムラインにカレーの画像をアップするのが、マストドンで流行っていたから)
では、私もひき肉のカレーをアップ。 淡路島産の玉葱を使ったら、甘さがカレールーの辛さに優ったから驚いた。なんだかビーフストロガノフみたいな味なんだ。 うまいぞっ。
(「アニメ『赤毛のアン』の、三善晃による主題歌はすごかった、とくにメシアンみたいな編曲が」とコメントしたところ、)
≫ちなみにOPとEDの音楽「きこえるかしら」と「さめない夢」は、三善晃氏がまるまる担当していますので、この場合は編曲ではなく、オーケストレーションが正確な表現ではあります(けーざいさんからの返信)
確かに仰るとおりです。脱帽。
(返信をくれた)けーざい氏には数年前ツイッターで一本とられたのを覚えている。内容は思いだせないが、たぶん政治関連のことについて、私の考えの甘さを指摘されていたと記憶している。
(これらの報道に呼応してか、龍谷大学の憲法学者である石埼学氏が、以下の発言をツイッターで展開していると知り)
1同性婚を法制化するためには「子を生み育てる場ではないのであれば家族とは何か」という問いに新しい答えを用意しないとならない。法律が保護する家族とは何かという問いだ。同性婚法制化を主張する人たちはこれが出来ていないように見受けられる。現時点では法制化に政治が慎重になるのは当然だ。
2同性愛という愛のありかたは個人の自由でありそれを理由に差別されるべきではない。デートすれば良いし、ウェデングすれば良いし、一緒に住んで助け合えば良い。しかしそれを国家が法的婚姻制度で保護することは全く別の問題だ。生殖可能性がない以上、現状国家が保護すべき利益が見当たらないからだ。
3国家は結婚式の牧師さんではない。同姓カップルであれ異性カップルであれ、その人たちが愛し合っているかなど国家の関心事ではない。子を生み育てるか否かが国家の関心事。
遠藤比呂通氏との共著、『沈黙する人権』で感銘した記憶があるだけに、ここ数年での石埼氏の凄まじい変わりようは、私には理解しがたい。
ルー・リードのライブ。1972年と記されているけれども、違うと思う。この演奏はどう聞いても(アリスタ時代のルーのバックを務めた)エヴリマン・バンドによるものだ。1977〜79年ごろの音色だもん。
2023/02/05
朝イチで橙(だいだい)を収穫。
今年は不作だった。
鏡餅に乗せるあれですよね? 味はみかんみたいなものなんでしょうか?(cittaqueさんからの返信)
そのままでは食べません。絞った果汁を使います。鍋ものには最適です。
酸味が強いのですか、焼酎に入れて飲むのも爽やかで良さげですね!
それはありかも(笑)。あと、大根とにんじんの紅白なますを作るときにも欠かせませんね。
さて、ダイダイを摘んでたら、かわいいお客さんがいらっしゃった。きみはなんていう名前の鳥だい?
【あとがき】
今週は意識して政治的な発言を回避していた。マストドンでは、思い切って意見を述べることができない。問題意識はほぼ同一でも、解決手段がまるで違うと感じてしまい、みずから孤立の隘路をまっしぐらに突き進んでいる。カレーやジョウビタキのメスの写真は好評なんだけど、候補者調整の話となると無反応どころか、口にテープを貼っていてほしいときたもんだ。私は私なりにコミュニケイトしようと躍起になっているのだが、どうしたもんだか……
鰯 (Sardine) 2023/02/05