9月には私的な重大事があった。読み進めてゆけばおわかりになるだろうが。
浮島
熊本県上益城郡嘉島町。六嘉湧水群の一つ、浮島の周辺を散策した。
平成のため池百選にも選ばれた風光明媚な場所である。
池の中央の、半島の突き出た部分に浮島熊野坐神社が在り、近所の人々は親しみをこめて「浮島さん」と呼んでいる。
お杜の辺(ほとり)には朽ちたボートが係留されている。
私は参拝しようと池の周回路をめぐったが、方々に震災の爪痕が認められた。ここは震源地からあまり離れていない。
浮島神社の鳥居も崩壊し、参道の脇に寄せられていた。お参りをすませ、そのまま近所の群落に分けいると、井寺遺跡まで0.3㎞の案内板が。私は導かれるように緩い坂道を登っていった。
坂道を登りつめた小高い丘に井寺遺跡の円墳があった。墳丘はブルーシートで覆われ、石棺にいたる入口は幾重にも立ち入り禁止のテープが張りめぐらされており、写真を撮るのは憚られた。
〈こういった文化財の修復はずいぶん後回しになるのだろうな。〉
震災による家屋の損壊があちこちに残る集落へ戻る。細い路地を分けいると、男性が畑仕事をしている。軽く会釈をし、
「この先、抜けられますか」と訊くと、
「池の方さん抜けられます」と答えた。
台風が近づきつつある曇天の空を映しだす水面。魚影のうごめきを目で追っているうち、漱石の『二百十日』のことを何故かしら思いだしていた。
秋の訪れは其処彼処に認められる。
約30分で池を一周した。ふと気づくと、釣り人の糸を垂れるすぐ側にアオサギが佇んでいる。なんとも親しげな様子に、私は心惹かれた。
私がシャッターを切ると、沈黙の時を邪魔されたアオサギは、抗議するように低い声で啼き、飯田山の方角へ飛び去っていった。(9月3日)
註:こういったフォトエッセイがMediumにはいちばん似合っていると思う。
いろんな意見が飛び交ってますが、
私はMediumに気さくさを求めません。
運営する方々には申しわけないけど、正直なところあまり流行ってほしくないという気持ちがある。
人の書いた文章を読むのは好きだし、ハイライトを記すのも面白いけれど、切りとられた一部の文が方々に拡散し、第三者に取り沙汰されるようになったら、
SNSとしては成功なんだろうが、愉快ではない現象が起きるような気もする。
杞憂だといいのですがね。
イチヂクが実っていました。が、赤く熟した実にはカラスの嘴の跡が。甘く熟れた実には穴から侵入する蟻が。いい状態の実はなかなか見当たらない。
落花生を一本、引っこ抜いてみました。こちらはまだ早かった。まだ編み目のない殻を割ってみたら、中はまだ真っ白だった。今月下旬に収穫しよう。
私はお喋りのようには書けないのです。(9月7日)
スローなメディアにしてくれ
Twitterはとても速い。まるで通勤電車のようだ。LINEはもっと速いのだろう(知らない)。Facebookは性に合わないから早々にやめてしまった(私は社交性に乏しい)。Instagramは簡便なフィルターとして使っている。はてなブログは気合いを入れて書いている(ので疲れる)。
そんなふうに私は各種SNSを使っている。情報の伝わる速度はそれほど問題にしない。乗り遅れてはならないとの脅迫観念は、時に思考を単純化してしまう。
Mediumの魅力は任意で速度を調整できるところである。急行にするもよし、各駅停車にするもよし。途中下車しても構わない。素早いレスポンスが可能だけれども、私は即時反応が苦手だ。熟考する余地を残しておきたい。
Slow down, you move too fast.
スローライフならぬスローメディア、ってところか。あんまり遅いとかったるいからテンポはミディアムに設定しておこう。ともあれ投稿した後に読み返してみても恥ずかしくないものにしたい。
自然は其処彼処に遍在している
自然派の是非が問われる昨今の風潮。都会にいながら自然を語るのは笑止なんだそうな。ヘビやムカデに遭遇するくらいの田舎に住んでみないと自然を語れないんだそうな。浅はかな意見だ。辺境に行けばいくほど自然を語るに優位だというのか。だが、そんな理屈を捏ねる人ほどアラスカに行こうがアフリカに行こうが、アマゾンに行こうがアンデスに行こうが、自然を察知できないような気がする。
ありとあらゆるところに自然は遍在している。東京都港区であろうと自然は発見できる。自然の姿を見、自然の声を聞くのは誰でも可能なことだ。それは人に生来備わった能力である。忙しさに感けた人は、ただ忘れているだけだ。自分の周りに自然環境がとりまいていることを。
自然を捉えられる感性を養うことだ。センサーを働かせることだ。自然はあまり自己主張しないから、目をこらし、耳をすます必要がある。五感を研ぎすませば自ずと自然は姿を現してくれる。
街は数々の建造物に溢れている。人の手の介在した物質が大半を占める。しかし構築する材料となるものは自然界から拝借したものだ。コンクリートにしろアスファルトにしろ、鉄筋にしろガラスにしろ、すべて鉱物を砕き、すり潰し、練り直したものである。街の景観を彩る色々な色もまた鉱物や植物など自然界にある色素を抽出して加工したものだし、いま触れているスマートフォンにしてもそうだ。どうしてICが大量の記録を刻めるのか、その仕組みを理解できなくても、半導体を作るのにも原材料が必要なことくらいは分かるだろう?無から有は生み出せない。わたしたちは自然界の恩恵によって生かされているのだ。
私は地方都市に住んでおり、周りには自然が満ちあふれている。どのくらいかと申せば、昨日プロムナードの壁に掛けていた額縁の中にコウモリを発見した程度には「田舎」である。出られなくなったと勘違いした私は、裏のパネルを外してねずみ色した丸い動物を外に出したが、かれは安眠を妨害されたようである。翼を広げたのち、私の周囲を何度も旋回していた。薄暗い隧道の天井に彼の軌跡が幾重にも弧を描いていた。ライトに照らしだされたシルエットは巨大なコウモリが襲来しているような錯覚に陥った。学ぶばかりではない、自然はときに愉快なエンターテイメントも演出してくれる。
けれども田舎に住んでいたって自宅と職場、車内とコンビニだけの生活を送っていれば、どこに住もうが見る風景に変わりはない。均一化が進む現代社会は興味の外を見なくても済むように設計されている。文明の利器にスポイルされてしまい、四季の移り変わりを見過ごすような手合いは、都会よりもむしろ地方に多く見られる。それは格好やしぐさを見ればだいたい分かる。この人は自然に興味がなさそうだ、とある程度の察しはつく。
四六時中、意識しなくてもいい。過敏になると疲れるだけだ。適当にリラックスして周りを見渡すだけでいい。自然は都会だろうが田舎だろうが其処彼処(そこかしこ)にあまねくあるものだ。ほんの少し目をこらし耳をすますだけで自然の姿かたちは容易に発見できる。まずは眺めるところから始めてみよう。自分をとりまく環境をちょっびり意識する、それだけであなたは「自然派」の仲間入り。(9月15日)
註:似たようなことは前年既に『シンボライズ』という題で「はてな」に書いていた。
SNSの虜となって “Prisoner of Social Networking Service”
まずは冒頭に掲げた記事を読んでいただきたい。私に筆者のような経験と見識はないが、共感する部分が大いにあった。
インターネットにおけるサービスの向上と普及が何をもたらし、何を失いつつあるかを考えさせられる記事。情報の集約化とカスタマイズへの警告。私たちは袋小路に入っていないか?
と読んだ直後Twitterにも紹介している。
私は浦島太郎の状態に陥りたくないから頻繁にアクセスしているだけかもしれない。最新の話題に接してないと取り残されるのではないかという焦りや長く発信していないと忘れられるのではないかとの不安から逃がれられないでいる。そういう意味で私はSNSの囚われ人である。
「囲い込まれているな」と感じるときがある。ノイジーな意見が遮断され、私むきの、耳心地のよい情報にカスタマイズされていると。それは自分の求めていた快適なインターネット環境であるかもしれないが、私の選択を元に「おすすめ」される情報は、違った角度からの視点が欠落している。不確定要素がまるでなく、既視感を覚えるものばかりだ。「囲い込まれてンなあ」とつぶやいた私は不可視のパノプティコン(全展望監視)を意識せざるを得ない。
私を虜にしたSocial Networking Service.そのシステムの全貌を掴むつもりはないが、囚われたままの生活はまっぴらゴメンだ。かつて観た「プリズナーNo.6」ではないけれど、私は脱出する算段をあれこれ考えている。
SNSは麻薬のようなものだ。用法を誤ると耽溺しかねない。書かずには居れないの水域に達してしまわないよう、適当に距離を置いてつきあったほうがいい。文章が乱れてきたり言葉づかいが荒れてきたら、しばらく「筆を置く」べきなのかもしれない。いくらでも書けると思うのは錯覚だ。内容が伴わないうちは投稿しないでおこう。幸いMediumはDraftsに保存できる。世に出すべき時は「今」ばかりではない。例えば冒頭に紹介した記事は昨年に投稿されたものだ。読むに値する記事は経年劣化とは無縁だ。(9月18日)
註:この記事に書いた内容は、最近も思うところが多い。とくに昨今の「BUZZる」について。
父のアルバムkp4323w3255b5t267.hatenablog.com
この記事はMediumと「はてな」を同時に投稿した。独立した記事として読んでください。
覚書(備忘録としての)
私は60〜70年代のアメリカンポップスを愛聴している。とくに西海岸のロックと商業的ポップスの狭間に発生した音楽が好きである。そしてこれらの音楽にある程度通暁すると、どうしてもスタジオミュージシャンの働きに突きあたる。後にレッキング・クルーと呼ばれる一群の。
ハル・ブレインはクルーのキャプテンと呼ぶにふさわしい、優れたドラマーである。
- こうして並べてみると、60年代アメリカのポピュラー音楽の代表的ナンバーはほとんどハル・ブレインが叩いていると言っても過言ではない。その仕事量とスティックさばきの多彩さにあらためて驚かされる。
- だがしかし、その合理的なレコーディングシステムこそが、手作り感覚にあふれたブリティッシュインヴェイジョンに(セールス的にも)後塵を拝する結果になったのではないか。手際よいプロの仕事が、ともすれば作り物めいてしまい、アメリカン・ロックの伸長を阻害したとの見方も可能であると思う。
- つまり67年ごろから台頭したビッグブラザー&ホールディングカンパニー、ジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッド、ドアーズ(ベースは名手ジェリー・シェフに協力を求めたが)などのシロウトくさい演奏は、クルー等の規格統一され安定したアンサンブルのアンチとして機能した。
- 凸凹なアンサンブルだからこそ当時の若者は共感したのではないか。もちろんレッキング・クルーが手を貸したグループの中には世代的な反抗の色を帯びているものもいた。が、やはりお行儀がよい。はみ出ていないのである。対するサンフランシスコ産バンドのヘタくそさには、逸脱するスリルがあった。
- サマー・オヴ・ラヴがもたらしたものとは何か?ヘタくそさの理由とは?社会的ではなく音楽的な側面からアプローチしてみたい。それが私の、目下の興味対象である。
未明の雑感をざっと列記した。結論めいたものは何もないが、忘れないうちに書きとめておきたい。他愛のないことだけど、私にとっては重大な関心事であるゆえ、備忘録としてMediumを使ってみた。(9月28日)
註:なるべく他愛のない、内容の薄い記事にしたかった。そうもしないと再開できそうになかった。