鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

卒業おめでとう Graduation Day

 

今月26日、きみは無事に早稲田大学を卒業した。

おめでとう。

f:id:kp4323w3255b5t267:20170329182242j:image

最短距離をつっ走るきみをはたから見ていて、どこにそんな原動力が秘められているのか、じつの娘だというのに、ぼくには分からなかった。高校のころからか、どんなに眠くても歯をくいしばって机に向かうきみに、怠け者のぼくは気圧されていた。大学での四年間をぼくは詳しく知らない。ゼミの説明もサークルの話題もきみの口から聞いたが、ぼくの乏しい「文学部」のイメージからは遠く離れているので、いまいちピンとこなかった。だけどきみは(同学部生との家庭環境の違いに悩みながらも)教養を得、ものすごい勢いで知識を吸収し、試行錯誤をくり返しながらも卒業論文をしたため、卒業証書をいただいた(卒論のテーマはまだ教えてもらってないけど)。

それって、すごいことだよ。

ぼくはとうの昔に、きみに追い抜かれていた。情報収集能力も、テキストの解析力も、時代を読みぬく目も、いずれも敵わない。それはきみのなにげない、短めに発せられるコメントから容易に想像がつく。ものごとの全体を把握し、可能と不可能を見極め、いつでも最適解を出せるよう、きみは自らを鍛えてきたのだよね。

だから忠告するようなことは、じつはそれほどない。

いい気になるなよ、調子に乗りすぎるなと言ったところで、その苦言はぼく自身に返ってくる。きみはたぶん調子に乗りすぎないだろう。かといって萎縮するほど自分を追い詰めないだろう。用心深さと暢気さが無理なく共存している、それがきみの最大の強みだ。

だからぼくも、心配しすぎないようにするよ。

長話は、得意じゃなかったね。早めに切りあげるから、もう一つだけ聞いてくれ。

ぼくらは先月イタリアにいった。ナポリの陽光の下、きみは息を呑んだ。バラックのひしめきあうスラムの光景を覚えているだろうか。ぼくらは観光地をめぐり、歴史的な芸術を間近でみた。それと同時に、さびれた町を遠目にみた。高速バスは途中下車せず、「見る必要のないところは、どんどんすっ飛ばしていきます(byガイド氏)」。人生は短い。あっという間だ。風景は流れ、記憶は一箇所に留まらず、どんどん失われていく。だけど覚えておいて、あの日みた光景を。忘れてしまってはいけない。私たちは大げさに言えば一つの船に乗っているのだから。

少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券を「もたず」、冷蔵庫と電話のある住居を「もたない」でこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことの「ない」、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。(スーザン・ソンタグ

きみが謙虚さを失うことは、おそらくないだろう。奨学金を返済するまでは羽目を外そうにもはずせない。これは不甲斐ない親であるぼくの責任(もちろんきみ一人には背負わせない)。でも、その重荷を抱えているからこそ、きみが思いあがることもあるまいと、ぼくは信じている。きみは強者にあこがれがちだけど、権力におもねるほど愚かではないと思う。なにが本質か、なにが正解なのかが分からなくなったら、歴史を紐解いて過去に学ぶといい。中途半端にではなく、もっと根源的に、だ。いくら華麗な衣装を纏っていても、どれだけ奇抜な意匠が施されていても、一皮剥いてみな、すっ裸にしてみれば、たいした差はないさ。

つまるところ問いも答えも人から学べるんだ。出会った人とのかかわりかた次第で、きみは多くを得られる。人は人と交わることによってのみ生き方を変えられる。ぼくは今でもそう思って生きている。就職したきみが、これからたくさんの人にめぐる会えることを、ぼくは心から願っている。

最後に月並みだけど、ぼくには今このことばしか思いつかないや。

がんばれ

open.spotify.com

4年前にきみが高校を卒業したときも、一人これをかけて悦に入っていた親父より。