鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

崩壊感覚

 

あの夜、忘れようにも忘れられないあの夜の激震は、ぼくの2階の部屋を乱暴に揺すぶり、書棚を倒し、押入れの戸を開いた。傾れ崩れてきたさまざまな書籍、原稿、コンパクトディスク、記憶媒体の類は瞬く間に床に散らばり、部屋は足の踏み入れる場を失った。ぼくは途方に暮れ、散乱したまま放置した。何とか片づけなければと思いつつも、気持ちが前に進まなかった。床に積もった諸々の物どもは、その悉くがガラクタだった。かつて自分が精魂こめて拵えたデモテープや感情の赴くままに書き綴ったノートは、いずれまた顧みることもあろうかと残さず取っておいたものだが、さあこんなふうに全部ひっくり返って、時系列に整理整頓していた状態を失うと、それはただの紙の山、プラスチックの容れ物でしかなく、書かれたもの録られたものの意味は一瞬にして剥奪され、部屋を出入りするのにただ邪魔なだけの、いやらしくも鬱陶しい、やはり一言で括ればガラクタに過ぎない物質となった。休日になっても連日の疲れが抜けず、昼過ぎまで惰眠を貪り、惚けた頭を小突きつつ、飼い猫の動線だけは確保しようと、左へ右へガラクタを押しのけると、崩壊感覚と記された文字が眼に飛びこんでくる。手強い小説『崩壊感覚』。ああまさに、今のぼくを襲う感覚は崩壊である。今まで大切に培ってきた感情は、取り返しのつかないほど、滅茶苦茶に崩壊してしまった。この崩壊した状態を再び元通りに、きれいに並べ収めるのが、欺まんのように思えてならない。だから放ったらかし。いやいやそりゃ言い訳さ、単に面倒なんだろう?作業するのが辛どいだけだろう?まあそれもある。だけどさ野間宏、あなたの本をぼくは、再び紐解く機会があるだろうか。再読する気持ちが訪れるだろうか。なあ長谷川四郎、なあ小島信夫、なあ石川淳、なあ武田泰淳、あなたがたの記した文学を再び読む日が来るだろうか。もしぼくが死んでしまったら蔵書はただの燃えるゴミだ。誰も引き取り手はいないし、仮令あげても困惑するだけだ。ならばいっそ、今捨てようか。今度の集配日に、これらの残骸をまとめて出してしまおうか。だけど結局、ぼくは捨てられないだろう。誰にとっても意味のない、無価値なぼくの過去の記録と、積み重なったぶ厚い書物は、分かち難くあるものだから。

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ぼくはのそのそと片づけ始めた。あの振動にも微動だにしなかった、壁掛けのギターに見守られながら。(4月27日)