鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

『ロシュフォール』に憧れて

 

 ジャック・ドゥミ監督が1967年に制作したフランス映画、『ロシュフォールの恋人たち』。その色あざやかな映像と、ミシェル・ルグランによる素晴らしいサウンドトラックは数多の人びとが絶賛しており、いまさらぼくがつけ加える要素など何もないけれど(試しに検索してごらん。山ほど記事やブログにヒットするから)、この映画が好きで好きでたまらないぼくは、疲れてしんどいときにはコレを観てシャキッとするのです。

 だから久しぶりにユーチューブをペタペタ貼りつけるのさ。簡単で散漫な解説もつけとこう。

  これが映画の冒頭ね。


ロシュフォールの恋人たち(字幕版)
 キャラバンの踊る舞台が運搬橋のゴンドラという、スリリングなオープニング。ジョージ・チャキリスの旋回で、いきなり持っていかれます。


2 l'arrivée des camionneurs
 有名な『キャラバンの到着』。松田聖子小泉今日子の化粧品のCFやら、吹奏楽やらエレクトーンの発表会やらで、耳にしたことあるでしょう。だけどコレを観なくちゃ、真価はわからない。映像と音楽の理想的な融合。

 いいなあ、こんなふうに仕事作業は楽しくやりたいね。踊るように歌うように。


Michel Legrand 映画「ロシュフォールの恋人たち」 双生児姉妹の歌 Chanson De Jumelles
 続いては『双子姉妹』の登場。実際の姉妹、フランソワーズ・ドルレアック(姉)とカトリーヌ・ドヌーヴ(妹)が演じています。楽器のあて振り同様、歌も吹き替えだけど、かまわないさ、めちゃくちゃ愉しいシーンなんだから。

 というか、この映画は、徹頭徹尾、愉しい場面に満ちあふれている。


Les Demoiselles de Rochefort (1967) - La Chanson de Maxence
 これまた超がつくスタンダードナンバー『マクサンスの歌』。数えきれないほどのシンガーが歌い、フィル・ウッズビル・エヴァンスが名演を残している。ミシェル・ルグランのナンバーとしては、国際的に『風のささやき』と並んで一、二を争う知名度がある。ぼくはマラガや台北のラウンジで、これらの生演奏を聴いた。

 これだけ切ないメロディーだのに、深刻な感じは受けない。そこがまた、いい。


Michel Legrand - Nous voyageons de ville en ville
 グローバー・デールとジョージ・チャキリス の小粋なデュエット。アメリカを体現する名優が、その魅力をいかんなく発揮している。なにげない仕草や目配せにまで神経が行き届いている。さらに、観ればお気づきになろうが、画面に映りこむ人物すべてが、演出と振付によって完璧に制御されている。

 その徹底ぶりが嬉しくて、観ている間じゅう笑いがこみ上げてくる。


Marins amis amants ou maris - Les Demoiselles de Rochefort (HD)
 邦題『水夫、友達、恋人、夫』。間奏のフルートのアンサンブルに度肝をぬかれる。ミシェルのペンが冴えにさえ、アドリブを奔るペンで描ききっている。かれの施すアレンジはカラフルで豪胆で、ゴージャス。だけど、たとえばストリングスの音色に、どこまでも高く広がる青空を見あげたときのような、いいようのない哀しみというか、寂寥を覚える。その幾重にも折り重なった複雑な色合いを聴くたびに、ぼくは深いため息をつく。


Les Demoiselles de Rochefort (Les rencontres) HD
 ロシュフォールは実在する町で、 ビスケー湾に面した、壮観な軍事施設のある、港町である。日本でいえば、呉や佐世保のようなところです(たぶん)。

ジャック・ドゥミがここを選んだ理由は、かれが思い描く大がかりなダンスシーンを、「何ものにも邪魔されず、自由に演出できる(コルバート)広場があった」からだという。加えて「ミュージカルの魂はどんなに平凡な場所にも宿る」ことを証明するために、敢えてこの町を選んだのである。(CD「完全版」、濱田高志氏の解説より)

 ロシュフォールは、実在の町ではあるが、実際には存在しない架空の町でもある。ジャック・ドゥミは、町並みや家屋の壁をカラフルに塗り替えることも辞さなかった。イメージした仮想空間を映しだすために、かれは妥協しなかった。なぜなら、ロシュフォール』という町そのものが、この映画の主役だからだ。


Les demoiselles de Rochefort
 そう、これほど徹底した町は、地球上のどこにもない。画面に現れる人びとは、たとえそれがウェイトレスであれ、水兵であれ、警官であれ、舞台を囲む群衆であれ、みな例外なく美しく、スタイリッシュで、楽しそうに歩き、語らい、働く。だけどその愉しさの裏には、いいようのない哀しみが内在している。虚構の町に棲むかれ・かの女らは、このミュージカルが終わればみな散り散りに別れる。予感しつつも、その瞬間を歌い、踊り、笑いながら過ごす。存在の儚さを慈しむかのように。

 

 大団円のエンディング曲では、すべての旋律が走馬燈のようにくり出されるが、これはDVDを購入するなり、YouTubeの有料チャンネルに300円を払うなりして、確かめていただきたい。そういえば昨年惜しまれつつ引退したフィギュアスケーター町田樹さんが、映画の振付をよく理解した上で、エキシビジョンに使っていた。


町田樹 FaOI 2014 ロシュフォールの恋人たち

 

 さて、

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 最後に。「関連」に愉快な映像があったから、これも紹介しておきます。

2013/04/14 【4月14日 AFP】フランス・パリ(Paris)の市役所前で13日、故ジャック・ドゥミ(Jacques Demy)監督の「ロシュフォールの恋人たち(Les Demoiselles de Rochefort)」をテーマにしたフラッシュモブが行われた。現在開催中の同監督の回顧展、「The enchanted world of Jacques Demy」のプロモーションの一環として、フランスの映画の総合施設「シネマテーク・フランセーズ(Cinematheque Francaise)」が実施を呼び掛けた。(c)AFP 

 「日本人は、いつまで経っても、カトリーヌ・ドヌーヴが活躍した頃のフランスに憧れているが、それははっきり言って田舎者としかいいようのない、時代遅れの感覚である」といった、辛らつな意見があるのも知っている。

 田舎モノでも、いいじゃないか。

 それは西洋人がこよなく愛す、小津安二郎の映画に見られるような、奥ゆかしく慎ましやかな、古き良き時代の日本社会への郷愁と、さして変わりはないのだけれども。

 このモブシーン、たしかに企てられたものかもしれない。でも一昨年だ、現在のフランスにもジャック・ドゥミの精神が息づいている証明にはならないか?


FLASHMOB JACQUES DEMY - LES DEMOISELLES DE ROCHEFORT

 フランスは、フランス人は、よく心得ていると思うよ、自分たちがどう見られているのかを。

 だから広場で歌い、踊るのも、ごく自然に(見えるように)振る舞えるのだ。

 それは祝祭空間の演出というよりも、日常あるいは常識からの、ちょっとした逸脱であり、

「ハレ」と「ケ」にキッパリ分別する習慣のある日本社会では、難しいことなのかもしれないが、

「生きていくことの息苦しさから一瞬だけ逃れる方法」を、『ロシュフォールの恋人たち』から学ぶ、いや感じとることなら可能ではないだろうか?

    もちろん、それを実際の行動に移すことはカンタンではない。個人の自由のみならず、他人といかに調和すればいいのかを、常に念頭におかなくてはいけない。動作にも思考にも、訓練が要求されるのである。

    ほんとうの“liberté”を獲得するためには。

(ついつい書き足してしまった。非難でも批判でも否定でもない、これは一種の批評だよ。でも・デモ・Demo)

    とりあえず今日ぼくは、軽やかにステップを踏みながら、床をモップがけしてみた、

「♪ ミ・ファ・ソ・ラーミーレ、レ・ミ・ファ・ソソソ・レド」って鼻歌をうたいながら。

イワシさん、楽しそうに掃除しますね」って笑われちゃったけど。

    現実逃避に読み違えられたって、かまうもんか。

    それって労働を厭わずに愉しむ術なんだから。

 

 

【追悼】

AFP通信は2019年1月26日、映画音楽を手がけ、3度のアカデミー賞に輝いたフランスの作曲家ミシェル・ルグラン氏が死去した、と報じた。86歳だった。R.I.P.