報じられる投票率を見るだに、さもありなんと思うわけだよ。だって投票所へ足を運んでごらん。ほかの地域は知らないが、ぼくの住む地方都市の会場で見かけるのは、ほとんどお年寄りだ。ぼくより年下の人を見かけたことはほとんどないね。
選挙のたびに不正選挙だ、票数が改ざんされていると喚く向きがあるけれど、ぼくは体感的に、そうは思わない。だって観光地に行楽客はおおぜいいるぜ。ショッピングモールは人であふれかえっている。若いファミリーは選挙なんか行かずに日曜日を謳歌しているのさ。
そして家に帰って、発泡酒をプシュっと開け、ニュースを観てからようやく気づくんだ。
「ああ、そういや今日は投票日だったな」
と。その後(午後8時まで投票所が開いているにもかかわらず)、まあいいかとつぶやきながら、グラスを傾けるんだ、きっと。
何度も言ったけど、二十代前半のぼくがそうだったから、その感覚がわかるんだ。政治に無関心。誰が議員になったって一緒さ、関係ないよ、どうせオレたち庶民の意志なんて反映しないんだから……。
そういうアパシーな感情が日本列島を覆っている。こんなの陰謀でもなんでもないよ。日々目の前の社会の実相を観察していれば、それだと分かるはず。
でなきゃ、この投票率の低さは説明つかないだろう?責めやしないよ。恨みもしないさ。ただ社会はますます昏く、どんよりとして行くだろう。
いまの世の中に満足しているのかな。よりよい社会にしようと思う気持ちが失せてしまっているのかな。それとも、そんな気持ちは端から持ちあわせていないのかな。現状よければ事足れりということか。
これだと思う候補者がいないって?そんな言いわけは聞きたくないね。要するにきみは投票所にいかなかった。つまるところ棄権したんだ。権利をみずから放棄した者に権利を訴える権利はないよ、と言いたいね。
この停滞した空気をどうにかしたいんだろう?愚図愚図文句をいっているばかりじゃ埒が明かないじゃないか。社会のしくみは一朝一夕には変わらないさ。鬱屈した世の中を何とかしたいと思っているんなら、最低限、選挙にはいくんだな。
日がな一日、政治のことを考えなくっていい。自分のことに感けて他に目もくれなくていい。ただ、決めるところだけはビシッと決めないか。投票所に赴いて投票用紙に名前を書く。せいぜい十分だよ。たったの十分で手続き完了だ。それを億劫がっていてどうする。面倒くさがっていてどうする。
幸い統一地方選挙は前半を終わったのみだ。まだ後半の選挙が月末に待っている。有権者のしょくん、投票しに行きなよ。きみたちがまだ人生に望みを捨てていなくて、今より少しばかりでもマシな世の中になってほしいと希うなら、自分といちばん近しい考えを持つ候補者を、議会に送りこむことだ。
ニヒリズム。それがこの国を疲弊させているものの正体だよ。斜に構えるその前に、せせら笑うその前に、ビールを一杯飲る前に、拠ん所ない事情がない限り、どうか頼むよ、投票に行ってくれ!
早起きして開票結果を見ると、投票用紙に名前を記した候補者がギリギリで当選していた。これまた反響はほとんどなかったけれど、こんなツイートを投稿した。
<ぼくの投じた一票は辛うじて生きた。ぶ厚い保守の壁を穿つ議会での活動を期待したい。>
ささやかな花を飾ろう、今日という一日のページに。世界はまだ終わっちゃいない。