鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

Effect(効果)


 
 これらは1月中旬に牛深まで小旅行したときに撮った写真である。場所は天草への玄関口である三角(みすみ)町にある三角西港
 それまでずっと曇り空だったのが、いきなり晴れてきた。半島の突端の山々が、あざやかな橙色に染まりはじめた。その色合いにぼくは息をのみ、これは写真に収めておかねばと、クルマを停める場所をさがした。ちょうど天草1号橋を渡り終えたところだった。ならば西港に停車しよう。
 三角西港は、ぼくが子どものころはひなびた港だったけど、最近はきれいに整備され、ちょっとした観光名所になっている。詳細はリンク「三角西港 」へ譲るが、とにかく、なかなか風情のあるスポットだ。
  平日なうえ、夕方だったので、あまりひと気はなかった。ぼくはスマフォを携え、海側に背を向け、山を彩る夕陽の照りかえしを撮った。①
f:id:kp4323w3255b5t267:20150306121122j:plain ①
 山の手前の雰囲気のある建物は、浦島屋という、ラフカディオ・ハーン小泉八雲)も投宿したという旅館を復元したものだ。現在は資料館になっている。
 しかし写真におさめてみると、自分が思っていたほど、山肌のあざやかな朱が出ていない。もっとこう、華やかともいえるような色なのになあ……と、画面に目を落としつつ、少し不満に思った。
 ポンポンポン、とエンジン音が聞こえる。ぼくは海のほうへ振りかえった。と、一艘の小型船が、白い波しぶきをあげながら、港へと帰っているところだった。
 対岸の小島の向こうに沈みゆく夕陽があるのだろう、空は赤々と染まっていた。手前の島はシルエットになっており、海面には夕空の照りかえしが映え、これもまた素晴らしい景色である。ぼくはふたたびスマフォのシャッター(ボタン)を切った。②
  f:id:kp4323w3255b5t267:20150306124948j:plain ②
 
 が、この写真も不満だった。実際の印象とかなり乖離している。じつは最近ぼくは視力の低下が著しく、老眼と近眼と乱視がまぜこぜの状態だ。遠近両用メガネを検討したが、そこまでの必要はないとのことで、いわゆるサプリメントタイプのメガネを誂えたばかりだ。話が逸れたが、そういう目の状態で、はたして自分が正しく現実の色やかたちを認識しているかどうかは、かなり疑わしいと思う。しかし、ぼくは自分の目で視た印象と、できるだけ似通った写真を見たかった。写真は「真を写す」と書く。ならば、ぼくのとらえた真を、なるたけ正確に写しとりたい。
 ぼくは少し立ち位置を変え、もう一度シャッターを切った。
  
 所有のiPhone5sには、撮った写真を加工するための編集機能が備わっている。露出、明るさ、コントラスト、色調の度合いを調整でき、原画像とは違うタイプの画像イメージが8種類も用意されている(モノ・色調・ノアール・フェード・クローム・プロセス・トランスファー・インスタント)。もちろん額縁のサイズもオリジナル以外に(縦横の比率を含め)いろいろと選択でき、クローズアップすることもトリミングすることも自由自在だ。
 もちろん、それらの効果を濫用すれば品のない画像になる。ときどきTwitterのタイムラインに出回っている写真には、どう合成したらこうなるのかな?と首を傾げたくなるほどセンスレスなものがある。iPhoneですらこれだけの機能が搭載されているんだもの、写真編集専用のソフトを用いれば、もっと大胆な効果を施せるのかもしれないが。
 ぼくは何事につけ、過剰なエフェクトを好まない。音楽のミックスしかり、文章の修辞もしかり、やりすぎは苦手なのだ。効果は気づかれない程度に添えるのが粋だと感じている。だがその時は自分の網膜に焼きついたものを、自分の内面に映しだされたものを表現するため、効果に頼るのもやぶさかではない、という気持ちに変化していた。
 ぼくはクルマの中で、いましがた撮った画像に調整を加えていった。もっと赤を強く、もっと水面を明るくと、何分間か試行錯誤しているあいだに、空はかげり、陽は沈んでいた。そして「これだ」と思える質感の「写真」に近づいたときに、あたりは既に真っ暗になっていた。
 ぼくは編集し終えた写真をTwitterに投稿した。ついさっきぼくが見たものを、誰かに見てもらいたくて。それがこの③の写真だ。
f:id:kp4323w3255b5t267:20150306121402j:plain ③
 ぼくは写真撮影を好きだったが、本格的にのめりこんだことはない。技術的にはドシロートだと自認している。しかし、この写真のできばえにはかなり満足した。自分がいま見たもの、感じたものとほぼ同一の色彩が、表出していると思えた。
 ぼくの裡に写った三角西港の風景は、真にこんな色とかたちをしていた。
 
 
 スマフォで撮った写真に、いまでは少なからず加工を施す。そのままでもいいやと素のままでやり過ごすこともあれば、過剰にコントラストを強めて失敗することもある。その試行錯誤におもしろみを覚える。その意識の変化には音楽が関係している。最近あらためて夢中になった音楽に、ぼくは多大な影響を受けているのだ。
 マイ・ブラッディー・バレンタインの『Loveless』。
 これにはエフェクトの概念を根底からくつがえされた。20年以上も前に作られた音楽に、いまさらながらインスパイアされている(笑)。なぜ年甲斐もなくシューゲイザーの嚆矢と称される音響に惹かれるのか、その理由を探している最中だ。
 今日は時間を決めて書いているので、これ以上は深入りしない。それでなくてもMBVの魅力を言語化するのは至難のわざで、あーいいね、スゴいねー、としかいえないほど、Lang/lessな状態が続いている。
 いずれちゃんと書くつもりですが、今回はこのへんで。